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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part12

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0001人間七七四年2018/02/06(火) 00:09:36.78ID:c6ce1qZm
前スレ

関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part11
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1514907315/
0653人間七七四年2018/03/24(土) 04:24:08.71ID:jVKrCnpB
>>650
最近は前田利長はわざと国に帰ったって論調が強いらしいぞ?
0654人間七七四年2018/03/24(土) 04:40:42.86ID:V8RoAeja
>>652
解ってないな〜 織田秀信だって西軍に付いただろ?
生まれつき苦労知らずな奴はカッコイイ方に付くんだよ。
幼君を守るとかな。
0655人間七七四年2018/03/24(土) 06:53:58.98ID:c+TYu66M
>>651
考えられるとしたら、コンプレックスかな。
私は輝元をバカ殿とまでは思わんがそれでも祖父や父、叔父らと比べると
やはり遠く及ばないと考えている。多分同時代の人もそう考えていただろう。
だから輝元にとっては彼らは御家の誇りであると同時に、ぬぐい難い劣等感を感じてしまう存在だったんじゃないだろうか。
しかし、もしここで輝元が家康を出し抜いて西国を制圧し、北九州を手に入れたらどうなるか。
北九州はかつて先代らが全力をもって領有しようとし、そして果たせなかった場所だ。
その地を彼らに辛酸をなめさせた大友を利用して手に入れたのならば、
輝元は偉大なる祖父や優秀な父に叔父が達成できなかった事を成し遂げた事になり、
彼らと肩を並べ、あるいはそれを超える評価を受けるかもしれない。…なんて考えてたりしてな。
0656人間七七四年2018/03/24(土) 11:03:33.44ID:lwssYwb7
毛利は一族が大名になっているので輝元のみで考えちゃいけない
全部合わせれば実高200万石を超える大勢力やで
0657人間七七四年2018/03/24(土) 11:25:22.24ID:y1AdgncQ
>>644
大坂留守居は小早川秀包と増田にまかせとけば
いいんじゃない?
0658人間七七四年2018/03/24(土) 11:59:33.59ID:cT92HdXC
>>657
秀包じゃ軽すぎる、奉行を抑えられん。毛利家中だと秀元位だね。
秀元は秀吉の姻族で準一門だから格としては問題なかろう。
ただし秀元の発言力が増大する可能性が高くなるので、毛利家が秀就派と秀元派に分裂する危険はある。
この手の後継争いは本人にその気がなくても、家臣団が勝手に争う事があるので。
0659人間七七四年2018/03/24(土) 18:41:35.76ID:V8RoAeja
西軍の戦略は九州・四国・北陸・伊勢と西軍の勢力圏を増やして行って
徳川と対抗する構えを見せている。

ごく普通で正攻法の戦略だが、伏見を落とすのに時間がかかったり
岐阜への進出が遅すぎる。輝元も流言に惑わされて出馬を見送らせている。

岐阜城が落ちた時点で美濃の連中は一旦、佐和山まで引いて
田辺攻略部隊などの分散させた兵力の集結を待った方が良かったな。
0660人間七七四年2018/03/24(土) 18:45:25.20ID:V8RoAeja
宇喜田秀家は野戦攻城では優秀な指揮官だが、自分の戦意が高いせいか
他の部隊の士気の低さを気にしなかったのかもしれない。
三成が大阪に送った書状を見てみても、宇喜田・小西・大谷・島津以外は戦意が低い。
そんな状態で関ヶ原での決戦には臨むべきじゃなかった。
0661人間七七四年2018/03/24(土) 18:49:50.74ID:i3LTCGaD
臨むべきじゃないって言ったって待ってて何か良くなる要素あるのか
0662人間七七四年2018/03/24(土) 19:00:01.04ID:BWnnCT6M
大津が東軍に寝返ってるから集結もそう簡単にはいかんぞ。
史実では関ヶ原の合戦と前後して陥落してるけど、当時の人には
いつ陥落するとか予測不能だし。事実上、西軍を分断してるようなものだしな。
城主が京極ってのも地味に困る、あいつ秀頼の叔父だからな。
史実のように力攻めで降伏とかならいいんだが、うっかり戦死させたりすると
秀頼周辺が西軍に対する態度をさらに硬化させてしまうかもしれん。
0663人間七七四年2018/03/24(土) 19:09:53.60ID:Y/MLREow
西軍としては松尾山を扼して中山道を通さない戦術を敷くのが普通だよね。
そうなると東軍は北国脇往還を進軍して木之元宿を通って琵琶湖に出るルートと
南宮山脇を通って伊勢街道ルートで大阪へというルートになる。
いずれにしても大垣城を見捨てるといずれ東軍に位負けするのが見えてるからイチかバチかで関ヶ原で決戦をする事を三成は選んだが
一か八なんてギャンブルをここですべきだったかどうかは議論が分かれると思う。
0664人間七七四年2018/03/24(土) 19:13:48.22ID:Y/MLREow
戦術的に考えると岐阜城を取られた時点で西軍は相当不利だよな
守らなければならない地点が増えて兵の分散を余儀なくされるから。
本来だったら中山道の木曾あたりで秀忠軍を迎え撃ち
東海道からの東軍と合流させないというのが基本戦略だったはずだし。
0665人間七七四年2018/03/24(土) 19:31:42.28ID:qxGFxiYr
>>661
徳川は手紙をだしまくったり黒田つかって調略したりして味方を確定させてから反攻に転じた
同じように決起するまえに西軍はしっかり味方を確定させていなければならなかった
それができないなら決起するのはただの無謀
事前にばれないように伏せるとかそんなものはやれて当然のこと
0666人間七七四年2018/03/25(日) 02:14:41.07ID:QW4Ykmkj
単に三成の動くタイミングが早すぎただけだろ。
家康が上杉を攻めた報告をきいてから動いてもよかった。
上杉は十分準備を整えていたのでそう簡単には負けない。
家康が上杉を攻める前に三成が動いてしまったので、
小山で引き返されほとんど無傷で西軍と戦うことができた。
家康が上杉を攻めた報告をきいてから動き、東に向かえば、
挟み撃ちにできたかもしれない。
0667人間七七四年2018/03/25(日) 02:40:55.82ID:ej/If77o
>>666
昨今の研究では上杉は会津討伐軍が来た途端に土下座予定だったとも言われているので(防御施設を作ってない)、
だとしたら三成の挙兵はむしろ「あそこしかない」タイミングだったと言える
0668人間七七四年2018/03/25(日) 03:37:32.91ID:Ci6w8uZy
>>667
あの時代の上杉家は謙信教団なんで、下手な事したら敵以前に家臣に首取られて終わりな気が
する。
行動原理が利害じゃ無くて、謙信なら如何動くか?だからさ。
確かにあの時代に謙信が生きてたら、必ず家康を討とうとしただろうし。
0669人間七七四年2018/03/25(日) 03:41:06.87ID:tyCRAwXp
あれだけ有名な浪人衆を多数雇って討伐軍が来たと同時に土下座は無いわ
普通に上杉家が破綻するし約束の報酬を支払わなきゃ浪人に寝首かかれかねない
そこまでみっともないこと景勝がするわけない。
0670人間七七四年2018/03/25(日) 04:08:25.58ID:ej/If77o
>>669
逆逆。「討伐軍が来た」から土下座できるんだよ。具体的圧力があってはじめて家中を説得できる。
そもそも景勝は関ケ原合戦が終わるまで「徳川家」とは一切戦わなかったわけで
0671人間七七四年2018/03/25(日) 04:37:22.31ID:GoFkWpCg
戦う気ないんなら雇わないんじゃないの

全滅するまではないにしても
軽く戦おうとするみたいな
0672人間七七四年2018/03/25(日) 04:49:57.24ID:vB4XR4uE
>>669
長尾顕景とはそういう男だと思うけどな、土下座と言う言い方はともかく
みっともなかろうが謙信死後の混乱に乗じて春日山を制圧し、上杉を手中にして秀吉に早々に取り入って上杉家を保った
いい意味で義も糞もない戦国大名としての実力と見識を持ってる
0673人間七七四年2018/03/25(日) 04:53:57.45ID:wFz+gumT
やりあう気がないにしても講和がうまくいくとは限らないんだから
取り合えず戦備はしておけば間違いはないからな
それで相手が面倒だと思って講和してくれればよし
0674人間七七四年2018/03/25(日) 06:06:13.17ID:Rd6PsWmS
そもそも上杉軍と挟み撃ちなんか無理だろう。
だって西軍自体が上杉征伐に向かう途中だった西国大名の兵を足止めして結成されたものだから。
で、上杉征伐はあくまで政権の事業として行うものだから、征伐軍が全員集合するまで多分始めないぞ。
行軍途中で「もう終わったから帰っていいよ」ってなったらその大名骨折り損だし。
0675人間七七四年2018/03/25(日) 07:08:05.85ID:5oJtRq73
>>666
動くの早すぎはわかるけど、上杉準備万端は納得しがたい
むしろ上杉は口ばかりでなんにもやってないイメージ
0676人間七七四年2018/03/25(日) 09:36:08.97ID:tyCRAwXp
革籠原を予定戦場として整備してたと言ってる学者も居るんだが
あれって嘘だったのかのう
0677人間七七四年2018/03/25(日) 09:48:31.68ID:tyCRAwXp
これが全部妄想だったらおじさん泣いちゃう

http://www.orisho.com/img/sengoku_map.jpg
http://www.kaigo-hiwada.com/image/kawagohara.jpg
http://cdn.mkimg.carview.co.jp/minkara/spot/000/000/728/183/728183/728183.jpg?ct=1a7e80659b1a
http://japanesecastles.web.fc2.com/k11.png
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/017/624/19/N000/000/001/125253557535416220763_P1050805.JPG
0678人間七七四年2018/03/25(日) 10:45:49.56ID:0AsdrnLI
上杉の動きには不可解な部分もたしかに多いけど、土下座予定はさすがにないと思う。
選択肢のうちにはあったかもしれんが。
城砦の普請や守りを堅めよとか、やる気のない者は去ってよしとかの書状が残ってるわけだし。
0679人間七七四年2018/03/25(日) 11:13:03.92ID:u0b2jAKI
とにかく、全力で豊臣家崩壊を目論む秀次残党グループを潰す以外に
なかった。池田輝政、細川忠興、田中吉政らのグループの活動をだれも
止められなかったのが最大の敗因。彼らこそ完全無欠な謀反人だからな。

なお、福島正則は晩年、「池田(輝政)、細川(忠興)、田中(吉政)、
堀尾(吉晴)ら豊臣家崩壊を目論む秀次の残党に騙され、忠臣の石田三成を
敵に誤認し討ったのは自分の不明」と再三口にしている。
0680人間七七四年2018/03/25(日) 11:22:26.65ID:u0b2jAKI
ついでに、三成のために弁護しておくと、三成は秀次事件の際に池田輝政が
秀次の残党に担がれ、田中吉政が扇動能力に長けており、将来秀頼に対し
良からぬことを企むであろうと予測していた。
秀次事件の際、池田輝政、田中吉政も木村重これ、前野長康同様族滅する
よう秀吉に再三要請したが、受け入れられなかった。
0681人間七七四年2018/03/25(日) 11:31:30.73ID:eUU9FNAf
三成は秀次と親交があった大名に対するホロコーストを主張していて
秀次一族だけでなく彼らに対しても妻子もろとも虐殺を主張していた
三成の過激な言動は秀次派ではない大名にも脅威を与えてしまい
加藤・福島を始めとして家康に権力を握らせてでも三成を排除しなければいけないという危機感を生み出した
三成の過激な虐殺主義が豊臣を崩壊させたといえるね
0682人間七七四年2018/03/25(日) 11:35:25.24ID:tyCRAwXp
三成は秀次と親交があった大名に対するホロコーストを主張していて

↑これって何かの書物に書いてあるの?
0683人間七七四年2018/03/25(日) 11:36:20.00ID:CoeRJZQg
すげえ妄想
0684人間七七四年2018/03/25(日) 11:43:04.90ID:tyCRAwXp
ちなみに田中吉政は三成の親友で
彼を秀吉に推挙した人物が三成と言われてるんだろ
0685人間七七四年2018/03/25(日) 12:08:47.12ID:u0b2jAKI
>>684
田中吉政と石田三成は出身は近いが宿敵。
田中吉政は秀次派完了のリーダ的役割をしており、石田三成と
秀次存命時から敵対していた。
0686人間七七四年2018/03/25(日) 13:50:58.24ID:OFwJFg4A
小早川秀秋がはじめからはっきり東軍だった場合、
西軍はどういう戦略になったのだろう?
0687人間七七四年2018/03/25(日) 14:09:25.16ID:TAIA6u3F
>>686
はじめってどの時点?
続々と西軍諸将が大坂に集結してるところを
小早川秀秋がその西軍を攻撃するの?
0688人間七七四年2018/03/25(日) 14:17:54.77ID:OFwJFg4A
>>687
関ケ原のスレだから、布陣した時点での話
0689人間七七四年2018/03/25(日) 14:20:51.14ID:tyCRAwXp
>>688
それだったら暗殺、もしくは強襲しかないね。
松尾山から追っ払わないと補給線を絶たれ西軍は飢え死にする。
0690人間七七四年2018/03/25(日) 15:03:30.16ID:TAIA6u3F
>>688
9月14日時点でそうなっても既に西軍の勝算は極めて薄い。
局地的に見るなら松尾山の小早川秀秋と山中村の大谷勢が関ヶ原で対峙、赤坂と大垣でも対峙、
それらに対し東西両軍がどう動くかだが、
西軍のより劣勢が強くなるだけだと思うが。
0691人間七七四年2018/03/25(日) 15:17:05.27ID:AsHjC9ct
>>686
はっきり東軍だよ
なんとか西にきてくれと言ってただけだから
0692人間七七四年2018/03/25(日) 15:17:55.84ID:AsHjC9ct
そもそも西軍の連中おいたてて松尾山に布陣してるんだから
0693人間七七四年2018/03/25(日) 15:27:51.56ID:GoFkWpCg
伏見前後なら強襲して粉砕する
0694人間七七四年2018/03/25(日) 15:46:20.90ID:tyCRAwXp
秀秋が佐和山城の目の前の高宮で長期滞在していた時点で石田以外の西軍は
秀秋をほぼ東軍と断定して暗殺を企てたとか小説では描いてあるけどどうだったんだろうね。
0695人間七七四年2018/03/25(日) 15:49:37.64ID:ej/If77o
それこそ西軍は全く一枚岩でないから、動きようがなかったんだろう
0696人間七七四年2018/03/25(日) 15:56:30.39ID:tyCRAwXp
佐和山城を落とそうと虎視眈々と狙ってたというのが正しい認識かと
0697人間七七四年2018/03/25(日) 19:50:50.36ID:sulkWxKB
>>688
もともと布陣してた西軍追い出して松尾山に陣取った秀秋は
史実でも布陣した時点から東軍だったのと大して変わらんかと
わざわざ開戦から名乗る利点が無いから西軍と言ってただけで
大谷もはじめから疑ってかかってるし
0698人間七七四年2018/03/25(日) 23:14:47.44ID:eUU9FNAf
秀秋からすれば石田や大谷なんて召使いも同然の存在だろ
石田や大谷が我が物顔で仕切って命令してくる西軍に不快感を抱くのは仕方がない
石田や大谷は秀吉時代の感覚を引きずり礼儀作法をまったく理解していなかった
秀秋に限らず秀吉時代のやり方がいつまでも通用すると勘違いしていたのが敗因だよ
0699人間七七四年2018/03/25(日) 23:26:41.90ID:STIDVoTE
そうそう
大谷が目を離せない時点でそもそも味方とおもってないわけで。
東軍そのものである小早川
未練たらたらの西軍
そんだけの構図
0700人間七七四年2018/03/26(月) 00:04:31.47ID:C0ezcu5+
>>642の続きだが、所領も考慮して再考してみた。

毛利総兵力:41500(大津攻城時での計算)

毛利秀就10000(所在地不明)
毛利秀元&吉川広家15000(南宮山)
安国寺恵瓊1500(南宮山)
毛利元康10000(大津)
毛利輝元5000(大坂)

こんなかんじになる。
あとは別枠だと、小早川秀包1000(大津)くらいかな。

なので、秀就がどこにいるかにもよるけど、輝元が出陣しても兵は5000しかいない計算。
毛利約120万石で41500人動員ならけっこうがんばってるほうだとは思う。
0701人間七七四年2018/03/26(月) 00:40:08.57ID:h6mgHXfb
もうグダグダだよな。
最初から松尾山は伊藤盛正だけに任せず
宇喜多秀家か大谷吉継のどちらかに占拠させておくべきであった。
北国街道は石田と島津だけで守り、討死覚悟でやるしかなかった。
0702人間七七四年2018/03/26(月) 00:52:31.26ID:w6qc7/3w
やっぱし、即攻で東海道抑え無かったんが響いた感じだよね。
正直、伏見城なんか放置して直ぐに清須城まで抑えるべきだったんでは?
仮に落とせずとも清須の兵糧を焼けば東軍の西上作戦は無理なのでは?
0703人間七七四年2018/03/26(月) 00:52:56.27ID:1iWOAZ4Q
>>701
長宗我部盛親がいいんじゃない?
0704人間七七四年2018/03/26(月) 01:04:36.35ID:h6mgHXfb
>>703
長曾我部は伊勢攻めで毛利隊と行動をともにしたりしてなかった?
というか最初から伊勢に派兵した時点で西軍は詰んでたよ。
戦略ミスとしか言いようがない。
0705人間七七四年2018/03/26(月) 01:11:23.22ID:h6mgHXfb
というか関ヶ原の戦いそのものが小早川秀秋の裏切りによって誕生した戦いだしね。
三成は戦の前日までまさか関ヶ原で大合戦をするとは思って無かった。
しかし松尾山が突如、小早川秀秋に占拠されたために大垣城決戦を前日になって諦め
西軍の補給路を確保するために秀秋の軍を塗り込めるように大谷・宇喜多・小西・石田で囲って
戦わざるを得なかったというのが全てだし。
これなら確かに島津が言うように東軍を夜襲すべきだった。
混戦で家康が死ぬ可能性もゼロじゃないし。別に死ななくとも軍を建て直すために東軍が群をわずかでも引けば
再度、小早川・吉川などが西軍へ寝返る可能性も普通にあった。
0706人間七七四年2018/03/26(月) 03:15:16.63ID:Hu8uqAqL
何言ってんだこいつ
0707人間七七四年2018/03/26(月) 06:20:56.79ID:nW+WUhQd
仕込み八割仕上げが二割
それをやれなかった西軍は負けてしかるべし
0708人間七七四年2018/03/26(月) 06:25:07.60ID:q1504hx6
だから、速攻なんかする理由が一つもないんだけど。
なんで上杉征伐軍が崩壊せず短期間で反転してくる事を西軍が知ってるんだよ。
それなら内府違いの条々出す理由ないだろ。敵に自分たちが挙兵した事わざわざ知らせてどうする。
あれは征伐軍の連中もこちらに雪崩をうって味方すると思ったから出したとしか考えられんぞ。
ちなみに万が一に備えろって意見に関しては>>536>>628が自分の意見。
0709人間七七四年2018/03/26(月) 07:09:45.33ID:Hu8uqAqL
速攻は速攻で意味はあるがそもそも西軍には速攻掛ける兵力がない
0710人間七七四年2018/03/26(月) 08:04:47.06ID:Zi6wnZXa
>>700
後、四国に結構派兵している
0711人間七七四年2018/03/26(月) 08:25:54.71ID:1jUpIpig
>>708
なにも表明しなければただの謀反軍。
西軍なりの正当性の表明だろ。
それに絶対の自信を持ち効果が小さかった場合に備えないのは史実以下の愚劣な論。

石田も書状で清洲の福島を説得中、味方すれば
三河に進む、だめなら伊勢方面隊といっしょに攻める、味方しなかった場合の想定はしてる
0712人間七七四年2018/03/26(月) 08:28:11.41ID:1jUpIpig
>>709
実際の問題はそこだと思う。
0713人間七七四年2018/03/26(月) 09:12:32.72ID:h6mgHXfb
>>709
総兵力は東軍より西軍の方が圧倒的に多い
0714人間七七四年2018/03/26(月) 09:37:12.53ID:aNMrQJWo
烏合の衆、やる気なし
0715人間七七四年2018/03/26(月) 09:58:45.01ID:1jUpIpig
>>713
まともに運用できる兵力は西軍のほうが少ないと思うが。
0716人間七七四年2018/03/26(月) 10:00:32.03ID:h6mgHXfb
総大将の毛利がまるでやる気の無い事が西軍の指揮を下げたんだろうな
最初は増田、長束もやる気満々だったみたいだが
輝元が入城した直後からやる気を無くしてサボタージュし始めたし。
0717人間七七四年2018/03/26(月) 10:06:57.44ID:h6mgHXfb
でも三成って同僚の五奉行や五大老から「こいつは優秀なヤツ」とハッキリ認識されてたんだろうな
無役の三成に説得されて増田、長束、宇喜多、毛利もすぐにクーデター参加を決断したというのは
「こいつならできるだろう」「三成ができるというなら信用に値する」と思わなきゃ動くわけがないし。
0718人間七七四年2018/03/26(月) 11:58:55.85ID:8bALC87e
>>708
そうだよ。だから西軍は豊臣恩為を掲げた。それなら絶対勝てるから。
この時点では豊臣恩為は家康でさえ否定できない絶対的な言葉だから。
しかも大坂城と秀頼を抑えた絶対的な状況でね。はっきりいうがこれなら勝てるよ、普通。
そしてもう一度いうが、効果が小さいことに備えることは論外。
なぜならそれは豊臣恩為の言葉を疑うことになるうから。その言葉に効果がないと認めることは
豊臣に何の力も権威もないと認めるようなものだからだ。西軍が豊臣を無力と断ぜると思うか?
ちなみに豊臣恩為の概念が揺らいだらどうなるかは史実の毛利が証明している。
豊臣恩為の言葉を疑ってしまったら最後、西軍は自壊する。日和見、寝返り、そして崩壊だ。
だから、効果が小さいことに備えるのは『あり得ない』
0719人間七七四年2018/03/26(月) 11:59:51.37ID:8bALC87e
あ、ごめん。>>711ね。
0720人間七七四年2018/03/26(月) 13:08:30.40ID:7EhYyjjq
>>718
「絶対勝てる」という根拠にはならない。

味方につくかどうかが実質的な部分。
大老筆頭家康につくか、上方の西軍につくかは諸将が決めること。
0721人間七七四年2018/03/26(月) 13:12:13.25ID:7EhYyjjq
おおかたは、「勝てるほうにつきたい、勝つのはどちらか」が判断基準で、
この場合、豊臣がどうとかは判断の優先部分ではない。
0722人間七七四年2018/03/26(月) 13:34:24.02ID:QHr94hIe
でも豊臣が指示声明するかも知れないし…
0723人間七七四年2018/03/26(月) 13:48:39.24ID:ZuXWAT1V
>>717
三成の誘いにのったわけではないと思う
0724人間七七四年2018/03/26(月) 13:50:35.07ID:ZuXWAT1V
豊臣の方も腹がすわってなかったからな
日和見すぎる
0725人間七七四年2018/03/26(月) 14:08:33.77ID:Az2wJy5E
>>718
豊臣恩為という論で行くなら
豊臣政権で事実上失脚した三成に本来発言権はない
あくまでクーデターだという認識が三成本人に無かったとしたら勝てるわけないな
0726人間七七四年2018/03/26(月) 15:25:28.25ID:w6qc7/3w
>>708
カエサルの際は賽は投げられたが一番参考に成らんかね?
あの時、カエサルが直ぐ使える兵力は一個軍団6000、勿論ガリアから移動させる事は出来るけど
その場合に元老院から反乱軍扱いされてどの程度の軍が従うのか?
カエサルがやったのは、大隊「600」単位で分散させて即攻でローマを落とす事、そんでポンペイウスの
支持基盤の中部イタリア、南部イタリアを制圧する事。
あそこで時を費やすと、元老院派はイタリアで新軍団編成してカエサルを迎撃するのは確実だしね。
つまり、ローマ制圧で大義名分を五分にして、相手の支持基盤も占領したから二ヶ月で
イタリア制圧が決まったんよ。
但し、元老院派の勢力は東地中海一帯だから結着はギリシャで野戦だけど。

問題はさ、情報が混乱状態で豊臣家恩為で西軍が伊勢、美濃、尾張、三河って現れたら本気で籠城とか
する奴居るのかな?
0727人間七七四年2018/03/26(月) 18:30:00.33ID:Cd7faj4i
>>726
逆。西軍視点では混乱が続くと困る。これは一種のクーデターだから。
彼らは徳川抜きでの政権運営をしたいんだから、まずは情勢を落ち着かせたい。
混乱を収拾するのが遅れると「やはり徳川がいないと…」って話になりかねないから。
となると、普通は手の届くところからという話になるからまずは近畿の完全制圧になるのは当然。
要は伊勢に軍勢派遣だ。少なくともそこより東海道優先はありえん。
これに対し、東軍は情勢が固まってしまうと困る。特に家康はこのまま黙ってみていた結果、
家康無しで政権運営出来そうだと豊臣家に思われると困る。つまり、西軍は足固め優先で東軍は速攻優先になる。
で、西軍は徳川が速攻で戻るのを防ぐために内府違いの条々をばらまいた訳だ。
豊臣御為を掲げれば諸将は強く抵抗出来ないから短期間で大規模反抗出来ぬだろうと考えて。
これは妙手だと思うよ。予測を思いっきり外しただけで。
0728人間七七四年2018/03/26(月) 18:51:59.09ID:DRT/A2WX
関ヶ原を戦場にされた時点でダメだよな
押されてしまいました、という結果をつきつけられているわけで挽回できない
岐阜、犬山、清洲、岡崎を確保して東軍しめだしを徹底できなかった時点でもう勝ちはない
0729人間七七四年2018/03/26(月) 19:16:46.29ID:uMdNtGnG
だから、なんで東海道に色気を出そうとするんだ。まず近畿を落ち着かせろよ。
最優先すべきなのは伏見や田辺、伊勢であって東海道じゃない。
0730人間七七四年2018/03/26(月) 19:33:53.33ID:Hyou/oMC
全くもってその通り
0731人間七七四年2018/03/26(月) 20:17:01.65ID:DRT/A2WX
攻めてくる敵がいるなら街道をおさえる必要はあるだろ
0732人間七七四年2018/03/26(月) 20:18:14.35ID:Yau47kan
同意、というか敗戦しない事だ。
まあ、佐和山のある近江は必要だが。
0733人間七七四年2018/03/26(月) 20:22:48.19ID:mL4AhkKi
>>731
そんなもんはまず近畿を穏便に抑えてからの話だ。
伊勢の情勢が不安定なのに尾張三河まで侵攻してどうする。
街道がどうとかいう話じゃなくて、まず足元を落ち着かせるべきだよ、どう考えても。
0734人間七七四年2018/03/26(月) 20:30:27.19ID:JpKiSPjC
一番の誤算は1日で決戦が終わったことだな
0735人間七七四年2018/03/26(月) 20:44:12.46ID:DRT/A2WX
>>733
そんなわけない
特に今回の関ヶ原前なら徳川の侵入を押さえずしてなんの意味があるんだよ
徳川排斥ならとにかく近畿に徳川いれないようにするのが大前提
0736人間七七四年2018/03/26(月) 20:58:52.82ID:4Ax0zBIT
>>735
なら、なおさら伊勢を抑えないと。そこ抑えないと蓋にならんぞ。
それに美濃には織田秀信がいるだろ。史実ではあっさり陥落してるけど、
そんな簡単に岐阜が落城するとか普通予想出来ん。
というより、上杉征伐軍が崩壊することなく速攻で反転攻勢仕掛けてくるとか予測不可能。
あの時点でそれ予測するってのは、要は西軍首脳部に神になれって言ってるのと変わらんよ。
0737人間七七四年2018/03/26(月) 21:10:54.36ID:h6mgHXfb
三成の行動は全て希望的観測に基づいてのものなんだよな
頭悪いんじゃね?
0738人間七七四年2018/03/26(月) 21:35:20.53ID:DRT/A2WX
>>736
うん、だから西軍のちんたらやってる具合からして話にならんのよ
0739人間七七四年2018/03/26(月) 21:36:13.10ID:DRT/A2WX
>>737
ホントそのとおり
どこらへんに成功する要素があるのかわからんレベル
0740人間七七四年2018/03/26(月) 21:42:17.14ID:h6mgHXfb
司馬遼太郎説を信じるなら三成は狂ったように秀頼出陣、輝元出陣、伊勢方面の西軍の美濃入り
長束へ豊臣家の金庫を全て空けて金銀財宝兵糧を持って来いと手紙を出し続けたが
笛吹けど踊らずで周りが誰一人言う事を聞いてくれなくて負けてしまったというなら可哀想かなと思う。
0741人間七七四年2018/03/26(月) 21:59:20.16ID:DRT/A2WX
三成自業自得
0742人間七七四年2018/03/26(月) 22:01:01.80ID:JpKiSPjC
>>737
みんなー
頭いいのが勝てる作戦考えてくれるってよ
0743人間七七四年2018/03/26(月) 22:02:53.53ID:h6mgHXfb
三成は福島正則だけは西軍についてくれると信じて疑わず何度も西軍に付くよう手紙出したというのも
事実だったら奇妙な感じはする。三成は豊臣家の看板を過大評価してるし他人の心が見えないサイコパス気質だったのかね
0744人間七七四年2018/03/26(月) 22:18:22.75ID:uf9Joi6M
順番にいこうか。まず西軍の基本戦略は、内府違いの条々の効果により大多数は帰国し
雲散霧消するはず。
もちろん徳川に味方する者もいるだろうがそれほど多くはない。
それら東軍の想定行動は上杉への抑えを残し2〜4万程度が西上してくるか、
関東に引き籠って西軍の迎撃態勢を整える。
西上してきた場合は浜松か尾三国境付近で東軍を迎え撃つ(清洲の福島が味方する前提)。
関東に引き籠った場合は年末か春ごろに西軍の大軍で関東に進攻する。

これが8月初頭時の西軍の基本戦略。7月下旬の伏見攻城時には瀬田で迎え撃つつもりだったが
予想以上に味方が増え、越前、美濃の勧誘もほぼ成功し、前田も引き返したので
こうなったと思われる。

で、その西軍の想定通りに情勢が推移する可能性はもちろんあるので、基本戦略通りに軍事展開すればいい。
(個人的には既に戦力配分で疑問部分が多いがとりあえずそれは置いとく)

しかし少なくとも8月14〜18日頃には想定外の事態が起こる。
清洲の福島は味方せず、東軍と思われる軍勢数万が清洲周辺に集結しつつある。

この時点で西軍の方針は木曽川で東軍を迎え撃つ、に変わる。

ここまではいい。しかし数万(約3万)を木曽川で迎撃するには美濃の西軍戦力では足らない。
なのでこの時点で木曽川迎撃の為にすぐさま美濃への援軍要請をする。
この時点で援軍要請しても木曽川迎撃に間に合うかは微妙だが、
大垣、岐阜、犬山が籠城し数日持ちこたえれば後詰決戦は可能になる。
岐阜が落ちてから援軍要請しても遅い。

なので、具体的には一番近いのが桑名付近の明石掃部と草津の宇喜多計18000なので、
8月18日時点で宇喜多に援軍要請すれば8月21〜22日には大垣に到着できる。

・8月18日に宇喜多に援軍要請し、21日に大垣到着できれば木曽川で渡河迎撃、
間に合わないなら大垣、岐阜、犬山は籠城、この作戦方針の徹底。


西軍の基本戦略を尊重しつつ軍事的対応で合理的に勝ちを模索するなら
このあたりで岐阜城後詰決戦に至る。
0745人間七七四年2018/03/26(月) 22:20:22.74ID:1iWOAZ4Q
清洲城をいきなり陥として、尾張と美濃を壁にしてから以西を西軍に染め上げれば勝てるな。
西からシラミ潰しに城を落とし東上する家康と遭遇したところで行き当たりばったりに決戦したのが敗因。
0746人間七七四年2018/03/26(月) 22:34:37.76ID:4Ax0zBIT
>>745
なんで西軍視点味方に出来る筈の清州を攻撃するんだよ。近畿の制圧も完了してないのに。
つーか、どうして福島が家康に味方する事を西軍は把握してるの?
西軍首脳部は予知能力者なんですか?
0747人間七七四年2018/03/26(月) 23:16:56.17ID:uf9Joi6M
次に尾張、美濃、伊勢について。(西軍側から見て)
まず美濃は今次戦役においては要衝。中山道からの西上を迎撃するなら東濃が最適で、
ここより先で迎撃するなら適所は塩尻、諏訪あたりになる。
また東海道方面へ攻撃あるいは東海道方面からの防御でも美濃から、もしくは木曽川の美濃で、となる。
軍事的には美濃の制圧及び維持は優先順位が高い。

尾張は全ては清洲。清洲を攻略及び(兵力的に)維持できるのなら攻撃する価値はあるが、
できないのならあまり益はない。清洲に5000ほど籠もられたらまず落とせない。兵糧の蓄積があるので
包囲しても意味はほとんどない。大垣・岐阜・犬山・小牧山のラインで清洲と対峙しても
兵力の分散を招くので兵力優勢でなければメリットは薄い。

伊勢は東軍は小戦力しかおらず、東軍の伊勢への進攻可能性も低いので大軍を投入する
メリットは薄い。
しかし桑名は要衝であり、ここの保持は必要。
美濃の保持が前提だが、美濃から伊勢は陸路で行けるが、
尾張から伊勢に大軍で進攻するにはかなりの数の舟が必要だが、
西軍は九鬼水軍、熊野水軍、毛利水軍と水軍戦力では優勢であり、実際毛利水軍は伊勢湾に
派遣されている。
逆に伊勢から尾張に進攻する場合、やはり舟は必要だし、まず長島城を落とす必要があり
(長島無視もありだが後背での妨害活動される覚悟は必要)
そのような手間を掛けるなら美濃から行ったほうが早い。
0748人間七七四年2018/03/26(月) 23:31:57.38ID:Az2wJy5E
実際伊勢に派兵した兵力が丸々無駄になっとるし
結果論とは言え兵力分散の愚を犯してしまってるのは言い訳できんわな
しかも相手は家康、小牧長久手でも遥かに大軍勢の豊臣軍相手に
似た構図の野戦で撃退してる訳で
この地で家康と戦う恐ろしさが理解出来てなさすぎる気はする
逆に家康の恐さを小牧長久手で見せつけられてる池田や福島が
東軍で大活躍してるのはもう皮肉としか
0749人間七七四年2018/03/26(月) 23:42:17.22ID:h6mgHXfb
というか西軍の裏切りというのは岐阜城陥落で起きたのが大半とも言われてるからな
普通に岐阜〜大垣を落とされず固めてれば
畿内方面の裏切り大名も関ヶ原での裏切り大名も誰一人裏切らず何食わぬ顔で西軍として
闘ってた公算が高いだろ。
0750人間七七四年2018/03/26(月) 23:50:45.08ID:Az2wJy5E
そういう連中はよっぽどの勝利を見せないと西軍に積極的に参加はしないでしょ
小早川秀秋辺りは最初から諦めた方がいいレベル
0751人間七七四年2018/03/26(月) 23:57:03.92ID:h6mgHXfb
まあよっぽどの勝利を見せるべきだったな。
ちゃんと兵力集めて岐阜より東でガッツリ勝っておけば
「意外と家康弱くね?西軍裏切ったら俺等、家が取り潰しされるぞ」と思うのが人情だし。
0752人間七七四年2018/03/27(火) 00:18:29.18ID:GWgsp7L2
>>743
頭の良い人は、他人の理解力ってのを過大評価する癖が有ると思うんだよ。
三成の考えでは、福島は御家安泰より秀頼公の安全を優先するから幾ら奉行衆が憎くても
西軍付くと思うたんでしょ。
西軍勝利で奉行衆が増長しても、秀頼公を主君と仰ぐ事実に変わり無い、家康が勝てば最早
秀頼公は飾り物、主君と仰ぐはずが無いってのが三成の考え。

だけど、福島の理解力の無さを理解して無かったとしか。

>>746
清須城には太閤の命令で莫大な軍需品と兵糧が有るからね。福島が何方に付こうと西軍の
兵力を入れる必要有るんじゃないかな。
本丸は明け渡す条件とかじゃ無ければ無条件で攻めて良いくらい。
逆にさ、家康が東海道出るにも兵糧の不安有れば厳しいのでは?
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