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寡兵で大軍を破った戦い

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0001名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/23(土) 02:13:32ID:E8ad61KX
桶狭間合戦や厳島合戦のような
劣勢を跳ね返し、大軍を破った戦いを語りましょう。
0179人間七七四年2007/02/18(日) 01:00:56ID:JPSi4gAG
>>177
ウソウソ
0180人間七七四年2007/02/18(日) 01:01:21ID:Cg8OydVg
>>178
徳川の動員力から今川のそれを類推する事は出来るだろうね
0181人間七七四年2007/02/18(日) 01:02:00ID:HADoshBs
「同等の兵力だなんて根拠になる資料の無いものをどうのこうの」
お前らの方から、織田軍の勝因の一つにそう挙げてたんじゃなかったの?

「背水の陣が比喩と理解できずどうのこうの」
史実にある背後からの奇襲による勝利という説を覆したいが為に、お前ら
の方が勝手に真正面から背水の陣で突破という妄想でそう答えてただろば
ーーか

「義元の無能を持ち出す始末」
おいおい戦闘において大将の作戦采配は一番重要だろうが 笑)
義元が周囲の警戒を楽観視していれば、配下の武将もそう動く。
仮にびっしり警戒していても、その先どうすれば良いか、公家
大名の武将じゃない義元にはそれが出来ない、砦間の連絡の取り
方や、膠着した状態での冷静な指揮などね。
0182人間七七四年2007/02/18(日) 01:06:45ID:HADoshBs
ついでに言わせて貰うと、今川軍の動員兵力が40000とか言ってる
人、現在では誰もいないよ、大概の作家や大学教授なんかは25000
ぐらいだと言ってるね、まあ現代人の解釈なんか当てになるかどうかわ
からないが。
それか、もしかしたら3州の兵数と尾張の占領した一部地域からの兵と
北伊勢の兵もまとめて一緒くたにしての40000だったりしない?
北伊勢の兵が動いたのかどうかは知らないが。
0183朝倉渦中feat.パストマスターズ ◆0Uj4ASAQRA 2007/02/18(日) 01:12:24ID:+Eoi27Vz
>>179
これをウソと言ったら、合戦の動員数として史料に表れる数字はすべてウソといえるかも。
参謀本部が2.5人役といってるのも地域や状況によっては6瑞l役になってる緒鼾があるし、
軍役がそもそも守られてたのか着到状が真実かは、類推する以外に確かめようがありませんぜ。
0184人間七七四年2007/02/18(日) 01:15:39ID:Cg8OydVg
兵数については、
状況から推測するしかないからね。
0185人間七七四年2007/02/18(日) 01:33:40ID:2Q28WCWj
状況から推測するなら今川方が大量動員したこと自体が織田方に充分な兵力を揃えられたことを
実証していると言えるな。
織田に2000や5000程度の決戦兵力しか準備できないなら三河遠江からの部分動員で充分。
1年以上費やして総動員をかける必要はない。
0186人間七七四年2007/02/18(日) 01:34:38ID:LqQHX422
>>183
一向宗が仮に30万いたとしても女子供や老人みたいなのも大勢いたんじゃないか?
30万はともかく宗教勢力は石高じゃ測れない動員できそうだし
0187人間七七四年2007/02/18(日) 01:54:28ID:HADoshBs
>>185 もう支離滅裂で笑えるよ君www

3州と尾張半分を押さえてる今川より、何で尾張半分の織田が同等の
兵力を揃えられるの?それから今川の動員数は上洛する為のものなん
でしょう?



それから今川厨は早く>>166>>167>>176>>181に答えてみろよ、都合
の悪いことにはだんまり決め込むんだなあ
0188人間七七四年2007/02/18(日) 02:05:16ID:2Q28WCWj
通説桶狭間厨こそ信長を貶めてる気がするが。
こいつらはつまり信長は必要もないのに不確定情報に基づいて
寡兵で突っ込むんだ馬鹿だったと主張してるわけだが。
0189人間七七四年2007/02/18(日) 02:07:54ID:Cg8OydVg
>>188
どんな優秀な指揮官でも、ときには誤謬を犯すと思うが。

信長ファンだが、「なんでもお見通し」みたいな半神扱いには呆れる。
0190人間七七四年2007/02/18(日) 02:17:49ID:HADoshBs
>>188お前相当アホなんだね、一回自分で頭かち割って脳みそ
どうなってるか確認してみたら?
寡兵であれば機動力がそもそも違うだろ、おまけに織田軍は兵
農分離してる最中の兵なわけだし(時期的に始めたばかりだが)
のうのうと休息してれば奇襲受けて当たり前

>>189そういう風に認識してる信長ファンはいません、しかし
信長も情報によって、義元というのが武将では無いことぐらい
認識していたのは確かだろ、実際三河や遠江平定も雪斎が指揮
してたのは知ってただろうし。
0191人間七七四年2007/02/18(日) 02:26:46ID:2Q28WCWj
>>190お前相当アホなんだね、一回自分で頭かち割って脳みそ
どうなってるか確認してみたら?
まともな戦国史料読んだこと無いだろ。
寡兵だと見つかったら終わりだろうが。織田が兵力分離の最中だぁ?
どこにそんな史料がある。そもそも兵農分離ってのは領土拡大して兵力に余裕ができた後に可能なんだよ。
兵が足りないから鎌倉型の百%兵農分離型から農兵動員型に変わったんだろうが。
周辺国に拮抗した動員力しかない段階で兵農分離なんぞやってたら本物の馬鹿だなw
お前の中の信長はお前並の馬鹿なようだw
0192人間七七四年2007/02/18(日) 02:30:33ID:LqQHX422
でも織田が寡兵じゃなかったとする史料が無い以上

多対多の戦いってのは妄想の域を出ないんじゃね?ってか想像だけじゃどうしようもない
0193人間七七四年2007/02/18(日) 02:33:34ID:Cg8OydVg
>>192
ま、そんなとこでしょう。

信長公記の記述より兵力差は小さかったと思う
ひょっとすると5000対25000より小さかったかもしれない。

だとしても、同等ということはなさそう。
というより、同等とする史料がない。
0194人間七七四年2007/02/18(日) 07:57:33ID:whqL/6fT
大高・鳴海包囲にどれだけの兵を配置していたのだろう。
1つの砦に4百と仮定すると、5つの砦で2千。8つの砦という説も有るし。
信長が2千率いて清須出陣たとして、美濃・伊勢・清須等の守備もいただろうし。
0195名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/18(日) 08:48:27ID:Lhn7bzYE
完勝した!!って油断しまくってたところに突撃してきたから総崩れになった、補給路が間延びしすぎた、それだけ
0196にゃんこ2007/02/18(日) 11:58:13ID:KXivOE7A
読んでない人のために、何度も繰り返すが

美濃・伊勢方面に対しては、警戒兵力だけで良い。なぜなら、三河方面から近いから。
小国の内線作戦は兵力が集中させやすい。(せめて、内線の意味を知ってから反論してくれ。)
理論的には、分散させるよりは集中して、各個撃破を狙った方が良い。

しかし、大国だと、各方面間の距離が遠いから、各個撃破が難しい。主力の移動時間中に
かなりの被害が出てしまう。東方面の敵を倒してから、西方面の敵と会戦する
ことすら難しい。
だから、同盟を組まねば、各方面ごとに戦力を配備する必要ができる。
0197人間七七四年2007/02/18(日) 12:01:54ID:1Z2Kc5SP
もう飽きたよ。桶狭間の話
0198にゃんこ2007/02/18(日) 12:07:58ID:KXivOE7A
165>

その手のパフォーマンスを勝因の主にする考え自体がおかしいと思う。
勝因の主は、政治的なものや数学的なものだ。

例えば、スポーツの試合で、「監督による「気合い入れ」で勝てた」と言って
いるようなものだ。真の勝因は、普段の練習や選手の素質なんだが。
0199にゃんこ2007/02/18(日) 12:29:54ID:KXivOE7A
兵農分離については、

1,農民兵を徴兵しないから、遠征の兵数が少なくなる説と
2,限界まで搾取するためだから、遠征の兵数が多くなるという説がある。

私は2だと思うな。1が真実だとすると、
豊臣秀吉がイイ人過ぎる。

なお、「遠征の」という但し書きをつけたのは、防衛戦と遠征では惣村の協力
に大きな違いがあるから。
0200人間七七四年2007/02/18(日) 15:06:11ID:HADoshBs
とりあえず、尾張半分の領土で今川全軍と同等に近い兵力がどう揃うのか
説明出来ないと話にならないね。

>>198 まあ戦上手では無い武将同士が指揮した戦闘であれば、大概は兵数
や兵の強力さなどが勝敗を決したりするんだろうな
0201人間七七四年2007/02/18(日) 15:16:10ID:TfyXBZ2h
尾張の半分?尾張はほとんど制覇してますが?
それと、同等に近い軍は集まらないけれども、
本気で集めたら1万は超えるのは当然と言ったら当然で、すべての戦いで全軍を出す人間なんてほとんどいないからな。
0202人間七七四年2007/02/18(日) 15:23:18ID:Cg8OydVg
総兵力が一万人ほど
(知多半島や岩倉を支配してない事を思えば、
もう少し少ないかもしれない)
戦場にもっていく兵力が五千人

べつに奇異ではないね
0203人間七七四年2007/02/18(日) 15:54:06ID:HADoshBs
>>201つまり桶狭間に動員した人数とは関係ないってことだね、周囲へ
の備えもあったし。
それから尾張統一してたんならどうして清洲みたいな奥にまで押し込ま
れる状態におちいったの?そんな基本的なこと知らないで今まで散々喚
いてたわけ?
織田軍の兵力は結局、その半分の領土から動員したものなんだよ、尾張
を統一したのは戦後だ。
0204人間七七四年2007/02/18(日) 16:05:08ID:vl7DLho6
猪木対木村、浜口、寺西ももちろん入るだろうな…あ、勝てなかったんだっけ
0205人間七七四年2007/02/18(日) 16:10:40ID:CHP0wYcr
こんなスレもありますよ

桶狭間の合戦の真実について
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149962872/
0206にゃんこ2007/02/18(日) 16:44:09ID:KXivOE7A
この戦争に動因された総兵力と、決戦場の桶狭間山周辺の兵力を区別してない人は
にゃんこの文を誤読しているよ。

総兵力は、今川の方が大きいのは事実だろうが、桶狭間山周辺では大差がなかった

とすれば、織田方の勝因を、小説的なネタに頼らず、合理的に説明できる。
0207人間七七四年2007/02/18(日) 16:47:03ID:w7eguL7F
大差がなかった、というのは所詮予測だろう
信長公記の記述の最後の義元守った三百騎だって攻撃を受けた後の話
本来の本陣兵力がどれくらいいたか、という記述は無い
0208にゃんこ2007/02/18(日) 16:57:36ID:KXivOE7A
25000だとか、2000だとかという数字の根拠も今一つなんだよ。

1560年ごろなら、検地はまだまだユルユルで、千単位や万単位の動員数など
数えようが無い。小隊や中隊といった単位に編成してなくて、各地の親分たちが
私兵を率いて従軍するんだが、その人数の申告も、どの程度アテになるか?
そういう申告がアテにならないから、大名権力の伸長とともに検地がキツくなり、
やがて、実測による丈量検地が為されるんだから。1560年にに正確な兵数が
出せるくらいなら、太閤検地なんかいらないって。
0209にゃんこ2007/02/18(日) 17:05:12ID:KXivOE7A
そもそも、兵農分離ちゅうのは、兵士人口の正確な把握、といった意味が大きい。
前の防衛戦には参加したが、今回の遠征には参加しない半兵士や、
たまに戦う1/4兵士なんかを、兵士か農民かはっきりさせたわけだ。

207>予測というより、割り出しと言った方が正確だな。結果から割り出して
    いるんだから。
0210人間七七四年2007/02/18(日) 17:05:38ID:w7eguL7F
>>208
だからといって、史料に残ってる数字まで一概に検地前と否定したら何にもならない
その上で主観的予測一辺倒ではお話にならないよ
少なくとも説得力が無い
0211人間七七四年2007/02/18(日) 17:08:38ID:ftYuDewr
限りなく不毛な議論だな
みんなで分からない分からない主張して一体なにがしたいんだよw
0212にゃんこ2007/02/18(日) 17:13:22ID:KXivOE7A
説得力を感じるかどうかは、検地の意義の理解度によると思うね。

主観的予測?誰がそんなことした?16世紀末の石高からの割り出しから、
補給や農民への抑えの人数を割り引いたものが、主観的予測かい?


0213にゃんこ2007/02/18(日) 17:15:29ID:KXivOE7A
史料に、人数の数え方が書いてあったかい?

0214人間七七四年2007/02/18(日) 17:20:26ID:FEFO8Nj/
誰も私に賛同してくれないのは、検地の意義を理解できない馬鹿ばかりだからですってか?
普通にウザス。
ってかそこまで拘るなら専用スレ行けよage厨。
0215にゃんこ2007/02/18(日) 17:28:22ID:KXivOE7A
君のコーエー史観の方が、三戦版向きだな。

公家や指揮についての理解が、三戦版向きだよ。
0216にゃんこ2007/02/18(日) 18:10:38ID:KXivOE7A
「寡兵で大軍を敗った戦い」一般なんだが、

総兵力では「寡兵」側が下回っていたとしても、戦力の集中によって、決勝点では、
戦力(兵数×・・・)が上回っているものだ。それをやってのけるから名将なん
だよな。

コーエー史観のように、信長能力95、義元能力48なんてものじゃない。


0217人間七七四年2007/02/18(日) 18:14:14ID:AXktzvJz
沖田畷の龍造寺
謙信の関東出兵
厳島の陶
耳川の大友

これらは実際はどのくらいの兵力だったと思いますか
0218人間七七四年2007/02/18(日) 18:21:00ID:IWJ93Wdy
>>217
陶の25000は妥当なとこだと思うけど・・
謙信の関東出兵は関東中の大名が集まり北条家からも離反が続出したらしいから10万でも別におかしくはない とまでは言わないが5万〜8万は確実
0219人間七七四年2007/02/18(日) 18:22:11ID:HADoshBs
結局今川が戦に負けたのは事実、鈍足な動きばかり見せたのは事実
機動力に勝る織田軍=寡兵であったのは事実、1万数千もの兵で気
づかれずに今川本陣まで行けるわけがないんだからね。
元の総兵力が同等であろうが迅速な動きで本陣奇襲出来た織田軍が
凄かったということ。

え??実際は両軍共同等の兵力(桶狭間の時点)で真正面からぶつ
かって今川軍は負けたって?そんなのが言い訳なるかよ、それでも
信長の戦上手なことが伺えるからね。
0220人間七七四年2007/02/18(日) 18:31:52ID:hPmbGfXP
桶狭間に住んでいます
旧家には桶狭間に関する伝承が結構残っている
0221にゃんこ2007/02/18(日) 18:38:49ID:KXivOE7A
機動力?

ちなみに、秀吉軍は大返しで瓦解した。だから、山崎では摂津など地元勢力を主力
として戦った。大返しの本質は機動ではなく、政治宣伝だったんだな。
機動力を上げようとしたら、ローマのように規律と訓練を普段から叩き込まねば
ならない。
0222にゃんこ2007/02/18(日) 18:58:57ID:KXivOE7A
関ヶ原では毛利達、賤ヶ岳では前田がサボタージュしたけども、配下への統制力
が弱くて、サボられたり、裏切られたりするのが戦国の習い。
また、両陣営に誼をを通じ、どちらが勝っても一族全滅は避けられるように
工夫するものだ。イデオロギーではなく、土地利権の奪い合いなんだから。

陶自身と配下の総兵力の25000は過大だな。そんな大領主だったっけ?
陶側に相当なサボタージュがあったとしか考えられんと思う。
まだ、トップに立って日が浅いのも、大きいしな。
もし、通説通りなら、毛利側による武士階級虐殺だよな。革命戦争だ。
もちろん、そんなのではなく、サボタージュやあっさり降伏が多かったと思う。

0223人間七七四年2007/02/18(日) 19:03:36ID:yDDcgjja
>にゃんこ氏

ID:HADoshBsは支離滅裂で有名な糞コテですので
あまり反応しないほうが・・・
0224にゃんこ2007/02/18(日) 19:06:50ID:KXivOE7A
223>

サンクス。厨対厨 の口喧嘩してるね。彼は。「言い訳になるかよ。」だもんな。
0225人間七七四年2007/02/18(日) 19:10:17ID:HADoshBs
>>221  ほらほらまた話をそらすアホぶりwww
高松〜姫路〜京の距離と、清洲〜桶狭間の距離を一緒にするなターーコ
お前って普段リアルで相当単細胞相手に議論みたいなことしてるわけ?
そんな相手ならお前の考えも納得させたりするよなあ。
0226人間七七四年2007/02/18(日) 19:13:04ID:MRfeidxy
>にゃんこ

9時間も2chするなよw
0227人間七七四年2007/02/18(日) 19:13:35ID:vaIFt3UK
>>226
ワロタ
0228人間七七四年2007/02/18(日) 19:19:12ID:HADoshBs
周防 長門 安芸半分 石見半分 九州2ヶ国 これだけ領土があれば
25000ぐらい集まるだろ、それ以下だったとしても、毛利方も尼子
へのけん制などもあったから、結局寡兵しか集まらなかったと考えれる
わけで、寡兵毛利軍VS大軍陶は妥当だろ。
0229人間七七四年2007/02/18(日) 19:23:42ID:HADoshBs
>>224 「言い訳になるかよ」っていう俺のレスだが、「寡兵で横あるいは
背後から大軍を奇襲しての織田軍の勝利説」を捻じ曲げたい今川厨に対して
教えてやったんだけどね。
奇襲を無様に受けても、真正面から戦って下手な采配で負けても負けは負け。
桶狭間で負けたのは事実なんだから文句を言う資格は無しってことだ。
0230人間七七四年2007/02/18(日) 19:25:33ID:AXktzvJz
http://homepage3.nifty.com/ksatake/fkunu1.html
太閤検地での石高
筑前 325,695
豊前 140,000
長門 130,660
安芸 167,820
石見 111,770

豊前なんかは太閤検地と寛永期で全然違ったりするが・・・
0231にゃんこ2007/02/18(日) 20:33:49ID:KXivOE7A
226>

実は恥ずかしながら、ドラクエ8と、ハゲタカと、おりんと、天の覇王と、どろろ
と読んだり練金したりしながら、今日一日を過ごした。

さて本論
230氏の史料からは22000人。ただし、これから、他方面への備えや
体制の違いや掌握の度合い等々を割り引くと・・・・
20000人は確実に割るな。

225>
飛び出した大将を配下が追いかけるものは機動とは言わない。
0232人間七七四年2007/02/18(日) 20:37:55ID:AXktzvJz
訂正

筑前 325,695
豊前 140,000
長門 130,660
周防 167,820
安芸 194,150
石見 111,770

数字は太閤検地
0233人間七七四年2007/02/18(日) 20:52:21ID:AXktzvJz
2.5人役で計算
この数字は比較的低い数字らしく、もっと動員できると思う。

筑前 8140
豊前 3500
長門 3260
周防 4200
安芸 4850
石見 2800
0234にゃんこ2007/02/18(日) 21:05:41ID:KXivOE7A
2.5人役を小さいとするのは、丈量検地をしていないで、過大な兵力を宣伝
していた頃の数字を基準にしたものだろ?
それに、2.5人は遠征兵力だ。惣の協力の得やすい防衛戦の兵力がもっと
大きかったのは当然だ。
0235人間七七四年2007/02/18(日) 21:21:00ID:zWSDP1wf
なんかスレが伸びていると思ったら
「義元は武将じゃない」厨と「寡兵じゃ大軍を敗れません」厨の争いかw

それより、有名どころの戦国大名って1回くらい『寡兵で大軍を破る』戦いを
していると思うのだが、武田だけは思いつかん。なんで?
0236人間七七四年2007/02/18(日) 21:23:06ID:Cg8OydVg
>>235
じつは寡聞にして上杉謙信についても知らない。
彼が寡兵で大敵を破った例を知りたい。
0237人間七七四年2007/02/18(日) 21:26:19ID:XiYovMHA
川中島の戦い ○上杉軍1万3千 対 ●武田軍2万
無敵の武田騎馬軍団も毘沙門天の化身上杉謙信には勝てるわけがなかった。
啄木鳥戦法も軍事の天才謙信には見破られ、武田軍は山本勘助や弟ら重臣を失う。
車がかりの陣で武田軍は追い詰められ、死者四千六百三十人、負傷者七千五百人を出す大被害を追った。
謙信は単騎特攻して信玄と一騎打ちするなど大活躍を見せた。

唐沢山城救援戦 ○上杉軍13 対 ●北条軍3万 
上杉側の関東の豪族、佐野昌綱を救援するため、北条の大軍の中を数騎で特攻。
謙信の威勢に恐れをなした北条軍は怯えて近づく事が出来なかった。

手取川の戦い  ○上杉軍2万 対 ●織田軍4万8千
最大勢力の織田も軍神上杉謙信の前では赤子同然だった。
能登畠山を軽々と滅ぼし、謙信に怯え逃げる織田軍を追撃。
織田軍は二千人近くの死傷者を出して、大敗する。
信長自身、近習ら数十騎とともに命からがら美濃へ逃げ帰ったという。
もし謙信が寿命で死んでいなかったら信長は滅んでいただろう。
0238人間七七四年2007/02/18(日) 21:31:42ID:vaIFt3UK
>>237
沢山城救援戦って北条軍の兵士は意味がわからなかったんだろうね?
でもマジで勇敢だよな。
0239人間七七四年2007/02/18(日) 21:38:32ID:Cg8OydVg
>>237
すまんが、講談ベースの話を聞きたいわけじゃない。
0240人間七七四年2007/02/18(日) 22:27:19ID:AXktzvJz
大内(陶)は筑前をどの程度まで掌握してたのだろう。
立花山城から西は大友領だったみたいだが。
0241人間七七四年2007/02/18(日) 23:17:42ID:HADoshBs
>>231 「飛び出した大将を配下が追いかけるのは機動とは言えない」

はい、精一杯の屁理屈ね、お前の屁理屈が、敵に悟られずに敵陣まで
たどり着くこととどう関係があるのかな?
0242人間七七四年2007/02/18(日) 23:21:27ID:HADoshBs
>>235元々寡兵で戦うような状況じゃなかったからだろ武田は
信玄初陣の時から甲斐一国領有してたし。
それに情報によって敵より多量に兵集めるのも軍略の一つ
0243人間七七四年2007/02/18(日) 23:36:47ID:zWSDP1wf
>>242
それもそうか

ん?そうすると島津はどう捉えればいいのだ?
0244にゃんこ2007/02/18(日) 23:38:46ID:KXivOE7A
241>敵に悟られずに敵陣までたどり着くこととどう関係があるのかな?

何じゃそりゃ?

そんな事できるはずが無いよ。昼間なんだから。まして、桶狭間山から丸見え
だよ。
経済力と各個撃破を狙う内線側の定石からいって、隠密作戦(笑)でなくても
勝てるんだよ。要は、決勝点への戦力の集中だ。
原書でなくて通読解説書でいいから、クラウゼヴィッツかジョミニでも読め。

偉そうに、戦史を語りたいなら、せめて内線や決勝点の意味ぐらい調べろよ。
0245人間七七四年2007/02/18(日) 23:43:58ID:AXktzvJz
>>243
薩摩はまずしい痩せた土地で、火山灰などの問題もあり、作物はほとんど育たなかった。
(それを解消するために後世薩摩芋というものができたわけだし)
そのため兵糧等の問題で、寡兵で出撃する必要があったらしい。

現在での鹿児島でも酪農のほうが盛ん。
0246人間七七四年2007/02/18(日) 23:51:50ID:zWSDP1wf
>寡兵で出撃する必要があったらしい

芋侍はつらいなー
0247人間七七四年2007/02/18(日) 23:57:38ID:LqQHX422
桶狭間で戦力差が無かったってする説が正しいとするなら信長公記の信憑性を全否定する事になるぞ
0248人間七七四年2007/02/19(月) 00:04:36ID:sxlyh/y6
>>244 あらあら、やはり机上の理論というかごく一般に知られてるような
兵法でしか物を測ることしか出来ないんだろお前 笑)
400年前のことなんだから、「織田軍と今川軍の兵力が同等」ってお前が
言ってることも有り得ないってちゃんと理解してるの?当時の地形、突発の
出来事とか頭に入れないんだね

敵に悟られる=その敵は周囲に気を配る(間者などを放って)ってことだろ?
実戦指揮に乏しい義元がそこまで気を配ったのかってこととか考えないの?
昼間(夜間という説も強い)でも大雨であれば十分に敵に気づかれない要因
にもなるよねえ、それに清洲城出発時には1000以下っていうから狭道を
移動するのに分けもないと思うが。
0249人間七七四年2007/02/19(月) 00:10:33ID:sxlyh/y6
にゃんこさんにもう一つ聞くが、じゃあそこまで今川軍と同等の兵力
が織田軍に動員出来たのなら、どうして桶狭間決戦まで尾張の奥にお
しとどめられるような状況になったわけ?桶狭間(田楽狭間)なんて
もろ尾張領内だろ?攻められて城砦なども落とされてる状況の織田軍
にそこから更に20000も再動員なんて出来るのかよ。
0250人間七七四年2007/02/19(月) 00:27:38ID:qNRqMDCi
今川義元が実戦指揮に乏しいって何を根拠に言ってるの?

雪斎が凄いのは事実だが、全部の指揮を執ってた訳じゃないぞ。
0251人間七七四年2007/02/19(月) 01:16:20ID:sxlyh/y6
根拠が知りたいのであればまず自分で調べましょう、事実義元は戦は
家臣にまかせっきりの大名なのですよ、外交や政治は違うだろうが。
0252人間七七四年2007/02/19(月) 01:18:39ID:qNRqMDCi
自分で調べましょうじゃなくて、お前が言ってる事なんだから根拠を言えと言ってるんだよ。
0253人間七七四年2007/02/19(月) 02:20:10ID:X5/ehyhZ
乗馬できない総大将は終わってるね。さぞかし、朝比奈、岡部らも大変だっ
たろうね。
0254人間七七四年2007/02/19(月) 02:57:10ID:k4ww2M3y

【ふつうの人間が抱く疑問】
信長厨はなんでこうも「天才、天才」と得意げに語るんだろう?
別にあんたらが天才なわけでもなく、何をした訳でもないんだろうに。

【臨床医学的な解答】
心理学的に云う「ヴァーチャル・アイデンティティ」(仮想世界に自分を仮託する)
つまり、自分がゲームの中の主人公に置き換えられてしまい、その主人公が危機に晒される
(批判される)と、自分の存立そのものが侵されたという危機感に陥る。
したがって、仮託した主人公(信長)のライバルや仮想敵を攻撃することで、
危機を回避する心理構造。歴史解説書やPCゲームで信長厨になった人間は、大抵の場合
これに該当する。現実世界では惨めな自分が、信長となって天下を統一するという
仮想世界に生きるのが、彼らの唯一の癒し。病人だから大目にみるように。

【理論的補足】
なぜ信長厨に特有の症状かというと、単純な最強英雄願望がその底辺にある。
秀吉(信長の部下)や家康(同盟者)では、その英雄願望は充たされず、
ましてや他の戦国大名は、信長に仮託した自分の攻撃対象にすぎないから。
ついでに付記すれば、信長が天下統一の途上で斃れたことも影響している。
信長が生きていれば、この閉塞感のある世界も変わっていただろう・・・・、と
0255人間七七四年2007/02/19(月) 02:59:35ID:xjtDUzj+
それって信長だけじゃなく全ての信者にいえるよな
0256人間七七四年2007/02/19(月) 04:12:01ID:DfBoaWdj
>>198
>その手のパフォーマンスを勝因の主にする考え自体がおかしいと思う。
>勝因の主は、政治的なものや数学的なものだ。
たしかに多くの場合はそうだ。
しかし数理だけでは今川があそこまで惨敗することを説明できない。
計算だけで成り立つシミュレートではあのような結果には何度やってもならない。
人間とマシンでは根本的に違うから当然だ。

監督の気合うんぬんはまったくナンセンスだ。
状況とタイミングでいつも結果は違う。
普段の練習と素質を否定してるんじゃなくて、それだけじゃないということ。

0257人間七七四年2007/02/19(月) 13:29:41ID:JnqxRDB5
例えば、任天堂の前社長は自分の成功は運がいいからと言ったらしいが、
これを額面通りに受け止めるのは違うだろ

全ての手を尽くす事は何をするにしても前提条件
その上での気合い入れだし、運であると
0258人間七七四年2007/02/19(月) 17:13:52ID:3y+iDhMj
常勝軍師横井軍平のおかげです
0259人間七七四年2007/02/19(月) 18:37:46ID:TENj7gbj
>>全ての手を尽くす事は何をするにしても前提条件
いいこというなあ
命をやりとりする戦場なら、なおさらそうだろう

0260人間七七四年2007/02/19(月) 19:08:49ID:SunJtUzj
気合っつーか精神状態やモチベーションはそれはそれで大事だよ、
戦争ならなおさら重要要素でしょう。
0261人間七七四年2007/02/19(月) 21:27:50ID:sxlyh/y6
義元が自ら陣頭指揮したと思われる戦ってほとんど無いんだね、史料も
何も残っちゃいないんだよwww
0262人間七七四年2007/02/19(月) 21:47:46ID:qNRqMDCi
メガトン出てきてから謙信玄厨房が消えた・・・。
0263人間七七四年2007/02/19(月) 21:57:00ID:IvKzS5Z6
と言うか義元はだ、織田領内に侵略して来てる訳だ。
織田軍の動きには細心の注意を払っていて当然だ。
偵察も多数放っているはずだよな。
いかに楽勝ムードで気が緩んでるにしてもそういう体制を取っていなかったはずがない。
目の前に現れるまで二千の兵が動いている織田の動きが全く分からなかったなど有り得ない話だろ。
0264人間七七四年2007/02/19(月) 21:57:42ID:qTN8KbaQ
>>263
ヒント:その日は雨
0265人間七七四年2007/02/19(月) 22:34:55ID:IvKzS5Z6
まあ野球なら雨で試合中止だろうがw
しかも雨が降り出したのは戦い直前だろう。
そもそも善照寺砦に織田軍が集結した時点で斥候からの情報が
入ってて当然じゃないのか?
0266人間七七四年2007/02/19(月) 22:41:10ID:IvKzS5Z6
ちなみに河越夜戦も幻ではなく史実だぞ。

「行伝寺過去帳」
「二十日
  仏身院  上杉五郎(朝定)殿
  善銀    難波田殿
  蓮順    天文十五、四
        上田小三郎
(欄外)
河越一戦討死弐千八百廿余人天文十五年丙午四月」
0267人間七七四年2007/02/19(月) 23:18:23ID:gEf7UeT8
ただ、発生年が欄外のためにあてにならないって事じゃないの?
0268人間七七四年2007/02/20(火) 01:25:38ID:eRV26dWw
つーか時期や過程が曖昧で未だ謎があるというだけで、
河越で北条氏康・綱成が関東連合軍を破ったって事自体に疑問の余地は無い、
じゃなかったら短期間に死んだ連中、追い出された連中の立場が無い。
0269人間七七四年2007/02/20(火) 18:58:03ID:vfyL0ibJ
河越野戦と今山の戦いは似ているが他にもあるかな
0270人間七七四年2007/02/20(火) 20:09:33ID:5ifExbdj
上田合戦を忘れてた
0271人間七七四年2007/02/20(火) 20:26:54ID:51p0Bf7p
黒駒合戦 北条1万対徳川2千
0272人間七七四年2007/02/20(火) 22:40:28ID:EZqxkUVz
中新田の戦い ●伊達政宗10000 対 ○大崎義隆1500
0273人間七七四年2007/02/21(水) 00:21:22ID:xYYVdUTw
>>270
籠城戦は例外だな。
一定期間持ちこたえるうちに攻城側の政治的事情で解囲された例を挙げて行ったらキリがない。
0274人間七七四年2007/02/21(水) 01:09:24ID:U1F3bDiQ
>>273
篭城なんてしとらんけど?
城を拠点とした機動防御の短期決戦じゃん。
0275人間七七四年2007/02/21(水) 02:38:01ID:QKaFvJLe
吉田郡山とか今山とかキシュツだし、最終的に打って出て勝てばいいのでは?
まてよ、上田の場合1次2次共最終的に撤退したのは外部要因だな。
これをどう扱えばいいかな?
0276人間七七四年2007/02/21(水) 19:36:31ID:eXrUhlNB
戦略的なことはヌキでいいんじゃないか
0277人間七七四年2007/02/22(木) 01:11:54ID:cTkkX8CQ
つーか外部的な要因が全く絡まない合戦なんて無いし、
ゲームじゃあるまいし、篭城だからとかは所詮条件の一つに過ぎん。
0278人間七七四年2007/02/22(木) 12:22:03ID:pjOh8o1l
兵力的に敵に劣るなら防御地形の利を生かして敵の攻勢を阻止し
政治的変動、あるいは敵の経済的疲弊を待ち、目的を達成する。
戦理にのっとったまともな武将のまともな勝ち方だ。
ただ、このスレはまともじゃない方法で勝った希有な戦例を探すスレじゃないのか?
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