豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える2
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0001人間七七四年
2021/07/31(土) 00:27:08.92ID:v00z/gHO身内や側近の死、秀次事件や唐入り、 子飼い連中の仲違い、
大名達の家中騷動、大老や奉行の派閥争いなどなど
様々な事柄、騷動、事件等が重なった事で早々に崩壊してしまったわけですが
その要因となった事、逆に豊臣政権存続には何が足りなかったなどを
みんなで論理的に色々と考えていきましょう
次スレの提案はスレタイ案も含めて>>980くらいでお願いします
前スレ
豊臣政権崩壊の要因となった事柄、事件等を考える
http://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1619770869/
過去スレ
石田三成は本当に忠臣なの?
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1595407773/
秀吉死後の騷動・事件等を考察する
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1615889406/
0003人間七七四年
2021/08/01(日) 15:26:11.96ID:hacvwXHq豊臣政権の権力なら徳川も秀康と秀忠と四天王ぐらいに独立分割出来そうだし
島津も義久(薩摩10万石)、義弘(大隅日向10万石)、以久(種子島1万石)、忠棟(庄内8万石)、/58万石、給人分26万石+蔵入地他と分解一歩前、、、()内は直轄地
0004人間七七四年
2021/08/02(月) 23:23:46.92ID:aKvOfx54小学生でも知っとるわ
終了
0005人間七七四年
2021/08/03(火) 01:07:13.91ID:vp6lqMK7少なくとも気が弱くて秀吉に柔順とか、そういう人物ではない
0006人間七七四年
2021/08/06(金) 19:36:52.62ID:+9hPUQ+d金に対して執着してたみたいだしな
同じくブレーンだった利休も金には汚かったみたいだけど、こっちは元々商人だしな
0009人間七七四年
2021/08/06(金) 21:57:31.60ID:j0Rw08C8政権的にはそれは人望にも直結するんでかなり問題ではある、確か横領みたいな事件にもなって秀吉も冷遇することになってたしね
0010人間七七四年
2021/08/07(土) 04:16:19.12ID:sYuwmkR50011人間七七四年
2021/08/07(土) 08:31:54.00ID:Kh/6uF+Dただでさえ人材不足の政権なのに、数少ない身内の弟ですらこれではなあ
0012人間七七四年
2021/08/07(土) 10:47:12.24ID:D5OTNPc/秀次族滅後はどう考えても詰んだということでFAかな
0013人間七七四年
2021/08/07(土) 12:34:05.54ID:UBI+4rn+0014人間七七四年
2021/08/07(土) 13:08:48.86ID:0dhStpIc『豊臣家が天下の主導権を握っている状態での、豊臣政権の存続』という意味でなら
一番可能性が高い選択ではあると思うね、秀次生存は
史実の様に譜代はいないわ、一門は壊滅だわ、子飼いは深刻レベルの対立抱えてるわ、
地方大大名の制御が死ぬほど面倒だわの状況で、政権の権威の象徴たる役職にすら
就任出来てない幼児が政権のトップに立つよりは余程ましだろう
ぶっちゃけ秀吉個人の感傷や思惑を抜きにすれば、秀次が有害レベルの当主でも
秀頼就任よりずっといいと言いきっていいレベルですらあるよ
0015人間七七四年
2021/08/07(土) 13:55:18.91ID:nojJPxpRその心臓を潰した奴が豊臣殺害犯
0016人間七七四年
2021/08/07(土) 15:43:26.58ID:MNoQXgSd0017人間七七四年
2021/08/07(土) 17:22:48.32ID:UBI+4rn+秀次殺したからじゃないかという揚げ足
0018人間七七四年
2021/08/07(土) 17:37:19.96ID:wPklLkOO0019人間七七四年
2021/08/07(土) 17:40:17.91ID:0dhStpIc問題がさらに増加したことは確かだけど、元々問題が多いのは確かだよ
譜代がそもそもおらず、一門も秀次生存でも正直薄いからね
そのうえ、唐入りという超巨大プロジェクトも中途半端なままだし
おまけに豊臣政権自体が秀吉という超優秀な個人の英雄に依存する政権だったのは
正直否めないから、どう贔屓目に見ても秀吉より器量が大幅に劣る秀次では
政権運営が非常に厳しいものになるのは避けられないよ(勿論秀頼よりはマシ)
0020人間七七四年
2021/08/07(土) 17:49:42.67ID:0dhStpIcそもそも秀次後継パターンの場合、史実の奉行衆がその立場にいる事が
出来るのかどうか、少々怪しい(大老奉行制度自体がない可能性もある)
秀次は自身の家臣団を持っているから、秀吉死後は当然そいつらが政権中枢に入る
そこに秀吉側近の居場所があるかな、少なくとも肩身は狭くなりそう
秀頼の場合、本人が幼少過ぎて自前の子飼いを持てなかったから
秀吉側近がそのままスライドしただけだし(だから三成らが秀次を讒言説がある)
0021人間七七四年
2021/08/07(土) 18:58:48.28ID:t9/HxqsY反乱を抑えることができなかったんだから問うだけ無駄じゃないの
問題は秀吉の権力の継承に意義がつくかつかないかの差では
0022人間七七四年
2021/08/07(土) 19:23:41.77ID:27oZta8P朝鮮関係が非常にマズい事態になるぞ。
朝鮮が日本と講和する気になったのは「日本の支配者が秀吉とは関係ない徳川家康になったから」って報告とかが関係してる。
そうだとしても対馬攻撃の噂があったりと最悪な状態でおそらく秀次は朝鮮に行くハメになるだろうし、下手すると更に長期化した恐れもある…
0023人間七七四年
2021/08/07(土) 20:21:12.93ID:OhfZBZvs機能してたのかよって
0024人間七七四年
2021/08/07(土) 22:45:50.02ID:wPklLkOO個々で自分のナワバリ設定して勝手にやってたわけで
0025人間七七四年
2021/08/07(土) 23:16:54.70ID:F3IyOXIlっていう状態なのよね、秀吉存命時でも
そりゃまぁバレなきゃええやろの精神にもなろうよ
大坂城でも盗みやらが多発してたりと、秀吉政権は秀吉が直接見れない範囲はかなり風紀が乱れてる
0026人間七七四年
2021/08/08(日) 02:28:58.86ID:xng8j7Ft秀次政権の場合でも最大の問題は徳川家康ですからね。
何せ、当人が小牧長久手で惨敗してみるも哀れな状況で敗走したって事実がある。
ある意味史実の流れよりも、徳川にたいする風当たりが強くなると思うね。
家康は250万石で最大八万、秀次が動員して25万くらい「多分最大でそれくらい他に抑えもいるし」なら無茶な
口実でも徳川潰そうとすると思うぞ、三倍くらいだと達人ならって成るし。
家康其の儘では夜も眠れんだろ、なんせ野戦で襤褸負けした相手だ。
大坂の陣みたいに、無茶な言いがかりで徳川征伐が起きそう。
0027人間七七四年
2021/08/08(日) 03:34:00.60ID:RGTevuCCいや家康は葛西大崎一揆の時は秀次の下で彼の補佐をしていて、一揆の収拾に成功させているし
両者の関係に特に問題はなく、また秀次事件の時、秀吉は徳川が秀次に付くことを警戒していた節があり、
秀吉がそう考える程度には両者は良い関係だったということだろう。
0028人間七七四年
2021/08/08(日) 06:47:50.39ID:vtlBpCv/そうとばかりでもないでしょ
関東東北取次も家康に加えて景勝のラインもあるし
島津の検知を幽斎と三成がやっていたり
朝鮮の戦目付も各軍複数で連署していたり
時間とともに萌芽は複合化して組織は結実する過程にあった
江戸幕府の老中制だって家光の側近からの発展だから制度化や組織の熟成には時間が必要
0030人間七七四年
2021/08/08(日) 09:16:57.18ID:p7hc5b5f秀次としては、さっさと秀頼に引き継いで逃げるかどうするか。下手するとクーデターとか内乱になりますし。
0031人間七七四年
2021/08/08(日) 13:13:35.88ID:3hDWG61R結果徳川に乗っ取られて傀儡化するかもしれんが史実よりは百倍マシ
0032人間七七四年
2021/08/08(日) 13:37:23.10ID:+aflipgS秀次が素直に譲らなかった場合、秀頼は義祖父の家康を頼るだろう。
10年で政権中枢は秀次家臣団に移ってるだろうけど、
秀次家臣団で家康に対抗できるか。
史実では徳川派の最上とか伊達とかは秀次派だろう。
政権中枢から排除されてるだろう、秀吉時代の奉行衆はどう動くか。
0033人間七七四年
2021/08/08(日) 13:45:01.83ID:RGTevuCCその権威権力も限られたものにならざるを得なかっただろう。
0035人間七七四年
2021/08/08(日) 14:03:05.06ID:RGTevuCC家康を後ろ盾にせざるを得ないだろう。秀吉だってそのつもりで徳川との
縁組を様々に進めたんだろうし。
0036人間七七四年
2021/08/08(日) 15:05:43.43ID:HLQjidpF富田一白、佐々行政、寺西正勝、毛利吉成、堀田一継、石田正澄、片桐貞隆、石川光元、山中長俊、木下延重
毛利吉成だけやけに大身だな
0037人間七七四年
2021/08/08(日) 17:20:05.66ID:lwWTIHqs秀吉が秀次の後を秀頼に継がせるつもりならその方が万事都合がいいし
その一方で史実のように淀と家康の縁組を指示する可能性はありうるが
0038人間七七四年
2021/08/08(日) 18:36:23.93ID:NQKymJAuそれはまあ、そうだろうね、秀頼と千姫の婚姻は秀次事件の後に決まってるし
それどころか家康が内大臣になったのも大老奉行制度が出来て家康が筆頭大老に
なったのも全部秀次事件の後だから、秀吉が秀次の穴埋め役を
誰に求めていたかは大体想像がつく(利家も大納言に就任しているが)
0039人間七七四年
2021/08/08(日) 18:36:24.14ID:NQKymJAuそれはまあ、そうだろうね、秀頼と千姫の婚姻は秀次事件の後に決まってるし
それどころか家康が内大臣になったのも大老奉行制度が出来て家康が筆頭大老に
なったのも全部秀次事件の後だから、秀吉が秀次の穴埋め役を
誰に求めていたかは大体想像がつく(利家も大納言に就任しているが)
0040人間七七四年
2021/08/09(月) 10:19:48.56ID:nhJY1wnA秀吉も長慶信長が踏んだ段階を踏襲して天下人になった。当然その後もまた別の実力者が天下人になることは想定していたのでは
むしろ徳川がその流れを止めてまた天下人を世襲することに成功した要因を考えた方がなぜ豊臣政権が終わったのかが分かるかも
0042人間七七四年
2021/08/09(月) 14:24:55.76ID:B5qxE6Meそのための安宅冬康粛清だったり、佐久間信盛らの追放だったりするのだろうが、
結局その死後、家臣団の分裂によりその政権は崩壊した。
秀吉も秀次を排除したのは後継者を秀頼に一本化して豊臣家の分裂を回避するのが、
やはり意図としては大きかったと思うが、それでもなお家臣団は分裂した。
家康の場合は、既に元服し政務にも深く参画していた嫡子としての秀忠がいた事と、
家康の生前に既に秀忠の次の家光まで継承者として決定していたことが、政権の安定と
継続にとって大きかったのだと思う。
0043人間七七四年
2021/08/09(月) 18:21:29.02ID:2lf8Ca1G秀吉が秀次を残すルートを選んだとしても
その秀次の後に秀頼に継がす事を諦めなければ
どのみち死後に内乱コースだろうなあ
0044人間七七四年
2021/08/09(月) 18:38:14.99ID:nhJY1wnA当人が身を引く気でも代理にくっついて栄達した周りが許さない。秀次になると都合の悪い連中が秀次を積極的に排除したみたいにな
0045人間七七四年
2021/08/09(月) 19:10:37.28ID:qsTyvFj8自分の種じゃないことは淀が懐妊した時の記録的に分かってたはず
それなら秀次の方が血は繋がってるし良いのにな
0046人間七七四年
2021/08/09(月) 20:28:12.74ID:d9PumVyVいくらなんでも雑に語りすぎよ
0047人間七七四年
2021/08/09(月) 20:37:46.05ID:ZP8QvfPX後者を秀次と一緒に潰しちゃったのも問題だよな
0048人間七七四年
2021/08/09(月) 21:26:22.07ID:CuDDVwvW徳川の成功要因は権力体(共同幻想)の意志決定に於ける徹底した属人性の排除にある。
世襲将軍と雖も共同幻想を構成する一装置に過ぎないというシステムを初期のうちに強固に組み上げてしまった。
その一方、徳川家康は死に臨んで世襲の自明性を否定する訓戒を秀忠及び側近に遺したとも伝える。
ここから貴論に従って考えを遡らせるならば
羽柴「豊臣」権力体短期終焉の根本原因が属人性の排除を成し得なかったことにあるのは論を俟たない。
で、権力体がその方向へ走るに至った決定的或いは象徴的な事案は何かということを考えあぐねている。
羽柴秀吉という個人が一装置を超えるカリスマを身に纏わざるを得なくなった契機ということなのだが…、
結局は「大返し〜山崎の戦に至る経緯の非常識性」、
謂わば羽柴権力成立そのものが短期崩壊の原因であるというパラドクスに行き着いてしまう。
0049人間七七四年
2021/08/10(火) 17:46:16.68ID:2+7rr9Hh0050人間七七四年
2021/08/10(火) 18:19:56.91ID:+AlOdom30051人間七七四年
2021/08/10(火) 18:24:28.10ID:zcT3X+GE最初はもう実子は諦めて秀次に豊臣を託すつもりだったからねえ
当然秀吉死後に豊臣政権を安定させるために秀吉が信用できる家臣たちを秀次に回して組織作りさせようとするわな
そこから一転して秀次を処分した結果、関白まで譲った身内を処分したことを周囲に納得させる正当性が必要になったから厳しくやらざるを得なくなったんだろうな
0052人間七七四年
2021/08/10(火) 21:52:07.44ID:4OBR4jD7その肝心の秀頼に権威の象徴たる関白を継承できずに終わったのが痛すぎる
なる可能性がある、なれる立場である事と、実際になったは全く違うからな
というより、権威の象徴を関白にした事のデメリットがもろに出た
秀頼が就任可能年齢になる前に(前例がないという意味で)秀吉が死んだからな
この点将軍は便利なんだよな、権威の上では関白>将軍なのは確かだけど
将軍は幼少でも就任出来るっぽいんで政権の権威を維持しやすいんだよ
0053人間七七四年
2021/08/10(火) 22:23:30.51ID:f8O7jcCnいっそのこと豊臣家の家職も新設するなり独占しやすいものにすれば違ったかも
秀吉の関白就任ははたまたま転がり込んできたようなものだったし
0054人間七七四年
2021/08/10(火) 23:28:01.74ID:rA02LkwO家が作れてない以上自分一人だけでなんでもできる秀吉じゃないと治まらん
0055人間七七四年
2021/08/10(火) 23:37:57.85ID:dRCFvRE8江戸幕府でも宮様将軍制度が現実化しかけた事もあった訳だし
0060人間七七四年
2021/08/12(木) 02:46:48.15ID:zOHXECqA0061人間七七四年
2021/08/13(金) 12:50:56.75ID:pB5I4yx8ほとんど領土とかもなにも取れなかったわけだし。
遠征軍の引き上げと、慰労のための加増とか一時金とかを出して人心を惹きつけないと。
秀頼が成人してても大変な舵取りだったのだろうと思われる。
0062人間七七四年
2021/08/13(金) 14:20:38.89ID:eTTQaK660063人間七七四年
2021/08/13(金) 14:22:58.93ID:wwvJ0aSP0064人間七七四年
2021/08/13(金) 14:27:10.69ID:AP+AO8Ut遠征しない方が戦果を挙げられるチャンスを簒われたと認識した有能大名の反乱を喚起するとか思わない?
今まで拡張システムできていた矛盾が噴出したら大坂役の数倍の戦乱になってたかもしれんし
0065人間七七四年
2021/08/13(金) 18:12:40.90ID:aJXWNTqA戦争は手段であって目的であるはずもないのに。
0066人間七七四年
2021/08/13(金) 19:39:17.90ID:cIjjeDJHそりゃ大名達が以前からしょっちゅう海外遠征してた国だったらそうかもしれんが秀吉が言い出すまでまで考えもしなかったんじゃないか?
まあ元寇の後に報復で半島に侵攻するか検討はされたけど結局実行されなかっっし
0067人間七七四年
2021/08/13(金) 21:13:38.75ID:L6mwb0mW朝鮮侵攻は羽柴秀吉個人の耄碌・乱心の産物などではなくて惣無事と一体不可分の国策だった
−−という見方も有力なわけで、
その場合これが最初から「戦争を目的とする戦争」だったのは不可避のことと見るしかない。
となると、それを招来したのは惣無事の形態・方法論だったということになる。
政権倒壊の根本原因がそこにあるとすれば実に皮肉なことだと思わざるを得ない。
0068人間七七四年
2021/08/13(金) 21:13:53.06ID:1X90On/A0069人間七七四年
2021/08/13(金) 22:20:05.85ID:L6mwb0mW0070人間七七四年
2021/08/14(土) 00:09:09.25ID:NLN3viVU0071人間七七四年
2021/08/14(土) 13:47:39.25ID:L5MooL3W秀吉の目的自体も途中からぶれにブレてるよ
0072人間七七四年
2021/08/14(土) 15:57:26.18ID:JXlcS8NZ0073人間七七四年
2021/08/14(土) 16:17:28.03ID:4J+E5D3/それがなかったら今も日本の朝鮮県として存続しているよ
0074人間七七四年
2021/08/14(土) 16:21:30.30ID:JXlcS8NZ0075人間七七四年
2021/08/14(土) 16:22:02.23ID:y/K70ju8その後明が降伏したと嘘の報告をする。
何も学んでいない…
0076人間七七四年
2021/08/14(土) 16:25:05.82ID:qmMcYyN5目的はブレていない、と云うかブレようがなかったんじゃないか。
領土拡大や勝利よりも国外で戦争をすることそのものが目的だった筈だから。
惣無事とは、
中央権力体の超越的な暴力によって下位権力体群の暴力を封鎖すること−−だった。
しかし暴力の封鎖はしたが収奪・独占まではできなかった(できてりゃそれは近代国家だ)。
となると封鎖の時点で静止を強要された暴力装置群に残るポテンシャルエネルギーを何らかの形で解放・費消しなければ惣無事=「豊臣の平和」は安定しない。
その為の政策の一つが「暴力の移出」即ち朝鮮役だった。
そして確かに厖大な暴力がそこで費消されたわけだから、一般には大失敗と評される朝鮮役も政治目的については一定の成果を上げたとも考えられる。
勿論そこに現出した地獄絵図はまた別の議論だし、
「成果」を手にしたのは豊臣権力体ではない別の者だったわけだが。
0077人間七七四年
2021/08/14(土) 17:14:31.37ID:cqoeBc1N外交交渉も朝鮮は蚊帳の外だったしなあ
0078人間七七四年
2021/08/14(土) 17:37:48.07ID:L5MooL3W次の目標は講話条件が認められなくての行動とブレてるよ
海外で戦争することだけが目標でした、なんて言ってる研究者も当時の史料からそう読み取れるものもない
0079人間七七四年
2021/08/14(土) 18:24:00.96ID:qmMcYyN5表層の具象だけ切り離して見ても何も見えては来ない。
物事は根本から結果に至る構造として考えないと。
幾つかあるが、最も端的にはこれ↓かな。
https://i.imgur.com/z9QpOgE.jpg
0080人間七七四年
2021/08/14(土) 18:32:35.03ID:L5MooL3W俺は本質だけ見れてるみたいな寝ぼけた事を言い出す前に出典と実証でしょ
陰謀論者と同じ事いいだしてんじゃないよ
0081人間七七四年
2021/08/14(土) 18:39:10.69ID:qmMcYyN5藤木久志氏の『雑兵たちの戦場』。
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