【武田】2万5千で上洛【信玄】その48
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0001人間七七四年
2007/03/11(日) 14:58:15ID:jBb7ct+L【武田】2万5千で上洛【信玄】その47
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171873604/
ここでは「武田は上洛できたのか?」から始まって。現在では
「どうすれば武田は上洛できたのか」
「どうして武田は上洛できなかったのか」
など、武田と織田を中心にした戦国時代の話が扱われています。
ネタによっては場所は東北から九州まで、時間は室町から江戸まで
幅広くカバーしております。
テンプレ
>>2-30ぐらい?
0771人間七七四年
2007/03/25(日) 12:37:43ID:zwxhM9Tc包囲に何年もかけている。」
とはよく聞く反論ですが、逆に言うと、それ以外の例の提示を見たことがありません。
兵農分離神話はすでにほぼ否定されてはいますが、だからって織田と毛利が長期間の
動員ができたからって、即他の大名も出来る、通常の行動なんだとはならないと思い
ますが。特に毛利と違って、この場合の武田に求められるのは国境での対峙というの
ではなく、領国から離れた遠征ですからね。
0772人間七七四年
2007/03/25(日) 12:53:07ID:GJyGDxPM信玄・謙信は二次川中島の戦いのときに7ヶ月間対陣してにらみ合っていた。
加えてこの時信玄は木曽攻めの最中に謙信の侵攻を知り、そのまま川中島に移動、
上記の対陣を経て和睦後また木曽に戻って木曽氏を屈服させるという、
長期の連続した出陣を行っている。
謙信は小田原攻めのさい11ヶ月も関東に出陣している。
ちなみにこの関東攻めの1ヶ月前には越中に侵攻しているし、
4ヵ月後には第四次川中島の戦いを戦っている。
つまりこのくらいの長期の遠征は可能。
0773人間七七四年
2007/03/25(日) 13:01:47ID:nVPz6IXq>>竹中半兵衛は極めて少数で岐阜城をあっけなく落としている
これは内部に不満のある武将(重臣クラス)が居て、協力者が居たからこそ可能。
この時点で信用が全くないに等しい武田に尻尾を振るほどの時勢の見えない譜代の重臣は織田家には居ない。
信長は残虐だの恐怖政治だの思ってるかもしれないが、実際はそうではないので。
単に信賞必罰の統治体制が過剰に講談で出回ってしまっただけのこと。
>>朝倉が撤退したので詰問はしたが慌ててはいない〜
戦闘続けてるからって慌ててないとは限らんよ。とにかくここは主観入りまくりね。
他にも突っ込みたい所たくさんあるけどキリないし長文になり過ぎてウザくなりかねないんでこんな所でやめとく。
0774人間七七四年
2007/03/25(日) 14:00:49ID:OxZ/ct5nさらに信濃はほぼ安定化しており伊那地方は安定供給可能な兵站基地があり
その戦略拠点から隣接してる国への侵攻はそれほど強調するほどな大遠征ではない。
それどころか信濃国境沿いでの侵食である二俣城・野田城など後背地が武田領国なので
確実に侵食できると同時にまだまだ兵站線は伸びきるどころか全然余裕。
>>768
外交上ではどの大名もたびたび二枚舌でうまい事言ってる。そんなもんで他力本願とは言わないし
三河侵攻中の武田軍の行動を扼すことが現実としてできない織田軍は姉川などで助けてもらっておきながら家康任せの他力本願だろう。
>>773
参考までに史実かどうかはわからんが竹中半兵衛
あくまで参考までに語ってる事に噛み付いて論破してる気になってるなんて・・・
しかも慌ててれば軍事行動が制限されてくるし、普通は撤兵してる。武田軍には朝倉の行動の影響はまったく見えない。
畿内を放棄して信玄に兵を集中する方が各方面からの追撃・追い討ちをかけられ損耗し、
今までの兵数動員力は畿内からの収入に頼ってる部分もあり、収入が激減することは織田財政の破綻を意味する
戦争遂行にあたり、多方面作戦を行なうのはもっとも戦略上まずいこととしている。
武田軍は後方を固めての侵攻で兵術にも適っている。
岐阜城を拠点にして美濃を本国としてるがその美濃自体が東から岩村城を秋山隊に落とされ
郡上・飛騨も武田影響下で、本拠地自体が長躯奇襲される恐れがあり、岐阜城自体に多くの兵を割かねば
織田軍は安心して行動できない。一方の武田軍は信濃自体が天嶮の要害地であり山国での戦闘にも慣れている。
0775人間七七四年
2007/03/25(日) 14:15:46ID:LyxuJZwrまたは想像、妄想って云うんだよ。
わからないかな?
0776人間七七四年
2007/03/25(日) 14:20:32ID:OxZ/ct5nいまの可児市あたりの森氏あたりが動揺しまくり信玄得意の調略が始まります。
たしかに森氏の金山城の隣接地にあたる明智城も岩村城が落城した翌月には武田側の手に落ちているので
ひそかに間者を走らせての交渉事があってもおかしくない。 なにせ調略というのは信長を疑心暗鬼にさせれば家臣が
動揺するのだから森氏が裏切ることが目的ではない。
0777人間七七四年
2007/03/25(日) 14:38:22ID:yQDrfcrZ0778人間七七四年
2007/03/25(日) 14:47:51ID:6DjjKyLR水野氏は裏切るの? 裏切らないよねーwwwwww
0779人間七七四年
2007/03/25(日) 14:49:15ID:0aAb99i/尾張半国楽々占領とかこんな都合の良すぎる話に誰も納得するわけないだろ
0780人間七七四年
2007/03/25(日) 14:55:00ID:nVPz6IXq論破も何も、その例を挙げたからには信玄の戦術として岐阜城を内側から切り崩すって取ったんだが。
だから内側から切り崩すのは無理だと言ったんでその点についての詳細な作戦をどうするのかお願いしたいって意味で
竹中半兵衛の例を論破した。
ちなみに姉川に関しては色々と疑問が多いんで例として挙げるには不適切。(講談として徳川が過剰に装飾した可能性が高い。)
ちなみに兵站線伸ばすのは戦略的視点の欠ける非常識な人物がやること。
一度孫子読め。
孫子にどっぷり漬かってた信玄がそんな事するようには思えん。
0781人間七七四年
2007/03/25(日) 15:00:57ID:BApwTAp2一方の織田・徳川は版図が減少を続け、三方ガ原で大敗。さらには多方面に敵を抱えている。
ここで増加した収入地からの兵の動員と北条氏の関東統一支持を約束する代わりにさらなる援軍をもらい東美濃に投入すれば
可児市から岐阜市は指呼の距離なので郡上・飛騨・朝倉の援軍と共に一路、岐阜城を突く選択肢もあるわけだ。
その前に信玄の調略は始まり…美濃の国人の動揺は主人である美濃金山城主森長可の意志とは正反対ならどうなるのかな〜。
森氏は反対派に追放されるかもな。
森氏も国人の意志を汲み蘭丸らの織田派と武田派に別れた内紛になるかもな。
0782人間七七四年
2007/03/25(日) 15:06:38ID:BApwTAp2なんせ信玄は余裕で各地を蹂躙しながら小田原城にまで侵攻してるからね。
0783人間七七四年
2007/03/25(日) 15:18:48ID:nVPz6IXq0784人間七七四年
2007/03/25(日) 15:49:50ID:OxZ/ct5n水野信元って信玄死後の天正3年になってやっと信長が秋山の岩村城奪還の重い腰をあげた時に武田氏支援で殺されたよね。
岩村城包囲の際に水野領地から食料の援助をしたって事で佐久間信盛から信元が武田内通したと通報されて
信長に誅殺された人でしょ。この人の弟の忠重は本能寺の時に信忠と二条城にいたくせに討ち死にしないで脱出して秀吉に仕えてるよね。
この程度の人間なら戦況如何で調略して一族内紛させることくらい可能。
>>783
各城を攻撃してまわるも北条軍はビビッて城に篭城。
小田原城まで余裕で進撃。その間、滝山城や鉢形城
などを通過して敵地奥深く侵攻してるのに補給線を遮断される恐れすら
見せずに挑発行為を繰り返す。これで陽動作戦も終了したので帰ろうとしたところで三増峠の戦いで信玄圧勝。
その後、甲斐に帰ったフリをしていきなり電撃的な駿河侵攻で駿河制圧。
0785人間七七四年
2007/03/25(日) 16:01:03ID:nVPz6IXqいかなる場合でも有利な地形で戦うのは当たり前だろうが。
籠城=ビビってるって考えは明らかに間違い。
籠城は有利な地形の選択にすぎんよ。
三増峠の殿で将討たれた武田が圧勝?
馬鹿も休み休み言え。
0786人間七七四年
2007/03/25(日) 16:02:35ID:OxZ/ct5nこれが叩き台になって北条との和睦まで達成でき今回の上洛作戦が可能となっている。
>>779
残念ながら尾張は平野部で形成されてるので天然の要害が小牧山くらいしかない。
小牧長久手でも秀吉は小牧山を徳川軍より早く奪え!と命じているが家康に先に奪われている。
それに尾張侵攻時になると三河・遠江は武田領国化してることになるし、美濃は非常に不安定な織田根拠地と成り下がっている。
近江以西は混乱を極めている為に織田軍は戦力集中も、収入の徹底も難しい。
0787人間七七四年
2007/03/25(日) 16:08:06ID:OxZ/ct5n武田側視点から見れば臆病風に吹かれたということ。
氏政の北条本隊はあきらめて撤退してる。追撃し挟撃しようとする北条の意思をくじく
武田側の戦略目標は達成してる。
0790人間七七四年
2007/03/25(日) 16:33:19ID:GJyGDxPM畿内周辺の反織田勢力はそれぞれ信長以外の敵も抱えていて、
織田が主力を引き上げたからと言って即座に追撃なんて出来はしない。
そして、尾張・美濃の石高から算出される兵力だけでも、武田の西進軍を超える。
そういう状況で気楽に武田が勝つと言い切るようでは、妄想といわれても仕方が無い。
>>5-8を参照。
0791人間七七四年
2007/03/25(日) 16:52:48ID:Dr5tsNNx織田だって元亀年間はそれほど長期の出兵はしていない
70年にしても金ヶ崎後に一度岐阜に帰還し、姉川後にも岐阜に戻っている
まあ一部の将はずっと近江に在陣しているみたいではあるが
>>774
>信玄の場合はまだ金脈も尽きていないし
話し変わるけど勝頼の代で金脈尽きたって何がソースだろ?
穴山領の金山は尽きているようには思えないが
>確実に侵食できると同時にまだまだ兵站線は伸びきるどころか全然余裕。
思いっきり主観な気がする
>三河侵攻中の武田軍の行動を扼すことが現実としてできない
武田の行動は織田にすれば別に無理して扼すほどの脅威とは思えないが
>岐阜城を拠点にして美濃を本国としてるがその美濃自体が東から岩村城を秋山隊に落とされ
岩村とったぐらいじゃ別に・・・
>郡上・飛騨も武田影響下
その影響も微妙、実際には連絡を中継したぐらいで具体的な行動はしていない
>本拠地自体が長躯奇襲される恐れがあり
まず無理、途中にある城はどうするの?恵那も郡上も美濃の外れ、一度地図を見た方がいい
0792人間七七四年
2007/03/25(日) 16:58:16ID:Dr5tsNNx森が裏切るはちょっとありえないんじゃないか、森が裏切るぐらいならもっと先にいろんな奴が
裏切っているって
明智城の落城は俗説や講談の類で信憑性があまりない
軍鑑には一応記述があったと思うけど、でもね〜
>>781
可児までいければな
史実じゃ岩村までだが
0793人間七七四年
2007/03/25(日) 17:22:55ID:GBPlB1N2新しいとか古いとか、そういう観点にとらわれるということは、歴史を一種
の進歩史観で見ているということだ。筆者はこれまで「自我の成長」といった
表現を用いてきたが、それはそうした直線的な発想とは違った捉え方であると
思ってほしい。人は必ずしも成長し続けるわけではないし、成長が善であると
も限らないからだ。進歩史観にとらわれてきた人たちは、信長を革新的と見る
と同時に、江戸時代は一種の停滞期のようにとらえてきた。しかし、近年にな
って進歩が善とは限らないという意識が広がるにつれ、江戸時代も再評価され
はじめている。
革新的だからいい政治家、武将であるわけではなく、その革新性にしても、
時代の要請(人の意識)が背景にある。だから、歴史も人の意識の集合として
見たほうが、当然のことながら生の息づかいが感知できるようになる。変革さ
れることはいいことだ、停滞することは悪だといった前提をアタマのなかに持
ってしまうと、この息づかいが見失われる。人が社会を構成して、その社会が
歴史を作り出すという当たり前の基本がどこかに飛んでいってしまう。信玄も
生の人間として見た場合、巨人というにふさわしい側面を持っている。それは
信長も及ばない。家康はその巨大さを引き継ごうとした。そう捉えると彼の生
涯も見えやすくなる。
信玄のやってきたことは、今あるものの中から最高のものを作り出すという
ことだ。これができてしまえば、ことさら革新性は必要なくなる。政治用語で
いえば、保守本流ということ。これは、甲斐の守護大名という権威と地盤を持
っていた信玄だったからできたことだ。家康にも、三河という自分自身のか弱
い権威と地盤があった。これを使える組織のレベルに育てていくのにモデルと
なったのは、革新派の信長ではあるまい。家康は三方原の惨敗を経て、間接的
ながら信玄から保守本流の極意のようなものを学ぼうとしたのだと思う。
0794人間七七四年
2007/03/25(日) 17:34:57ID:xCSQ7feN遅れた国人連合体のボスだから過大負担を部下に求められないから、とかいろいろあるけど
実は信長の後詰を待っていたんじゃないの?
信玄は後世の印象とは違い、駿河攻めの際の今川と徳川に対するダブル盟約破りのように無茶なカケに望むことが生涯でしばしばあった
織田との国力・改革の差を積極的に認識していたら博打的一発勝負を狙っても不思議は無い
この場合、篭城する城やその内部の兵力が多いのは論外。後詰がこないかもしれないしいざ来た場合後詰を迎撃するどころか出撃してきた城内勢相手で手一杯になってしまう
だからちまちました小城だけは何ヶ月もかけて落としてたんだよ
しかし信長はこなかった。そして寿命だけが先に来た
年を越した後、刑部から野田までのろのろ4日間も時間かけてるのは猛その時点で体調がアレだったのか部下がいい加減戦意を失っていたのか……
0795人間七七四年
2007/03/25(日) 18:13:44ID:9KYNeGzA平野部が多いから不利って理屈はおかしい
どちらかというと武田のほうが侵略する側なので不利だし
迎撃する側だからといって必ずしも篭城する必要は無い
平野部なら平野部での戦い方ってのがあるだろう
逆に山岳という地形をうまく利用して勝利してきた武田が
その戦術を生かすことができず負ける可能性だってある
尾張侵攻以前に三河を領国化するほど
徳川がやばくなったらさすがに織田本隊が動くだろう
そのころには西側はほぼ鎮圧されてるだろうし
0796人間七七四年
2007/03/26(月) 00:16:01ID:VtWbaFKz武田が徳川織田から苦労して切り取った領土は農業に不向きな場所ばかりだからな
完全にコスト割れの戦力の逐次投入と言う愚かな戦略を採っているのはダメだよな
0797人間七七四年
2007/03/26(月) 01:58:15ID:iEwENo5V0798人間七七四年
2007/03/26(月) 02:13:27ID:anWz9idr信長が(一時的な和睦はともかく)許すかは別にして。
0799人間七七四年
2007/03/26(月) 07:51:12ID:1vgy91cZ根回し不足はともかく、駿河制圧もしないうちに徳川に卑劣な裏切りかまして滅亡しかけたのを信長に泣きついて救ってもらった
そのくせいざとなるとその信長をあっさり裏切り御家滅亡
皮肉にも「信長を粗略にしたら私は滅亡です」という仲介お礼時の文言は皮肉な形で的中
負債の跳ね返りが息子の代だったお陰で江戸期の政治的事情もあり虚名だけは輝くことに
どうみても信長がいないと信玄はダメです、ありがとうございました
0800人間七七四年
2007/03/26(月) 08:30:24ID:i36kPWNA桶狭間の他になんかした?
今川は信玄侵攻の時も2万の兵力を動員できたんだが。
(結局信玄の内応策で崩壊したが。)
信玄包囲網を封じ込めたのは甲越和与だけじゃないってのに。
他の反上杉、反北条勢力をうまく使ってその動きを封じたのは無視か?
家康って信玄包囲網の時になんかしたっけ?
信長だって東美濃で信玄と衝突した時、自分から和議を申し出て争いを回避してる
それは信長の外交的成果で信玄のはだめなのか?信長厨って変だな。
0801人間七七四年
2007/03/26(月) 09:03:22ID:XZ00XLS0桶狭間だけでお釣りがくるくらい十分だと思うのだが…
義元健在だと信玄は駿河侵攻なんてしないでしょうよ
内応策も恐らく不発に終わるだろうよ。
義元健在の今川と武田とを天秤にかければ…
内応するのは馬鹿しかいない
0802人間七七四年
2007/03/26(月) 09:36:13ID:i36kPWNA義元が生きているならそもそも信玄が今川と争う事態にはなりがたいし
今川を倒せたのは信長のryと過剰に恩をきせるのはどうかと思うが。
0803人間七七四年
2007/03/26(月) 09:48:36ID:3E6Gn3HM義元倒しただけでお釣りがくるのかw
短絡的思考だな。
今川家はその後に強烈な跡目争いが起きて弱体化もしてないんだよ。
それに今川には婚姻同盟の北条がバックにいるし。
駿河湾の貿易が衰えたワケじゃない。
信玄存命時の山岳にはかなりあちこちに金山があったから実収はかなりあるよ。
それに江戸期の城のように城下町に民を囲い込むような事はしてないから安全性からも平野部にたくさん人がいたわけではなく、
緩やかな傾斜地や山間部での畑やら山の実りの収入もバカにはできない。しかも隠田なども存在する。
平地はいまのように河川が治水され田の隅々まで行き渡ってたわけでない。利根川は氾濫を繰り返し、何回となく川筋を変更しまくっている。
氾濫で田畑は荒れ果て民家は破壊される率が高いのは当然平野部。
自然豊かな山々を持つ方が不作の時に飢える確率も低い。動植物・木材伐採収入があるから。
いまは衰退したが山林経営は盛んだったし、修験者なども山々を歩いていたから山間部が寂しく貧しいと思うのは間違い。
0804人間七七四年
2007/03/26(月) 10:06:18ID:3E6Gn3HMそもそもある一定数以上の軍勢がいれば、あとは用兵や風向や天候きなどの自然要因などで兵力差は埋まる。
また各地に敵を持つ軍勢は浮き足立ちやすく、平野部では土地の利を生かしにくく蹂躙されやすい。
敵地で田畑や家屋といった村々の最低限のインフラ設備を焼く威力偵察をするだけでも心理面で優位に立ち士気があがる。
これはナポレオン戦争時や日中戦争期でも常識的な食料物資の現地調達方式で武田軍の食料事情はそれほど悪くない。
だから焦土作戦というのは軍勢を追い払う最強の策なのです。
0805人間七七四年
2007/03/26(月) 10:15:46ID:1vgy91cZお釣りくるだろう
他ならぬ信玄がそれを実証している
どうしても勝てなかった長野業政が病死してくれたらあっさり勝てるようになった
病没でさえそれだ。戦死の影響は絶大
それとも信玄無能説に宗旨替えするのかい?w
0806人間七七四年
2007/03/26(月) 10:21:29ID:3E6Gn3HM石高から算出する方法では実態把握はできないね。
だいたい織田軍の場合は明智光秀という爆弾がいつ発火するかわかんないねw
0807人間七七四年
2007/03/26(月) 10:24:38ID:hTif14JWこの時代は傷をつけるだけで十分効果がある。
世論が勝ち負けを左右する。小牧長久手がわかりやすい例。他にもわかりやすいのはあるだろうけどな。
0808人間七七四年
2007/03/26(月) 10:27:20ID:1vgy91cZ希望的観測は聞き飽きた
お前さんは自分の意見を裏付ける客観的史料の一つでも提示すべきだ
誰も賛同しない文を延々と打ち込んで空しくないんかい?w
0809人間七七四年
2007/03/26(月) 10:33:44ID:h8JpAXvu不作の時ってまぁ雨が降らないか降り過ぎたかだろうけど、そんな状況だったら鉱山は別として山々の実りだって同様に被害を受けると思うけど?
>>804
石高以外に、国力を客観的に判断する材料なんてある?
あと平野部では地の利を生かしにくいって、今と違って正確な地図が普及してるわけでもなし、攻める側だって同じ平野部にいるんだし、
平野部では地の利を生かしにくいなんて事はないと思うよ。
あとナポレオン戦争や日中戦争といった兵器も多数投入され国家規模で行われる比較的近代と言える戦争と比較するのはどうかと思う。
なぜなら国家規模また近代においては、通貨概念や資金が調っているため金銭で食料を買い取るという概念の方が強いから。
でも戦国時代には統一的な通貨なんて存在しないから、略奪という概念の方が強い。
略奪がメインでは一時的に優位に立てても、農民達の反感を買い支配もしにくくなる。
武田が大勢力と争い領土を拡大した事がないまま終わったから信玄統治下で一揆の記録はないけれど、
もしその略奪方式のまま領土を拡大していたら、一揆に直面して統治に苦労する事になったと思う。
0810人間七七四年
2007/03/26(月) 10:39:24ID:QzmsC75S桶狭間で今川の武官重臣がかなり死んでて相当弱体してるんだが。
信長に仇討ちできないほどの痛手を負ってる。
そんな治療すれば何とかなる瀕死の重病人を盟友である信玄はどうしましたっけ?
そんなに海が欲しければ家康独立と同時に三河攻めれば良かったじゃないのと思いはしたんだが、
当時の情勢はしらんのでこの点についてはどうとも言いようがない。
0811人間七七四年
2007/03/26(月) 10:41:06ID:h8JpAXvu読み返してみたらよく分からない事になっていたので、言いたい事を捕捉。
戦国時代でも金銭で食料を買い取るという概念は勿論存在するけど、あくまでも自領内に対して行う場合がほとんど。
敵の領国においては自分の国の金銭が通用しない・価値が変わる場合もあるし、敵の領内に侵攻した際にはやはりまだ略奪のほうがメインであったと言うこと。
0812人間七七四年
2007/03/26(月) 10:43:33ID:i36kPWNAそれ以来両者は険悪になっていく。
0814人間七七四年
2007/03/26(月) 10:44:20ID:XZ00XLS0跡目相続が起きていないとはいえ、家中の動揺は相当なもんだろうよ
合戦で総大将が討ち死にしたとなれば、家の将来に不安を感じ内応に応じる者も出てくる
しかも松平家の離反は無視ですかww
あれは相当今川家にダメージあるでしょうよ…
三河喪失による動員力の低下と収入低下
さらには松平家との抗争による想定外な戦費の発生
これでも今川家は弱体化してないんですかな?
0815814
2007/03/26(月) 10:46:12ID:XZ00XLS0303ではなく>>803
0816人間七七四年
2007/03/26(月) 10:53:49ID:XZ00XLS0光秀を爆弾扱いは不適切じゃないか?
本能寺は10年以上後だし、動機・真相が謎なままなんだから
当然、信玄生存時も光秀が爆発するかどうかは推測できない。
個人的意見を言わしてもらうと、光秀はあの時点では謀反は起こさないと思うが、
所詮は推測の域…
0818人間七七四年
2007/03/26(月) 11:03:43ID:XZ00XLS0妄想かww
たしかにそうだなww
光秀が爆弾なら、当然穴山・小山田・木曾等も爆弾になるなww
謀反した動機が分かっているからこっちの方が爆弾になる可能性大ですねww
0819人間七七四年
2007/03/26(月) 11:15:54ID:Q4Z7qZS0主家である関東管領上杉家自体が越後に逃走して孤立無援なんだよ長野氏。
北条との婚姻同盟してる名門今川家は家臣が補佐する限りは安泰。
だから信玄は調略で事前準備をしてから徳川と共同侵攻したし、北条は徳川と挟撃しようとしたんだから織田のおかげで楽したわけじゃない。
無論、北条と徳川の挟撃を察知して凡人ならこだわるところを駿河にこだわらずさっさと撤退。
その後は小田原城に陽動をかけてから駿河を奪い、あっけにとられた北条は上杉との同盟を切り武田と同盟し西上作戦を開始した。
見事な行動作戦能力じゃないか。
0820人間七七四年
2007/03/26(月) 11:17:40ID:sxM1NQ4qなんで比較にならないのかさっぱりわからない
当主が戦死ないし病没でガタガタは共通じゃん
そして後北条と徳川の挟み撃ちは、相手が仕掛けたんじゃなくて信玄側の徳川への盟約破りが原因
そこで信長に泣きついた史実を都合よく無視するところも武田厨っぽくてナイスだよwww
0821人間七七四年
2007/03/26(月) 11:21:01ID:0TfZ4Lzg文官・武官多数戦死
大敗による威信低下
三河を失う
松平分の戦力・人材を丸々失う
松平氏との抗争による国力劣化
桶狭間効果はこんなもんか
0822人間七七四年
2007/03/26(月) 11:21:43ID:XZ00XLS0織田のおかげで駿河侵攻できたというのは大前提の上での話しだよな?
桶狭間がないと徳川独立しないし、調略もたぶん無理…
0823人間七七四年
2007/03/26(月) 11:21:51ID:3E6Gn3HM0824人間七七四年
2007/03/26(月) 11:22:53ID:QzmsC75Sなるほど。
だがこここそ事後承諾で攻めてしまえば良かったのにと思えなくもない。
今川攻めるよりずっと楽(三河は混乱してるし、今川側の武将も松平独立には含むところはあるだろう)で、
しかも大義名分もあるしな・・・
この時期は信長も三河攻めてるし、それこそこの時期に信長と共同戦線張れば良かったのにな信玄。
0826人間七七四年
2007/03/26(月) 11:24:40ID:sxM1NQ4qあのさ、信長が入れ物にまで気を使ったという軍鑑の話だけを真に受けてない?
同じ軍鑑ですら、信長に対して信玄が莫大な返礼の品物を送ったことが明記されているというのに
媚びたってどういう基準で?双方礼に厚かったってことじゃないの
だいたい媚びるというのは信玄の「貴方だけが私の味方、粗略にしたら当家滅亡です」とか「例え日本半分を持ったとしてもこのご恩は忘れませんよ」という現存する書状の文言をいうのでないの?w
0827人間七七四年
2007/03/26(月) 11:26:42ID:XZ00XLS0遠江の国人の離反もじゃないかな
0828人間七七四年
2007/03/26(月) 11:26:52ID:3E6Gn3HM北条や上杉という強豪地区だから簡単にはいかないよ。
0830人間七七四年
2007/03/26(月) 11:30:30ID:XZ00XLS0桶狭間によって今川家は相当弱体化したと納得したんですかww
0831人間七七四年
2007/03/26(月) 11:31:05ID:h8JpAXvu何かにつけて、信玄の周りには強大な大名がひしめいていたって言うけど、
石高比で言えば、尾張一国(半国あたりからも)時代の信長だって周辺には強大な大名がいたよ?
でもあなたは石高での国力計算を否定してるんだったよね。石高以外でどう客観的に国力を判断するのか、その方法をぜひ教えてもらいたい。
0832人間七七四年
2007/03/26(月) 11:34:47ID:3nqHzS5r信玄の周りは強豪で信長の周りは弱小なんて理由を語るまでも無く定説
なんですよバーーーーーーカwww
0833人間七七四年
2007/03/26(月) 11:35:55ID:h8JpAXvu0834人間七七四年
2007/03/26(月) 11:38:01ID:ZqRkc3+70835人間七七四年
2007/03/26(月) 11:38:29ID:h8JpAXvuそれと俺は別に信長好きじゃないから。むしろ嫌いだし、信玄の方が好き。でもお前みたいな無条件に信玄最強という信者は嫌いだ。
0836人間七七四年
2007/03/26(月) 11:39:14ID:Q4Z7qZS00837人間七七四年
2007/03/26(月) 11:39:51ID:XZ00XLS0信長厨はwwと幼稚なことを言い出す
定説だとか言い出して理由を語らない(語れないんだろうなww)
いつものパターンだな…
0838人間七七四年
2007/03/26(月) 11:40:00ID:bYcGWifG0840人間七七四年
2007/03/26(月) 11:43:34ID:XZ00XLS0信玄の上洛と関係あることなのか?
0842人間七七四年
2007/03/26(月) 11:46:12ID:sxM1NQ4q明らかに光栄ゲーム解説本レベルで語ってるよ
0843人間七七四年
2007/03/26(月) 11:57:07ID:Q4Z7qZS0織豊政権マンセーや徳川捏造史観に近年の織田信長革新的史観を盲目的に信じるコーエー信者と性質が酷似する厨房。
0844人間七七四年
2007/03/26(月) 11:58:56ID:sxM1NQ4q文盲乙
信玄側の返礼のくだりは軍鑑にも書いてあるっていってるだろ
どこが全否定?
都合よく使い分けてる……ってか明らかに読んだこともないお前に言われる筋合いはないな
0846人間七七四年
2007/03/26(月) 12:04:55ID:XZ00XLS0桶狭間によって今川家の弱体したかどうか
信玄の駿河侵攻は信長が義元を討ち取ったおかげによるものか
が最近の主な話題だからそこから再開しようぜ
0848人間七七四年
2007/03/26(月) 12:09:31ID:XZ00XLS00850人間七七四年
2007/03/26(月) 12:14:13ID:QzmsC75Sあの時点での上洛は前スレ以前で不可能って上がってるんだし。
0851人間七七四年
2007/03/26(月) 12:17:54ID:sxM1NQ4q難しいんじゃない?
義元健在期や斎藤氏が頑張っている時期だと上洛ルートは閉ざされていることになる
元々、武田家の戦略は歴史的に攻撃を受けてきた南方と東方を同盟で安全化して善光寺へ抜ける通商ルート沿いに北上していくというもの
対上杉戦の行き詰まりや今川の弱体化・甲尾同盟成立(同時に家康との同盟成立)といった諸条件があったからこそ南下に方針転換したわけで
それ以前の段階で上洛をやれるほどの戦力があったら上野か越後にぶつけてるはず
0852人間七七四年
2007/03/26(月) 12:20:49ID:fNKxdQUc越相同盟って知ってますか?見事な捏造史は武田譲りですね。
0853人間七七四年
2007/03/26(月) 12:23:24ID:h8JpAXvuIDを変えて本気で工作したいなら、文体と必ずageる癖をどうにかしておきなさい
0855人間七七四年
2007/03/26(月) 12:30:53ID:sxM1NQ4q難しいんじゃ?
桶狭間の時点だと、既に村上・高梨氏といった信濃豪族を支援した上杉とは対決している最中
本国を空にすれば滅亡を早めてくれといっているようなもの
0856人間七七四年
2007/03/26(月) 12:37:51ID:sxM1NQ4qしかし先代からの老臣の言う事をきかず、三浦某という側近を重用して……とどこかで聞いた展開が起こったんで今川は弱体化したんだと
0857人間七七四年
2007/03/26(月) 12:41:55ID:ZqRkc3+70858中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y
2007/03/26(月) 12:45:30ID:GytKwYAA今川の名跡を名乗らせ本領を安堵する条件で今川からの離間を促してるな
0859人間七七四年
2007/03/26(月) 13:30:41ID:qbLShfU9軍鑑のような半ば軍記物・半ば軍学の宣伝書程度すら読んでなさげ
妙法寺記のような一級史料なんて名前すら知らないんじゃないのか?
出典は肥ゲーム解説本のみです、とかマジでありえそうだ
0860人間七七四年
2007/03/26(月) 15:07:14ID:PJfQ21za恩に着せる着せないはともかく
結果としては信長(+家康)のおかげだと思う
>>803
山間部が貧しくないのが事実だとしたら
武田は山間部支配していたのにあの程度しか勢力広げられなかったの?
になるんじゃないか
石高による単純比較はおかしいというのは同意だけどね
でも他に客観的な史料が無いのがな
>>805
河越で大敗後の上杉相手の佐久攻めもある
0861人間七七四年
2007/03/26(月) 15:07:34ID:JKngPdTJ0862人間七七四年
2007/03/26(月) 15:08:56ID:SIjzktNf0863人間七七四年
2007/03/26(月) 15:50:17ID:fNKxdQUcその策を穴山に使われ滅亡した武田哀れ
0864人間七七四年
2007/03/26(月) 17:49:43ID:TiFWlo1o・濃尾を制す=畿内の諸将を圧迫させる程ではない
・成り上がりと馬鹿にされ畿内の諸将をいうこと聞かせず
・一向宗と真っ向から対立
・思い上がりから来る下手糞な外交
つまり信長の行動を見て、さも天下を取る為には誰しもこのような行動
をしなければならないと勘違いしてるんだよねえ
0865人間七七四年
2007/03/26(月) 17:54:29ID:TiFWlo1o・信長を倒して濃尾と東海に本格的に侵攻=所領は7カ国に増大!
・元々一国の守護な上、巨大な力で畿内の諸将を圧迫!
・本願寺と同盟を組んでいる
・駿河攻略や信長包囲網などに見られる的確な外交
・将軍義昭と間接的に有効
ぶっちゃけ京まで攻め上る戦略を立てるまでもないでしょう、結構簡単に天下
取れたんじゃないかい?信玄は
0866人間七七四年
2007/03/26(月) 18:26:36ID:h8JpAXvu戦略を立てるまでもないってどんなゲーム思考?
というか、IDを変えるなら文体とageる癖を直した方がいいって忠告したじゃない
0867人間七七四年
2007/03/26(月) 19:13:04ID:7bfyMFtG0868人間七七四年
2007/03/26(月) 19:55:18ID:ZqRkc3+7>武田信玄が病弱でなければ
( ´_ゝ`)
>・信長を倒して濃尾と東海に本格的に侵攻=所領は7カ国に増大!
具体的に示してみ?アホな妄想はお腹一杯ですがね。
>・元々一国の守護な上、巨大な力で畿内の諸将を圧迫!
( ´,_ゝ`)プッ
>・本願寺と同盟を組んでいる
信玄だけじゃねえww
>・駿河攻略や信長包囲網などに見られる的確な外交
的確な外交wwどこをどう見たら的確な外交とか言えるんだよww
・将軍義昭と間接的に有効
なんのアドバンテージだよww
0869人間七七四年
2007/03/26(月) 20:49:55ID:fNKxdQUc0870人間七七四年
2007/03/26(月) 21:08:52ID:anWz9idr同じアホウなら(略
0871人間七七四年
2007/03/26(月) 22:05:56ID:TiFWlo1o2度あるのですよ、海ノ口城での初陣とこれね↓はるか年上の戦上手を相手に
勝った信玄はやはり野戦の天才
弘治3年(1557年)から武田信玄が6回にもわたって上野西部に侵攻して来たが、
業正はこれをわずかな兵力をもって撃退している。永禄元年(1558年)には武
田信玄率いる1万3千の軍勢を、業正は上州勢2万を率いて妙義山の東にある瓶
尻の原で迎撃、約8時間にわたり激戦を展開した。業正自身も槍を取って奮戦
したが、統制が取れずに敗退した。
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