武田の甲州金山、上杉の佐渡金山、今川(のち徳川)の駿河金山、毛利の石見銀山

織田の堺、豊臣の各地の金山・堺、京都

島津の南蛮貿易など。

従来の農地経営では限界があり、戦国時代は強い経済基盤をもったものの経済代理戦争であった。

もちろん武将の能力も重要であったが、能力があっても経済力がないもの発展せず、逆に経済基盤に恵まれても能力がないものは滅んだ。

武田氏も甲州金山を擁したが金山を掘り尽くすにつれ他家の懐柔が困難になり、経済力、物量に圧倒した織田家の前に滅んだのである。


今宵はここまでに致しとうござりまする