徳川秀忠 その2
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0001人間七七四年
2011/07/15(金) 23:59:29.98ID:TVTDkJzqスレタイはシンプルに
というわけで、
徳川二代将軍について揉めてください。
前スレ
【凡将か?】徳川秀忠を本音で語れ!【名将か?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1156998657/
0002人間七七四年
2011/07/16(土) 01:12:22.40ID:tk10XHg0建てようと思ったけど建てられなくて でも建たなくてなくて良かった
0003人間七七四年
2011/07/16(土) 08:08:03.88ID:jxe90QeO凡将か名将か
を消したのは英断だと思う
そう聞かれたら凡将と答えるしかない
0004人間七七四年
2011/07/16(土) 18:26:30.42ID:tk10XHg00005人間七七四年
2011/07/16(土) 20:56:26.35ID:jxe90QeOついでに御三家の名前ってドコから来たの?という話題で終わったよな
0006人間七七四年
2011/07/16(土) 21:25:19.36ID:tk10XHg0家康が頼朝公を崇拝してたから、そっからじゃないの? ってコメあったけど
義直は誰からとったんだろうか
0007人間七七四年
2011/07/16(土) 22:06:14.91ID:eGgFVJu+0008人間七七四年
2011/07/16(土) 22:10:29.87ID:jxe90QeO兄の義直が義朝や義経で
弟たちが頼朝にちなんだ名前なんて
自分が義直関係者だったら納得できないな・・・・
0009人間七七四年
2011/07/17(日) 00:13:17.78ID:0G5INWyg0010人間七七四年
2011/07/17(日) 00:18:09.89ID:0G5INWyg0011人間七七四年
2011/07/17(日) 17:56:34.52ID:2QQR4+i0なんか和んだw
家康が「自分も囲碁は最初はあまり興味なかったんだけど、やってたら楽しくなっちゃってさー」
っていうお江に宛てた手紙があると聞いたけど、これだったんだ 分かってすっきりした
秀忠の逸話の中でも、伊達さんや信雄さんと囲碁やってる話があるね
0012人間七七四年
2011/07/17(日) 18:38:02.23ID:0G5INWyg手紙の実物(の写真など )を見ないと信用できない自分がいる
0013人間七七四年
2011/07/17(日) 19:00:14.28ID:2QQR4+i0気詰まりにて役に立たぬ事とばかり存じ、人の好み候は虚け
者に存候所、近年覚え候へば雨降り徒然の慰にもなり先達て
虚気者と存候者を相手に致候・・・」(慶長17年・1612・2月25日)
ネットで調べてみた手紙の内容がこんなんだった
何となく内容は分かるんだけど、やはり現代語訳してほしい
0014人間七七四年
2011/07/18(月) 00:49:44.23ID:fsCVF6t5江はそこまで家康のこと恐れていた訳ではないんだなあ
むしろよき相談相手だったんだろうか
0015人間七七四年
2011/07/18(月) 01:15:17.15ID:kzrAJ5Nl小説やドラマなんかでは「いろいろ」ある前後で家康秀忠江の三人の関係はギスギスに描かれることが多いころだよな
クライマックス直前だからハイスピードで飛ばしてて
和やかな日常を挟む合間なんてないくらいに
0016人間七七四年
2011/07/18(月) 20:30:06.71ID:fsCVF6t5言ったとしたら手紙じゃなくて、誰かを介して口頭で家康に訴えたのかな?
たとえば本多正信辺りに、将軍様が囲碁に夢中になりすぎてるから、大御所様からも何かおっしゃって下さいとか
でも、口頭だと本当にこう言ったのかも分からないし
手紙があったとしても、原本がないから本当かどうか分からない
そもそもそんなのあったら、とっくに発表してるよね
お江さんの書いた手紙ってまだ二つしか現存確認されてないはずだし
この将軍様ともあろう人が云々てどっから出てきたんだろう
0017人間七七四年
2011/07/19(火) 01:14:54.45ID:Ps/i3RTbまあ手紙の現物を見るまではなんとも
手紙の存在ひっくるめて逸話の可能性もあるか
まあその時は数少ないお江が登場する逸話が見つかったということで
上の話になるが秀忠の秀は秀吉の秀だけど
忠は松平家が康→忠→康→忠と交互に受け継いできたものだっけ?
0018人間七七四年
2011/07/19(火) 01:18:57.24ID:AZsiVnHa他の家も忠を通字にする所もあるし、忠ってのは良いんだろうな
0019人間七七四年
2011/07/20(水) 17:27:02.14ID:wu9EhFcm秀忠は戦国時代の人と語るべきか、江戸初期の人と語るべきか
0020人間七七四年
2011/07/20(水) 17:43:54.08ID:EoCeGbne0021人間七七四年
2011/07/20(水) 18:57:52.25ID:oNNIp7Xk徳川秀忠と答える勇気が出ない
0022人間七七四年
2011/07/21(木) 22:46:20.82ID:mj8X5PKs武将や政治家としての評価や功績の話しか載せてない文章見ると安心する
0023人間七七四年
2011/07/21(木) 22:54:19.44ID:MdJBG97u0024人間七七四年
2011/07/21(木) 23:11:10.41ID:mj8X5PKs0025人間七七四年
2011/07/22(金) 00:19:25.48ID:j068jd52過去の人物評を持ってきただけのものとかあるよね
今更こんな古臭い説もってくるとか、この人何なの?
と思ってもうその人の本二度と読まなくなるわ
0026人間七七四年
2011/07/22(金) 12:39:35.96ID:JkBftkN7もうちょい残っていてもいいと思うけどなあ。
なんか人為的な操作でもあったのかなあ?
0028人間七七四年
2011/07/22(金) 13:23:11.86ID:zBismmG6幕府側の史料はともかく諸大名のところのヤツを抹消するのはいくらなんでも無理だよ
元々少なかったのが火事やら保存方法の問題で消えて
さらに少なくなっただけだろう
つーか大河の便乗研究でちょくちょく出てきたし
大河決まる前は経歴と俗説以外はほぼ何もない状態だった
0029人間七七四年
2011/07/22(金) 16:25:59.76ID:JkBftkN7笑われるかもしんないけど、春日局あたりの人為的操作かな?なんて考えたこともあって(笑)あり得ないか。
家光って両親をどう見ていたかな?彼の心情を知りたい。うちは妹ばかりちやほやされてきたからさ。自分語りゴメン
0030人間七七四年
2011/07/22(金) 20:07:04.73ID:j068jd52あと春日局のは、後年一族の人が書いたのがソースなんじゃないかな
彦左さんの三河物語のように、大抵そういうのは脚色が物凄い
他の史料では、ああいうのはほとんど嘘だよって言われてるくらい
家光は母親はそう嫌ってはいないと思うけどな もちろんお江も
父親はどうだろう 秀忠が晩年寝こんでいる時、ちょくちょく見舞いに行ってたというし
秀忠が隠居所を小田原にしようかと思っていたら「そんな遠い所へは…」みたいに渋ったから
結局隠居所は江戸城西の丸になったらしいね
(その頃はお江が病に伏せがちだったので、遠出は出来なかったというのもあるけど)
0031人間七七四年
2011/07/22(金) 21:13:38.74ID:zBismmG6忘れた
0032人間七七四年
2011/07/22(金) 23:37:31.29ID:AiUjzaOF0033人間七七四年
2011/07/22(金) 23:40:58.66ID:AiUjzaOFまあ参考までに
なにかヒントになるかも
0034人間七七四年
2011/07/23(土) 23:44:14.43ID:2EXUC6FL秀忠が武将枠で入ってた
0035人間七七四年
2011/07/24(日) 01:33:26.51ID:Uf69bWbbどうでしょうかね
秀忠夫妻の偏愛ぶりがどの程度かによるでしょうが
東照大権現祝詞の記述に従うと
悲惨な親子関係になる
「両親が家光を憎んでいる。適齢期になっても世子決定の様子がない〜続く」みたいなことが書かれている
この文章の通りの親子関係なら家光は通説通りの両親嫌いだと思うが
ただこの文章は誰が書いたか不明の文章、で
さらに家光室や秀忠側近の悪口まで書いてあるという
不思議?な文章ですので信用できるかどうかは意見が割れる
家光と秀忠夫妻の関係については個人的には色々考えていたんだが
昨年末に発売された本に結構新しい情報が載りすぎていて考えがまとまらない
0036人間七七四年
2011/07/24(日) 01:34:30.61ID:Uf69bWbbごめん
0037人間七七四年
2011/07/24(日) 11:42:18.61ID:+/3Gwa3pどんな本なのか詳しく
0038人間七七四年
2011/07/24(日) 20:47:02.27ID:Uf69bWbb「江の生涯」と「誰も知らなかった江」
作者の想像部分は飛躍した部分もあるが情報収集にはいい二冊だよ
0039人間七七四年
2011/07/24(日) 22:22:43.72ID:+/3Gwa3pああその二冊は自分も読んだ
江の生涯は半分以上はちょっと無理があったけど、それ以外は割とよかったよね
誰も知らなかった江は良かったけど、ちょっと家康を綺麗に書きすぎじゃね? と思った
山岡荘八の徳川家康思い出したよ
0040人間七七四年
2011/07/25(月) 01:15:34.77ID:ABYYpIVc終了後の秀忠ってそんな仕事任されるような立ち位置だったっけか
0041人間七七四年
2011/07/25(月) 03:50:43.33ID:RRQLHXSE(この直前にあの有名な後継ぎ決定イベントが記載)
六年正月 御父子とも大坂の西城にましまし。大小の政事を沙汰し給ふ。
三月三 日豐臣中納言秀頼大坂城の西城に。 御父子を迎へ奉り。申樂を設け饗し奉らる。かへらせ給ひて後秀頼西城二丸にまかりて。 御父子の御來臨を謝せら る。
廿四日 公には大坂二丸を出て伏見に移り給ふ。廿七日 公ならびに秀頼。ともに大納言にのぼり給ふ。(一 に廿八日につくる。)
廿九日 公御參 ありて拜賀し給ふ。御同母弟下野守忠吉朝臣も。この日從四位下侍從に叙任したまふ。
九月晦日公第二 君。(珠君。)を加賀中納言利長の弟猿千代利 常。(後中納言。)に嫁し給ふ。此月 公伏見を出て江 の城にかへらせ給ふ。(台徳院御実紀)
後継ぎに無事決定した秀忠は
戦が終わった後も上方に一年近く滞在して親父と政務をこなしたようですね
0042人間七七四年
2011/07/25(月) 20:10:29.88ID:ABYYpIVc九月晦日ってことはほぼ10月上旬にようやく江戸に帰れたのか
だから勝姫から初姫生まれるまで年の開きがあるんだな
それ以外はほぼ毎年、お江さん子供産んでるし(ただ史料によってまちまちだけど)
0043人間七七四年
2011/07/25(月) 20:30:21.91ID:RRQLHXSEだった気がするんだが
福田氏が督姫のことをどう思っているのか気になって仕方ない
0044人間七七四年
2011/07/25(月) 20:37:10.01ID:ABYYpIVc督姫は前夫の北条氏直と仲よかったらしいけど
池田輝政も懐深い逸話多い人だから、やっぱ仲良くやっていけたのかな
0045人間七七四年
2011/07/26(火) 22:13:40.38ID:o3NPGuPP誰か教えて下さい
0046人間七七四年
2011/07/27(水) 07:32:34.71ID:QyI3PtB3http://s1.shard.jp/rabbit1/0204/43/289_2.html
徳川の戦いには最終的な決着がない八百長戦争の代表的なものが多い。
( http://book.geocities.jp/japan_conspiracy/0202/p002.html )
0047人間七七四年
2011/07/28(木) 00:58:53.57ID:viZYe7BZ「東照大権現祝詞」ってどの程度信用できる史料なのかな。
幕閣(秀忠の乳母子にして老中、松平信綱の舅にもあたる)の横死を「天罰だ、ざまあ」みたいな
論調で触れたり、家光室への中傷じみた文言や、さらには秀忠夫妻が家光をないがしろにした挙句
家康の怒りを買ったみたいな文章を公然と書き残したりできるものなんだろうか。
0048人間七七四年
2011/07/28(木) 01:22:46.73ID:KRqtNZq3仮にも幕府にいる人の言葉とは思えんし、何のために残っているのかも理解不能だ
0049人間七七四年
2011/07/28(木) 14:34:43.21ID:ibjb5hjIちくごって何物なんだろう
0050人間七七四年
2011/07/28(木) 17:53:26.69ID:lRiOOi0Q0051人間七七四年
2011/07/28(木) 18:05:59.76ID:ibjb5hjIかな文字でも男性でいいなら筑後守?
筑後に住んでいる人?
よくわからん
0052人間七七四年
2011/07/28(木) 18:11:51.28ID:lRiOOi0Q「ちくご女」と呼ばれていた可能性は高いな。
0054人間七七四年
2011/07/28(木) 19:20:36.78ID:KRqtNZq3高価な巻物20巻分て、かなりの金額だよね
そんな金額動かせるとしたらどっちだろうか
0055人間七七四年
2011/07/28(木) 23:22:15.53ID:ibjb5hjIあまり知名度は高くない女性・・・・・・・・朝倉局かなやっぱり
駿府博物館の学芸員はちくごが誰かについて検討つけているのかね?
0056人間七七四年
2011/07/31(日) 21:45:17.66ID:IuMySzk3隆慶先生の秀忠と比べるとどうだろうか 秀忠の方が上かな
0057人間七七四年
2011/07/31(日) 23:47:46.41ID:HBM+cPmd江が千に
「お父上は意外と執念深いお方なのです」
とか言ってた
0059人間七七四年
2011/08/01(月) 00:45:26.09ID:Gox95JF/植松三十里という方の最近出た本
秀忠ファンが読んで楽しいかは微妙だけど
執念深い・・・ 晩年の話か
0060人間七七四年
2011/08/01(月) 00:58:27.94ID:OTpmCHBwありがとう ちょっと読んでみようかな
秀忠のは執念深いというか、徳川の治世を脅かすものは誰であろうと断固許さん
みたいな強固な姿勢があるから、執念深いとはまた違うか
0061人間七七四年
2011/08/02(火) 20:54:45.93ID:kFNU1xNdのこの手紙見てると、凄く優しい文字で書いてるなあと感心する
なんでも鑑定団に出てた、7歳の頃の習字の文字は、凄く力強く書いてる印象あったから
年齢の違いにもよるけど、相手に対して筆使いも変えるって、昔の人気配り上手だよね
0062人間七七四年
2011/08/06(土) 07:47:52.46ID:CQa9yuH7親しい人にはかなり情のある男に見える。仕事面では容赦ない感じ。家康と違う自分を良く知って、幕府の体制を整えるためにあえて厳しかった。
子供の頃のお習字、のびのびした気持ちの良い手蹟だと思った。数え七歳なら今の5〜6歳くらいか。
残っている手紙なんかも全体的に雰囲気が柔らかく優しい。
前に徳川美術館で秀忠のいろいろを見たが、なんとなく巷のイメージと違って違和感があった。本当に凡庸な人には思えなかった。
自分が書道で生きてるからかもしれないが、文字で人を見てしまう。
誰か秀忠のイメージを払拭する小説を書いてくれないかな。
0063人間七七四年
2011/08/06(土) 18:27:52.92ID:hCUZ13C5同作者の「真田信之」「立花宗茂」の秀忠もブレることなく、この人の描くいつもの秀忠像で実に良かったな
この人はあまり通説にとらわれずに、作者独自の人間像で書くので結構好きな作家さんなんだけど
お江さんが通説通りの、家光を毛嫌いしてたり、気が強かったとした設定なのでがっかりしたな
通説を持ちいらないこの作者さんなら、と期待していたんだけど、それ故落胆が激しかった
いや、歴史研究者の考察本じゃないんだから、小説の中くらい好きに書かせてやれと言われればそれまでなんだけど
いつかこの人の書く秀忠主人公の本を読んでみたいなあ、と思っていただけに、期待が大きすぎたかな
0064人間七七四年
2011/08/06(土) 18:43:30.44ID:uXmvWPl2最近はどうでもよくなってきた
どう描かれようとその人本人が変わるわけじゃない
0065人間七七四年
2011/08/06(土) 19:00:36.35ID:FGRJ6Vq0興味を持った人が史実まで追えばいいんだ
創作物はイメージ拡散ツールとして強力だから
描かれようが気になるのも分かるが
0066人間七七四年
2011/08/06(土) 20:33:31.46ID:hCUZ13C5大河ドラマや小説だけ読んで、それが史実と信じている人もいるから
その人に「それはあくまでフィクションでね…」と言っても、信じてもらえず
自分の好きな歴史上の人物が、いつもいつも罵倒されているのが悔しくてねえ
ちゃんと調べれば、暗愚でもなんでもない、立派な人だとすぐ分かるのに
どうしてそれを信じず、いつまでも創作者の情報だけで語ろうとするのかなーと
酷いのだと、ちゃんと史実的な偉業も、○○オタの妄想とか言われてしまうのがオチだし
0067人間七七四年
2011/08/06(土) 20:47:36.53ID:FGRJ6Vq0ttp://www1.e-hon.ne.jp/content/sp_0031_taidan_201103.html
小和田氏によると
「秀忠は多くの史料から、大人しく頼りない感じを受けますが」
「竹千代が冷遇されているので、家康が自分で引き取り
養子にしようと考えていたらしい、という資料」だそうだが
具体的にどんな史料なんだ?
0068人間七七四年
2011/08/06(土) 20:55:35.14ID:uXmvWPl2「見る必要はなくて不快な気分になることが予想できるもの」(人物描写がアレなドラマや小説や個人ブログやツイッターなどの俗説だらけの歴史妄想話) を目に入れないようにしたらどう?
なんかそういうのでイライラするのは時間の無駄
小説やドラマは所詮娯楽なんだから好きな人物が良く描かれているものだけ見れば良い
ブログやツイッタは知識不足で適当なこと言ってる人がほとんどだから信頼できる所以外は見ない
史料と研究本と創作物は自分が気に入ったものだけ
周りにあるのはこれだけでいいじゃん
0069人間七七四年
2011/08/06(土) 21:07:48.61ID:uXmvWPl2家光に関しては東照大権現祝詞だろ
君をするがへよび御申候て、ごんげんさまの御こにあそはされ、三代せうぐんにこれあるへきと上意御さ候間、やうやくするかへ御のほり候ハんかと下々もよびし申うちに、ごんけんさませんげあり
という一文がある
秀忠の性格に関しては知らない
というかよくわからない
0070人間七七四年
2011/08/06(土) 22:11:16.85ID:hCUZ13C5そうだね そういうのはスルーしとけばいいね
史料にもとづいて、ちゃんと考察しているサイトもあるし、そういうのを見て満足しとけばいいか
0071人間七七四年
2011/08/08(月) 22:17:52.33ID:x+s2Mzah千姫をすっげえ痛烈に批判しててびっくりした
そこまで言わんでも…とちょっと引いた
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