賤ヶ岳あたりまでの単身の武勇による「猛将イメージ」なんだが
九州征伐→他に蒲生氏郷とかの方が武功有名
肥後鎮圧→一揆相手
唐入り→弱兵の朝鮮相手の小西行長と同じ程度の猛進撃
ウル山→戦闘より数日間の飯我慢武功
関ヶ原→九州で小競り合い程度
福島正則の方がまだ関ヶ原での活躍があって、単身・将として共に猛将だと思う
体格がいいのとヒゲや馬、豊臣びいきで悲運の死補正で「強い」「武張っている」イメージをつけただけで、実際の向き不向きとしたら文治色が強かったと思う
どうだろうね
アンチじゃないが、史料を曲解した贔屓武将の脳内補正はお断りです
実物大の清正を知りたい