武田勝頼についてPart2
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0001武田勝頼
2018/03/16(金) 11:11:04.43ID:c/3fcx89彼は有能か、無能か?
意見をお願いします。
0460人間七七四年
2018/03/26(月) 12:43:15.97ID:wKz/S1CB長篠は徳川の援軍であって、やる気あるのかってくらい援軍に行くの遅かったし
越前はもともと自分の領土で北陸進出にあたって重要拠点
仲間割れしてるからこそさっさと平定した方がいい
0461人間七七四年
2018/03/26(月) 12:44:24.19ID:wKz/S1CB人によって見方は違うから押し付けるつもりないし、結論が出るわけでもない
タイムマシンがないと結論出すのは無理
0462人間七七四年
2018/03/26(月) 13:05:26.34ID:KCZyVuBF遅いって、意味わからないなあ。
織田信長の長篠前後は過密スケジュールなんだが。
1575年4月19日 織田信長が三好康長を破って河内平定。
4月28日 戦後処理を終えて岐阜に帰還。
5月13日 織田信長、岐阜から出陣。
5月14日 織田信長、岡崎到着、家康と合流。
5月16日 織田信長、徳川家康、牛久保着陣。
5月17日 野田着陣。
5月18日 設楽ヶ原着陣。
これの何処が遅いのか説明してほしい。
0464人間七七四年
2018/03/26(月) 13:34:12.94ID:KCZyVuBF徳川家康と連合しているのと、織田軍がほぼ休みなしで東奔西走している事実を少しは考えようよ。つい1ヶ月弱前には河内平定していた軍が三河まで来ているのに。
休養とったりする時間はいるでしょ。
それと勝頼を油断させる信長の謀略の可能性。
平山氏は、勝頼の織田軍に対する索敵が甘かった可能性を指摘している。
0465人間七七四年
2018/03/26(月) 13:34:38.02ID:7iNjiPhs1月27日明智城攻めの報せ
2月1日先陣
2月5日本隊岐阜出発
6月5日高天神攻めの報せ
6月14日岐阜出陣
天王寺や本圀寺が例外であって普通は出陣まで10日前後かかるんじゃないかと思う。
>>463
奇襲警戒すればそれぐらいになるんじゃないかと思う。
0466人間七七四年
2018/03/26(月) 14:06:13.06ID:MjJ8MM2C0467人間七七四年
2018/03/26(月) 14:13:09.94ID:wKz/S1CB0468人間七七四年
2018/03/26(月) 14:15:10.73ID:2jtTS1vw重臣連中もノリノリだったというのが結論だな
0469人間七七四年
2018/03/26(月) 14:27:00.83ID:sJVgriuM>>448の通りなら敵の兵力や索敵などの情報収集もしない
不利な侵攻側なのに決戦を挑む無能だと言ってるようなもんだ
長篠城は鉄砲が配備されててあの時期じゃ鉄砲メインの籠城の攻略法が分からず
長篠城は全く落とせなかったと思うけどね
0470人間七七四年
2018/03/26(月) 18:47:56.23ID:o1UKYFrtノリノリかどうかは分からんけど、勝頼が物見で手を抜けば、重臣がやるだろう?命にかかわることだ。
数の劣勢を自覚している武田が打って出る以上、重臣もやる気だったと。ミッドウェーの日本海軍じゃないが、連戦連勝に武田家中に奢りがあったとしか思えないよ。
このあたりにフィクションが生まれる余地がある。
勝頼が猪武者で愚か者説
佐久間裏切りの謀略に嵌められた説
築山殿、大賀弥四郎の岡崎城開城密約説
甲斐兵は尾張兵の三倍強い説
etc…
0471人間七七四年
2018/03/26(月) 18:51:33.87ID:UCmTOck/>築山殿、大賀弥四郎の岡崎城開城密約説
変なのが混ざっているけど、これはフィクションじゃないよ、史実だよ。
武田勝頼が三河に侵攻したのも、大岡弥四郎の寝返りを計算しての
ことだし(計算し、というより積極的に仕掛けている)、四年後、これで
築山と信康は死んでいる。
0472人間七七四年
2018/03/26(月) 19:02:00.72ID:KCZyVuBF甲斐兵が尾張兵より3倍強いは明らかに誇張だと思う。織田信長時代の尾張兵はあちこちを転戦して経験積んでるのに、本当にそんなに弱いのか? そんな弱い軍が主力の織田信長がなぜあそこまで成功したのか、疑問ですよ。
0473人間七七四年
2018/03/26(月) 19:28:35.31ID:6W/+Z7P30474人間七七四年
2018/03/26(月) 19:31:56.76ID:Hyou/oMC0475人間七七四年
2018/03/26(月) 20:45:52.38ID:CmG4dDP5人質は全部殺されて領地も没収された挙句
武田の客将になって長篠城でも任されんのかなw
0476人間七七四年
2018/03/26(月) 21:46:24.91ID:h6mgHXfbあんな悲劇を最後に向かえるなら荒木薫糞の方が100倍マシな人生を過ごした。
0477人間七七四年
2018/03/27(火) 00:42:58.11ID:EjFnD9Ik0478人間七七四年
2018/03/27(火) 01:26:16.07ID:GAx05BTC0480人間七七四年
2018/03/27(火) 01:46:48.58ID:Y4jlxv5t戦後に佐久間がどうなろうと知ったことではない
0481人間七七四年
2018/03/27(火) 02:15:50.40ID:Fa9obWBzさすがに信長の魔の手もここまでは届くまい
0482人間七七四年
2018/03/27(火) 03:23:48.57ID:OgPvBGeC長篠で勝ったからって、徳川家康を降伏させるなんか無理だって。徳川家康を降伏させるなら、酒井忠次と石川数正、本多重次あたりは討ち取らないとな。
0483人間七七四年
2018/03/27(火) 03:25:14.14ID:OgPvBGeC何処が弱いのかな?
あの軍で今川義元に勝ち、畿内を制したんだが。
0484人間七七四年
2018/03/27(火) 08:08:34.77ID:y4svqmfg織田は傭兵が多いから、敗勢時の逃げっぷりは清々しい。
武田に代表される中世の軍隊?は農民兵主体だから、敵前逃亡して生き延びても、郷里に帰った後の報復が怖いから、戦線崩壊直前まで頑張る。
イメージの差だな。
必要な時、必要な場所で、敵より多くの戦力を投入する織田軍は強い。
0485人間七七四年
2018/03/27(火) 08:12:30.08ID:3hjpejXL0487人間七七四年
2018/03/27(火) 13:19:31.50ID:GAx05BTC0488人間七七四年
2018/03/27(火) 15:41:37.84ID:WXpioOqQこの場合、監視とは、ハッキングのことである
0489人間七七四年
2018/03/27(火) 18:01:13.46ID:EjFnD9Ik0490人間七七四年
2018/03/27(火) 20:08:13.49ID:Neh303qg0491人間七七四年
2018/03/27(火) 22:08:33.52ID:M2vCd2eE0492人間七七四年
2018/03/27(火) 22:11:41.92ID:pB5jNWN6一定以上の戦術の過ちを覆す事なんて出来ないよ
0493人間七七四年
2018/03/27(火) 22:16:40.68ID:fYOqJVt0長篠の戦死率は酷すぎる。
0495人間七七四年
2018/03/27(火) 23:51:12.34ID:h3/FP0fu0496人間七七四年
2018/03/28(水) 06:09:22.77ID:6buKA4+U何言ってんだこいつw
自分の意見なり、考えなりも書けば良いのにな
0497人間七七四年
2018/03/28(水) 09:21:56.66ID:5njHKoz7死ね
横だけど武田軍の強さの源は農民兵だからという説は個人的には違う気がする。
歩兵に工兵(金堀隊)と騎馬隊を組み合わせ、しかも年中戦争してたおかげで
工兵隊や騎馬隊をどう適用すれば効果的か武田の将校たちが学び熟練したからだと思うよ。
一方、尾張兵なんてものは存在しないんじゃね?
今川家を破った頃は信長は尾張兵で戦ってたが軍制改革をして織田軍というのは諸国から集まった傭兵部隊へと
段々切り替えられていった。尾張兵が強いか弱いかは検証できないというのが事実だと思う。
木下兵なんて尾張兵→美濃兵→近江兵→播磨兵と入れ替わったり混成部隊だったし。
0498人間七七四年
2018/03/28(水) 09:27:26.36ID:5njHKoz7加賀で守る富樫の城兵数百に対して30万人とも言われる暴徒で襲ったんだろ。
しかも戦わず国主は城から脱走し駆逐されてるし。
0499人間七七四年
2018/03/28(水) 09:58:10.43ID:30SqZtrMただし足軽は忠誠心には乏しいので何かあったら一気に軍勢が瓦解する
そういう感じか
長篠で失われたのは騎馬兵の中核、傭兵じゃない兵力
長篠以降も武田は強かったが、鉄砲足軽頼りの強さだったから、動揺しやすくなってたのだろうか
0500人間七七四年
2018/03/28(水) 10:02:50.83ID:OiP7cQKX長篠以降はメチャクチャ弱い。
勝頼は失った兵力を僧侶や次男三男、年寄りで賄い数は繕ったが、武将は若手や経験不足ばかりで、徳川家康単独にすら負けている。長篠以前ならあり得ない。
0501人間七七四年
2018/03/28(水) 10:11:13.59ID:81CLUJaY勝率で比べようとするからじゃね
0502人間七七四年
2018/03/28(水) 10:24:42.32ID:Z7cXdJL3http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1522111634/l50
0503人間七七四年
2018/03/28(水) 10:48:18.87ID:5njHKoz7各兵団を人としてではなく単位としてみてた(近代西洋軍学)ふしがある。
場所を点と線に置き換え、どこが要地か割り出し、そこをどの兵団に襲わせ、または守らせるか
合理的に考えてた感じがする。
0504人間七七四年
2018/03/28(水) 10:57:16.02ID:5njHKoz7ほんの少しでも不利を悟ったら天皇と将軍を動かして
不利な条件での講和をさっさとまとめ、時間を稼いだら一方的に講和を破り攻める。
それの連続だった。そういう人の信用を失う事をずっと続けてるから
暗黒寺絵刑に「必ずや近々たか子ロビーする」とか言われちゃうんだよ。
0505人間七七四年
2018/03/28(水) 10:59:39.15ID:2xjKLzb3損切り得意なのは確かだが、別に一方的に破ってはないぞ。武田の場合は明らかに武田信玄、勝頼が先に手を出してるし。
0506人間七七四年
2018/03/28(水) 11:02:19.15ID:5njHKoz7周辺で弱った集落があったら併呑するという事を5ちゃんのスクリプトのように続けてるだけで
その併呑する場所が戦略的要地なのかとかちゃんと考えてないだろ
仮に信玄が考えてたとしても息子の勝頼は絶対に考えてなかったな。
0508人間七七四年
2018/03/28(水) 11:11:12.35ID:5njHKoz7川中島に関しては最初期の段階(上杉謙信と1回目の戦いが終わった頃)で
善光寺の寄進し緩衝地帯とする約束を断固守るべきだった。
今川、北条、上杉とは親善外交で固め通商条約を結び諏訪を落とした直後から西進すべきだった。
0509人間七七四年
2018/03/28(水) 11:17:27.32ID:5njHKoz7各河川間に商道・商都市を連環させ、運河造成も必要ならすべきだった。
それらの河川交通を生かすためには絶対に今川や上杉や北条との同盟は欠かせない。
http://www.walkigram.net/narai/site_map/main_river.jpg
0511人間七七四年
2018/03/28(水) 11:20:39.25ID:5njHKoz7木曾までが遠いけど、あとは木曽川の上流から下流へ降るように侵攻するのがセオリーかと
0512人間七七四年
2018/03/28(水) 11:24:11.65ID:yKvPwHHM飯田から岐阜が遠いし、斎藤家も弱くない
駿河や相模に接してる甲斐を空にして美濃まで遠征するとかそれこそ戦略性がない
0513人間七七四年
2018/03/28(水) 11:30:08.58ID:l+vu8O8o斎藤に勝てるわきゃねーだろ
さてはてめぇねぇだな?
0514人間七七四年
2018/03/28(水) 11:30:21.60ID:5njHKoz7空にはしないしできないだろ。
信長が京に遠征する際、尾張を空にしたっけ?
まあ空に近い状態だから弟が長島の一揆で軽く殺されたと言われたなら
返す言葉は無いが。
0515人間七七四年
2018/03/28(水) 11:33:34.54ID:5njHKoz7これは実は有利な条件なんだよな。上流から下流への嫌がらせは本気になればいくらでもできるし
下流から上流へ侵略するより上流から下流へ侵略する方がはるかに楽だから。
だから武田側から手を差し伸べればおそらく上杉家とも和平できたはずなんだよな。
0516人間七七四年
2018/03/28(水) 11:35:01.56ID:Q2XMzBS7例としては志賀の陣くらいで
0517人間七七四年
2018/03/28(水) 11:36:23.33ID:s0g9TFWm地理感がなさすぎ
尾張から京、甲斐から善光寺への道とは比べ物にならないくらい甲斐から岐阜は遠いし難路だし領土が縦に伸びる形になるから
善光寺や駿河も抑えないで美濃行くなんて机上の空論
0518人間七七四年
2018/03/28(水) 11:39:50.66ID:5njHKoz7そもそもだがなんで死んでも甲斐から根拠地を移さないというのを
絶対命題として疑ってはならないという前提で議論してるんだ?
もし信長が根拠地を那古屋から移してなかったら絶対に上洛できてないわw
0519人間七七四年
2018/03/28(水) 11:41:47.83ID:/dxBPAfq和平する意味もないし必要性もない
三国同盟結んでる間は上杉相手に優勢だしそもそも北条の仮想敵が上杉なんだからその状態で上杉と和平しても北条の不信を買うだけ
まさに机上の空論
0520人間七七四年
2018/03/28(水) 11:43:51.75ID:s0g9TFWm清須だろうと小牧山だろうと岐阜だろうと濃尾平野から動いてないからな
武田の主力となる領土はどこをどう見たって甲斐
本拠地を例え高遠に移したって領土の中心は甲斐
0521人間七七四年
2018/03/28(水) 11:45:50.30ID:/dxBPAfq安土に移った後も主力が移ったわけじゃなくて濃尾平野の兵力をそのまま信忠に預けたってだけだからな
0522人間七七四年
2018/03/28(水) 11:46:04.94ID:5njHKoz7というように武田親子は考えてたんだよな。
それが致命的ミスなわけだが。
どう考えても根拠地は諏訪にすべきだった。
信濃の路は諏訪に通ずだからな。
どこに兵を出すのにも諏訪に常備兵を置いとけば一番スムーズに移動できるし。
0523人間七七四年
2018/03/28(水) 11:47:42.20ID:s0g9TFWmいやいや当主が信濃にいようと家臣の領地や兵力は甲斐が中心なんだが
領地や領民も信濃に移せるのか?w
0524人間七七四年
2018/03/28(水) 11:48:31.27ID:5njHKoz7それは地形的欠陥なんだからどうしようもないんだよ。
現在ですら身延から飯田に行くのは凄まじい遠回りを強いられてるわけだから。
0525人間七七四年
2018/03/28(水) 11:49:42.17ID:/dxBPAfq典型的な信長の野望脳だよ相手するだけ無駄
まあ最近の信長の野望は兵が城に紐付けされてて自由に移動させたりはできないと聞くが
0526人間七七四年
2018/03/28(水) 11:51:33.01ID:5njHKoz70527人間七七四年
2018/03/28(水) 12:51:34.82ID:l+vu8O8o0528人間七七四年
2018/03/28(水) 13:30:37.10ID:V9iGVqG+0529人間七七四年
2018/03/28(水) 15:07:30.12ID:rU7gD/KDでなきゃ徳川が武田様式に改めたりはしない
0530人間七七四年
2018/03/28(水) 15:17:13.78ID:2xjKLzb3進んでいてあれなんだ。
武田の幹部戦死率は恐ろしく高い。
長篠も酷かったが、それ以前から戦死率半端なく高い。
それで進んでいたと?
0531人間七七四年
2018/03/28(水) 15:24:42.54ID:EN9DbjOy歴史群像かなんかでこの後武田が鉄砲の比率上げたのは
経験不足の兵でも簡単に練度を上げられてしかも攻撃力が高いから
という分析があったな
実際対北条戦では火力で圧倒してるらしい
0533人間七七四年
2018/03/28(水) 17:01:32.38ID:ikAIjoFp山縣・真田・土屋・原
撤退中死亡
内藤・馬場
どっちもどっちたな
0534人間七七四年
2018/03/28(水) 18:08:18.71ID:CGsLwqD+例えば信長の越前侵攻なんて武田が三方ヶ原で徳川軍叩き潰して
そのまま浜松城落として三河にも電撃的に侵攻するようなもん
金と兵站がなければ不可能
0535人間七七四年
2018/03/28(水) 21:04:21.06ID:rU7gD/KDでも信長でも大軍の長期駐留は難しいから、大軍集めて野戦で一気に決着を付けてる感じだよね
逆に言うと、大軍で攻められても上手く籠城してたら兵糧不足で相手が退かざるをえなくなる、と考えてたのだろうか
その計算が最前線の一門衆の裏切りで一気に狂った
0536人間七七四年
2018/03/28(水) 21:36:41.08ID:CanFh1/p武田家でイメージする国はどうしても秦王国なんだよね。
山国で海が無く治山治水に力を入れてた強国というと。
それで比較すると何故、秦が強くなったかと言えば絶え間ない軍制改革と遷都
もうこれに尽きる。函谷関から外へ首都を移す事は無かったが
常に敵国と戦うのに都合の良い場所へ遷都し、壁外にもケイヨウ城、セイコウ城、広武山など大規模な食糧・武器保管庫を作り
いつ何時でも即座に敵国へ攻められるようにしてた。そういうのが信玄には足りなかったのでは(海津城などの存在は知ってるが)
0537人間七七四年
2018/03/28(水) 21:47:30.94ID:CanFh1/pスキピオたちが採用した「ネコとネズミ作戦」されるとどうしようもなくなるんだよな。
一番合理的なのはやはり国主はあまり動かず将軍たちを手先のように使うのがベストなんだよな。
0538人間七七四年
2018/03/29(木) 00:32:37.60ID:ipkIrhgu0539人間七七四年
2018/03/29(木) 00:34:13.39ID:4KO6/Bod武田も織田、徳川に対して兵力が三倍近く付く劣勢で野戦を挑んだことないでしょ
むしろ信玄は信長、家康に対して優勢状態しか戦ってない気がする
信玄勝頼で長篠が唯一三倍の戦力差で戦いフルボッコ壊滅だから
むしろ甲斐兵は一旦崩れると弱い
0540人間七七四年
2018/03/29(木) 00:39:50.52ID:x9SUdWug西はナンピトたりとも超えられない南アルプス山脈があり
北も東も険しい山岳地域。
北西の八ヶ岳や南の富士五湖方面や南西の身延方面、東の笹子方面からしか攻めようがない。
というかそれらの侵入ルートに函谷関のようなものをいくつか作るだけで無敵になりえたが
信濃と甲斐の間だけは道をできるだけ広くして交通の便を良くしないと独立されてしまうから
そこだけは仕方ない。
0541人間七七四年
2018/03/29(木) 00:42:46.20ID:deUpjHNm木曽が離反した挙句鳥居峠で負けたことで武田軍は事実上崩壊したけど
0542人間七七四年
2018/03/29(木) 00:43:37.54ID:x9SUdWugその城が寝返った時点で負け確定だしね
0543人間七七四年
2018/03/29(木) 00:46:34.68ID:pNaDiJheこれがあったから岩村や二俣や高天神の失陥がある
退路を確保しないで決戦に挑んだ勝頼の大チョンボ
0544人間七七四年
2018/03/29(木) 00:52:15.60ID:ipkIrhgu武田は北条と敵対した時期あったけど北条は碌に攻め込めなかったし
信虎時代初期に今川北条が攻め込んだ時は甲斐内部に味方する勢力がいたし
天正壬午の乱でも北条が相模や武蔵からも攻め込ませているけど山間部で戦闘になって撤退してる
そういうこと考えると甲斐は守りやすいと思う
0545人間七七四年
2018/03/29(木) 01:01:01.06ID:deUpjHNmもう南信濃は失ってる前提なんだよな
新府城ってマジでいらなかったんじゃ…
0546人間七七四年
2018/03/29(木) 01:06:59.04ID:x9SUdWug小田原城を見て羨ましく思っちゃったんだろうか
0547人間七七四年
2018/03/29(木) 01:11:46.05ID:deUpjHNm別にそんなの動員掛けた時の集結地どこにするかの話だからあんま関係ないんだよなぁ
0548人間七七四年
2018/03/29(木) 01:18:59.05ID:x9SUdWug真田領の吾妻なら都合良いけど。
百歩譲っても佐久あたりが良いでしょう。
0549人間七七四年
2018/03/29(木) 01:21:02.93ID:4KO6/Bod信虎も追い出されたし
0550人間七七四年
2018/03/29(木) 01:24:52.19ID:x9SUdWug西は断崖絶壁、東や南も高台で守りやすいけど
北からの攻撃はどう防ぐつもりだったんだろうな。
守り口が北からになるだけでもありがたいけど
結局は半年か1年間くらい包囲されて最後は切腹開城の道しか見えないんだが。
0551人間七七四年
2018/03/29(木) 01:29:36.24ID:deUpjHNm織田・徳川・北条敵に回して韮崎に籠城しても勝ち目ねーべ
本拠地移すなら上野の厩橋とか箕輪に本拠移すとかさ
まぁ武田勝頼である限り甲斐国内から出ることは無理なんだろうなぁ
0552人間七七四年
2018/03/29(木) 01:31:19.11ID:KxxX1UNM決戦を挑もうとした時点では退路あるぞ
渡河して設楽が原で織田徳川軍と対峙してさあ決戦開始ってなった時点に酒井忠次の奇襲隊で長篠城包囲が崩されて退路断たれたって流れだし
0553人間七七四年
2018/03/29(木) 01:41:25.46ID:4KO6/Bod地の利の恩恵でかなり有利に戦えるんだけど
勝頼は地の利がない侵攻側なのに決戦を挑んだことだな
しかも戦力差がかなりあるのに敵兵力の情報収集や索敵もせずに挑んだ
退路を断たれたのも地の利が敵にあったわけだし
0554人間七七四年
2018/03/29(木) 01:55:46.68ID:KxxX1UNM侵攻側が敵の救援軍に対して決戦を挑むということ自体は後詰決戦の論理としては別に間違いじゃない
問題は決戦そのもので勝てるかどうかの目算を完全に見誤ったこと
0555人間七七四年
2018/03/29(木) 02:06:08.72ID:4KO6/Bod侵攻側は後詰め到着されて兵力が劣勢なら退くのが当たり前でしょ
防衛側なら劣勢でも自国を守るために決戦しなければいけないが
侵攻側で劣勢なら決戦する意味がない
0556人間七七四年
2018/03/29(木) 02:09:31.92ID:x9SUdWug武田家の面子にかけて絶対に今すぐ滅ぼさなきゃってほどでもないし。
0557人間七七四年
2018/03/29(木) 02:32:28.86ID:KxxX1UNM>侵攻側は後詰め到着されて兵力が劣勢なら退くのが当たり前でしょ
それは決戦で勝てないと判断したから引くって話だね
兵力劣勢だろうと何らかの理由があって勝てるという確信があるなら侵攻側でも決戦を挑むのは長い時間のかかる攻城戦ではなく野戦で一気に決着を狙えるなどの理由で間違いではない
兵力の優劣はあくまで判断材料の一つ
0558人間七七四年
2018/03/29(木) 02:42:37.37ID:4KO6/Bod侵攻側で決戦だと
・地の利がない
・攻城戦で兵が疲弊している
・城の包囲部隊と決戦部隊で戦力分散される
侵攻側は不利なことばかりだから劣勢で挑む馬鹿はほとんどいない
寡兵で大軍を破った例はほとんど防衛側で、地の利を生かした戦略戦術を取ったからな
勝頼が惨敗したのはその代表例だ
0559人間七七四年
2018/03/29(木) 03:00:05.91ID:KxxX1UNMその勝頼を惨敗させた信長の桶狭間の戦いがまさにその寡兵で大軍を破った侵攻側だね
今川義元が大軍を連れて救援に来た時点で信長は鳴海城・大高城を包囲してる軍勢を撤収させて引くべきなんだけど信長は自ら兵を率いて攻撃を仕掛けて今川義元を討ち取り勝利した
つまり攻撃側が寡兵でも決戦を挑めば勝てると判断し見事に的中させたわけだ
一方の勝頼は自分が攻撃側で敵の方が大軍だが攻撃すれば勝てると判断し見事に外した
要するに決戦という手段自体に問題があるのではなくその手段を取るかどうかを選択する判断力の問題
0560人間七七四年
2018/03/29(木) 03:03:44.62ID:x9SUdWug■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています