本能寺の変の時、織田信長の腹を槍で突いた安田作兵衛こと天野源右衛門は
その後、首に怪しい腫物ができた。

これがなかなか癒えず、ついには瘤が生じた。天野は怒って琴の糸を
使って瘤をきつく縛り、糸を竹縁につないで脚を張って瘤を引きぬいた。
ところが、幾ばくもなくまたもや瘤が生じた。いよいよ憤った天野は
刀を抜いて自ら首を刎ねてしまった。

また本能寺の変で半弓を使い信長に矢を当てた光秀の小臣川上某という者がいた。
その六日目に川上は喪心して死んだ。川上は「鶴が来て額を刺す…。
痛み甚し、痛み甚し…」と、うわごとを言っていたという。

ああ、これもすべて天網は漏らさずというように、天罰を蒙った者ということなのか。

――『近古史談』