最上義光、山賊の首魁を討つ

最上義光通称は二郎太郎、修理大夫義守の子である。
左近権少将に進み、出羽守を兼ねる。

義光の体格は衆に優れ五、六歳の頃には他の十二、三歳くらいに見えた。
年を長ずるに及び、力はあくまでも強く七、八人でも動かせなかった大石を
軽々と転がして見せたので人々は皆、舌を巻いて驚き「成長の暁には、どんな
勇将になられるのだろうか」と語り合い、深く望みを託した。

永禄四年四月、義光十六歳の時に父義守に従い高湯温泉へと出かけた。

当時この地方には一団の山賊が横行しており、諸方の富家に乱入して
財宝を掠奪しており、諸人は皆恐れ慄いていた。

四日の夜、その山賊の首魁は部下七十人余りを率いて高湯を襲い、火を
仮屋に放ってドッと鬨をあげた。

「賊が押し寄せたぞ」義守の従者は皆、太刀を取って出て防ぐ。
義守は事に慣れた勇将であり、じきに小具足に身を固めて指揮をとった。

義光もまた太刀を取って躍り出たところ、大きな男がしきりに部下に
激を飛ばしていた。義光は「さては奴こそ首魁だろう、討ち取ってやろう」
と考え、疾風の如く駆け寄って真っ向から真っ二つに切り割った。
その早業は目にも留まらぬものであった、

それを見た一人の賊が槍をひねって突いてかかったが、義光はサッと刀を
振るい肩から乳の下まで斬り下げた。

こうしている間にも従者たちは各々奮って戦い、あちらこちらに敵を追い詰め
或いは殺し、或いは傷つけた。残った賊はおおいに恐れおののき、先を争って
逃げて行った。

義守は義光を召して、「汝は幼きといえど、よき我が教えを守って武芸に熟達した。
今日の難において賊の首魁を倒したのはこのうえもない手柄である。
この太刀は我が初陣の時に楢下口で高名したときに父より賜った重代の宝だ。
これを今日の褒美に与えよう」と告げ、手ずから篠切貞宗の刀を授けた。

義光はこの太刀を受け取って感涙にむせんだ。

義光のこの日の奮闘は鏡宿における源義経の勇武に劣らず、
青年の鋭気は今なお古のごとし

(青年美談)

めずらしく親子の仲が良い話