戦国ちょっと悪い話26
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0001人間七七四年
2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
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逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
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0951人間七七四年
2011/07/10(日) 08:39:09.96ID:C5saOIz60952人間七七四年
2011/07/10(日) 20:00:28.55ID:8EqmhZ81「私が死んだ後この黒田家は、負けるはずのない戦に負け、今までの家の名誉を失う事になるのは
必定である!その理由は、殿(黒田長政)だ!
殿の戦でのお振る舞いはあまりにも軽々しい。最前線の先手や鉄砲隊の備に打ち交わり、
まるで物頭のように駆けまわり、いざ開戦となれば一番に駆け入ろうとされる。
皆が知っているように、この戦でもあの戦でも、私はそんな殿を以ての外に叱り飛ばし
奥の本陣の方に追い返したこと、数えきれないほどやってきたものだ。
私が死んだ後には、あのいきり立つ人を叱る人間はいなくなる。
そうなったら殿は思ったとおりに戦働きをしようとするだろう。
そして一番に駆けこみ討ち死にするか、打ち込まれた鉄砲の弾に当たり犬死をされるだろう。
その事を思うと、なにより悲しくてしょうが無いのだ。」
栗山利安、晩年の後悔、というお話。
しかし長政、ここまで信用ないというのは、よほど栗山さんに手を焼かせたのでしょうなw
(古郷物語)
0953人間七七四年
2011/07/10(日) 21:09:44.16ID:0TTBYdH+0954人間七七四年
2011/07/10(日) 21:15:38.64ID:acKouoSN0955人間七七四年
2011/07/10(日) 22:23:54.15ID:Sh0/Fgtg特に黒田家は跡継ぎがアレだし。
0956人間七七四年
2011/07/11(月) 00:29:41.64ID:exXdob9v寛永十四年、大坂の陣から二十二年の後に起こったおそらく最後の戦が島原の乱である。
この大規模な一揆を鎮めるために九州の諸侯に出陣命令が出ました。
もちろん黒田一門も参加することとなりましたが、知っての通り件の突撃大名はすでに故人。
黒田長政には正室との間に三人の息子がいましたが(もう一人側室腹がいますが既に他界)、
長男忠之に本藩を継がせ、三男長興に5万石、四男高政に4万石を継がせていました。
彼らは皆関ヶ原の後に生まれた子であり、もちろん父の戦場での猪ぶりなど知る由もありません。
さて、長男にして本藩を継いだ黒田忠之36歳。
彼は一応大坂の陣に出陣しておりますが、病身のため特に戦功もなく、これが初陣のようなものです。
寛永十五年二月二十一日、黒田・鍋島・有馬などの陣営に一揆軍による夜襲がありました。
忠之のいた本陣は現場からは離れていましたが、彼は陣営を率いて一揆軍を追撃。
しかし、一揆軍は城際まで城内に引き上げるところでした。
忠之は城内に突撃する気満々で重臣郡正大夫に意見を仰ぎます。すると、正大夫
「それもよろしいかもしれませんが、せっかくなので戦歴豊富な黒田美作に相談するのがよろしいかと」
と提案します。さっそく忠之は美作に意見を求めたところ、
「城内にはどんな罠がしかけてあるのかわかりません。
それに、まだ夜も空けそうになくとても危険だと思われます。
城内まで追撃するのはおやめください。」
しかし、追撃する気満々の忠之である。
美作正大夫の二人が止めるのも聞かず馬に鞭を叩きます。
この時、高尾彌五左衛門という男が忠之の馬の口にすがりつきました。
「ええい!離せ離せ!」
いきり立つ忠之は彌五左衛門を怒鳴りつけながら鞭で叩きます。
「絶対に離すでないぞ!」
美作に強く言われた彌五左衛門は必死に馬を抑えつけ、忠之の突撃を阻止したのでした。
後日、冷静になった忠之からとても感謝されたそうです。
0957人間七七四年
2011/07/11(月) 00:57:10.05ID:exXdob9v実は父親そっくりの猪武者ぶりを発揮したのが末息子の黒田高政27歳。
彼は父の形見としてあの一ノ谷兜を貰いうけていました。
件の夜襲の時、高政の陣所も少し現場から離れていましたが、彼が駆け付けた時はまだ退却し始めたところで、
小川のほとりから駆け付けた高政隊に向かって鉄砲を放ちました。
これに高政、体に流れる黒田の血が目覚めたのか、士卒に先立って突撃。
自ら檄を飛ばして一揆衆と戦います。
すると、一揆衆が鍋島隊の攻め口に火をかけ、あたりは一気に明るくなります。
"市正(高政)着られたる一谷の冑かゝやきわたつて見えける間"、
その一ノ谷兜をめがけて一揆衆は鉄砲を放ちます。このため高政の兜には銃痕が三つあったそうです。
周りの家臣たちは高政を守ろらねばと彼の前に立って一揆衆を攻撃、
これには一揆衆も退却を余儀なくされます。
しかし、いったん火のついた黒田の血は止められるはずもなく、高政は川を渡って追撃しようとします。
さすがにこれはまずいと思った吉田右馬大夫は高政を強くいさめます。
しかし、すっかり興奮した高政はそれくらいでは止まらず、右馬大夫は高政にすがりつきます。
右馬大夫、先ほど一揆衆に石を投げつけられて歯を折られ大流血中。
"此時口より流るゝ血、市正着られたる白羅紗の羽織に染て紅になりけれは、殊にはなやかにみえたまふ。"
そういうこともあって右馬大夫はなんとか高政を止める事が出来ました。
夜が明けて、この様子を見ていた幕府の上使は高政の勇戦を褒め称えたそうな。
0958人間七七四年
2011/07/11(月) 09:52:06.74ID:7TC8RFJG0959人間七七四年
2011/07/11(月) 10:50:50.98ID:jCIikCdH0960人間七七四年
2011/07/11(月) 12:36:25.40ID:6OrlSrdq0961人間七七四年
2011/07/11(月) 12:45:04.60ID:fx6EecAZ0962人間七七四年
2011/07/11(月) 21:05:18.20ID:Wasc1/SF0963人間七七四年
2011/07/11(月) 21:10:50.50ID:nF8/ePS9加藤清正、鍋島直茂など、そうそうたる武将が9万の兵で城を囲んだが、城兵の士気は高かった。
秀家「この城は昨年、一度攻略に失敗している。短期で落とさねば、太閤殿下のお叱りを受けよう。」
長政「うむ。見たところ、石垣が我が国のものよりモロい。土台を崩して城壁を壊し、侵入せん。」
直茂「だが、どうやって工兵を城壁まで近づける?」
清正「ふっふっふ、わしに良い考えがある。」
翌日、晋州城下に異様な物体が現れた。大きな亀の甲羅に車輪がついた物が、城に近づいているのだ。
清正「どうですかな?名付けて『亀甲車』!数人が中で押して進む仕組みで、中の者にはツルハシを
持たせてあり申す。これで矢弾を防ぎつつ石垣まで近づき、崩すことが出来ましょう。」
秀家「なるほど・・・!」
亀甲車は清正の言葉通り、矢弾を弾きつつ石垣に取り付いた。
と、ここで城壁から火のついた草束が振って来て、甲羅が一気に燃え上がった。「ぎゃあああああ!!」
秀家「・・・・・・」直茂「・・・・・・」
長政「主計ェ・・・」
清正「ま、まぁ失敗は改めればええんじゃ。」
そこで次は、牛皮を何十枚も甲羅に貼って包んだ。これが上手くいって、今度は焼束をもはね返して
進み、ついに亀甲車は石垣に取り付き、ツルハシを石に突き立てた。
ものの見事に石垣は崩れ、日本軍は崩れて出来た穴に殺到し、6月29日、晋州城攻略に成功した。
・・・のだが。
亀甲車の中の工兵隊は石垣が崩れた際、下敷きになり、一人が生還したそうな。(伊達日記より)
軍記物に時々登場して大戦果を上げるキワモノ、もとい奇想兵器ですが、現実は甘くないようで。
0964人間七七四年
2011/07/11(月) 21:58:09.63ID:MPcYaAv80965人間七七四年
2011/07/11(月) 22:48:18.25ID:DJZHAIl+徳川家康「よし!生き残ったお主は今日から亀甲車と名乗るが良い」
0966人間七七四年
2011/07/11(月) 22:49:13.32ID:aSrhGWKN0967人間七七四年
2011/07/11(月) 22:56:36.78ID:tlw+b3+w0968人間七七四年
2011/07/11(月) 22:58:25.60ID:DJZHAIl+0969人間七七四年
2011/07/11(月) 23:10:14.53ID:XksPpmjP日本には平地に城壁を巡らす習慣があまりなかったから出てこなかったけど。
0970人間七七四年
2011/07/11(月) 23:43:54.29ID:ifw8Ie8Xおいw
まあ実際にそんなセンスな気もするがw
0971人間七七四年
2011/07/12(火) 00:09:04.22ID:/Xp002RM0972人間七七四年
2011/07/12(火) 09:56:19.56ID:VPOPRtpE0973人間七七四年
2011/07/12(火) 10:05:39.39ID:k7I2AZsF0974人間七七四年
2011/07/12(火) 14:28:54.48ID:e1iPu4f50975名無しさん@12周年
2011/07/12(火) 14:44:16.79ID:EFQzswReこっちは車以上のとんでも兵器
0976人間七七四年
2011/07/12(火) 15:23:07.00ID:1pLOhzIs0977人間七七四年
2011/07/12(火) 16:21:43.44ID:IzfKyjSH0979人間七七四年
2011/07/12(火) 17:05:50.90ID:k7I2AZsF0981人間七七四年
2011/07/12(火) 18:26:21.37ID:VTV0byQ50982人間七七四年
2011/07/12(火) 19:49:01.70ID:sItfxXlq09831/2
2011/07/12(火) 20:12:27.13ID:QvufKzfG土浦城南ノ手を任されていた江戸崎監物の寝返りにより多くの兵が逃亡、さらに有力武将である海上主馬五郎武経が
討ち死にするなど、小田方は一気に劣勢となる。
2月27日、西ノ木戸を守る菅谷正光は、氏治の嫡男・彦太郎守治、そして沼尻又五郎とともにわずか200騎ほどで
佐竹勢1500の中に斬り込み大いに打ち崩したが、佐竹はこの頃まだ常総には広まっていなかった鉄砲で攻撃、
雨の降るように撃ち出し、小田軍の端武者の中には「これは人間のなす事では無い!天魔の仕業だ!」と驚き
逃げ落ちるものも多くあった。
帰城した菅谷正光、小田守治、沼尻又五郎は氏治の御前に出、こう申し上げた。
「今や味方の兵は多くが討ち死にし、あるいは負傷しました。もはやこの城を保つことは、大変困難です。
これは氏治様の運の尽きというものなのでしょう。その御名を辱めぬ為にも、ここで御自害あるべきです。」
と、ここに現れたのが、同じく敵を追い払い帰城した野中瀬鈍斉、沼尻播摩守である。
野中瀬は怒鳴る
「これは口惜しき次第である!小田殿がこんな所で、闇々と自害していいはずがない!
幸いにも私は氏治様と同年であり、佐竹勢に顔を知られていません。
ここは私が殿に入れ替わって自害し、敵を欺きましょう!」
沼尻播摩守はこれを聞いて感じ入り
「よくぞ申した野中瀬殿!それがしは御嫡男守治と名乗り討ち死にしましょう!さあ、殿と守治様は
早々にお逃げください!良将たる者は千騎が一騎となっても生き延びて、会稽の恥を雪ぐのを本意とするものです。
私には息子の又五郎がありますので、心やすく御先途を見届けることが出来ます!」
と、早くも守治の具足を脱がせようとし、また野中瀬も装束を氏治のものと取り替えようとした。
しかし小田親子は二人とも涙を流し
「お前たちの死なせてまで、自分の命が助かったところでどうするというのか!お前たちと死を共にする!」
そう言って承知しようとしない。これに野中瀬、沼尻は大いに腹を立て
「さても言い甲斐のない事でしょうか!我ら両人の忠死を意味のないことにする事こそ、恨みに思います!
我々の願いが叶わないのなら、我ら二人はここで刺し違えて死にましょう!
それを犬死とお考えに成るのなら、ここはどうか、聞き分けてください。
伝え聞くところによれば平知宗は対馬に落ちて平家の残党狩りの難を避け、源義経は奥州衣川の館において
自害したと見せかけ、蝦夷に退いたそうです。古今の名将にも例のあることで、決して恥ではありません!」
09842/2
2011/07/12(火) 20:12:51.28ID:QvufKzfGところが今度は、沼尻播摩守の嫡男、又五郎がこう抗議した
「私には父上の最期を見捨てることなど出来ません!共に討ち死にいたします!」
沼尻播摩守は目を怒らせて叱りつける
「ああ、お前は日本一の不覚者だ!死ぬのも忠なら脱出するのも忠義だ!
私が死ぬのはな、お前が世間に通用する男に成長したと見込んだためだ。
後の守りも安心出来る故に、ここで討ち死にし敵を欺くことが出来るのだ。
もし私の言葉に背くのなら、お前は永遠に勘当する!」
又五郎は地に伏せ、むせび泣きながら父に詫び、氏治親子を守りと共に城を落ちることを約束した。
枯れ草を集め城に火をかける。
そして氏治、守治はそれぞれに分かれて城より落ちる。
沼尻播摩守はそれを助けるため自分を守治と名乗り、菅谷左ヱ門尉正光らと共に城より討って出る。
野中瀬鈍斉は櫓より大音声で
「ここにあるは清和天皇十二代六条判官為義が三男新宮十郎蔵人行家の子息八田武者所右衛門尉朝家には
八十五代小田讃岐守氏治入道天庵である!
武運尽きて今自害いたす!人手に掛かり犬死して、後世人の嘲りを受けてはならない!
我が首をとって高名をいたせ!」
と火に包まれた城内で十文字に腹を斬って果てた。沼尻播摩守もまた、散々に暴れまわり佐竹勢の多くを倒し、
やがて猛火の中に入り自害した。
佐竹陣に切り込んだ菅谷左ヱ門尉正光、由良信濃守成繁、岡見中務少輔宗治、沼尻又五郎家忠、片岡、中野、中村、小野、小造、星宮、
雨宮、天野、吉原、木村、石堂等の十六騎は、その生死すら知れず、という。
首実検の際、双方共に姿年齢が近しく、また首も焼けていたため、佐竹はこれを氏治親子の首と信じた。
これにより氏治親子は無事、片岡治部左ヱ門の中館城に落ち行きた。
土浦落城についての逸話である。
0985人間七七四年
2011/07/12(火) 20:20:05.98ID:vG2Q8YKd0986人間七七四年
2011/07/12(火) 20:22:44.69ID:NgizOAj5>良将たる者は千騎が一騎となっても生き延びて、会稽の恥を雪ぐのを本意とするものです。
天庵様はまさに良将中の良将
0987人間七七四年
2011/07/12(火) 20:56:08.04ID:aJ0i/sNY0988人間七七四年
2011/07/12(火) 21:32:39.40ID:g3vN+9b/0989人間七七四年
2011/07/12(火) 21:46:14.75ID:80pQY3oH0990人間七七四年
2011/07/12(火) 22:17:42.50ID:tSU9HVMm0991人間七七四年
2011/07/12(火) 22:18:42.45ID:tSU9HVMm戦国ちょっと悪い話27
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1310476690/
0992人間七七四年
2011/07/12(火) 23:59:39.04ID:RBSalYw0これだけ地の利、人の和があって
天の時もそんなにないわけじゃないのに
負けを重ねた天庵様の才能が怖い
0993人間七七四年
2011/07/13(水) 00:21:33.67ID:wQxFR99D0994人間七七四年
2011/07/13(水) 02:23:12.49ID:LrlZpw0b0995人間七七四年
2011/07/13(水) 02:28:49.77ID:UmlrcuFz0996人間七七四年
2011/07/13(水) 09:05:15.87ID:YQAP3Kcg0997人間七七四年
2011/07/13(水) 12:30:17.68ID:E5dMtRSY0998人間七七四年
2011/07/13(水) 13:30:00.86ID:0UsNduM9あとは誰が代わりに死ぬかだけどw
0999人間七七四年
2011/07/13(水) 13:37:30.06ID:euMxNlHcなんで戦場ではひたすら匹夫の勇なんだ
1000人間七七四年
2011/07/13(水) 13:53:37.79ID:z5oCc4ed10011001
Over 1000Threadー┬――─‐ァ
/ ̄ ̄ ̄ ̄,l,
_/ ,、r'" _」
. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
/`'''''''''''''''''''" ヽ::::::::::ヽ
/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
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