いわゆる「家康しかみ像」についてのまとめ

1780年、従姫が紀州徳川家から尾張徳川家へ嫁ぎ、絵画を持ち込む
1805年、従姫死後、尾張徳川家が絵画を管理
1935年、徳川美術館開館から間もなく、尾張徳川家の末裔の徳川義親氏が絵画を提供
 「尾張徳川家初代の徳川義直が、父の苦難を忘れないように描かせた」と、逸話を添える
 以後、1972年までの間に、苦難=三方ヶ原敗戦と解釈する憶測が普及
1972年、収蔵品図録に記録
 「家康が自ら描かせ、障害座右を離さなかった」とする話に改変

その他の情報
・鑑定によれば、江戸時代の作風
・紀州家から尾張家に持ち込まれたものである
 となれば、1935年の段階で語られたような、
 尾張家の義直が描かせたという話すら成立しないということになる
・家康を描いたという根拠は無く、現時点では誰の肖像なのかは不明