>>653宛続き
また佐久間折檻状の中において、佐久間に山崎の地を与えた時も、
同じような事をしていた事が記されており、
さらには、別の条項において、「自身は軍勢を養おうとはせず、
与力ばかりを使っている。」とも書いてあり、
やはり、信長領国における軍役とは、各武将達の任意によって
どれだけの兵力やら装備やらで参陣するかが決められていた事、
具体的な軍役規定がない状態では、佐久間をはじめとする武将達は
自身の経済的な出費を抑えるような形で、軍勢を整えるようにする傾向がある事も
明らかにされているように思われるわけでございますかねえ。

で、さらに佐久間折檻状の別の条項におきましては、
「合戦で戦って勝利するのが無理そうであるならば、
謀略などを使って手柄を挙げればよいのに、それもしなかった!」的に書かれてもおり、
この佐久間折檻状で問題にされているのは、あくまでも「佐久間が手柄を挙げられなかった事」であり、
別に佐久間が与えられた領土を基にして、ろくに軍勢を養おうとしなかったとしても、
謀略などを用いて手柄を挙げるのであれば、少なくとも、織田家の規定的には非難される筋合いはなかった、
という事になるわけでして。
現に具体的な槍兵〜人、弓兵〜人、鉄砲兵〜人、といった具体的な指示の書状とかも
信長はまず残されていない次第なわけですし、上記などのように、
それぞれの武将達に任せたら、普通にそれぞれの武将達は軍役を多数そろえるよりは、
自身の経済的な費用がそれ程かからないくらいの人数や装備にとどめますから、
後の秀吉政権とかは、東国大名達のように、具体的な軍役規定を定める事になるわけですしねえ。