>>702の9月9日鳴海上陸作戦案は、本来輝元、恵瓊、増田、長束らがやろうとしていた作戦で、
それがそのまま実施されたらどうなるか、というもの。
上陸作戦としては、アンツィオ上陸作戦や仁川上陸作戦と同様で、
結果はやってみないとわからない、というリスクの高いもの。
上陸後の部隊展開としては家康との桶狭間のような不期遭遇戦に突入すると思われる。
西軍としては偶然の産物であるが、家康を討ち取る絶好のチャンスとなる。
また家康本隊は>>712にあるように有力武将が少なく、
家康本隊のみでの合戦には不安が大きい。
一方上陸した西軍も撤退できる味方拠点は近くにはなく、
せいぜい鳴海に陣城構築がどこまでできるか、といったところ。

一応参考までに近隣の東軍在番衆、岡崎城在番北条氏勝、西尾城在番松平忠頼。
清洲城在番は>>3の通り。