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戦国ちょっと悪い話34

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0001人間七七四年2012/10/23(火) 19:20:04.34ID:FaZWZMUh
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話35
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350554902/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0405人間七七四年2012/11/18(日) 20:44:37.72ID:/k8ajLJe
>>404
かたやわずか6日後、かたや15年後に割と出世もしていい目も見た後って
その天網ザルなんじゃないか?
0406人間七七四年2012/11/18(日) 20:54:38.24ID:koAVmKDJ
肝心の信長を討ち取った人がのうのうと生き延びている件
0407人間七七四年2012/11/18(日) 21:47:42.82ID:I0cJ4jNX
追沢二股の竹


天正10年(1582年)、本能寺の変の後のこと。
信濃から美濃へと舞い戻った森長可は周辺の東濃の諸氏と日夜戦いを繰り広げていたが、
森家に喧嘩を売った家の中に明智光秀の嫁の実家である妻木家があった。

ある時、合戦で敗れた妻木家臣の茂塚六兵衛の一団は森家の追手から逃れるべく追沢の地に辿り着き、
ここでとある民家の老婆に金を与えて屋根裏に匿って貰う事になった。
それを追ってきたのが森家臣の豊前市之丞という男で、追沢の辺りで消息を絶った武将たちの事を
この老婆に聞いたが「知らぬ」の一点張りで取り付く島がない。

ならばと有力な情報提供の恩賞として市之丞は懸賞金を懸けて再び老婆に行方を聞いた所、
老婆は六兵衛の金より市之丞の金のほうが額が多かったので天井を指差して六兵衛らを匿っている事をあっさりと白状し、
即座に天井裏に攻め込んだ市之丞の軍勢に六兵衛一行は悉く討ち取られた。

この事件の後にやがて老婆が死ぬとこの家には住む人間が居なくなったが、他の人間が新たにこの家に住むと
重病に倒れたり何かしら血を見るような死に方をしたりと不吉な出来事が必ず起こった為、やがて誰も住まなくなった。
そんな家に事件後に生えた二股の竹にも「きっと六兵衛の怨念がこもっている」と恐れられたという。


現在はこの竹はもう無くなってしまったが六兵衛の無念を弔う小さな祠だけは伝承と共に現地に残っている。
0408人間七七四年2012/11/18(日) 21:52:59.36ID:Cy5BlbLP
まーた森家が岐阜県に不穏な逸話を残したのか・・・
0409人間七七四年2012/11/18(日) 22:01:45.28ID:Uq8Io5lX
>>405
天網恢恢疎にして漏らさず の意味知ってるかい?

信長さんを直に討った連中が悪になるかって話は微妙だけどね〜
0410人間七七四年2012/11/18(日) 22:28:24.49ID:LFmXm1nh
>>407
老婆が討たれる話かと深読みし過ぎた
0411人間七七四年2012/11/18(日) 22:32:24.79ID:uukB3FHG
>>408
いやだかしかし、今回ばかりは森家が悪いわけではないだろう
0412人間七七四年2012/11/18(日) 22:40:37.96ID:tI7MvZGo
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4700.html
鬼武蔵の部下ってだけで
いい話だと思ったら実はおもいっきり悪い話だったこともあるし
>>404の安田作兵衛も鬼武蔵に召抱えられたからそんな最期になっったと考えれば辻褄が合う
0413人間七七四年2012/11/19(月) 00:01:50.21ID:AswdiBZ1
すっかり鬼武蔵絡み=悪い話で刷り込まれてしまった。
もうどこで老婆が切られるのかと…。
でも森家ってケチってイメージないな。あげる時は気前いいよね?(出所はともかく…。
0414人間七七四年2012/11/19(月) 00:23:18.95ID:xVwgnoRT
>>408
むしろ、お金に釣られてあっさりゲロった美濃県民のちょっと悪い話・・・
0415人間七七四年2012/11/19(月) 01:08:23.16ID:d7MKuFgN
金で匿うならゲロするのも金だわなぁ
0416人間七七四年2012/11/19(月) 12:45:14.65ID:mYCjmfy1
稲葉一鉄が伊予守だった頃、軍糧奉行の助左衛門は亭を建てて閑暇の折には
そこで友人と一緒に楽しんでいた。

ある時、長く雨が降り続き洪水が田畑に溢れ亭の辺りに水が流れた。
これを聞きつけた助左衛門は「良い見物になる」と友人を連れて遊興にふけった。

雨はますます降り続き日々水が増していたので「洪水見物」と人は皆
助左衛門の亭にやって来て酒宴を催した。これを耳にした一鉄は驚愕した。

「兵糧は軍国の第一であるのに、それを掌る身分として作毛の豊凶に心を用いず、
田畑の冠水を楽しんで酒宴に及ぶとは言語道断。その罪は決して軽くない。
しかし、かの者はいつも正直だからこの一件のために見棄てるべきではないな。
それに不所存者に大切な役目を任せたのは私の過ちだった」

一鉄は自分を戒めて三日の間、酒肴を絶ち粗食ばかりを食して自らの過ちを
家臣に示した。また助左衛門には「助左衛門の一件は、その職分をわきまえなかったこと
不届きである」と五十日の閉門を申し付けた。これにはいずれの者も大いに畏服した。

――『良将言行録』
0417人間七七四年2012/11/19(月) 13:14:55.03ID:u86furky
   /     /     /      /  /  / /
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             ビュー   ,.、 ,.、    /   /
    /    /       ∠二二、ヽ    / /
  /    /   /   (( ´・ω・`)) ちょっと田んぼの様子見てくるお
               / ~~ :~~~〈   /
       /    / ノ   : _,,..ゝ   /
    /    /     (,,..,)二i_,∠  /    /
0418人間七七四年2012/11/19(月) 13:16:27.36ID:u86furky
______________________
  ロ   ◇     ロ   ◇     ロ   ◇     ロ
 (( ))  ◇     (( ))  ◇     (( ))  ◇     (( ))
  ロ  ◇      ロ  ◇      ロ  ◇      ロ
     ◇        ◇        ◇

   Λ∞Λ  Λ_Λ       Λ_Λ
   ( ´∀`)  ( ´∀`) (祭)  (・∀・ )
  / ヽ у 〉 /`___У__」つY   /) 〕〕 〕〕つ  洪水見物とは風流ですな
  l゚ |ニニニ|゚ ゚ |_|__|      ゚|_|| | |||
 △(__)_)  (__)_)      (__)_)
0419人間七七四年2012/11/19(月) 13:17:52.19ID:u86furky
  ∧_∧
⊂(#・ω・)  兵糧は軍国の第一だろうになめとんのか!
 /   ノ∪
 し―-J |l| |
         人ペシッ!!
       __
       \  \
0420人間七七四年2012/11/19(月) 14:25:04.34ID:wY2zrM6X
讃岐の住民「美濃にあふれるぐらい降るならこっちに降ってくれよ」
0421人間七七四年2012/11/19(月) 18:04:38.02ID:VEoGKfyL
物語は破のEDの14年後からはじまる。

カヲルの首に取り付けられたDSSチョーカーが発動し、カヲルは首に数発の弾丸を打ち込まれ死亡する。
覚醒状態を止めた第13号機は地上へ落下するが、フォースインパクトの進行は止まらず、マリが8号機でシンジの乗るエントリープラグを強制射出させたことでようやく終息した。
地上に落ちたエントリープラグの中で蹲っていたシンジをアスカが助け出し、そこにアヤナミレイ(仮称)も現れる。アスカは放心して反応しないシンジを連れて歩き出し、そしてレイも2人についていく。

(エンディングへ
0422人間七七四年2012/11/19(月) 19:34:04.72ID:RbQCKCwP
>>416
不良学生に苦心する教師みたいだ
0423人間七七四年2012/11/19(月) 20:02:58.01ID:5duFWdRW
もうどうにでもなーれって感じじゃないのかw
0424人間七七四年2012/11/20(火) 00:38:01.29ID:33GYdkfr
ひとりひとりが何かの(多くは常人には理解不能な)こだわりを持っていて、
それに固執し断固として譲らない。

敗戦の原因となった者は、罰として真っ先に逃げる屈辱を受けなければならない。

犬のように忠実と言われるが、わりと文句を言ったり諌言したりすることもある。

個人の戦闘能力は非常に高いが、主君が敵にまわると無力化する。
0425人間七七四年2012/11/20(火) 16:49:05.40ID:5PrsRqBQ
徳川家康は自ら節約を実行して奢りと贅沢を戒めとした。

「平氏を滅ぼしたものは平氏自身であり、源氏を滅ぼしたのも源氏自身だ。
いずれも度を過ぎた贅沢に流されてしまったから哀れむべき結果となってしまった。
これは奢侈が及ぼす害の例である。よくよく気をつけなくてはならない」
とは、ある時の家康の言葉である。

ある人が黄金の装飾を施した団扇を家康に献じたことがあった。団扇を見た家康は
ぎょっとして顔色を変え、侍臣に命じて大切に収めさせたきりその団扇を使わなかった。

――『学生の漢文(明徴録)』
0426人間七七四年2012/11/20(火) 17:21:16.51ID:ZVMNtgdK
日光東照宮とか生前に見せたら激怒するレベルだな
0427人間七七四年2012/11/20(火) 17:22:48.83ID:fEpD3TWQ
>>426
まあ実際生前に「日光は粗末なお宮でいい」って言ってたしな、権現様
0428人間七七四年2012/11/20(火) 17:32:33.51ID:IEvQZ50K
>>426
家光以降の大奥とかも見たら激怒しそう
0429人間七七四年2012/11/20(火) 17:39:09.57ID:XMEbGXz6
その黄金の扇って小幡勘兵衛がつくった信玄公の軍配とはまた別か
0430人間七七四年2012/11/20(火) 18:38:01.44ID:BOCFkGLI
>>428
男女逆転大奥を見たら卒倒しそう
0431人間七七四年2012/11/20(火) 18:46:29.17ID:ttr/WKG7
蒔絵おまると違って叩き割って捨てたりはしなかったのね>団扇
0432人間七七四年2012/11/20(火) 20:17:32.31ID:fEpD3TWQ
関ヶ原戦後のこと
徳川家康より軍功のあった諸将への加増が発表されたが、井伊直政、本多忠勝にも
加増により所替えを仰せ付けられ、御書付を与えられた。

しかし井伊・本多はその加増の少ないのを不足に思い、新領地を拝領しない旨を申して
折紙を返上し、そのまま退出してしまった。そしてその事に不満を言っているのを
永井右近太夫直勝が聞きかね、直政に直接に異見した
「貴殿は徳川家の功臣であり、家臣団の中でも1,2に数えられる身であるというのに、
そのように禄を貪られるのは心得かねることである。御加増の折紙を御拝領すべきである。」

直政はこれを聞くやいなや
「永井!其の方などが存ずるようなことではない!
さほど功もない、一度与力したにすぎない大名共には大国・大領を与えられているのに、
これでは我らが、三河以来粉骨をしてきた甲斐もないではないか!無念の奉公を、恨まずにいられようか!」
そう、未だ蟠りを持っているように申し立てた。

これに永井直勝重ねて異見する
「これは直政の言うこととも思えぬ。貴殿や私のような譜代の輩は、今度の合戦の報奨について、
どのように扱われても、どうして御恨み申し上げることが出来るだろうか?
そもそも今度お味方された諸大名は、徳川家意外の恩録によって一家を立てた人々である。
そんな彼らの加勢がなかったら、どうしてこの度の一戦、御旗本の人数だけで、例え鬼神の働きを
したとしても、勝利することが出来ただろうか?

言わば、国々の大名は世間の存在である。我々は御身内である。貴殿は特に御人数も多く預かられている。
そうであれば、昔を思い返せば御恩が浅いなどと申すことは出来ない。
貴殿は上様から付けられている御人数がなければ、例え樊カイを欺くほどの武勇があったとしても、
どれほどの働きが出来ただろうか?」
直政はこの言葉に大いに腹を立て
「右近などと比較されるような、この兵部だと思うのか!?」と言い放った。これを永井はあざ笑う

「愚かなり直政!この右近にも、お主ほどの人数を預けさせて頂ければ、どうして貴殿に劣るだろうか!
小身であるから、働きも思ったようには行かないのだ。貴殿がそれほど道理に暗かったとは知らなかった。
そんな貴殿と年来交友を重ねたことが口惜しい!今後は絶交いたす!」
そう言い捨て立ち去った。

その後、直政はつくづくと考え、永井の言ったことこそ道理だと思った。
そして自分の非を悔やみ、「功に誇るのは義士の成すべきことではない。私は愚かにして、
上より下された所領を受けないというのは、畏れ多いことである。」
そう、誤りを正すことに決心し、本多忠勝にもこの道理を言い聞かせ、両人で家康の御前に出て

「以前、不足を申し上げた所領を、拝領仕るべし!」と申し上げた。
これに家康も
「尤もなり。良き了見なり」と、お咎めもなく折紙を与えた。

ここより直政は直に永井の所に向かい、彼と対面して
「以前の過言、面目のないことだった。貴殿は真実の友である。たった今私は、あなたに降参する。
どうか以前と変わらぬ、交友を続けていただきたい。」そういって文殊の茶入を差し出し

「この茶入は、あなたもご存知のように我が家第一の秘蔵の品であり、命にも代えがたいもである。
だが、今度の貴殿の厚情への感謝を、言葉で表すことはできない。せめて私の心ばせとして、これを。」

これに永井は直政の心の丁重さに感じ入り
「さてさて、以前に変わらぬ交友は、こちらからもお願いする。
しかしこの文殊は天下の重器ではないか。このようなものを受け取る事は出来ない。」
そう再三辞退したが、直政の
「この兵部の、拠ん所無い心底を見せる印である!」
との言葉に遂に受け取り、それは今も、永井の家に伝わっているそうである。
(武野燭談)

永井直勝、井伊直政に異見す、というお話
0433人間七七四年2012/11/20(火) 20:56:46.19ID:egQyUtaH
本多には言わなかったのかな
0434人間七七四年2012/11/20(火) 21:09:04.71ID:UpdhM8cs
この話は『茶道美談』にも紹介されているいい話ではないか
徳川家第一の重臣である直政に、臆せずにその非を直言する永井直勝もカッコよければ、
「功に誇りて、賞を貪るは、忠臣にあらず、義士にあらず、我れ過てり」
そうすぐに反省し「貴殿は眞實の友だ」と
命にも代え難い秘蔵の茶入を惜し気もなく渡す爽やかさを持つ直政もカッコいい

ちなみに茶道美談では最後はこう締めくくられている
「益友の一言(いちごん)は、萬鎰の黄金より貴し、井伊文林の宝器も物かは。」
0435人間七七四年2012/11/20(火) 21:50:29.44ID:45EqPW6/
永井と井伊で仲いい話
0436人間七七四年2012/11/20(火) 22:31:20.21ID:IEvQZ50K
お後がよろしいようで
0437人間七七四年2012/11/21(水) 05:59:52.34ID:WGnTcA71
まとめには別説がもうあるけど。
奥羽永慶軍記より「田村清顕卒去、原田宗時盗人を討つ事」

天正14年(1586年)、田村清顕はとうとう跡継ぎを得られないまま亡くなる。
「せめて後世の為に祈らん」と大般若経600巻を手づから書き写し、大元帥明王へ奉納したのちの逝去であったという。

ところが不思議なことに三七日(みなのか=21日法要)も終わらないうちから明王の社に妖怪変化が住み着いた、との噂が立ちはじめる。
「清顕公が無念に思うあまり化けて出たのだ」と領民はすっかりおびえ、日暮れ時には全く人通りもなくなってしまった。

また社近くの村に住むある女などは、世にも稀なる嫉妬深さで隣村の女が夫と不義密通をしていると邪推し、
夜な夜な社の神木へ釘を打って丑の刻参りをし始めた。
その奇行はやがて人目に触れ、「かの妖怪はもしやあの女かもしれん、正体は角の生えた蛇じゃぞ」と領民はさらに恐怖心を募らせていく。

さらにさらに恐ろしいことには、翌天正15年の正月早々にはその女が化け物に引き裂かれたかのような惨殺体で発見されたのである。
「公の御霊は悪鬼と成り果てたか」
領民はすっかり恐怖のどん底に陥ってしまった。

清顕の寡婦・於北御前はこの噂を恥じれども打つ手がなく、家老一門にいたるまで閉口してうつむく有様であった。

そのころ伊達家の勇将・原田宗時は政宗の秘命を帯びてひそかに三春へとやってきていた。
※訳者注、先代隆顕未亡人・小宰相と連絡して田村家中を伊達派へ促す目的かと推測。

連れてきた家来が不肖者で早くもへたばったので大元帥明王からほど近いところに宿を取ると、人々が清顕公の祟りを噂しているのが聞こえてきた。
0438人間七七四年2012/11/21(水) 06:05:29.08ID:WGnTcA71
宗時は一考し、「このような噂が政宗公の耳へ入ればさぞ物憂きことだろう。しかし、女の身体を引き裂くというのは亡霊にあるまじきこと、その昔渡辺綱に腕を斬られた茨木童子のような鬼の類ではないだろうか」
「わしはさすがに渡辺綱ほどの武勇はないが、斬れるものなら斬ってやれないことはない。よし、今宵の丑の刻、社へ行って退治してくれよう」
と密かに決意して身体を横たえた。

その夜、へっぽこ家来を起こさぬようこっそり支度を終えた宗時は、意気軒昂社へ乗り込んだ。
辺りを見回しながら屋根に上ると、なるほどたしかに真っ白い何かが5、6人ほど高いびきをかいている。

「ん?」
ここで宗時は気付いた。夜中で見え辛いには見え辛いが、どうみても身の丈5、6尺を超えず人外とは思えない。
「こやつら流れ者の強盗ではないか!妖怪の真似をしくさって人々を脅かすとは許せん!…斬る!!」

怒り心頭、ズドンと屋根を踏み鳴らし「おのれら化け物を誅すべく原田左馬助が参ったぞ!早々起き上がれ!」と怒声を浴びせかけた。

強盗団の頭と部下たちは、よく寝入っていたところを急襲されたので太刀を抜く暇もなく立て続けに斬り捨てられてしまう。

宗時の方はなおも油断せず、手足の動く者がいれば入念に刺し殺した。
全てが済むと太刀を納め「このようなこと、誰に自慢できるわけでもなし」とこぼして帰って行った。

夜が明けて6つの死体を見た人々は、誰の仕業かと恐れおののいた。
しかしながら、異変がなくなったのが原田宗時の一宿したのちのことと気付くと「さてはかの御仁がなせり」と安堵したという。

領主がいないとこんなに風紀が乱れますよ、という悪い話。
0439人間七七四年2012/11/21(水) 09:47:08.67ID:wxl4YkBJ
へっぽこ家来が何かしでかすのかそれとも活躍するのかとwktkしてたら何もしなかったw
0440人間七七四年2012/11/21(水) 11:45:25.97ID:yuZ2AsFA
>>433
忠勝「わしの手勢は500だが?」
0441人間七七四年2012/11/21(水) 13:08:54.92ID:6pAeQzF3
兵500で100の首挙げられちゃ何も言えませんがな
兵5,000で前線でバリバリやってた主力の細川隊ですら首200なのに。
おかしいですよ本多さん・・・
0442人間七七四年2012/11/21(水) 20:08:08.28ID:IINPhY91
>>441
兵数は参謀本部の推定だからなー。
東軍、西軍ともに実際の兵数は通説より少ない気がする。
0443人間七七四年2012/11/21(水) 20:10:28.02ID:hvSbJfUS
実は小早川参戦前から西軍はフルボッコ状態だったって説もあるんだっけ?
0444人間七七四年2012/11/21(水) 20:19:09.78ID:VwY/B77K
参謀本部言うたらアメリカの戦力やソ連の戦力、ドイツの戦力も理解できなかったどころか
支那の戦力ですら読めなかった無能集団だろ。
信用するほうがおかしいぞ。
0445人間七七四年2012/11/21(水) 20:25:52.73ID:258mDYVm
>>443
昨今の、薩摩の覚書などを元にした研究だとそういう話も出てるね。
少なくとも三成陣に関しては、島左近が負傷した後即座に崩れたとか。

あと西軍は東軍より相当数が少なく、東軍の半分程度だったんじゃないか、なんて話も。
0446人間七七四年2012/11/21(水) 20:33:09.35ID:XT8aC3CY
なんだかんだ言っても豊臣軍主力は上杉征伐行ってた東軍の側だしな…
0447人間七七四年2012/11/21(水) 20:47:20.26ID:i3NIztTK
井伊直政は関ヶ原前に伏見城で在番期間の三倍も滞在して働き詰めで
とても疲弊しているという手紙を黒田官兵衛に送っているんだよな。
その後に足の付け根に腫れものが出来て痙攣を起こしたり
原因不明の高熱が出て生死の境を彷徨う病に倒れたために
急遽、本多忠勝が外様を率いる東海道組に加わったので小姓など500という少数部隊だったという。
0448人間七七四年2012/11/21(水) 21:22:47.96ID:hvSbJfUS
>>445
そうそう。桐野作人氏の説ね。
個人的には「天下分け目の決戦」で割と五分の勝負が続いてた
って方がロマンがあって好きなだけに実像を知って割とショックだったわw
0449人間七七四年2012/11/21(水) 21:42:06.34ID:IINPhY91
>>443
そういう説はあるね。東軍が一気に前進して押しつぶしたってやつ。

激戦だったにしては東軍は翌日からすんなり行動を再開してるし、
夕方に戦いが終わったとすれば首実検が終わらんのじゃないかとか
あれこれ考えると、東軍があっさり勝ったと考える方が合理的ではある。
0450人間七七四年2012/11/21(水) 21:46:12.23ID:FYTIsNnw
>>447
ちょっと働かせすぎだよなぁ
そりゃ過労死もしますって
0451人間七七四年2012/11/21(水) 22:51:07.72ID:79AnIxRV
良い話で踊りの話が出てたから、悪い話でも踊りの話。

1503年、大内義輿が上洛する前の頃、安芸の厳島神社の祭礼にやってきた時の話。
お祭りと言えば酒である。
祭礼に来ていた参加者たちもどうも呑んだらしい、しかもベロベロになるまで…。
酔ったら気が大きくなるのは今も昔も変わらない。
彼らは酔った勢いで神社で行われている神事に対して悪口放逸をし始めた。
これに怒った厳島神主支配下の神領衆は暴れてた人々を十人ほど殺してその船を沈めた。
神社の勢力なのに過激な事である。

ところでこの殺された人たちの中に、
伊予の豪族であった多賀江(多賀谷とも)氏の郎党も含まれていた。
多賀江氏も宮島と同じく大内の傘下に居たため、神社の祭礼に参加していたのだろう。
それで祭礼に参加して殺されたのでは、カチコミに至るのは当然だろう。
…そして蒲刈島を出発した160〜170隻の船が厳島を襲った。
島に上陸して火を点けて回るなど暴れ放題。
まさしくヤクザの抗争である。
と、奇跡的なタイミングで風雨が強くなってきた。
さすがにこれは帰らねば、と、暴れた者の中の一人、
多賀江氏の勇士として知られた多賀江兵部小輔は神社に軽く拝礼して船に乗り、神社の鳥居の前まで漕ぎ出して…。

船が沈没し24人の郎党と一緒に海中に消えた。
※ ついでにその後来た多賀江氏の親戚である重見氏の船も沈んだ。

で、この時死んだ多賀江兵部達が悪霊となって厳島の住民を苦しめたので、
その霊を慰めるために念仏踊りを始めたという。

これが、現代にも伝わる宮島踊りである。
ttp://www.miyajima.or.jp/event/event_odori.html
と奇麗に纏めてみたけど、味方同士での抗争で死者まで出た上、
悪霊にまでなってしまったという悪い話。
0452人間七七四年2012/11/21(水) 22:59:35.01ID:oz+uKh8u
http://up.pandoravote.net/up8/img/panpie0063396.jpg
0453人間七七四年2012/11/22(木) 00:23:18.91ID:KaHK7Kje
そして誰もいなくなった…
0454人間七七四年2012/11/22(木) 08:29:09.23ID:+Jo1HRuw
由来を知るとなんか馬鹿馬鹿しくなる踊りだなw
0455人間七七四年2012/11/22(木) 17:31:39.07ID:KwSY+G46
元三河武士にして四十代で身分を捨てて出家の身となった鈴木正三。
ある時、一人の侍が正三を訪ねて来た。

「私は辻斬りが大好きなのです。世の中に辻斬りより面白いことなどありません」

「わしも辻斬りが大好きだ。それならば今夜ともに参ろうか。しかし、お前ごときに
辻斬りをするほどの勇があるとは思えないがなぁ。わしの若い時などは木竹を
切るように人を斬ったものだ。いまは年老いて長いこと人を斬っていないが今夜は
わしの腕前を見せてやる」

正三は侍と一緒に品川辺りにやって来た。辺りをうろうろしていると多くの町人や百姓、
女子供が通り過ぎていく。侍はこれを斬ろうとしたが、正三はその度に侍を引き止めた。
やがて多くの従者を引き連れた者が現れた。

「よし、あれを斬れ。さあ早く!」

しかし、侍はたいそう物怖じして躊躇してしまった。

「お前にできないなら、わしがやるぞ」

侍は慌てて、正三を切実に諌め袖を引いた。正三は大笑いして曰く、
「なんとまあ口ほどにもない臆病者だ。あれを斬ってこそ武士だ。女子供を幾人も
斬ったところで功名になるとでも思ったか!」と侍をいたく戒めた。それからは
侍も辻斬りを止めたのだとか。

――『近古禅林叢談』
0456人間七七四年2012/11/22(木) 19:00:36.85ID:KoqGrZhw
出家した奴の所にやって来て辻斬りタノシスwとか言うのも、
言われた方もノリノリで辻斬りに付き合うてのがそもそも現代人には理解出来ん
0457人間七七四年2012/11/22(木) 19:14:12.23ID:y6OWRbHJ
正三の方はハナから諭す気で付き合ったんだろ
0458人間七七四年2012/11/22(木) 19:32:39.13ID:fxSSvdtH
相手が相手だしこの侍もやめたかったんじゃないかと思ってしまう
0459人間七七四年2012/11/22(木) 19:34:15.06ID:p6W5sKtG
辻斬り中毒の侍の方も、誰かに止めてもらいたくて話に行ったんだと思うよ
0460人間七七四年2012/11/22(木) 21:29:00.35ID:Z9akXTdc
「無差別に人を襲いたかった」と言い訳する通り魔に
「でも暴力団事務所には行かないんだね」と返すみたいだ
0461人間七七四年2012/11/22(木) 21:38:35.21ID:M/0austq
斬りたいのであって斬りあいをしたいわけじゃないからな
0462人間七七四年2012/11/22(木) 21:58:22.94ID:uX19Ty5o
辻斬りなんて自分の安全が確保された上じゃないと刀抜かないもんだ
0463人間七七四年2012/11/22(木) 22:02:22.21ID:V6DmeAAv
剣聖を辻斬りする椰子はいないが村雨の人は毎回斬られるようなもんか?
0464人間七七四年2012/11/22(木) 22:14:33.87ID:y6OWRbHJ
は?
0465人間七七四年2012/11/22(木) 22:25:50.55ID:60RMfyyQ
その辻斬り中毒の侍って、戦に出たことあるのかな?

>>463
某K○EIのゲームに出てくる足利義氏のことだろ。
武力低いくせに最高ランクの武器(村雨)を持ってるがゆえに、
それを狙った連中に斬られまくるんだよ。
04664652012/11/22(木) 22:29:08.76ID:60RMfyyQ
アンカーミスったorz
>>463>>464です。

ちょっと福島正則主催の宴会に参加してくる・・・
0467人間七七四年2012/11/22(木) 22:36:02.02ID:R4HQtNgt
まあ人殺しが楽しい奴はおらんわなぁ
0468人間七七四年2012/11/22(木) 22:45:44.31ID:jkNr+Exv
鬼武蔵「人殺しが好きな奴なんていないだろw」
0469人間七七四年2012/11/22(木) 23:06:54.70ID:V6DmeAAv
街中での辻斬りはともかく勝てる椰子を斬るというのは戦場では有効な戦術だな。
好き好んで呂布とか関羽とかにケンカ売るより絶対勝てそうな文官っぽいの狩って手柄にするほうが生き残れそうだもの
狩れそうもないなら畳で畳み掛けてから種子島で穴だらけにするなり工夫せにゃならんけど
0470人間七七四年2012/11/23(金) 00:19:35.35ID:Ol09G7q6
>>466
に、日本号はあげないんだからねっ!
0471人間七七四年2012/11/23(金) 02:14:30.90ID:dFOR1EtY
>>469
戦目付がしっかり見てる
0472人間七七四年2012/11/23(金) 06:53:10.56ID:dl9dHUF/
薩摩隼人「酒と血しぶきが大好きです、釣りに引っ掛かったバカの首狩るのが特に楽しくて楽しくて」
0473人間七七四年2012/11/23(金) 09:47:50.09ID:Ol09G7q6
ニート・引きこもりが社会問題となっている昨今、
薩摩国ではちぇすと・すてがまりが深刻化しており…
0474人間七七四年2012/11/23(金) 10:37:57.13ID:ZTR2EY3J
ひえもんとりも深刻化
0475人間七七四年2012/11/23(金) 16:01:33.05ID:PKSClC2s
>>471
いや、そりゃ強敵倒すよりは評価低いだろうけど
一定の地位のやつ倒せばそれはそれで評価上がるでしょ
0476人間七七四年2012/11/23(金) 16:54:03.24ID:4zixlAjn
>>473
一瞬チェストステマに見えた
0477人間七七四年2012/11/23(金) 17:22:39.10ID:nNaCNMWS
自分はステマ狩りに見えた
0478人間七七四年2012/11/23(金) 17:41:57.69ID:jFuokJTt
>>475
まぁ問題は「考える事は皆同じ」って所だったりするかも
0479人間七七四年2012/11/23(金) 18:22:09.21ID:nvVEh4UF
「あ、あの武将弱そう」ってしっかり見抜いて討ち取ってかえってくる…
凄すぎるだろw
0480人間七七四年2012/11/23(金) 19:58:25.93ID:Q0PWAsmz
まてまて、「弱そう」と「弱い」は全く違うからな

「お、あいつ、いい甲冑着てるがヒョロっとしてて腕っ節はなさそうだな。
さしずめ筆より重い物は持ったことがないってクチか?もらった!」

なんつってうっかり挑みかかったらこれが釣りで、実は百戦錬磨の返り討ち
職人でした〜、なんてこともないとは限らんからな
0481人間七七四年2012/11/23(金) 20:08:30.95ID:38qBCV/1
ルソンの日本人町開設の経緯


戦国時代後期、ルソン(ルソン島、現フィリピン)に日本人町があったという事は割と有名であるが
その開設の経緯というのは決して穏やかなものではなかった。

天正18年(1591年)9月、豊臣秀吉は原田孫七郎を使者にしてルソンのスペイン総督府に対して入貢を要求した。
スペインからすれば何とも屈辱的な出来事であったが当時のスペインはアマルダの海戦で無敵艦隊が敗れるなど
既に衰退期に入り始めていたため、報復などの行動は取らずこれをスルーした。

しかし、翌年に秀吉が朝鮮出兵を実行に移したことで秀吉のルソン侵攻も無いとは言い切れない情勢になると、
スペイン総督府は現地にいる日本人たちが有事の際に日本側に付くことを警戒して、
当時ルソンに住んでいた日本人をマニラのディオラ地区にまとめて強制移住させた。

これがマニラの日本人町の始まりであったと言われている。
0482人間七七四年2012/11/23(金) 20:13:30.58ID:a2c6DmNE
なにかあるとすぐに刀振り回して暴れるからなあ
0483人間七七四年2012/11/23(金) 20:19:19.58ID:LnXJOezq
ルソン行く場合は、やっぱ中国沿岸に沿って向かうのかな。
直線で行くのは遠そうだよなー
0484人間七七四年2012/11/23(金) 20:21:51.57ID:YGa+HmrI
隔離地区だったのか・・・
0485人間七七四年2012/11/23(金) 21:42:18.40ID:3CnQY/Ac
>>479
家康が若い武士と経験豊富なつわものの違いを語ってたような
0486人間七七四年2012/11/23(金) 21:45:06.68ID:fY8xBBsI
雇い主のスペイン人に殴られてムシャクシャしたので
八つ当たりで全然関係ない他のスペイン人の家を刀振り回して襲撃する
とか普通にやる蛮族どもなので隔離は妥当
0487人間七七四年2012/11/23(金) 22:18:50.69ID:X2nhYk3I
永禄3年(1560)、長尾景虎(上杉謙信)が小田原城を包囲した、最初の越山のあった年だが、
小田原攻略に失敗し退いた景虎に対し、成田長泰が反旗を翻した。

ところがこの時厩橋城には、成田長泰の次男の小児と、成田家家老・豊島美作守の二名が、
景虎への人質として置かれたままであった。

景虎が厩橋に帰城する前日、城の夜番を勤めているかせ者(名字を持つ下級の侍)が一人やってきて、
豊島を物陰に呼び出して囁いた

「豊島殿、あなたは成田長泰の御別心のために、明日には切腹させられるともっぱらの噂です。
そういうことですが、私はあなたの御命をお助けしてもいい。
あなたは忍に帰れば、五千貫程の大名だと聞いています。
…私に三十貫の所領を与える気はありますか?」

この言葉に豊島は大いに驚き

「それは何よりも易き事なり!」

と、この夜番の者と深く語らい、三十貫の所領を与える書状を書き与え、「ひとえに頼む」と
協力を依頼した。
夜番の者大いに喜び、馳せめぐって川船などを置き様々な準備をし、帰ってくると
豊島を夫男に変装させ、熊手などを背負わせて、城から出そうとした。
この時豊島は

「成田の御子息もどうにかして一緒に落ち延びさせたい。」

と言ったが、夜番の男は

「美作守殿一人を落とすのさえ大変なことです!その上御子息のことは、父である屋形(成田長泰)
ですら捨てて反旗を翻したのです。そうである以上是非に及ばず。御子息はここに残して、我々は
退きましょう。」

そう言われたため、成田の次男が寝入った隙に、豊島は夜番の者に付いて番所を忍び出て、
船に乗り早々に忍へ帰った。

成田の次男は豊島がいなくなったことに気が付き、後を追って外に出て探したものの見つからず、
そうしている内に追手が迫ったため川に飛び入り、そのまま空しく亡くなられたという。


さて、豊島美作守は忍へ帰ると自分の家にも入らず、先ず息子の左馬助を呼び出し、城に使いを
立てさせた。その言上はこうである

『私は数度の忠孝を立て、更に一度の不忠もありませんでした!それなのに何故、私を捨て殺しに
為されようとしたのか!?甚だ以て口惜しい!
この上は小田原へ参り、氏康殿に奉公仕ります!御暇を申し上げる!』

そうしてまさに打立とうとしている所を、成田長泰の息子の五郎が城から駆けてきて豊島を呼び止め

「誠に代々の家老である事と言い忠節といい、お主の言うことは全て、道理至極である」

と謝罪したので、仕方なく豊島も忍に帰り、元にように家老に復帰した。
そしてあの夜番も取り立て、約束通り三十貫の所領を与えた。

しかし、この時の恨みにより、後に豊島美作守は成田長泰の子息・氏長と一味して、長泰を
追放したのだという。
(關侍傳記)

成田長泰に見捨てられた家老、についての逸話である。
0488人間七七四年2012/11/23(金) 23:17:17.02ID:LnXJOezq
戦国の習いとは言え、頼みの家老がいなくなって、
慌てて逃げ戸惑っているうちに堀に落ちて死んだ次男が憐れだなー
0489人間七七四年2012/11/24(土) 07:46:09.28ID:Nv1NUoo1
夜番も見る目があるなw
戦国の立身出世は無法地帯だ
0490人間七七四年2012/11/24(土) 08:15:52.70ID:fOzuw8R1
まあ、夜の番なら夜の闇も、戦国の世の一寸先も見る眼がないとね
0491人間七七四年2012/11/24(土) 09:03:26.74ID:n6A74ZEw
よし、ちょっと眼力を養うために橋の番やってくる
0492人間七七四年2012/11/24(土) 09:21:23.34ID:2Sp792xX
眼力養ったら、北斗七星の柄の先から二番目の星が二重になってるのがわかるらしい
0493人間七七四年2012/11/24(土) 09:37:47.42ID:u6/4nlA+
むう あの星は死兆星!
しっておるのか半兵衛!
0494人間七七四年2012/11/24(土) 10:01:50.61ID:iTkx5WcK
ウルトラ七つの誓いを何故だか思い出した・・・
0495人間七七四年2012/11/24(土) 10:02:21.20ID:iTkx5WcK
五つだったわwwww
0496人間七七四年2012/11/25(日) 03:07:57.31ID:JRdbPDlr
これかな?
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3382.html
0497人間七七四年2012/11/25(日) 06:24:09.31ID:39PHEawU
>>490
夜の閨に見えたので細川邸に忍び込んでくる
0498人間七七四年2012/11/26(月) 18:41:29.94ID:VSIyx/om
聞いたこと見たこと、何であってもよく覚えて忘れないというのは、その身の徳であり、第一の宝である。
見ても覚えず、学問・講習の筋を習っても、忘れ果てては何の役に立つだろうか?
人と近付きになっても、一度ばかりではその名前も顔も覚えられない、という例は多い。
記憶力が強いというのは、人の羨むことである。

青山伯耆守忠俊は記憶力に非常に優れ、旗本・小身の輩まで、一度その名を聞きその顔を見れば
能く覚えて、再び会った時には、必ずその名を呼んで挨拶をした。
その様であったので青山も自分の物覚えの良さを自慢していたが、ある会合において、
一座のものから青山に
「真似ようとしても出来ないことだ。有り体に言って中々及ばないことです。」
と声をかけられると、青山これに対し

「だいたい物覚えなどというものは、努力次第でどうにか成る事ですよ。」
と言い出した。これを聞いて同席・末座の人々、口をそろえて
「稽古によって出来る事なら、是非習いたい!」と、その答えを所望すると、青山は笑いながら

「意地がキレイか、意地が汚いかという事です。」
という。一座の人々困惑し、「そう言われても、全く理解できない。」と言えば青山

「されば、である。あなた達も、御三家・国持大名などの顔名前はきっと覚えているでしょう?
しかし小身の者たちに対しては侮っているから、その名も知りません。
私は末々まで、人であることに替わりはないと、平等に考えているので、能く覚えるのです。」

この言葉に一座のもの、皆感じ入った様子であった。

と、この場の遙か末座に、未だ無官の、若き日の知恵伊豆、松平伊豆守信綱があった。
彼は一人、青山の答えに感心した様子も見せずに嘯いていた。

青山はこの信綱の様子をいち早く見て取り、彼の方を見て声をかけた
「どうした!そこに居る小癪仁はどう思うのか!?」

これに信綱、冷然と
「…私の考えとは違う了見です。感じ入る所までは行きませんね。」と言う。
青山「では、お主の考えを聞きたい!」と、信綱の話を聞く姿勢を見せる。
すると信綱、少し進み出て

「太陽・月の事はきっと知っておられるでしょう。では、その他の星の名、星座の名など、
それをすべて覚えていらっしゃいますか?」

青山はこれを聞くと「どうやってすべての星の名を究め知ることが出来るだろうか?
天文の家であっても、細かな星は粟三斗分の数ほどもあると言っているが、それでも尚
具体的な数はわからないのだ。そうであるものを、どうしてその名を知ることが出来るだろうか?

この答えに信綱

「さて、あなたもそうお考えになりますね。
例えば、私のような愚かなものであっても、御三家は勿論、国取り大名も数が少ないので、
日月・五星・二十八宿と同じように、覚えるのが楽です。

しかし小身の衆は天の星の数よりも多いほどですので、どうして覚えられるでしょうか?
伯耆守殿のように、生まれつき記憶力の良い人には、そういったものも覚えられるのでしょう。
あなたがどう申されても、自分の意地の清濁とは関係ないことです。」

これには流石の青山伯耆守忠俊も閉口してしまったそうである。

ちなみに、物覚えには少しはコツがあるらしいよ!(物を覚ゆるは少しは傅も有る事とか)
(武野燭談)

青山忠俊と知恵伊豆の、記憶力についてのお話。
0499人間七七四年2012/11/26(月) 20:55:34.56ID:luN+5ubm
伊豆守に聞いた青山が悪かったなw
0500人間七七四年2012/11/26(月) 21:16:46.67ID:A9QZagF9
>私は末々まで、人であることに替わりはないと、平等に考えているので

江戸時代にこんな奴いる訳ないだろうが
0501人間七七四年2012/11/26(月) 21:21:01.19ID:VSIyx/om
>>500
ちなみに原文

『我等は末々までも人に替りなき處を考へて、平等に存ずる故に能く覚え候』

武野燭談は宝永6年(1709)成立
0502人間七七四年2012/11/26(月) 21:25:32.97ID:T7w6fXkL
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772575/21
の53p見たらそのまんま書いてある
0503人間七七四年2012/11/26(月) 21:33:57.24ID:Z47zLL3B
人類皆平等的なのは実際にはともかく宗教ではよくある表現だし
表現としてはそうおかしくないんでないの
0504人間七七四年2012/11/26(月) 21:54:09.00ID:luN+5ubm
平等とか公平観は江戸時代にあった。最近読んだ東遊雑記にも出てきてた
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