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戦国ちょっと悪い話34

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0001人間七七四年2012/10/23(火) 19:20:04.34ID:FaZWZMUh
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話35
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350554902/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0302人間七七四年2012/11/11(日) 13:48:46.76ID:/GWsp2jW
政宗「いろは郎とは変わった名だな」
井伊直盛「娘に男子名をつけるな」

ところで桶狭間で死んだのって、井伊家当主の信濃守直盛じゃなかったっけ
0303人間七七四年2012/11/11(日) 15:49:09.12ID:Z+QhB4y6
井伊肥後守は井伊信濃守直盛の兄ではなく
娘である直虎の婚約者の井伊直親だよね?
0304人間七七四年2012/11/11(日) 16:23:37.77ID:kV/M+FxC
>>301
葉隠マンが聞いたらよくやったと褒めてくれるよ
0305人間七七四年2012/11/11(日) 17:21:26.34ID:hdbPQjTf
ところで鍋島のとこって死にたがりばかりなのか?真田さんかギリワン転職家みたいにきのこって再起を図るほうがガッツがあると思うのだが
0306人間七七四年2012/11/11(日) 17:30:42.93ID:kV/M+FxC
鍋島は関係ないだろ 死ななかったんだからw
0307人間七七四年2012/11/11(日) 17:41:36.01ID:ut9h+xZE
鍋島さんとこは理屈ばっかりでいざとなると腰抜けだって、フェートン号事件
0308人間七七四年2012/11/11(日) 18:02:19.30ID:AeeH5fip
葉隠の成立時期が戦国時代終わって江戸中期ですし。
0309人間七七四年2012/11/11(日) 18:30:39.10ID:kV/M+FxC
葉隠マン龍造寺四天王「鍋島が生き残ったようだな・・・鍋島なぞ我ら四天王の中では一番の小物・・・」
0310人間七七四年2012/11/11(日) 22:21:31.21ID:YcRj7Yl3
良将言行録は大正6年出版らしいけど
0311人間七七四年2012/11/11(日) 22:49:23.25ID:6Mb3Sbrl
>>307
それはただの不用心かと、むしろそれを教訓に日本一の強国に成長したところを褒めるべき
そこんところ踏まえても武雄藩主茂義とか知名度低いよなあ
0312人間七七四年2012/11/11(日) 22:55:40.74ID:4F/SxG4G
武で劣る部分を知...と言うか科学の力で克服する佐賀藩
0313人間七七四年2012/11/12(月) 06:54:19.48ID:ksWIqIaj
>>310
創作ではなく史料を取り入れているのは確かなんでしょ
0314人間七七四年2012/11/12(月) 11:16:38.83ID:+ZcaTw30
>>299
これはどっちかと言うと両人とも株が上がる良い話だな
0315人間七七四年2012/11/12(月) 21:54:15.92ID:VYcOdj0h
下村生運が登城したときのことだ。

直茂公
「息子(勝茂公)は年齢のわりに逞しいし、力もある。
武士として見所があり、わたしも喜んでいる。
家来たちと相撲をとらせてみたが、
歳上の者にも勝ってみせたぞ」

と上機嫌で仰せになられた。
生運はこれを聞いて、

生運「私は老いぼれですが、それなら一番お相手いたそう」

と言い、勝茂様をお身体がお痛みになるほど投げ飛ばした。
そして、

「まだ骨格も考え定まってないうちから、自慢事などなさると、
いつか恥をかきますよ。
まだまだ見かけよりも全然弱いです」

と言い残して退出したとのことだ 【葉隠】
0316人間七七四年2012/11/12(月) 22:22:00.19ID:85/3QSwu
本人自慢してねぇんじゃ…
0317人間七七四年2012/11/12(月) 22:24:19.19ID:HgDbQET7
勝茂かわいそうすぎるだろ
0318人間七七四年2012/11/12(月) 22:27:52.41ID:fWtNB/H0
御曹司だから加減して負けてやってるのに、それを見抜けないとは愚かな大将だな。
0319人間七七四年2012/11/12(月) 22:39:30.06ID:VRtijOy3
ちょっと親バカしてみたらなんか息子が投げ飛ばされたでござる
0320人間七七四年2012/11/12(月) 22:41:02.43ID:SdiwlhJ4
忠直卿行状記の一節を思い出す
こういう家臣は大事だ
0321人間七七四年2012/11/12(月) 22:56:50.97ID:VYcOdj0h
やはり人それぞれいろんな感想あるな
オレはこの話が、下村生運が、
「直茂さま、それは貴方がよくありません」
とやらなくて正解だったと思う。
親子の間に善悪つけるよりはって意味で
0322人間七七四年2012/11/12(月) 23:05:14.19ID:H8/TFiru
まあようやく授かった男子だっただろうし、親バカしたくなる気持ちもわからんでもない
0323人間七七四年2012/11/12(月) 23:06:07.07ID:Kz1pjgFx
一豊「相撲は自らとるのでなく、とらせるもの」
0324人間七七四年2012/11/12(月) 23:17:33.71ID:ksWIqIaj
勝茂はガチホモだと聞いた
0325人間七七四年2012/11/13(火) 00:38:25.02ID:jpcXJsCK
いやいや勝茂何も悪くないじゃんw
0326人間七七四年2012/11/13(火) 00:58:26.71ID:WwEpuaWj
鍋島直茂教訓二十一箇条のひとつ
・理非(善悪)を糾す者は人罰に落ちるなり

これはアイツが悪い!その場合はソイツが悪い!
とやる奴はニュー速にいっぱいいるが、
アイツらそんな立派か?
口では上手く説明できない感情を憶える(笑)
0327人間七七四年2012/11/13(火) 01:38:25.52ID:yUrCqml0
竜造寺の乗っ取りを正当化しているだけだな
0328人間七七四年2012/11/13(火) 01:54:19.89ID:HFDR/2WC
黒田家臣だと泣きながら「あんた音痴だから!!」って本人に向かって言うんだよな
それに比べると鍋島家臣は慈悲の心があるわ
0329人間七七四年2012/11/13(火) 03:18:59.54ID:N2q6IJwS
勝茂の恥か…
島原の乱抜け駆けの後日談を思い出した。
0330人間七七四年2012/11/13(火) 09:14:37.13ID:zBZp6/Ju
骨格定まってない子供を力いっぱい投げなさんなと。
ところで勝茂って逸話で怒られてばっかりいないか?
0331人間七七四年2012/11/13(火) 09:32:23.95ID:GNTDovvs
やたらと鍋島を悪の権化化したい人がいるよな
別に龍造寺が好きなわけでもないんだろうけど
0332人間七七四年2012/11/13(火) 09:44:22.65ID:LnUTaeXc
この骨格って人格じゃないのか
0333人間七七四年2012/11/13(火) 10:57:11.91ID:zBZp6/Ju
>>332>骨格
体と心の両方を引っ掛けて言ってるんだと解釈したんだけどどうだろう。
0334人間七七四年2012/11/13(火) 12:01:16.78ID:dwcQzrdC
人 間 無 骨
0335人間七七四年2012/11/13(火) 12:56:05.78ID:BIFa2zp4
切れない槍なら骨が多いから
なんという為骨豊!
とののしられたんだろうか
0336人間七七四年2012/11/13(火) 20:16:40.47ID:cRqPCY+g
明治大帝を侍従山岡鉄舟が投げ飛ばした話をおもいだしたが・・
0337人間七七四年2012/11/14(水) 03:27:02.07ID:KlA4uQ+g
ありゃ御上が酔って絡んだからで…
0338人間七七四年2012/11/14(水) 20:52:44.03ID:KZrrNcPJ
ある時太閤秀吉が、近習達に対しこんな事を語った

「人という物にはな、その職分に対し、必要なことと、不必要なことがあるものだ。
織田常真(信雄)は、茶の湯・歌学・乱舞・管弦の上手、その他華奢風流のことは、およそ天下に肩を並べることがない、
というほどの才能の持ち主であるが、肝心の国を治め家を整え、武道を磨くことに関しては、その父である
信長公が切り捨てられた、爪の先ほども持っていなかった。

対して徳川殿は、華奢風流なことは全くしないが、国を治め家を整える道をわきまえ、武道を専らにし、
軍士を取り扱わせることに関しては、まあ我が国は別にして、諸外国でも稀な人物である。
(武野燭談)

そんな秀吉の、織田信雄と徳川家康に関する評論。
我が国は別にしてって、軍士の取り扱いに関しては俺のほうが上だ、って底意なんでしょうねw
0339人間七七四年2012/11/14(水) 21:07:50.92ID:bjSV0nkb
>>338
>まあ我が国は別にして

途中で我が国にはそういう人物が多かったことに気づいたんだな
0340人間七七四年2012/11/14(水) 22:12:41.58ID:/we7SijK
有楽斎と常真じゃどっちが芸事が達者なんだろうか?
0341人間七七四年2012/11/14(水) 23:04:38.51ID:gIQ61QyW
家康も結構、芸達者だよなぁ
0342人間七七四年2012/11/14(水) 23:14:01.10ID:D8KGBkE0
武骨な方面の資格マニアだしな
0343人間七七四年2012/11/14(水) 23:28:32.05ID:ngiMIftZ
権現さま和漢の薬に詳しいんだよな
暇潰しのためだけの趣味はしなさそう
見習いたいけど暇だとネットでどうでもいい情報見てしまう・・・
0344人間七七四年2012/11/15(木) 00:08:55.23ID:g6F5c+if
某直江状「上方の武士は茶器などの人たらしの道具をもっていますが、田舎武士は鉄砲や弓矢の支度をするのがお国柄です」
家康「この年まで、これほどわしの考えにあった文を読んだことはない」
0345人間七七四年2012/11/15(木) 09:56:12.77ID:+cL6Oq9N
家康が茶に全く無関心だった訳ではなく松平親宅に茶を栽培させたりしている
なお親宅は家康に初花肩衝を献上し、関東移封後も三河に留まったという興味深い人
どうやら徳川家や家臣が三河に残した菩提寺等の権益確保の意味もあったようで
0346人間七七四年2012/11/15(木) 10:02:30.60ID:eKUiGN/E
祖母昔でもどうどす?
0347人間七七四年2012/11/15(木) 10:10:27.87ID:dfWJvC5S
たぶん、江戸時代にはそういう評価が一般的になってんたんでしょうね
だから権現様は天下をとった、と結論づけるために
0348人間七七四年2012/11/15(木) 12:44:25.50ID:CTJ+rpLg
某漫画のせいで光秀が家康に贈って、それを秀吉に贈った、とおもってた>初花
0349人間七七四年2012/11/15(木) 14:22:41.12ID:+cL6Oq9N
信忠からどのような経緯で親宅に渡ったかは不明だからな
0350人間七七四年2012/11/15(木) 17:16:39.75ID:sJhHeHwo
烏丸光広は常に一室で過ごし、家人がその中に入るのを許さなかった。
机によりかかって書を読み、塵や埃が満ちて歳月を経ても掃除しないので
坐席には汚痕が生じた。常に筆硯を扇匣に納め、宮中の公宴があるごとに
これを携えて輿に乗っていたという。

また光広は甚だ洗浴を嫌った。無理やりこれを勧めるとあたかも嬰児のように
嫌がり、あるいは泣き出しさえしたという。

――『近古禅林叢談』

当代一流の文化人なのに…(´・ω・`)
0351人間七七四年2012/11/15(木) 17:34:45.83ID:lXvY0Pro
文化人とかってそこらへん無頓着な人は多いよね、印象としては
0352人間七七四年2012/11/15(木) 17:35:13.12ID:CTJ+rpLg
あれ、エロい事件に関わってたと聞いてたから、身だしなみを整えてると思ってた
0353人間七七四年2012/11/15(木) 21:14:24.42ID:oFcVa2HA
そういや、風呂入るとあなたのにおいがしないと泣かれるなあ
0354人間七七四年2012/11/15(木) 22:14:43.09ID:vyaPZ90y
泣き出すって何だよw
0355人間七七四年2012/11/15(木) 22:47:41.19ID:oFcVa2HA
フェチなんだろう
俺のにおいが大好きなんだそうだ
0356人間七七四年2012/11/15(木) 23:09:03.47ID:3ygoGafw
犬シャンプーした後犬臭さが薄くて物足りなく感じることはあるが…そーゆー感じ?
0357人間七七四年2012/11/16(金) 02:09:46.53ID:ur8xobUU
「風呂嫌い・掃除嫌い」

鬱・アスペ等、発達障害やメンタルを病んでる人によく見られる症状の一つ
0358人間七七四年2012/11/16(金) 05:50:38.38ID:P5y5DJjI
どうした?自己紹介か
0359人間七七四年2012/11/16(金) 07:21:29.43ID:lfgeQGMY
どこのインテリニートの話かと思ったら…
0360人間七七四年2012/11/16(金) 17:05:17.68ID:zInIO4Sh
江戸にて初鰹をめづる事

天文六年の夏、小田原浦近くに釣舟が多く浮かんでいると聞いた北条氏綱は
小舟に乗って海士の働きを見物した。この珍事の御遊の時、氏綱が酒に興じていると、
一尾の鰹が舟に飛び込んで来た。

氏綱は心から喜んで「勝負にかつを!」と格別の祝辞を述べてその鰹を酒肴とした。

同年七月上旬、上杉朝定が武州へ発向したが氏綱はこれに討ち勝って武州を治めた。
このようなこともあって諸侍は戦場の門出の酒肴にはもっぱら鰹を用いたのである。

――『仮名世説(北条五代記)』

つまり北条の侍は門出のたびに「勝負にかつを!」とか言っていた可能性が…。
0361人間七七四年2012/11/16(金) 17:26:13.86ID:pZ5KUHo5
接待笑いの様子が目に浮かぶな
0362人間七七四年2012/11/16(金) 17:29:04.16ID:QKtyiHv1
ほかのとこだって、いくさ前には勝栗で縁起をかついでいたから
駄洒落の程度は変わらない気がする
0363人間七七四年2012/11/16(金) 17:30:58.34ID:QKtyiHv1
しかし魚が舟に飛び込むって、周の武王や清盛のような話だな
0364人間七七四年2012/11/16(金) 18:42:15.22ID:5jyCoJ8y
北条やる夫か…
0365人間七七四年2012/11/16(金) 18:58:54.43ID:OBboKc7M
駄洒落で験担ぎとかwww
てのはごく最近の考えなのかしらね
まあ同じ人間だしそんなことはないか
0366人間七七四年2012/11/16(金) 19:34:10.64ID:4iolDIe7
勝栗とかだってそんなやし、
現代でもキットカットとかカツ丼とか。
まぁ元より掛詞を嗜む民族やから。
0367人間七七四年2012/11/16(金) 20:06:19.03ID:lfgeQGMY
ダツが飛び込み阿鼻叫喚…
0368人間七七四年2012/11/16(金) 20:43:30.29ID:G4g5YLGa
「仏の嘘を方便と言い、武士の嘘を武略と言う」と言っていた明智光秀。
そんな光秀が本能寺の変で天下を取った。

摂津衆の一人中川清秀は去就を決めかねていた。
光秀と戦うべきか味方すべきか。
というのも情報が錯綜し、本当に信長が討たれたのかよく分からなかったのだ。

そんなところへ秀吉が大返しで戻ってくる。
そして秀吉から受け取った書状には驚くべきことが書いてあった。


「信長公は生きておられる。」


「マジで!?」と思った清秀にさらに秀吉の書状は畳み掛ける。
「信長公配下の福富秀勝が比類なき活躍を見せて明智軍を撃退し、再興の機を窺っておられる。
某はただちに信長公にお味方し、光秀を討つつもりだ。そなたも我に協力致せ。」
もちろんこの情報は嘘で福富秀勝は討死しているのだが、
これに乗った清秀や池田恒興ら摂津衆は秀吉に付き、光秀は敗れ去ることになる。

自ら武略だと公言した武士の嘘によって滅びたというのは皮肉ではなかろうか。
0369人間七七四年2012/11/16(金) 21:03:43.07ID:Mw4z+MRM
>>360

縁起物つながりで隣国武蔵ではかつて神様(大国主命)がデートで待ちぼうけ食らった時に「まつのは嫌じゃ」と言ったのがきっかけで正月飾りが門松じゃなくて門竹になっているし。

きっと東国では駄洒落がマイブ〜ムだったんだよw
0370人間七七四年2012/11/16(金) 21:06:03.17ID:ZgBj9tqX
鰹は今でも魚河岸なんかじゃ「かつを」って書いてるのよく見るよね。
>>360が起源なのか、同じよーな事を思いつくオヤジがほかにもいたのか。
多分たくさんいたんだろうなぁと、親父の駄洒落好きを眺めながら思う。
0371人間七七四年2012/11/16(金) 21:33:05.55ID:GCwhZs9g
       ____
     /⌒  ⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   勝負にかつお!
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /
0372人間七七四年2012/11/16(金) 21:48:04.37ID:b1s+1kor
お前ら、なんだかんだ言いながらかつおで大喜びじゃないかw
0373人間七七四年2012/11/16(金) 22:56:28.99ID:rCjdr2xS
【マスコミ】 「原作改変しておかゆをサムゲタンにしたのは、アニメでわかりやすい表現にするため」「ステマ説は具体性なし」…アニメ業界が反論★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1353070132/


【ソウル聯合ニュース】韓国農林水産食品部が参鶏湯(サムゲタン、鶏のスープ料理)の販路多様化に向けて活発な動きを見せている。(2012年7月24日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120724-00000043-yonh-kr

アメブロの記事数 有名人、かつキーワード 「サムゲタン」
http://search.ameba.jp/search.html?q=%E3%82%B5%E3%83%A0%E3%82%B2%E3%82%BF%E3%83%B3&;row=100&profileRow=&target=blog&aid=&author=talent&start=0
2009年 1件   2010年 0件   2011年 2件   2012年 122件〜 ←7月から急増
0374人間七七四年2012/11/16(金) 23:11:16.59ID:Mw4z+MRM
争い事や謀り事は鮭るが一番…
0375人間七七四年2012/11/17(土) 04:11:50.67ID:lBgMlPiN
それができ鱈苦労はせんが、天下取れれば目出鯛ものよ
0376人間七七四年2012/11/17(土) 05:59:45.67ID:vWRk3hLS
>>368
NHKで仕入れた知識を翌日に書き込むとは…
0377人間七七四年2012/11/17(土) 06:02:33.04ID:VHL946FJ
出陣前の打鮑、勝栗、昆布なんかも駄洒落だよね。
「打ち、勝ち、喜ぶ(ドヤァ」とか、いかついおっさんがやってたとか胸アツだなw
信長もやってたんだっけ?
0378人間七七四年2012/11/17(土) 07:14:00.85ID:cRdfo5U3
戦の前に魚が飛び込んでくる吉兆は周の武王の故事だろう

そういえば道灌が小机城落とす時に駄洒落で士気上げたって逸話もあったな
0379人間七七四年2012/11/17(土) 07:28:06.53ID:lAqgGaMs
駄洒落が出来ないと名将にはなれぬのか…っ!
0380人間七七四年2012/11/17(土) 07:39:06.84ID:TrRLS7Sn
駄洒落といえば信長のこの逸話だろw

織田信長「今日の戦、勝とう!」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3814.html
0381人間七七四年2012/11/17(土) 08:32:54.58ID:9HFL+wwt
↑これ桶狭間の信長だから笑い話ですむけど、姉川あたり以降の信長が言ったら周りはリアクションに困ると思った
0382人間七七四年2012/11/17(土) 11:42:09.51ID:FN+U41b2
派手加藤、地味加藤、砂加藤
三人揃っていた秀吉が強いわけだ
0383人間七七四年2012/11/17(土) 11:42:56.86ID:VEzNwv2W
現代と同じでないわーと思いつつ駄洒落の験担ぎや迷信に乗る感じだろうな
んで、ないわーと無視しちゃう空気読めないやつは戦場の空気も読めなくて…
0384人間七七四年2012/11/17(土) 12:11:28.85ID:rmrlWqhQ
つか、和歌だって駄洒落で別の言葉と引っ掛けるのは、
普通に使われてるテクニックだしね
駄洒落も一種の教養というか、
その場の状況に合わせた駄洒落や、縁起のいい駄洒落は大歓迎、みたいな感じじゃないかな
昔は験担ぎや迷信は現代より真剣に重視してただろうし
0385人間七七四年2012/11/17(土) 14:11:19.04ID:9HFL+wwt
イメージだが三成はこうした駄洒落を小馬鹿にしそう。そしてそういう態度が福島や黒田の反発を生んだんでないのかな?
0386人間七七四年2012/11/17(土) 16:25:31.64ID:VEzNwv2W
>>384
確かにそうだな
風流エピソード見てるだけだと幽斎様でさえ駄洒落好きのおっさんにしかw
0387人間七七四年2012/11/17(土) 18:45:19.43ID:EBnG3Pg5
言霊の力にあやかった縁起物や、教養ある表現としての洒落とするか
くだらねー言葉遊びだろ駄洒落なんてと切って捨てるかは受け取る側によるんだろうな
0388人間七七四年2012/11/17(土) 19:34:29.85ID:58Pjgq4O
受け取り手も自然に納得させられるのが幽斎さんの歌
受け取り手が不自然な愛想笑い作るのがオッサンの駄洒落
0389人間七七四年2012/11/17(土) 20:41:54.80ID:TrRLS7Sn
松平下野守忠吉朝臣は、後に薩摩守殿と申して、美男であり楽しい性格であったので、
天下の諸侯も、この君のためには一命をどうして惜しもうかと、争ってかしずいていた。
関ヶ原の合戦の際には一方の大将であり、福島正則以下の諸将、この君の下知に命をかけること
本望であると勇まれたとか。

この時、徳川家康は井伊直政、本多忠勝に仰せ付けられ、「忠吉を良く引き回すように」と命じた。
これによって、島津義弘が丸備えを立てて撤退する所を、井伊直政は先駆けして食い止め、手痛い働きがあったが、
忠吉も手負い、井伊直政も鉄砲によって腕を撃たれたので、布で腕を縛り首にかけて、忠吉を誘導して
本陣へと帰った。

まず忠吉が家康の御前に出ると
「忠吉は手負いをしたか。初陣の働き、見事なり!」

と、ご褒美に所に井伊直政がまかり出た。家康これを見て

「兵部(直政)は手負いをしたか!薬箱!薬箱!」

と、自分の薬箱を取り寄せ、自身の手で膏薬を傷口に付けられた。

おおよそ人の親として、子供ほど可愛いものは無いこと、上下ともに同じである。
であるのに愛する子の初陣に、薄手ではあったが傷を被った事を驚く様子もなく、兵部が手負いをしたことには
慰め問わせられた所に、『名将の御こころざしは凡人の及ばざる所である』と、当時の人々は感じ入ったとの
事である。
(武野燭談)

関ヶ原の傷
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6932.html

これの、当時の人たちの感想なども入ったバージョン。
しかし忠吉、イケメンで性格も良くて諸侯からモテモテだったとか。
長生きしたら秀忠の脅威になったかも知れませんねw
0390人間七七四年2012/11/17(土) 21:53:07.42ID:VHL946FJ
>>389
井伊話じゃん。
0391人間七七四年2012/11/17(土) 21:56:04.07ID:gBKKcuS2
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6932.html
同じ話でも感想が違うな
0392人間七七四年2012/11/17(土) 22:07:05.78ID:fmNyxEsJ
同じ話でもこっちは忠吉のイケメンっぷりと神君の行動に対しての人々の感想に目がいくな
0393人間七七四年2012/11/17(土) 22:14:54.01ID:ji8WLaz8
義親子でイケメンか
0394人間七七四年2012/11/17(土) 22:28:41.94ID:ji8WLaz8
のぼうも後に忠吉に仕えたんだっけ?
0395人間七七四年2012/11/18(日) 00:19:40.31ID:Zt+952DC
大宮大之丞と秀吉 その1


永禄12年(1569)、伊勢北畠氏討伐の軍を発した織田信長は、
北畠具教が籠る大河内城に向かって進軍中、北畠氏の支城・阿坂城に降伏を勧告した。

ところが城主・大宮入道はこれを激しい調子ではねつけたので、
これに腹を立てた信長はならば攻めよと、先手の軍勢を呼び返して阿坂城攻めを命じた。

この時の織田勢の先陣は木下藤吉郎秀吉であり、真っ先に進んで阿坂城に攻めかかったが、
城主大宮入道の子息・大宮大之丞は高名な強弓の上手であったため、
寄せ手は容赦なく矢を浴びる羽目になり、秀吉自身も左の太ももを射られてしまった。

ところが、秀吉は少しも怯まずに味方を励まし、ひたすらに攻め立てたので、
たちまち城方は疲れ果てる。

ここで大宮の家老・遠藤源五右衛門、同條助は敵が大勢なので臆病風に吹かれたか、
にわかに心変りして寄せ手に内通し、城内の鉄砲の火薬に水を入れ、使い物にならなくしてしまった。
こうなっては大宮もどうしようもなく、士卒の助命を条件に開城し落ち延びていった。

(伊勢国司記略)


この戦いで受けた傷が秀吉の生涯唯一の戦傷だったらしく、
これがなければ本多忠勝のような無傷に関する伝説ができてたかも知れない
ちなみに負傷した箇所は左肱説もある
03961/22012/11/18(日) 01:15:20.20ID:Zt+952DC
大宮大之丞と秀吉 その2

信憑性の薄そうな話ですが続き

天正4年(1576)、伊勢北畠氏の養子となっていた織田信雄により、北畠一族が謀殺されると、
北畠氏の旧本拠地であった多気の霧山城には先に阿坂城で木下秀吉を射た大宮大之丞など北畠氏の残党が集まり、
城代北畠政成を中心に抵抗の姿勢を示した。

これに対して具教暗殺に参加した長野左京ら信雄配下の軍勢と、
さらに羽柴秀吉の三千余騎を加えた一万五千余騎が霧山城下に乱入してきた。

その時、真っ先に「羽柴秀吉!」と名乗って出てくる者があった。
城方の大宮大之丞は、前に阿坂城で秀吉を射落としたときは仕損じたので、
今度こそは秀吉と組んで勝負せんと進んで門を開き、弓矢を取って散々に射かけたので寄せ手は逃げ崩れた。
そして遂に大之丞は秀吉の胸板を射ぬき、秀吉は只一矢にて死んでしまった。

ところがそこに、「真の秀吉ここにあり!」
と叫ぶ者が現れ、大之丞はそれでも心得たりと矢を射かけたが、矢種が尽きたため
太刀を抜いて大勢を切り抜き、秀吉(二人目)をも討ち取ってしまった。
03972/22012/11/18(日) 01:19:49.24ID:Zt+952DC
しかし、この秀吉(二人目)もまた偽者であった。
又も「秀吉!」と名乗る者(三人目)が現れたのである。
流石の大之丞も疲れ果て、当家の運はこれまでと城下の新長門守屋敷前で自害したのであった。

秀吉と名乗った者(三人目)はその後城方の村賀徳太郎に討ち取られたが、
織田方は次々と攻め寄せたので、北畠政成らは奮戦したが自害に追い込まれ霧山城は落城した。

(伊勢国司記略)

この霧山城合戦の話は藤堂藩の学者・斎藤拙堂の伊勢国司記略にある話だが、この話の出所は
「多気記」という霧山城跡の近くに住む郷士が持っていた旧記で、
史料集めをしていた拙堂の門人が借りてきたものだという。
流石に信憑性に問題があるのは認識していたのか、拙堂はこの話の最後に注記して、
「誠しからぬ事も色々混じっているが、旧伝の事もあるだろうし、
ここにしか載っていないこともあるので記録しておく」と述べている。
0398人間七七四年2012/11/18(日) 02:02:32.39ID:WCHFMqI1
なんというか3人も出てくると漫画的な展開だなw
0399人間七七四年2012/11/18(日) 09:33:39.69ID:QawyyZ2g
ニセモノが三人も出てきてさすがの強弓の勇者もうんざりして自害する話
これは悪い話w
0400人間七七四年2012/11/18(日) 12:42:51.61ID:Ox43ucax
量産型羽柴秀吉
0401人間七七四年2012/11/18(日) 13:40:10.81ID:3Tq+sXAx
秀吉「ワシが死んでも代わりはいるもの…」
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