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天正10年の武田攻めを語るスレ 3

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0001人間七七四年2011/03/29(火) 22:15:05.50ID:w+Csi68T
2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。

【初代スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192166319/
【前スレ】
天正10年の武田攻めを語るスレ 2
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1296903576/
0381人間七七四年2011/07/14(木) 18:54:34.50ID:R+j7jN03
逆に考えるんだ
あの鬼武蔵が生かしておいてもいいかwと思った程度の器量だったと考えるんだ
0382人間七七四年2011/07/14(木) 22:09:44.01ID:qp5V+sAU
無用の首とか侮辱ってレベルではない。
0383人間七七四年2011/07/14(木) 22:19:07.61ID:mk2Cs48A
実は馬鹿のふりをして危機を乗り切った稀代の謀略家なのであった・・・
0384人間七七四年2011/07/15(金) 18:51:07.56ID:LPjdVdsu
誘拐されたショックで精神に傷を負っておかしくなった説
0385人間七七四年2011/07/15(金) 19:08:13.65ID:1bj43Qxe
鬼武蔵の気に当てられておかしくなったんじゃ
0386人間七七四年2011/07/15(金) 20:03:14.22ID:hsy2b/if
幼少の時に見た鬼武蔵に憧れて、凡人なのに真似した悲劇かも
0387人間七七四年2011/07/17(日) 09:38:02.79ID:HGpbVFa1
ルーツを 探しに 大月市に 行った。もう 地元には 名乗る人は いなかったようだ。この 戦以降 鳥居氏に 拾われて 関東に きたと 思われる。
0388人間七七四年2011/07/18(月) 16:31:21.52ID:fY4EupWa
第二次信長包囲網の時信長から和睦の申し入れがあった時に乗ってればな。
謙信死後に信長の甥にあたる武田信勝に家督譲ったり人質の勝長を返還したりしたけどもう相手にされなかったんだよね。
0389人間七七四年2011/07/19(火) 00:35:21.61ID:+/jnzoKt
というか勝頼って空気を読むのがもの凄く下手なんじゃないの?
0390人間七七四年2011/07/19(火) 00:41:03.03ID:Jor12QjH
地盤の弱さに最後まで振り回された感じだな
信玄は群雄割拠の時代で砥石崩れとか上田原の敗戦後でもまだ建直しの余裕があったけどさ
勝頼はなんかいかにもジリ貧って感じだったもんな
信玄でも苦戦した謙信相手に戦っても勝ち目はないと思ったのかな
0391人間七七四年2011/07/19(火) 06:22:11.43ID:Kitl4s6w
敵は上杉だけじゃないからなぁ。

0392人間七七四年2011/07/19(火) 10:10:03.70ID:BDkj7K/N
二正面作戦の 失敗例。しかし 信長包囲網下の信長軍は すごいと思う。
0393人間七七四年2011/07/19(火) 11:14:20.97ID:Y5fGett0
信玄の駿河侵攻も三面作戦やね
その頃が戦歴の始まりの勝頼もどうにかなると思ったんだろう。
逆に言えばぐるりと強国に囲まれた武田家は信玄も同様に
危ない橋をわたらなければ勢力拡大できない地勢だったと言えると。
0394人間七七四年2011/07/19(火) 11:26:39.75ID:uu/yVUgu
>>391
あの時点で織田と組んだ場合北条も織田に接近すると思うけど
奥信濃と西上野で上杉と激突するだけじゃね?
0395人間七七四年2011/07/19(火) 12:31:36.64ID:BDkj7K/N
>>392 信玄公は 戦国大名として 海を 絶対必要条件と 考えていたのでは ないのでしょう?
0396人間七七四年2011/07/19(火) 20:12:33.53ID:+F9FfPXf
確かに長篠、新府は勝頼のKYぶりが際立つな
0397人間七七四年2011/07/19(火) 20:18:08.35ID:lpy7PH5t
やっぱり勝頼は義信の下で信繁ポジションが良かったのかもね
0398人間七七四年2011/07/19(火) 20:38:06.64ID:UJtCa8UI
勝頼は確かにそちらの立場が向いていそうだけど、義信に信玄ほどの器量があればって感じだな。
義信の場合、粛正に走りかねない。
0399人間七七四年2011/07/19(火) 22:38:35.32ID:+mc55GvE
義信は堤真一のイメージが強すぎて厨二病っぽいだよね。「そなたのような狭量、国主には向かん!」みたいな
実際はどうだかよくわからんみたいだけど
0400人間七七四年2011/07/20(水) 00:55:32.37ID:YKsGnYOe
あの時点で駿河攻めをやめるとなると、義信武田はどこに向かう?
あくまでも北進して上杉と戦うか、斉藤氏末期の美濃へ向かうか
まあ信濃や信玄恩顧の武将の反乱とかでそれどころじゃなくなる可能性大だが
あの時点は信玄をして危険をはらんだ南進をするしかないくらい手詰まりだったのでは
0401人間七七四年2011/07/20(水) 01:01:05.27ID:j4BmgzJW
義信はどうも飛騨攻めを主張していたようだが
飛騨を攻略したあと美濃に攻め入るかもしくは越中に進出して一向宗を傘下に収め上杉を挟撃するか
0402人間七七四年2011/07/20(水) 02:45:14.18ID:FqLWYjly
まぁ三国同盟を考えれば駿河侵攻は諸刃の剣だわな
実際駿河を得たけど貴重な時間を失ったわけだし
ただ美濃に直接攻め入るのは兵站面で無理がありそうだが
0403人間七七四年2011/07/20(水) 03:01:45.96ID:YKsGnYOe
美濃で無理なら飛騨・越中なんて無理がありすぎなような
飛騨なんて獲っても得られる物が少ないだろうし
今川の機嫌損ねるのを覚悟で三河攻めとか駄目だったのかな
駿河侵攻で今川・北条とガチバトルよりはマシな気がするが
0404人間七七四年2011/07/20(水) 03:09:24.85ID:FqLWYjly
三河せめても同盟が残ってるなら今川に返還するハメになるんじゃね?
なんか今川攻めて北条とも戦って上野にも手を出した頃って西進する気配なかったのにさ
なんで包囲網に参加したんだろうね
0405人間七七四年2011/07/20(水) 18:47:58.18ID:51t/AYPn
信虎が長生きして長篠に軍師として参加していればよかった。
0406人間七七四年2011/07/22(金) 21:02:44.33ID:FvudLsGd
義信を殺してまで得た駿河を戦わずして失った勝頼。信玄も馬鹿息子達に悩まされたな。
0407人間七七四年2011/07/22(金) 21:44:06.08ID:dA8Nkcq0
そして当事者の穴山信君は義理の息子と
0408人間七七四年2011/07/22(金) 22:06:20.35ID:AzZEOSld
勝頼時代に勝頼が育てた武将ってのがいないもんなぁ
信玄時代のワンセットで最後まで戦った感じだし
0409人間七七四年2011/07/22(金) 22:11:23.01ID:1ww5tTzH
勝頼は信玄に忠実すぎた。
信玄政策の踏襲などせずに織田徳川と戦わなければよかった。
0410人間七七四年2011/07/23(土) 00:52:56.98ID:ESYL9fsW
そんな好き放題出来るほど権力ないだろ
0411人間七七四年2011/07/23(土) 07:08:44.45ID:KYY8iHIG
一戦も交えずに降伏とかあり得ないし、そうでもないと信長は甲斐源氏を
残さなかっただろうから、んなこたぁ無理ですな
ムリムリカタツムリですな
0412人間七七四年2011/07/23(土) 07:41:24.55ID:tGAp+9Lq
>>411
いや、穴山とかの分家筋はみんな甲斐源氏だろ。
江戸時代まで穴山が残ったら、武田に改姓してたんじゃないかね。
0413人間七七四年2011/07/23(土) 08:23:43.08ID:xNzwgoHW
穴山って場合によっては武田姓使ってなかったっけ?アイツは武田宗家名乗る気満々だろ。
0414人間七七四年2011/07/23(土) 11:15:52.58ID:s4WCNXzv
結局甲斐って信玄時代から豪族の力は削がれてなかったんだよね
上田原で板垣、甘利がラッキーにも戦死してくれて後は婚姻で懐柔していっただけの話で
勝頼時代になってその矛盾が噴出しただけとも言える
勝ってる内はなり潜めてたみたいだけどさ
0415人間七七四年2011/07/23(土) 14:20:47.73ID:POIsctBM
勝頼は陣中から側室へ送った手紙とか北条夫人が殉死したのを鑑みると
個人としては優しい人だったんだろうなあとは思う。
戦も父親の信玄や信長よりも上手かったとは思うけど、いかせん戦略面
というか外交面がダメダメだからなあ。
信長は戦上手ではないが戦略面でそれをカバーしてあそこまで行った。
よく言われる戦術<<戦略を見事に体現した2人だよね。
0416人間七七四年2011/07/23(土) 14:32:46.88ID:g/6JwDvJ
>>413
武田が滅んだ後、穴山の嫡男が武田の名跡ついでなかったっけ?
0417人間七七四年2011/07/24(日) 00:12:42.47ID:tH1uHJPJ
家康の子供も穴山の娘を娶って武田家継いでいたはず
0418人間七七四年2011/07/24(日) 00:33:18.86ID:tw3uP27z
もともと信玄時代から武田姓だし
0419人間七七四年2011/07/26(火) 01:24:35.45ID:FJDJ9e7z
御坊丸を返さず、信濃国境に御坊丸を槍と鉄砲を向けた状態で立たせておけば織田軍は信濃に一歩も入れなかったはず。

それでも織田軍が侵攻してきたら、甲斐、信濃の守護は武田であり、侵略の不当性を信長に訴えるべき。
0420人間七七四年2011/07/26(火) 03:20:41.08ID:XcldNZOU
なんというかダメなときは何やってもダメみたいな・・・
0421人間七七四年2011/07/26(火) 05:30:12.10ID:OKLGF3ej
>>419
攫ってった幼児を人質にしてる奴が大義名分とか、テラワロス

あと、勝頼の代でも守護職貰えてるの?
朝廷優先の信長論理だと、国司の方が守護より優先な気もするな。
0422人間七七四年2011/07/26(火) 21:14:29.14ID:WJM5bmgn
勝頼は守護職(まあ室町幕府が滅亡しちゃうが)どころか
官位すら大膳大夫を自称したもものの正式な官途を得られず
死ぬまで無位無冠の悲哀を味わった

ぶっちゃけそうなったの信玄のせいだけだけどね
0423人間七七四年2011/07/28(木) 14:25:54.62ID:gwA7MSHd
最盛期はあれだけの領土を持ちながら百数十万石なんだよな
0424人間七七四年2011/07/28(木) 16:48:03.49ID:82JMGhTC
平野部があんまり獲得できてないからなぁ。
尾張と美濃の平野を抱えた織田とは、最初から質が違いすぎる。
0425人間七七四年2011/07/28(木) 18:35:07.89ID:dDVDtQon
また濃尾平野で織田有利説かよ
飽きた
0426人間七七四年2011/07/28(木) 18:40:05.43ID:Vu8k2daG
最後は、尾張、美濃、伊勢、近江の大兵力が丸ごと信濃になだれこんできたからな。
0427人間七七四年2011/07/28(木) 19:17:02.58ID:f0PIPDu+
関東平野で騎馬隊を多く抱えていた北条は弱かったじゃないですかー。
0428人間七七四年2011/07/28(木) 19:51:11.03ID:B+HN1HcX
当時の関東は未開の原野。開発の進んだ中京地域と一緒にしちゃいかんよ。

しかし、徳川があっという間に整備したものがなんで北条にはできなかったのかね?
戦闘で手一杯だったから?
0429人間七七四年2011/07/30(土) 07:36:30.99ID:yPcMWF9s
>>428
そんな事はあるまい。
幕末近くにすら「池袋村の女」という怪異話しがある。
近代以前の東京なんて池袋すらポツンとした村であるほどで、
関東はそこまで発展してない。
0430人間七七四年2011/07/30(土) 17:54:33.21ID:URfXFBFu
信玄が上洛してたら、甲府に国会議事堂や大企業の本社や山手線があって八ヶ岳の麓に都心へのベッドタウンがあったのかと思うと感慨深いね。
0431人間七七四年2011/07/30(土) 23:02:46.23ID:uG9ey947
その場合駿河じゃね?
0432人間七七四年2011/07/30(土) 23:33:11.61ID:xtXmFaCF
下野が地盤の足利だって京・鎌倉を拠点にしたのだし、武田幕府(笑)なるものが開かれても甲斐とは限らん
0433人間七七四年2011/07/30(土) 23:49:32.94ID:Qpow4bVy
甲斐だと国人がやっかいだから、京を拠点にする気がするね。
0434人間七七四年2011/07/31(日) 19:12:06.55ID:C4NxGSKw
謙信みたいに「ちょっと行ってくら」的な上洛しかできんかったんでねえの?
0435人間七七四年2011/08/01(月) 02:46:45.74ID:Zo29XAU4
>>428
坂東武者は昔から強いじゃないか。
源氏も北条も足利もみんなそうだ。
0436人間七七四年2011/08/01(月) 06:03:22.56ID:5qnrkJRK
信玄存命なら
京都で
武田幕府ひらく
気がする

関東は、北条と同盟を結び直しそうだな
0437人間七七四年2011/08/01(月) 09:37:12.09ID:C9ZEo/Fr
足利将軍の上洛要請で京に上った武田が幕府潰したらマズイだろw
大義名分が無くなって織田が武田に変るだけ
0438人間七七四年2011/08/03(水) 23:04:47.09ID:glUvX7Ix
甲斐の山猿が 京に上るなど 笑止千万。
0439人間七七四年2011/08/05(金) 03:37:14.06ID:mhKdRfLi
信濃から美濃へ大軍での進攻は不可と言われてるけど本当?天正10年には美濃から信濃に5万の信忠軍が進攻してた訳だけど。
0440人間七七四年2011/08/05(金) 04:25:11.28ID:GeF+SGuj
木曽の手引きがあったからこそ出来たんでないの
0441人間七七四年2011/08/05(金) 10:31:54.86ID:qg7LE4j+
出口入り口が味方なら十分可能
ただし大部隊を率いるのには不向きなのは事実で
関ヶ原の秀忠隊も難儀している。
0442人間七七四年2011/08/05(金) 12:21:00.46ID:ilF6b1IS
関ヶ原時には既に徳川に武田の旧臣が組み込まれてなかったっけ?
0443人間七七四年2011/08/05(金) 14:35:54.26ID:3MrNJjtZ
そもそも信忠軍が攻め入る前に、武田信豊が進軍して敗走しているからな。
大軍での侵攻に失敗、カウンターが正しい。
0444人間七七四年2011/08/05(金) 19:47:33.05ID:hEoylKUp
>>400から>>404
なんかいまだに駿河攻めが武田主導で始まったと思っているようだが
実際は今川が上杉と組んで武田を包囲する戦略を進めていたのであって、
最後通牒ともいうべき三河共同出兵(家康倒すの協力するから、三河半分を武田に、という話)
も拒否されて塩止めも起こり、今川上杉の同盟と武田包囲戦略が固まってきた1568年末の段階では
もう武田には先制攻撃で今川を撃たなければ、逆に武田が撃たれる状況でしかなかった

それから北条は当時上杉と関東諸侯連合相手の戦いを有利に進めており、
関東方面では詰めの段階にまで入っていたから
武田としても北条が介入してこれない、もしくは事情を話せばわかってくれるかもしれない、という
観測があったようだ
ここら辺の事情は北条側でも「氏真が武田に攻められたのは上杉に通じたせいかも。仕方ない事だね。」と言ってる書状がある事や
武田が深沢書状で「そもそもなんで俺らが戦ってるわけ?これまで武田と北条は上杉相手に各地で一緒に戦ってきたでしょ?
もともと今回の戦いは氏真が上杉に通じて武田を撃とうとしたのが原因でしょ?こっちは随分と今川に兵を出すのを我慢してたんだよ!」
って述べている事から裏付けられる

んで結局北条氏康が有利に進めていた関東戦線の権益を上杉に丸ごと渡して
対武田戦争に入った事はかなり意外な事だったはず
0445人間七七四年2011/08/05(金) 19:50:27.29ID:hEoylKUp
>>443
そりゃ入り口の木曽が敵になってたからだろ
出口入り口が味方になってれば十分可能
現に織田勢は木曽を手引きとしてそこから入ってきてる
武田も信玄死後の東美濃攻防では
信玄時代に美濃方面の入り口である岩村を押さえてあったから
特に難儀しないで東美濃まで入っている
0446人間七七四年2011/08/05(金) 19:52:22.10ID:hEoylKUp
>>422
父親の信玄が甲斐信濃守護だから
勝頼もそれ継承してると思うが
0447人間七七四年2011/08/05(金) 20:24:36.02ID:jRf8QDY9
>>446
守護は家じゃなくてあくまで個人に与えられるものだから、自動的には継承されないよ。
義昭に連絡が付けば継承させてもらえただろうけど、なんせはるか広島の鞆にいるからなー。
0448人間七七四年2011/08/05(金) 20:45:17.94ID:hEoylKUp
>>447
いや、継承されてんじゃないの
それいったら歴代守護がおかしくなるし
0449人間七七四年2011/08/05(金) 21:00:15.17ID:qg7LE4j+
歴代守護だって初期はころころ交代させられてる。世襲じゃないからね。

>>442
だから進路に選んだんでしょ。
当初の作戦では美濃を制した井伊が合流する手はずになっていて
出口の安全も確保出来てる予定だった。
難儀したって言うのは遅参で秀忠は強行軍したけど、増水で軍が動かなくなって
結局わずかな供回りだけで家康の元に出向いたってこと。
0450人間七七四年2011/08/05(金) 21:17:20.64ID:qg7LE4j+
上で信豊が敗走したと言ってる人が居るけど、実は信豊は戦ってない。
先鋒の今福が木曽で破れてその報告で、
すでに織田の先鋒が木曽に入って固めてることを知ってあきらめただけ。
信玄時代にも一度は運よく侵攻を防いでるし、
長久手のときは上田以上の戦力差で徳川の別働隊を破ってたりと
木曽は要害であり大軍にとっては難地。
0451人間七七四年2011/08/05(金) 22:45:28.08ID:3MrNJjtZ
信豊指揮の軍の先鋒が負けて撤退したら、それは信豊の敗走だろ・・・・
0452人間七七四年2011/08/05(金) 23:48:51.69ID:qg7LE4j+
撤退であって敗走というニュアンスは違いますね軍を保っていて後退ですから。
そこから交戦不可になる理由である穴山の寝返りがいかに重大事だったかと言うことです。
0453人間七七四年2011/08/06(土) 02:53:19.87ID:OwBkbJ7Y
御親類衆の木曽が裏切った時点で穴山が裏切ってもおかしくないんだよな
信豊や信廉は裏切ったとまでは言えないけど城捨てて逃げてるからなぁ
0454人間七七四年2011/08/06(土) 06:05:00.64ID:JvHlL1n2
>>452
そのあと、軍そのものが瓦解しているんだから、敗走状態だったと思うぞ。
0455人間七七四年2011/08/07(日) 14:26:49.60ID:CYkcva1j
木曽公の末路。哀れや。
0456人間七七四年2011/08/07(日) 14:27:14.06ID:TIQkhTmT
因果応報
0457人間七七四年2011/08/08(月) 21:18:32.63ID:2eDloEAU
武田滅亡の立役者となった三者(木曽、穴山、信長父子)がその後、悲惨な末路を辿ったことが武田厨の溜飲を下げてるわけですね。

0458人間七七四年2011/08/09(火) 09:55:01.31ID:vOkJkxTe
木曽、穴山はざまぁだけど嫁いだ信玄の娘は不憫だね。っていうか名の知れた娘は全員か。
0459人間七七四年2011/08/09(火) 10:19:01.57ID:kHjxqCQx
菊姫は良い方では?
上杉滅亡しなくて良かったね
0460人間七七四年2011/08/09(火) 14:49:37.89ID:9J6a9PpZ
息子達も悲惨。
ほとんどが自害してる。なかには空腹で動けないところを討ち死にした人まで。
0461人間七七四年2011/08/09(火) 16:36:03.87ID:jVmKAWxF
真理姫はすげー長寿だったような気が…
0462人間七七四年2011/08/09(火) 19:21:17.71ID:HqPsJ+PW
でも殺された娘はいないでしょ。滅亡した家の中には娘まで殺されたところもあるし。
0463人間七七四年2011/08/09(火) 21:36:03.12ID:q8dhk13t
源氏は 呪われてんのよ。
0464人間七七四年2011/08/09(火) 21:39:33.90ID:LoZknrRp
滅亡時に生きてた娘4人は、置かれた状況の割には、真っ当な暮らし送れたと思うけどなぁ。
穴山室は、夫に先立たれたとはいえ、将軍の子を養育する立場になった。
木曽室は、隠遁とはいえ子と静かに生活。
松姫は、無理に結婚もさせられず、預かった子を立派に送り出し、武田の菩提を弔えた。
菊姫は、五大老の妻で実子なしながら敬愛された。
0465人間七七四年2011/08/10(水) 21:37:01.23ID:05kXjoEP
シンゲンが存命して強盛誇ってた時から9年で武田滅亡だからな。
恐ろしいスピードだよ
0466人間七七四年2011/08/10(水) 22:09:50.97ID:f20hmkpO
逆に良く持ったなって感じだけど
浅井朝倉の滅亡スピードに比べると
0467人間七七四年2011/08/11(木) 05:54:37.27ID:EZnAGNVj
四ヶ国を2ヶ月で失ったのもスピード早すぎだけどな。浅井、朝倉は一国ないし半国でしかなかったが。
0468人間七七四年2011/08/11(木) 06:39:46.70ID:07B2Ec9o
大国同士がぶつかって、一度でも一方に傾いたら、後は大抵一気でしょ。
0469人間七七四年2011/08/11(木) 06:59:39.37ID:8Kh6a797
長篠に関しては武田が15000だったことを考えたら明らかに対徳川しか考えてなかっただろうね
最初の前提条件が変った以上一度撤退が正解だったんだろうけど
0470人間七七四年2011/08/11(木) 07:23:41.09ID:YnKHGlTb
織田の勢力拡大に対して、対抗できるギリギリだったので決戦を望んだ、って説があるけど(センゴクとか)
長篠時点ではまだそこまで切羽詰まってないよな。
北条との同盟も堅固で、上杉方面も落ち着いてるし。
最初から織田との決戦を指向していた場合、北条から援軍もらって上杉を抑えた上で、
全力投入するべきだっただろうね。
0471人間七七四年2011/08/11(木) 07:29:42.34ID:07B2Ec9o
浅井、朝倉、三好、松永、足利、伊勢志摩……
次々と滅ぼされていくのを目の当たりにしていたら、プレッシャー半端ないだろ。
0472人間七七四年2011/08/11(木) 09:44:46.79ID:BusOVV5Y
信玄の無理な征西からして織田にワンパン食らわすために見えるし
他の政策も長篠までは信玄の政策を忠実に継続してる
長篠も信玄以来の基本路線の内と見るのが妥当と思う
0473人間七七四年2011/08/11(木) 13:44:44.83ID:2xxUfw14
>>470
長篠ですら戦力差3倍
織田が他所でコケない限り戦力差は開くいっぽうだろ
信玄が俗にいう西上作戦で無理して集めたのが25000 15000だって余裕残しての数字ってわけじゃない
もっとも設楽原の地形から、両軍の兵力は実際は巷説の半分ぐらいではないかという説もあるけど
0474人間七七四年2011/08/11(木) 18:52:26.17ID:nKdDnJoY
>>472
西上が無理って何の話だ?
普通に信長大ピンチで方々手ふさがりになってピーピーいってるし
信玄死亡がなければ信長終了でおしまい
長篠までの活動は基本的に信玄西上の時の包囲網戦略による
美濃決戦が信玄死亡で出来なくなったので
徳川相手の地道な削減に切り替えられただけ
戦略としては信玄西上の戦略とはまるで別物だな
>>473
無理してって何の話だ?
長篠での1万5千は1575年には上杉が関宿攻防や北陸戦線がひと段落したから
対策として本国に1万以上残しての数字だってわかってんのか?
十分に余裕残しての数字だわ
武田は西上の時の半分の石高でしかない第四次川中島でも2万の兵出してるし、その後の西上野戦、今川戦、北条戦と
2万以上の兵力を普通にだしてるわ
どこが無理して集めた兵力なんだか説明してほしいもんだな
0475人間七七四年2011/08/11(木) 19:23:43.19ID:S/tUVo3M
>>474
半分の石高のときに2万だせるなら
長篠に素直に4万出して勝てば良いのに
0476人間七七四年2011/08/11(木) 21:10:48.92ID:2xxUfw14
今川戦(薩埵峠の戦い)は12000で今川軍より少ないくらいだっただろ
防衛兵力残さなければならない状況を余裕とは言わないし
0477人間七七四年2011/08/11(木) 21:54:37.15ID:BusOVV5Y
だがさんちーす
0478人間七七四年2011/08/11(木) 21:59:06.19ID:ODSMdkwb
>>474
信玄死亡が無ければの時点で無理な征西だなw
0479人間七七四年2011/08/11(木) 22:02:28.38ID:6vuU9++r
>>475
長篠が起こった1575年では丁度上杉が手空きになったからな
どこに動くか不明だったため、警戒のために守備兵力が必要になった
>>476
北条相手の第二次薩睡峠では対峙兵力が1万8千になってる
しかも後方に守備兵もいたから駿河に展開した武田の総兵力は2万近い

その後の北条相手の戦いでも小田原遠征・三増峠と2万の兵力で進軍してる

さらにそれ以前の1566年の箕輪攻めでも2万の兵を動員してる

いずれにせよ、信玄西上で2万5千の兵力を無理して集めただの、
武田は1万5千で余裕が無いなんて無理もいいところ
0480人間七七四年2011/08/11(木) 22:08:00.13ID:6vuU9++r
てか西上では徳川領土方面に展開した武田の軍勢が2万5千から3万
東美濃方面で展開した兵力が5千だから
合計兵力は3万5千ほどになるな
なんだ、十分4万近くだせるな
>>478
寿命なんてものは不確定要素だから無理でもなんでもないな
0481人間七七四年2011/08/12(金) 04:49:40.23ID:qaWN10Fm
無粋な突っ込みだが
川中島で2万というのがそもそも眉唾な可能性がw
本来はもっと少なかった可能性がある

つか物によれば諏訪攻めの段階で万を超える兵だったりするし
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