いつもこういう話になるけど
藤木史観とそうじゃない系ときれいに別れるなぁ。
死亡者が増えるのを、飢饉と直接結び付けていいものかは
議論の余地がある。
単に寒暖の変化で爺婆が死んだだけかもしれないし。
人間はほかっといても死ぬからね。
農村なんかは採れる時はいいけどそうじゃない時もあるし
平時と言うのをどういう状況にするかで違ってくる。
電気が通る前の農村部なんて昭和になっても江戸、戦国とそう
違わないとは思うんだが、そういう体験者みたいな年配の人と
若い人で記録中心で認めないとか少しおかしな主張の人もいる。
話それるが、今でも農村暮らし体験ツアーなんてあるから
電気のない自給的な生活を一週間でもすればかなり
違いがわかるとは思うけどこういう話は荒れるから
やめた方がいいんだっけか。