>>199の時系列は違う。

まず織田信長=武田信玄ラインを「織田信長から持ちかけた」
これがまず真っ赤なウソ。

そもそもの発端は、犬山城主の織田信清の謀叛から始まっている。
信清は信長の従兄弟だが、信長から斎藤に寝返った、とするのが定番
しかし、実際は少し異なる。信清がアテにしていたのは、斎藤龍興ではなく武田信玄である。

当時の武田信玄は、東美濃一帯の遠山氏と関係を密にしていた。
これは、遠山氏が斎藤の内紛の際に斎藤道三を支持していたことが原因。
当然道三は敗死し、勝ったのは義龍。道三の娘婿だった織田信長も今川の圧迫を受けていて期待できない。
そこで、信濃の大部分を領していた武田信玄を頼り、安住を図ったわけだ。
で、織田信清も基本これと同じ。遠山を通じて、武田信玄を頼った。

ところがだ、当時の武田信玄を取り巻く戦況と言えば、川中島で上杉謙信と争い、
さらに上野方面まで戦線拡大、そして駿河方面の今川との関係も悪化していた。
それを見た織田信長は「信玄の介入はない」と判断し、結局織田信清は史実通り敗れる。

そして、敗れた後信清はどこへ行ったか?なんのことはない、武田信玄のところだ。
んで、信清は信長に敗れる時家臣に寝返られた。その家臣は「和田定利」と言うんだが、
コイツに対して信玄が書状を送っている。無論、「和睦」の書状だ。


であるから、>>199の時系列は正しくは


織田信清が武田信玄をアテにして信長に反旗を翻したのがそもそもの発端

斎藤龍興も武田信玄をアテにし、長井道利を通じて連携を強める

しかし武田信玄は上杉謙信との戦いに忙殺されつつあり、美濃への支援は難しい

そうこうしている間に織田信長がドンドン美濃を併呑して巨大化

全方面に敵を抱えることを恐れた武田信玄は、遠山氏や織田信清とかつての信清家臣をアテに織田信長へ和睦を申し込む

信長もそれを了承。遠山氏の娘を信長養女とし、信長から勝頼に縁組みの使者が訪れる

飯富及び義信他一部の家臣団は反対した



こうなるのだ