戦国ちょっと悪い話33
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0001人間七七四年
2012/08/14(火) 19:13:27.50ID:90iWq5dq戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっと悪い話32
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1339809373/
姉妹スレ
戦国ちょっといい話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1344541435/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0878人間七七四年
2012/10/16(火) 18:43:49.65ID:l3mevywU氏政・氏照はやむなしとしても、
松田と大道寺、ついでに宗二ぶっころしてだろ、ここらへんは許してやれたはず
特に大道寺政繁は一ヶ月近くの攻防戦の末の降伏で北条への義理はちゃんと立ててるし、
北陸勢に従って転戦して功も上げてる
殺す理由がさっぱりわからん
0879人間七七四年
2012/10/16(火) 19:30:34.77ID:W0cyz0fV奈良の有名な猿沢の池において、10月15日から水換えを行い、11月4日5日と池の魚を一方の
水たまりに寄せ、主池を掃除して22日に再び水を入れそこに魚を離すと、魚が10匹ばかり
たちまちのうちに死んでしまった。
これを一乗院は夢のお告げによって、この事は不吉な兆しだと言っているそうである。
かつて、80年以上前にもこれと同じことがあり、天下は凶相の有様となった。
また、去る永禄10年(1567)にもこの池において同じことが起こった。
すると翌年より天下大乱となり(三好三人衆と松永久秀の争い)、これにより当時天下の主人であった
三好家が滅亡したのである。
(当代記)
大仏焼き討ちで有名な東大寺大仏殿の戦いのころ、こんな怪奇現象があったらしい、というお話
0880人間七七四年
2012/10/16(火) 19:34:45.65ID:aZMW5iMW0881人間七七四年
2012/10/16(火) 19:35:15.81ID:LUpvVy8y0882人間七七四年
2012/10/16(火) 20:48:43.84ID:bRgAzFFNpHショック、硬度ショック、水温ショックのいずれかが起きたと思われ.
お魚を別の水に移動させる時は「水合わせ」を忘れずに!!!
0883人間七七四年
2012/10/16(火) 20:49:55.47ID:UqMlIr4aなんて謡われる不思議池ですし
0884人間七七四年
2012/10/16(火) 20:50:21.33ID:qQUoZR4D0885人間七七四年
2012/10/16(火) 21:43:33.42ID:FEfsZ3ef小屋みたいな城落としてるんじゃねえよと言われたり、堅城は落としとけと言われたり…下請けの悲哀だな…
0887人間七七四年
2012/10/17(水) 00:08:32.27ID:phStM6dH白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき
0888人間七七四年
2012/10/17(水) 00:18:52.96ID:dSnOhPMA魚飼ってる奴なら分かると思うが
池の水を全部交換とか論外にも程があるわボケ
自分のミスを不吉な兆しで誤魔化すなw
0889人間七七四年
2012/10/17(水) 00:24:48.08ID:FWcWnClT「五傷之法」は「黄素妙論」の六章目のようだ
「一に、玉門ふくれず、うるほはざる間は、必ず玉茎を入べからず、しゐて入る時は肺をやぶる
ニに、女人の淫情既に動ずといへども、男子それをもしらず、漸女の心中に興つき、
時過て交合する時は、必帯下の病となる
三に、少壮之女に白髪之老男相対して、玉茎かたからず、なましゐに少しおゆるといつて、
しゐて交合し精汁をもらすことかさなれば必目をやみ、終には盲目となる也、
四に、女の月水いまだやまざるに、しゐて交合すれば互に腎をやぶる、
五に、男子沈酔して交合し、女人の美快なる事過おはありたるに、しゐて久しく出入をおこなふ時は、
必面黄之病を生ず。」
内容も前にこのスレに出たやつと同じっぽい
あと、「黄素妙論」全文および現代語訳は、新潮新書の山崎光夫「戦国武将の養生訓」に載っているな
上記以外は体位(9つ)とか精力剤の処方とか
0890876
2012/10/17(水) 00:38:05.19ID:gRKLHb8eいまさらすいません訂正します。
×堅城十二ヶ所
○堅城一、二ヶ所
一つ二つと十二じゃ全然違うよ…申し訳ない。
0891人間七七四年
2012/10/17(水) 04:58:31.02ID:iVnlSqZp北条家、今川家の書状は具体的な年月日が記載され、
城の普請などでも具体的な城名も記載されているので、
いつどこの出来事に関する書状かすぐに分かるという。
一方武田家の書状は年月日の記載がなく、
城に関しても「其城」としか書いておらず、
いつどこの出来事の書状かそのままじゃさっぱり分からない。
そのため他の史料などから前後関係を調べて年代の特定をするところから始めねばならず、
研究は大変なのだという。
0893人間七七四年
2012/10/17(水) 14:31:49.48ID:pPEb8PzQ0894人間七七四年
2012/10/17(水) 18:58:14.96ID:UGTttLN5http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4552.html
0895人間七七四年
2012/10/17(水) 19:13:39.00ID:H9I1HYsN0896人間七七四年
2012/10/17(水) 19:20:01.82ID:jBejSjWm0897人間七七四年
2012/10/17(水) 19:55:05.24ID:o4bTbvXi猶可有山本菅助口上候恐々
謹言
六月廿三日 晴信(花押)
市河藤若殿
↑市河文書の最後のほう
0898人間七七四年
2012/10/18(木) 00:30:38.40ID:TT2CuZ93関ヶ原の戦いの折、朝ほどに深い霧のなかで鉄砲の音が激しく聞こえる中、
東軍本陣の人々はいずれも勇み進んで馬を乗り廻し、未だ陣も定まらない時に、
野々村四郎右衛門某は誤って自分の馬を徳川家康の馬に乗りかけてしまった。
すると家康は怒って刀を引き抜いて切り払ったので、野々村は驚いて走っていった。
なおも怒りの収まらない家康は側にいた門奈宗勝の指物を筒より切るも、宗勝の身
には触れなかった。
これは単に一時の英気を発したまでで、後日に野々村を咎めることはなかったという。
――『徳川実紀』
0899人間七七四年
2012/10/18(木) 00:38:23.82ID:Wz0N4xHy0902人間七七四年
2012/10/18(木) 10:37:21.94ID:/td3rcG3今川北条が文書なんかシコシコ書いてる前に武田は攻め込んでるよw
0903人間七七四年
2012/10/18(木) 11:07:49.64ID:KqO7EW3N0904人間七七四年
2012/10/18(木) 11:29:15.55ID:ovYf0ydAおかげで3家とも滅んだ家なのに書状残りまくりで
論文なんか今だに北条武田今川ばっかだわ
0905人間七七四年
2012/10/18(木) 12:04:36.76ID:2WEkCgbeで、長篠で痛い目にあってこりゃあかんってことで改革を断行、
文書をシコシコ作るようになってるのは皮肉
0906人間七七四年
2012/10/18(木) 12:13:19.26ID:dRypKPld0907人間七七四年
2012/10/18(木) 12:39:42.23ID:DUqeztv1つか、髪の方の話題はあんまりないんかね?
CS見てて和田さんのhage方は欧州人っぽくてあこがれたわ〜
0909人間七七四年
2012/10/19(金) 00:18:31.99ID:kZa+IzlA上杉憲政の老臣・長尾意玄は北条氏康の勢力が日に日に強大になるのを
憂いて、本間近江と井俣左近を氏康に仕えさせてその内情を視察させた。
やがて平井に戻って来た二人によると、
「氏康の人となりを熟視したところ、沈着剛毅にして測られず、剛にして
柔であり、書を読んだり刀槍の訓練をし、礼節は正しく、威厳があります。
また下賤であっても功を賞し、士を用いる時には老少問わずその器量に
適した用い方をしています。その子弟は嫡子でなくとも皆俸禄を与えて
仕事をさせ、功があればすぐに昇進しています。
そうした理由から配下は畏怖しつつも氏康を愛し、人々は奮い立って
死を致す覚悟です。しかも上杉の将士は皆密かによしみを通じています。
通じていない者はわずかに九人しかおりません」とのことであった。
意玄は二人の報告を引き合いにして憲政の非を諫言した。
これを聞いて憲政はようやくその非を改めた。ところが程なくすると、
菅野信方と上原兵庫の言葉を用いて、また大いに政事を怠るようになった。
――『名将言行録』
0910人間七七四年
2012/10/19(金) 17:20:46.97ID:+LAh1N5L大阪夏の陣、後藤又兵衛との合戦の折に政宗公は鉄砲を釣瓶撃ちにせんと鉄砲足軽隊へ御下知なされた
ところが加藤太某という者、鉄砲300丁の隊を預かる身なれど一向に撃たず、公は不振に思ってこれを詰問した
加藤太曰く「道中火縄を点け続ければ燃え尽きて無益だと思い、また玉薬も兵に預ければかさばってかなわないので道すがら捨ててしまうことと思います。」
「故に火縄と玉薬は出発前に荷造りして荷駄隊にそっくり預けてありますので、もう間もなく到着致します。」
公、大いに怒りて手討ちにし、見せしめとす
国史叢書より意訳
騎馬鉄砲隊ならぬ荷馬鉄砲隊を組織して戦場に空筒をぶら下げてた(頭の)悪い話
0911人間七七四年
2012/10/19(金) 18:40:59.54ID:N34nQY1m0912人間七七四年
2012/10/19(金) 18:43:17.83ID:RfxbNVdfかませ犬的存在なのに
0913人間七七四年
2012/10/19(金) 19:17:19.94ID:MrlCTSX8重さ数キロの鉄パイプでも振り回す気だったのか
0914人間七七四年
2012/10/19(金) 19:40:02.81ID:gCP82WQH0915人間七七四年
2012/10/19(金) 19:53:40.05ID:4p7XbHJi0916人間七七四年
2012/10/19(金) 22:48:28.07ID:9+l2T6yk0917人間七七四年
2012/10/20(土) 01:26:27.36ID:/Y7A9m/W0918人間七七四年
2012/10/20(土) 02:19:26.62ID:4gryY6ax一休さん的なパンチの効いた解答を期待したんだが・・・
つか、この加藤さんもシラっと言っちゃうとこが凄いよな
0919人間七七四年
2012/10/20(土) 07:02:31.71ID:OjTnBRaU小早川隆景は朝鮮開城府に在陣していたが、太閤秀吉へのご機嫌伺いのため、曽根兵庫を使いとして
名護屋の本営に参らせた。
曽根は太閤の御前に出て平伏し、隆景の言を伝える
『今十万の人数の渡海を仰せ付けられましたならば、それを朝鮮の占領した城々に入れおき、
現在朝鮮に在陣している十三万にてこの隆景が先手を仕り、朝鮮を押し払い大明に討ち入り、北京をも
攻め取りたいと思っています。この段、願い奉ります。』
秀吉はこれを聞いて大変機嫌を良くし
「隆景の気性、そうでなくてはならぬ!」と、傍らに居た徳川家康、前田利家を見て
「皆の者達、よく聞いてほしい!この秀吉が寿命を迎え、この戦争の最中に病死などしたとしても、
秀次を大将に立てて必ず大明攻めにとりかかるのだ!その時私の亡魂は悪神となって天に登り、
黒雲に乗って、日本軍の鉄の盾となるだろう!
四百余州の奴原(明国)を一々に蹴り殺すこと、思いのままである!」
と、快く語り、ふと
「そういえば、悪霊になって柘榴を食って火を吹いた小男があったが、名前を忘れてしまったぞ。」
これを聞いた施薬院森成
「畏れながら、それは菅丞相(菅原道真)と申し奉る、北野の天神の御事でございます。」
そう申し上げると秀吉
「それそれ!その菅丞相ですら我が念を通じて雷となったのだ。全くその男は、我が睾丸(キンタマ)の垢ほども
無き者である!」
と仰せられた。
この言葉に一座の大小名、皆興を醒ましたとのことである。
(武士道美譚)
0920人間七七四年
2012/10/20(土) 07:31:25.18ID:AGJlYvYm0921人間七七四年
2012/10/20(土) 07:48:26.78ID:jjrnK5P/太閤殿下の軽い冗談かな
0922人間七七四年
2012/10/20(土) 08:02:32.34ID:kGGGam6n頼朝より自分のほうが上だとか言っちゃったりするあたり、
成り上がりだなーとしみじみ感じる
0924人間七七四年
2012/10/20(土) 09:58:14.15ID:MKIMWOZy0925人間七七四年
2012/10/20(土) 10:12:38.96ID:yebQoZPm0926人間七七四年
2012/10/20(土) 10:22:50.07ID:8exgBFE50928人間七七四年
2012/10/20(土) 11:10:12.62ID:8exgBFE50929人間七七四年
2012/10/20(土) 12:00:41.38ID:Mo8jlSjE0930人間七七四年
2012/10/20(土) 12:11:03.21ID:Hveczzzk0931人間七七四年
2012/10/20(土) 13:23:19.31ID:g2VVUmd00932人間七七四年
2012/10/20(土) 13:38:03.22ID:Hveczzzk0933人間七七四年
2012/10/20(土) 13:52:53.44ID:0/MYP7450934人間七七四年
2012/10/20(土) 14:03:10.47ID:n4VY6cUG家康「まったく殿下は教養がなくて困る。忠勝は菅丞相を知っておろうな」
忠勝「偉い学者ですよね。羅山先生とどっちが上ですか?」
0935人間七七四年
2012/10/20(土) 14:39:04.22ID:4gryY6ax0936人間七七四年
2012/10/20(土) 16:50:00.61ID:7BYW31Aa秀吉以外は指揮権の統制が全く取れない軍制だったのが運の尽き。
0937人間七七四年
2012/10/20(土) 18:07:15.31ID:3uRQr14Xそれなりの軍勢送るとどうしても微妙な序列の差しかない同格の人間が
0938人間七七四年
2012/10/20(土) 18:10:37.40ID:kGGGam6n中世で指揮権を持ってる奴が前線に居ないとか致命的すぎるからなー
0939人間七七四年
2012/10/21(日) 14:12:00.29ID:RRdnsyyH長久手の戦いの折、羽柴秀次は味方が敗れたと聞いて急いで旗本を進めた。
この時、可児吉長は秀次の近習であったが、秀次よりも遥かに先にいた。
ところが吉長が馬を乗り返して来るので、その様子を見た秀次は、
「才蔵、いつもの口振りと違うぞ、戻れ!」と命じた。
これに吉長は「この敵は槍のできる連中です。御馬を返してください」
と言ったが、秀次は構わずに三度まで戻れと言うので吉長は続けて、
「勝てば勝つほど備えは固まり、段々と後ろの勢が続いて来ます。
これでは槍を合わせるような状況ではない」と忠告した。
しかし、それでも秀次は言うことを聞かないので吉長は腹を立てて、
「糞でも喰いなされ!」と罵って引き退いた。
果たしてその言葉の通りに秀次の勢は一溜りもなく敗軍し、
池田恒興を始めとした戦死者を出した。
――『名将言行録』
こっから「馬貸して!」に続くのかな?
0940人間七七四年
2012/10/21(日) 14:47:23.13ID:ceSPNQsX0941人間七七四年
2012/10/21(日) 15:06:27.40ID:HCXGIXET0942人間七七四年
2012/10/21(日) 19:52:28.95ID:/m7kD9I/式法の歌会などがあるときには、装束に身を固めその上座に座られた。その時には由己(大村由己)
という者が、いつも御前近くに控えていた。
そして太閤は物に感じた体で座中において歌を吟ずるのであるが、その実、それらは皆
由己が詠んだものだったそうである。
(武士道美譚)
0943人間七七四年
2012/10/21(日) 21:19:58.24ID:r7Sn4MDZ結構な軍勢が移動してるのに全く気づかないとかありえんだろ
目障りな親子を始末する策略のような気がしてきた最近。。。
0944人間七七四年
2012/10/21(日) 21:51:05.14ID:0jg5p7RWそれは、単にお前が秀吉が嫌いなだけだろwとしか
0945人間七七四年
2012/10/21(日) 22:08:55.21ID:7MhLU9Y80946人間七七四年
2012/10/21(日) 22:11:19.35ID:os+A7UnD家康に利をならしめ、未だ固まっていない自分の覇権を動揺させる程の価値があるのか、って話ですなw
あと豊臣軍って家康の隠密行軍を非常に苦手としていたフシがある。
関ヶ原の時もご存知のようにあの大軍が東海道をおっちら来たのに、赤坂に旗立てるまで
まるで気づかなかったほどでw
0947人間七七四年
2012/10/21(日) 22:15:06.42ID:0jg5p7RW西軍は外様主体で、その超スピードで東上した東軍主力こそが
まさに豊臣恩顧なわけなんだが
0948人間七七四年
2012/10/21(日) 22:24:07.13ID:7MhLU9Y8流石にそれは俗説。
遅くとも9月12日頃には家康の着陣をキャッチしてた模様。
吉川広家や益田元祥が書状で内府着陣を報じている。
0950人間七七四年
2012/10/22(月) 13:22:39.57ID:B7eKEguPそのタイミングでクーデターを起こし政権首脳を捕らえ引き返してきた正規軍を迎え撃つ
0951人間七七四年
2012/10/22(月) 15:33:35.39ID:mlFILlRY0952人間七七四年
2012/10/22(月) 15:45:43.12ID:AyPrD6hl0953人間七七四年
2012/10/22(月) 18:57:20.51ID:pGchYo/n0954人間七七四年
2012/10/22(月) 19:14:26.73ID:mlFILlRY家康の寿命が史実通りならおにいちゃんと泳ぐ人はもちろん生きてるだろうしパパンもなんとか生きてそうだし
0955人間七七四年
2012/10/22(月) 22:08:17.92ID:hMW9rDvm0956人間七七四年
2012/10/22(月) 22:44:59.52ID:5iz7ajhg0957人間七七四年
2012/10/22(月) 22:51:21.62ID:YJZlDPd20958人間七七四年
2012/10/22(月) 23:06:10.25ID:zcYttfLe0959人間七七四年
2012/10/23(火) 01:08:11.21ID:I0+UqwwI0960人間七七四年
2012/10/23(火) 02:15:34.58ID:8Wvg11hp本当に鮭様はこの手で不遇だな
0962人間七七四年
2012/10/23(火) 06:31:21.53ID:FaZWZMUhhttp://members.oni-soul.jp/contents/gotochi/area/yamagata/
0963人間七七四年
2012/10/23(火) 06:37:32.82ID:7C5axKPF0966人間七七四年
2012/10/23(火) 11:06:50.00ID:w7ilBfyz別に最上だけあげつらっても
0968人間七七四年
2012/10/23(火) 11:37:05.22ID:w8utLtT80971人間七七四年
2012/10/23(火) 18:51:17.76ID:hT3DrHmS脳筋公方のほうがおもしろいんだけど無名に等しいからなあ
0973人間七七四年
2012/10/23(火) 19:18:02.25ID:FaZWZMUh0974人間七七四年
2012/10/23(火) 19:20:47.89ID:FaZWZMUh戦国ちょっと悪い話34
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1350987604/
0975人間七七四年
2012/10/23(火) 19:29:23.42ID:lwvxOILNでも福岡ってメインとするにはどこか微妙な点のある人たちしか思いつかないわ
早く滅んだ少弐とか他所から来た立花や秋月のような豪族だったり
0976人間七七四年
2012/10/23(火) 20:01:50.82ID:rtrEvqkqさて関ヶ原の役の勃発直前、三成は加々江彌八郎を招き寄せ、今回の挙兵の次第を説明した。
彌八郎はこれを聞いて
「私が以前、太閤のご命令を背いた時、あなたの取り扱いによってお許しを頂くことが出来た。
この厚恩は忘れられぬものである。であればこの一命をあなたに奉ることは、第一には秀頼公への忠節であり、
第二にはあなたへのご恩返しでもあるので、まったく簡単な事である。」
そう言い切った。これに三成は大いに喜び
「ならば秀頼公からの慰問のお使いとして江戸に赴き、家康に対面して、その時彼を刺し殺してほしい!」
家康の暗殺を依頼した。これに彌八郎は少し戸惑い
「仮に世情静謐の刻ならば、幼君のお使いとあれば内府が対面しないということはないだろう。
しかし今は会津征伐もあり世の中は立ち騒いでおる。この様な折に内府ほどの老巧の者が、そう簡単に
対面などするだろうか?」
しかし三成は諦めない
「家康が対面しなければ是非無いことである。しかし、もし近寄るべき機会があれば!
偏に頼み入る。これを果たした時、あなたの子息に、相違なく一国を与えるだろう!」
そう言って起請文を書き、彌八郎の目の前で血判をしてこれを渡した。
彌八郎もこれを見て決意し、起請文を懐中に仕舞い、莞爾と笑って退出し、早速江戸へと下った。
が
家康に秀頼公よりの御使者の故を申し上げても、案の定家康は対面しなかった。
それどころか奏者(取次)の者達すら彌八郎をまともに相手にせず追い返し、これにはさしもの大剛の
彌八郎も呆れ果て、頼る人もいないまま、力及ばぬ有様にてすごすごと帰っていったそうである。
三成の家康暗殺の刺客、誰からも相手にされず。というお話
(玉露叢)
0977人間七七四年
2012/10/23(火) 20:02:54.74ID:Pn8DLQrXそのお礼として京都へ参勤した光泰は、秀吉の御前でついつい、余計なことを言ってしまった。
「今度ご加増いただき、多くの侍を召抱えました。ですから、蔵入地からの収入についてはお望みになりませんように。」
これを聞いた秀吉は激怒した。
「なにぃ!預け置かれた蔵米まで自分の家来に宛がうだと!そんなやり方が許されるとでも思っているのか!出仕を停止するゆえ、今後、二度とわしの前に姿を現すな!」
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。