城址巡りの旅 其の拾壱
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0135人間七七四年
2011/05/07(土) 22:12:03.38ID:JKhJ0s0b特に、織田信長の攻撃ではたった一日で落城するという防御力の弱さ・・・
芥川山城
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E5%B1%B1%E5%9F%8E
http://ktaku.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/10/27/1xxz.jpg
能勢氏時代
波多野稙通らが丹波から京都へ向かう途中、芥川山城を含む摂津の城々を降伏開城させた
細川晴元時代
晴元と長慶の間で再び確執が生じ、天文16年(1546年)、三好軍によって芥川山城は囲まれた。同年6月26日、
芥川山城は無血開城し長慶の手に落ちた。
三好氏時代
三好長慶は父元長の従弟に当たる芥川孫十郎を城主につけた。しかし天文22年(1553年)7月、芥川孫十郎に
謀反の疑いありと判断した長慶は、芥川山城を包囲する。同年8月12日、孫十郎は篭城戦の末に兵糧がつきて
降伏した。
義興以後は三好長逸が城主になっていたようだが、永禄11年(1568年)9月28日、織田信長が摂津に侵攻、高槻
の天神馬場に陣取り芥川山城を攻撃、その日のうちに落城した。
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