戦国ちょっと悪い話47
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0873人間七七四年
2020/03/02(月) 02:37:29.84ID:YMbOnqIi幕府方、真田信吉勢の矢澤但馬、原郷左衛門、禰津主水は下人を数多引き連れ敵に向かって進み、矢澤但馬は
暫く馬を止めると暫く控え、敵の色を見て左の方へ乗り下ろし、この時
「郷左衛門も主水も、己の馬に乗ってこちらに来るように。」と言った
原郷左衛門はこれに答えて曰く
「やあ、但馬殿はおかしな事を仰せに成るものかな!座敷に有っては御家老と申し伯父とも申し、大身にて
ありますから、我等も跡に属して回ります。しかし、以下ここにては聞きたくもない!」
(ヤア但馬殿ハ可咲言ヲ仰セラルル者哉、座敷抔ニテコソ御家老ト申伯父ト申大身ニテ御座有故ニ跡ニ属テ回レ
今爰ニテカ聞度モ無)
そう言って真っ直ぐに突撃し、討ち死にした。
彼は討ち死にと兼ねて思い定めており、死生に拘らずと言っていたという。
また禰津主水のオトナ(家老)である小林金太夫は、主水が但馬殿が向かった方に定めて行くだろうと考え、
主の馬の口を取ってその方に向けた所、主水は怒りだし「知らぬことだ!」と言って原郷左衛門の向かった方へ
真っ直ぐに進んだ。
そして、少し面上りの場所にて歩兵の敵と鑓を合わせ、「鑓を付けて参った!(敵を突きしとめた)」と声を上げ、
その鑓を引き抜こうとした所に、また別の歩兵の敵一人が、主水と戦っていた歩兵を助けに来て、その鑓を以て
主水の弓手(左)の乳の上より馬手(右)の脇まで突いてそのまま引き返した。
その働きの脇で、小林金太夫は敵が鑓を以て内兜を突いてきた所を、顔を振ってそれを避けたが、左の頬を
横に突かれた。しかし少しも怯まず、とっさに飛びついて斬り倒し、そのまま乗り掛かって体を押さえ、
主人の方を見て
「檀那!これを高名になされよ!」
と声を上げた。しかし主水は「俺は手負うた。水をひとつくれよ。」と言いながら馬上より落ち、死んだ。
金太夫は押さえつけていた敵を捨てて走り寄り、「檀那、甲斐無し!」と叫んだが、既に息絶えていた。
そのため金太夫は、朋輩の須加伝助、杉原仁兵衛、同心の剣持ち・喜左衛門、大畠小兵衛、青木九右衛門、
馬取の作右衛門を招き、如何せんと嘆いた。
その時、関東の軍勢は崩れかかり追い立てられていた。青木九右衛門は当時十八歳であったが大力であり、
主人の屍を、長刀を守木にして軽々と背負い、三町余りを一息に走り退いた。
主水には百人ばかりの下人が付いていたが、この時九人の他は連れて行いなかった。
矢澤但馬は、敵が崩れて引いていく方向を見定めて、先立って待ち受けて功名した。
またこの勢とは別に、禰津伊予、湯本源左衛門などが懸った所は、大きな沼が有り、その沼を廻って
進んでいる間に敵軍は敗走して、逆方向の左へ引き退いた。このため上田衆も沼田侍も、一騎も
戦うことはなかった。備中衆には討ち死にが多く有ったという。
(眞田氏大坂陣略記)
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