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関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part8 [無断転載禁止]©5ch.net

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0001人間七七四年2017/09/21(木) 17:19:05.29ID:MNUdMh7V
前スレ
関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part7
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1502195081/
0075人間七七四年2017/09/23(土) 09:10:01.92ID:vHIJL//E
そんな連絡が取れる環境、関係ならな
それは三成の初動にも言えるけど

乾坤一擲を狙うには情報収集、味方への働きかけ、強引さ、アホみたいなアメどれも足りてない
0076人間七七四年2017/09/23(土) 09:21:12.46ID:GIL7EUhB
>>74
家康が浜松城で籠城していたら信玄が浜松城を素通りして西進し
これに対し家康は浜松城から出撃して背後から突こうとしたら
家康を浜松城籠城から野戦に引き摺り出す武田の策で
数で劣る家康が大敗した三方ヶ原という戦があってだな

西軍にとっては時間稼ぎが最優先事項なのに野戦したから無能って言われてるんだよ?
0077人間七七四年2017/09/23(土) 09:27:57.19ID:izHZ2AoR
だから岐阜城で籠城しても大して時間が稼げないよ。

大体、野戦で秀信はどのくらい戦力を減らしたんだよ。
半分にでもなったのか?
0078人間七七四年2017/09/23(土) 09:29:06.03ID:izHZ2AoR
野戦をしたより支城に兵を分散したのが悪かったんだろう。
0079人間七七四年2017/09/23(土) 09:37:24.58ID:GIL7EUhB
>>77
0080人間七七四年2017/09/23(土) 09:42:57.54ID:GIL7EUhB
>>77
武徳安民記によると福島正則が430人討ち取り、池田輝政が490人、浅野幸長勢が308人討ち取ったとあり
最後まで生き残った秀信家臣38人の家臣は切腹した

つまり6000人いたのが籠城時には2000人未満になってただろうと言われてる
0081人間七七四年2017/09/23(土) 09:44:32.40ID:izHZ2AoR
あと何度も言っているけど前城主の池田輝政がいるから、
攻め手に城の構造はまる分かり。
恐らく弱点も知っていたんだろう。

三成が清州城の動きを全然気にしていなかったのが悪い。
岐阜城なんて狙われた終わり。
まあ、三成には斥候すらいないみたいだから仕方ないけど。
映画ではくの一を使ったいたらしいけどw
0082人間七七四年2017/09/23(土) 09:58:52.08ID:GIL7EUhB
こっちも何回もいうけど籠城に適さない大津城の戦いでも八日持った
二週間以上持った長谷堂城と同じ山城なのが岐阜城
結局は野戦に出てたから城周辺に柵や土塁を築く時間さえなかった
大津城は瓦礫で道を塞いだり最初から籠城決めてそこらへんをしっかりやってたからな
0083人間七七四年2017/09/23(土) 10:14:22.91ID:MgFMJmKG
本当に籠城できない糞城なら捨てて別の城に行けばいい
野戦は兵数的に勝てないのは明白

バカなの
0084人間七七四年2017/09/23(土) 10:17:43.09ID:GIL7EUhB
兵力差がダイレクトに勝敗を決める野戦で5〜6倍の兵力差の野戦挑むなんて無能としか
0085人間七七四年2017/09/23(土) 11:03:26.74ID:izHZ2AoR
それと野戦というより渡河を狙ったんだろう。
0086人間七七四年2017/09/23(土) 11:20:07.77ID:rQl0U3+8
>>82
その籠城の日数を何日と目標設定できる状況じゃなかったのが重要なんだと思うけどな

三成がそれについた明言した使者を秀信に送っていたら、その日数を持たす為に全力注ぐことはしやすくなるしそれは噂になって東軍にも伝わるだろうし
三成本隊来るまでに急いで落とさないとというプレッシャーから強引な攻め手になるだろうから籠城側が奇襲に出て成功する可能性も高くなる

大局観が欠如して状況も把握できず、他人に目標設定を誘導するのが下手な人が全体のマネジメントやると会社でも混乱して現場毎に勝手な判断を繰り返して全て失敗というのはよくある
0087人間七七四年2017/09/23(土) 11:31:27.91ID:GIL7EUhB
渡河できるポイントが複数あったから
ただでさえ少ない織田秀信軍を分散配置したために池田輝政軍には数で圧されそのまま渡河され
福島正則には別のルートから渡河された無能采配な

河で柵や土塁築いてたけど一ヶ所でも防衛線突破されると無意味になるから退却する嵌めになる
後方の城周辺は逆に自軍退却の妨害になるから築けない
つまり敗走で兵数も士気も落ち、柵や土塁などの障害物もないから敵も入りやすいってことになりすぐ落ちる
籠城はその点最初から敵を妨害するために通路やあらゆる所に障害物を築くから何日も耐えられるって話だな
0088人間七七四年2017/09/23(土) 11:50:13.35ID:LZesG2Td
>>84
というか西軍についたこと自体が無能だよな。

おとなしく東軍についていれば15万石は確保できたのにな。

ただ秀信がどんなに無能でも三成やテルよりもはマシ。
0089人間七七四年2017/09/23(土) 11:55:23.03ID:GIL7EUhB
>>86
戦下手な三成を補佐する島左近はどうしてたんだって話だな
関ヶ原本戦でもすぐ討ち死にしたし
そういう大局を見据える力と戦略を立てられない猪武者だったのかって思うわ
島左近の過大評価っぷりは関ヶ原No.1だと思う
0090人間七七四年2017/09/23(土) 11:59:32.14ID:G6qbcBvv
>>89
左近がいつ死んだかは不明だし、討ち取られてもいないから
戦後も生きてんじゃね?なんて風評が立つくらいなんだが。
0091人間七七四年2017/09/23(土) 12:04:41.26ID:LZesG2Td
左近とか風説で凄いとしているだけで
実績はよく分からないよな。
直江兼続と同じパターンだな。
0092人間七七四年2017/09/23(土) 12:13:21.17ID:GIL7EUhB
>>88
輝元と秀信は血筋でそのポジに自動的に付いたのに対して
三成は官僚としての内政力の才で登りつめたポジだから秀信以下は可哀想だな

>>90
戦略と大局を見据えられ調略もできる軍師が補佐していればな
三成のあの動きを見ると島左近はそういうタイプでは無かったのが分かる
0093人間七七四年2017/09/23(土) 12:20:51.03ID:ufKhqTMO
左近って筒井→石田に仕えた以外に何したかしらんレベル
過大評価というより講談の影響が大きいだけだし
0094人間七七四年2017/09/23(土) 12:26:56.93ID:LZesG2Td
>>92
輝元というより秀頼と同じポジションだな。
温室育ちで経験もないし。

まあ、三成のほうが優秀ということでもいいけど、そんなレベルくらいにしか勝てない三成って・・・・
0095人間七七四年2017/09/23(土) 12:42:45.98ID:u4VcThDC
>>92
それこそ東軍で調略に活躍した藤堂、黒田みたいな外交、根回し役と福島みたいな典型的な戦闘指揮官が必要だったと思うな

三成、吉継は兵糧、物資の調達輸送を担当して長期戦にもたえうる状況作りに専念できてたら

まあ三成の挙兵にそういう人物が靡かなかったことが当時の状況を雄弁に語っているということだけど

秀吉、秀長、秀次の誰かが生きている間に奉行と大老の職制を整えられなかったことが家康の存在を際立たせ奉行が割りを食って嫌われる原因だったとも思う
0096人間七七四年2017/09/23(土) 12:50:23.51ID:LZesG2Td
>>95
あと本多忠勝みたいな軍監じゃないの。
東軍はバラバラの連合軍で小説とかでは内紛寸前みたいに描かれているけど、いざ作戦行動に入るとそつなくこなしていて、あれだけの連合大軍なのに無駄な動きがないよ。
本多忠勝の戦場での指揮能力や統率力は相当なものじゃないの。

あれなら家康も安心して任せられる。
0097人間七七四年2017/09/23(土) 12:53:27.87ID:LZesG2Td
あと調略は藤堂や長政がつなぎをつけて、最終的には井伊直政がやっていたみたいだな。
井伊直政は外交窓口として相当優秀だったらしい。
0098人間七七四年2017/09/23(土) 13:26:20.30ID:GIL7EUhB
>>95
秀吉が徳川を200万石以上与えて優遇し過ぎたり
秀次切腹させた挙げ句に死ぬ直前に五大老制とか荒れる要因作ったり
朝鮮出兵でも豊臣恩顧を疲弊させて徳川はノーダメージ&三成と豊臣恩顧の不和が決定的になったり

原因を探すと根本は秀吉なんだよな
0099人間七七四年2017/09/23(土) 13:29:24.13ID:GIL7EUhB
あと織田秀信みたいな無能を岐阜城の城主にしたの誰だよ!って思ったら
やっぱ城主に任命したの秀吉だったりする
0100人間七七四年2017/09/23(土) 13:29:35.72ID:0iVJVKfZ
西軍で調略なら大谷が越前のかなりの武将を味方に引き入れたやん。前田勢追い返すミラクルもやってのけてるし。
謀略だったら真田だっているし、猛将タイプなら島津だっている。
ただ存分に能力を発揮できる場所にいなかったり兵が少なかったりと、うまく噛み合ってない。
0101人間七七四年2017/09/23(土) 13:59:08.30ID:nU1f+WVZ
>>80
城兵2000未満で戦死1300弱か…
本当だとしたら織田秀信の人望スゴくね?
0102人間七七四年2017/09/23(土) 14:06:11.90ID:nU1f+WVZ
ああすまん
野戦時の被害か勘違いした
0103人間七七四年2017/09/23(土) 14:43:46.19ID:LZesG2Td
秀信軍は9000人という話だけどな。
それが城に2000ということは半分以上が逃げたということじゃん。

籠城したら、あっという間に内応だな。
第4次川中島でも死んだのは上杉3000人、武田4000人らしいらな。
池田輝政の18000人で7000人を半日で殺すのは大変だ。
0104人間七七四年2017/09/23(土) 15:24:49.93ID:u4VcThDC
>>96
忠勝は侍大将で実績あって軍監だから当時の大名からしたら知名度、実績、影響力がもう家康と変わらんかっただろうしね

本田信正と並んで家康譜代の二巨頭が事実上の指揮者で命令系統も豊臣大名連合軍と徳川本隊内では揺るがない
ただ、西上の際に家康が日程無視の命令を朝令暮改でこの両部隊の連携をズタズタにしていた

東軍の唯一にして最大の失策だったここも三成には情報として入ってなかったみたいだし、とにかくもう岡目八目な後世の歴史好きからしたら何やっとんねん!三成のアホ!としかならんのだな

東軍先鋒にしてもあまりにも西上を急いで突出や戦功争いで尾張以後〜美濃侵入の間にはつけ入る隙が充分だった

大部隊の遠征なんでこういうことが起こる可能性は高かいんで秀吉なり秀長もしくは如水がいたら間違いなく諜報に必死になってチャンスを探っただろうと妄想する
0105人間七七四年2017/09/23(土) 16:54:35.96ID:GIL7EUhB
>>103
何を言ってるのか分からんが
戦いで敗けが決したら蜘蛛の子を散らすように去っていくのは当たり前の時代だぞ
小さい国だと傭兵や頭数揃えの雑兵が混じるからな
どさくさに紛れて弾薬や兵糧の持ち逃げ、火縄銃も持って逃げるから
農民でさえ火縄銃を持って畑を荒らしにくる鳥獣を狩ってたと言われてる
そして戦国末期には50万丁という世界最大保有数になってたと言う
戦国時代で最大規模の関ヶ原合戦でさえ両軍合わせて20万近くいるのに戦死者は多くて4万だからな
0106人間七七四年2017/09/23(土) 17:47:50.57ID:K/PoBaiz
四万も死なん
0107人間七七四年2017/09/23(土) 18:23:57.32ID:GIL7EUhB
「多くて」と書いてあるのが読めないのか
0108人間七七四年2017/09/23(土) 18:26:33.43ID:wtKGThjb
>>105
その辺の常識は意外と知らない人が居ますよね。
ヨーロッパでも、傭兵隊が主力の時代は戦争は高度なスポーツって言われてたし。
陣形が崩れたら雑兵はぼんぼん逃げるのが普通の世界だし。
だから、大博奕に成る会戦とかは意外と稀なんだよな。
0109人間七七四年2017/09/23(土) 18:38:38.98ID:GIL7EUhB
>>108
野戦は少しでも分が悪くなると士気が落ちて敗走しだすからな
兵力差が圧倒的に劣る場合は野戦してはならないという鉄則がある

逆に籠城は逃げ道がないから兵は討ち取られるか、城主が降伏するまで死ぬ気で戦わないといけない
城主が降伏しても切腹か斬首になる場合もあるから強制的な背水の陣とも言える
城の防御力もあるけど
結局は城を落とすには三倍から五倍の兵力が必要と言われるのはそのせいだね
0110人間七七四年2017/09/23(土) 23:15:50.48ID:izHZ2AoR
>>109
別に兵力に差があれば野戦より籠城のほうが有利なんて、別にここに
来る人なら誰でも知っているんじゃないの。

そのうえで岐阜城は特殊だし、関ヶ原の場合はもっと特殊な事情があったということに
触れずに、ただ当たり前の通説を繰り返しているだけだからな。

まあ、ここでも読んでみな。
自分たちが言っていたとおりのことが書いてあるから。

https://bushoojapan.com/castle/fujisecastle/2016/09/25/84409
0111人間七七四年2017/09/23(土) 23:19:10.35ID:izHZ2AoR
大津城を何を根拠に守りにくいと言っているか分からないが、
これを見ると堀は十分広くとってあるじゃん。

戦国後期になるとこういう城が落としにくいんだよ。

http://sano567.my.coocan.jp/ootujyo-/photo004.jpg
0112人間七七四年2017/09/23(土) 23:56:24.29ID:GIL7EUhB
>>110
兵力差5〜6倍で野戦を挑むのは無能ってこった

>>111
大津城は水運の拠点だから当時の大砲は糞重たくて運ぶのに何日も掛かった
だけど水運の拠点なら運搬しやすいように平地で整備され楽に運べる
大津城が大砲でバンバン打ち込まれたのはそのせいだ
時代背景語るならどっかのサイトの言葉を鵜呑みにして思考停止せずにそれぐらい考えろよ
0113人間七七四年2017/09/24(日) 00:15:28.86ID:Q2pK3CKu
軽量で分解可能で山岳地帯まで運べるようになるのは幕末の四斤山砲からだしな
0114人間七七四年2017/09/24(日) 00:16:54.91ID:tnBBkLEz
>>102
アリャやっぱり籠城戦時の被害だった(^^;)
というかそもそも籠城勧めた木造と百々の意見に従うんだったら
そもそも西軍に参加していないんじゃw
0115人間七七四年2017/09/24(日) 09:51:38.03ID:SsPtpNEk
あの記事を読む限り秀信の戦術はむしろ正しかったということだな。
籠城厨は城を出たことを野戦と言っているけど、木曽川を防衛ラインとして
渡河を妨害する作戦だから、
平地で正面からぶつかる野戦とは違うよな。

結果的に恐らく指揮が未熟だったから野戦に引き込まれただけで、当初の秀信の
目論見とは違うよな。

あの記事を書いた人も三成の無能性を書いているけど、問題はやはりそっちだよな。

>石田三成は若干の兵力を木曽川ではななく、岐阜城に寄越し、自身と小西行長は木曽川の防衛ラインよりずっと手前の
長良川の西岸に布陣。島津義弘の軍勢だけを木曽川の墨俣の渡しまで突出させましたが、
それもわずか1000人程度の兵力でした。

「おいおい、超有名人の俺様のじいちゃん(信長)の戦史くらい勉強しとけや、ボケ!」

石田三成に対して織田秀信の罵声が飛んでもおかしくないほど呑気な援軍でした。

と言われているな。
結局、この状況でも三成は木曽川を防衛ラインとした岐阜城ではなく、佐和山城を防衛する
ことを考えていたみたいだな。
どうしょうもないというか、最悪だな。

本当に掘れば掘るほど、三成の無能ぶりが際立ってくる。
0116人間七七四年2017/09/24(日) 10:22:21.20ID:Q2pK3CKu
これほど中身が無い長文を書けるのは珍しいねw
0117人間七七四年2017/09/24(日) 10:43:18.46ID:SsPtpNEk
あと岐阜城の籠城時に2000人ということになっているけど、
あの人の記事によると

>岐阜城は金華山単体の山ではなく、連峰であるので、それぞれの峰に曲輪を構築しています。

ここでも織田秀信は各峰の曲輪に兵力を分散させたと批判されていますが、
これも岐阜城の特性である、平場が少なく大兵力を収容できないという特徴を理解していないことからくる誤解でしょう。

そもそも岐阜城は籠城には向いておらず、このような無残な展開で囲まれた時点で降伏すべきですし、
実際、東軍も降伏勧告をしました。

とあるから、本丸にいたのが2000人で他の兵士は各砦にいた可能性があるな。
0118人間七七四年2017/09/24(日) 10:53:10.39ID:Q2pK3CKu
>あの記事を読む限り秀信の戦術はむしろ正しかったということだな。

>木曽川を防衛ラインとして
>渡河を妨害する作戦だから

結局は妨害できずに渡河されて
上で言われてるように時間かせぎもできなくて西軍が大敗したんだから
正しくなかったよね
中身の無い長文で書いてるけど要点が無くグダグダ言い訳してるだけだよな
0119人間七七四年2017/09/24(日) 10:59:48.71ID:lCTUbOZl
何度も言うが、それは犬山城の内応に気付いていないから
そもそも渡河されると、犬山との連絡が途絶する

更には中山道との連絡線までも遮断されるのだが、
東国からの情報が真田からしか得られない西軍にとって、
これはダアイ問題かと
0120人間七七四年2017/09/24(日) 11:11:24.37ID:dGrHIGzz
そもそも野戦という選択はない

全軍で守ると言うなら他の西軍の防衛が前提となるが
存在しないものを前提としている時点で
破綻している
0121人間七七四年2017/09/24(日) 11:19:55.74ID:Q2pK3CKu
>>119
>連絡線までも遮断

大津城の戦いや伏見城の戦いは連絡線など無く完全孤立状態でしたよ?
だけど時間かせぎと戦力分散に成功してる
西軍が優位に進めるために何が一番大事か分かってない
君は現代に蘇った秀信の生まれ変わりかな?
0122人間七七四年2017/09/24(日) 11:51:33.02ID:lCTUbOZl
>>121
伏見や大津の東軍は孤立してたから、西軍が包囲すれば連絡線は維持できるけど、
攻め込んだ東軍は孤立していないから、切られた連絡線はそのまま
0123人間七七四年2017/09/24(日) 12:11:42.41ID:XkWDpmik
犬山城詰めてた諸将は内応というより二股日和見でしょ。
関ヶ原本戦の脇坂らと同じ。
美濃の盟主的存在の秀信に要請されたので西軍についた、しかし東軍に人質も送ってると。

秀信無能呼ばわりされてるけど
美濃諸将を西軍に加担させたのは秀信でしょ?
秀信が初動で勧誘がんばってなければ
西軍は佐和山、関ヶ原が最前線になってた。
0124人間七七四年2017/09/24(日) 12:36:47.52ID:Q2pK3CKu
>>122
意味不明

>>123
西軍に付いた時点で見る目がないわな
そして西軍に付いても采配は奮わず西軍は敗け
改易で自領は潰され高野山に行くも
祖父の行為が仇となり不遇な扱いを受け26歳で亡くなるという
0125人間七七四年2017/09/24(日) 12:43:55.16ID:cmTQAl6C
8/10に大垣に入った三成軍数万が本戦に至るまで糞の役にもたってないなのがなぁ

まぁ近江を彷徨いてた小早川を懸念してたんだろうけど
0126人間七七四年2017/09/24(日) 12:57:17.09ID:vfZ9/ywP
結局、木曽川防衛ラインというのは岐阜城の防衛ラインであったのと同時に西軍の防衛ラインだったということだな。
それを秀信は気づいていたけど三成は何の対処もしなかったということだ。

結果的に東軍に簡単に木曽川を渡らせたから東軍は佐和山城を攻略ポイントにする選択肢も出来て、それに気づいた三成は慌てて大垣城を出てフルボッコに合ったという展開だな。

三成は秀信と一緒に木曽川で迎撃していたら違う展開になっていたな。
0127人間七七四年2017/09/24(日) 13:00:05.53ID:vfZ9/ywP
それと木曽川を挟んで対陣するから伊勢攻略の意味が出てくるけど、木曽川を突破されたら伊勢攻略なんて大した意味は無くなるのではないか。
0128人間七七四年2017/09/24(日) 13:09:45.89ID:Q2pK3CKu
犬山城は籠城決めてたのに勝手に野戦始めた無能なのが秀信
そんなにその防衛ラインが大切なら犬山城の軍勢と連携とっておけよw
0129人間七七四年2017/09/24(日) 13:28:31.41ID:vWx7xCGE
>>128
秀信は美濃、尾張に魅力をかんじたんでしょ。

大垣、岐阜、犬山の足並みが揃ってない、それに尽きるね。
せっかく犬山保持してて尾張に楔撃ち込んでるのにまったく活かせてない。
攻勢するならするで石田が大垣到着した時点で小牧山の占拠に移るべきだった。
0130人間七七四年2017/09/24(日) 13:41:38.07ID:vfZ9/ywP
大垣、岐阜、清洲の入った地図を秀信が西軍に入った理由もなんとなく分かるな。
木曽川が東西両軍の攻防の中心になると考えれば、もし東軍が木曽川を渡れなければ岐阜城は西軍の中に取り残されるからな。
まさか秀信も西軍が何もせずに東軍が防衛ラインを突破してきて、東軍の中に取り残されるとは思っていなかっただろうな。
0131人間七七四年2017/09/24(日) 13:52:41.63ID:Q2pK3CKu
結局は犬山城の判断が正しかったわけだ
とりあえず籠城して様子見
どっちが先に大軍を引き連れて到着するか様子見して
最終にどっちにつくかの判断を決める
0132人間七七四年2017/09/24(日) 14:09:57.47ID:lCTUbOZl
犬山城は調略済みだが
0133人間七七四年2017/09/24(日) 14:13:11.56ID:Q2pK3CKu
秀信視点で言うなら犬山城みたいにどっちにも良い顔してれば良かっただけって話
秀信は家名を残すための駆け引きもせずに馬鹿正直に戦った阿呆よ
0134人間七七四年2017/09/24(日) 15:06:54.07ID:vWx7xCGE
>>132
それは言いすぎ。現に犬山城主石川貞清は
犬山城開城後も西軍についてる。
たしかにほとんどが開城後東軍についたが。
0135人間七七四年2017/09/24(日) 15:19:58.91ID:DSYbNuXr
岐阜城攻略前から犬山の調略が進んでたのは確かだけど
まだ完了とまではいってないじゃないか 一応犬山方面も抑えの兵置いてるからな
秀信も大垣の西軍首脳陣も清洲にいる東軍先鋒隊の数を過少に見積もってたんじゃないかねぇ
白峰ちゃんがいつも主張してるようにクーデター成功で西軍が公儀となり
東軍は組織的な抵抗も出来ずに瓦解するくらいに楽観的に考えてたと
0136人間七七四年2017/09/24(日) 16:28:33.48ID:lCTUbOZl
>>134
あれは池田輝政の指示で、西軍の情報を提供し続けた
0137人間七七四年2017/09/24(日) 16:31:42.61ID:UlXGo2gm
秀信が野戦を挑まず籠城してれば良かったというのはその通りだと思うけど
家老の反対を押し切って西軍に参加している状態だと最初から篭城するにしても調略が怖いな
まだ決定的に形勢が傾いたわけじゃないからそんな簡単には寝返らないだろうが
0138人間七七四年2017/09/24(日) 16:39:02.71ID:vfZ9/ywP
最初から籠城していても、大して変わらないみたいだよ。
岐阜城の本丸に6000人も配備できないみたいだよ、狭くてw

今での話を総合すると2000人くらいまでみたいだな。
つまり1万以上で囲まれた時点で詰み。
0139人間七七四年2017/09/24(日) 16:41:15.17ID:vfZ9/ywP
それと何度も言っているけど野戦ではなく渡河の迎撃ね、当初の作戦行動は。

バカがいつまでも野戦、野戦と言っているけど。
0140人間七七四年2017/09/24(日) 16:42:07.94ID:mC+3XUBP
信長の嫡孫を見捨てた治部
0141人間七七四年2017/09/24(日) 16:48:16.46ID:tnBBkLEz
そもそも秀信が慎重に籠城を選ぶような性格だったら
恩賞の濃尾両国にあっさり釣られて西軍に参加しなかったんじゃ
岐阜って東西両方の情報得られ易そうなのにきっちり情勢分析しなかったのかな
0142人間七七四年2017/09/24(日) 17:33:40.94ID:vfZ9/ywP
ただ上にも書いたとおり岐阜城は木曽川を境に西軍寄りにあるから、もし東軍の渡河が失敗したら孤立することになるから地理的に考えて西軍に付いたのは致し方ない選択だったかもしれない。

秀信にしてみれば西軍が東軍の木曽川渡河をいとも簡単にやらせるとは思っていなかったというか、そこで激しい攻防戦が行われると思ったんだろう。

結局三成のやったことは秀信をわざわざ味方に付けて見捨てたということだからな。
0143人間七七四年2017/09/24(日) 17:43:12.91ID:Nh6iPmWe
大垣の諸将が積極的に後詰めしないなら
最初から籠城しても大して結果は変わらんと思うがな。

逆に大垣の諸将が動かない(動けない)前提なら
渡河迎撃は次善の策としてアリだろ。
負けたけどさ
0144人間七七四年2017/09/24(日) 17:45:42.98ID:Q2pK3CKu
織田側視点から見ても秀信は三成の美濃・尾張の2ヶ国の餌に釣られ
欲に刈られて信忠嫡流の血筋を潰したと無能としか評価できんな

西軍視点からして籠城せずに勝手に野戦して大敗して即落城させる無能

軍事視点から見ても5〜6倍の戦力差があるのに欲にかられて駆け引きもせずに
馬鹿正直に野戦する無能
0145人間七七四年2017/09/24(日) 18:16:02.48ID:GIBQW/hl
無理矢理六千ぐらい入るだろ

自軍も収容できない本城なのかよ
0146人間七七四年2017/09/24(日) 18:26:00.84ID:Q2pK3CKu
>>139
君だけ戦国板にいながら知識がないというか無知というか
>>87>>109を読んでからレスしてみたら?
0147人間七七四年2017/09/24(日) 18:43:47.96ID:CQvYkMhR
治部のせいで負けたというが
西軍が全力で防衛に参加しない時点で
単独で防衛になることは明らか

状況を判断して行動しないとな
判断能力がないのか
0148人間七七四年2017/09/24(日) 18:48:33.14ID:Q2pK3CKu
>>147
領地と家名を残すために普通の大名は両方に良い顔したり、駆け引きをするんだけど
三成の美濃・尾張の2ヶ国の餌に釣られ
欲に刈られて無謀な野戦を挑んで領地と織田嫡流の家名を断絶させただけという
普通の判断が出来てなかったのは確かかな
0149人間七七四年2017/09/24(日) 21:32:21.52ID:45XCd0Ln
秀吉も秀信が豊臣に逆らわないように徹底的に馬鹿になるように教育しただろうから
秀信の行動は自然だといえる
0150人間七七四年2017/09/24(日) 22:59:12.45ID:jqCMd5x2
西軍が勝機を見い出すとしたら、やはり石田・小西大垣到着の8月10日から
東軍先発諸将が清洲に到着する8月14日までの間になにをするか、
なにができるかに懸かっていると思う。

ifになってしまうが実現できそうなラインでこんなのでどうだろう。
積極攻勢策の場合

8月11日石田・小西、岐阜へ行き秀信と当面の方針を軍議。
     福島が西軍につかなかった場合に備え小牧山の確保と清洲城の接収
     もしくは強襲を決める。
8月12日 大垣城より石田・小西で兵1万、岐阜城より織田秀信兵5000が出陣
     石田・小西は清洲強襲、秀信は小牧山占拠へ
8月13日 秀信小牧山を占拠、拠点化整備。
同日  石田・小西清洲強襲。強襲成功し占領できればすぐさま籠城準備、
     強襲失敗なら小牧山へ退き秀信と合流。


小牧山への後詰については、伊勢の桑名、長島方面攻略予定の宇喜多秀家を
関ヶ原経由で直接美濃、尾張方面の支援に向かわせればいいと思う。
史実通り伊勢行っても結局長島は攻略できないし時間の浪費しかしていない。
8月15日に京を通っているので、順調に行けば8月18日大垣、19日岐阜、
8月20日には小牧山に到着できると思う。
途中、大垣、岐阜に守備兵2000ずつ残置していっても13000ほど小牧山に連れてこれる。
石田、小西、織田秀信、宇喜多秀家で小牧山に兵2万8千。残置なしなら3万2千。
これで一応数だけなら東軍先発隊約3万5千とほぼ互角にもってける。

籠城策の場合も似たようなもので、とにかく秀信と軍議、籠城方針の確認と宇喜多の美濃への後詰。
0151人間七七四年2017/09/24(日) 23:01:48.07ID:jqCMd5x2
ほかにも瀬田守備隊の兵約6900とか意味あるの?って思える予備兵力が西軍には
存在するけど、とりあえずこの時期に差しさわりなく変更できそうな兵は宇喜多。
0152人間七七四年2017/09/25(月) 00:57:31.64ID:iTLvTFSX
>>149
付け家老って言うても実質的には目付けだろうしね。
秀信が14万石の領地と縁の有る岐阜城と中納言の官位で満足する様教育するのが仕事。
野望を持たない様に、名声欲が強く成る様にって教育されたでしょうね。
濃尾二ヶ国と、幼主を助ける美名ってのに乗ったんでしょ。
全て家老の合議でやって来たから、逆に反発して野戦をしたのかもね。
家老が全員籠城勧めたから意地に成ったとか。
0153人間七七四年2017/09/25(月) 06:13:39.10ID:s1OxWQcK
>>150
そこまで軍勢が結集して総大将格の石田三成もいると家康も出陣してくるから
結局はそこが本戦になり東軍は福島や池田等の先方+家康本隊になり
最悪な場合は秀忠部隊が早めに岐阜集結の報を聞いて引き返して本戦に間に合うかもしれない
早期集結は悪手だと思われる
0154人間七七四年2017/09/25(月) 06:45:45.59ID:s1OxWQcK
訂正
岐阜じゃなくて小牧山だな

それと小早川の存在を忘れてるぞ
あいつの近江の動きは三成が大垣城出たら占拠するか
背後から東軍と挟撃する動きなんで
そのまま小牧山周辺に付いてくるか大垣城占拠されて孤立させられるぞ

三成が動けなかったのは奴の不審な動きのせいだ
0155人間七七四年2017/09/25(月) 07:47:23.64ID:lumtRpD8
>>153
岐阜が落ちなければ家康は出陣しない可能性も
0156人間七七四年2017/09/25(月) 07:49:31.86ID:lumtRpD8
>>154

小早川では大垣は落とせないが
退路を遮断されるのは嫌だな

大谷は早々に関ヶ原に布陣している
情勢的に要と見たんだろう
0157人間七七四年2017/09/25(月) 07:50:18.71ID:s1OxWQcK
>>155
クーデター首謀者の三成が出て来てるんなら家康も出てくるでしょ
関ヶ原も三成敗走したら終わったんだし
0158人間七七四年2017/09/25(月) 07:51:41.88ID:lumtRpD8
>>152
秀家秀信は完全な豊臣だから
豊臣のために参戦

両者ともボンボンで戦はできん
0159人間七七四年2017/09/25(月) 07:53:02.50ID:lumtRpD8
>>157
首謀者は伏見から出て来ている

家康としては豊臣恩顧の動きも見極めたい
0160人間七七四年2017/09/25(月) 07:53:52.74ID:s1OxWQcK
>>156
小早川は落とすというか
西軍の振りして伊藤盛正追い出して松尾山占拠したように
勝手に入城して占拠するだけだぞ
0161人間七七四年2017/09/25(月) 07:55:21.36ID:lumtRpD8
>>160
勝手にどこでも入城できん

松尾は恐らく抵抗しても無駄だった
0162人間七七四年2017/09/25(月) 08:00:14.27ID:s1OxWQcK
>>161
勝手に戦線離脱で近江にうろうろする方が普通は軍法会議レベルなのに許されてるという
入城拒否したらそこで反旗翻すだけだし
三成孤立するだけだからむしろ思うツボだな
0163人間七七四年2017/09/25(月) 08:09:45.34ID:s1OxWQcK
>>159
テルは吉川広家の内通によって抑えられてるし
三成率いる軍勢がそこに集結しだして膠着したら
そこが本戦になるんで家康が出てくるのは当然なんだよな
0164人間七七四年2017/09/25(月) 09:21:38.68ID:lumtRpD8
>>163
膠着というか
戦端が開かれたら
敵味方がはっきりしたとして出陣する可能性はある
0165人間七七四年2017/09/25(月) 09:22:48.77ID:lumtRpD8
>>162
いや小早川はぎりぎりまでみっかたのふりをしたい
0166人間七七四年2017/09/25(月) 10:20:33.90ID:Yv5QrDSm
松尾山は小競り合いレベルだが戦闘に至った上での占拠だからな

小早川が手薄の大垣に押し寄せてこないってのは楽観しすぎだろ
0167人間七七四年2017/09/25(月) 10:47:27.16ID:lumtRpD8
そんなことが可能なら小早川は佐和山を落とせば良かった
0168人間七七四年2017/09/25(月) 11:09:53.67ID:XfeTeVDf
小早川の行動は予測できない。敢えて対応するならば
瀬田守備隊の福原らに対応してもらえばいいんじゃないかと思う。

家康が出陣してくるようなら史実同様毛利、吉川らに後詰め要請すればいいと思う。
後詰めというより小牧山への入城要請のほうがいいかな。
0169人間七七四年2017/09/25(月) 11:16:47.32ID:XfeTeVDf
あとは西軍小牧山占拠という情勢で、犬山城がどう動くか。籠城継続かな?
0170人間七七四年2017/09/25(月) 11:21:55.87ID://o5jv9I
前田が家康に屈していたのがそこで効いてるんだよな

あそこで豊臣が前田のために家康を止めていたら前田は利家死後も親豊臣の姿勢貫けてただろうし、そうなると上杉征伐にも家康が会津に向かうなら自分は大阪城に入るとかなれば前田、毛利で関西方面は小早川秀秋が何かしようと思えない状況になってた

三成の挙兵にどこまで協力するかは分からんが
0171人間七七四年2017/09/25(月) 12:59:22.52ID:GtnpscKD
>>150
三成の最初の構想だけど、福島が味方になって清洲城を占拠できた前提での作戦で、清洲城を占拠できなければ、小牧なんかにいても何の意味もないな。

清洲と小牧を押さえるのは、その前にある矢作川を防衛ラインに出来るから意味があるけど、東軍に矢作川を渡られたら、史実の大垣城と一緒で小牧なんかはスルーされて連絡線を潰されて孤立化するリスクを負うだけだ。
0172人間七七四年2017/09/25(月) 13:03:40.54ID:GtnpscKD
これは前の蒸し返しになるけど、三成は福島は味方につくと考えていた節があるから西軍の清洲城攻撃はまずないよな。

あと小牧に援軍を出すとしても木曽川を背にするから、下手をしたら全滅だな。
0173人間七七四年2017/09/25(月) 13:11:48.45ID:GtnpscKD
ただ考えてみると矢作川や木曽川に防衛ラインを引いても中山道から岐阜に秀忠軍が来るから、どっちにしても西軍は背後か側面を突かれるんだよな。

結局は長良川を防衛ラインにするしかなかったということだな。
0174人間七七四年2017/09/25(月) 13:49:38.00ID:Y+HKgM5z
東軍が大垣や岐阜攻めるなら攻めさせればいいんだよ。
史実通りのペース伊勢攻略隊が北伊勢制圧してくれれば
この状況でもし清洲が落ちるようなことがあれば
美濃に進出した東軍は逆に孤立に近い状態になるんだよ。
一応中山道はあるけど。

だから小牧山押さえとけばものすごく駆け引きの余地が出てくる。
0175人間七七四年2017/09/25(月) 14:49:15.68ID:rHci4Nr9
>>112
>兵力差5〜6倍で野戦を挑むのは無能ってこった

それなんて三方ヶ原?
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