戦国ちょっと悪い話47
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0081人間七七四年
2019/05/30(木) 12:13:52.40ID:Oa0G9WWv・1942年にドイツ語で薩摩の琉球侵攻の本が出ているが
軍記物を参考にしていてあてにならない
・良質な史料としては琉球サイドの喜屋武親方の「喜屋武日記」
薩摩サイドの「琉球渡海実記」「琉球軍記(軍記とはあるが史実的に正確)」
・軍記物で記述されてる人物も実在の人物と乖離しているものとしては「島津琉球軍精記」それを基にした「絵本琉球軍記」がある
・何百匹ものハブを集めて放した話は「喜屋武日記」にはないが薩摩方の記録にある
となっていた。
ぱっと読んで違和感があったのは
・島津忠久は頼朝の庶子。頼朝が嫉妬深い正妻から離すために忠久を遠国の領主とした
・琉球の初代国王舜天は追放先から逃亡した源為朝の子供と言われるが、為朝には追ってきた船を矢を放って沈没させたあと切腹したという説もある。
(外国の読者に、矢で船を沈没させるよりは逃亡した方がありえそう、と思わせるような内容)
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