ドラマの終盤で、信繁が開城交渉のために小田原城に入っていきます。もちろん信繁にそのような史実はありませんが、徳川家康・織田信雄が家臣を城内に入れて、北条氏直と交渉していたことは史実です。ドラマではこれを信繁に演じさせているわけです。

また信繁が背中に指していたものは、「母衣(ほろ)指物(さしもの)」という武具の一種です。秀吉は、馬廻衆のなかから黄色い母衣を指すものを選抜していて、これを「黄母衣衆」と呼んでいました。
いわば馬廻衆のなかのエリートにあたり、ドラマにみられたように使番(戦場での連絡係)を勤めていました。

実際のところ、信繁はそのような立場にはなかったと考えられますが、信繁を活躍させなくてはならないので、どうせなら、ということで「黄母衣衆」にしているわけです。
この姿をみて不思議がった方もいるかもしれませんが、こうした恰好をしている人が実際にあったんですね。

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