戦国時代は経済戦争であった。
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0001人間七七四年
2012/07/29(日) 23:29:14.01ID:nBHU7tqg織田の堺、豊臣の各地の金山・堺、京都
島津の南蛮貿易など。
従来の農地経営では限界があり、戦国時代は強い経済基盤をもったものの経済代理戦争であった。
もちろん武将の能力も重要であったが、能力があっても経済力がないもの発展せず、逆に経済基盤に恵まれても能力がないものは滅んだ。
武田氏も甲州金山を擁したが金山を掘り尽くすにつれ他家の懐柔が困難になり、経済力、物量に圧倒した織田家の前に滅んだのである。
今宵はここまでに致しとうござりまする
0002人間七七四年
2012/07/29(日) 23:59:26.93ID:JBvzlzOe0003人間七七四年
2012/07/30(月) 00:25:39.48ID:LugOogGy0004人間七七四年
2012/07/30(月) 00:58:16.92ID:lnfVUwPN0005人間七七四年
2012/07/30(月) 01:25:44.66ID:zMeZzS8oもはや乞食として生きていくしかなかったのだが
名門故のプライドにより自滅
0006人間七七四年
2012/07/30(月) 01:33:38.03ID:4Z+1eSrW0007人間七七四年
2012/07/30(月) 01:40:03.26ID:3fEAs9l/0008人間七七四年
2012/07/30(月) 01:42:38.56ID:U18X2rR20009人間七七四年
2012/07/30(月) 03:05:37.83ID:kSxTcJH+広大な関東平野のおかげで北条氏は経済基盤が盤石だった。
ところが戦国時代になると鉄砲や大筒、軍艦といった強力な兵器の登場により購買力、
つまり貨幣もしくは金をどれだけ持っているかが勝負の分かれ目になった。
0010人間七七四年
2012/07/30(月) 03:13:13.64ID:kSxTcJH+佐渡は当時は本間氏の領土であり、上杉氏が手がけたのは景勝の代とのことです。
しかし、上杉氏は鳴海金山を持っていて天正から慶長の時代には、日本一の産出量を誇り、
当時の為政者であった豊臣秀吉への運上金の3割が越後の金山から産出された金で占められていたそうです。
0011人間七七四年
2012/07/30(月) 03:17:51.41ID:U18X2rR20012人間七七四年
2012/07/30(月) 03:37:25.52ID:Fig5uqpC一袋の種籾のほうが大事
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