戦国ちょっと悪い話26
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっと悪い話25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298639461/
姉妹スレ
戦国ちょっといい話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1302853897/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0388人間七七四年
2011/05/28(土) 13:46:40.62ID:iummxbJf0389人間七七四年
2011/05/28(土) 13:51:52.97ID:huhU27Lb0390人間七七四年
2011/05/28(土) 13:53:55.94ID:VYXN62xT0391人間七七四年
2011/05/28(土) 14:48:16.13ID:l9T1HUGP0393人間七七四年
2011/05/28(土) 18:53:01.21ID:lqmyVF/80394人間七七四年
2011/05/28(土) 20:36:58.04ID:mJ177SaO志岐鎮経・天草種元・大矢野種基・上津浦種直・栖本親高といった国人たちが反発、蜂起する。
いわゆる天草国人一揆の勃発である。
さて小西行長はこの一揆の中心人物である志岐鎮経を滅ぼさんと、伊地知文太夫を大将として
その居城、志岐城を攻めさせた。
が、この軍は志岐鎮経の夜襲に会い、一人残らず討ち取られる。文字通りの全滅となった。
この敗戦に驚いた小西行長は自ら六千の軍を率い、さらに加藤清正より千五百の援軍を得、
都合八千で、船により海上から、志岐城近くの袋の裏に上陸した。
すると志岐城から早速人数が出て、干潟を駈けて小西の陣の直ぐ側まで来ると
こう歌って挑発する
『京衆京衆、なぜ鑓せぬぞ、臭橙の皮のすもりか!?』
(京衆よ京衆よ、どうして我々と戦わないのか?お前たちはダイダイの皮の番人か!?)
これに小西・加藤の軍は怒り、力攻めで志岐城の城際まで押し寄せる。
が、志岐城は南は深山、西北は士町に続いている道はあるがその他は全て海、
東は深い谷、堀際は厚い岩盤という天然の要害であり、小西・加藤軍は谷間まで仕寄りを仕掛け
敵を城内に押し込めたものの、攻め落とすまでには至らず、小西は志岐鎮経の縁者である
有馬晴信を通して和平の道を探った。
と、小西・加藤の軍勢は先に自分たちを侮辱した歌を大変憎く思っており、この頃志岐城に向かって
こんな囃し歌を歌いかけ、その溜飲を下げていたという
『城衆城衆、なぜ切って出ぬぞ 志岐じゃしきじゃ、へのこしきじゃ!』
説明しよう。「しき」には「城」という意味があります。そして『へのこ』、これは睾丸や陰茎、
すなわちオチンチンの事です。すなわち
「城衆よ城衆よ!どうして城から討って出ないのか!?志岐城はチンコ城じゃ!」
と歌って笑ったのです。…レベル低いですねw
そんな小学生レベルのチンコチンコの悪口で溜飲を下げるのもいかがなものかと思わなくもない、
天草国人一揆、志岐城攻めの逸話。
(續撰清正記)
0395人間七七四年
2011/05/28(土) 22:24:56.94ID:SEnTZOd/0396人間七七四年
2011/05/29(日) 05:38:32.23ID:k5FAetCg最上義光「ほう、その方なかなか面白い歌を詠むな」
江口道連「べ、別に殿の為に詠んだんじゃないんだからね!(え?殿に褒められた?嬉しい!)」
義光「五兵衛(道連の通称)、京都に一緒に行く?」
道連「か、勝手にすればいいじゃないの!(え?殿と旅行?それも京都??)」
義光「五兵衛、満延が斃れた・・・」
道連「と、殿が不甲斐ないからそうなるんだからね!(え?延沢殿が倒れた・・・殿の心配を払拭しないと!)」
義光「五兵衛、尽くしてくれたから畑谷城あげる」
道連「こ、これで拙者を追い出したとは思わないでね!(え?一城の城主とは言え、殿と離れないといけないなんて・・・)」
義光「五兵衛、山形城の普請奉行やってくれる?」
道連「べ、別にお城が好きだからやってあげるんだからね!(え?本城の普請も任せてくれるの?)」
0397人間七七四年
2011/05/29(日) 05:42:18.12ID:G9QJFKzh改変しない方が面白いのに
0398人間七七四年
2011/05/29(日) 05:42:24.32ID:k5FAetCg慶長出羽合戦
義光「五兵衛、畑谷は小城だから山形で篭城しよう」
道連「殿、直江風情に舐められてはなりませぬ
(え?殿が拙者を安じてくれてる?」
義光「五兵衛、一緒に山形城で篭城しよう」
道連「拙者が畑谷守備を命ぜられたのはこの日のため
(え?一度ならず、二度までも気にしてくれてる??)」
義光「五兵衛、もう時間が無いから戻ってきて・・・義光、一生のお願い」
道連「最上武士の生き様、天下に知らしめん
(・・・・・・)」
直江兼続「江口殿、開城降伏すれば命は助けよう」
道連「だが、断る
(殿、お世話になりました)」
江口道連討ち死に
最上武士はマンドクセ
0399人間七七四年
2011/05/29(日) 06:13:25.72ID:ORxRwcTp自分で考えた創作パートメインの逸話?を投稿してた人か。
なんか最上を題材にしてのこの書き方は。
カッコ内とかなんだかなあ。
0400人間七七四年
2011/05/29(日) 07:07:10.50ID:Snk7CkIU0401人間七七四年
2011/05/29(日) 08:37:26.91ID:34vaQxsB記事内容を捏造したレスを見て以来
>>398みたいなのも粘着アンチの自演だったのかと納得した
0402人間七七四年
2011/05/29(日) 08:38:49.80ID:EFV00kPa0403人間七七四年
2011/05/29(日) 09:50:37.80ID:A41QTDyt0404人間七七四年
2011/05/29(日) 10:07:31.93ID:rRgDQXTC戦国ゲームとかで戦国時代がこうやって人気を得ているんだろうなぁ
0405人間七七四年
2011/05/29(日) 10:41:01.82ID:8egXdsHi0406人間七七四年
2011/05/29(日) 11:00:52.41ID:zcrz6hvQ0407人間七七四年
2011/05/29(日) 11:06:32.44ID:k4MVpi4Qなんだこりゃ?w;
04091/2
2011/05/29(日) 11:14:00.23ID:k4MVpi4Q加藤清正の軍も攻略地点への移動を開始しようとするが、この時、日本から馬を輸送する船が
未だ到着しておらず、50人余りが馬に乗れない状況に居た。
彼らは船を待つべきか、それとも現地で、駑馬でもいいからそれを求めて乗るべきかと相談していると
船頭たちが、「日本では風波悪しく、5日も10日も港から船を出せない状況のようです」と言うので、
これはもう現地で馬を徴収するしか無いと、馬を探したものの、あるいは敵が乗り、もしくは
荷を付けて逃げ出したものと見え、馬は一頭も見つからなかった。
かといって騎馬の士が、徒歩で軍勢に付いて行くわけにも行かない…
と、この時現地に牛は残されていることを発見。彼らはこれを奪い、牛に乗って進軍に付く事とした。
0410人間七七四年
2011/05/29(日) 11:16:03.83ID:p804O9dF04112/2
2011/05/29(日) 11:16:06.66ID:k4MVpi4Q「方々は騎馬とは言いがたい、騎牛衆と申すべきだ!いつも馬乗りより遅いですぞ!」
と戯言をいう。牛に乗った者たち、最初はそれに付き合い一緒に笑っていたが、その戯言があまりに度々なので終に腹を立て
「さてはお主達は冗談ではなく本気で笑っているようだ!
それならば牛の乗った者が遅いか、馬に乗った者がどれほど早いか、勝負いたすべし!」
と、決闘に及ぼうとしたところ、これを聞きつけた清正の家老たちが慌てて間に入って色々と扱いを入れ、悪口を言った若者たちから謝罪をさせ、どうにかその場を無事に済ませたという。
朝鮮の役、「騎牛衆」のお話(續撰清正記)
0412人間七七四年
2011/05/29(日) 11:53:09.87ID:QXEiNf0o0413人間七七四年
2011/05/29(日) 12:56:10.83ID:NdAkaJKX0416人間七七四年
2011/05/29(日) 17:34:47.37ID:oI2S4ys7まとめ管理人さんにも毎回スルーされているのにしょうこりもないなw
0417人間七七四年
2011/05/29(日) 17:43:21.70ID:tR/usN5G0418人間七七四年
2011/05/29(日) 17:49:52.60ID:/wDKrcIH「陣中に於いて、いかに竹中半兵衛とは言え、いつも心静かに牛に騎す事など出来はしない。
あれはたまたま一度、竹中殿が牛に騎した事があったのを、後の人が話を大きく、面白おかしく
したのだ。」
牛のほうが乗りにくいってことなのかな
0419人間七七四年
2011/05/29(日) 17:56:20.32ID:3wXxC4Mg国境と定めたなんてのもあったな。
ウサギと亀じゃないけど、速いが長時間移動が苦手な馬と遅いけど歩き続ける牛
で丁度真ん中くらいのいいところに落ち着いたとかそんな感じの
0420人間七七四年
2011/05/29(日) 18:58:04.90ID:3WKECmfO0422人間七七四年
2011/05/29(日) 23:37:39.37ID:p804O9dF0423人間七七四年
2011/05/29(日) 23:57:48.53ID:tR/usN5G0424人間七七四年
2011/05/30(月) 05:53:00.79ID:xcGAJzTh0425人間七七四年
2011/05/30(月) 07:08:32.96ID:8Ckvy4m4大変だったんだろな。コンクリートとかアスファルトとかマジ感謝
でも戦国時代でも砂利を敷きつめたりくらいはあったのかな?
0426人間七七四年
2011/05/30(月) 12:23:55.94ID:ijGoTgYk0427人間七七四年
2011/05/30(月) 20:57:00.09ID:7hJyY6vR0428人間七七四年
2011/05/30(月) 21:15:19.13ID:wrjG+g3k> 285 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/22(日) 20:58:54.70 ID:laKpGgoA
> 葉隠物語読んでるんだが、直茂って依怙贔屓ばっかしてんのな
>
> 成富兵庫が加藤清正から駆け落ちした姫を奪還した話は痺れたわ
> 286 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/22(日) 22:31:58.55 ID:2sD0nmYg
> >>285
> 面白そうな話なので
> もう少し詳しくお願いします
> 287 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/05/24(火) 18:58:58.98 ID:Ac7hpaHl
> >>286
> 鍋島茂治の娘が夜中に若侍と駆け落ち
> その数年後、加藤家の家老の側室になっていることが判明
> 茂治の家来が連れ戻しに行ったが、本人も加藤家も拒否する
>
> で、成富兵庫の出番となる
> 大勢の共を連れて熊本入りした兵庫だが清正は仮病を使って会わない
> 兵庫は慌てず、そのまま居座り物見遊山よろしくあちこちを見て回る
> その内、噂が広まり仮病で会わないのは卑怯だという世論に負けた清正は兵庫に会う
> そこでも女の引き渡しを渋る清正だが兵庫が朝鮮での借りを持ち出すと一も二もなく陥落
> かくして姫は佐賀へ連れ戻されたとさ
> そいでばっきゃあ
龍造寺氏と、たまには鍋島氏を語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1271704721/
0429人間七七四年
2011/05/30(月) 21:26:43.33ID:Vb5Y2uzl嫁いだ頃よりの母付きの侍女が国元にあった政宗に挨拶に来て
「御曹司におかれては相も変らずご健勝で何より」と述べた
今や幕府にも一目置かれる大藩の藩主であり子や孫も大勢いる政宗も
かつてを知る老女にとっては未だにおぼっちゃん扱いである
そこで昔を懐かしんでつい気が緩んだのか
「いやあ、俺は父ちゃんには良い思い出ばかりだが
母ちゃんのことはぶっちゃけ恨んでるんだよね」などとついこぼしてしまった
政宗に関する逸話や書簡は数多く残されているが、こんな些細な愚痴まで
後世に残ってしまっているちょっとバツの悪い話
0431人間七七四年
2011/05/30(月) 22:08:44.79ID:WCnIekCmでも
政宗:陸奥のマザコン大名。ママンあての手紙が多数残る。
ツンデレのため「母上には恨みがあるからね!」と記録に残すが、
その実大量のママンへのレターやお土産記録がある。ママンの位牌はお手製。
(中略)
・母子再会の歌。
政宗:年月久しう へたたりける母にあいて
あいあいて 心のほとや たらちねの ゆくすゑひさし 千とせふるとも
保春院:母ノ返し
二はより うへしこまつの 木たかくも えたをかさねて いく千世のやと
・政宗が母の死を悼んだ和歌。
鳴く虫の 声をあらそふ 悲しみも 涙の露ぞ 袖にひまなき
七周忌に詠んだ歌。
七夕の 逢瀬(おうせ)ながらも 暁の 別れはいかに 初秋の空
毒殺未遂はアヤシイにしても、愛憎半ばというかなんというか
0433人間七七四年
2011/05/30(月) 22:21:04.75ID:DnMhRMXVこの話は続きがひどい。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3175.html
0435人間七七四年
2011/05/30(月) 22:54:28.53ID:EQZ6c5QC葉隠物語は依怙贔屓ばっかり→それに引き替え成富△はいいんだけど、
葉隠のどこがどう依怙贔屓なのか触れてないから比較されても・・・って感じ
0436人間七七四年
2011/05/30(月) 23:04:53.51ID:lFPDkSZ2こんなにママンが大好きなオレをおいて、実家に戻るなんてひどいよー!
ってことかもしれんなw
無断出奔だったそうだし、そのせいで政宗がプレゼントした小袖が届かなかったらしいしw
0437人間七七四年
2011/05/31(火) 01:08:52.81ID:Axa6xMSk怨み…ヤらせてくれなかった
的なキモい想像
0438人間七七四年
2011/05/31(火) 01:39:21.67ID:6ou96sCR天正6年(1578)黒田官兵衛が摂津有岡城にて荒木村重に捕らえられ幽閉される。
さて、この事が姫路の黒田家に伝わると、黒田家の家臣たちは皆すぐにこう思った。
「これは御着にある主君、小寺政職が荒木に頼んでそうさせたのだ!」と。
織田に付くか毛利に付くかで官兵衛と対立していた小寺政職は、黒田家の者からは
そのくらいのことはする、と確信されていた程、関係が悪化していたのである。
黒田家の重臣たちは官兵衛幽閉の一報を聞くやいなや官兵衛の父宗円のもとに集まり、
「官兵衛様の今回の事、最初からこうなるのではと予想はしておりました。
なので差し出たことを申すようですが、今更驚くことはありません。
そしてこの上は弔い合戦として、今回のことを主導したに違いない小寺の殿のある御着へ攻め寄せ、
彼を討ち果たすことがかなわねば討ち死にする、我らはそう決めました!」
と、口々にこう申し上げた。これを聞いた黒田宗円
「皆の者達がこのように忠義の心を持ってくれているのは、今に始まったことではないが
実に感じ入っている。だが、聞いてほしい
官兵衛が腹を切らされるか、あるいは牢の中で病死するような事態になれば、私はそれを
許さない。その時はこの法師頭に兜を被り、主君である小寺の殿に対し弔い合戦を仕掛け
そこで討死をし、本望を遂げる覚悟である。
その時は勿論、お主達にも協力を頼むつもりだ。
しかし官兵衛のことだが、小寺の殿が荒木に頼んでこれを生け捕りにしたこと、それは間違い
無いだろう。
だが荒木が少しでも弓箭の道を知っているなら、拙速にこれを殺すような真似はするまい。
分別があるのならむしろ、良き弓箭の種を求めたと喜び、身体に危害を加えること無く
丁重に礼遇して置くであろう。そんな所に、お前たちが言うように合戦をしたらどうなるか?
御着の城を取るのは簡単な事だ。だがそれをすれば、荒木は残念だと思いながらも、官兵衛を
殺すだろう。これを良く考え、とにかく冷静になるのだ。その時が来れば、私が指図をする。
見よ、先日まで能をさせていた能舞台も、この上はいらぬ物であり、舞台も桟敷も打ち壊した。
この城は今や、戦備を整えることだけに集中している。
もともと1年2年籠城しても、兵量・弾薬・その他の武具であって事欠かないこと、皆知っている
通りだ。御着にも常々我等と心通じている者たちがある。御着からここに参りたいという者たちは
皆連れて来るといい。どれほど入城させても兵量は豊富に備蓄してある。
これから御着より使いが来るだろう。それまでは一切表立った行動をしてはならない。
使いが帰れば、御着の官兵衛の屋敷に火をかけ、留守居の者たちを急ぎ引き取らせよ。
こんなこともあるだろうと思って、官兵衛の妻はあらかじめこちらに越させておいた。
気遣いすることは何も無いぞ!
御着の官兵衛屋敷を自焼させ、留守居の者たちを引き取れば、御着と姫路との境を封鎖し
通行する者たちは切り捨てよ。
…さてこれからは、若者共が面白がる展開になるぞ。」
そう、法師頭を打ち振りながらそれらの方策を指示したという
(故郷物語)
0439人間七七四年
2011/05/31(火) 01:55:19.91ID:6ou96sCR0440人間七七四年
2011/05/31(火) 16:28:27.40ID:hpBciY+L0441人間七七四年
2011/05/31(火) 19:03:19.29ID:TL2rjv/D0442人間七七四年
2011/06/01(水) 10:33:05.80ID:nQ8YvOqN0443人間七七四年
2011/06/01(水) 10:37:50.31ID:0i9s4Xag0444人間七七四年
2011/06/01(水) 20:00:18.40ID:8r1ZGZju0445人間七七四年
2011/06/01(水) 20:41:47.33ID:lIUgISRI0447人間七七四年
2011/06/01(水) 21:50:55.94ID:qB9+a0r10448人間七七四年
2011/06/01(水) 22:18:28.69ID:BGXzuNAQこれを知った備中高松城攻め最中の羽柴秀吉はこの情報を秘し、急遽毛利との和睦を図る。
毛利家を預かる毛利両川こと吉川元春、小早川隆景からは、長門・周防・安芸・出雲・石見・伯耆・備後・備中半国、
この八カ国を安堵の条件ならば和議に応じる、との見解を、安国寺恵瓊を通して秀吉方に伝えた。
これを聞いた秀吉は
「その坊主、ここに連れてこい」
と安国寺を御前に呼ぶ。安国寺は秀吉にお目見えし、両川の所存を朗々と説明する。
安国寺はその語りも上手く頭の回転も非常に早いため、秀吉を始めその場に居た者たち、すっかり聞き入る
風情であったという。
説明を聞き終わると秀吉は
「ここは『信長公』のご好意もあり、いかにも両川の望みのようにいたそう。」
と、毛利側の条件を飲むと表明した。すると安国寺
「これはこれは、時の面目も保ち、国家の安泰も図れます。満足この上ない思いです。
…ですが、このありがたき上意の趣きを伝えるのに愚僧の口上だけでは、両川も心許なく思うことでしょう。
願わくば先の国々安堵の『信長公』のお墨付きを、頂戴いたしたいのですが…。」
秀吉苦笑いしながら
「坊主!お前は残る所も無い曲者だ!さりとて能き使いである。
さて、わしも今ここで墨付を遣わしたいとは思うが、お前も分別してみよ、この和睦条件は未だ仮初のものであり、
わしの方としても所領の事だけを取り上げて証文を出すわけにはいかない。
その方は一旦帰り、我々の申す所を両川に申し聞かせ、その上で重ねてここに来い。
それでもこの和平への考えが変わらないのなら、墨付などは、その上のことである。」
安国寺、これを心得たという表情で
「上意の旨、畏まりました。
されば両川が筑前守(秀吉)様の仰せの趣きをお請けした場合、その事を誓紙にして『信長公』に
差し上げるべきでしょうか?」
秀吉は『この坊主、わしの心を見定めようとする質問を、ズバズバとしてくる奴だ』と思ったが
「いやいや、誓紙など無用である!和睦の後にさらに保証を求めるなら、それは心次第である。
誓紙は、両川がその時心に懸けられること。今は無用である!」
この言葉に安国寺も納得した風情で、御前を下がろうとし立ち上がったがたがその時、こんな『独り言』を漏らした
「私の質問に心広く答えるようなことをせず、石に手を詰めたるように(動きがとれないように)されてしまっては、
もうどうにも出来ませんな。
さても良き『天下取り』の御下地かな。」
「坊主待て!」
秀吉は咄嗟にそう声をかけ、安国寺に大金を与える。さらに「坊主は良き武士の下地である」と
馬、具足、腰の物などを揃えて与え
「又来るときはその長衣ではなく、武士の格好をして来い!それが似合っていればこれからいよいよお前の事を
目を懸けることにするぞ。」
と、いかにも親しみを込めて語り聞かせる。
安国寺が毛利陣へと帰ると、秀吉は疲れはてたような表情で言った
「古狸の寄り合いは、恐ろしき事なり。」
秀吉と毛利の和睦交渉における逸話である。(古郷物語)
0449人間七七四年
2011/06/02(木) 01:45:25.92ID:G3FheDs9安国寺は狸といっても批評家みたいなもんなんだろうな
まあ社会に出ると、実戦力にならない批評家ってのが一番厄介者なんだがw
0450人間七七四年
2011/06/02(木) 06:23:58.59ID:sTsCY0xj0451人間七七四年
2011/06/02(木) 10:16:41.58ID:dzhM6Unw0452人間七七四年
2011/06/02(木) 17:48:53.57ID:6qiRdeTBもういない信長との約定なら好きな時機に破棄できるから、それを狙ってるように読めるが。
0453人間七七四年
2011/06/02(木) 17:57:16.61ID:fpbrc/am肥後熊本では加藤清正の家臣たちが踊り興行を催し、清正のお目にかけようと言うことになり、
それぞれの組に分かれて異類異形の事を巧み、美々しい踊りを企画した。
と、ここに児小姓組の者たち、こんな事を考えた。
まず狩人に扮装した者が出てきて狸を狩ろうとする。すると狸に扮した者狩人に手を合わせ、
『私には子孫が多くあります。ここで私が殺されてしまえば、子や孫たちも大変不憫な目に合うでしょう。
どうかご慈悲を持って私を助けていただければ、子や孫ともども、あなたを有難く存ずるでしょう。」
狩人も木石ならぬ人なれば『誠に畜類も我が子を思うことは、人間に変わりなきと見えたり。
我も子供持ちたることなれば、一命を助けるなり』とこれを狩ることを諦めた。
そのうえで
『しからばここにこや孫たちを残らず呼び出し、ここで腹鼓を打ってほしい。』
と頼む。これに狸『さてさて有難いお情けです。一体どんなお礼をすればいいかと考えていた折、
子供たちの腹鼓で良いとは何より安きこと。』
と、ここで予め作っておいた山の張りぼての中から、狸の扮装をした30人ほどが出てきて
歌を謡い拍子を踏み、鼓太鼓三味線に乗せて腹鼓を打つ、
そんなショーの内容であった。
さてさて7月10日、その踊り興行の当日がやって来た。
児小姓組の者たちは卯の刻(午前5時)から準備をし、狸の扮装をした者たちを
早々に山の張りぼての中に入れ、これを城の追手の門際に置いて、先の組の者たちの歌が
終わるのを待った。
だがしかし、先の組の踊りも中々終わらない。一番組、二番、三番、大小姓組の踊りが終わり、
児小姓組の順番が回ってきたのは、なんと未の刻(午後1時)であった。
ここで先の山のハリボテを広間の庭に木遣りのようにして引き入れ、清正の御前で早速、
先の狩人と親狸の茶番を始める。そしていよいよ仔狸を呼び出した、この時である!
仔狸の扮装をした者たちは、変にリアル感を出そうとしたのであろう、タヌキやウサギなどの毛皮で
身を包みそこに狸の面をかぶっていた、そう、着ぐるみのようなものである。
この姿で早朝から午後1時まで、狭く密封された山の張りぼての中に、30人もギュウギュウ詰めに
されていた。しかも時期はまさに夏!炎天の日に照らされ続けていた!するとどうなるか?
山がひらくと、異様な熱気と共にタヌキの扮装をした半死半生の者共、這いずるように外に出てくる。
腹鼓を打つなど勿論思いもよらず、それどころかそこら辺中で気分を悪くしてゲーゲー吐瀉を
するなど大変な状況。
これを見た見物の老若、「児小姓組の踊りは他とは違い、上品で風流な事をやって諸人の
耳目を驚かせる見世物をすると思っていたのに!これwwwはwwwwwひどいwwwwwwwwwww」
と大爆笑。さすがの清正すら
「踊り子たちは腹鼓を打たないのに、見物人が腹を抱えてるwwwwwwwwwww」
と、変なところがツボに入ったらしく笑い転げる。ここでお側に居た御伽衆の一人が一句
『腹鼓 うたん狸はさもなくて 見る人いたき腹の皮かな』
と狂歌を詠む。これにも清正「ちょwwwwwおまwwwwww当意即妙wwwwwwww」
と、ますます爆笑したとのことである。
(續撰清正記)
0454人間七七四年
2011/06/02(木) 18:10:18.08ID:1buKfsAh0455人間七七四年
2011/06/02(木) 18:17:53.89ID:Ykl0gVN5なんか自称御意見番が増えたな。
0456人間七七四年
2011/06/02(木) 19:39:15.81ID:GhLQixHB0457人間七七四年
2011/06/02(木) 19:44:56.40ID:hNNm9r2j0458人間七七四年
2011/06/02(木) 23:05:22.26ID:cDb8lqUO0459人間七七四年
2011/06/02(木) 23:09:27.65ID:H3WXngpv0460人間七七四年
2011/06/02(木) 23:26:10.73ID:XN6HTCTX0461人間七七四年
2011/06/03(金) 01:06:25.74ID:JpLH1vmD04621/2
2011/06/03(金) 10:36:39.13ID:LpO8x5Odところが豊臣秀吉はそれにもかかわらず如水を側近くで召し使い続ける。如水はそれが
本当に嫌であった。しかも秀吉に召し使われる様子を見て、諸人からのもてなしはひっきりなし
である。これでは隠居したかいもない。
そして考えるほど恐ろしいのは、如水隠居の原因となった、秀吉の「官兵衛ならわしが生きている間でも
天下を取るよ」との発言である。『狡兎死して走狗煮らる』の言葉もある。
このままでは甲斐守(長政)のためにもよくない。
如水、決意する
「何としても御前を仕損じ、逼塞させられなければならない!」
そこで目をつけたのは、石田治部少輔三成である。
如水は三成が側小姓として利発で、秀吉の上意にもかなっているのを見立てて、
種種様々に心を付け引き回し、彼が秀吉側近として出頭するように仕掛けたのだ!
三成はこれを大いに喜び、如水を親のように丁重に扱った。
秀吉も三成を重用するようになり、三成はどんどんその立場を強くしていく。
そして元々石田三成という人は大変謙虚な人だったのだが、このように出世すると、
これも世俗の習いというものであろう、日増しに驕慢の心が強くなる。
「良き時分なり」
如水は次の行動を起こす。
04632/2
2011/06/03(金) 10:37:27.78ID:LpO8x5Odと、三成を派遣した。三成が如水の館を訪れると、「お待ち候え、行水の最中です」と伝え
退屈するほど待たせ、そうなってから漸く湯殿に入って行水し、上に着物をつけながら
帯も締めずに三成の前に現れ、立ちながら尻を拭き拭き「なんと、御使であるとか。
どう言った御用であるか?」と、いかにも怠慢な体で問う。
三成は『これはとんでもないことだ』と思いながらも上意の趣きを伝えると、如水は両足を投げ出して
座り、下人に物を申し付けるかのように、三成に返答を伝えた。
又ある時は如水が碁を打っているところに、三成が上使としてしてやってくる。
如水はその場に呼び入れ、、碁を止めることもなく「御使は何の御用か?」と尋ねれば
「隠密に是々の事を内談するように、と申し付けられています。如何仕りましょうか?」
これに如水
「何だ、そんな事か。それならこの碁は今相手の首を刎ねかけている(勝負がつきかけている)
ところなので、こちらを続けよう。なあに、直ぐに終わるさ。」
と、碁ばかりやって、終に御用のことにはまるで構わない。このような事が何度もあったので
三成もとうとう腹を立て、秀吉に「如水は殊の外奢っております!彼は上様のことを何とも
思っていないようであります!この時にはこのような、あの時にはこんな無礼な態度でありました!」
と言上つかまつった。その上念のいったことに如水は、三成以外の近習衆にも同じ態度を
とっていたので、皆三成の発言を裏付けし、さすがに秀吉も「そんな事は穿鑿するな」と言うわけにも
いかず、終に如水に罰を与え、当面御前にまかり出ることを禁止した。
如水は表面上、非常に驚き迷惑なる体であったが、内心
『計画通り』
と大いに喜び、その後も「唐瘡頭が痛む、跛臑が疼く」などと言って、終に秀吉の御前に出ることは
なかったそうである。
(古郷物語)
0464人間七七四年
2011/06/03(金) 14:47:21.59ID:AcHOWPT60465人間七七四年
2011/06/03(金) 15:00:56.49ID:elEhUxqq0466人間七七四年
2011/06/03(金) 16:56:12.85ID:ewD6at410467人間七七四年
2011/06/03(金) 17:20:12.26ID:C7/k+SVr0468人間七七四年
2011/06/03(金) 17:25:34.22ID:NccIhjcK0469人間七七四年
2011/06/03(金) 18:51:43.65ID:D/rfI6Tq0470人間七七四年
2011/06/03(金) 20:24:45.61ID:ZiwAnPEO下手したら頸が飛ぶ
0471人間七七四年
2011/06/03(金) 20:37:06.21ID:6FbDZvjt献身的に差さえもしようが、所詮一代限りの縁だからねぇ。
秀吉の家柄が家柄だから仕方ないけど。
0472人間七七四年
2011/06/03(金) 20:41:26.75ID:WSUYH85pなかったんだろうけどね。
ヶヶ中さんの子供も親父さんの功績の割りにむくわれていない気がするけど
0473人間七七四年
2011/06/03(金) 21:23:43.20ID:ocHXKSgXそもそも秀吉のほうから若い頃からの家来を追放してる気がするが
まあ如水に関してはキャラなんだろうな、秀吉って三成とか秀家とか直情系のほうが好きそうだし
0474人間七七四年
2011/06/03(金) 21:39:55.80ID:A7UyG5Ox追放だけじゃ済まずに切腹されられたりもするしなぁ。
そう考えると、仙石はあんだけ大失敗を、しかも2回もしておきながら、
本当に上手いことやった。
0475人間七七四年
2011/06/04(土) 01:28:10.57ID:HIo0/7VE親父さんの功績っていうのも怪しいみたいじゃん
他の没落や処断されている人の功績が竹中さんに加味されている形跡もあるとかないとかで
0476人間七七四年
2011/06/04(土) 09:53:22.19ID:DPVS9A7s上方における石田三成の反乱が、黒田如水のある豊前中津に聞こえたのは、慶長5年(1600)
7月初めのことだったという。
如水はこれを聞くと重臣たちを集め、緊急に兵を募集し、城の破損箇所の修理などの戦争の準備を
申し付けた。
と、そんな事をしている最中に、石田三成から如水の元に密かに使者が訪れた。
使者が如水に伝えるに
『徳川家康は何事も我意に任せ、秀頼様を蔑ろにされ、万事太閤様の御遺言に背きました。
そのため家康に腹を斬らせ秀頼様を取り立て申し上げようと、太閤様お取立て御重恩の者共の間で
意見の一致を見ました。
如水殿のこと、もとより太閤様からの御恩の厚さは世に隠れない事ですので、まさか我らの行為を
悪く思われる事はないでしょう。ですので是非、我々と一味同心していただきたいのです。
ご同心いただけるなら急ぎ上洛してください。あなたは古くからの武功の士なので、今後の方針など、
諸事あなたのご指図次第にしたいと考えています。
秀頼様の天下となれば、所領としてどこの国を欲されてもお望み次第です。
甲州殿(長政)は家康に付いて関東へ下られましたが、彼も急ぎ呼び戻されるべきでしょう。』
如水、これを聞いて使者に
「治部殿(三成)の今回の企ては尤もな事だと考えている。
この愚老、太閤様より受けた重恩は他人を超えた、古今稀なるものであること、治部殿も既に
ご存知のことであれば申すまでもあるまい。
秀頼様の御為とあらば、何事においても粗略にはいたぬ。
…ところで、先に国は望み次第と言われたが、こう言う事は今のうちに話を決めておかないと、
後で違却だの何だのと問題になってしまうものだ。そこで、我々としては九州のうち7ヶ国を
給わることが出来るのなら、そちらにお味方仕り、家康退治のご計略に粉骨いたそう。
であれば、これを確実とするため誓紙を頂きたい。
その誓紙が治部殿直筆であることを確認させるため、その方に我が方からの使者を添えて
上方に送る。そこで治部殿の内意を直接、我が使者に申し聞かせていただきたい。」
と、宇治勘七というものを上方に派遣させた。
これを聞いて困惑したのは、黒田家の重臣たちである
「治部少輔に内通するなどすべきではありません!既に甲州様は家康公にご同心して、関東に
お下りになっているのです!そこで大殿が治部少輔一味となれば、甲州様のご身体、一大事と
なることでしょう!」
彼らはそろって如水に諫言する。が、如水いかにも意外そうな顔をして
「お前たちも不合点な事を言うものだな。周りの状況をよく見てみろ、隣国は皆敵(西軍方)と
なっておる。ここで三成の言葉に従っておく姿勢を見せないと、すぐに周りから攻められるぞ?
こっちは未だ戦備が整っていないのだ。
向こうも、わしを騙しに来たのだ。ならばわしも向こうを騙し、せいぜい戦備のための時間稼ぎを
させてもらうのさ。わしとて未だ、耄碌はしておらんぞ?」
と、笑ったという。(古郷物語)
0477人間七七四年
2011/06/04(土) 10:28:50.30ID:XAxAqlhX0478人間七七四年
2011/06/04(土) 10:52:06.80ID:uzERrkUZこの二人らしいっていえば二人らしいやりとりだ
でも如水って黒田家の書物でもこういう食えない男なんだなw
0479人間七七四年
2011/06/04(土) 12:18:38.58ID:AKaLFed7如水、直家、元就
部下になるなら直家さんがいいな
0480人間七七四年
2011/06/04(土) 13:18:40.84ID:BM1ZDDrD古郷物語は黒田家の元家臣の視点から見た本だが
堂々と「如水は変人で、わけのわからないことを言うことが多かったけどいい人だった」
とか書いてある
0481人間七七四年
2011/06/04(土) 14:04:14.55ID:nc/m17dV0482人間七七四年
2011/06/04(土) 17:15:12.49ID:ixNkp9Qr如水の場合、敵も味方も欺きすぎて何が本当の目的だったのか分かりづらくなってるのがアレ
0483人間七七四年
2011/06/04(土) 17:31:31.62ID:lA1RO6UX安部龍太郎の「風の如く 水の如く」がそんな小説だったなあ。
関ヶ原で如水が例によって東軍西軍双方に複雑怪奇な謀略を仕掛けて、三成はそれで
訳が分からなくなって茫然自失のまま敗亡するんだけど、
家康の方は直感で「ピコーン!なんだかよく解らないけどこれは黒田如水の謀略!」って悟って、
それで如水の天下取りの野望は潰えましたとさ、って内容w
0484人間七七四年
2011/06/04(土) 17:54:31.81ID:R2y5KoFG0485人間七七四年
2011/06/04(土) 17:58:46.24ID:AKaLFed70487人間七七四年
2011/06/04(土) 21:43:21.96ID:ZnGfWuE5■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています