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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part15

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0001人間七七四年2018/06/07(木) 10:31:53.47ID:iRzdXPIr
関ヶ原合戦(本戦)に限らず、関ヶ原戦役として捉えてどうすれば西軍が勝てるかを模索しましょう。



前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part14
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1525775487/
0202人間七七四年2018/06/13(水) 01:38:00.21ID:wfx0aU5Z
>>186
前田利家と言う男をよく知ってる前田家中の人らで
利家が本気で家康と対立すると思ってた奴なんていないと思うわ
下手な勝負には出ないが面子だけは保つ
それが出来る優秀な政治家
0203人間七七四年2018/06/13(水) 01:56:59.51ID:GEHU1yVy
>>201
帰ったからに決まってんじゃん
前述されてるけど利長は大老の後継、それが無断で帰って関係悪化しない訳ないじゃん
0204人間七七四年2018/06/13(水) 08:49:07.56ID:MWchMdSt
無断で帰る訳がないだろ。。。
0205人間七七四年2018/06/13(水) 11:07:06.72ID:e19vGHnn
>>178
東濃での中山道迎撃態勢構築についていろいろ考えていたんだけど、
これはこれでけっこう難しい。織田の対武田迎撃に似てる。

まずこの辺りの拠点としては苗木城、岩村城、明知城(恵那市のほう)、鶴ヶ城あたり。

そして敵の想定進攻ルートとしては、中山道馬籠峠、伊那谷からの神坂峠、
濃三信国境付近からの上矢作方面(現R257)、いわゆる岩村口、この3か所。

本命は馬籠峠だが、武田征伐で信忠本隊が使ったのは岩村口の上矢作方面ルート、
神坂峠は難所ではあるが古来からある道。

で、防御拠点なんだが、馬籠城なるのものがあるので調べてみたが砦に近い。
とても防御拠点としては使えない。
岩村城の支城みたいなのはたくさんあるんだが、兵力に余裕があるならそれらに
分散配置でもいいんだが、万を超える敵の想定と西軍の限られた兵力では、
拠点に兵を集中して籠城し後詰を待ったほうがいいように思える。

具体的には苗木に2000ほど、岩村に5000〜8000ほどだろうか。
それと両城とも位置がけっこう微妙で、籠城してしまうとあまり中山道には
脅威を与えにくい位置にある。
苗木は木曽川北西岸、岩村は中山道から少し離れている(直線距離で約10km。
そして苗木と岩村もけっこう離れており(直線距離で約18km。大垣→岐阜とほぼ同じ)
密な連携は取りにくい距離ではある。

ではそんな微妙な東濃での中山道迎撃はやめてしまえばいいかというと、
東濃より後方で有効な迎撃が行える場所は犬山付近。
犬山を拠点に、鵜沼と伊木山に陣地構築、そして猿啄に監視所と烽火台の設置。
これで「中山道」には有効な迎撃を行える。
しかし中濃から迂回して直接岐阜に行くとか、善師野(犬山南方)もしくは内津峠から
尾張に行く手段があり、
中山道から進軍してくる東軍を止めることはできないという大きなデメリットがある。

個人的には、合流を阻止できないくらいなら東濃で迎撃態勢を取った方がマシだと考える。
0206人間七七四年2018/06/13(水) 11:52:12.81ID:GEHU1yVy
>>204
無断で帰ったから言ってんだよ
君さては都合の悪い文書は全部徳川史観とか言って端から勘定に入れないタイプだな?
0207人間七七四年2018/06/13(水) 12:19:26.64ID:e19vGHnn
それと将来的な攻勢構想も考えた場合、木曽谷通るにせよ伊那谷通るにせよ、
中山道からの関東進撃、上田の真田への救助もしくは合流、
あるいは岩村口から三河への支作戦の実施(やるやらんは別、選択肢として残す意味)、
これらの観点からも東濃制圧の必要性はそれなりにあり、
東濃制圧し迎撃態勢及び攻勢準備態勢を取る、というのは悪くないように思う。
0208人間七七四年2018/06/13(水) 15:36:10.61ID:1oFtAEef
家康が美濃赤坂に到着させてしまった諜報力
0209人間七七四年2018/06/13(水) 22:03:45.51ID:A/ormruS
>>13の伊勢方面の在番、守備隊の「中島氏種390?」は中江直澄っぽい。
愛知県史資料編13織豊3には中江直澄とある。
0210人間七七四年2018/06/13(水) 22:27:14.08ID:A/ormruS
ところで素朴な疑問なんだけど、通説的には西軍(上方勢、京方、秀頼方等)の
総大将は毛利輝元とされてるけど、これの根拠って何?
なにかに明記されてる?
0211人間七七四年2018/06/13(水) 23:35:07.66ID:D9qWNf6f
本当は輝元が犯人だったけど三成を首謀者にした

表舞台から外されて
家康を潰して来いって言われた
五奉行に戻してやるって

それで輝元が潰してこいっていうのは
合戦じゃなくって思い切って当たれって意味
0212人間七七四年2018/06/14(木) 01:01:45.14ID:gIs3RvSN
俺が三成なら黒田如水に関八州を任せるからこちらの指揮官になってくれと頼む
0213人間七七四年2018/06/14(木) 01:22:49.93ID:FcRR6e7f
相手にもされんだろね
0214人間七七四年2018/06/14(木) 01:26:12.52ID:MqkrXxcv
>>201
確か噂だと利家の遺言はこんな感じ。
「前田家の動員力は最大で25000なので8000ずつに分け、大阪に8000、国元に16000置くように
そして、少しずつ大阪の兵と国元の兵を入れ替えさせよ」

この遺言実行されたら、家康は完全に封じこまれる気がすんだけど?
大体さ、この時点での上方での徳川の兵力って色々口実付けても3000行かなかったらしいし。
大阪に8000常駐で、秀頼傅役の権威で守られてたら家康も何も出来ない。
0215人間七七四年2018/06/14(木) 01:49:08.29ID:OG9qcdMJ
あの時点の黒田如水に関八州とか悪ふざけかw
関西圏の人間が秀吉に九州にとばされあげくにグダグダだらけの関東に移転とか左遷なみの待遇だわな
しかももう隠居の立場なのにまだ馬車馬のように働かせるつもりかよ、となるわな

せめて機内だよな。
まあそもそも三成が他家とちゃんと交渉できるような人間なら金吾も関白の餌にひっかかるわな
三成も全然苦労しないだろうよ
0216人間七七四年2018/06/14(木) 02:11:50.36ID:PaHGVDba
>>210
これっていうやつは言いにくい。

公家の日記(西洞院や言継卿他)、宣教師の報告書や日記、看羊録などは大体輝元総大将だったはず。
状況証拠は輝元が大坂城西の丸にいて、宇喜多や他の奉行が前線にいたこと。

高橋陽介『一次資料にみる関ヶ原の戦い(改訂版)』(星雲社、2017年)は大体全部が輝元が総大将扱い。
同書120頁、「輝元御出馬之事、拙子体は尤と存候、家康不被上には、不入かと存候へ共、下々は此儀も不審たて申事に候事」
上は「東軍総大将家康は関東から動けない!西軍総大将輝元も安易に大坂を動くと鼎の軽重云々なので、動くのは慎重に」という感じ。(解釈あってるかな?)
同書124頁、三成の書状に「当分御成敗有之間敷人質妻子、宮島へ御下可有之※(興と欠)、御分別不可過候事」ということで(当分処刑しない)人質が芸州宮島に移されていること。

状況証拠と一次資料のおおくは輝元総大将扱い。ただ、同時に西軍の事を奉行衆扱いしているというのもある。
秀頼の後見が家康から輝元に変わったという日記を公家の女官が書いてもいるとかなんとか。

他の出典もあったはずだけど、今、本が手元にないから勘弁
0217人間七七四年2018/06/14(木) 05:25:27.19ID:LqdngHd6
>>216
その解釈があってるなら、西軍はやはり家康が関東から前進する事想定してないな。
これ確実に長期戦前提で動いてるだろ。
それなら無理して前線押し上げるより、伊勢制圧して足元固めた方がいいわ。
0218人間七七四年2018/06/14(木) 06:00:19.22ID:3MpM1Ppu
>>216
>「輝元御出馬之事、拙子体は尤と存候、(以下略

これ多分9月12日付増田長盛宛石田三成書状だね。
「西軍総大将輝元」はあくまで意訳だね。

やっぱ公家の日記とかの西軍総大将扱いとか状況証拠だけなのかな?

輝元出陣の件(輝元が出陣しないのは)はわたし(石田)ももっともだと思う。
家康が来てないのなら特に必要はないと思うが、下々の者はなぜ輝元が出陣してこないのだと噂するであろう。
あたりかな?
0219人間七七四年2018/06/14(木) 06:40:44.56ID:3MpM1Ppu
なぜ「輝元西軍総大将」の確認をしたいかというと、
たしかに大坂の輝元と増田が司令部的役割をしている。
どこかにいったん情報を集約しないとだれがどこにいてなにをしているか、
敵がどう動いているのか味方が把握できないから。
そして輝元は自家の者には指示を出しているが、他家の者にも連署ではなく単独署名で
指示を出しているのかなと。
輝元は総大将的なことはしているが、家康のように厳然とした総大将ではなく
総大将的なかんじがしてるので。

つまり西軍の軍事方針、軍事行動については輝元の号令一下ではなく、
有力メンバーによる協議で決める、といった体、あくまで西軍は連合体の体かなと。
0220人間七七四年2018/06/14(木) 08:09:18.91ID:aMyl10PX
>>214
それ、いくら金かかるの?
という話
0221人間七七四年2018/06/14(木) 08:21:29.29ID:PaHGVDba
以下は、高橋陽介『一次資料にみる関ヶ原の戦い(改訂版)』(星雲社、2017年)が全て出典

失伝した資料の存在を無視していると言われるかもしれないけど、西軍は奉行の命令という形式をとった命令が多いそうで。
兵糧と軍資金の管理をしているのは増田長盛のようです。(長盛宛三成書状に「何度も言ってるけど兵糧とカネを出し惜しみするんじゃねえ!」って感じの文言がある)

家格、戦歴、官位その他で圧倒的な徳川家康がいる東軍と、輝元秀家奉行衆とほぼ同格なのが複数いて、せいぜい同輩中の首席程度の西軍が同質なわけないですよね。

大阪の状態はよくわからないけど、濃尾の方では長束と安国寺の同意なしには何も出来なかったとのこと。三成は提案しかできないとのこと。

ところで、高橋の91頁
「内府、会津・佐竹を敵に仕、僅かに三万の人数を持、分国十五城を抱え、二十日路被上事、成物に候哉、(中略)右分別も無之、自分の人数一万、上方勢一万計洛に上り候共、尾・三の間ニ而可討取儀、誠に天の与ニ候」八月六日真田宛三成書状、古今消息集
とあるけど、徳川の実際の動員数って約8万でいいんだっけ?この書状だと、三成は三万人しか動員できないというようなことを言っているけど。
0222人間七七四年2018/06/14(木) 08:44:54.67ID:6AvzHGkW
>>221
西上できる徳川方の兵が三万だと三成はなぜかおもってたということでしょうね
0223人間七七四年2018/06/14(木) 08:49:53.95ID:3MpM1Ppu
>>221
徳川240万石+秀康10万石、計250万石。75000〜8万人ってとこかね。
これに家康に味方する者の兵力が加わる。
家康本隊3万(33000)、秀忠隊38000(徳川以外込み)、宇都宮の秀康18000(蒲生、里見等込み)
井伊、本多、松平忠吉、江戸及び東海道等各城在番衆、

だいたい計算合うと思う。

で、三成が、上杉と佐竹が西軍として関東で徳川と対峙していれば、4〜6万はその対応に必要だから
2〜3万くらいしか西上しないだろう、って予測じゃない?
250万石で3万人はどう考えてもおかしいし。
0224人間七七四年2018/06/14(木) 08:53:36.33ID:6AvzHGkW
>>214
あのさ前田を家康に告発したの奉行衆なんだよ
なんか家康以外は一枚岩だとおもってる人いるんだよね
そんな事したら今度は周囲や奉行衆から前田が警戒されるだけじゃん
0225人間七七四年2018/06/14(木) 08:58:27.21ID:b+1Nvn7n
>>219
だって毛利に全権与えたら勝っても徳川のポジションに毛利が入るだけで
奉行が関ヶ原起こした意味ないじゃん。
しかもその場合毛利の専横は徳川よりも派手にやる可能性が高い。
何故なら徳川レベルだとひっくり返されてしまうから。誰だって権力を奪われたくはないしね。
だから奉行は絶対に毛利に全権を渡せない。従って戦略や政略には、基本的に
奉行の意向を反映せざるを得ないと思う。少なくとも毛利家臣団の意見が優先されるとは思えん。
0226人間七七四年2018/06/14(木) 09:14:54.76ID:PaHGVDba
>>222
>>223
なるほど。
そうですよね。自分は古文書読み初心者なのでかたじけない。

たしかに、上杉と佐竹で約170万石、上杉南下の場合は、伊達や最上を吸収している可能性もあるから敵兵は六万人を超える可能性もあるのかな?
だとすると、家康はかなり思い切った兵の割り振りをしていたことになるけど。あと、徳川に近い周辺大名も動員できたのか。
0227人間七七四年2018/06/14(木) 09:20:41.30ID:R4qzIufr
三成が真田にあてた書状なんだろ?少なく見積もるのは当たり前じゃん。
徳川軍は20万人です。なんて書いたら真田が東軍につくだろ。
0228人間七七四年2018/06/14(木) 09:30:18.33ID:3MpM1Ppu
>>221
>濃尾の方では長束と安国寺の同意なしには何も出来なかったとのこと。

これね、たしかにそのひとはそう主張してる。

しかしわたしはこの説はどうも腑に落ちない。
毛利と奉行衆の同意がなければ作戦行動できないというのなら
西軍の敗因は輝元、増田、長束であって、石田、宇喜多、大谷の責任ではない。
0229人間七七四年2018/06/14(木) 09:40:00.16ID:RkvHC641
>>228
言いたい事がよくわからないんだけど、石田が首謀者として斬首されるのがおかしいって事?
石田は単に責任押し付けられただけでしょ。割を食う役の人って古今東西どこでもいるし。
嫌な言い方するけど「あいつ処刑されるならそれでいいわ」位のやつもいそうだよ。
加藤清正とか襲撃事件の時の三成の処分を手ぬるいとか言ってたらしいし。
0230人間七七四年2018/06/14(木) 10:47:32.66ID:PaHGVDba
>>228
三成への処罰がおかしいということ?
三成が処刑されたのは、敵を作りすぎたのと、多分こっちの方が大きいと思うけど、決戦直後に捕まっていて、自らを守る軍勢や領地も失って自衛できなくなったことだと思う。
この時代は罪刑法定主義や司法の独立なんかないし。

単に総大将を三成にするべきだというなら概ね同意する。濃尾方面に限っていえばそれなりに良さそうな判断をしているし。
ただ、それを毛利や宇喜多が許容できたかというと大いに疑問だけど。
0231人間七七四年2018/06/14(木) 11:27:43.10ID:ZanfBQ9G
>>214
延々と大規模動員するのは結構な負担だから前田家の財政的に持つの?
あと、前田の駐兵は徳川の駐兵を正当化する根拠でしかない。前田が8000の兵を置くなら徳川はさらに追加で8000の兵を置くことができる。あるいはそれ以上の兵も置けるかもね。
それと、前田に8000の兵を置くことを許されて、徳川に許されない理由は?

あともう1つ、大坂に兵をおきすぎると奉行衆や淀が反応して、徳川と手を組んで前田を排除しに行く可能性は潰せていますか?
0232人間七七四年2018/06/14(木) 20:12:49.44ID:cV9+Ess8
岐阜城の陥落が早すぎたな

あそこで簡単に落ちなければ
0233人間七七四年2018/06/14(木) 20:50:24.05ID:aMyl10PX
家康が戦後に加納城へ移転した点からも、大した城ではなかったのだろう
0234人間七七四年2018/06/15(金) 02:46:14.52ID:YePh23MD
>>233
籠城よりも先に行った野戦で秀信の兵はかなり損耗してたから、これに関しては岐阜城の防御は計れないかなぁ
岐阜城が防御拠点として頼りにならないから打って出たとかならまだ分かるけど

信長が稲葉山城を防御拠点じゃなく見せるための城として大規模リメイクしてたとしたら可能性あるかも?安土城も防御度外視と言われること多いですけど
0235人間七七四年2018/06/15(金) 05:25:14.66ID:7+UyDBxu
さすがに1日とは想定してなかったろ

壊れかけの城とかでもなかったろうし、俺でも3日はもつわ。
0236人間七七四年2018/06/15(金) 06:07:54.22ID:X2pC4Q6I
いや、家臣の統制にも失敗しての落城って結果だからね?
0237人間七七四年2018/06/15(金) 08:41:24.14ID:1LATVnoT
関ケ原も1日で決着したし
0238人間七七四年2018/06/15(金) 09:25:10.50ID:VoeUgIrw
確か岐阜城陥落の経緯は
野戦で負けて兵力減少、逃亡もしていたと思われる。
池田隊と福島隊が手分けして岐阜の町を焼き払い、打ち壊す。
どの隊か不明だが、試しに岐阜城を攻めてみたら無人で抵抗がなくびっくりする?(これは創作の可能性もある)
(後詰にきていた石田隊が諦めて撤退する?)
(後詰め撤退に影響された可能性あり)30人ほどまで減少した家臣全員に直筆の感状を渡して秀信降伏

30人というけど、他家に仕えたら秀信時代よりも高禄だったという逸話があるので、領地をもらう身分の上級武士が30人程度ということかもしれないけど。
ただ、籠城時点で致命的な人手不足というのはほぼ全ての史料に共通しているから事実と思う。
0239人間七七四年2018/06/15(金) 09:27:17.51ID:MHjsTg9R
山城は曲輪間の連絡が困難だから、各個撃破されやすい
近世の山城は曲輪間の連絡が取れやすいように、城域を狭めた上で
尾根を石垣で平坦化している

ただ織田秀信からすれば、縮小を含む従来の岐阜城の否定は
受け入れられないだろう
0240人間七七四年2018/06/15(金) 09:35:57.42ID:CFkxU3Qj
>>238
その30人の状態は残るは天守を残すのみ、の時じゃない?
0241人間七七四年2018/06/15(金) 10:08:09.32ID:CFkxU3Qj
>>236
家臣の統制とは? 佐藤方政の逃走のこと?
野戦で負ければ逃走もあると思うが。
0242人間七七四年2018/06/15(金) 10:12:55.52ID:CFkxU3Qj
>>239
そうはいっても峻険な岩山城では帯曲輪とか堀切作る工事自体がかなり困難じゃない?
それなら惣構線の強化のほうが工事が楽だと思うけど。
0243人間七七四年2018/06/15(金) 11:14:39.52ID:IKfBU6V8
>>242
それなら家康の様に、岐阜城を廃城にして新城を造った方が良い
勿論、随分前から行う必要があるけど
0244人間七七四年2018/06/15(金) 12:30:46.36ID:N89095+6
戦国時代前期なら山城で堅城なら月単位〜半年は持ってたけど
戦国時代後期は抱え大筒、大鉄砲などの柵などの守りや障害物を破壊する兵器が出てくるから
戦国時代前期で通用した戦術が後期には通用しない
秀信は経験が浅かったから野戦に出てから籠城すれば良いという考えになったんだろうけど
抱え大筒、大鉄砲がある時代に籠城準備も無しで籠城すりゃ簡単に落ちる
抱え大筒、大鉄砲でもビクともしないように籠城準備として瓦礫で通路を塞ぐ、壁を強化する、
深い空堀を掘る等をしてガチガチに城郭を固めないともう耐えられない時代
戦国時代後期に山城が廃城になり、資材をリサイクルして集約し、
大きな城郭の石垣と水堀で固めた平城、平山城に換えたのはその理由
0245人間七七四年2018/06/15(金) 13:44:17.81ID:8o022mZP
>>243
そりゃ軍事的にはそれもいいけど、13万石くらいの
秀信には荷が重いでしょ、毛利や上杉じゃないんだから。
空堀、土累、柵の簡易築城でもそれなりに
効果はあるんだから
惣構線の強化のほうが現実的だと思うが。
あとは>>244の言うように籠城準備だね。
0246人間七七四年2018/06/15(金) 13:45:56.26ID:G8kKkEtd
大垣城の奴らが見放したから
0247人間七七四年2018/06/15(金) 13:49:35.23ID:LVUlq28z
そもそも籠城は後詰めがいなきゃなんにもならない
0248人間七七四年2018/06/15(金) 14:40:04.02ID:pkVQLKGa
上田合戦とか武田と上杉の小田原城攻めなんかは後詰めなしで籠城側の勝ちじゃなかったっけ
0249人間七七四年2018/06/15(金) 14:46:36.00ID:3fLlYkZO
勝つには家康と刺し違えるか、秀忠を暗殺して時間稼ぎをするしかない。
秀忠が死んでもし家康がショックのあまり倒れたり錯乱したらもうけもの。
しなくても多少の時間稼ぎはできる。
最も実行犯とその徒党は殺されるかも知れんが。

とにかく時間稼ぎして家康の寿命が尽きるのを待つしか手はないと思う。
0250人間七七四年2018/06/15(金) 15:31:21.03ID:IKfBU6V8
>>245
逆に身代に合った城を造れる
それに10万石強なら高崎城クラスは造れる
0251人間七七四年2018/06/15(金) 15:50:12.55ID:SMZ8vBZZ
新岐阜城作るところから始めるのか、気の長い話だな
0252人間七七四年2018/06/15(金) 18:01:04.39ID:LVUlq28z
>>248
第一上田城攻めは徳川が攻めてるうちに上杉が応援にくる可能性が高かったんじゃなかったか
北条徳川もあまり長いこと上田にかまけてられる状態てなかったし。

第二の上田城は微妙だがやはり上杉の動向が気になるかな、まあ上杉にそんな余裕もないか
第二は秀忠を遅延させるのが目的だったこともあるし時間稼ぎ降伏こみの籠城っぽい作戦だな
後詰めを最初からあてにしてなかっただろうな

北条せめの上杉の場合はまわりは敵味方いりみだれてるし、北条に組みしてる関東勢も結構いるからそれの応援待ちはあるでしょ
あの時点で武田や今川はどっち寄りだったかな…
まあ謙信コワーな武家多かったからヤバイはヤバイんだろうけど
0253人間七七四年2018/06/15(金) 18:41:18.16ID:IKfBU6V8
>>252
そもそも第二次上田合戦は存在しない
0254人間七七四年2018/06/15(金) 19:28:42.09ID:t707yu5g
>>250
問題点が二つある。
どういう理由で築城するの?タイミング的に秀吉生前になると思うが。
家康警戒の為なんて馬鹿正直に言ったら秀吉に間違いなく殺されるよ。
末期の秀吉って明らかに家康に縋ってる部分があるし。
少なくとも警戒より信頼レベルの方がよほど高い。

二つ目。そもそも秀吉って秀信に飾り以上の役割を求めてるの?
仮に上の理由をもっともらしくごまかすにしても、いきなり築城とか秀吉が警戒しそうだぞ。
秀信はただの大名ではなく一応豊臣家にとって旧主にあたるから、
ちょっとでも切れ者っぽいところを見せると、秀頼の脅威になりかねんとか考えそう。
末期の秀吉はかなり猜疑心が強くなってる感じがするし。下手すると秀信が「病死(物理)」しそうだ。
0255人間七七四年2018/06/15(金) 19:55:18.74ID:YePh23MD
>>253
今まで言われていたような合戦ではなかっただけで合戦自体はあるんじゃなかったっけ?
0256人間七七四年2018/06/15(金) 19:58:28.84ID:IKfBU6V8
>>254
井伊直政も箕輪城から高崎城を新規築城している
同じ様に街道近くに新規築城することで同時に宿場を整備したいとか、
後は山城は負担が大きいとか

秀吉としても秀信が自発的に、信長の威光を解消すると判断し許可するかも
0257人間七七四年2018/06/15(金) 19:59:29.66ID:IKfBU6V8
>>255
刈田を起因とする小競り合いが家譜にあるだけ
0258人間七七四年2018/06/15(金) 20:28:08.97ID:rbBHTUDc
>>256
威光解消か。なるほど、そういう考え方もあるな。
実際はそう思ってなくても、そう誤認させる可能性はあるかもしれん。
完全に納得まではしないけど、回答ありがとう。
0259人間七七四年2018/06/15(金) 20:52:10.06ID:cdr/KKWU
この時期まで何もしてこなかった男が威光解消なんて行動にでたらかえってあやしまれるよ
それに秀信が少しでも切れ者ならそもそも西軍に参加なんてしない
0260人間七七四年2018/06/15(金) 21:08:48.33ID:7qm2DxIe
新城構築については百々がいるんで、
それなりにいいかんじの縄張りの城作りそうだなというのと、
新城適地をどこに想定してるのか気になっただけで、
具体的に関ヶ原戦役でなんとかなることではないとは思ってる。
0261人間七七四年2018/06/15(金) 21:22:27.79ID:m0WStBDz
>>253
あのな。最近の新書読んだ程度でそれが全てと思うなよ?
何より負けた鳥居元忠や渥美源吾が書き残してるんだ。あったに決まってんだろ。
0262人間七七四年2018/06/15(金) 21:33:35.27ID:+KvMK3/J
鳥居元忠は伏見城で討ち死にした後に中仙道部隊に加わり第二次上田合戦に参加したのか
これまでにない斬新な新説だな
0263人間七七四年2018/06/15(金) 21:34:10.11ID:+7RRH34d
岐阜城って城下町とリンクしているタイプの城だし、安定度の高い濃尾と、不安定な東北への監視を兼ねた家康家臣の行動は必ずしも比較できないと思う。
もし岐阜城の減築(という表現でいいのかな?)をしたいなら、天正地震や慶長伏見地震で岐阜城が倒壊したっていう設定ならいいんじゃない?
天正地震なら大垣城や帰雲城も崩れてるからそんなに違和感はない。

失火とかだと秀信の管理不行き届き扱いされて粛清されそうだから無しかなあ。個人の感想だけど。
というか、秀信って下手に存在感をみせると粛清されかねないから人為的なものはリアリティに欠けるのでは?別に歴史小説を書くわけじゃないけど。
0264人間七七四年2018/06/15(金) 22:19:12.51ID:+7RRH34d
>>248
かつては兵農未分離で田植えや収穫といった農繁期になったら兵を返さないといけなかった。
というか戦争自体が農閑期の出稼ぎ的略奪だったりもする。
なので、農繁期まで粘ったら兵站線や兵の士気的に撤退に追い込まれる。これが小田原城不敗の要因。
基本的に後詰無しの籠城は、合戦の主導権を敵に渡し、周辺の領地の刈田や略奪を黙認し、一日でも早く敵軍に撤退してもらうのを天に願う戦法なので、勝ちといわれても結構きつかったりもする。

一方岐阜城は、敵の常備軍化も進んでいるし、敵本拠地がすぐ南にあるから兵站線の心配もない。
後詰めなしにはジリ貧でしかない。

上田の方は粘っていたら敵軍に別の戦線ができたから、勝手に撤退したようなものなので、交通の要衝にある岐阜城との比較はきついかなあ。
それが籠城側の勝ちなんだけど。真田と上田城ははっきり言って無視できる程度の存在だから勝てたといえる。(ファンがいたらごめん)
0265人間七七四年2018/06/15(金) 23:31:10.99ID:a01OJ4k+
局地的な城単体の籠城戦の勝ち負け言っても意味がない。
伏見城は落ちました、安濃津城は落ちました、でも勝ったのは東軍。
その結果が戦局にどう影響するかは重要だけどあくまで局地戦の結果でしかない。

岐阜城の場合、後詰がない前提というのがそもそもおかしく、
史実の部隊展開だったとしても、長く見ても2週間ほど粘っても西軍の後詰が来ないという
根拠のほうがない。
西軍が大垣周辺に3万以上の軍勢が集結しているにも関わらず、
岐阜城を見捨てるデメリットを上回るメリットがあるというなら提示していただきたい。
0266人間七七四年2018/06/15(金) 23:41:53.70ID:ugiR2hfW
岐阜城を見捨てれば東軍への内通がしやすいというメリットがあるだろ
東軍本体と本格的に事を構えてからでは内通できないというデメリットは見過ごせない
0267人間七七四年2018/06/16(土) 00:32:07.70ID:0wUz0ev7
>>266
内通すると西軍が勝てるのか?
あとそれはだれなのか具体的に挙げてください。
0268人間七七四年2018/06/16(土) 05:35:09.33ID:GHDnRjxL
>>266
岐阜城落とされたらデメリットだらけだろう

まず内通がしやすい?調略できる奴が西軍にいない

そして第二に井伊や本多に軍艦として見守られて尚且、親家康&三成憎しばかりの東軍先鋒隊とどうやって内通するのか?

最後に岐阜城が落ちると>>9の木曽川対陣による渡河防衛が不可能になる
岐阜城突破された時点で東軍先鋒隊や後続、家康本隊もぞろぞろと木曽川を渡ってくるので関ヶ原の二の舞になるぞ
0269人間七七四年2018/06/16(土) 06:07:01.30ID:910PA0gk
>>266は皮肉だろ・・
0270人間七七四年2018/06/16(土) 06:55:19.15ID:3ZqHm+hj
退くほど東軍の行動に選択肢が増えて話がおかしくなるな。
前に出るんだよ、受けに回らないことが西軍勝利の道だ。
留守城の清洲をいきなり落とす、さらに東に進み浜名湖決戦だ。
0271人間七七四年2018/06/16(土) 07:09:56.60ID:i5pkHB31
>>266は石川貞清以外の
内通してた諸侯の心境だろうな
0272人間七七四年2018/06/16(土) 08:55:14.03ID:/77Vg1Gt
>>271
稲葉一族はそれなりに西軍としてやる気あったでしょ。
岐阜城が落ちてやる気なくしたけど。
まぁ総じて犬山城衆は戦況次第でどちらでも
戦う日和見臭が強いけど。
0273人間七七四年2018/06/16(土) 09:56:36.33ID:GAR8/iAV
犬山城組からしたら岐阜城瞬殺は寝返るのに好都合だっただろうな
岐阜城が落城しなきゃ日和見の選択を続ける選択肢もあったが迷う必要がなくなった
0274人間七七四年2018/06/16(土) 10:29:34.47ID:TRHIcZeG
>>270
二大老・三奉行で家康を非難して始めた戦なのだから
前に出て命を懸けることは二大老・三奉行を中心にやってもらわないと受け入れられないだろ
西軍大名だって二大老・三奉行の臣下ではないのだから
口先や紙の上だけで勇ましい言葉を並べて、危険な戦は他人に押し付けでは士気も上がらないよ
本格的な東進をしたいなら秀家だけでは不足であり、輝元や奉行全員の出陣が必須だろうね
0275人間七七四年2018/06/16(土) 10:48:37.44ID:7IVf0pip
>>273
日和見が多かったからなおさら即行で既成事実作る必要あったのに
伏見で時間取られすぎた
岐阜城落として慌てて家康が西上したのも好機は逃がすまいと当然
0276人間七七四年2018/06/16(土) 11:09:03.87ID:bzsDpuSq
そら総大将がいなくても岐阜城落としちゃう東軍と主力以外は見物人みたいになってる西軍では勝負になんないよ
0277人間七七四年2018/06/16(土) 14:25:19.19ID:76YACD3t
関ヶ原好きなお前らに質問

ゲームで関ヶ原やりたいのだが、何かお勧めある?

出来れば携帯機がいい。

ps2の決戦は好きだった。
0278人間七七四年2018/06/16(土) 14:30:53.49ID:ht6vSjVS
ない
あっちけ逝け
0279人間七七四年2018/06/16(土) 15:47:57.38ID:g3wDi9/S
のぶやぼのシナリオであったな
黒田官兵衛で西も東も滅ぼしたった
0280人間七七四年2018/06/16(土) 18:06:20.16ID:3ZqHm+hj
>>279
そのシナリオ、伊達と上杉はどっちが面白そう?
0281人間七七四年2018/06/16(土) 18:29:12.87ID:t3W98+yL
>>277
Vitaで信長の野望 戦国立志伝でもやっとけ
0282人間七七四年2018/06/16(土) 18:52:39.56ID:Y0gV6nzj
>>280
面白いのは伊達かもな
上杉プレイはキツいだろう
0283人間七七四年2018/06/16(土) 19:50:52.65ID:zapxpptf
そういや清洲城は百万石時代の織田信雄が大規模改修したんだよな
0284人間七七四年2018/06/16(土) 20:19:12.76ID:wX5FObWc
岐阜攻防戦の頃って小早川何してたっけ?
あいつが旗色不鮮明で近江をうろちょろしてたら大垣から大規模援軍出しにくいかも。
つーか、あいつ秀吉の元養子で秀頼に何かあった場合の後継候補でもあるから
伊勢に入って諸侯糾合して東軍に寝返ったら面倒な事になりそうだな。
0285人間七七四年2018/06/16(土) 20:42:29.80ID:Jp4bC6bR
上杉なんて謙信の威光以外なんにもほめるところ無い武家
0286人間七七四年2018/06/16(土) 20:48:30.42ID:DatgHegk
>>284
佐和山城から距離1キロの高宮というところで長期対陣してる。
ここで美濃と大坂の通信を遮断し佐和山城内への調略を仕掛けてた。
バリバリの東軍である事が明らかで三成と吉継は刺客を放ってる。
0287人間七七四年2018/06/16(土) 20:56:49.51ID:AHRaqCKe
>>285
織田家よりはマシかとw
0288人間七七四年2018/06/16(土) 21:15:08.86ID:xEcdBV9m
>>285
無知なキミ、上杉家はもともと関東管領だろが
0289人間七七四年2018/06/16(土) 21:23:11.60ID:uTm0w0cG
でも景勝が憲政殺しちゃってるから言いたいことはわからんでもない
0290人間七七四年2018/06/16(土) 21:23:39.41ID:5wu8fl3n
>>286
これ岐阜に大規模援軍無理だろ。小早川が邪魔にも程がある。
こいつがいる限り西軍は積極策とれんわ。
つーか、秀頼に万が一があったらこいつが豊臣後継者になる可能性高いのに
刺客放つとか西軍も無茶を…あ、宇喜多がいるから秀秋殺しても別にいいのか。
0291人間七七四年2018/06/16(土) 21:43:52.94ID:0Ng9b7tG
>>290
よくわからない木下一族から適当に引っ張ってきてもいいんですぜ。
浅野家でもいいかもしれないけど。最悪足利義昭の息子が生きてるし、秀信もいるし
0292人間七七四年2018/06/16(土) 21:58:37.27ID:0Ng9b7tG
推敲せずに送信しちゃった。ごめんなさい。

清洲城速攻案は個人的には好きなんだけど、そんなにすぐ落とせるかな?
領地を侵犯して、周辺に陣城や付城を築いて包囲するくらいならともかく、合戦するのはリスキーかなあって思う。
敵兵の規模も伏見城と同じ。裏切りを誘うのも厳しいし、さすがに兵の数が足りないということもないだろうから、8月14日までに落とせるかな?
清洲城が攻められているといわれたら秀忠隊とかも、全部ではないにしても東海道に来るんじゃないかな。家康隊の1万ほどをくっつけて。
浅野と真田(兄)に1万ほどの兵をつけておけばどうにかなるだろうし。

それと、伏見城はあれ以上迅速な攻城は無理だと思う。
以前出てきた伏見城の一部に奉行(徳善院とか?)がいて、その奉行が西軍につくという案ならもう少し早くなるだろうけど。
0293人間七七四年2018/06/16(土) 22:18:09.66ID:3ZqHm+hj
>>292
何も外曲輪を力攻めで攻略することから始めなくていいんだよ。
二大老と三奉行の連署で豊臣家が福島家に預けている米を取りに来ましたってことでいいでしょ。
福島家の私財ではないのだから断れる道理は無い。
入り込んでしまってから隙を衝いてどんどん押し込んでしまえばいい。
公儀の人数に無闇な抵抗をしたら大変なことになる。
着手が早ければ早いほど成功するよ。
毛利輝元が家康に清洲に預けて有る兵糧を送ろうと思い立ったことを陪臣が拒絶は不可能だから。
0294人間七七四年2018/06/16(土) 22:22:27.75ID:DatgHegk
>>293
三成は機転がきかないな
0295人間七七四年2018/06/16(土) 22:23:03.07ID:uTm0w0cG
その理屈が通用するなら渡辺官兵衛の美談が成立しない
0296人間七七四年2018/06/16(土) 22:25:32.63ID:qJ4jD+PM
>>293
家康からそんな話もきてないのに?位置関係上どう考えても先に関東から使者が来るし、
そういうのは普通関東から人が派遣されるもんだけど。
大体総大将が家康なんだからそういう判断は家康がする事であって、
後方が勝手にそんな判断する事は越権行為としかいいようがないんだが。
0297人間七七四年2018/06/16(土) 22:48:13.84ID:bTkCS/EP
あぁ、いいこと思いついたわ、予め断っとくと、わたしは清洲早期攻略はリスクが大きいと見るので
反対の立場だが、
>>167を参照していただきたい。日時が早くないとだめだが、
上杉征伐に参加のフリすれば熱田まで疑われずに行ける。
これをヒントに作戦立ててみては?
0298人間七七四年2018/06/16(土) 23:00:08.68ID:0Ng9b7tG
>>293
簡単に考えすぎでは?
公儀の命令は断れないけど引き延ばすのはいくらでもできるぞ。
陪臣にとって主君の主君は赤の他人だ。確かに建前に近いし、「忖度」の対象ではあるけどね。
それに、福島正則が豊家から預かったものを家臣の判断で勝手に引き渡すのは謀反の類になる。
なので「主君福島左衛門大夫の御命令なしに引き渡すことはできません」で本人が返ってくるまでは引き延ばせる。

なし崩しに兵を入城させればいいといっても、ごく少数の使者に護衛程度なら問題ないけど、軍勢レベルになったら拒否されても文句は言えない。
領国に無理に軍勢を近づけると警戒されてそのまま籠城戦になる。城の近くに軍勢を置いたらそれだけでも宣戦布告だよ。

公儀の人に無暗な抵抗?預け先に事前連絡や同意もなく兵糧を回収するのって、福島家の面目をつぶしていませんか?
戦場で死ぬかもしれない任務を命じることは許されるけど、武士の面目をつぶす権利は主君でもないぞ。
0299人間七七四年2018/06/16(土) 23:08:16.62ID:DatgHegk
>>298
実際に正則の家臣が
「主君福島左衛門大夫の御命令なしに城を引き渡すことはできません」と言ったんだよな
その事を帰城した正則が激賞した。
0300人間七七四年2018/06/16(土) 23:10:27.49ID:DatgHegk
でも正則の家臣の圧倒的多数は「秀頼様のために城を引き渡すべきじゃね?」って意見だったらしいし
そんな議論をしてる間に多くの兵を連れて城を奪い取るべきだった。
というか最初から万余の兵を清州に連れて交渉したら一瞬で城は明け渡されてた。
戦にすらならない。
0301人間七七四年2018/06/16(土) 23:21:55.32ID:3ZqHm+hj
>>298
大老毛利輝元は当時の豊臣政権二番目の権威でしょ。
家康率いる現地の兵の進退の話ならともかく、
留守を任された毛利輝元の後方支援活動を「ちょっと一週間ばかり待ってください正則に聞きますから」
とかは、特にまだ何も起きてない時点で拒みようがないでしょ。
日の本で家康の次に恐ろしい存在なんだぜ?
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