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豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2

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0001人間七七四年2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO
豊臣(羽柴)秀吉が一代で築き上げた豊臣政権は秀長や利休などの
身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう

次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします

前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/

過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0082人間七七四年2021/08/14(土) 18:43:50.35ID:L5MooL3W
へー、藤木久志そんな論述してるんだ
そこだけ切り取ると随分ロマンだけで語ってるやばい人としか読み取れないな
0083人間七七四年2021/08/14(土) 18:56:51.58ID:qmMcYyN5
ついでに
黒田基樹氏『百姓から見た戦国大名』。
https://i.imgur.com/mRHhis3.jpg
0084人間七七四年2021/08/14(土) 19:04:13.94ID:L5MooL3W
少なくとも小西が上げた偽の冊封リストに激怒した後、改めて秀吉が作った冊封リストがあることからも
秀吉がかならずしも慶長の役まで君の言ってるその海外で戦闘することが目的であるが続いてるとは頷きづらいな
0085人間七七四年2021/08/14(土) 19:44:06.67ID:Bt7XHFEH
>>75
小西の娘婿だった宗氏はその後徳川政権になっても
家光の代まで国書偽造を続けたとさ
0086人間七七四年2021/08/14(土) 20:20:03.51ID:NLN3viVU
>>81
申し訳ないがその本の戦国認識はもう古い、相当古い。
0087人間七七四年2021/08/14(土) 20:34:04.44ID:qmMcYyN5
>>86
わかった。
2006年の著書だからこれが「古い」のはその通りとして、新しい認識だと;
イ) 「戦国」の定義は何か
ロ) 戦国状況は何故発生したか
ハ) 戦国状況は何故継続したか
ニ) 「戦国」は如何にして止揚されたか
の四点がどういうものになるのか御教示願いたい。
特に四点目は当スレの主旨に直結するものだから、是非。
0088人間七七四年2021/08/14(土) 22:30:24.57ID:d70l7L/s
>>76の「惣無事」理解が古いってことだろ、たぶん
たしかWikipediaにも藤木説への批判が載ってたよ
0089人間七七四年2021/08/14(土) 23:49:57.06ID:dTU6GmSf
>>88
その藤木説を流用してさらに酷い解釈したのが井沢元彦や百田尚樹、
 総無事令は明冊封体制打破して日本新秩序によるアジア解放のためだ、
と(´・ω・`)
0090人間七七四年2021/08/15(日) 00:05:29.81ID:GET26mK0
>>88
キ印ホイホイのwikiは読みたくないが、読んだ。
これは惣無事「令」を巡る法規論の対立ですな。
要は形式論。

形式がどうあれ「豊臣」権力体がその超越的暴力による制圧(北條等)、恫喝(島津等)を通じて下位権力体群の暴力を封鎖した事実には変わりはない。
またそれ故にこそ「異なる手段における暴力の継続」(クラウゼヴィッツさんごめんなさい)とワンセットじゃなきゃならなかった、
という藤木説の本質に影響を与えるものではないんじゃないか、と。

これよりは、市村高男氏あたりがムキになって力説する権力者主導論=「喰う為の戦争」論否定の方がまだしも説得力がある。
0091人間七七四年2021/08/15(日) 00:06:50.78ID:GET26mK0
>>89
馬鹿が伝染りそうだから百田や井沢には触りたくない。
0092人間七七四年2021/08/15(日) 00:22:11.38ID:5YRoJLc4
朝鮮出兵とか阿保なことをやってるから、
ダメになった!
よって糞吉<<家康
0093人間七七四年2021/08/15(日) 01:16:36.76ID:Aa7suwnr
>>90
>暴力を封鎖 ←どういう意味?
0094人間七七四年2021/08/15(日) 01:19:33.53ID:GET26mK0
>>93
「暴力」という術語の定義から説明する必要があるのか、
それとも、
 

 
 
 
 
釣りか?
0095人間七七四年2021/08/15(日) 01:26:42.66ID:Aa7suwnr
えーと、、、じゃあ聞き方を変えよう
「封鎖」ってのは辞書とおんなじ意味で使ってんの?

[名](スル)
1 出入りまたは出し入れをできないように封じ閉ざすこと。「出入り口を封鎖する」「国境封鎖」
0096人間七七四年2021/08/15(日) 01:57:05.63ID:GET26mK0
>>95
その通りですな。

惣無事はまた「喧嘩停止(ケンクワチヤウジ)」とも表現された。
必然か偶然か、喧嘩のことを「出入」と云う。
正に出入を止めること。
即ち、理由の如何を問わず戦争行為そのものの禁止。
日本国内における暴力発動主体は「豊臣」権力体以外には存在させないということ。
0097人間七七四年2021/08/15(日) 02:02:44.05ID:GET26mK0
附記。
敢えて封鎖という語を使ったのは、
暴力装置はそのままにその発動を封じ込めるという意味も込めた。
「収奪・独占までは…」というくだりで察しはつくと思うが。
0098人間七七四年2021/08/15(日) 16:25:23.09ID:Aa7suwnr
証拠不十分なのに前のめり過ぎ、という感想しかないな
特に>>90の又書き部分とかそれってあなたの(ry
0099人間七七四年2021/08/15(日) 16:57:09.12ID:GET26mK0
>>98
>>79の写真の「むしろ国内の戦場を」以下のくだりを読めば藤木氏の論の核心部分であることは解ろうものを。
写真は同書の中の摘要部分であって実際にはかなりの紙数を費やして詳説している。

ついでに一言。
5ちゃんねるに於ける混ぜっ返しの常套句として「それ、あなたの感想ですよね」というのが乱用されているが、愚かなことだと思う。
情報提供スレ等ならばともかく、
当スレのような議論・考察スレで、どんなに稚拙だろうが浅薄だろうが自分の考えを自分の言葉で語らずしてどうしようというのか。
たとえ権威の説を引用しようともそれを咀嚼して内化した上で書くのがむしろ正道ではないのか。
0100人間七七四年2021/08/15(日) 17:07:14.08ID:GET26mK0
>>98
では当方からも質問。
証拠「十分」なところで考えられる豊臣権力体による天下一統の構造とは?
またその崩壊の構造とは?
貴論を伺いたい。
0101人間七七四年2021/08/15(日) 17:14:30.95ID:ARi8vwyj
自分の考えよりはまず何が主張の根拠になってるのかのが重要
それなしで自分の考えお出しするようなのはそもそも議論ではないかな
むしろ摘要部分ではなく詳説の部分が重要よね、筋道こそが重要なんだから
0102人間七七四年2021/08/18(水) 04:19:20.15ID:+FPGgiGU
うるせえ例え話すっぞコラ
0103人間七七四年2021/08/18(水) 07:53:19.10ID:/qxXa67r
朝鮮遠征が豊臣政権に必須だったかはともかく、敗戦の途中で秀吉が亡くなってしまって後処理が大変だよな。
ある意味家康でさえ後処理を失敗して、関ヶ原を招いているからな。意図的かどうかわからないけど。
並大抵の手腕では解決できない。
0104人間七七四年2021/08/18(水) 09:05:19.61ID:8OCT2xRu
そりゃ秀吉は唐入りについて何も言い残さず死んでるし政権の内部抗争で足の引っ張り合いはあるし
戦争の元凶である豊臣の看板のままじゃ撤兵まではできても和平交渉は難航するでしょう
むしろ関ヶ原で家康が勝って対抗勢力が一掃され
明と冊封関係を結んだことがあり印象が悪くなかった源氏将軍になったことで交渉が進展したのでは

この家康の将軍就任、朝廷からのプッシュ相当あったと思うなぁ
明朝鮮からの報復恐くて早く和平交渉進めてほしかったろうし
0105人間七七四年2021/08/18(水) 09:40:15.29ID:0Bt8DGyU
一応言うと、源氏姓自体は秀吉の意向で秀吉生前からなってるからね
0106人間七七四年2021/08/18(水) 12:40:05.34ID:DTbvejZH
>>104
秀吉が死んだ後は地獄の日程だからね。
日本には明・朝鮮人が居てそいつらが秀吉の死を本国に報告する可能性が高く、また朝鮮には明軍数十万が集結して日本軍を踏み潰そうとしているという情報もあった。
この中で家康筆頭の政府は「日本が敗走したという形にならないように撤退」するよう指示。
その結果島津が海戦で李将軍を粉砕した。
更に島津が交渉担当になって終戦交渉が始まる。
朝鮮には外交官姜より「日本の主導者は秀吉とは関係ない源家康になった」報告が入り交渉は始まったけどうまくいかない。
その内、明・朝鮮が対馬を攻撃するとの噂が流れたりするも、日本も「家康が都合の悪い前田利長・上杉景勝を朝鮮に出兵させる」と情報戦を展開する等ごたつく。
最終的にはなんとか収まったが。
0107人間七七四年2021/08/18(水) 13:56:38.21ID:FMgvtCuF
>>1
石田三成の台頭だろうね
関ケ原の戦いでも三成がいなければ豊臣軍は負けなかった
西軍VS東軍の構図は間違いで実は三成VS反三成勢力だった
0108人間七七四年2021/08/19(木) 00:06:05.20ID:NjE6uhHz
>>106
明にそんな余力は無いんじゃないかな
ただでさえ財政状況が悪かったのに朝鮮への援軍でより悪化したし
なにより日本との戦いに気を取られてるうちに満洲のヌルハチの強大化を見過ごしてしまったのが痛かった
0109人間七七四年2021/08/19(木) 00:20:39.49ID:e+Gz/Bfu
明自体は実際余力ないだろうけど
日本側からはそんな内情わからないからね
実際どうかとどう見られてたかはこれまた別
0110人間七七四年2021/08/19(木) 00:31:04.36ID:e1J9zeci
>>107
浅いなあ。
>>1への答えとして「石田の台頭」を挙げるなら、
何故それは起きたのか?
石田は「豊臣」権力体の中で如何なる機能を担う装置だったのか?
それを必要とした権力体の構造とは?
その構造は何に根差すのか?
−−と考察を進めなければ原因を論じたことにはならないだろうに。
0111人間七七四年2021/08/19(木) 00:32:56.83ID:NjE6uhHz
でも秀吉死後の諸大名の行動とかみても
その辺りの危機感が余り感じられないような
0112人間七七四年2021/08/19(木) 05:03:17.11ID:iib3BFZP
>>43
これが難しいね。
秀次自身が諦めても、秀次が率いるこういった連中が諦めない

木村重これ、前野長康、池田輝政、田中吉政、前野景定、白江成定、
熊谷直澄、粟野秀用、一柳可遊、一柳直盛、服部一忠らが引退を許さない。

だから、内紛になる可能性は高いと言わざるを得ない。
0113人間七七四年2021/08/19(木) 05:50:42.39ID:1ygGxTBw
秀頼が元服の年齢まで無事成長したとしても秀次まだ40くらいやしな・・・
0114人間七七四年2021/08/19(木) 05:52:02.38ID:VHXQDnCz
>>112
ただ、結果論になってしまうが宗家内紛の御家騒動の方が
史実の御家滅亡よりは豊臣宗家存続の可能性はかったように思えるな
政権自体は室町と化すかもしれんが、それでも崩壊よりはマシだ
まあ我が子がかわいいってのはわかる、わかるんだが…やっぱ生まれるタイミングが
あまりにも悪すぎるよ、秀頼は
なんでよりにもよって秀次に一旦家督継承した後に誕生しちゃうかな
0115人間七七四年2021/08/19(木) 05:54:53.55ID:1ygGxTBw
>>114
明らかに高いと思うわ
なんせ秀次は跡継ぎ量産マシーンだから秀次がどうこうなっても代わりがいるから
0116人間七七四年2021/08/19(木) 06:00:33.57ID:0Ypt9aiu
>>108
ヌルハチが蜂起していたら嵩にかかった交渉も出来たんだろうけど、目立った反乱が無いと中々ね…
下手すると国内のガス抜きに日本攻撃なんてする危険性もあったし(相手が暴君ほどやる可能性高い)
0117人間七七四年2021/08/19(木) 06:33:49.33ID:2WCZeZQI
>>116
皇帝自体は政治に全く関心がない万暦帝だから
日本征服なんて考えないだろうけど
政権争い次第かな
0118人間七七四年2021/08/19(木) 11:30:01.58ID:llzufEzd
こんな感じの流れだっけ

秀吉が朝鮮侵攻

明が主力を出して助ける

満州族に勝てなくなる

明滅亡
0119人間七七四年2021/08/19(木) 15:02:43.38ID:SXOoxviZ
>>118
単純化しすぎ。明滅亡の直接的な原因は崇禎帝の時代の全国的な飢饉によって国内に多くの反乱が
起こったことであり、明を亡ぼしたのは李自成。秀吉の朝鮮出兵も清の勃興も明にとっては基本的には
辺境の出来事でしか無かった。
0120人間七七四年2021/08/19(木) 15:32:47.26ID:llzufEzd
>>119
そうか
うろ覚えだったわ
0121人間七七四年2021/08/19(木) 16:42:55.31ID:CJyd3eS/
秀次が生きていたら、秀頼成人後に権力争いが起こる、と思い込んでたけど、
関白を秀頼に譲って太閤になった後で、いわゆる大御所政治を続ける選択肢もあるな。
秀頼が秀次を誅しようとしない限り、何も起こらないだろうし、秀頼が決起しようとしたところで、
秀頼付きの老臣がいない状況ではなにもできないだろう。
それとも、秀次グループとは別の秀頼家臣団を秀吉が準備するかな?
でも、豊臣家の直臣で残っているメンバーがいない。
前田をお守り役にして宇喜多とか小早川とかを側近につけて置く?
そうしたら秀次家臣団と勝負になるだろうか
0122人間七七四年2021/08/19(木) 22:15:41.57ID:UBAiOFdO
秀次政権だと、いわゆる5奉行が参加出来ないから‥
関ヶ原と同じことが起きるかもね。

関ヶ原見てもわかるけど、忠義とかよりも自分たちの都合で動いてるわけだし。
0123人間七七四年2021/08/19(木) 22:23:08.51ID:vGBxL1aV
徳川幕府でも大御所の側近と将軍の側近で溝ができたし
揉め事はあるだろうね
0124人間七七四年2021/08/19(木) 22:26:22.45ID:ppWkzTaC
>>119
明の滅亡の淵源は所謂「北虜南倭」による疲弊にあるとも云われている。
大清グルンの勃興は正に北虜そのものだし、
豊臣権力の朝鮮侵攻は亜細亜史的には「倭寇的状況」と呼称される運動の文脈で捉えられている。
明の権力中枢の主観は措くとしても、最後までこの二つの要素に祟られたことは客観的に否めない。
しかもこれらの外寇自体もまた各々の本国における飢餓貧困に起因する。
中世に於ける地球寒冷化の影響の深さ広さはまことに測り知れない。
0125人間七七四年2021/08/19(木) 22:31:52.19ID:ppWkzTaC
因みに史上最大の倭寇を発動した羽柴秀吉の晩年に於ける災害飢饉状況。
https://i.imgur.com/v3QEAJL.jpg

豊臣権力の崩壊を語るスレでこれに触れる書込が見当たらないのは如何なものか。
0126人間七七四年2021/08/19(木) 23:22:26.98ID:ulTXLrQG
>>125
武田氏滅亡は浅間山噴火のせい、と同じ着眼点、
それなら江戸初期元和の頃の東北大地震など災害多発を徳川はなぜ乗り切れたか、と論議したい
0127人間七七四年2021/08/19(木) 23:39:52.55ID:ppWkzTaC
>>126
正にそういう比較議論からこそ豊臣権力崩壊の要因が見えて来るんじゃないかな。
0128人間七七四年2021/08/20(金) 00:45:30.29ID:R9Sq4sPr
>>124
だからといって秀吉や清を過大評価しすぎるのもどうかと思うぞ。彼らの拡大は決して明の滅亡の主因ではない

>>126
> それなら江戸初期元和の頃の東北大地震など災害多発を徳川はなぜ乗り切れたか

全国的な合戦の停止による耕地の大拡大はやはり大きいだろうな。中世の慢性的飢餓状態の解消。
0129人間七七四年2021/08/20(金) 04:28:07.10ID:8v7Fwg6e
そう言えば豊臣政権の内政では江戸時代でよく聞く新田開発ってあまり聞いたことないな
検地とか石高制とか一地一作人とかは既にあるものからいかに効率よく収奪するかの施策で
農地を拡げて食糧生産を増やそうという発想が見られない
そこまでいくには統治期間が短かったのかも知れないが総じて唐入りの軍役算定のための内政って感じ
0130人間七七四年2021/08/20(金) 08:47:51.93ID:ql3GSEe6
>>122
加藤清正とかw
0131人間七七四年2021/08/20(金) 13:58:00.36ID:J+E5aDXd
>>110
浅くはないよ
石田三成の台頭と我儘のせいで豊臣の軍勢の数多くが加藤清正側についたのだからね
その加藤清正が頼りにしたのが徳川家康
西軍の多くは加藤清正側についた
だから毛利軍は動かなかったし島津義久は関ケ原でほとんど義弘に兵を送らなかった
関ケ原の敗北は多くは石田三成の行動に起因している
特に加藤清正を巻き込んでの争いは致命的だった
ここで豊臣の家臣の清正などが離れて西軍の過半数が清正側についた
その加藤清正を取り入れたのが家康だった
0132人間七七四年2021/08/20(金) 14:52:16.82ID:hmWhc95O
まずここと、この前スレで話されてたことくらいはせめて読もうか
0133人間七七四年2021/08/20(金) 15:18:19.24ID:y9Ax2x9d
>>132
やだよ
暇なニートじゃあるまいし
0134人間七七四年2021/08/20(金) 15:23:06.97ID:hmWhc95O
研究読まなそうだからせめて話がどう進んでるのか程度は掴んで欲しいけど、それすら億劫がる様子じゃなぁ
0135人間七七四年2021/08/20(金) 15:49:32.32ID:J+E5aDXd
石田三成の一番の罪は加藤清正らを敵に回したことだと思うけど
秀次の処分でも石田三成讒言説があるくらいだからね
豊臣家臣の武断派の七将の三成邸襲撃は致命的だった

この前に加藤清正に土下座して許しを請うていれば豊臣家崩壊はなかった
石田三成も関ケ原の戦いで死ぬことはなかった
0136人間七七四年2021/08/20(金) 16:35:16.24ID:myWL8OZc
加藤清正が石田三成を殺したい程憎んでいた事はあると思うが、
問題は一体何に腹立てたんだろう。
一番あり得るのは朝鮮出兵だけど、石田三成が出たのは文禄の役だけ。
偽装和睦等あり得そうな案件は多いけど恨まれるべきは小西行長で、三成は…証拠が無いからなぁ
0137人間七七四年2021/08/20(金) 18:12:25.35ID:sDERYnPm
三成の姻族で軍監だった福原と熊谷の存在とかいろいろとあったんだろうな
01381102021/08/20(金) 20:18:14.35ID:SMnS9ehA
>>131
何を「浅い」と云われたのかも解らなかったか…。

貴公が手間を掛けて並べてくれたのは全て表層の具象だけ。
「豊臣」の如き大規模統治権力体の崩壊を語るのにその構造や統治原理を考察せずに済むわけも無いし、
ましてや史料に名前が残るような特定少数のヒト個体の営為だけを眺めていても何も見えては来ない。
そういうことを云っている。
0139人間七七四年2021/08/20(金) 20:19:03.47ID:PVB6tacf
>>131
いや浅すぎてジャブジャブ池のレベル
真田太平記を読んで、得意げに戦国を語る小学生の甥っ子レベル
0140人間七七四年2021/08/20(金) 21:58:14.56ID:kzv27Jlb
織田がつき豊臣がこねた餅とか言うけど結局徳川が自力で生き残っただけだよな
三成も秀頼も何で徳川相手に戦起こして勝てると思ったのか謎なレベルの実力差
0141人間七七四年2021/08/20(金) 21:59:40.15ID:rX9Shp/u
>>138
はぁ?何言ってんの?
浅いのはお前だろうよ?

>ましてや史料に名前が残るような特定少数のヒト個体の営為だけを眺めていても何も見えては来ない。

石田三成襲撃事件の七将は秀吉の子飼いとされる城主と言うか大名で
福島正則(尾張清洲城主)
加藤清正(肥後熊本城主)
池田輝政(三河吉田城主)
細川忠興(丹後宮津城主)
浅野幸長(甲斐甲府城主)
加藤嘉明(伊予松山城主)
黒田長政(豊前中津城主)
だからな
みんな名のある武将だぞ

それプラス(七将+脇坂安治、蜂須賀家政、藤堂高虎)
の説もある
何処をどう見れば特定少数なんだよ

実際に石田三成はあちこちに逃げ回っていた
最後には家康に助けてもらう始末

どこが浅い事件なんだよ

>>139
マジでお前の方が浅いわ
逆に呆れるわ
0142人間七七四年2021/08/20(金) 22:01:31.96ID:rX9Shp/u
>>138
しかしお前は何を偉そうに人さまに意見しているのやら
マジで浅いのはお前自身なのにな
0143人間七七四年2021/08/20(金) 22:08:51.34ID:rX9Shp/u
>>1
まあ三成が豊臣方の将を敵に回さなければ家康にも負けなかったものを
豊臣方の有力武将を分断させた三成
加藤清正らを特定少数武将とか言う小学生並みのバカが現代もいるからどうしようもないけどな
01441102021/08/20(金) 22:16:09.94ID:SMnS9ehA
>>141
真性の脳味噌鏡面仕上げだったか。
たださえ浅い池を自分で干拓までしてやがる。

一言だけ忠告しとく。
歴史系の板じゃなくてゲーム板か文学板に行った方が幸せになれるぞ。
0145人間七七四年2021/08/20(金) 22:40:25.62ID:ryfgzzs+
>>140
関ヶ原は三成の発案では無い、って話もあるが兎にも角にも上杉討伐と関係しとる。
徳川はこの時点で前田も勢力下に組み込んで圧倒的な勢力になってる。この上上杉までやられたらもう反徳川勢力に勝ち目は無い。
つまり、勝算があるギリギリのラインで戦争して負けた、って話なのだ。
0146人間七七四年2021/08/20(金) 23:05:33.32ID:SMnS9ehA
>>140 >>145
もう少し鳥瞰的な視座から見たい。

関ヶ原も両度の大坂陣もそこに集った兵たちの内実や彼等がそこで何をしたかを見れば、
必ずしも石田や「豊臣」の(或いは徳川の)自由意志や勝算勘定で起こした戦争ではないと考えることができる。
秀吉期の「豊臣」権力体が封鎖した下位権力体群の暴力を解放費消する筈だった朝鮮の戦場もまた封鎖されてしまった時、
戦国状況を生んだ与件(恒常的飢餓)が変化していない以上は再び国内にその代替が求められるのは謂わば社会の「生理的」必然だった。

そこに於ける個人の資質や意志などは無視し得るノイズでしかない。
石田三成にせよ「豊臣」秀頼にせよ、ただその歴史段階に居合わせてしまった人、というだけのことだろう。
0147人間七七四年2021/08/20(金) 23:20:43.72ID:BZW0OCL2
>>146
はぁ?人をさんざんバカにした癖に
そんな曖昧な意見しか述べる事ができないとはな
アホ相手にして損したわ
0148人間七七四年2021/08/20(金) 23:23:32.14ID:BZW0OCL2
>>144
ろくな反論もなく相手を罵るだけのお前に言われたくないわ
投稿も極めてあいまいなアホのような意見しかねーし
0149人間七七四年2021/08/20(金) 23:24:31.14ID:BZW0OCL2
>>146
お前はもう少し具体的な投稿をしろよ
マジでくだらんのな
0150人間七七四年2021/08/20(金) 23:39:49.82ID:hmWhc95O
少なくとも、西軍は豊臣ではないよね
本家の信任すら受けてないし
どこまで行ってもクーデターの軍だよね
0151人間七七四年2021/08/21(土) 00:16:35.23ID:8mS8AXOc
>>141
キミの七将襲撃の話が、既に小説じゃん
元史料を教えてよ?
三成が逃げまわってたって、何に記載されてんの?
0152人間七七四年2021/08/21(土) 00:28:56.29ID:uyAtJqO3
>>151
もう>>141くんのことは放っといてさしあげなさい。
まだ中学校は夏休み、要するにそういうことだ。
0153人間七七四年2021/08/21(土) 00:33:30.40ID:gNNU6BpG
>>151 >>152
なんでこんな事も知らないバカがここにいるのかな?
小学生以下のアホが一々日本の歴史に口出すなよ
0154人間七七四年2021/08/21(土) 00:35:22.97ID:gNNU6BpG
>>146
俯瞰的とか、お前何様
なーんも知らんただの恥知らずのバカの癖に
0155人間七七四年2021/08/21(土) 00:46:18.58ID:mss2zzg3
>>146
難しい言葉を使いたいだけの馬鹿
0156人間七七四年2021/08/21(土) 00:52:23.37ID:O+nMxdpt
特に戦国時代は虚構と脚色入りまくった話が通りまくってるから、どの史料?とかどの研究?って聞かれたらこれだよって答えられる状態でいた方がいいかな
ほんとえっ、それ創作だったのかみたいなの多いから
0157人間七七四年2021/08/21(土) 01:04:31.94ID:cQDwS0uU
まあ「ストーリー」になっているものはほぼ全部創作と考えたほうが良い。
0158人間七七四年2021/08/21(土) 01:07:17.86ID:8mS8AXOc
>>153
回答になってないよ?
そういう煽りは回答してからでないとみっともないよ。
では2回目ね。
元史料を教えてよ?
三成が逃げまわってたって、何に記載されてんの?
0159人間七七四年2021/08/21(土) 01:22:17.84ID:gNNU6BpG
>>158
お前な、人様の投稿にさんざんケチつけてその口のきき方はないぞ
まずは謝罪して教えを請えよ
0160人間七七四年2021/08/21(土) 01:25:27.88ID:cQDwS0uU
>>159
お前が聞かれたことをちゃんと書き込めば相手も尊敬してくれるよ。
出来なきゃただただ馬鹿にされるだけだ。
0161人間七七四年2021/08/21(土) 01:31:35.79ID:8mS8AXOc
>>159
結局、回答できないんだろ?
予言しよう。
キミは次のレスでも回答しない(笑
0162人間七七四年2021/08/21(土) 11:50:12.45ID:JzuhhxA+
>>159
でたらめばっか言って謝罪しろってチョンか?
0163人間七七四年2021/08/21(土) 12:26:25.82ID:05Skcs02
>>158
横からだけど、
慶長四年閏三月四日に石田三成は大坂から伏見に移動していることが、言経卿記・卜斎記に記されてる。
この時、三成には伏見に公務があった形跡は無いしまた移動する理由もない。
この理由を慶長著聞集では「三成を襲撃しようという計画を知って伏見に逃げた」と記してる。
おそらくこれは真実だろう、というのが笠谷氏の主張だけど
三成には伏見に来た後立て篭もり事件を起こしてる。大坂から逃げたというのは間違いなかろう。
0164人間七七四年2021/08/21(土) 12:28:12.76ID:KPD2SlhH
>>162
石田三成邸襲撃事件も知らないバカのお前がチョンだろうが
アホは黙っていろ
0165人間七七四年2021/08/21(土) 12:46:07.61ID:KPD2SlhH
>>1 七将の三成襲撃事件なんて基本的な事を知らないとはマジで呆れる
それでよく関ケ原の戦いの勝敗の原因とか語れるよな
バカの書いた投稿なんてアホ丸出しだし 例えばこれ → >>146
0166人間七七四年2021/08/21(土) 12:50:46.86ID:UapbzAUE
おっ、久しぶりに来てみたら新キャラが登場してるじゃん
0167人間七七四年2021/08/21(土) 12:56:43.57ID:O+nMxdpt
で、その言経卿記や卜斎記、慶長著聞集らが噂を集めただけのもので信憑性に疑問があるよねって話をずっとされてた訳だけど、そこに何か進展はあったの?
0168人間七七四年2021/08/21(土) 13:18:21.42ID:KPD2SlhH
三成襲撃事件で、三成が家康の屋敷に逃げ込んだと言うのが怪しいと言うのなら理解できるが襲撃事件そのものが怪しいとか言うのはここの連中だけだろうな
0169人間七七四年2021/08/21(土) 13:23:15.97ID:O+nMxdpt
怪しいっていうか否定されてるじゃろ家康屋敷に入ったなんてのは
0170人間七七四年2021/08/21(土) 13:26:00.86ID:O+nMxdpt
世間的に常識として語られてる戦国時代の話は研究ではまるで違うことが本当に多いので
誰それの研究を基にしてますあるいはこの史料を基にしてて史料の信憑性はこう担保されてます、程度は出せないと
0171人間七七四年2021/08/21(土) 18:31:06.74ID:05Skcs02
>>167
そんなの言い出す奴は歴史が好きっていうより降霊術とかのオカルト好きだと思った方が良いよ。
この史料にはこう書いてある、っていうのを他の史料を提示して説を擦り合わせるのが歴史好き。
写真も無い時代の史料が噂話だろとか言い出したら歴史を語ることは不可能になる。
例えば三成が逃げ込んだのは伏見の自分の屋敷だった話だけどこれも「噂話」として本当は家康のところに逃げ込んだんだ!って言えるようになる
そうしたらもうメチャクチャよ。
0172人間七七四年2021/08/21(土) 18:37:04.82ID:O+nMxdpt
そのすり合わせが不十分だって話も散々されてたんでしょ?
どうして一度指摘されたことをろくに直しもしないでもう一度言い出したの?
0173人間七七四年2021/08/21(土) 18:39:29.27ID:2oZ3rl14
>>171
> この史料にはこう書いてある、っていうのを他の史料を提示して説を擦り合わせる

最近はそれに理工系の学術成果も、かな。
1990年代以降、気象学、地質学、生物学、材料工学などの御蔭で戦国時代を考えるパラダイムは劇的に変わった。
0174人間七七四年2021/08/21(土) 20:00:26.79ID:05Skcs02
>>172
史料提示してるならもうそこで主張側の仕事はお終いだし。
批判する方が史料を持ってきて初めて擦り合わせる事になる。
研究家はおろか小説家だってそうするさ。
0175人間七七四年2021/08/21(土) 20:24:58.73ID:PTPrXFGK

自分で出した史料の信頼性は検証しないのかよ
0176人間七七四年2021/08/21(土) 20:34:33.23ID:O+nMxdpt
提示する際に自分でも史料の信憑性の検証しなきゃいけないのは当たり前だし、批判してた人も襲撃側に摂州が入ってるほど噂としての信憑性の低いものを用いるなって、これまたさんざっぱら言ってたよね
それらをずっと無視してる時点で批判もろくに聞く気がない、自分の主張に酔ってるだけって言われて然るべきじゃないか?
0177人間七七四年2021/08/21(土) 21:05:45.07ID:m4n2F3SX
七将の三成襲撃事件と言うけど実際には加藤清正らは三成を捕縛しようとしただけの事
つまり実際の戦闘はないからな
日記などには書かれていないケースもあるのは仕方ないよな

まあでもいろいろなものにこの件は記述されているからな

七将の三成襲撃事件はあったとして問題なのはその七将が誰かであろうよ
七将は『関ヶ原始末記』を典拠とした説で、『徳川実紀』などでも同様の構成である。
『慶長年中卜斎記』では池田輝政が消えて脇坂安治が加えられている。
1599年(慶長4年)閏3月5日付徳川家康書状の宛所と比べてみると池田輝政と加藤嘉明が除かれ、新たに蜂須賀家政(阿波徳島城主)、藤堂高虎(伊予宇和島城主)が加えられている。

『義演准后日記』の慶長4年閏3月10日条には、石田三成の佐和山城隠居にかけて、「大名十人とやらん、申し合わせて訴訟すと云々」と記されている。

この事件は西軍のやる気のなさと中途半端な態度を取った大名らの理由つけにもなる
0178人間七七四年2021/08/21(土) 21:12:34.25ID:m4n2F3SX
『村井勘十郎覚書』
殿様逝去三日の七時より世上騒出

『言経卿記』
「一昨日ヨリ大坂ニ雑説有云」「大野伊兵衛尉大坂ヘ下向也トテイトマコイニ來了、雑説ニ付テ下也云 」(3月29日)
「石田治卩少輔入道、去四日ニ大坂ヨリ伏見へ被行也云 、今日も騒動了」

石田三成は伏見に逃げて家康により和談が成立。
三成は五奉行の座を退き、閏3月10日、佐和山城に帰城した。
0179人間七七四年2021/08/21(土) 21:22:08.32ID:m4n2F3SX
この事件は家康により仕組まれた部分がある
細川忠興はこの事件前に家康より豊後国内に6万石を加増されていた
また事件の前の年
徳川家康は同年10月から12月にかけて京極高次、細川幽斎ら諸大名を訪問した
また水面下で福島正則、黒田長政、蜂須賀家政ら武断派諸侯と婚姻関係を結ぼうとしていた。
0180人間七七四年2021/08/21(土) 21:22:18.55ID:PTPrXFGK
石田治卩少輔入道って石田は入道してたのか
大徳寺と信仰あったみたいだしそこかな
0181人間七七四年2021/08/21(土) 21:30:03.18ID:O+nMxdpt
また書かれてないことを勝手に妄想で埋めてくやつ出てくるし、なんなんだよ今日は
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