紀元・暦法を集めるスレ
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0001世界@名無史さん
NGNG幅広く語りましょう。
現役のもの、マイナーなもの、非公式なものまでいろいろどうぞ。
0265世界@名無史さん
NGNG春分基準で明確。
現行のグレゴリオ暦では定義してないだろ?
0266世界@名無史さん
NGNGあやめ先生が、暦について授業をしていると
ガキA「先生、スリーサイズは?」
ガキB「なぜ、結婚しないの」
ガキC「……(ガンバレあやめ先生)」
0267世界@名無史さん
NGNG逆に日付けが一日分ジャンプしたりするんだよね。
月の末日は30日でごく稀に29日の日付けで終わるけど31日というのはない。
それなのに年間の日は合計365日か366日ちゃんと計算あうんだよなー。
合理的なのか非合理なのかよくわからないとこが面白いね。
0268世界@名無史さん
NGNGインドの太陽暦の影響を受けているんですよね。
意外にも広大な範囲で使われているのね・・・
0269世界@名無史さん
NGNGしかも今やイスラム大国になったインドネシアでも健在だそうです。
0270あやめ
NGNG余裕が出来たので久しぶりで顔出ししました。時恰も立春なので暦の話題です。
>>267
インドやチベットの暦に欠日や余日が出現する事情について書きましょう。
インドの暦法で日付を決定する基準は朔から次の朔までの時間を30等分した
"Tithi"です。Tithiは合朔の時刻を0として太陰(お月様)が白道上を12度
移動した角速度を1単位とし、その順番に暦日を対応させるシステムです。
暦日は日の出から始まり次の日の出までが1単位日です。そこである日の
正午ころに合朔が発生したとすると、翌日の正午より少し前くらいの時刻に
第1のTithi(以下では「T1」と表示します)が終わります。このT1の終了
時刻を含む暦日を当該月の第1日とします。
ところで朔望月の長さには変動があるのですが、平均値は29.530589日(29日
12時44分02.878秒)となっており、Tithiの平均値は凡そ23時37分
28秒です。通常の暦日は24時間ですからTithiの替り目の時刻は漸次繰上り
遂には1暦日中の早朝と深夜と2回Tithiの終了が発生することがあります。
0271あやめ
NGNG発生したような事例では、暦日は先に発生したT25に対応した日付で規定され
第25日となり、翌日はT27に対応して第27日とされます。
つまり1暦日中にTithiが2回含まれる事例では後発の方は無視されてしまい、
これを"Kshaya Tithi"「欠日」と称します。逆に次のTithiが翌日でなく翌々日
発生するような事例もあるようで、この場合は同じ日付が2回連続するわけで
"Adhika Tithi"「余日」と呼ばれています。
インドの暦法は複雑で閏月ばかりでなく「欠月」も存在します。これについては
後日に書くことにします。
0272世界@名無史さん
NGNG0273世界@名無史さん
NGNG合理的な10進数を採用するため、1年を10か月に分ける。
月の名称は0月から9月までとし、偶数月を37日間、奇数月を36日間とする。
ただし、閏年は最後の月である9月も37日間にする。
月と同様に、日も0日から数え始め、35日または36日で数え終わる。
1年の始まりは0月0日であり、1年の終わりは9月35日(平年)または9月36日(閏年)である。
七曜は宗教的にどうしても必要な場合に限定して採用し、公機関または
民間企業を含む一般生活においては廃止する。
その代わりに、5日または10日の周期を採用する。
日付の末尾が4または9の日を休日とし、3または8の日を半休日とする。
また、月末の35日、36日も休日とする。
合理暦を採用する場合、同時に合理時制も採用する。
合理時制は1日=10時、1時=10刻、1刻=10分、1分=10厘、1厘=10秒とする。
月日と同じように0から数え始め、1日の始まりは0時0刻0分0厘0秒であり、
1日の終わりは9時9刻9分9厘9秒である。
ただし、慣用表記として、時分秒のみの表記(0時00分00秒)も認めることとする。
0275世界@名無史さん
NGNGユリウス通日の起算点である紀元前4713年(-4712年)を0年(1年ではない)とする。
今年(2004年)は2004-(-4712)=6716年
0276世界@名無史さん
NGNG0277世界@名無史さん
NGNG↓こんなのもあるよ
ttp://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/univunit-j/j23.pdf
0278世界@名無史さん
NGNG合理的にするなら月や時分秒なんて単位(゚听)イラネ
2004/1/1 00:00:00 => 2004年0日
2004/3/4 23:30:00 => 2004年63.979日
0279世界@名無史さん
NGNGロシア正教会は現在でもユリウス暦。したがってクリスマスは一月七日。
イギリスもプロテスタントなので最初は抵抗し、1752になって変更。
アメリカにおける英植民地も同様で、新旧二つの暦の併用される事態がしばらく続いた。
わざわざ旧暦old style=OSと新暦new style=NSなどと
付記して区別つけることも行われた。
イギリスは1752の9月2日からいきなり14日になったため
ただでさえ混乱したのに、地主などが11日分の地代を払い戻さずに
取りたてたせいで、ついには暴動まで発生した。
0280世界@名無史さん
NGNGイギリスでは年初も3月25日にあったらしいね。
24 Mar. 1701の翌日が25 Mar. 1702になる。
これを日本語で書くと、「1701年3月24日の翌日が1702年3月25日」というものすごい混乱を
引き起こすことになるが、西洋では月を数字で呼ばなかったから混乱は少なかった。
1752年にグレゴリオ暦に改暦するときに、同時に年初を1月1日に改正したから、
イギリスの1752年は3月25日から12月31日までで、途中で11日除かれたから271日しかなかった。
ちなみに、ユリウス暦をグレゴリオ暦に改暦するときに、ローマの10月15日とか
イギリスの9月14日のように中途半端な日付を選んだのはキリスト教の宗教行事と重ならない
時期を選んでいるらしい。
もっとも、ベルギーなどでは1月1日に改暦したため、クリスマスがなくなったりしたようだが(藁
ttp://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/when/when2.html#6
0281世界@名無史さん
NGNG0284あやめ
NGNGJulian period を起点とする紀年は存在するんです。
但し4713B.C.を0年として翌年から起算するのではなく、直ちに元年としています。
従って今年はこの「ユリウス紀元」では6716年ではなく6717年となります。
一般に暦法関連の書物やサイトでは必ず「ユリウス日」について説明してありますが、
「ユリウス年」について触れたものは稀なようです。書籍としては渡邊敏夫著「暦」
(「西暦1937年はユリウス週期の1937−(−4713)=6650年に当たるのである」)
サイトとしては下記のものが僅かに見かける程度です。
http://eric.home.sprynet.com/Julian.htm
"1998 is the year 6711 of the Julian Period, since 6,711 years have elapsed
since the year 4713 B.C. The Julian Period will be completed in the year 3267,
which is 1,269 years from now, and 7,980 years after 4713 B.C."
ということなので、インドのカリユガみたいな回帰紀元の一種です。
0285あやめ
NGNG多分そうなんだろうと思ってたんですが実際はそう単純じゃなく、毎年の末には
来年の元日はいつなんだか各宗派でもめるらしいです。
通常の公式行事や生活はグレゴリオ暦でやってるようですが、更に日本や支那の
太陰太陽暦も行われてるらしく、ややこしいから一本にまとめてくれという声も
あるんだとか。
http://www.mopi-npo.com/mopitusin-28.htm
ここの「ウランバートル特派員報告」のとこを読んでください。
0286あやめ
NGNGユリウス暦からではありません、スカリゲルが叔父さんの名から採ったもの
なんです」という断り書が付いてます。
でもお父さんとかじゃなく叔父さんていうのが何か不自然。よほど大恩ある
叔父さんなのかもしれないけど(あやめも叔父さんちに厄介になってるので
解からなくもないけど)、その辺の事情が説明されたためしがない。
当時は既にグレゴリオ暦に切り替わってはいるけど、この暦元の設定は全て
ユリウス暦によってなされているんだし、その命名に当たってスカリゲルが
まるきりユリウス暦を意識してなかったとは思えないんです。
でもあくまで想像に過ぎないんだし、御本人がそう言ってるんじゃ信じる外
無いけどね。
0287世界@名無史さん
NGNG父親(叔父?)の名前がユリウス・カエサル・スカリゲルのようなので、父親の名前は
ローマ皇帝のユリウス・カエサルから取られたという可能性も否定できないんだけど。
0288世界@名無史さん
NGNG人々の時間のとらえ方が直線的になったという説を
聞いたことがあるんですが、本当ですか?
0289世界@名無史さん
NGNGそれって、円環的から直線的な歴史(時間)観っていう、よくある主張じゃん。
直線的な時間感覚への移行の最大の要因は、ユダヤ教経由のキリスト教。
天地創造→律法下→恩寵下→最後の審判
0290世界@名無史さん
NGNG36日・37日の周期って、合理性はあるの?
0291世界@名無史さん
NGNG0292世界@名無史さん
NGNGケルト人達は、季節が循環的にやってくるから時間に対して循環的に捉えてたんだけど
キリスト教が普及してきて終末思想が出てきて直線的になったとかなんとか。
0293世界@名無史さん
NGNG0.1年=36.52422日だから、近似すれば36日か37日になる。
もともと、年と日の間には合理的関係(ここでは10進法の関係)が成立することはない。
したがって、年と日の間に月を作るのならば、合理的関係は年と月の間か、月と日の間にしか
成立させることが出来ない。
月と日の間に合理的関係を成立させるとするならば、1か月が10日で1年が36月と5〜6日となる。
年と月の間に合理的関係を成立させるとするならば、1年が10か月で1月が36〜37日となる。
別にどちらを採っても同程度の合理的関係が得られるが、従来の1年=12か月に近いほうの
案を採った次第。
>>291-292
インド哲学では「時間は循環するもの」と捉えられていたため、未来はすなわち過去であるので
歴史を保存するということに消極的だったとか。
0294世界@名無史さん
NGNG0295世界@名無史さん
NGNGミステリーハンターは巨乳画家の川幡由佳。
0296世界@名無史さん
NGNG20世紀になって新たに考案された「ドリームスペル暦」とでも呼ぶべきもので、
本当のマヤ文明で使われていた暦は「1か月が20日×18か月+5日」の暦が正しい。
0297世界@名無史さん
NGNGフランスの学者コントの考案したのもそれだったっけか?
0298世界@名無史さん
NGNGそう。あと、KODAKの社長のイーストマン・コダックの提案したのも28日×13月+1日の暦。
詳しくは http://personal.ecu.edu/mccartyr/calendar-reform.html を見てくれ(英語だけど)。
それから、エリザベス・アケリスが作った国際世界暦協会がHPを持っていたなんて
知らなかった。
http://www.worldcalendar.org/
これは漏れのサイトだけど、まぁ見て頂戴な。
http://onpumoe.hp.infoseek.co.jp/
0299世界@名無史さん
NGNG2006年、2012年、2017年・・・からになるのか。近いような遠いような。
0300あやめ
NGNG短所としては
1 毎月の日数と順序が不規則である。 2 年初が無意味な日に置かれている。 3 週日と暦日が変動する。
といったところでしょう。
このうち週日と暦日の変動はむしろ長所といってよいものとも言えます。週や干支のサイクルが数千年のスパンで
一定しているところに意味があって、歴史的にしばしば改変を蒙る実定暦法から独立して補証的機能を果たしており
無理に一致させる必要はないと思います。しかしこれまで提出された改暦案はこれに拘ったものが多いようです。
さて私の改暦案の核心は、太陽の運行に暦月を対応させ、かつ単純明快な月の日数配置を実現した点です。
1、置閏法は現行のものに加え紀元年数が4000及び10000の倍数の場合は平年とする
(これで1年の平均日数は365.2422となり真太陽年にかなり近似します)
2、年初は春分とする
3、平年は最初の5ヶ月を全て31日とし、その後の7ヶ月を30日とする
4、閏年は最初の6ヶ月を全て31日とし、その後の6ヶ月を30日とする
ケプラー法則により視太陽の運動は徐々に速くなり徐々に遅くなります。春分から霜降までは中気から中気までの
日数が30日強または31日強、以後次の春分に回帰するまでは29日強です。
そこで私案暦法によると中気と月初がほぼ近接することになります。そして西向く侍にお伺い立てるまでもなく
月の大小は直ぐ記憶できます。
0301あやめ
NGNG普通学歴レヴェルの常識と言ってよいでしょう。しかし最近になって織田信長の
政権による実施が計画されていたという驚愕の研究が発表されました。
立花京子著「信長と十字架」(集英社新書)によると天正十年末に予想される閏月
問題について、当年十二月の次に置くべきか翌年正月の次かの吟味に信長は或る
申入れを朝廷筋に行っている、これについて関係者の対応には困惑が伺われる、
これは単純な置閏のための計算といった事情による停頓とは思えないので、実は
信長はこの際において天主教国における改暦に、日本の暦制度の根本的改革をも
連動させようとの思惑を実践に移したのではないか?という学説なのです。
天正十年はキリスト紀元では1582A.D.に相当します。これでピンときた方も
おられるでしょう。そう、教皇グレゴリオ13世がユリウス暦からの改革断行に
踏み切った年です。但しこの改暦実施が日本に伝わったのは2年後だそうですが、
信長はヴァリニャーノら親近のイエズス会バテレンから得た情報によって、夙に
教皇が改暦を断行するであろうという事態を予想していたのではないか、そして
置閏の議が諮問されるタイミングを捉えて純太陽暦採用を朝廷にせまった。その
背後には日本の政権を操ろうとするイエズス会の野望があった、と立花さんは
考えるに至ったのです。
0302あやめ
NGNG彼等の目論見による日本全国統一と朝鮮への出兵まで画策していたという
展望を説き、その布石について細かく解明しています。そして信長の自己
神格化が路線の逸脱として南欧勢力から評価された結果が、本能寺の変で
秀吉に切り替えられてしまった。という筋書きを立花さんは描いておられ
説得力に唸ってしまうと同時に、一種の陰謀説には危なっかしさも感じます。
この辺は大いに語りたいけど日本史テーマなのでよしときましょう。また
立花さん本人の「出来上がり方」についても関心があるんですよね。
0303世界@名無史さん
NGNG0304世界@名無史さん
NGNG昭和でこれをやってしまうと同じ表記で2つの年を混同してしまう場合があります。
(昭和丁卯→昭和2年(1927年)、昭和62年(1987年))
これは昭和という元号が60年以上続いたからなのですが、
過去に日本を含む東洋で60年以上続いた元号はあったのでしょうか?
辛酉・甲子に改元する慣例もあったようですが・・・
0305世界@名無史さん
NGNG十干 × 十二支 =で1周期120年分を表せるのにモターイナイ気もするな。
連・会などのさらに大きな単位を挙げたのは北宋の程でしたっけ?
0307あやめ
NGNGそこで康煕壬寅が復出してしまい、恐らく後になって密かにこれはまずいという議が
あったのでしょう。乾隆帝は乾隆六十年に皇太子に譲位して翌年元日からは嘉慶元年と
号することになって復出は避けられました。しかし宮中で用いられる時憲書ではなお
引き続き乾隆年号を称していたということなので、乾隆六十三年が有りえたわけです。
なお連続使用ではありませんが元では至元という元号が世祖の代と順帝の代と2度も
使われました。これは乙亥・丙子・丁丑・戊寅・己卯・庚辰がダブってしまいました。
0308あやめ
NGNG十干も十二支も偶数なので順番に組み合わせていくと60通りしか
出現しないんですよ。
0310世界@名無史さん
NGNG> 2、年初は春分とする
ただこれをやると「どこの子午線を基準にするか?」を決めないといけないんだよね。
春分は全地球上で同時に発生するが、時間帯(および日の境目)は地域ごとに違うから。
その意味では、天文学的に関係のない現在の歳首はある意味合理的とも言える。
0311世界@名無史さん
NGNG北関東では桃の花が只今満開。
0312世界@名無史さん
NGNG0313世界@名無史さん
NGNG0314世界@名無史さん
NGNG0315世界@名無史さん
NGNG0316世界@名無史さん
NGNG>>315ってマジですか?計算とかで求められないんですか?
0317世界@名無史さん
NGNG断食月の開始・終了日を宣言する慣わしだったっけね。
あれは儀礼的なもので技術的に不可能だからという理由じゃないよね?
0318あやめ
NGNGあやめが斎藤國治さんの計算式を利用して自作したプログラムで生成したものです。
ただ天体の活動にはかなり微妙なものがあるので、天文台では観測値に準拠した
確実な時刻を前年二月に発表することにしてるんです。そこまでしなくても日付の
数千年先までだって可能です。但し午前0時前後に発生する現象はちょっとの差でも
日付に影響してくることになります。
あやめのプログラムによる計算値はほぼ最大でも30分以内の誤差に収まってるはずです。
0319あやめ
NGNG旧暦でも太陰月と太陽月という観念があります。普通の旧暦の暦月は太陰(月)の
運行に基づく太陰月ですが、二十四節気に基づく太陽月というものがあって、
立春から啓蟄までが「孟春之月」それから清明までが「仲春之月」立夏までが
「季春之月」芒種までが「孟夏之月」というように、二十四節気の奇数番目の
間で12区分したものが太陽月です。
季節に一致するのは太陽月であって太陰月は少しづつずれるので、閏月を挿入して
調節しているのです。
0320あやめ
NGNG各地の標準時の基準子午線によって決められる時刻で春分現象発生の瞬間を含む
日を「春分の日」として宜しいんじゃないでしょうか。最大でも1日の差を越える
虞れはないはずです。
0321世界@名無史さん
NGNGということは、その暦を使っている国の時間帯ごとに元日がずれるというわけね。
例えば2006年の春分は日本時間(UT+9h)では(グレゴリオ暦で)3/21の午前3時くらいだけど、
ヨーロッパ標準時(UT+1h)では3/20の午後7時くらいになる。
つまり、春分を厳密に元日とする暦を使うと、日本では3/21が元日になるが、
ヨーロッパでは3/20が元日になる。
春分自体は全地球上で同時に起こるが、「春分の日」の始まりは各時間帯ごとに異なるため、
ヨーロッパのほうが日本よりも早く「春分の日」が始まるということもありうる。
これは、東経180度付近以外の場所に日付変更線が出来る可能性もはらんでいる。
なので、実際の各地域の時間帯による「春分の日」を元日として決めるのをやめて、
UT(いわゆるGMT)による日付で、その日付のうちに春分が起こればその日付を
(全世界共通で)元日とする…というのがよいと思う。
2006年はUTで春分が3/20午後6時くらいに起きるから、全世界で3/20の日を元日にする。
こうすれば、東経180度付近以外の場所に日付変更線が出来ることはない。
0322世界@名無史さん
NGNG春分の「だいたいの時間」は計算によって、数千年先のものまで決められるのは
あやめさんが書いている通り。
前年2月にならないと春分の日が法律上決まらないのは、春分の日を「正確な時間」によって
決めているから。
別に法制上春分の日を「正確な時間」にする必要はないし、「だいたいの時間」を100年くらい先まで
計算し、正確な時間とのずれがあっても「だいたいの時間」のほうを採用するとしてもかまわない。
いや、むしろ暦日と一致させて「3月20日」と固定してしまってもそれなりの利点がある。
この国の法律上において春分の日(と秋分の日)を「正確な時間」にするのにこだわっているのは、
国名に太陽を表す言葉を入れ、国旗にも太陽を図案化したものを入れている国として、
「太陽に忠実でありたい」というこだわりの表れなのかもしれない。
0323世界@名無史さん
NGNG現行のイラン暦もそうだね。
0324世界@名無史さん
NGNGイスラムは完全に太陰暦のままだが
0325世界@名無史さん
NGNGヒジュラ暦はイスラム圏では公式的な暦の一つで、
>>323氏が指摘した通り地域によってイラン太陽暦とか西暦とかも併記する場合が多いみたい。
歴史的にはヒジュラ暦以外でも収税や農業上の関係から、天体の運行から季節をの推移をはかる農事暦とか使われいて、
イスラム世界がプトレマイオスの『アルマゲスト』などの翻訳を始めとしてギリシア・オリエント・インド天文学を土台として独自に天文学を発達させたのは、
ヒジュラ暦の正確な制定のほかに、ヒジュラ暦以外の農業や占星術などに使うため正確な天文学的情報を欲していたことがあったんだとか。
例えば地域ごとの太陽暦は、イランだとイルハン朝のハーニー暦とか、シリア・パレスチナだとシリア教会のシリア暦が使われてたりしてる。
0326世界@名無史さん
NGNG0327あやめ
NGNG頼りになると、やっぱり太陽暦でしょう。牧畜だって草が青くなるなる
時期とか気になってきますからね。
0328世界@名無史さん
NGNG明滅亡後の朝鮮の「崇禎後」ってどうよ?
0329あやめ
NGNGずっと延長して使用してたものです。
0330世界@名無史さん
NGNG崇禎元年からカウントしているのか、
明滅亡からなのかどちらなの?
用例を調べた「崇禎後五甲子」みたいに
干支を用いているものしか見つけられなかった。
0333あやめ
NGNG改元が必要ですが、改元ということは元号を改めることですから当然ながら
新しい崇禎とは別の元号を建てることになります。朝鮮は中華皇帝の臣下に
過ぎませんから建元の権限はありません。まして朝鮮王の臣民が勝手に別の
元号を用いることはできません。「○○後元」などという元号は制度上は
ありえませんし実例もないでしょう。「崇禎後何年」というのは紀年では
なく一般的表現として、「親父が亡くなってから十四年目だ」というのと
同様の言い方でしょう。もし紀年としての用例なら崇禎十七年の翌年から
十八年・十九年と唱えることになります。「崇禎後五甲子」といった表現を
しているということは紀年によるきちんとしたカウントを避け、大雑把な
数え方で済ましているものと思います。
0334世界@名無史さん
NGNGでは具体的にはどんな風なのか調べようと思ったけど、
連休で図書館が閉まってるものだから、ネットの検索で我慢したわけ。
でもほんの少ししかヒットしない。
「潘家園的傳説」ってページに「崇禎後五甲子」という用例が、
『熱河日記』に「後三庚子」とあるぐらい。
どうも感じがつかめない。
「崇禎十八年」みたいな普通の表記やその他の用法があったら教えて。
0335世界@名無史さん
NGNG別に農耕でも月とか日とか数を読む暦は必要ないし、遊牧でも季節感覚は必要だよ。
あまりにも無知だな。
暦が必要なのは、統治の為だ。
古代はどこの地域でも例外なく神権政治だから占いが必要だし、徴税、外交、戦争の
為にはきっちりとした日付が必要だから、暦を作るよ。
農業があって気候に季節があっても統治機構が無いところには暦は無かったし、
季節がなくても統治機構があれば暦は発達する。
0336あやめ
NGNG「熱河日記」は乾隆中の記録ですから「後三庚子」は乾隆四十五年(1780B.C.)に
相当するわけですが、遡って「後二庚子」を求めると康煕五十九年(1720B.C.)で
「後一庚子」は順治十七年(1660B.C.)となります。崇禎の世が過去のものになって
三度目の庚子の歳という意味の表現でしょう。やはり存在しない年号で毎年ごとに
シリアルに年数を追うというのも不適切と思ったためと考えられます。
0337あやめ
NGNG0338あやめ
NGNG0339あやめ
NGNGように既に滅亡している王朝と一緒にはなりません。
「熱河日記」の序には「曷(な)んすれぞ後三庚子と爲すや、行程陰晴を記するに
年を將(と)りて以て月日を係くれば也、曷んすれぞ後と稱するや、崇禎紀元の後
なれば也、曷んすれぞ三庚子なるや、崇禎紀元の後に三たび周れる庚子なれば也、
曷んすれぞ崇禎と稱せざるや、將さに江を渡らんとするの故に之を江以外の清人に
諱めば也、天下は皆な清の正朔を奉ず、故に敢て崇禎と稱さざる也、曷んすれぞ
私そかに崇禎と稱するや、皇明は中華なれば也、吾が初めより命を受くるの上國
なれば也、崇禎十七年に毅宗烈皇帝の社稷に殉じ明室の亡びてより、今に於いて
百三十餘年なり、曷んすれぞ今に至りて之を稱するや、清人の入りて中國に主と
なりて先王の制度は變じて胡と爲る、東土を環ぐること數千里、江を畫して國を
爲す、獨り先王の制度を守るは是れ明室の猶ほ鴨水以東に存するを明らかにせんと
すれば也、力は以て戎狄を攘除し中原を粛清し以て先王の舊を光復するに足らずと
雖も、然れども皆な能く崇禎を尊びて以て中國を存すれば也」として、末段には
「崇禎百五十六年癸卯、洌上外史題」と署しています。
これで朴趾源の志の在るところと紀年の趣旨は明らかです。
0340あやめ
NGNG0341あやめ
NGNG0342しゃが
NGNGhttp://www.yonemura.co.jp/zukan/zukan-f/kaindex/z-ayame.htm
暦とは関係ありませんが・・・
0343あやめ
NGNG中華民國が承認されている政権であるか否かは目下のテーマではなく
事実として存続しているか否かを前提として議論しているのです。
0344あやめ
NGNGあやめ名義のレスはニセあやめと思ってください。
只今の時刻は23時59分です。明日からは来ません。
0346誤女
NGNG0348世界@名無史さん
NGNG0349世界@名無史さん
NGNG命日がズレたら御先祖さんは困るだろけど。
0351世界@名無史さん
NGNG元日は9月の下旬だったかな。
19が聖数なため。天体の周期が背景になっている様子はなさそう。
0352世界@名無史さん
NGNG0353世界@名無史さん
NGNG0354世界@名無史さん
NGNG「年令」とは、暦を決める役所の長官のことでもある。
0355世界@名無史さん
NGNG登場するのは太陽・月・金星くらいですかね?
0356世界@名無史さん
NGNG0357世界@名無史さん
NGNG0359世界@名無史さん
NGNGと言ってもあふぉが自分のあふぉをまっとうに考えられたら、あふぉじゃなくなる
わけだから、こりゃ無理な注文だわな。では言って聞かそう。
まずあふぉ当人が「年令」とは「暦の法律」だとか「暦を決める役所の長官」のことだとか
本気で思い込んでるとしたら余りにも無知すぎる。まさかそこまで大あふぉじゃあるまい。
とすると「令」に「法律」とか「長官」とかの意味があるのに引っ掛けてネタ振りして
受け狙いしたのか、というところだろう。
しかしネタを活かすキメが欠けてるので空振りに終わらざるを得ない。
坊や判ったかい。
0360世界@名無史さん
NGNG0361世界@名無史さん
NGNGバハーイー暦というのが判らなかったので調べて回ったら、やっと発見
http://www5a.biglobe.ne.jp/~oneworld/glossary4.htm
0362世界@名無史さん
NGNG要するにクーデターを起こしているんだよなぁ。
で、善良なるものを排除ねぇ。
日本がそういっているだけの話。
殺害された事で抗日運動がおこっているんですけど。
0363世界@名無史さん
NGNG0364世界@名無史さん
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