次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5
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0016人間七七四年
2011/07/04(月) 21:39:26.81ID:yqbWL3hA一つ。信長いわく「あの武者、宵に兵糧を使いて…」と、指差した先の敵は、疲れた兵だと説明
したが、藤本説ではこれを信長の勘違いだとする。疲れた家康達は大高城に戻っていたので、
目の前にいるのは疲れていない新手の兵だとする。俺は、信長の言うとおり疲れた兵ではないかと考える。
一つ。
藤本説の定番の地図では、鳴海城の西は海がある。↓こんなふうに。
http://www.sengokushi.com/godume/img/a_013.jpg
でも、実際にはすでに干拓されて、星崎城という城まであった。浜手の道は潮が満ちていたので、
信長は山手の道をかけたのだが、本来は浜通りの道を行くはずだった。だから、鳴海城の裏側などを
通る予定ではなかったのだろうが、中島砦をでたとき、信長の目は、東でなく、南の丸根、鷲津方面を
指していたのではないかと思われることだ。
そのため、丸根、鷲津方面の山際まで進んだら、「旗本はこれなり」と、予想外なことに、東の下方に
義元達がいたので、急遽、東向きに攻撃を変更、という説もありうるわけだ。俺の珍説ではあるが、
信長公記どうりの解釈だぜ、これは。
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