「おん折紙、拝見せしめ候。よって榎並給人方の事、違乱を止めらるるの由、しかるべく存じ候。

長慶内証の様体、笑止に存じ候。心中をも存ぜず候いつれども、おのおの心得のため、申し候いき。

それについて給人方田地の事、そのかくれあるべからず候。さりながら、ご不審のこと候はば、
給人衆の帳をごらんあるべく候。なお寿清へ申し渡し候間、一二能わず候。恐々謹言。

九月十四日  松弾  菅若 」


(お手紙、拝見しました。榎並の侍衆の騒動を鎮圧されたこと、当然の処置であると思います。

長慶の内々の様子は、笑止千万と言えましょう。本人も、もう何を考えているのか分かりませんし、
皆さんにも(こんな状態だと)心得ておいて欲しいので、申し送っておきます。

それはさておき、榎並衆の土地争いについては経緯が明らかですが、ご不明の点があれば
連中の知行簿をご覧ください。その他については使僧の寿清に伝えてあるので、一々書きません。

九月十四日 松永弾正より 菅若狭守へ )



三好長慶の晩年、永禄六年前後に出されたと思われる、松永弾正久秀から野口(菅)若狭守冬長あて書状。

主君の末弟への手紙で、肝心の主君を呼び捨てにしたり「アイツ何考えてるやらww」とか
書いちゃう松永先生、マジ爆弾正。誰のせいで『笑止』な事になったんですかねぇ・・・