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戦国ちょっと悪い話34

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0001人間七七四年2012/10/23(火) 19:20:04.34ID:FaZWZMUh
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話33
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344939207/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話35
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350554902/

【既出】の戦国ちょっといい話・悪い話を話そう
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350227528/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0201人間七七四年2012/11/05(月) 07:21:18.54ID:OUwdw2fR
取次は外交方針までは決められんから、三成や直政に帰するのは間違ってるような
0202人間七七四年2012/11/05(月) 07:27:40.30ID:dh2eVboB
徳川が政権を取った時は直政は死んでるからそれと比べているわけではない
豊臣政権での三成の政務と徳川政権での土井利勝とかの政務を比べているわけで
0203人間七七四年2012/11/05(月) 07:58:12.00ID:mek9p20d
「ぜんぶ三成のせいにすればいいや」「あいつならやりかねんしw」

考えてみれば可哀想な人だ
0204人間七七四年2012/11/05(月) 08:08:39.91ID:cKtsR/+q
ラスボスの期待に添う成果を出し続ける、というのは凄いと思う
0205人間七七四年2012/11/05(月) 09:32:33.81ID:gHCOz3Je
>>204
のぼうの城のステマかよwww
0206人間七七四年2012/11/05(月) 09:35:38.79ID:Vc8tZybR
>>203
そういうのが信用されるくらいには、有能だったって証でもある。
まあそれと同じくらい、人格的には評価されてなかったって証でもあるか
0207人間七七四年2012/11/05(月) 11:43:30.46ID:QSo1zp0c
最近、ここもまとめブログもやたら三成で盛り上がるな
0208人間七七四年2012/11/05(月) 13:17:10.14ID:IlbtytCF
本当にのぼうの城のステマだったりして
0209人間七七四年2012/11/05(月) 13:21:56.92ID:nfNVaC1Q
なんで今頃そんなことするんだよと思ったけど今頃に延期してたんだったな
すっかり忘れてた
0210人間七七四年2012/11/05(月) 13:28:40.82ID:iL59pcZo
部下の教育で手取り足とり・・・と考えていたら衆道とか思い浮かんできた
0211人間七七四年2012/11/05(月) 13:32:25.75ID:TMLjoXGt
花の慶次に出て来る三成が、一番好きだなー
0212人間七七四年2012/11/05(月) 13:46:51.81ID:UyUMibJ4
官僚の扱いが酷い事で定評のある隆慶作品において珍しくまともな扱いされてたよなw
0213人間七七四年2012/11/05(月) 17:01:19.41ID:mek9p20d
のぼうの城の原作つまらんし、映画を見に行く人はここには居ないでしょ
0214人間七七四年2012/11/05(月) 17:27:50.07ID:QSo1zp0c
最近の日本で作る武士映画つまらんの多いと思う。
説教臭いというかなんというか。
それに比べてアメリカ人の作ったラストサムライは楽しめたな
0215人間七七四年2012/11/05(月) 17:43:01.23ID:2xV199gf
>>214
クレヨンしんちゃんは?
0216人間七七四年2012/11/05(月) 17:46:35.60ID:nfNVaC1Q
クレしんの戦国のってかなり昔じゃね
0217人間七七四年2012/11/05(月) 17:51:37.09ID:aGZWU93I
ラストサムライは
まあ良くできたアメリカ映画だよね。
0218人間七七四年2012/11/05(月) 18:07:19.19ID:Rr+3rV0e
なんだよ、武士映画って?造語か?
0219人間七七四年2012/11/05(月) 18:16:39.03ID:QSo1zp0c
>>215
すまん、クレしんの戦国もの観てない
こないだレンタルした四十七士の生き残りの映画は期待しただけにガッカリしてた
知らないだけで面白いのもあるんだろう
0220人間七七四年2012/11/05(月) 19:33:52.32ID:gMarZj1v
三河柏崎の百姓たちが、とある紛争における判決の非公事(敗訴)を不当だと言い立てて裁判で争ったが、
しかし負けてしまった。
この時の町奉行は、あの本多作左衛門重次であった。

百姓たちは敗訴に納得せず、勝訴した側への作左衛門の依怙贔屓であるとして方々で悪口を吐き、
あまつさえ落書までしてこの裁判を誹謗した。

本多作左衛門はこれを聞いて、再びその裁判における公事人(裁判関係者)を呼び出し、
再吟味を行ったが、やはり同じ判決となった。

そこで作左衛門、今度は非公事を言い立てた百姓たちを、全員斬って捨てた。


それから暫くして酒井河内守重忠が、これとほぼ同じような訴訟の奉行となった。
非公事を言い立て敗訴した百姓たちが散々悪口を言っている、とのことを重忠は聞いて、
再び裁判関係者を全員呼び出した。

そこで忠重は全員に対して、その判決に至った理由を順を追って説明し、非公事を言い立てた
者達にも、その理を言い聞かせ、得心するように理由を説明した上で、悪口をした百姓も
そのままにさし赦した。


この両裁判のことを聞いた徳川家康は、本多、酒井を呼び出し両人がどうしてそのような
処分をしたのか理由を聞いた。

本多作左衛門は
「上を犯すものをそのまま差し置いていては、秩序の締りが無くなり悪事が募るものです。
ですので毅然としてそう申し付けました。」
と答えた。

酒井河内守重忠は
「この様な裁判で人を殺してしまえば、以後奉行人は必ず事あるごとに威を振るい、
驕りが出てしまうものです。」
と答えた。

まさしく両人取り取りの政道である。

(武野燭談)
0221人間七七四年2012/11/05(月) 20:07:50.02ID:4R9zL7AU
似た状況って言っても、具体的にはそれぞれ別のことだし、
本多作左と酒井重忠のどちらが正しということはないんだろうな。
それにしても百姓が好きな事を言って、一度はその言い分を聞いてもらえるって社会は、なかなか良い社会だな。
0222人間七七四年2012/11/05(月) 20:29:46.18ID:PiXUy448
>>197

そこのフォローは秀長がやってたんじゃないのかなー、と。豊臣政権空中分解したのは結局のところ秀長が死んだ影響大なんじゃないかな?
0223人間七七四年2012/11/05(月) 20:44:54.30ID:dh2eVboB
頭でっかち石頭と能筋でバランスの取れた人材に乏しかったから
0224人間七七四年2012/11/05(月) 21:51:56.71ID:mek9p20d
秀長みたいに出来た調整役なんて他には隆景ぐらいしか思いつかんな
0225人間七七四年2012/11/05(月) 22:03:40.58ID:sIbB3lqJ
>>224
イメージとしては武田信繁なんかもそんな感じ

ただ、秀長と信繁に関しては早めに?死んだからこそ余計に評価されてる気がする
両方共一人の人格者がいたらどうのこうのっていうような甘い状況じゃない気がするし

>>220
ものすごくざっくり見れば作左と兼続やってること一緒なんだな
やっぱそっちのタイプの人間だな
0226人間七七四年2012/11/06(火) 02:54:25.87ID:PM8FwmD6
秀吉は若年期に殿様としての教育(自己抑制)を受けてないために
老年期は大陸の独裁皇帝並みの自己肥大になったとしたら
同じ母集団から出て同じように階層が上昇したにもかかわらず
人格破綻を起こさなかった秀長や寧々って凄くね?
0227人間七七四年2012/11/06(火) 04:40:04.06ID:TerQt6Ow
隣にいる人がテンション高いと逆に冷静になるってパターンでは
0228人間七七四年2012/11/06(火) 05:43:02.82ID:VmFqHNiw
秀長は史料が少なくて過大評価されてる部分が多いだろうなぁ
0229人間七七四年2012/11/06(火) 05:46:33.77ID:OxuERoyM
武功夜話で蔓延したのイメージもあるだろうな
0230人間七七四年2012/11/06(火) 09:21:30.98ID:ZT4NF8NB
秀長は残ってる史料が接待ばかりだから
優秀な調停役だったと勝手にキャラ付けされてる様に見える
0231人間七七四年2012/11/06(火) 12:31:05.30ID:Yi4Igwyp
>>228

そうか?俺はむしろ過小評価されてると感じているが。
実際秀長が生きてる時は秀吉もラスボス化しなかったわけだし、三成ら近江閥と浅野長政ら尾張閥との対立も表面化しなかったでしょう?

0232人間七七四年2012/11/06(火) 12:43:00.24ID:TerQt6Ow
>>231
それと秀長との因果関係を示す資料ってあったっけ?
0233人間七七四年2012/11/06(火) 15:10:14.44ID:NbK2TydX
>>228
歴史に興味無い人には過小評価され
歴史好きの中には過大評価する奴もいるってだけ

俺は秀吉の偉業は秀長、クロカン、秀吉で3等分できると思うけど
0234人間七七四年2012/11/06(火) 15:50:03.96ID:ZT4NF8NB
史料上の如水はあごで使われる前線の将
秀吉どころか秀長とも比べられない格下だろ
0235人間七七四年2012/11/06(火) 15:58:08.52ID:I+BY/ICP
でもNHK の魔手にかかれば・・・
戦国の英雄や朝廷も一目置くキーマンに化けるのだ。
ついでに奥さんも超重要人物化して
一武家の夫婦愛や家族愛が全国の行く末を左右する物語のいっちょ上がり。
0236人間七七四年2012/11/06(火) 15:59:07.53ID:3lzC74sQ
小森栄順、大坪甚右衛門、武藤六右衛門、鹿江茂左衛門、吉井与一右衛門、江副甚兵衛、牟田六之充、丹羽喜左衛門。
この者たちが浅草へ連れ立って遊びに出かけた。
そこで小森栄順と大坪甚右衛門の二人が浅草観音ちかくの遊山茶屋で、
茶屋の男たちとまず口論になり、最後はさんざんに打ちのめされた。
このことがすぐに浅草界隈で噂となったので六右衛門は、
「仕返しをしよう」
と言い、与一右衛門と甚兵衛もそれに同調した。
しかし他の者たちが、
「主家にまで迷惑が及ぶだろう」
となだめ、なんとか屋敷へと引き帰った。
帰ってからも六右衛門は、
「いや、これは仕返しをせねばならぬ」
と主張を続けたのだが、皆になだめとめられた。
喧嘩の話は主家まで達し、栄順と甚右衛門は切腹を認められず、そのまま斬り捨てられた。
他の者たちはお叱りを受けた。
詳細は、追って聞くことにしたい。
この喧嘩について考えさせられるところがあったので、
ある老武者に聞いてみた。
老武者
「仕返しなんてものは、皆と相談して上手くいくものじゃない。
ひとりで出かけていき、自分ひとりが斬り殺されるまでだと覚悟を決めねばならぬ。
口先で仕返し仕返しと言う者の中には、覚悟なく発言する者もいるのだ。
つまり、口先で武士としての外聞を飾っているわけだ。
誠の剛の者は、なにも言わずにそっと抜け出し死に向かっていく者だ。
勘違いしている者が多いが、そもそも仕返しを成功させる必要などないのだ。
仕返しの場で斬り殺されるのが剛の者なのだ。
だが、相手をしとめることが出来るのはこういう者である」【葉隠】
0237人間七七四年2012/11/06(火) 17:35:00.71ID:T54cWOMY
秀長が病気になったからラスボス化が始まったわけではなくて
北条征伐あたりでそろそろ周りに危険な勢力がなくなり
信長のかわりとして地位が確立されたことが原因だろ

秀長は優秀であっても過大評価されているように感じるわ
0238人間七七四年2012/11/06(火) 17:38:50.82ID:m61e9G7E
犬死にでもいいから成功するか算段せずに行動しろっていう
山本常朝の美学は好きだな。
ただ、戦国時代の武士ならもっと打算的な行動をする気もするな。
0239人間七七四年2012/11/06(火) 19:32:06.47ID:29mKxpyf
平和ボケした江戸時代の人間が言う事に価値はない
自らが実践で証明したなら別だが
0240人間七七四年2012/11/06(火) 20:25:46.49ID:Fby3rjvQ
家光「立花宗茂の言説には説得力あるな」
02411/22012/11/06(火) 21:08:24.01ID:y9u1DvmK
さてさて天正10年(1585)、皆さんご存知、本能寺の変である

この時徳川家康は酒井左衛門尉忠次、植村右衛門佐ばかりがお伴して、堺を見物し、
これを茶屋四郎次郎が案内として付いていた。

そんな堺の家康のもとに、本多平八郎忠勝は本能寺の変を聞きつけるや否や直ぐ様
駆けつけた。

そこでは家康は「この少人数で三河まで引き上げるのは不可能だ。ここで切腹する!」
と決意していた。

ここに忠勝進み出て
「仰るように、どの道も本道は皆、敵中であると考えるべきでしょうしかしながら
ここで殿が御自害なさる事ではござらぬ。間道を抜けてそこから山越しに伊賀路へと出れば、
別議なく帰国できます!」

しかし家康
「そうは言うが、我らは上方に不慣れな者ばかりである、どうやって敵の知らぬ間道を
通るというのか?」

「その段はそれがしにおまかせあれ!!!」
忠勝、朗らかにそう言うとどこかに走っていった。少しして帰ってきた。誰かを引きずって

「この辺りの村の庄官を捕らえてきました!!!」

突然の拉致にガタガタ震えている庄官に
「おい貴様!ここにおられる殿のご案内をいたせ!しかしもし騙すようなら…お前を即座にぶっ殺す!」
(悪しく導き奉らば、忽に打殺す)

信長や秀吉からも最高の武士として讃えられた男からのこの脅しである。庄官は半ば魂が抜けつつ清瀧まで
案内し、「子、この先は解りません〜」と泣きながら訴えた。
02422/22012/11/06(火) 21:09:17.49ID:y9u1DvmK
これを聞いて忠勝、「ふん、仕方がない」と庄官をあっさり開放。そして「ちょっと行ってきます」
「どこに?」と思ったらまた直ぐ戻ってきた。また誰かを引きずって

「この辺りの村の長を捕らえてきました!!!」

また誘拐である

「さあ我々を案内せよ!、もし(ry」
遂に木津川まで至った。と、川を渡る薪船を二艘発見!忠勝叫ぶ「おいそこの船!こっちに来い!!」

天下無双の勇士の呼びかけにこの二艘の船、当然ながら逃げ出した。

「ほほう、こちらに船を寄せない気か。そういう事なら考えがある。鉄砲ー!!!」

船に向かって射撃開始!「船を寄せねば鉄砲で撃ち沈める!」

船の者達当然ながら驚愕し、家康一行の前に船をつけると、家康は金銀を払い積荷の薪をすべて捨てさせ、
これに家康及び共の者達全員を乗せ対岸まで渡った。この時本多忠勝一人残り、対岸まで行った船が
帰ってくるのを待ってこれに乗り、向こう岸につくと同時に、かの名槍蜻蛉切の石突で、二艘の船艇を
突き破り、「これでよし!」と先に進んだ。

こうして井出の里にまで行き玉水において

「この辺りを案内できるものを捕らえてきました!!!」

何人目かの不幸な犠牲者のおかげで宇治田原まで着く。その先を尋ねると「み、水口越は難所であり、
敵がもし人数を置けばどうにも出来ません」と言うので、多羅尾谷まで進んだ。
ここで多羅尾の何某と言う者が家康の到来を大いに喜び、我が館に是非入ってくださいと言ってきた。
しかるに酒井ら、当然ながらこれを疑い、「我々は今敵中にいるのだ。人の心も計りがたい。
いかにするべきか…」と悩んでいた所、忠勝は

「堺を出てから今日までの間に、我らはもはや、腰兵糧の他何もありません。至極難儀の時であります。
ここで多羅尾にもし殿に対する逆心があるのなら、彼の家に入らなくても我々を逃すことはありません。
何故ならこの様に疲れきった我々では、思うように働くことが難しいからです。

ならば多羅尾の折角の馳走を受けて、かの家で腰を懸けて、人馬の息を休めるべきでしょう。
なあに、万一多羅尾の態度が思わしくないものであれば、私が奴を捕らえてどうとでもしてやりますよ!」

これに一同「尤もだ」と、特に最期の一節に納得しこの家に入ると、彼は無二の持て成しをし、
これにより家康一行、疲れから回復することが出来た。家康は多羅尾に礼として自らの刀を与えた。

ここより伊賀越をし、ここで服部半蔵支配の甲賀者たちが家康のもとに参上し身辺を守り、そのため
難なく伊勢浦に到着し、ここより船に乗って三河へと御帰陣された。
(武野燭談)

神君伊賀越え、本多忠勝大暴れの一席である
0243人間七七四年2012/11/06(火) 22:20:24.39ID:bajq3D94
(アカン)
0244人間七七四年2012/11/06(火) 22:45:49.82ID:lHGmkg1G
船のくだりは見るの初めてかな。忠勝残る必要ないような。
色々と何かがアレだが一応誰も切ってないあたりが別件の四天王とは違う・・・よね?
0245人間七七四年2012/11/06(火) 23:07:20.97ID:R1nwenVc
あずみを思い出して嫌な気分になった...
あれ実話なんじゃないかな
0246人間七七四年2012/11/06(火) 23:29:11.51ID:dAtxtflh
平八さんの出てくる逸話は万事に抜かりなさすぎて主演:スティーヴン・セガールの映画見てるような気分にさせられるな
0247人間七七四年2012/11/07(水) 00:55:34.50ID:2cin/Vnm
これぞまさしく今張飛の大活躍だな
0248人間七七四年2012/11/07(水) 01:55:18.62ID:4i4nduHn
>>247
頭の中身も張飛っぽいんだよなぁ。本多平八郎って。
0249人間七七四年2012/11/07(水) 03:05:36.69ID:qZT1KT+F
>>236
これ、浅草の遊山茶屋って要は遊廓遊びに行ったんだよな

>>240
宗茂さんは遊廓遊びしにいかないだろうな
遊廓がこの世にあることも知らなそう
あくまでイメージだが
0250人間七七四年2012/11/07(水) 06:53:22.06ID:XDwDyiyJ
こういう時に慌てず冷静な手段(=誘拐)を取れるってのがいいね。
0251人間七七四年2012/11/07(水) 10:41:01.27ID:UEmzXKb/
同じ逸話で「万事に抜かりない印象」「頭の中身も張飛っぽい」
どうしてこうなるんだろ
0252人間七七四年2012/11/07(水) 12:15:07.80ID:DW3pQ4EZ
開放するか斬り捨てるかの違いがあるがやってる事自体は鬼武蔵と大差無い気も…
0253人間七七四年2012/11/07(水) 13:18:03.94ID:CVlBjGwt
なんでもかんでも森長可を絡めるなよ
0254人間七七四年2012/11/07(水) 13:19:49.46ID:2NZgsIy/
大きな違いじゃないですか大きな
0255人間七七四年2012/11/07(水) 13:30:07.82ID:DW3pQ4EZ
とはいえ時系列的にほぼ同時進行ですしおすし。
0256人間七七四年2012/11/07(水) 13:41:49.35ID:/cqAsKIk
そういや最近鬼武蔵の話見かけないな。粗方ネタは出尽くしたのかな?
0257人間七七四年2012/11/07(水) 18:21:14.07ID:MXd1EikK
人攫ってもさわやかだな平八さんはw
0258人間七七四年2012/11/07(水) 18:39:11.03ID:1MKNYYaI

烏丸光広が江戸より帰るという時に留守の雑掌某は衆と謀って急に庭中の倉庫を
壊して光広が長年貯えてきた物を悉く家臣に分け与え、自分は一品も取らなかった。

ところが光広は帰ってきてもそのことを問わなかった。ある日、某は光広に
「公は長く江戸におられましたので突然狭い邸宅に帰られると憂鬱になられるのでは
と思いまして、倉を取り払って広くしておきました」と告げた。

光広はこれに「善し。中の物はどうした」と尋ね某は「悉く諸臣に分け与えました」
と言った。光広が続けて「もっとも善し。で、お前は何物を得たのか」と問うと、
某は「臣は一物をも受けませんでした」と言うので、光広はからからと笑って
「お前もまた迂な奴だな」と言った。

――『近古禅林叢談』
0259人間七七四年2012/11/07(水) 18:44:16.53ID:Bu2CFIdU
某はなにがしたかったんだ
0260人間七七四年2012/11/07(水) 19:49:51.43ID:O3O4Z4Xm
烏丸光広って知らん人なんでwiki見てみたら、大納言にまでなった貴族なのか。
他の逸話も含めて、なかなか興味深い人だな。
0261人間七七四年2012/11/07(水) 20:03:14.61ID:n2lApPRX
水戸黄門や麻呂より位が高い
0262人間七七四年2012/11/07(水) 20:38:26.56ID:ZKNX5nP7
京都人のコミュニケーションはレベルが高すぎてよく分からん
0263人間七七四年2012/11/07(水) 22:49:46.15ID:9b2203oE
気前良すぎて悪いというか恐ろしい話
0264人間七七四年2012/11/08(木) 00:26:52.09ID:e4MGPMuU
>>259
某はなにがし、たかったんだ
とくぎってしまって?となった
0265人間七七四年2012/11/08(木) 00:58:56.07ID:89jc9wmL
>>251
ちょっと強引に力で解決してるあたりがまさしく今張飛って感じでかっこいいと思った
0266人間七七四年2012/11/08(木) 10:57:21.91ID:2j3I6O+V
>>265
同じく。実際躊躇していられる状況じゃなかっただろうしな。
力ずくででも安全を確保しないと。
0267人間七七四年2012/11/08(木) 20:07:02.36ID:j+XcMJcK
張飛:二人の娘が劉禅の皇后になったことを考えると、娘は美人だったと思われる
忠勝:娘が美人と伝わる
おそらく、父親には似なかったんだろう
0268人間七七四年2012/11/08(木) 20:15:09.33ID:yqc5oyur
千姫の再婚相手で忠勝の孫である本多忠刻だって美男との噂だし
忠勝もそれなりにイケてたんだと思う
0269人間七七四年2012/11/08(木) 20:41:15.51ID:6IH+EQ0J
絵師を脅して描かせたという肖像画みると、そうとは思えないが
0270人間七七四年2012/11/08(木) 21:41:51.76ID:++hr5nXk
当時の男女の美形の基準てどんなかんじなのかね
0271人間七七四年2012/11/08(木) 22:09:28.05ID:yqc5oyur
今とそんなに変わりは無いらしいよ
0272人間七七四年2012/11/08(木) 22:22:32.73ID:Saa11suA
第二次国府台の合戦の折、

北条方の土気城主酒井胤治は合戦の準備に手間取っていた。
というのも年の初めに急に合戦が始まったため、年始の行事と重なって大わらわになっていたのだ。
これに北条氏康は疑いを持ち始める。
「やる気がないのか?ひょっとして裏切る気なんじゃ…?」
この噂を耳にした胤治は頭にきた。
「今まで北条家に尽くしてきたのに疑われるとは!もういい、だったら里見につく!」
こうして胤治は里見方になってしまった。

一方上総にはもう一つ酒井家があった。
東金城主酒井敏房である。
彼は里見方として活動していたが、第二次国府台の合戦では北条有利とみて北条方に寝返っていた。


両酒井氏の交換トレード?な話
0273人間七七四年2012/11/08(木) 23:31:56.09ID:nmbePeny
酒井をやっつけろ酒井
0274人間七七四年2012/11/08(木) 23:39:08.55ID:vjEutOzM
土気酒井と東金酒井が分岐してまだそんなに年月経っていないので
敏房と胤治ははとこ同士なんだよね
0275人間七七四年2012/11/08(木) 23:43:44.39ID:jRh1W7Cs
>>269
>絵師を脅して

!?
0276人間七七四年2012/11/08(木) 23:47:11.88ID:BIRB/1cl
http://ja.wikipedia.org/wiki/ファイル:Honda_Tadakatu.jpg
>本多忠勝。Honda Tadakatu. 「紙本著色本多忠勝像」関が原合戦後、描かせた肖像画。
>関が原合戦後、忠勝は争いの無い時代になり自分の活躍の場が無くなったことを嘆き、
>絵師にこの甲冑姿の自分の肖像を描く事を命じた、なお忠勝はこの肖像画を完成させるまでに
>7回〜8回やり直しさせたとも言われている。
>また、この肖像画を描くときに着用していた甲冑は現在も残っている。
0277人間七七四年2012/11/08(木) 23:49:49.48ID:jRh1W7Cs
>>272
合戦始まっちゃったなら年始の行事はキャンセルしようよ…。
まさかの年始の行事≧合戦?
0278人間七七四年2012/11/08(木) 23:57:20.66ID:BIRB/1cl
>>277
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6137.html
>正月も何も関係ありません!かつて大内家が崩壊するとき、日頼様(元就)は正月の儀式をとりやめられ
>弓矢を取ってご出陣成されました。
>逆に尼子経久は毛利に攻めいった時も正月の儀式をし、恐れながらこれにより我々は神風を得ました。
>こう見れば正月の儀式など、目出度いことではありません。
0279人間七七四年2012/11/09(金) 00:00:47.22ID:Mh5PjjTA
>>276
wikiに書いてなかったような…と思ったらば画像の解説のところね。気付かなかった。
書き直しさせたのか、てっきりまた伊勢越えみたいな「え?鬼武蔵?」的なエピでもあるのかとー
あー驚いた。
0280人間七七四年2012/11/09(金) 00:06:42.81ID:gGK1oXY9
>>278
尼子経久が正月に計略で月山冨田城奪い返したの知らなかったんだな

生臭坊主の浅知恵よ
0281人間七七四年2012/11/09(金) 00:14:18.67ID:NrUrR7Hv
甲冑図には大抵、袖があるけど実際には無かったりする(本多忠勝・榊原康政)
0282人間七七四年2012/11/09(金) 00:24:34.61ID:qdavcUGo
普段買わないんだが薄い雑誌の「歴史街道」がコンビニにおいてあったから見たら
「総力特集 真田信之と幸村」
お兄ちゃんが先に来るのは珍しいから買ってしまった

ところで、それに載っていたんだが「加沢記」の
武田滅亡時、信幸が新府城から上州に家臣団と家族ひきつれて逃げた話って既出だっけ
(近代デジタルライブラリーの「加沢記」で確認済みだから雑誌の創作ではない)
0283人間七七四年2012/11/09(金) 03:41:43.45ID:Mh5PjjTA
>>279伊勢じゃねーよ伊賀だよorz

>>278>>280
尼子さん…

>>282
逃げるときひもじくて杉の葉食べたらまずかった、というのだけだったかと。
0284人間七七四年2012/11/10(土) 07:44:41.60ID:ghAmbUb8
>>270-271
150年前の土方歳三の写真を見ると現代基準でも男前
そこから150〜200年前の美醜の基準だからあまり変わらないんじゃね?
0285人間七七四年2012/11/10(土) 07:58:56.26ID:fnXDTGfa
信州松代藩って一揆の発生件数全国トップレベルだったけど真田の政治って過酷だったんかなぁ・・・
0286人間七七四年2012/11/10(土) 08:25:59.60ID:ijuECs1c
あんまし厳罰にしたつて話もないから、様式美みたいなもので、役人と百姓の馴れ合いでしょう。
0287人間七七四年2012/11/10(土) 08:28:26.34ID:ijuECs1c
中野騒動は明治の話だし。
0288人間七七四年2012/11/10(土) 08:37:27.48ID:dnrULhcI
とびだせどうぶつの森長可
0289人間七七四年2012/11/10(土) 08:38:14.87ID:yCraL90T
>>288
獣人化した鬼武蔵か…。想像すらしたくないな。
0290人間七七四年2012/11/10(土) 08:39:23.35ID:YaJkWQ2/
アレか、タイの国民的イベント国軍クーデターみたいなもんか?
02912882012/11/10(土) 08:40:57.01ID:dnrULhcI
すいません。 誤爆でした
0292人間七七四年2012/11/10(土) 09:15:46.27ID:cHiPmm91
>>289
どうぶつの森長可か、
どうぶつとなった戦国武将たちがふれあいを求めて
力ずくでコミュニケーションを図るゲームであるな。
殺伐プレイ推奨のGTAあるいはPK御免のMMORPGみたいな物と見た。
0293人間七七四年2012/11/10(土) 10:03:15.73ID:rxRYLBIT
>>285
江戸時代でも戦国時代の軍制を維持してたから年貢もかなり高かった。
減税等で不満の出ないように配慮してたけど対応しきれない面もあったんだろう・
0294人間七七四年2012/11/10(土) 11:24:29.49ID:3u9j7Vtv
>>289
森長可なんて獣人どころか、狂犬みたいなもんだしw
あれ、家の外に鶴の丸の旗が見える・・・
0295人間七七四年2012/11/10(土) 11:40:07.93ID:JcXIIyEn
たぬきちは岡左内かなぁ
0296人間七七四年2012/11/10(土) 12:10:14.25ID:Qt4BvyQ4
クマ吉は畠山義続だな
0297人間七七四年2012/11/10(土) 13:51:50.97ID:FMmP8hn9
誤爆って言ってるにも関わらずおまえらときたら
ところでどこの誤爆?
0298人間七七四年2012/11/10(土) 18:23:16.16ID:/RxZhJlm
>>285
オマエ南部の領民に土下座してこいよ
0299人間七七四年2012/11/10(土) 19:43:10.97ID:FB0+FVlN
今は昔、武州豊島郡田畑村(現在の東京都北区田端のあたり)の興楽寺に盗賊が多く押し入り、
僧侶らを多数惨殺して、霊宝・金銀などを盗んでいくという事件があった。
これは江戸御城下から遠くない、王子村(現東京都北区王子町)の御鷹場往還の前でもあり、
特に厳重な捜査が行われたが、犯人に関する証言もなく、犯人逮捕に繋がる情報に対し
懸賞金を懸けて尋ねさせたが、やはり情報は上がって来なかった。

そのころ京都より、所司代の板倉周防守重宗が江戸へと上がってきていたので、幕閣たちから、
この悪党どもを探し出す手立てはないかと相談を受けた。
そこで重宗は以前からの捜査状況を一つ一つ聞いて、「なるほど、では私がひとつ、手立てを
致してみようと思います。」と、板を一枚取り寄せそこに

『懸賞金の額が少なく、申し出ることが難しいのです。この倍を掛けられるのなら、
仲間共の在家を指し申します。』
と、いかにも読みやすいように、平仮名で筆太に書き記し、あの懸賞金の制札の側に立て掛けた。

これをあの盗賊の一人が見て驚いた
「さては仲間の中の誰かがこの札を立てたのか!そうであるなら人に先を越されてはならない!」
その日の内に奉行所に出て仲間をすべて告発したため、一人残らず召し取られ、忽ち法によって
処罰された。


それから暫く後、酒井讃岐守忠勝の屋敷で物の紛失したことがあった。
色々調べた上でも判明せず、これも懸賞金を以って告発を待ったが、それも効果がなかった。

この時酒井家家臣のある者が気がついて
「先年、興楽寺の盗人御詮索の時、板倉周防守殿の考えられた手段によって盗賊を尽く
召し捕らえました。であれば今回もあの手段を使ってみてはいかがでしょうか?」

酒井忠勝はこれを聞くと
「よく心付いたものである。」

と、そのものを褒めた。ところが
「ただし周防守などは、どんな手段を使っても盗賊などを捜索することを職分としているが、
私は今、天下の大老職に居る。
そんな私が人を陥れて利を得るということは、職の盗と言うものである。
尋ねて知ることが出来ないからといって、とうして偽りによってそれを成せるだろうか?
よってその考えは、取り上げることは出来ない。」

そう言ったのだという。

(武野燭談)


板倉重宗の奇計についての逸話である
0300人間七七四年2012/11/10(土) 21:44:41.44ID:MLRgDVZt
>>297
多分このスレに書き込みたかったんだろう↓

http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1293102886/
最上義光「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」
0301人間七七四年2012/11/11(日) 13:33:40.62ID:bj8WhPIj
桶狭間の戦いの折、遠州二股の城主・松井五郎八郎は
義元の討死によって呆然として落ちて行ったところで井伊信濃守と出くわした。

「信濃殿、大将は討死された。本陣は崩れてしまったから見届けずともよい」

松井が声をかけると井伊はにっこりと笑って…

「兄の肥後守の申し付けで本陣へ見廻りに参るところでした。
味方が崩れたからとこのまま立ち帰るのはそれがしの本意ではありません。
兄に敗軍を見物して帰りましたとは申し難いのです」

「そうか…そうだな、いざ共に参ろうか」

松井は井伊の言葉に励まされて取って返し、両人とも討死した。

井伊は弟であって家督ではないから義による本意の討死である。
しかし松井が討死したのは軽率であった。この人には父がいたが子はいない。
終いには跡目は断絶し、七十余の父は武田に生け捕られて老後の恥辱を受けた。
これは五郎八郎の不孝である。

初め大将討死の場にて松井が共に死ぬのは士の道であったが、墓場とすべきところ
でもないのに井伊の言葉に従って父のことを思わず引き返したのは血気の勇であった。

――『良将言行録』
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