>>377
六連銭の由来は、水島の戦いで幸広が戦死し、
その後、子の幸氏の代から使われた物だというのが
真田家文書である「御書上」にある。
これが正しいかどうかは定かじゃないけど、
1435年に記された「長倉追罰記」に海野一族の羽田氏が
六連銭を使用していたとあるので、
この頃には既に海野氏の家紋として使われていたようだね。
六連銭は六道銭で、幸綱が六道のいずれに落ちても構わないという
覚悟から六連銭を用いたという逸話は確かにあるけど、後付けだろうね。
ちなみに幸綱使用と伝わる六連銭の旗指物が残っているので、
昌幸が使い始めたってのは違うんじゃないかな。