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戦国ちょっと悪い話26

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001人間七七四年2011/05/03(火) 03:46:40.51ID:bO+mpFnO
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっと悪い話25
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1298639461/

姉妹スレ
戦国ちょっといい話26
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1302853897/

鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/

このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0836人間七七四年2011/07/02(土) 02:40:35.43ID:icFUGA7K
ついでに、家康伝説について補足。
家康伝説の類似話としては、源頼朝が桶屋に助けられると言った、江戸時代より前の人物が主人公の話もあるそうです。
つまり、江戸時代に家康の権威が高まるにつれて、元々の物語の主人公と家康が入れ替わった話もあるのではと県史で指摘されています。
そうなると、この話の家康も佐々木高綱も元々別の人物だった可能性はありますね。
何故、この組み合わせになったかは今となっては分からないだろうけど。
0837人間七七四年2011/07/02(土) 02:53:19.60ID:JoPeoq3l
超時空太閤ならぬ超時空大権現誕生か
佐々木高綱と伊予の関係もよくわからないな
もとより家康は四国に行ったことなんてない筈だし
元ネタが気になる・・・
0838人間七七四年2011/07/02(土) 03:36:30.10ID:GqJNvJDE
そもさもなんでいきなり追われてるんだw
0839人間七七四年2011/07/02(土) 04:38:53.10ID:veQIGHKc
女関係のもつれ
0840人間七七四年2011/07/02(土) 04:52:57.16ID:V7jNPY/c
>>839
井伊直政「それがしにも関係のあることにござりますか?」
0841人間七七四年2011/07/02(土) 05:33:35.80ID:MLQu8W0t
敵じゃなくて茶店のババア相手にも追われるからな
0842人間七七四年2011/07/02(土) 06:21:47.04ID:VXe1zNWM
家康が最も恐れたババアだもんな
0843人間七七四年2011/07/02(土) 10:22:07.15ID:sl6kd5ih
後の年増好みの原点である
0844人間七七四年2011/07/02(土) 10:26:40.18ID:m3f4JD32
ヤングジャンプで「オキザリスの旗 長宗我部元親伝」という漫画が連載してるけど、戦国物とは思えない下手くそな内容。
戦国ファンが読んだら「打ち切りにしてほしい」と書いたアンケートハガキを出したくなるくらい酷い。
と言うか、ヤングジャンプ読んでたらアンケート出してほしいです。

これこそ戦国の悪い話。スレ違い?失礼しました。
0845人間七七四年2011/07/02(土) 10:30:55.18ID:veQIGHKc
武将の名前借りてるだけのヤンキー漫画か
ヤンマガのセンゴクと比べると余計に酷いな
素材人気は逆なのに・・・
0846人間七七四年2011/07/02(土) 11:15:56.93ID:974zx9pP
長宗我部で漫画化ってテンション上がったらあの絵柄であの内容だもんな
0847人間七七四年2011/07/02(土) 12:15:45.41ID:7lv0ngZv
鳥なき島の蝙蝠をあそこまでカッコ良く描けるって凄いと思うけどな
0848人間七七四年2011/07/02(土) 12:17:13.77ID:12QBTWzY
長宗我部スレでやって
0849人間七七四年2011/07/02(土) 12:42:43.74ID:lchUnVK3
センゴクは仙石言っても
秀吉追っかけてればいいから
ネタに困らないし
0850人間七七四年2011/07/02(土) 14:42:27.37ID:sCJrW8yk
寛永二十年の事である。

秋田藩の角館で魔術を使う老婆がいるという噂が流れた。
取り調べの結果この老婆は家中の矢野八兵衛の母であり
キリシタンだということが判明した。
召し捕られた老婆は拷問にかけられて棄教を申し出たため、この一件は収束した。

が、少しのしこりが残った。
件の矢野家は秋田藩のキリシタン取り締まりの中心人物である梅津憲忠の妻の実家だったのである。

この後矢野家と梅津家は明和の頃まで交際を絶ったという。
0851人間七七四年2011/07/02(土) 15:41:48.92ID:rIzHbpi0
これが日本版「奥さまは魔女」である
0852人間七七四年2011/07/02(土) 20:17:17.64ID:IlHjBDrJ
あるとき太閤秀吉の御前に、炒り豆に青海苔をまぶし付けた菓子が出た。
秀吉、それを見ると側に居た細川幽斎に向かって

「さあ何と?何と!?」

と、その菓子への感想を催促。これに幽斎

「君が代は 千代に八千代にさざれ石の 巌となりて苔のむすまめ」

当意即妙だが今ひとつ食欲のわかない答えであるw
(醒睡笑)
0853人間七七四年2011/07/02(土) 20:29:50.61ID:FoZBZsPF
>>835
愛知と愛媛はちょっと漢字が似てるね^^
0854人間七七四年2011/07/02(土) 21:34:53.99ID:+iesvHwb
ある時、飼い鳥を売る店の前に、駕籠が止まった。駕籠の中からは人品卑しからぬ老人が顔を出し、
「この店の鶉は、良い声で鳴くのう。値はいか程じゃな?」と、店主に尋ねてきた。

しめたカモだ、と思った店主、「へい、百五十両にございます!」と答えると、老人は憮然として
懐紙を取り出し、何やら書きつけて「これを鶉の鳥カゴに結んでおけ。」と言って去ってしまった。

呆然と駕籠を見送った店主が懐紙を開くと、そこには

“立ちよりて 聞けば鶉の ねも高し さてもよくには ふけるものかな

(鶉の結構な『音』色に誘われて来てみれば、『値』段も結構なものだったとはね。
鶉も笛の如く良く吹くが、店主もまぁ調子良く吹っかけたものだ。)

幽斎玄旨”と書かれていた。

「・・・さては細川幽斎公であられたか!!」
驚いた店主は言われた通り、和歌の書かれた紙を鳥カゴに結びつけると、








『幽斎公お声掛かり』と称して、二百五十両で鶉を売り出した。(幽斎公歌集より)
0855人間七七四年2011/07/02(土) 21:41:42.88ID:12QBTWzY
この時代、ウズラもニワトリも卵は食わないんだよな
鳴き声を愛玩するためにウズラ飼うとは驚き
0856人間七七四年2011/07/02(土) 22:06:07.49ID:DskiZQ4l
なんか鳥の声愛好家の間ではウズラは通ウケするらしいよ
見た目の地味さにそぐわないかわいい声で、だけど美声すぎないのがいいんだとかなんとか
0857人間七七四年2011/07/02(土) 22:10:41.99ID:f8g9uGXX
丁度こんなのがあったw

鶉の鳴き声

鳴き声が「ご吉兆」と聞こえることから古くから鳴き声を楽しむ愛玩鳥として大名や商人達の間で
買われていた鶉。
確かにゴキッチョーと聞こえます。
ご吉兆とは吉の兆しすなわち、良いことが起こる前触れを意味する。
http://www.youtube.com/watch?v=Nt95H0AFeYs
0858人間七七四年2011/07/02(土) 22:27:01.43ID:veQIGHKc
>>854
これで売れたなら店主のほうが一枚上手に見えるな
0859人間七七四年2011/07/02(土) 23:03:11.65ID:u6S7N2gT
>>854
転んでもただでは起きない店主がいいな
0860人間七七四年2011/07/03(日) 02:21:20.74ID:UrMNa2FD
何という商魂
こいつは間違いなく大阪商人
0861人間七七四年2011/07/03(日) 02:25:07.18ID:Es06wH7x
京都でしょ
0862人間七七四年2011/07/03(日) 19:08:24.56ID:ndhRQjs7
話として見た場合でも2段オチが秀逸、このメゲない商人いいなw
0863人間七七四年2011/07/03(日) 20:31:27.78ID:mheKI5DY
古田織部の作る品は、茶道の趣味がある無いにかかわらず世間がもてはやし、
食事の時酒を呑むため出す杯にも、織部盃と言うものが現れ、これが大流行した。

ところで京に三八という男があった。これが織部の流行があまりに著しいため、
盃の事を織部と言うのだと思い込んでしまった。ある時のこと、三八が赤い顔をして
良い機嫌でいるのをみて、知り合いのものが

「そちはひどく酔っているようだな?」

というと、三八

「当たり前だ!今朝の振舞に汁の椀の織部で続けざまに三杯飲んだからな!」

と答えたそうだ。

織部風の流行を垣間見せてくれるお話である。
(醒睡笑)
0864人間七七四年2011/07/03(日) 23:23:33.10ID:yVkKAlpu
醒酔笑はすっげえくだらない話ばかりなんだけど
読むと止まらなくなくなるくだらなさが好きだ
0865人間七七四年2011/07/04(月) 10:33:33.11ID:MukAFihl
鉢形城で蜂起した長尾景春は上杉方諸将の拠る五十子陣に突入した。
上杉方諸将はもはや支えきれずと判断し、各地へ落ちていった。
諸将の一人、新田の岩松家純は上杉顕定と上杉定正に使いを送り、
自分は老齢なので息子の明純を同道させると伝えた。上杉顕定は家純の口上に恐縮し、
明純の出陣に期待した。ところがである。

「!? 何故お前がここにおる!」
なんと金山に向う家純に明純がついて来たのである。
「お前は何をしておるか! 両上杉家になんと申し上げればよいのだ!」
「夜陰が心配でついて来てしまいました。ここからでも顕定様には追いつきましょう」
「心配なことなど何もないではないか!? ああ、申し訳がたたん、なんたることだ!」

家純の激怒は尋常ではなかった。仕方がないので側近の松陰の意見により
家純はとりあえず明純を武士城に待機させた。
そして使いを上杉三家に送り、事の次第を説明して明純は遅れると伝えた。
これに上杉顕定は「経緯はわかった。待っているので早く来てほしい」と答えた。
しかし、やはり明純は出馬せず、金山に戻ってしまった。

家純は松陰を呼んで言った。
「お前は長年使いを務めてきたから言うが、上杉家に対してこたびの失態は一世一代の
恥辱だ。長生きをして無念千万だよ。明純に期待してすべてを失った。
こうなれば私が出陣する。なんという不運だ。今、頼りになるのはお前だけだ」
しかし、高齢の家純には無理だと判断したのか、横瀬国繁がこれを止めたのであった。

これ以降、親子の溝は深まるばかりでついに明純は勘当されてしまった。
しかも家純は遺言で「明純の意見に任せれば滅亡だ」とさえ言い残したという。
0866人間七七四年2011/07/04(月) 17:49:38.24ID:HwhYwtHy
>>865
岩松さんのところは江戸期も含めて苦労が耐えないねえ。
0867人間七七四年2011/07/04(月) 18:02:16.01ID:jddVtIYZ
黒田如水が、一見何でもない様な事に聞こえるが実は心残る教訓を話していたなかで(ややこしい)、こんな事を申された。
(珍しからざる事の様にて、耳に留まる事共、申されける中に)

「たわけであっても主人の役に立つたわけと言うのがあるもんだ。こういうのは、たわけだと知っていても
つい可愛がっちゃうんだなあ。

一方で優れて利口なのに、主人の役には立たない利口なんてのもあってな、これは利口者と解っていても、
取り扱いが本当にやりにくいんだよ。」

つかえるたわけ、つかえぬ利口、と言うお話
(古郷物語)
0868人間七七四年2011/07/04(月) 18:13:21.12ID:/msZiUJ/
単に賢愚に依らず好き嫌いなだけの気がする
0869人間七七四年2011/07/04(月) 18:19:29.58ID:/msZiUJ/
×賢愚→○有益無益
0870人間七七四年2011/07/04(月) 18:23:00.39ID:D6IJZJyU
>>865
岩松さんへ
横瀬には気をつけろ・・・
0871人間七七四年2011/07/04(月) 22:49:45.26ID:E2DI015g
岩松さんがメチャ苦労した本家新田氏の祟りかもわからんね
0872人間七七四年2011/07/05(火) 17:28:38.26ID:aaZO0zT1
慶長14年(1604)中秋の頃のこと、海路で肥後へ帰国の途にあった加藤清正は、摂津国兵庫の浦(今の神戸あたり)に
船がかかったとき、美しい真円の月が海上に浮かび、また波風もとても静かであったので、鳳金丸という安宅船の
2階に登り、夜すがら月見をした。この時、近習の者たち2名ほどを側近くに召しての夜話のおり、このような事を言った

「去る春の頃のことだ。奥州の政宗が團介という遊女を自国に下し(どうでもいいが原文でも『奥州の正宗』でやっぱり
諱を呼び捨てである。しかも間違えてる)、歌舞伎を興行したことが、家康公のご機嫌を非常に良くした、と言うことを
ほのかに伝え聞いた。

その理由は石田治部少輔らの謀反を難なく退治されて、今は天下をその掌中にされている事であれば、
政宗のような国主が率先して、もはや太刀も刀もいらぬ太平の世だと思い歌舞遊興のみにて月日を過ごせば、
もはや心配することは何も無いと思われたからだ、ということだ。

今、西国に置いてこの清正などは秀吉公のお取立てと言われ、そのうえ秀頼公が大阪に在城されているので、
世間の者も疑わしく思い、家康公も自然と心許なく思われることもあるだろう。

さりながらわしは家康公の御厚恩を忘れることは出来ない。このように肥後一国の主としていただき、その上、
特に常陸介殿(家康の十男・徳川頼宣)を我が聟に仰せ付けられたこと、それらによって当家の御恩は深く、
いささかも二心無き事であれば、いよいよ家康公の御心安く思し召すように、政宗のように帯紐を解いて(警戒をしない、
気を許すの意)、老身を慰め遊び人となって、世間の評判にも、『清正は年寄りになり、また太平の世になったので
武の道を忘れて年月を送っている』と聞かれれば、もはや気遣いすべき人物では毛頭無いと考えられるであろう。

そのようにするのが最も良き分別であると思うが、どうか?」

これを聞いた者たちは皆、御尤と感じ入ったという。

そうして、その頃八幡の國(出雲阿国)という者を熊本まで下し、城下の塩谷町三丁目の武者溜まりにて勧進能を
行い、その能の後で歌舞伎を行わせた。

この時家臣の侍たちは銀子1枚を出して桟敷に置いて見物をし、地下町人たちは八木(米のこと)を見物料として出し、
鼠戸の口より入って芝居(舞台と貴人の席との間の芝生に設置された庶民の見物席)にてこれを見た。

歌舞伎とはこの國が始めたものであり、その当時西国の者たちは聞いたこともなかったため、その珍しさに集まった
貴賎上下の老若男女、鼠戸の前に市をなす有様で、みな押し合いながら見物したそうである。

加藤清正が、熊本で出雲阿国の歌舞伎興行を行うまでの顛末である。
(續撰清正記)
0873人間七七四年2011/07/05(火) 20:56:57.03ID:d+ordKot
どこら辺が悪い話?
0874人間七七四年2011/07/05(火) 21:27:42.24ID:XkOLQgVa
あえて言うなら自分で秀吉公のお取立てと自負しながら
今の豊臣の有様になんとも思わず家康公マンセーなところか?
0875人間七七四年2011/07/05(火) 22:50:55.73ID:cpw3ZNKa
これだけやっても結局改易されたところとか?
0876人間七七四年2011/07/05(火) 23:18:42.48ID:4+rPkVse
どちらにしろいい話の部類ではねーな
0877人間七七四年2011/07/05(火) 23:43:07.03ID:/Wg21lRH
島津氏が薩摩・大隅・日向三州統一に向けて諸大名と対峙していたころ、新納武蔵守忠元は
菱刈氏攻略を命じられ、薩摩大口の地頭として赴任した。

菱刈氏との戦に向かう前、忠元は戦勝祈願のため、薬師堂に参詣した。ところが、
「ご、ご注進!相良頼房(義陽)が、こちらに攻めてまいります!」

「なんじゃと!?菱刈と相良が、示し合わせておったか!」
「ここは仏閣、しかも我らは祈願祭事の最中だぞ?相良め、卑怯な!」
「ともかく、忠元どのにお知らせせよ。」

そのころ忠元は、薬師堂の窓のさんに登り、壁の上の方に祈願書など書きつけていた。
「忠元どの、一大事じゃ!相良が寄せて来る。早う出て指揮してくだされ!」
「・・・・・・」「どうした忠元どの!相良の奇襲じゃ、事は一刻を争うぞ!?」
「・・・・・・」「た、忠元どの?」
「・・・・・・これ書き終わったら本気出す。」

“是非無く、忠元を(窓から)引落とし候由”(薩藩旧伝集)


島津軍が出た時には、相良軍は薬師堂の前に陣を構えており、一人の武者が飛び出してきた。
「我こそは八代の住人、的場五藤!いざ尋常に「やかましか!」「ぶべらっ!!」

的場を倒した忠元は、相良陣に矢文を射掛けた。矢文には和歌が一首書かれていた。

“無用かな 人の弓矢に より房の 首をごう木に 下がらして(相良して)見む”

「ひーっ!鬼武蔵がブチ切れた―――――っ!!」
忠元の剣幕に恐れをなした相良軍は、早々に陣を引き払った。

教訓:親指武蔵の作業を邪魔してはイケナイという、久々に南の武蔵さんが鬼(?)な話。
0878人間七七四年2011/07/06(水) 11:27:11.94ID:k/0jIAw5
>>872
清正が正宗を呼び捨てて何が悪いんだ?
正宗って清正より偉かったの?
0879人間七七四年2011/07/06(水) 11:40:58.31ID:6FsKodvi
>>878
この時期だと政宗は陸奥守、清正は肥後守。両方延喜式では大国扱いなのでほぼ同格だが、
武家的には陸奥守のほうが重いな。

まあ基本的に相手が同格、あるいはやや下だとしても、この時代官位で呼ぶのが基本常識であり
礼儀だわな。ましてや大名同士の場合は特に。
0880人間七七四年2011/07/06(水) 12:41:36.27ID:PigYNCek
政宗:農民出身の分際で何を・・・
0881人間七七四年2011/07/06(水) 13:02:16.17ID:KMFDXBpH
秀吉:その農民出身のワシに土下座して詫びたのはどこの誰じゃったかなぁ?
0882人間七七四年2011/07/06(水) 13:03:26.19ID:Bm0wOuqR
まあ本人公認の呼称だったんでしょうね。

どういった経緯で全国で『まさむね」』で通るようになったか興味深い。
0883人間七七四年2011/07/06(水) 17:17:34.55ID:Tk4chnLk
秀吉公とか家康公っていう呼び方もまずいと思うんだが
0884人間七七四年2011/07/06(水) 17:38:42.78ID:jdcv1O1m
本人が死んでからでしょ
0885人間七七四年2011/07/06(水) 17:40:17.52ID:EU1fIGWp
こんな夏のさなか、夏の逸話を

黒田如水は常にこのように言っていた
「奉公人は身分の高下に関わらず水練を心得ておきたいものだ」と。

さてそんな如水、夏になると城下に流れる大川に行き、その両岸に大綱をひかせ、自身は
跛の足ながら尻からげにし、綱を伝ってそこを往復。深い淵の箇所では泳ぎ、彼と共に泳ぐものには
「良き心がけである」
と褒めたという。

これは若者たちに水練を習わせたい、という如水の思いからのものであったが、しかし如水は
決して家臣たちに「水練を習え」とは言わなかった。ではどうしたか?

如水はしばしば、深い淵を隔てた対岸に居る者に突然に「誰々をこちらに来させるように!」と呼ばせ、
泳がないものが迷惑するように申し付けた。
(誰々を呼べとて、急に呼ばせ、泳がざる者、迷惑仕る様に申付く)

如水は夏の間そんな川狩を、4・5日に1度はやっていたそうである。

しかし泳げない人には実に困った嫌がらせですなw
そんな意地悪爺さん然とした、黒田如水、夏の風物詩。
(古郷物語)
0886人間七七四年2011/07/06(水) 21:12:38.91ID:+qf0MicG
又兵衛「各々方、あれを見よww大水牛兜が浮いたり沈んだり腹イテェwww」
0887人間七七四年2011/07/07(木) 00:18:53.14ID:w8xL/K7E
自ら率先して渡河作戦すら日常的に鍛錬し、行住坐臥を修行の場とするとは
でも本当に跛だったんですね。
0888人間七七四年2011/07/07(木) 00:24:04.30ID:4h60ef0C
「水練を習え」って直接言うとかえってやる気が出ないと思ったんだろうな

させたい事を直接言うとやる気がなくなる現象は心理学的に証明されてて「心理的リアクタンス」って言うらしい
子供が親から「勉強しろ」って言われると勉強したくなくなる法則もこれ
如水は意地悪というより、当時にしてこの事をよく知ってたのかも
0889人間七七四年2011/07/07(木) 01:06:09.71ID:XbJkCyXQ
ふつうに「みんな水錬を練習しろ!水錬はいいぞ!」
→水錬大会でも開いて、頑張った家臣を大いに褒めてやるでは、駄目なのか…
0890人間七七四年2011/07/07(木) 01:17:52.45ID:/83EFVR+
>>885

如水と水練と言えば、長政と栗山備後と一緒に川でやってる時、
長政遊泳中
如水 「よし、今だあいつを深みに引きこめ!」
栗山 「…………」
如水 「いや、冗談だ冗談」
栗山 「…… (眼がマジだった)」


ていう逸話があったな。
0891人間七七四年2011/07/07(木) 01:20:27.90ID:iFiufm46
>>889
元から得意な家臣が張り切るだけで
下手な家臣は出場しないだろ
0892人間七七四年2011/07/07(木) 08:30:55.55ID:tYmVAiAP
>>890
それは長政が忠之を殺そうと栗山大膳に命じた逸話だと思うんだが
出典は栗山大膳記で大膳が黒田騒動の評定の時に幕閣にぶっちゃけたという話だが
0893人間七七四年2011/07/07(木) 18:08:12.49ID:BGXXPD//
ドキッ☆KURODAだらけの水泳大会(首ポロリもあるよ)!
黒田さんちで「川に落ちる」と来たらバ…若殿の独壇場だと思われるでしょう、が

「ぐわー!」朝鮮の大同江で水中戦している長政の隣では、
菅六之助がふたりの敵兵ともつれ合って川に転がり落ちていました。
気づいた朋輩が駆け寄ってダンゴ状態のまま岸に引っぱり上げたのですが、
そのまま戦闘続行。敵ひとりは水中でほぼ片をつけており、残りの相手も
脇差で一突き。さすがの虎殺しですね。
この人は城井攻めでも、泥田にはまった長政の馬を小川で『心しづかに』
洗う片手間に首級ふたつ挙げてたりします。

「うおー!」そのまた隣で、吉田又助も馬上から川に引き込まれようとしていました。
大指物のついた具足のまま落ちては溺れると危ぶんだ又助は、手綱を片手で握り、
腕一本で敵兵を水中に沈めたり沈められたりしつつ、見事に仕留めました。
このとき助けに行った家人も刀握ったままで泳いでいて、何気にすごい。

そしてあの人も

「ぬわー!」耳川で脇差いっちょの長政が、薩摩兵三人と斬った張ったを
くり広げていた(官兵衛さんのコメント・「お前は匹夫か!葉武者か!」)のを横目に、
後藤又兵衛も大力の侍と揉み合って川に突入です。 
組み伏せられて危ういところへ、又兵衛の馬取が加勢に入ってようやく討ち取りました。
「あの馬取の働きで、命を救われたのみならず手柄も挙げられた。
戻ったら良い役に取り立ててやろう」 そう考えていた又兵衛でしたが

『下郎(馬取)は心つたなくて、陣中にて又兵衛の刀、脇差を盗んで逐電しける』m9(^Д^)

戦国の世に水練は必須科目なのです
0894人間七七四年2011/07/07(木) 18:51:22.38ID:fj6QAun0
水辺の戦で負けると死亡率高いからなー、それでも泳げさえすれば助かるケースも多いだろうし
如水は若いころから毛利の海からの上陸軍を追い返したりとかしてたよな、
そういうところで見てきた経験からも水練の重要性は身に染みてたろう。
0895人間七七四年2011/07/07(木) 20:05:04.55ID:M8Pq4D+j
水の如しってな
0896人間七七四年2011/07/07(木) 23:28:13.29ID:4Yq/49Sh
戦で川渡ることも多いしねー
今より橋がかかってる比率も少ないだろうし
舟から落ちたり舟ひっくり返ったりした時、泳げりゃ助かる可能性もあるし
0897人間七七四年2011/07/08(金) 01:20:37.19ID:kwHm9d3A
たしか大内晴持も敗走中の溺死だったな
0898人間七七四年2011/07/08(金) 07:58:10.94ID:9d2pSoHL
着衣水泳は洋装でも難しいからなぁ〜
和装で戦支度してればなお更キツイとは思う
0899人間七七四年2011/07/08(金) 08:32:14.83ID:ngnUm5YJ
戦に負け潰走して泳がなければならん時鎧兜はその場に廃棄するのか?
もしそうなら戦後に川岸に行って鎧兜集めまくれば一財産築けそうだな
0900人間七七四年2011/07/08(金) 08:42:51.67ID:EiTKhsl1
俺なら奪われるぐらいなら川の中に捨てる
0901人間七七四年2011/07/08(金) 08:48:02.99ID:cfIZJ4Pz
古式泳法で甲冑を着たまま泳ぐ方法ってのがあったような
0902名無しさん@12周年2011/07/08(金) 09:04:54.61ID:JOqzgQvX
普通、鎧つけたまま泳げない兵は従軍しない
0903人間七七四年2011/07/08(金) 09:11:10.34ID:05Kpxf63
現実には弓鉄砲すらろくに使えない素人が軍役の人数を揃えるために相当混じっていたのであって
甲冑着たまま泳げる兵だけで編成される超精鋭部隊なんてあったとは到底思えないw
0904人間七七四年2011/07/08(金) 09:16:10.08ID:SEkE9epT
負け戦のとき川で溺死するのがおおいしやっぱ泳げないひとがおおいのかなあ
0905人間七七四年2011/07/08(金) 09:17:25.22ID:9d2pSoHL
>>902
それが普通なら>>885みたいな話にはならないんじゃないのかな? っと思った
0906名無しさん@12周年2011/07/08(金) 09:47:39.24ID:JOqzgQvX
>>905
上杉でも徳川でも訓練の記録の中に水練もあるよ
それをこなせなければ従軍を認めてもらえなかったそうだ
逸話は良くも悪くもなにかしらの教えを説いたものが多いから黒田家の教育は
こんな風だったのかと想像して読んでる
0907人間七七四年2011/07/08(金) 11:08:12.28ID:SKXrAiI2
万単位の人間すべてが泳げたわけじゃないだろうが、泳げるような訓練はしてたんだろうな
0908人間七七四年2011/07/08(金) 11:08:14.80ID:+I29EW+0
武術できなくてもいいから、乗馬と水泳だけはやっとけって家康が子供たちに言ってたってね
0909人間七七四年2011/07/08(金) 11:59:51.45ID:c9szubKL
今で言えば車の免許は取っておけよってことか
0910人間七七四年2011/07/08(金) 12:16:02.92ID:0Fo07en0
宇喜多秀家がアップをはじめました
0911人間七七四年2011/07/08(金) 14:31:58.74ID:DZcWgAwi
平宗盛卿がアップをはじめました
0912人間七七四年2011/07/08(金) 14:50:57.58ID:gxNaAD5D
明智左馬之助が乗馬だけで充分と言ってますが
0913人間七七四年2011/07/08(金) 14:59:38.64ID:56INcPSf
沈めてしまえ
0914人間七七四年2011/07/08(金) 19:02:43.85ID:K7A2lEAM
天正16年(1588)、長宗我部元親は京において四男の千熊丸を、増田長盛を烏帽子親として元服させ、
右衛門太郎盛親と名乗らせた。
人々はこれで、盛親に長宗我部の家督を譲ることが決まったと思った。
が、元親にはなにか考えがあったのか、盛親の家督相続披露を行わず、
それとは別に

「五郎次郎(元親次男・香川親和)はその領地に蟄居のような形になっており、
さぞ色々と不自由であろう。」

と言って彼の住居である小野の近くを新たに知行として与えた。
さて、これを聞いて、当の五郎次郎は絶望した

「これはどういう事だ!?弥三郎殿(信親)が逝去された上は、私こそが長宗我部の
惣領と成るべきなのに、今になって知行を給わるとは何事だ!?

兄上の一周忌も過ぎ、3年も経っても家督に付いて何の沙汰もなく、ただ訝しく思っていた所に、
『吉良親実、比江山親興などの粛清は、千熊丸を家督にすると父上がおっしゃったのを
諌めたため罰せられたのだ』などという噂も耳に入ったが、そんな馬鹿なことがあるはずがない、
そう言っている者たちの勘違いだと、私はずっと信じてきた。

それなのに今度の千熊丸の元服の有り様は、疑いもなく家督のものである。
私は今はじめて、噂が真実であったと知った!

しかれば、私は父に見放され、弟にその地位を追い越された。
一体何の面目あって、生きて再び人前に顔を晒すことが出来るだろうか。
だからといって自ら首を斬って死ぬのは、不幸であり不義でもある。
この上はただ、閉居して世との交わりを絶つしか無い。」

と、一室に、食事も取らず閉じ籠った。
乳母である吉良五郎兵衛が涙を流して様々に諌めたが一向に聞くこと無く。
やがて心身衰え、終に病床に伏した。

この事は岡豊の元親のもとにも伝えられたが、元親は驚くこともなく、ただ
「療養は緩々とするのが良い。構えて回復を急ぐため、無理な治療はしてはいけない」との
言葉を下しただけであった。

しかし吉良五郎兵衛が「もはや回復の見込み無く、お命も長くありません」としきりに申し上げたため、
元親は篭を飛ばして五郎次郎の元に駆けつけその姿を見れば、もはや意識不明の有様であった。

「これは一体どういう事だ!?」

元親は手を投げ上げて嘆いた。これに吉良五郎兵衛
「最近になってこのような状態になり、私は何度もこれを報告いたしましたが、岡豊から返って来るのは
御子様とも思えないお扱いばかり。情け無い限りです。」
そう、声を上げて泣いた。

元親は返す言葉もなく、親和の耳元に口を当て励ますように言った

「五郎次郎、心持ちはどうだ!?家督はお前に決めたぞ!」

しかし五郎次郎からは、もはや何の反応もなく、ただ眠るようにして終に空しくなったと云う。

「弥三郎に先立たれ、3年の月日も経つや経たずやというのに又、五郎次郎を失ってしまった!
私は一体どうすればいいのか!?」

元親はそう叫び、ただ嘆くばかりであった。

長宗我部元親次男、香川親和の死についての逸話である
(土佐物語)
0915人間七七四年2011/07/08(金) 19:43:17.98ID:7szqo2P1
元親の本心がどこにあったのかよく分からんな
やっぱり信親失ってからおかしくなってたのか
0916人間七七四年2011/07/08(金) 20:57:38.68ID:kXqLQR5J
長宗我部家の衰亡は全部、元親が原因なんだな
四国統一まであと一歩だった英雄がこうまでボケるなんて悲しすぎ
0917人間七七四年2011/07/08(金) 21:17:26.45ID:EiTKhsl1
長宗我部家は元親が育て上げて自分でぶち壊したな
0918人間七七四年2011/07/08(金) 21:27:14.08ID:iU10HgQ7
クマーと同じだね。
0919人間七七四年2011/07/08(金) 21:27:26.38ID:/AeZ6XSC
一代でのし上がって、一代で墜ちる、か。
信長、光秀、秀吉もそうかな?
0920人間七七四年2011/07/08(金) 21:32:29.94ID:CUF0qj+e
信長は違うでしょ
0921人間七七四年2011/07/08(金) 21:54:36.18ID:K7A2lEAM
>>914
間違えてるー。8段落目の2行目

×乳母である吉良五郎兵衛
◯乳夫である吉良五郎兵衛

スマン
0922人間七七四年2011/07/08(金) 22:04:37.57ID:ZqBbsuNL
信親が居た頃から家督を継がせる嫡子以外には興味がなく
自分で蟄居のような形とか言ってるあたり
適当にあしらってたら本当に死ぬとは思わなかったんだろうな
自慢の信親がまさかあんな死を迎えるとは思わなかっただろうし
多分元親的には盛親の家督相続をする前に小遣い(知行)与えて納得させようと
大奮発したつもりなんだろうけど火に油を注いだというか・・・。
そのうえ病気で寝込んでると言うのを自分の気を引こうとしていると思って無視していたんだろうな
0923人間七七四年2011/07/08(金) 22:36:07.51ID:4htkR0pW
信親を失った後の元親は見るに耐えないな・・・
0924人間七七四年2011/07/08(金) 22:45:13.03ID:lEDzmpwN
悲劇だな
0925人間七七四年2011/07/08(金) 23:39:19.42ID:cHfL91ij
まあな。
0926人間七七四年2011/07/09(土) 00:54:50.22ID:qjqzLUTK
>>923
垣見家純とのエピソードや、元親百箇条を制定したところをみると、決して
耄碌してしまったわけではないとは思うんだけど、やはり晩年の元親は精彩を欠くな・・・。
0927人間七七四年2011/07/09(土) 07:50:31.07ID:Srq4vzSR
子供は一人だけを可愛がりすぎてはいけないという教訓ですな
0928人間七七四年2011/07/09(土) 08:20:26.48ID:Utj1GRUb
>>926
ボケみたいなかんじでしっかりしてる時はしっかりしてるけど、
時々おかしくなるみたいな感じだったのかもな

そして、それを矯正できるほどの人材もいなかったとか
0929人間七七四年2011/07/09(土) 08:31:46.74ID:p+WD1Ggk
子供など、我の操り人形に過ぎないのにな。
抗う意思を持つ子供など、無用無用無用無用無用

長男も次男も六男も無駄無駄無駄




by 家康
0930人間七七四年2011/07/09(土) 08:46:37.98ID:7s4xq2k6
でも、俺の許可無く死ぬな
馬乗ってでも泳いででも逃げろ
0931人間七七四年2011/07/09(土) 15:44:19.15ID:McSP37RG
>>914
これは・・・元親がボケてた話なの?
親知に冷たくしたのがボケ?親知の危篤を知って涙した部分?
それとも最初からボケてた話?
三回読んでもわからぬ><;
0932人間七七四年2011/07/09(土) 16:49:37.41ID:wpAaw4U1
親和のポジションは徳川の結城さんに相当するんじゃないかな
他家の名跡を継いでるとこも共通してるし、最初から宗家を継がせる気はなかったのかも
元親は晩年ボケたの一言で片付けられちゃうけど、
元親なりに混乱を避けたいと思って打った手だったのやもしれない
0933人間七七四年2011/07/09(土) 17:17:25.07ID:w8QeQVTG
ボケというよりは感性が麻痺していたように思えるな
自分の中身が自身の気持ちだけでイッパイになってしまっていて、
他人の事を思いやる余裕も他人の言を受け入れる余裕も無い
当の本人は冷たくしたなんて思ってなかったかもね
0934人間七七四年2011/07/09(土) 20:29:21.60ID:2GXCmXXo
親知って既に他家の家督継いでんでしょ?なのに本家の家督を継げると思ってたってのが腑に落ちない。
0935人間七七四年2011/07/09(土) 20:43:08.59ID:0K+QsWmr
他家の家督を継いでも、本家に相続する人がいなくて出戻りしちゃうケースはあるでしょ
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。