トップページsengoku
1002コメント370KB

武田勝頼についてPart2

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001武田勝頼2018/03/16(金) 11:11:04.43ID:c/3fcx89
武田信玄の4男にして後継者の武田勝頼。
彼は有能か、無能か?
意見をお願いします。
0460人間七七四年2018/03/26(月) 12:43:15.97ID:wKz/S1CB
>>458
長篠は徳川の援軍であって、やる気あるのかってくらい援軍に行くの遅かったし
越前はもともと自分の領土で北陸進出にあたって重要拠点
仲間割れしてるからこそさっさと平定した方がいい
0461人間七七四年2018/03/26(月) 12:44:24.19ID:wKz/S1CB
>>459
人によって見方は違うから押し付けるつもりないし、結論が出るわけでもない
タイムマシンがないと結論出すのは無理
0462人間七七四年2018/03/26(月) 13:05:26.34ID:KCZyVuBF
>>460
遅いって、意味わからないなあ。
織田信長の長篠前後は過密スケジュールなんだが。

1575年4月19日 織田信長が三好康長を破って河内平定。
4月28日 戦後処理を終えて岐阜に帰還。
5月13日 織田信長、岐阜から出陣。
5月14日 織田信長、岡崎到着、家康と合流。
5月16日 織田信長、徳川家康、牛久保着陣。
5月17日 野田着陣。
5月18日 設楽ヶ原着陣。

これの何処が遅いのか説明してほしい。
0463人間七七四年2018/03/26(月) 13:09:57.91ID:wKz/S1CB
>>462
岡崎から設楽が原に4日もかかる?
0464人間七七四年2018/03/26(月) 13:34:12.94ID:KCZyVuBF
>>463
徳川家康と連合しているのと、織田軍がほぼ休みなしで東奔西走している事実を少しは考えようよ。つい1ヶ月弱前には河内平定していた軍が三河まで来ているのに。

休養とったりする時間はいるでしょ。

それと勝頼を油断させる信長の謀略の可能性。
平山氏は、勝頼の織田軍に対する索敵が甘かった可能性を指摘している。
0465人間七七四年2018/03/26(月) 13:34:38.02ID:7iNjiPhs
1574年援軍時
1月27日明智城攻めの報せ
2月1日先陣
2月5日本隊岐阜出発

6月5日高天神攻めの報せ
6月14日岐阜出陣

天王寺や本圀寺が例外であって普通は出陣まで10日前後かかるんじゃないかと思う。

>>463
奇襲警戒すればそれぐらいになるんじゃないかと思う。
0466人間七七四年2018/03/26(月) 14:06:13.06ID:MjJ8MM2C
岐阜をたって翌日には岡崎入りって結構強行軍じゃない?
0467人間七七四年2018/03/26(月) 14:13:09.94ID:wKz/S1CB
遅くないとしても設楽が原は長篠城から随分離れてる上に陣城まで造り出してるからあまり積極的にはみえない
0468人間七七四年2018/03/26(月) 14:15:10.73ID:2jtTS1vw
このスレでは通説の勝頼以外は止めたというのは嘘で
重臣連中もノリノリだったというのが結論だな
0469人間七七四年2018/03/26(月) 14:27:00.83ID:sJVgriuM
>>461
>>448の通りなら敵の兵力や索敵などの情報収集もしない
不利な侵攻側なのに決戦を挑む無能だと言ってるようなもんだ
長篠城は鉄砲が配備されててあの時期じゃ鉄砲メインの籠城の攻略法が分からず
長篠城は全く落とせなかったと思うけどね
0470人間七七四年2018/03/26(月) 18:47:56.23ID:o1UKYFrt
>>468
ノリノリかどうかは分からんけど、勝頼が物見で手を抜けば、重臣がやるだろう?命にかかわることだ。
数の劣勢を自覚している武田が打って出る以上、重臣もやる気だったと。ミッドウェーの日本海軍じゃないが、連戦連勝に武田家中に奢りがあったとしか思えないよ。
このあたりにフィクションが生まれる余地がある。
勝頼が猪武者で愚か者説
佐久間裏切りの謀略に嵌められた説
築山殿、大賀弥四郎の岡崎城開城密約説
甲斐兵は尾張兵の三倍強い説
etc…
0471人間七七四年2018/03/26(月) 18:51:33.87ID:UCmTOck/
>>470
>築山殿、大賀弥四郎の岡崎城開城密約説

変なのが混ざっているけど、これはフィクションじゃないよ、史実だよ。
武田勝頼が三河に侵攻したのも、大岡弥四郎の寝返りを計算しての
ことだし(計算し、というより積極的に仕掛けている)、四年後、これで
築山と信康は死んでいる。
0472人間七七四年2018/03/26(月) 19:02:00.72ID:KCZyVuBF
>>470
甲斐兵が尾張兵より3倍強いは明らかに誇張だと思う。織田信長時代の尾張兵はあちこちを転戦して経験積んでるのに、本当にそんなに弱いのか? そんな弱い軍が主力の織田信長がなぜあそこまで成功したのか、疑問ですよ。
0473人間七七四年2018/03/26(月) 19:28:35.31ID:6W/+Z7P3
佐久間裏切りって、裏切った後に佐久間家中一同はどこに行く設定なんだろう?
0474人間七七四年2018/03/26(月) 19:31:56.76ID:Hyou/oMC
切り取り次第尾張一国とかなんじゃねーの?(敵東方)
0475人間七七四年2018/03/26(月) 20:45:52.38ID:CmG4dDP5
佐久間自体が独立大名でもないから
人質は全部殺されて領地も没収された挙句
武田の客将になって長篠城でも任されんのかなw
0476人間七七四年2018/03/26(月) 21:46:24.91ID:h6mgHXfb
佐久間って結局なんだったんだろうな
あんな悲劇を最後に向かえるなら荒木薫糞の方が100倍マシな人生を過ごした。
0477人間七七四年2018/03/27(火) 00:42:58.11ID:EjFnD9Ik
史実とは・・・・
0478人間七七四年2018/03/27(火) 01:26:16.07ID:GAx05BTC
長篠で武田が勝ってそのまま徳川降伏させて尾張も一気に占領できる設定なんじゃね
0479人間七七四年2018/03/27(火) 01:43:48.23ID:qd0Oxdt5
>>470
甲斐兵は尾張兵の三倍強い説

これは賛同だな
尾張兵は異様に弱い
0480人間七七四年2018/03/27(火) 01:46:48.58ID:Y4jlxv5t
後先考えずに寝返らせるのは信玄以来の武田の家風w
戦後に佐久間がどうなろうと知ったことではない
0481人間七七四年2018/03/27(火) 02:15:50.40ID:Fa9obWBz
北条と決裂した時点で勝頼は梅雪に家督を譲って信勝と北条夫人を伴って奥州の南部氏を頼るべきだった
さすがに信長の魔の手もここまでは届くまい
0482人間七七四年2018/03/27(火) 03:23:48.57ID:OgPvBGeC
>>478
長篠で勝ったからって、徳川家康を降伏させるなんか無理だって。徳川家康を降伏させるなら、酒井忠次と石川数正、本多重次あたりは討ち取らないとな。
0483人間七七四年2018/03/27(火) 03:25:14.14ID:OgPvBGeC
>>479
何処が弱いのかな?
あの軍で今川義元に勝ち、畿内を制したんだが。
0484人間七七四年2018/03/27(火) 08:08:34.77ID:y4svqmfg
>>483
織田は傭兵が多いから、敗勢時の逃げっぷりは清々しい。
武田に代表される中世の軍隊?は農民兵主体だから、敵前逃亡して生き延びても、郷里に帰った後の報復が怖いから、戦線崩壊直前まで頑張る。
イメージの差だな。
必要な時、必要な場所で、敵より多くの戦力を投入する織田軍は強い。
0485人間七七四年2018/03/27(火) 08:12:30.08ID:3hjpejXL
織田の傭兵云々もそうとう変わってきているんだがな
0486人間七七四年2018/03/27(火) 12:37:41.26ID:Dzwd/9dQ
>>484
何言ってんだこいつ
0487人間七七四年2018/03/27(火) 13:19:31.50ID:GAx05BTC
敗勢時の逃げっぷりだと甲斐の方が酷い気がする
0488人間七七四年2018/03/27(火) 15:41:37.84ID:WXpioOqQ
セキュリティアプリを見ると、まことが筆者を「監視」したがっていることが見受けられる
この場合、監視とは、ハッキングのことである
0489人間七七四年2018/03/27(火) 18:01:13.46ID:EjFnD9Ik
お前が一番気持ち悪いよ
0490人間七七四年2018/03/27(火) 20:08:13.49ID:Neh303qg
大将討ち取られたら終わりなんだから逃げて良いのよ
0491人間七七四年2018/03/27(火) 22:08:33.52ID:M2vCd2eE
結局山県が討ち取られた時点でもう終わりなんだよなこの戦い
0492人間七七四年2018/03/27(火) 22:11:41.92ID:pB5jNWN6
どんな優秀な現場指揮官も、
一定以上の戦術の過ちを覆す事なんて出来ないよ
0493人間七七四年2018/03/27(火) 22:16:40.68ID:fYOqJVt0
馬場だけでも生きてたらな。
長篠の戦死率は酷すぎる。
0494人間七七四年2018/03/27(火) 23:46:53.91ID:986vmXSG
>>486
何?って
その通りじゃん
0495人間七七四年2018/03/27(火) 23:51:12.34ID:h3/FP0fu
ガイキチは放っとけ
0496人間七七四年2018/03/28(水) 06:09:22.77ID:6buKA4+U
>>486
何言ってんだこいつw
自分の意見なり、考えなりも書けば良いのにな
0497人間七七四年2018/03/28(水) 09:21:56.66ID:5njHKoz7
>>486
死ね

横だけど武田軍の強さの源は農民兵だからという説は個人的には違う気がする。
歩兵に工兵(金堀隊)と騎馬隊を組み合わせ、しかも年中戦争してたおかげで
工兵隊や騎馬隊をどう適用すれば効果的か武田の将校たちが学び熟練したからだと思うよ。
一方、尾張兵なんてものは存在しないんじゃね?
今川家を破った頃は信長は尾張兵で戦ってたが軍制改革をして織田軍というのは諸国から集まった傭兵部隊へと
段々切り替えられていった。尾張兵が強いか弱いかは検証できないというのが事実だと思う。
木下兵なんて尾張兵→美濃兵→近江兵→播磨兵と入れ替わったり混成部隊だったし。
0498人間七七四年2018/03/28(水) 09:27:26.36ID:5njHKoz7
数は力なりを一番、地でいったのは本願寺兵だよな。
加賀で守る富樫の城兵数百に対して30万人とも言われる暴徒で襲ったんだろ。
しかも戦わず国主は城から脱走し駆逐されてるし。
0499人間七七四年2018/03/28(水) 09:58:10.43ID:30SqZtrM
傭兵部隊の足軽が長槍と鉄砲で戦場の主役級の存在になっていったという流れがある
ただし足軽は忠誠心には乏しいので何かあったら一気に軍勢が瓦解する
そういう感じか

長篠で失われたのは騎馬兵の中核、傭兵じゃない兵力
長篠以降も武田は強かったが、鉄砲足軽頼りの強さだったから、動揺しやすくなってたのだろうか
0500人間七七四年2018/03/28(水) 10:02:50.83ID:OiP7cQKX
>>499
長篠以降はメチャクチャ弱い。
勝頼は失った兵力を僧侶や次男三男、年寄りで賄い数は繕ったが、武将は若手や経験不足ばかりで、徳川家康単独にすら負けている。長篠以前ならあり得ない。
0501人間七七四年2018/03/28(水) 10:11:13.59ID:81CLUJaY
織田家の兵が弱いって言われるのは60勝40敗と24勝6敗を
勝率で比べようとするからじゃね
0502人間七七四年2018/03/28(水) 10:24:42.32ID:Z7cXdJL3
【国民に負担だから廃止しろ】 『死刑』『皇室』『株式市場』『敷金、礼金、保証人』『戸籍、履歴書』
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1522111634/l50
0503人間七七四年2018/03/28(水) 10:48:18.87ID:5njHKoz7
信長は個々の兵の強さに頼らない組織としての勝利を重視したんだと思う。
各兵団を人としてではなく単位としてみてた(近代西洋軍学)ふしがある。
場所を点と線に置き換え、どこが要地か割り出し、そこをどの兵団に襲わせ、または守らせるか
合理的に考えてた感じがする。
0504人間七七四年2018/03/28(水) 10:57:16.02ID:5njHKoz7
信長が凄いのは損切りの速さだと思うんだよね。
ほんの少しでも不利を悟ったら天皇と将軍を動かして
不利な条件での講和をさっさとまとめ、時間を稼いだら一方的に講和を破り攻める。
それの連続だった。そういう人の信用を失う事をずっと続けてるから
暗黒寺絵刑に「必ずや近々たか子ロビーする」とか言われちゃうんだよ。
0505人間七七四年2018/03/28(水) 10:59:39.15ID:2xjKLzb3
>>504
損切り得意なのは確かだが、別に一方的に破ってはないぞ。武田の場合は明らかに武田信玄、勝頼が先に手を出してるし。
0506人間七七四年2018/03/28(水) 11:02:19.15ID:5njHKoz7
信玄は戦術は凄かったけど戦略性が本当に無かったな。
周辺で弱った集落があったら併呑するという事を5ちゃんのスクリプトのように続けてるだけで
その併呑する場所が戦略的要地なのかとかちゃんと考えてないだろ
仮に信玄が考えてたとしても息子の勝頼は絶対に考えてなかったな。
0507人間七七四年2018/03/28(水) 11:08:40.97ID:yKvPwHHM
>>506
具体的にどこをどうしたら良かった?
0508人間七七四年2018/03/28(水) 11:11:12.35ID:5njHKoz7
>>507
川中島に関しては最初期の段階(上杉謙信と1回目の戦いが終わった頃)で
善光寺の寄進し緩衝地帯とする約束を断固守るべきだった。
今川、北条、上杉とは親善外交で固め通商条約を結び諏訪を落とした直後から西進すべきだった。
0509人間七七四年2018/03/28(水) 11:17:27.32ID:5njHKoz7
経営的には信濃川・富士川・相模川(桂川)・天竜川の流通を結び
各河川間に商道・商都市を連環させ、運河造成も必要ならすべきだった。
それらの河川交通を生かすためには絶対に今川や上杉や北条との同盟は欠かせない。
http://www.walkigram.net/narai/site_map/main_river.jpg
0510人間七七四年2018/03/28(水) 11:18:36.98ID:yKvPwHHM
>>508
美濃進出は甲斐から遠いし無理だろ
0511人間七七四年2018/03/28(水) 11:20:39.25ID:5njHKoz7
>>510
木曾までが遠いけど、あとは木曽川の上流から下流へ降るように侵攻するのがセオリーかと
0512人間七七四年2018/03/28(水) 11:24:11.65ID:yKvPwHHM
>>511
飯田から岐阜が遠いし、斎藤家も弱くない
駿河や相模に接してる甲斐を空にして美濃まで遠征するとかそれこそ戦略性がない
0513人間七七四年2018/03/28(水) 11:30:08.58ID:l+vu8O8o
諏訪落としたら西進しろとか狂ってるな
斎藤に勝てるわきゃねーだろ
さてはてめぇねぇだな?
0514人間七七四年2018/03/28(水) 11:30:21.60ID:5njHKoz7
>>512
空にはしないしできないだろ。
信長が京に遠征する際、尾張を空にしたっけ?
まあ空に近い状態だから弟が長島の一揆で軽く殺されたと言われたなら
返す言葉は無いが。
0515人間七七四年2018/03/28(水) 11:33:34.54ID:5njHKoz7
期せずして武田家は日本の重要河川の上流をことごとく押さえてたけど
これは実は有利な条件なんだよな。上流から下流への嫌がらせは本気になればいくらでもできるし
下流から上流へ侵略するより上流から下流へ侵略する方がはるかに楽だから。
だから武田側から手を差し伸べればおそらく上杉家とも和平できたはずなんだよな。
0516人間七七四年2018/03/28(水) 11:35:01.56ID:Q2XMzBS7
ついでに、信長が不利だからと朝廷や将軍を動かして講和ってほとんどないぞ
例としては志賀の陣くらいで
0517人間七七四年2018/03/28(水) 11:36:23.33ID:s0g9TFWm
>>514
地理感がなさすぎ
尾張から京、甲斐から善光寺への道とは比べ物にならないくらい甲斐から岐阜は遠いし難路だし領土が縦に伸びる形になるから
善光寺や駿河も抑えないで美濃行くなんて机上の空論
0518人間七七四年2018/03/28(水) 11:39:50.66ID:5njHKoz7
>>517
そもそもだがなんで死んでも甲斐から根拠地を移さないというのを
絶対命題として疑ってはならないという前提で議論してるんだ?
もし信長が根拠地を那古屋から移してなかったら絶対に上洛できてないわw
0519人間七七四年2018/03/28(水) 11:41:47.83ID:/dxBPAfq
>>515
和平する意味もないし必要性もない
三国同盟結んでる間は上杉相手に優勢だしそもそも北条の仮想敵が上杉なんだからその状態で上杉と和平しても北条の不信を買うだけ
まさに机上の空論
0520人間七七四年2018/03/28(水) 11:43:51.75ID:s0g9TFWm
>>518
清須だろうと小牧山だろうと岐阜だろうと濃尾平野から動いてないからな
武田の主力となる領土はどこをどう見たって甲斐
本拠地を例え高遠に移したって領土の中心は甲斐
0521人間七七四年2018/03/28(水) 11:45:50.30ID:/dxBPAfq
>>520
安土に移った後も主力が移ったわけじゃなくて濃尾平野の兵力をそのまま信忠に預けたってだけだからな
0522人間七七四年2018/03/28(水) 11:46:04.94ID:5njHKoz7
>>520
というように武田親子は考えてたんだよな。
それが致命的ミスなわけだが。
どう考えても根拠地は諏訪にすべきだった。
信濃の路は諏訪に通ずだからな。
どこに兵を出すのにも諏訪に常備兵を置いとけば一番スムーズに移動できるし。
0523人間七七四年2018/03/28(水) 11:47:42.20ID:s0g9TFWm
>>522
いやいや当主が信濃にいようと家臣の領地や兵力は甲斐が中心なんだが
領地や領民も信濃に移せるのか?w
0524人間七七四年2018/03/28(水) 11:48:31.27ID:5njHKoz7
南アルプスという巨大な壁があって甲斐に根拠地を置いてる間は永久に西には行けない。
それは地形的欠陥なんだからどうしようもないんだよ。
現在ですら身延から飯田に行くのは凄まじい遠回りを強いられてるわけだから。
0525人間七七四年2018/03/28(水) 11:49:42.17ID:/dxBPAfq
>>523
典型的な信長の野望脳だよ相手するだけ無駄
まあ最近の信長の野望は兵が城に紐付けされてて自由に移動させたりはできないと聞くが
0526人間七七四年2018/03/28(水) 11:51:33.01ID:5njHKoz7
連投規制っぽいからさよなら
0527人間七七四年2018/03/28(水) 12:51:34.82ID:l+vu8O8o
北進が出来ないなら西進だ!ってメンヘラ武田厨はよく言うけどそれ北進以上に無理って昔から言われてるから
0528人間七七四年2018/03/28(水) 13:30:37.10ID:V9iGVqG+
攻め込むだけならできても、遠距離での二方面作戦になり財政破綻まったなし
0529人間七七四年2018/03/28(水) 15:07:30.12ID:rU7gD/KD
軍制に関しては武田は織田徳川より進んでたのは事実じゃないかな
でなきゃ徳川が武田様式に改めたりはしない
0530人間七七四年2018/03/28(水) 15:17:13.78ID:2xjKLzb3
>>529
進んでいてあれなんだ。
武田の幹部戦死率は恐ろしく高い。
長篠も酷かったが、それ以前から戦死率半端なく高い。
それで進んでいたと?
0531人間七七四年2018/03/28(水) 15:24:42.54ID:EN9DbjOy
>>500
歴史群像かなんかでこの後武田が鉄砲の比率上げたのは
経験不足の兵でも簡単に練度を上げられてしかも攻撃力が高いから
という分析があったな
実際対北条戦では火力で圧倒してるらしい
0532人間七七四年2018/03/28(水) 15:26:37.85ID:s0g9TFWm
>>530
幹部の戦死率と軍制って関係あるのか?
長篠にしても戦死した場所は殿や敗走中だし
0533人間七七四年2018/03/28(水) 17:01:32.38ID:ikAIjoFp
交戦中死亡
山縣・真田・土屋・原

撤退中死亡
内藤・馬場

どっちもどっちたな
0534人間七七四年2018/03/28(水) 18:08:18.71ID:CGsLwqD+
信長や羽柴の軍事的進行速度に武田みたいな古い軍隊は付いて行けないんだよな
例えば信長の越前侵攻なんて武田が三方ヶ原で徳川軍叩き潰して
そのまま浜松城落として三河にも電撃的に侵攻するようなもん
金と兵站がなければ不可能
0535人間七七四年2018/03/28(水) 21:04:21.06ID:rU7gD/KD
武田のほうが兵種別編成の面では先駆者だったけど、大軍を迅速に各所に動かすシステム構築は織田しかやれなかった?

でも信長でも大軍の長期駐留は難しいから、大軍集めて野戦で一気に決着を付けてる感じだよね
逆に言うと、大軍で攻められても上手く籠城してたら兵糧不足で相手が退かざるをえなくなる、と考えてたのだろうか
その計算が最前線の一門衆の裏切りで一気に狂った
0536人間七七四年2018/03/28(水) 21:36:41.08ID:CanFh1/p
もしかしたら俺だけなのかもしれないけど
武田家でイメージする国はどうしても秦王国なんだよね。
山国で海が無く治山治水に力を入れてた強国というと。
それで比較すると何故、秦が強くなったかと言えば絶え間ない軍制改革と遷都
もうこれに尽きる。函谷関から外へ首都を移す事は無かったが
常に敵国と戦うのに都合の良い場所へ遷都し、壁外にもケイヨウ城、セイコウ城、広武山など大規模な食糧・武器保管庫を作り
いつ何時でも即座に敵国へ攻められるようにしてた。そういうのが信玄には足りなかったのでは(海津城などの存在は知ってるが)
0537人間七七四年2018/03/28(水) 21:47:30.94ID:CanFh1/p
国主や大名が親政するのが常識な国というのは
スキピオたちが採用した「ネコとネズミ作戦」されるとどうしようもなくなるんだよな。
一番合理的なのはやはり国主はあまり動かず将軍たちを手先のように使うのがベストなんだよな。
0538人間七七四年2018/03/29(木) 00:32:37.60ID:ipkIrhgu
秦は地理的に守りやすいってのもあるな
0539人間七七四年2018/03/29(木) 00:34:13.39ID:4KO6/Bod
>甲斐兵は尾張兵の三倍強い説

武田も織田、徳川に対して兵力が三倍近く付く劣勢で野戦を挑んだことないでしょ
むしろ信玄は信長、家康に対して優勢状態しか戦ってない気がする
信玄勝頼で長篠が唯一三倍の戦力差で戦いフルボッコ壊滅だから
むしろ甲斐兵は一旦崩れると弱い
0540人間七七四年2018/03/29(木) 00:39:50.52ID:x9SUdWug
甲斐も基本的には守りやすいんだよな。
西はナンピトたりとも超えられない南アルプス山脈があり
北も東も険しい山岳地域。
北西の八ヶ岳や南の富士五湖方面や南西の身延方面、東の笹子方面からしか攻めようがない。
というかそれらの侵入ルートに函谷関のようなものをいくつか作るだけで無敵になりえたが
信濃と甲斐の間だけは道をできるだけ広くして交通の便を良くしないと独立されてしまうから
そこだけは仕方ない。
0541人間七七四年2018/03/29(木) 00:42:46.20ID:deUpjHNm
信濃も木曽と飯田さえまともに抵抗すれば十分後詰決戦で敵撃破できるからな
木曽が離反した挙句鳥居峠で負けたことで武田軍は事実上崩壊したけど
0542人間七七四年2018/03/29(木) 00:43:37.54ID:x9SUdWug
人は城
その城が寝返った時点で負け確定だしね
0543人間七七四年2018/03/29(木) 00:46:34.68ID:pNaDiJhe
寝返ったのは元をただすと長篠の敗戦があったから
これがあったから岩村や二俣や高天神の失陥がある
退路を確保しないで決戦に挑んだ勝頼の大チョンボ
0544人間七七四年2018/03/29(木) 00:52:15.60ID:ipkIrhgu
>>540
武田は北条と敵対した時期あったけど北条は碌に攻め込めなかったし
信虎時代初期に今川北条が攻め込んだ時は甲斐内部に味方する勢力がいたし
天正壬午の乱でも北条が相模や武蔵からも攻め込ませているけど山間部で戦闘になって撤退してる

そういうこと考えると甲斐は守りやすいと思う
0545人間七七四年2018/03/29(木) 01:01:01.06ID:deUpjHNm
そもそも新府城でもし信濃からの織田軍を迎え撃つ場合
もう南信濃は失ってる前提なんだよな
新府城ってマジでいらなかったんじゃ…
0546人間七七四年2018/03/29(木) 01:06:59.04ID:x9SUdWug
新府城は要らない子だったな。
小田原城を見て羨ましく思っちゃったんだろうか
0547人間七七四年2018/03/29(木) 01:11:46.05ID:deUpjHNm
よく当時の主戦場だった上野と遠江や駿河に出るためには韮崎が都合がいいって話あるけど
別にそんなの動員掛けた時の集結地どこにするかの話だからあんま関係ないんだよなぁ
0548人間七七四年2018/03/29(木) 01:18:59.05ID:x9SUdWug
上野に出るのには別に全然都合よくないんじゃね?
真田領の吾妻なら都合良いけど。
百歩譲っても佐久あたりが良いでしょう。
0549人間七七四年2018/03/29(木) 01:21:02.93ID:4KO6/Bod
新府城は敵だけじゃなく味方から攻められた時を想定してた説
信虎も追い出されたし
0550人間七七四年2018/03/29(木) 01:24:52.19ID:x9SUdWug
新府城が仮に完成したと仮定したら
西は断崖絶壁、東や南も高台で守りやすいけど
北からの攻撃はどう防ぐつもりだったんだろうな。
守り口が北からになるだけでもありがたいけど
結局は半年か1年間くらい包囲されて最後は切腹開城の道しか見えないんだが。
0551人間七七四年2018/03/29(木) 01:29:36.24ID:deUpjHNm
北条と同盟組んでるなら後詰の希望も持てるけど
織田・徳川・北条敵に回して韮崎に籠城しても勝ち目ねーべ
本拠地移すなら上野の厩橋とか箕輪に本拠移すとかさ
まぁ武田勝頼である限り甲斐国内から出ることは無理なんだろうなぁ
0552人間七七四年2018/03/29(木) 01:31:19.11ID:KxxX1UNM
>>543
決戦を挑もうとした時点では退路あるぞ
渡河して設楽が原で織田徳川軍と対峙してさあ決戦開始ってなった時点に酒井忠次の奇襲隊で長篠城包囲が崩されて退路断たれたって流れだし
0553人間七七四年2018/03/29(木) 01:41:25.46ID:4KO6/Bod
渓谷や山間部は地形を知り尽くしてる防衛側なら
地の利の恩恵でかなり有利に戦えるんだけど
勝頼は地の利がない侵攻側なのに決戦を挑んだことだな
しかも戦力差がかなりあるのに敵兵力の情報収集や索敵もせずに挑んだ

退路を断たれたのも地の利が敵にあったわけだし
0554人間七七四年2018/03/29(木) 01:55:46.68ID:KxxX1UNM
>>553
侵攻側が敵の救援軍に対して決戦を挑むということ自体は後詰決戦の論理としては別に間違いじゃない
問題は決戦そのもので勝てるかどうかの目算を完全に見誤ったこと
0555人間七七四年2018/03/29(木) 02:06:08.72ID:4KO6/Bod
>>554
侵攻側は後詰め到着されて兵力が劣勢なら退くのが当たり前でしょ

防衛側なら劣勢でも自国を守るために決戦しなければいけないが
侵攻側で劣勢なら決戦する意味がない
0556人間七七四年2018/03/29(木) 02:09:31.92ID:x9SUdWug
山家三方衆も裏切り者とはいえ同情の余地がゼロではないものな
武田家の面子にかけて絶対に今すぐ滅ぼさなきゃってほどでもないし。
0557人間七七四年2018/03/29(木) 02:32:28.86ID:KxxX1UNM
>>555
>侵攻側は後詰め到着されて兵力が劣勢なら退くのが当たり前でしょ
それは決戦で勝てないと判断したから引くって話だね
兵力劣勢だろうと何らかの理由があって勝てるという確信があるなら侵攻側でも決戦を挑むのは長い時間のかかる攻城戦ではなく野戦で一気に決着を狙えるなどの理由で間違いではない
兵力の優劣はあくまで判断材料の一つ
0558人間七七四年2018/03/29(木) 02:42:37.37ID:4KO6/Bod
>>557
侵攻側で決戦だと
・地の利がない
・攻城戦で兵が疲弊している
・城の包囲部隊と決戦部隊で戦力分散される

侵攻側は不利なことばかりだから劣勢で挑む馬鹿はほとんどいない
寡兵で大軍を破った例はほとんど防衛側で、地の利を生かした戦略戦術を取ったからな
勝頼が惨敗したのはその代表例だ
0559人間七七四年2018/03/29(木) 03:00:05.91ID:KxxX1UNM
>>558
その勝頼を惨敗させた信長の桶狭間の戦いがまさにその寡兵で大軍を破った侵攻側だね
今川義元が大軍を連れて救援に来た時点で信長は鳴海城・大高城を包囲してる軍勢を撤収させて引くべきなんだけど信長は自ら兵を率いて攻撃を仕掛けて今川義元を討ち取り勝利した
つまり攻撃側が寡兵でも決戦を挑めば勝てると判断し見事に的中させたわけだ
一方の勝頼は自分が攻撃側で敵の方が大軍だが攻撃すれば勝てると判断し見事に外した

要するに決戦という手段自体に問題があるのではなくその手段を取るかどうかを選択する判断力の問題
0560人間七七四年2018/03/29(木) 03:03:44.62ID:x9SUdWug
もし今川義元が桶狭間に無数の柵を築いて弓や鉄砲で待ち構えてても青年信長は特攻しただろうか?
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています