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次々と通説を打ち砕く鈴木真哉・藤本正行について 5

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年2011/07/03(日) 17:54:02.54ID:fcz44HVi
どこまで信じられるのか。

長篠鉄砲三千挺はない
桶狭間は奇襲ではない
武功夜話は偽書
徳川御用史観は嘘だらけ

>>2-5の辺りに関連スレなどのテンプレ

●過去ログ
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1109562623/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1169131109/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1222456299/
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1286968038/
0017人間七七四年2011/07/04(月) 22:19:23.71ID:gWsB/0X0
もともとフィクション要素の高い軍記物の記述を一言一句拾って
誤認したかどうかなんて・・・どーでもいいです
0018人間七七四年2011/07/04(月) 22:22:23.38ID:yqbWL3hA
あげとくか。変な魚がもっと釣れるかもしれない。

0019人間七七四年2011/07/04(月) 23:12:46.88ID:yT+sEFeN
何漁がやりたいんだ?w
0020人間七七四年2011/07/05(火) 02:12:39.02ID:Y9QwbXDj
>>13
>あれは、僕は「常設騎馬単科軍団」を否定してるのであって、
>騎馬突撃や騎馬隊は否定してませんよ。と言ってる訳だ。

いやいや、騎馬突撃や騎馬隊を否定する論理を展開してるんだよ鈴木センセはw
一方で実例を挙げて肯定もしてるんだけどね。

そもそも鈴木センセは、“定説”「常設騎馬単科軍団」存在説に噛みついてるようだけど
実際のところ定説としての「常設騎馬単科軍団」存在説なんて存在しないんだよ。
極めて一部の人が主張してるようだけど、そんなものは例外に過ぎない。
ある意味で虚構と戦っているようなもの。
0021人間七七四年2011/07/05(火) 02:15:15.02ID:R+iwLLxC
>>20
>極めて一部の人が主張してるようだけど、

いつの間にか電波桐野くらいしか主張しなくなったな
もう不毛な論争やめりゃいいのに、お互いしつこいねw
0022人間七七四年2011/07/05(火) 04:14:41.34ID:kdQfCDv4
騎馬軍団はNHK大河ドラマ(笑)とかで健在の描写だから、
反権威主義の鈴木センセとしては文句付けておきたいんじゃないの?
0023人間七七四年2011/07/05(火) 10:06:52.30ID:+HpLl/KE
ジジイだからな。
ある年齢時で時間が止まってるんだよ。
司馬遼太郎の最新の学説で片岡千恵蔵のチャンバラ時代劇に難癖つけたりしたかったんだろw
0024人間七七四年2011/07/05(火) 21:44:57.80ID:FO0y+WOu
電波は鈴木先生だろうにな。
0025人間七七四年2011/07/06(水) 00:09:05.15ID:/X/H8d2M
「陰謀」論という呼称は、その呼称の対象となった論説に対して、
虚偽ないし風説にすぎないと強調し印象付ける意図で使用される場合がある(レッテル・ラベル)。
ここでは、この呼称の利用者の意図や目的が問題となる。

通説とされる論説、陰謀論とされる論説のいずれにおいても、検証の過程を省略あるいは操作して、
権威主義または反権威主義、ポピュリズム、
あるいは、倫理観、または、自由・平等・国際協調といった理想的概念、感情(恐怖、怒り、民族感情、国家意識から個人の自己愛まで)に
対して訴えかける方式の論説であるときは、それはプロパガンダである可能性がある(報道におけるタブー参照)。

通説がプロパガンダや言論統制により擁護されている場合、権威主義的に通説に依拠して、
「陰謀論」の論者が列記する資料や証拠に対する検証過程を拒否するか省略し、
あるいは自己に都合のよい結果となる事例のみを採用した上で、
「通説と異なる背後関係=>ゆえに陰謀論である=>ゆえに検証を要さず棄却」という論法を採用することが多い。

通説と陰謀論の双方がいずれもプロパガンダに過ぎず、いずれもが事実を表示していない場合もある。

陰謀の存在を語る人間、信じる人間は馬鹿だという雰囲気を漂わせることで、人間の自尊心に訴えかけて言論統制の効果を達成することが可能である。
政府や諜報機関などが、カウンター・プロガンダを用いる際には専門家や大学教授など権威者を利用して、疑惑を消し去るための言論活動を展開させることは常套手段である。
0026人間七七四年2011/07/06(水) 00:13:54.45ID:/X/H8d2M
この人の本の書き方は、メディアリテラシーが欠如してる層にはすごい受け入れやすい。
0027人間七七四年2011/07/06(水) 00:14:58.51ID:EU1fIGWp
と、陰謀論者が自分の馬鹿さかげんを盛大に宣伝しております。
0028人間七七四年2011/07/06(水) 00:18:20.72ID:q6mKDYXL
>>25
聞いてやるから
お前が信じてる陰謀を書いてみろ
0029人間七七四年2011/07/06(水) 08:10:27.25ID:N67e7CaM
トンキン湾事件は共産主義者による捏造、とか書いておくと左寄りな陰謀論者がわらわらとw
0030人間七七四年2011/07/07(木) 06:15:27.87ID:P81RcVYB
そこまでいくと流石に板違い
0031人間七七四年2011/07/07(木) 13:22:53.37ID:RrEPxvtr
>>20
そもそもそんなもんは日本だけでなく
世界的にも近代に入るまで殆ど無いだろ
0032人間七七四年2011/07/07(木) 15:56:11.62ID:UBBdcAde
中華やローマ帝国みたいな強力な中央集権帝国でしかありえないよなあ
0033人間七七四年2011/07/07(木) 17:56:35.68ID:afoZMH8/
>>13
だったら鍛えてない在来馬に重荷背負わせて実験して、日本の馬は重武装の武士を
乗せて走れません、みたいなのとかいらないだろ。それと馬上戦闘の否定とかもしてたよ。
0034人間七七四年2011/07/07(木) 17:58:15.51ID:klT7BdSz
鈴木って今でもそんな尖ったこと言ってんの?
0035人間七七四年2011/07/07(木) 18:01:52.23ID:P81RcVYB
どっちも歩兵メインでしょw
資料的にハッキリしているのは、実質モンゴル帝国だけではないだろうか。
0036人間七七四年2011/07/07(木) 18:11:14.72ID:P81RcVYB
35は>>32ね。

>>33
朝青竜乗せたモウコノウマの写真でも引っ張ってこないとパワー無し馬じゃない
って信じない奴も多かったな。
0037人間七七四年2011/07/07(木) 20:53:51.31ID:nhZZHgBW
>>35
前漢の武帝は対匈奴戦のために大規模な騎兵部隊を育成しているが。
汗血馬を得るために大宛に遠征もしている。
中国は王朝や時代によって騎兵主体、歩兵主体の入れ替わりがあるよ。
0038人間七七四年2011/07/07(木) 22:26:39.49ID:P81RcVYB
主体が入れ変わるほどじゃないだろw
0039人間七七四年2011/07/07(木) 22:29:37.12ID:nhZZHgBW
唐や金、清は騎兵主体だよw
それとどちらが主体かは別として「常設騎馬単科軍団」的な部隊の編成は各王朝で行っている。
馬の産地を奪われて王朝が衰える原因になったこともしばしばだ。
0040人間七七四年2011/07/07(木) 22:42:26.53ID:P81RcVYB
ああ、そういう話ね。
西漢とか例に出すから何かと思った。
唐、金、元、清は騎兵主体と言っても間違いではないな。
0041人間七七四年2011/07/07(木) 22:52:38.73ID:nhZZHgBW
モンゴル帝国ではなく元となると逆に騎兵主体とばかりも言えなくなるけどね。
まぁどの時代どの王朝にせよ中原や漠北、内外蒙古、東北で作戦するなら騎兵は必須。
碧蹄館で日本軍と戦った李如松の部隊は騎兵主体だったな。
0042人間七七四年2011/07/07(木) 23:04:47.84ID:P81RcVYB
で、前漢やローマの騎兵話は間違いでしたでいいわけね。
了解。
0043人間七七四年2011/07/07(木) 23:14:13.46ID:nhZZHgBW
何で間違いになるんだ?
>>20>>32からの流れの話なのに。
0044人間七七四年2011/07/07(木) 23:40:04.89ID:LJj73eZ3
枝葉の話しは拘らなくていいよ
0045人間七七四年2011/07/08(金) 00:07:58.64ID:vmy9NZ+o
>>35
帝政前期〜中期にはAlaという属州民の騎兵部隊が沢山存在していた。
そして補助歩兵のCohorsと同じく、Alaはそれ自体が独立した単位。
「歩兵主体」であろうがなかろうがローマ帝国に「常設騎馬単科」の部隊が複数存在していたのは間違いない。
0046人間七七四年2011/07/08(金) 00:54:12.09ID:wgf0/WLS
ローマの人来たか。
また何のスレかわからない流れになるかな?
0047人間七七四年2011/07/08(金) 01:19:37.71ID:pQzDeu4N
ローマは時代が違いすぎてなぁ世界史スレでお願い。
0048452011/07/08(金) 01:50:32.43ID:vmy9NZ+o
すいません。我慢できずについ書きこんでしまいました。これで消えます。
0049人間七七四年2011/07/08(金) 21:10:28.70ID:/AeZ6XSC
わたしこそすみませんでした。
0050人間七七四年2011/07/09(土) 00:10:39.01ID:7Dfsoybx
いえいえこちらこそ。
0051人間七七四年2011/07/09(土) 11:04:05.09ID:J84E88+r
義を重んじていた上杉謙信だが、
足利幕府が滅亡した後には、
しっかりと領土を拡大している。

幕府の滅亡により、関東管領職への
義理立てが必要なくなったのに、
柴田勝家(信長軍)を破った後は、
関東の征圧を狙っていたという説は誤り。

天下取りのための上洛を考えていた、
という説のほうが自然。
0052人間七七四年2011/07/09(土) 11:17:01.12ID:HSy5TWpg
正気か、君は
0053人間七七四年2011/07/09(土) 11:18:16.00ID:5VqxgmmY
主体かどうかは知らんが
ローマにも騎兵部隊はいるだろう
0054人間七七四年2011/07/09(土) 11:21:21.00ID:/wW1oDve
そもそも日本の戦国時代と一緒で、土地や財産を持っている連中は騎馬での軍役がかかってた>ローマ
0055人間七七四年2011/07/09(土) 11:25:50.20ID:J84E88+r
信玄が信長を破り続けて上洛を果たしたという結果を出せれば、
全国へ動揺を与えて、敵の離反者、味方になる同調者、
などの様々な要因により、織田家は崩壊していた可能性が高い。

ゲームじゃないのだから、短絡的な判断は駄目だよ。w
十手先ぐらいは読まないと。

上洛には意義がある。
地理的な戦略ではなく、
天下へ武威を示して世間を同調させるには、
必要不可欠だった。
0056人間七七四年2011/07/09(土) 11:28:43.54ID:qE4BgyCz
ゲーム脳乙
0057人間七七四年2011/07/09(土) 11:56:29.00ID:J84E88+r
ゲームとは違うのだから、
秀吉は家康を間単に殺せるはずがない。

家康を消した後の処理が大変だと予測していたからこそ
秀吉は懐柔という判断を選んだ。

家康を成敗→忠義に篤い三河武将の蜂起
→東海地方の混乱に乗じて他大名が連携して独立戦争
→戦国時代へ逆戻り

合戦は軍事力だけじゃないよ。
人間の心理なども絡んでいる。
0058人間七七四年2011/07/09(土) 12:17:35.35ID:J84E88+r
戦国武将列伝
http://www.leed.co.jp/book/b1055.html

大名の口述筆記まで再現していたのは、
この雑誌のマンガだっけ?
他の漫画は、大名が自ら筆を取りすぎて不自然極まりない。
0059人間七七四年2011/07/09(土) 13:41:53.13ID:0gqUpnNR
>51
>義を重んじていた上杉謙信だが、
そもそも「義を重んじていた上杉謙信」という俗説を疑え。

謙信は関東在住の反北条の諸大名を糾合して包囲網を作り上げて、
長く北条と戦い続けた経歴がある。

北条との戦いをやめて上洛戦を行うなら、
長く共闘した関東の諸大名を見捨てることになる。
彼らは当然、北条との同盟を破棄した武田と組むことになり、
上杉方の勢力範囲が大幅に縮小する。(武田とも北条とも争う必要が出るから必然だな)

>57
秀吉は、ほとんどの大名に対し、戦って滅ぼすという選択肢を「最後の手段」に位置づけた。
秀吉が主導する全国政権の幕下に加わるならOk、というスタンスだ。
北条とか島津とか、戦いになった相手は、単に秀吉の幕下に加わる選択をできなかっただけに過ぎない。
家康の扱いは例外ではなく典型だったんだよ。
あと、小牧長久手の戦いは、戦術レベルでは秀吉劣勢だけど、戦略的には秀吉の方が圧倒的に優勢だっただろ。
信雄・家康連合に味方する武将達を各個撃破して勢力を削ぐ秀吉と、
それを救援に行くことができずに小牧〜長久手の主戦場に縛り付けられて動けないまま、
見捨てざるを得なかった家康の状況を見ろ。
0060人間七七四年2011/07/09(土) 14:52:06.68ID:J84E88+r
暴飲暴食だった秀吉の晩年はブタ。

質素に自制していた長寿の家康は、
太っているわけでもなく、健康体でしたよ。

デブの家康を想像してる人は、
ドラマの影響だけで語っている。
0061人間七七四年2011/07/09(土) 15:16:53.87ID:5VqxgmmY
>>59

> それを救援に行くことができずに小牧〜長久手の主戦場に縛り付けられて動けないまま、
> 見捨てざるを得なかった家康の状況を見ろ。

同意ですが。

第2次小牧〜長久手戦とも言える蟹江城合戦は痛かったかと思います。
秀吉というか織田政権のルーツに近い尾張で前田宗家も(戦後ですが)滅びた形だし。
(その後利家の婿になった?)
0062人間七七四年2011/07/09(土) 18:03:34.09ID:SxqG0wb4
別スレでもいい話題が続くな。みんな薀蓄語りたいんだな。
0063人間七七四年2011/07/09(土) 18:46:44.98ID:HVPaoWbY
いきなり謙信の話とか意味が分からないよ
0064人間七七四年2011/07/10(日) 06:25:18.59ID:Um26Yq3Q
寡兵で大軍を破った戦い

1 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/23(土) 02:13:32 ID:E8ad61KX
桶狭間合戦や厳島合戦のような
劣勢を跳ね返し、大軍を破った戦いを語りましょう。
http://unkar.org/r/sengoku/1166807612
0065人間七七四年2011/07/11(月) 00:04:18.80ID:i2SHopLT
随分と前のスレですな。
0066人間七七四年2011/07/17(日) 06:17:59.71ID:soDZIp6f
まあ矢追純一とか五島昇みたいなもんだな。
0067人間七七四年2011/07/17(日) 10:37:46.53ID:tAsBMOV+
>>60
・・・肖像画
0068人間七七四年2011/07/17(日) 16:22:23.94ID:WDcfCuRx
>67,60
そういえば、秀吉の肖像画ってガリガリに痩せてるものばっかりだよな。
ふくよかな体こそ裕福さの証、みたいな時代の絵で痩せた姿で描かれてるんだから、
(江戸時代に作られたものではなく同時代の絵だとすれば)みすぼらしいガリガリの姿に加工するはずはない。
本当に痩せてたんだろう。

逆に、家康の肖像画は、丸々と太っているわけではないが、ふくよかな顔で描かれている。
当時の常識でいえば「健康体」と呼べるレベルだろうが、現代の価値観では「デブ」だ。
とはいえ、百貫デブとかコニーちゃん とか、そういうレベルじゃなく、ちょいデブって程度だと思うが。
0069 【東電 84.9 %】 2011/07/17(日) 17:51:22.46ID:rUAwYDRN
豊臣秀吉木像菊桐紋蒔絵厨子
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/bunkazai/sitei/houjuin-hideyosizou/houjuin-hideyosizou.html#hideyosi
木像『豊臣秀吉公座像』
http://sengokudama.jugem.jp/?eid=639
0070人間七七四年2011/07/18(月) 09:16:00.19ID:kaRlWd4L
豊かさの象徴もそうだけど、
デブが健康の象徴でもあった時代じゃないの?
0071人間七七四年2011/07/19(火) 23:16:54.23ID:msKDutmR
フィールドワークの藤井尚夫はどうよ?
0072人間七七四年2011/07/21(木) 02:00:26.08ID:b9Uno/8+
秀吉は明や朝鮮の使節が来ると、体格を立派に見せるために服の下に竹ひご入れて
大きく見せていたそうな。
0073人間七七四年2011/07/22(金) 22:32:23.02ID:1moA+nZg
曹操の逸話みたいなの無いのかな?w
体格良いのを代わりに出して自分はその横で相手を観察とか。
0074人間七七四年2011/07/24(日) 11:52:34.24ID:vyQ6+UEz
前田慶次の漫画では、秀吉は裸になると、筋肉隆々のマッチョ。
0075人間七七四年2011/07/25(月) 01:43:23.95ID:DuK0U9Qa
筋骨隆々だったのはその通りだろうな。現代的なボディビルダー的マッチョではないだろうが。
0076人間七七四年2011/07/26(火) 11:02:31.87ID:fSrA0TnF
利休はじつは格闘家で、ボディビルダー的マッチョ。武士でもある。僧は切腹しない。
0077人間七七四年2011/07/26(火) 13:29:19.51ID:n7wXfeuT
苣M長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた (双葉新書)(新書)
跡部 蛮 (著)
0078人間七七四年2011/07/26(火) 14:25:44.11ID:bE4QyERV
>>77
家康「俺は堺にいたんだが」
0079人間七七四年2011/07/26(火) 20:58:06.68ID:lD8x2lvT
家康は早朝に堺から本能寺を目指してただろ
0080人間七七四年2011/07/26(火) 22:54:43.81ID:0/qYNJ8B
>>77
この本陰徳太平記や当代記を史料に使ってるらしいなw
竜馬がゆくや真田太平記を史料って言ってるのと一緒じゃないかw
0081人間七七四年2011/07/26(火) 23:25:52.39ID:U5/f2wEe
武功夜話を史料に小説を書いてる奴らよりはマシでは?
0082人間七七四年2011/07/26(火) 23:32:47.19ID:0/qYNJ8B
>>81
でもこの本小説じゃなくて歴史書のつもりなんだろ?ドアウトじゃん。
0083人間七七四年2011/07/27(水) 01:06:27.19ID:HrFevSlp
>>81
マシなわけないだろ
0084人間七七四年2011/07/27(水) 03:13:05.88ID:mKGo0m6o
東アジアの兵器革命  十六世紀中国に渡った日本の鉄砲  久芳 崇 著  吉川弘文館

十六世紀末、朝鮮の役での日本の火縄銃などの兵器技術と輪番射撃戦術は中国・朝鮮に大きな衝撃を与えた。
最新の日本式鉄砲が広がっていく経過、それを伝えた日本兵捕虜の処遇、軍事力を背景にした明の新秩序確立過程などを解明。
東アジア諸国の火器技術の刷新と兵器革命の実態を探り、これまで看過されてきた東アジアの「軍拡」の時代を描き出す。


三段撃ち=一斉射撃×3で間違いなさそうだな。
三段撃ちの件はこれで決着かな。
「長篠の戦で行われた」かどうかは知らんけどw
0085人間七七四年2011/07/27(水) 03:14:50.70ID:mKGo0m6o
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b73821.html
0086人間七七四年2011/07/27(水) 03:28:19.74ID:51U36d9b
>>84
前スレ>451,455でとっくに既出の件
0087人間七七四年2011/07/27(水) 07:30:45.94ID:mKGo0m6o
あー、そうだったっけ。スマン。
0088人間七七四年2011/07/28(木) 12:17:38.72ID:R+4QAIcw
石山本願寺の戦いでは、坊主どもとはいえ、本願寺勢は1万人の軍と数千丁の鉄砲の大勢力だった。
攻めてきた一揆勢?を、織田軍は撃退して、柵の中までは追い込んだが
簡単な馬防柵なのに、織田軍はこれを打ち破れず、大将の塙直政は討ち死にしたうえ、
援軍にかけつけた信長まで銃撃されて
足に負傷している。まさに長篠の戦いの武田軍バージョン。
0089人間七七四年2011/07/28(木) 12:21:40.60ID:lRiOOi0Q
>>88
つーか長篠の戦いの描写はその戦いをモデルにしたとも言われる。
0090人間七七四年2011/07/28(木) 14:56:44.81ID:pqCWo1xL
自分達がやられた事を自分達がやった事にしたってわけかw
0091人間七七四年2011/07/28(木) 17:03:06.52ID:HAdnCuZm
戦術なんてそんなものだ
電撃戦なんかはドイツにやられたソ連が反撃時に行っている
0092人間七七四年2011/07/29(金) 08:15:01.81ID:vAIF72uZ
ハンニバルとナポレオンの戦術も研究された為に敗北した
0093人間七七四年2011/07/29(金) 09:33:09.72ID:A2i4WtqO
主戦力の無力化と包囲殲滅

ナポレオンは?
戦力集中?
0094人間七七四年2011/07/29(金) 09:39:51.87ID:chHedNUF
>>93
軍団制とか
0095人間七七四年2011/07/29(金) 09:46:18.77ID:A2i4WtqO
>>94
なるほど
国民皆兵はフランス革命の所産だよね
0096人間七七四年2011/07/29(金) 17:51:06.08ID:GYCZMFCA
>>84
あの頃の時代にナッサウのマウリッツだかが三段射撃の様なものを考案してるが、
結局一斉射の弾幕が薄くなるんで効果薄いよコレって結論になってたと思う。
0097人間七七四年2011/07/29(金) 17:56:55.74ID:uTik07+G
斉射って言っても命令の届く範囲、せいぜい2〜30人の斉射だけどな。
0098人間七七四年2011/07/29(金) 19:35:48.60ID:fDtGSE7j
鳥撃ちでもサバイバルゲームでも、
各自てんでんばらばらに撃っていると、撃つ対象が逃げてしまって効果が薄い。
「撃つな、撃つな」と、待ってて、充分大丈夫となったら一気に撃つと
効果が高い。
三段撃ちはともかく、撃つ合図をする旗振り武将?(軍配?)はいたと思われる。
0099人間七七四年2011/07/29(金) 19:55:37.99ID:chHedNUF
足軽大将とか足軽小頭なんかはいた
0100人間七七四年2011/07/30(土) 01:29:18.01ID:7+lODW8M
>>95
古代中国も古代ギリシャも国民皆兵、というか原始社会や都市国家は基本皆兵
匈奴も突厥もウイグルも吐蕃も西夏も契丹も女真もモンゴルも皆兵
0101人間七七四年2011/07/30(土) 01:32:15.93ID:7+lODW8M
>>17
軍記物準拠なのは藤本も同じなわけだから
>>16の方が藤本よりマシというか余程説得力あるね
正面攻撃説とか研究者のくせにバカじゃねーの、と思うわ
0102人間七七四年2011/07/30(土) 20:49:06.92ID:Vr7TOGe0
中島砦の前からの千秋らの突撃および討ち死にの様子を、信長も義元も見ているのだから、
グーグルの地形図で見てみたが…、地図が使いにくくて、俯瞰および望遠ができん。義元の居場所がよくわからない。
0103人間七七四年2011/07/30(土) 21:46:28.04ID:wvQLW9zd
地形が今とは全然違うから、近代デジタルライブラリーの日本戦史の地図を見たほうが良い
ただし、今川本陣は様々な説がある
0104人間七七四年2011/07/30(土) 22:26:06.33ID:Vr7TOGe0
>> 102
近代デジタルライブラリーの日本戦史の地図を見たほうが良い というから、探したよ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771063
上記URLの143ページ目にあった。疲れた。やっぱりよくわかんね。
0105人間七七四年2011/08/03(水) 18:17:31.81ID:qLo8PGXB
信長が言った言葉で「あの兵どもは、夜通し行軍して大高に兵糧入れて疲れた兵だ」というのは
>>104の地図見ると、朝比奈の兵で、まさに疲れた兵だ。
信長はその兵を攻撃するつもりで「山際」まで接近したが、急に東向きの強風が出て
「旗本はこれなり」「東に攻めたまふ」ということなので、急に方向転換か?。
0106人間七七四年2011/08/06(土) 10:14:49.58ID:OHWXxdIb
「一個人」という今うっている雑誌で、戦国特集やってた。
明智がなぜ本能寺の変を起こしたか?という謎で、怨恨説で見逃せない記載があった。

信長が光秀のドタマを折檻した、という話は作り話だと俺も思っていたが、
フロイスの本と、稲葉家譜に共に載っているというのだ。
稲葉家譜では、殴ったさいに光秀のカツラまで取れておちたという屈辱的な内容。

髪の薄くなった俺は、光秀が内心激怒していた気持ちがよくわかる。
0107人間七七四年2011/08/06(土) 10:27:22.81ID:OHWXxdIb
稲葉家譜をググってみた。
ttp://blog.livedoor.jp/nobunaga_1534/archives/51361754.html

信憑性にやや難があるとされる『稲葉家譜』に、「本能寺の変」4日前に裁定が下った明智家と
稲葉家の家臣をを巡るある騒動が記されています。

天正10(1582)年5月27日付けで、信長の裁定を伝えるため堀秀政が記した稲葉貞通(一鉄の次男)
宛ての文書には、稲葉家を出て明智家に仕えていた「那波直治を稲葉家に返還する」「当面の扶
持は信長が扶助する」といったことが書かれています。

那波直治よりも前に斎藤利三も同様に稲葉家を去って明智光秀に仕えており、稲葉一鉄・貞通父
子は、立て続けに明智家に家臣を引き抜かれたような形になって、外聞も悪いので信長に返還要
求の訴訟を起こしたようです。

那波直治はこの裁定に従い、稲葉家に戻されたようですが、利三に対しての信長の裁定は、自刃
を命じるものでした。しかし、これは斎藤道三の旧臣で信長に仕え、利三とも親交が深かったと
思われる猪子兵助の取り成しで死罪を免れ、利三は引き続き光秀に仕えることを許されることに
なったようです。(文書の日付を考えると解決したのは本能寺の変前日ぐらいになるような気が
しますが・・・?)

斎藤利三は、義妹が四国の長宗我部元親に嫁いでいる間柄でもあり、上記の件が事実であれば、
四国討伐目前のこの状況で、信長に不満を抱いていた斎藤利三が同じく四国政策に不満を持って
いたと思われる主君・明智光秀に信長打倒をけしかけた可能性も否定できないかもしれません??



信長に強い不満を持つ斎藤利三(あと少しで死ぬところだった)が光秀の身近にいて、
接待の席で折檻されて帰ってきた光秀は、斎藤利三に同調して本能寺の変を決意したか?
0108人間七七四年2011/08/06(土) 12:17:57.44ID:nnxk/gJA
そもそも接待の席で折檻って話自体後世の作り話で…

まあ当時の稲葉家が有能な家臣がワラワラ逃げ出すような状況だったのを、
「逆臣」明智光秀の邪な引き抜きのせいと責任転嫁したんだろ。
0109人間七七四年2011/08/06(土) 12:32:37.63ID:et9tL2cJ
×接待の席
○接待の準備についての打ち合わせの席
0110人間七七四年2011/08/06(土) 13:21:33.74ID:OHWXxdIb
>>108
折檻って話自体後世の作り話、ということについては、軍記物ならそういえるかもしれない。
だが、
ルイスフロイスの「日本史」に載っている点からして、本当っぽい。

藤本氏の本も、怨恨説を重視して一部書き直さなければならんかもな。
0111人間七七四年2011/08/06(土) 13:53:02.30ID:5DC78O7F
信憑性にやや難があるとされると書いてあるだろ
0112人間七七四年2011/08/06(土) 17:36:13.55ID:1QS6QGDl
個人ブログ丸写しで何を主張してんだか。
0113人間七七四年2011/08/06(土) 17:51:18.30ID:W1MWBuWI
>>111
藤本自体が信憑性にやや難があるだろ
0114人間七七四年2011/08/06(土) 22:01:43.29ID:4p7XLOZa
じゃあ誰なら信頼できるんだ?
完全に正しい研究者なんていない。
それぞれが勇気を出して持論を唱えて、
ぶつけ合って議論して、
それで歴史観が固まっていくんじゃないか。
0115人間七七四年2011/08/07(日) 00:39:08.42ID:m7k2lqs0
まあ確かに当て馬としてはいいか
鈴木みたいにぐだぐだ言い逃れしないし
0116人間七七四年2011/08/07(日) 01:41:01.59ID:nLBgtufi
藤本や信長公記を信憑性ないと言っている奴は
桶狭間は簗田がひそかに義元本陣の位置を通報したとか墨俣城はあらかじめ作っておいた部材で
素早く作った、とかの説を信じているんだろ。
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