実は最強政権室町
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0001人間七七四年
2012/08/02(木) 23:33:22.12ID:jA/uicaPしかし足利さん粘る粘る。
実は意外と堅牢な政権だった。
0027人間七七四年
2012/08/23(木) 22:24:40.78ID:J0/sCaeB潰し合いする中の動乱に呑まれていった…。
という印象ですね。
0028人間七七四年
2012/08/24(金) 01:17:22.27ID:/2wCl7Os武家も公家も利害対立がある奴が属しているのと反対の朝廷につくのが南北朝時代
関東でもそれは変わらない
0029人間七七四年
2012/08/24(金) 19:48:47.31ID:CNMCCXM0越後や上野の新田や北条残党が暴れてたし
やはり尊氏の子がいなければ関東を統御できなかっただろう。
南朝側が海難で皇子の関東下向に失敗したのは痛かったな。
0030人間七七四年
2012/08/24(金) 23:56:14.99ID:SJ7xxrh/0032人間七七四年
2012/08/25(土) 00:42:31.52ID:GXCoKmI+というか建武新政での待遇はたしかにポイントの一つだけど南朝につくかどうかはまた話が違ったりする
観応の擾乱とか調べてみことをオススメする
0033人間七七四年
2012/08/25(土) 07:01:14.13ID:pFsN4f/mその集大成が戦国末期不死鳥の様に何度も復活し、佐竹やら多賀谷やら真壁やら太田に敗れ続けた常陸の常敗王こと小田天庵公
0034人間七七四年
2012/09/01(土) 01:20:48.18ID:2jGNAUnS0035人間七七四年
2012/09/08(土) 19:22:50.19ID:zHniuhOD信長公記に3回登場
日葡辞書による「狂う」の語意=「ふざけたわむれる、遊ぶ」
有岡城攻めと三木城攻めを嫡男信忠に任せた信長。
鷹狩にも飽きたのか、次には「御狂」してしまう。
要は近習・馬廻たちとの戦争ごっこ。これに近衛前久や細川信良も加わる。
前関白や京兆家惣領まで模擬合戦に興じる面白さ。
0036人間七七四年
2012/12/08(土) 09:20:30.85ID:FHSBNd6S南北分裂してたからねー
0037人間七七四年
2012/12/13(木) 18:16:48.21ID:qZncw10x慶喜「我々のときは薩長の横暴と土佐の裏切りによって滅びましたぞ」
家茂「異国人どもにも無理矢理異国の品々を買わされて大損させられました」
義昭「薩長って島津と毛利のこと?
我々の時代は島津は南の僻地で暴れていたし毛利は
僕が信長に追い出された後に随分お世話になったし毛利さんはいい人だよ
毛利さんが横暴だなんて以外だなぁ」
義輝「異国人って宣教師達のこと?
僕キリスト教のことはよく分からないけど宣教師達に
京都での布教を許しちゃったよ」
慶喜「・・・・・・」
家茂「・・・・・・」
0038人間七七四年
2012/12/14(金) 11:50:17.72ID:s/CeUSD5どちらかと言えば、朝廷(もっと言えば皇室)の息の根を止める一歩手前まで踏み込んだのが足利幕府だろうに
足利高氏なんか右翼(絶滅危惧種たる日本人の右翼)からは未だに評判が悪い。
室町幕府末期は、内乱が起きたから無政府状態が長く続いたのに対して、
江戸時代末期は、市民(ブルジョア)革命が発生した結果明治革命政府が早期に樹立しただけだろ
(ブルジョアとプロレタリアの区別がつかない人は多いよなw)
0039人間七七四年
2013/06/26(水) 11:01:20.76ID:ryND/NSu0040人間七七四年
2013/06/26(水) 21:58:21.36ID:KLqoCTQR0041人間七七四年
2013/07/28(日) NY:AN:NY.ANID:6SOkJLLD実はこの時代は、日本史上では第二次大規模建築物ラッシュで、これはみんな将軍の指導の下で作られた。
早島大祐氏は室町幕府が弱い体制と誤認されてきたり、研究が少なかったのは、
皇国史観、南北朝正閏論のせいであり、この大塔の存在もいままで忘れ去られたものだった。
0042人間七七四年
2013/07/31(水) NY:AN:NY.ANID:FFWZMqHW室町幕府はそれを仲裁した公武合体政権だからこそ
京を本拠地に据える事ができた。
0043人間七七四年
2013/07/31(水) NY:AN:NY.ANID:qv75XCZ+0044人間七七四年
2013/08/02(金) NY:AN:NY.ANID:yVSc22/N返却の要求をたびたび出しているし
それでも返さない大名を討伐しようとして
近江で客死した義尚みたいな将軍もいるからな。
京を治めるためには公家や寺社の心をつかまないとならんから
日野氏との婚姻や、嫡子以外を寺社の元へ出すんだよな。
0046人間七七四年
2013/08/03(土) NY:AN:NY.ANID:ACRRFkDI0047人間七七四年
2013/09/10(火) 00:23:23.88ID:FLLpn1s0全国66か国中11か国の守護職ってどんだけ大盤振る舞いだよ
山名、細川、畠山、土岐、武田、上杉、斯波で全国の3割くらい行くんじゃねーの?
でも信長も似たようなものか。軍閥でかすぎ。
0048人間七七四年
2013/11/09(土) 20:42:59.62ID:R7YfMt1T0049人間七七四年
2013/11/10(日) 12:09:35.76ID:w8i5Lz+v今でいう知事?
0050人間七七四年
2013/11/20(水) 11:53:12.95ID:E1UeYEwB今で言う県警本部長+県単位で税務署が合ったと仮定した場合のそこのトップ+その県にある地方裁判所のトップ
あとは軍勢催促と知行宛行は今の時代には言い換えられないかな。あえて言えばその県のやくざ組織の組長だろうか
0051人間七七四年
2014/06/01(日) 10:48:32.66ID:5v5oNV3i0052人間七七四年
2014/08/04(月) 02:34:20.70ID:izKhrTYfそうしないと幕府が維持できなかったんだよ
北条の領国拡大御家人離れで鎌倉幕府が崩壊し、
建武の新政の大失敗で武士の支配層に対する不信感が最高潮に達してる時、
大盤振る舞いして部下の機嫌を取らないと政権維持できないだろ
時代の流れを読めって
>>10
お前バカ??
戦国時代がなかったら誰も日本の歴史に興味持たんだろww
大河ドラマとかネタ切れでとっくの昔に終わってるわ
最低なのはお前のそのポンコツ頭だろ
0053人間七七四年
2014/08/05(火) 09:07:28.48ID:TkWNhA6Y北条征伐、建武の新政への反抗などは武家の身勝手でしかない
南北朝の争乱では双方共に大義があるからもはや何のための戦いかすら分からない
結局民のためを思い政治・戦争を行う人が一人もいなかったから世は静まらなかった
0054人間七七四年
2014/08/05(火) 09:29:18.12ID:TkWNhA6Y尊氏が天下を取っても全然平和になってないw
0055人間七七四年
2014/12/30(火) 19:03:48.25ID:eoT9AW2D0056人間七七四年
2015/01/14(水) 22:03:58.56ID:dw46ckXp0057三尺入道
2015/02/08(日) 14:50:12.46ID:PL7XwfBMうちの庭の池にかわいいカルガモの親子がいるので見に来ませんか(´・ω・`)?
0058人間七七四年
2015/02/11(水) 12:35:35.95ID:M3d5ARQ3足利義教や、フランスの絶対王政が良い例。
0059人間七七四年
2015/02/27(金) 03:08:05.54ID:4mqw6bTv足利義輝・・・武芸はダメだが戦国一の知略で調略を仕掛け
敵武将を内応させ周辺の城を次々と陥落させる
敵武将をそそのかせて謀叛を起こさせ敵大名の力を弱めることなど
朝飯前の戦国きっての知将
足利義昭・・・政治知略はからっきしダメだが剣豪仕込みの恐ろしく高いレベルの武芸で
同じく超武辺者の松永久秀を一刀両断にし瀕死寸前にまで追い込む
戦のときは勇敢で常に部隊の先頭に立って戦う
細川藤孝・・・義昭と同じく武辺者
和歌などの教養を身に付けるのは非常に不得意で戦での槍働きでしか
主家に貢献することしかできない
鉄砲の名手で三好軍との戦で1000丁の鉄砲を使い
三好軍を壊滅寸前にまで追い込む
0060人間七七四年
2015/02/27(金) 03:20:25.20ID:4mqw6bTv常に三好軍が戦国最強の軍勢だと思い込んでいる
戦国最強の三好軍が足利軍なんぞに負けるわけないと思い足利軍に戦いを挑むが
細川藤孝を中心とする足利軍に1000丁の鉄砲で蜂の巣にされ
三好軍を壊滅寸前の状態にしてしまう
松永久秀・・・長慶と同じく超武辺者
自分こそ戦国最強の武将だと思い込み足利軍との戦で
同じく戦国最強との誉れが高い足利義昭に単騎で駆け付け一騎討ちを挑むが
逆に義昭に一刀両断にされ返り討ちにあい一時は瀕死寸前の状態になる
しかし後に自身の驚異的な体力により回復
wc2014.2ch.net/test/read.cgi/base/1416733216/
元ネタのスレ
0061人間七七四年
2015/02/27(金) 03:23:44.24ID:4mqw6bTv0063人間七七四年
2015/07/31(金) 23:53:14.36ID:GtliYYRe仲がいいというより明確な君臣関係だもちろん義満も
言ってしまえば日本を治めてはいない
形式的な関係に終始した徳川将軍とは違う
0064人間七七四年
2015/08/08(土) 12:28:14.63ID:XTPJoqHQ承久の乱なんか上皇が鎌倉に謀反したとまで言われてるし
0065人間七七四年
2015/09/09(水) 04:37:55.86ID:0xkFchzQ0066人間七七四年
2015/09/09(水) 15:09:28.05ID:1YurQBr3平家みたいなもんだ。
鎌倉や江戸みたいな実体や本体は無いよ。
0067人間七七四年
2015/09/09(水) 16:37:22.49ID:0xkFchzQ0068人間七七四年
2015/09/09(水) 16:39:27.08ID:lHACUKJT実力による担保が欠けていた点が最大の問題
0069人間七七四年
2015/09/09(水) 17:04:04.56ID:0xkFchzQ0070人間七七四年
2015/09/10(木) 08:23:43.58ID:7UC3M8S70071人間七七四年
2015/09/10(木) 14:37:08.41ID:+SGqIvNz日本をダメにしたのは全て明治維新〜第二次大戦までの日本参謀本部
ナチス以下もありうる
0072人間七七四年
2015/09/10(木) 16:54:26.89ID:jB6p8tTU0073人間七七四年
2015/10/01(木) 20:19:02.69ID:wJYhH2yO信長程度のことは細川や三好もやってる。
0074人間七七四年
2016/06/17(金) 22:28:52.61ID:U6kRdF52土岐氏が上皇に矢を射ても、
細川氏が重臣一同により追放されても、
山名氏が反乱を起こして京都に侵攻しても、
あまつさえ赤松氏が将軍を惨殺しても、
親族を大名に復帰させ、その本領地は動かさなかった。
一見弱腰に見えるがその実、これが重要だった。
混乱期に各大名は自勢力の拡大に努め天下を狙ったが必ず足利氏を推戴した。
こうすることにより例え宿敵に敗れても足利氏の酌量を受けることができ、
滅亡や本領没収を免れることが出来た。
0075人間七七四年
2016/06/17(金) 22:42:49.07ID:U6kRdF52日本のルネッサンス時代だった。
一方、短命に終わった織田政権は安易だった。
将軍を追放し、敵を滅ぼし、重臣をすぐ処罰した。
豊臣政権はもっと安易で、
国替えを命じ、従わない場合はその家を滅ぼした。
こんなことをやってしまえば、逆の立場になった時に骨も残さず滅ぼされる。
重臣の本領を安堵した足利政権、
足利政権の莫大な遺産を有効利用できず食い潰した織田・豊臣政権、
豊臣恩顧以外の大名を安易に滅ぼさなかった徳川政権、
4者で明暗が分かれたのも当然だろう。
0076人間七七四年
2016/12/08(木) 17:51:30.32ID:JR2VgAb2馬鹿か?
北条は暗殺しまくりで政争暗殺で鎌倉期に1万人は暗殺したのに暗殺で北条はねバッタ
江戸は260年徳川が続いた
室町は足利年間はたった40年であり、追放されて期間のほとんどは細川幕府だったろ
0077人間七七四年
2017/05/05(金) 02:01:39.91ID:mm+hm3Td■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています