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戦国時代の食事5膳目

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0001人間七七四年2011/02/06(日) 20:40:18ID:Te+zE3dV
戦国時代の食事4膳目
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1179215482/
戦国時代の食事3膳目
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1167143245/
戦国時代の食事・2
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1163347244/
戦国時代の食事
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150323475/


0766人間七七四年2012/04/25(水) 17:27:05.92ID:8dPX/0Aa
人の血圧測定始まったのは19世紀だから、さすがに”資料”はないだろうな……
ただし(高血圧症による)中気や卒中という症状は当時の漢方にもあったよ

で、具体的な血圧はわからないけど、徳川家康愛用と言われる「無比山薬丸」には
地黄など血圧血糖値降下作用があるものが入ってるので
今で言う「生活習慣病」を自分で意識していたことは十分有り得ると思う
0767人間七七四年2012/04/25(水) 19:57:13.04ID:Ec7BE4IX
>>765
尻から味噌が出るほど味噌好きだったんだよ
0768人間七七四年2012/04/25(水) 21:05:57.41ID:sev6+b2r
>>767
それ面白いと思って言ってるの?
0769人間七七四年2012/04/25(水) 21:43:09.28ID:Ec7BE4IX
うん、面白いと思ってるw
0770人間七七四年2012/04/25(水) 22:15:38.19ID:KIELLJU/
なら教えてあげるけど言うほど面白くないよ?
0771マスオ ◆M6R0eWkIpk 2012/04/25(水) 23:42:50.37ID:W7mfyNix
>>770
なんかワロタ
07722012/05/12(土) 01:19:03.59ID:+fnKDrdN
信玄は高血圧。謙信は低血圧。

ところでですが、海魚を生で食い、川魚は火を通すって慣例というか食の安全に対する知識は戦国時代にはあったのでしょうか?
0773人間七七四年2012/05/12(土) 02:01:24.74ID:9IHVFzq+
全くない というか川魚の生食は普通に行われてた(海魚より新鮮だから)
海魚は基本塩漬干物(輸送時の保存のため)

漢方でも寄生虫って概念が薄いので、当時の人は危険と思ってなかった
まぁジストマ(中間宿主が川魚)なんて発症まで数十年かかるし
ヒト回虫なんて「共生」とも言える状況だったしねぇ……
0774人間七七四年2012/05/12(土) 03:54:52.01ID:UogZrsEl
>>772
謙信は大の酒飲みで
酒のアテは塩と梅干な人だぞ
0775人間七七四年2012/05/12(土) 17:20:02.92ID:jYTtZxhQ
謙信は高血圧が元で死んだようなものでは?
07762012/05/13(日) 00:59:01.65ID:khqRokLE
>>773
なるぼど、ありがとうございます。臭い川魚を生で食えるのはスゴいですね。

>>774
>>775

謙信は朝型の便所で踏ん張ってたらぶっ倒れた。これって低血圧に多いって聞いた事がある
0777人間七七四年2012/05/13(日) 01:42:21.42ID:njOUBz2u
重度の痔持ちで踏ん張った勢いで大量出血し血圧が一気に低下して
ショック死した
0778人間七七四年2012/05/13(日) 02:20:56.59ID:N1rTIqyO
脳梗塞なら低血圧だと減る、って研究が日本であるよ
高血圧かどうか、は別にしてね

痔の出血で死んだ人、ってのも聞いたこと無いな
あれって内核に溜まった血が出てくんだよね、量が多くて驚くけど……
0779人間七七四年2012/05/14(月) 14:30:40.80ID:eGAQEP5z
脳溢血って高血圧に多いだろ。
0780人間七七四年2012/05/15(火) 21:22:44.61ID:RssZ0EBH
謙信って婦人病だったかもしれないよな。卵巣癌とかさ、だって女だろ、
0781人間七七四年2012/05/16(水) 05:58:52.86ID:xg3SB2yM
はいはいゲーム板から出てくるな
0782人間七七四年2012/05/16(水) 13:14:32.61ID:4rtDugNu
>776
中国で宋代に川魚の刺身(たぶん鯉)がさかんに食われてたらしいが
臭みよけに専用の酒を飲んだり柑橘類の果汁であえるとかしたらしい。
こっちの戦国時代はどうしたんだろ?
0783人間七七四年2012/05/16(水) 13:28:49.08ID:1C1lOoPK
>>782

>>5
0784人間七七四年2012/05/16(水) 13:50:46.42ID:7YqHwoQr
江戸中期以前の刺身は酢だね
07852012/05/16(水) 20:21:39.60ID:98rIxdcq
>>782
>>784

どうなんだろうね…。光秀が家康接待用の魚を腐らせた、みたいな話があるけど、この魚もやはりでは川魚?フナとかコイだったのかなやはり…。そもそも川魚を刺身で醤油に浸けたかも疑問…
0786人間七七四年2012/05/17(木) 03:25:52.97ID:rCLkZ3cZ
醤油を生魚につける習慣、てのは大量生産始まった江戸時代じゃないかなぁ……
(当時では超高級品で”ヅケ”なんて出来ないと思う)
中国では刺身を魚鱠と呼んでて、明代の本(本草綱目)には「ニンニク生姜酢からしをつけて食べる」とある
たぶん日本でも似たようなものだったかと

で、当時琵琶湖は海扱いで、そこで取れる魚を光秀は出したんじゃないかな
「腐った魚」は鮒ずしって話もあるし
0787人間七七四年2012/05/17(木) 21:19:38.21ID:138/PK//
江戸中期より以前は、刺身は塩を利かせた酢に醪を混ぜたタレで食ってたらしいな
0788人間七七四年2012/05/17(木) 23:34:38.19ID:BwEeLe+5
生魚酢で食って旨いか?
0789人間七七四年2012/05/17(木) 23:37:11.31ID:Li07/W9k
炒り酒だろ
0790人間七七四年2012/05/18(金) 00:18:23.52ID:gRwKx5rL
>>788
今でもコハダとか鯖とか酢〆のこってるじゃん
0791人間七七四年2012/05/18(金) 16:16:44.52ID:Od4qicRy
北条氏政が飯にかける汁の量がなかなかわからず
それを見た氏康が嘆いたという話は有名だけど、
氏政が食べていたものは今でいう汁かけご飯なわけ?
それとも湯漬け?

汁かけご飯だったらどうしても
「いい大人がはしたない・・・」と思えてしまうけど
当時は大人、それも高貴な身分の大人が普通に食するものだったの?
0792人間七七四年2012/05/18(金) 16:42:16.47ID:Q26yRBrl
汁かけ飯。汁かけ飯は八代将軍足利義政は広めたともされるもので、当時の大名も当然これを食した。
それだけに早くから汁かけ飯の食べ方にもマナーがあり、汁は吸わずに
箸でコメだけをすくって食うものだった。
ちなみに汁は味噌汁ではなく出汁汁。
0793人間七七四年2012/05/18(金) 17:59:27.93ID:mUChBSE3
>791
かなり昔、某国営放送で足利義輝が三好三人衆&松永久秀に
招かれた宴会の話があったが、三献の儀の後最初に出たのが
汁かけ飯で、大きな深皿に中が窪んだドーナツ状に飯を盛り、
別の深皿に二種類の汁が用意されてるというものだったな。
0794人間七七四年2012/05/18(金) 20:08:55.63ID:bYkU+Jpv
この汁かけ飯の汁でご飯を炊くようになったのが後の炊き込みご飯
0795人間七七四年2012/05/19(土) 00:19:39.05ID:m16y0HHw
>>792
出し汁だったら今の感覚ではむしろお茶漬けに近いものじゃないの?
0796人間七七四年2012/05/19(土) 23:39:16.44ID:+skpesgx
>>787
戦国時代は?
0797人間七七四年2012/05/19(土) 23:39:45.15ID:5zjZgNq0
>>796
似たようなもんだろ。
0798人間七七四年2012/05/20(日) 02:01:02.40ID:18K5Szmm
剣客惣菜(江戸時代)って番組で、ハゼの刺身、ってのを再現してた
http://www.jidaigeki.com/forum/sozairecipe/recipe13.html

刺身に醤油、ってのが一般的になったのは、けっこう近代になってからの模様
0799人間七七四年2012/05/20(日) 02:05:14.45ID:JhMjMLtJ
「煎り酒」っていう日本酒と梅干を使った調味料があって、
江戸時代の半ばくらいまではそれで刺身を食っていたらしい
タモリがテレビのロケで試してみて「ああ、これは刺身に合うね」って言ってた

でも戦国時代当時はそこまで日本酒も一般的ではなかったか
0800人間七七四年2012/05/20(日) 06:47:31.58ID:GieSsTg7
まだ食生活は貧しかったんじゃねえかな。それでもさ、雑穀米入りの飯だろ
梅干しだろ、肉、魚は干したのが中心だったはずだ
保存技術がなかった当時で。生野菜はふつうに食っていただろ。
調味料はまだ醤(ひしおと読む。米や麦、豆などを発酵させてから塩を含ませたもの)
だったんじゃねえか。ちなみにこれからとれる汁が醤油なんだけど。
もともと、武家と公家は食事内容からして違っていただろ、ひとつに平家が源氏に負けたのは
その貴族趣味の食事にあったとされている
まだその伝統をひいていたんじゃねえかな。戦国時代だろ、だってさ。
公家の伝統食を述べると数種類の干し物、白米だった。
0801人間七七四年2012/05/20(日) 07:30:14.14ID:GieSsTg7
ニュクマムっていう魚醤が東南アジアにあるの。でもね、日本では穀醤が発展していった。
味噌は室町時代からあったはずで、建長元年(1249)信州の禅僧、覚信(かくしん)が金山寺味噌
の製法を持ち帰って、溜り醤油ができたらしいけれど、普及はどうだろね
一般的にはまだ味噌、醤油未分化の醤じゃないかしら。専門家がいたら
教えてもらえると思うけれど。俺も調べただけだから

0802人間七七四年2012/05/20(日) 07:44:00.95ID:U7fMdN55
戦国期の史料が無い場合は、室町期と江戸初期を比較して、
その差分で想像するのがいいな。
0803人間七七四年2012/05/20(日) 13:36:44.64ID:h5hU+fot
一次資料がない分は語ってはいけないがこの板の掟
0804人間七七四年2012/05/20(日) 17:35:25.49ID:18K5Szmm
>>801
口伝だと鎌倉時代には発明されてる(たまり醤油)
まぁ16世紀に紀州湯浅から大阪に出荷した記録は残ってたり日葡辞書に載ったり
戦国時代に商品化されたのは確実かと
http://www.yuasasyouyu.co.jp/mottsiritai1.htm

でも当時は”超高級品” 庶民はめったに口にできなかったと思われ(生産量から推察)
江戸期になって関東(下総銚子)で生産が始まり濃口醤油発明(1697)されてからが
本格的な醤油の一般化の始まりではないかと
http://www.yuasasyouyu.co.jp/mottsiritai1.htm

それに対し魚醤は、しょっつる(秋田)いしる(能登)いかなご醤油(讃岐)全部江戸期になって製造が始まってる
…日本では、伝統的に魚は乳酸発酵が普通なんだよな……
0805人間七七四年2012/05/20(日) 18:48:20.98ID:U7fMdN55
>>803
アカデミックな研究者でもやるのに
0806人間七七四年2012/05/20(日) 18:57:46.71ID:GieSsTg7
>>803
あんまうるさく言われてもさ、でもごめんね、一次資料といわれると焦るかな
出典は一次でなかったかな、ウィンペギア、ちょっと違った、ネットの百科事典で二次だろ
一次は信長公記とかと思うけど、ここに乗っけた資料の元は二次いいとこかなあ
スイマセンデシタ

>>804
ありがとう、鎌倉時代あたり、平安の食生活を調べた経緯があったの。
感謝します。
0807人間七七四年2012/05/21(月) 03:54:40.27ID:MFrt+Zeo
食い物に関して言えば、すべて一次資料を揃えるのは無理難題

たとえば「水飴」 
日本書紀の時代から記録に残り平安末の京では店頭で売られてたけど
お菓子(固い飴)となって広まるのは江戸時代(砂糖が庶民に広がるとともに定着してる)
じゃぁ鎌倉室町戦国時代には実際にどのように水飴が使われていたか、なんて
一次資料なんて全然ない(推察するしかない)

まぁ現在の「食」の始まりは17世紀に入ってからが多くて、それ以前の食い方なんてさっぱりなんだよな……
0808人間七七四年2012/05/21(月) 15:13:35.96ID:Q9ohG3e9
食い物スレだから一次資料じゃなくソースって言うべきだったな、、、
失敗した。
08092012/05/21(月) 16:17:13.28ID:aOPNrxSh
戦国時代の庶民は犬や猫もやはり食べたのか興味ある。徳川綱吉までは普通に食ってたのかな?

だけど、古代の天皇で犬は食うな、って御触れを出したような天皇も居た気がしたが…?
0810人間七七四年2012/05/21(月) 20:59:44.59ID:26rMwx2y
>>808
>食い物スレだから一次資料じゃなくソースって言うべきだったな、、、

アホか。
まったく違うじゃないかよ
0811人間七七四年2012/05/22(火) 05:48:05.70ID:8AwQMPq6
>>809
なんか微妙な違和感あるけど、明治維新まで「肉食は薬(滋養とか医療、朝鮮人参と同じ扱い)」であって”普通の食事”ではないよ

で、それを踏まえて、「日欧文化比較」(フロイス1585)には
「彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」って書かれてる
というか、「犬追い」(広場に犬を放して射る)の後、死んだ犬は料理されて皆で楽しむ
とも蔭涼軒日録に書かれてるから、武士文化の中に犬を喰う習慣は存在してた

猫肉は、幕末には店頭に並んでいた記録がある(戦国時代に忌避されたと推測はできないと思う)
0812人間七七四年2012/05/22(火) 12:38:18.70ID:S2/RsffV
天武天皇だよ、675年にだされている。(日本書紀)
後、大仏様のときに期限付きで出されているね
 詔諸国曰 自今以後 制諸漁猟者 莫造檻穽 及施機槍等之類
  亦四月朔以後 九月卅日以前 莫置比弥沙伎理 梁
  且莫食牛馬犬猿鶏之宍 以外不在禁例 若有犯者罪之

読んでもらったらわかるけど、鹿とイノシシがなぜかぬけているよな
後農耕期間に限定しているんだよね
08132012/05/23(水) 00:59:21.93ID:4S7eBGVr
>>811
獣肉ってのは薬みたいなイメージだったんですね…。熊の手とかも中国だけなのかな?昭和初期でも熊を食ってたみたいだし、戦国時代の熊肉も薬かもね。秀吉の虎みたいに。
08142012/05/23(水) 01:02:49.69ID:4S7eBGVr
>>812
犬をペットとしてた天皇って誰でしたっけ?雄略とか応神?シロだったか名前のある犬。

つまり、犬は日本では初めからペット扱いでしょうか?
0815人間七七四年2012/05/23(水) 05:00:36.73ID:3B/lSfVs
>>813
熊掌(熊の手)は孟子も大好きだった珍味
でも日本では食用されず安産の御守として使われてたくらい
ツキノワグマの手は小さいので食材としてむいてなかったのよ

で、秀吉の虎肉話は、江戸時代の作り話ではないかな
虎皮の献上はあるけど、肉は当時の正式記録がないのよ
ちなみに漢方では虎骨、虎肝、虎鞭(ペニス)、虎睛(眼)、虎血、虎脂なんてあるけど
肉そのものは薬としては使わないよ
0816人間七七四年2012/05/23(水) 08:44:41.61ID:+FQ2FbIg
犬はもともと人間様のお友達で縄文時代あたりはほんとに大事にされていたようだ、
しっかり埋葬されているの。弥生時代になってくると出土もバラバラで食用に転化したね
「元犬」って落語あるけど、お前の言うのはこれ?

宮中でも猫はうちで、犬は外でよく飼われていたよ。
聖武天皇が新羅よりチンを二頭送られている。これが狛犬の発祥らしいけれど
名前までは知らない。「続日本紀」室内犬はこれがはじめかな?
「国々に犬飼部を置く」という文章が日本書紀にみられることから奈良時代には犬のブリーターらしき官職もあったらしいね
0817人間七七四年2012/05/24(木) 00:11:53.45ID:IFoaR3Dl
江戸時代初期の江戸の庶民の冬のご馳走は犬鍋だった
冬になるとみんな捕まえちゃうから江戸の町から野良犬が消える代わりに
家々から犬を煮る悪臭がしたと蜀山人だかの作品に残ってる

綱吉の生類憐みの令はこの悪臭が原因っていう説を唱える人までw
0818人間七七四年2012/05/25(金) 19:09:07.92ID:5emJwIXJ
>>817
江戸から犬が〜云々てのは蜀山人じゃなくて
大道寺友山重祐の落穂集だね

「我等若き頃迄は、御當代の町方に於て、犬と申すものはまれにて、見當り不レ申候。
若したまさか見當り候へは、武家町方共に下々のたべものには犬にまさりたる物は無レ之とて、
冬向になり候へば、見掛け次第に打ち殺し、賞翫仕るに付まゝの義に有之事也」

(江戸の町方に犬はほとんどいなかった。というのも、武家方町方ともに、
下々の食物としては犬にまさるものはないとされ、冬向きになると、
見つけ次第撃ち殺して食べたからである。)


蜀山人の方は一話一言補遺の中で薩摩のえのころ飯の紹介してるね
0819人間七七四年2012/05/27(日) 14:59:50.55ID:b1u70iIU
なるほどですな…。犬はまた狩猟道具として使われてたイメージもあるし。猪や豚やらを追いかけるための道具で。

だけど戦国時代なら狼になるのかな?日本狼も犬扱い?
0820人間七七四年2012/05/27(日) 15:26:04.97ID:b1u70iIU
と言うか日本狼は食用にされ過ぎて絶滅したんだろうな。
0821人間七七四年2012/05/27(日) 20:04:05.57ID:fbKspWy0
家犬も相当いただろうから、食うには困らなかっただろう
むしろ骨が信仰の対象になってたってほうがなんかそれらしい
0822人間七七四年2012/05/29(火) 20:57:34.46ID:CqNJUSZW
古事類苑データベースで飲食部が公開されてるぞー (^o^)ノ
http://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/
0823人間七七四年2012/05/29(火) 22:42:26.80ID:sPZ2hmjX
>>822
こんなサイトあるのか。すごいなPDFまで付いてる。
0824人間七七四年2012/05/30(水) 00:29:07.85ID:CoSeF/pq
>>822
情報感謝
0825人間七七四年2012/06/07(木) 05:40:06.51ID:OO1uiFtl
戦国時代は寿司は安かったらしい
0826人間七七四年2012/06/11(月) 01:50:37.94ID:fvxs281x
ドラマでフナずしが出ていたが
0827人間七七四年2012/06/12(火) 18:55:41.46ID:6G+kzjuH
なんかこの当時なんかは麦飯や味噌汁なんかも贅沢品だったらしいと
聞いたんですが、本当ですか?
0828人間七七四年2012/06/12(火) 19:21:19.73ID:8TaqR9OO
そういう訳のわからん史観をどっから得てくるんだ。
極貧史観か?
0829人間七七四年2012/06/12(火) 19:28:17.66ID:Nhpkca/1
麦はともかく豆味噌は江戸時代に比べれば贅沢品だわな
0830人間七七四年2012/06/12(火) 19:31:00.94ID:04HsTHnM
味噌なんか大豆茹でて塩と麹混ぜるだけなんだしね
もちろん質のいいもの作るのには手間隙かかるが
0831人間七七四年2012/06/12(火) 19:45:03.30ID:u/5deGz4
>>827
甲斐の記録だと
1505年(冷害と干害で不作)には米一升(甲州升大体30合)70文大豆50文粟60文稗50文
1512年(大雪で交通遮断)には米80文小麦70文塩40文
1516年(駿河との戦)には米100文大麦28文大豆60文小豆70文
1519年(永正の大飢饉)には米100文大豆70文粟80文

安い(豊作)時期だと
1515年には米40文大豆20文小豆32文粟20文稗12文

麦飯は大麦(この時代でも粉にする→小麦、そのまま使う→大麦、と区別されてた)で
値段的には米の3割の値段、大豆は米の5-7割、粟5-7割、稗3-5割、小麦9割、塩5割
そして味噌は大豆と塩の加工品

…↑を踏まえて、麦飯、味噌がそれぞれ「贅沢品」かどうかは、ご自身で判断を……
0832人間七七四年2012/06/13(水) 04:06:01.88ID:jJgpy6KV
当時は舐め味噌から調味料の味噌への転換点だったのかもね
08332012/06/13(水) 22:31:21.68ID:TxMn4+bm
そばって奈良時代からあるみたいだけど、出汁がなんだったのか疑問。まさか味噌?

醤油は江戸以降として味付けや出汁は何だったんだ?カツオ出汁なんか既にあったの?
0834人間七七四年2012/06/13(水) 22:34:55.41ID:hhKXQnsW
麺にしてないから
そばがきだから
0835人間七七四年2012/06/14(木) 04:35:56.07ID:wayOQlm1
今の鰹節の製法ができたのは江戸時代中ごろだけど、
それ以前から乾燥させた鰹を珍重していて、煮汁にしたり、兵糧にしたりしていたようだ
0836人間七七四年2012/06/14(木) 10:56:20.19ID:kjKAQkZz
鰹煎汁のことか? 麺類に使われた記録はなかったと思うけど……

蕎麦に関して言えば、蕎麦切り(戦国時代成立)までは米の代用品(和名類聚抄は麦の扱い)だったので
米と同じ調理法(粥)の時代が長かったよ
そば粉が作られるようになってから(鎌倉以降)蕎麦がきや蕎麦焼き(麸の一種)に調理法が広がった

ところで、日本で一番古い麺と思われる索餅(さくべい)は、煮込みか茹でたのを醤(ひしお)や酢をつけて食べてた
たぶん昔の麺類(まぁ他には索麺くらいですが)はすべてこの食べ方だったと推察していいと思う

で、室町末(戦国時代)に「垂味噌」( 味噌一升に水三升入、もみたてふくろにてたれ申候也:料理物語)
「煮貫」(煮貫は 味噌五合、水一升五合、かつほ二ふし入せんじ、ふくろに入たれ候、汲返し汲返三返こしてよし:料理物語)
が発明され、江戸時代までは麺類といえば味噌(+鰹出汁)ベースだったよう
0837人間七七四年2012/06/14(木) 22:32:37.86ID:BQ1uAtf3
ふな寿司
0838人間七七四年2012/06/29(金) 14:21:59.69ID:b/+HKYH8
奈良時代から魚醤があったらしい
大豆醤油のような万能調味料ではなかったと思うけど
0839人間七七四年2012/06/29(金) 14:24:14.96ID:b/+HKYH8
貼るの忘れてた
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%86%A4
0840人間七七四年2012/06/29(金) 18:16:43.53ID:adgKlMms
>>838
それは現在の「液体魚醤」じゃなくて、塩辛の類だよ
(もともと醤は塩蔵した発酵物を示していた言葉)
というか中国で魚醤が廃れ味噌(穀醤)に変わったのも
調味料メインな使われ方とは違ったから、じゃないかなぁ

で、中国では固体のまま使われた穀醤だけど、日本ではちょうど戦国時代に液体化が進んだ
(金山寺味噌→溜まり醤油、味噌→たれみそ)
だから今残る東アジアの液体魚醤のルーツは日本の醤油かもしれないよ

ちなみに日本の現在で言う「魚醤」(しょっつるとか)の発祥は全部江戸期に入ってから
0841人間七七四年2012/07/13(金) 12:08:40.85ID:EYm0pjip
「安土饗応膳」近江八幡で試食会
http://www.asahi.com/food/news/TKY201206200366.html

…このメニューって、なにが元ネタなんだろ……
0842人間七七四年2012/07/13(金) 14:07:03.84ID:yeWNwHlE
ちょっと調べた所、「続群書類従」第663巻の天正10季安土御献立ってのが元ネタらしい。
国会図書館のデジタル資料で目録は見れたんだが、本編はそこに無かったので内容は分からん。
0843人間七七四年2012/07/14(土) 08:35:58.97ID:GlojIwer
『信長のシェフ』って漫画がけっこうおもしろいね
現代の料理人が戦国時代にタイムスリップするんだけど、
戦国時代になかった料理を当時の材料で工夫して作ってたりして面白い

あと読んでないけど『秀吉の接待』って本に当時の饗応メニューが載ってたりするそうで気になる
0844人間七七四年2012/07/14(土) 20:43:04.81ID:3LnB9J9W
>>891>>893
当時の食事の作法だよ。

当時は今と違って会食・宴席でもご飯をお代わりしていた。
そして招待した人間は、客にお変わりを勧める。
客の方は、最後の一杯という合図の意味で、汁かけ飯にする。

0845人間七七四年2012/07/17(火) 23:55:18.95ID:Bm1OEWTi
>>891>>893のロングパスに期待しておこう
0846人間七七四年2012/07/18(水) 00:42:29.82ID:sUB0ZF2l
宇喜多直家が丹精込めて作った手料理
0847人間七七四年2012/07/24(火) 09:37:55.84ID:xfYEMtry
直家の手料理・・・・・・・弟が兄と会うときは下着の上に鎖帷子着込んで
さらに丸薬を懐に入れてから出発したらしいが。
たしか直家って2,3年かけて交流して仲良くなった豪族を宴会に誘いこんで闇討ちにしたとか聞いたが・・・・
唐突に話変わるけどこの時代甲斐とか山のほうの人たちの主食って粟、蕎麦、キビとかになるのかな?
粟は粥や飯にして、蕎麦、キビは粉にして湯でこねて塩つけてたべるとか?
0848人間七七四年2012/07/24(火) 14:40:13.75ID:etmmQc4a
1515年豊作だった甲斐の食料価格は甲州升で一升米40文その時粟20文稗12文
市場価格からすると、ある程度ごはん主食だったと考えていいかと

ちなみに当時の粟キビ蕎麦は”粥”で食われてた(平安時代から変わらない)
戦国末江戸初頭に個人での石臼所有が広がってから”粉食”が広まったんじゃないかな
0849人間七七四年2012/07/24(火) 18:22:50.95ID:KJIvHxHB
そうか石臼が普及するのは江戸ぐらいからなんだっけ、じゃあ江戸時代の年貢率がきつい
領地の農民たちより戦国時代の農民の方がまだ米が食えたのかな?
0850人間七七四年2012/07/24(火) 22:45:20.04ID:iuGjTGDu
お酒はどんなの飲んでいたのかな
0851人間七七四年2012/07/25(水) 01:02:25.41ID:wUSKct/J
ザビエルが「酒は米より作り、その他に酒はなく」って手紙に書いてるので
米から作る酒、ってのが当時は一般的だったらしい

で、基本的に酒屋(蔵)で売ってる品は現在の清酒とほぼ変わらない製法で作られてた
ただ精米度合いが低かった(糠が残る)ので、味醂のような風合いだったかと
ただし当時でも超高級品だった僧坊酒(南都諸白)は現在と同じく透明度の高い清酒と考えられてる
で、庶民向け安酒として広くにごり酒(どぶろく)も作られてた

蒸留酒(泡盛とか焼酎とか)は、当時は「南蛮酒」のひとつ扱い(都でも1534に取引の記録が見られる)
焼酎(当時の呼び名は焼酒)は、ポルトガル商人が「日本では米から作る蒸留酒が飲まれている」と手紙残してるので
たぶん米焼酎のみ(ほかの焼酎は江戸時代に入ってから作られ始めた)
でも鹿児島の神社に大工が飲めなくて文句落書きしたり、けっこう庶民的飲料だったよう
というか、鹿児島では清酒作りは全く無く焼酎しか作ってなかったんだけどね……

もちろん南蛮酒にはワインや中国の薬用酒も含まれるけど、こっちは超高級品に分類されてたと思う
0852人間七七四年2012/08/04(土) 15:33:50.56ID:TjHfm57V
焼肉食いながら白飯うめえな・・・
0853人間七七四年2012/08/05(日) 07:48:07.31ID:yAXPKXQK
肉には麦飯にしとけ
0854人間七七四年2012/08/05(日) 09:29:01.16ID:d5SzAVwQ
麦飯のが高い現代。
稗とか粟も下手すりゃ米より高い。
現代の米を石高に換算するとどうなるんだろう
0855人間七七四年2012/08/05(日) 19:06:10.42ID:S4iwJPwG
麦飯って特有の臭いがあるので苦手。
刑務所の臭い飯ってのはこの麦飯臭からきているらしいな。
0856人間七七四年2012/08/05(日) 19:18:32.00ID:yAXPKXQK
>>855
多分麦を水につけすぎてる。麦飯たく時は麦はあまり水に浸すな。
そして保存は冷凍で。
臭くない麦飯食えるぞ
0857人間七七四年2012/08/05(日) 20:03:57.41ID:S4iwJPwG
レシピ見て炊いてるけど、臭い。
特に冷めた状態だとヤバイ。
チンで温め直すと更に激臭。
麦の含有量がやや多いのかも知れんが・・・
0858人間七七四年2012/08/05(日) 20:14:33.44ID:yAXPKXQK
>>857
それなら麦が悪いのかもしれん。押し麦使え
0859人間七七四年2012/08/05(日) 20:42:03.03ID:DsyvnHXu
>現代の米を石高に換算するとどうなるんだろう
よくわからないけど、戦国期の米一石を現在の価値に換算するといくらかという事ならここで解決すると思う

戦国時代と現在の年収を比較すると?
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1211559939/14
0860人間七七四年2012/08/06(月) 13:22:37.97ID:afPOo8cz
>>851
鹿児島名物、酒ずし用の酒は赤酒(醸造酒)だから
そうでもないんじゃない?
そもそも蒸留したらかさも減る品。
0861人間七七四年2012/08/06(月) 14:40:32.81ID:vFkDalqO
>>860
薩摩の灰持酒(地酒)は18世紀から作られはじめた(伝承)から
戦国時代には無かったと思うよ
0862人間七七四年2012/08/06(月) 22:17:19.81ID:/LwYUI78
>>857
麦飯が臭くなったこと一度も無いんだが。。
ちなみに、刑務所の臭い飯と麦飯には直接関係はない。
0863人間七七四年2012/08/06(月) 23:07:54.55ID:Q1Cwm+nO
直江兼次みたいに塩だけで飯は喰えないし
三成のように『味噌汁一杯』で一日走り回るのは無理だな
0864人間七七四年2012/08/07(火) 13:07:32.35ID:ZC8Sq+dw
>>861
へ-18世紀からなの、あんがと。

>>857
務所の臭い飯って、古米を使用してるからだと思う
昔は保存状態が悪いから、アンモニア臭いんだよ(実食経験)
0865人間七七四年2012/08/07(火) 23:42:43.32ID:cKZNeDc5
今は、団体のヒステリーがあるからかまともな飯らしい。
ホームレスになるくらいならムショに入った方がいいレベル
0866人間七七四年2012/08/08(水) 05:11:40.28ID:o0PrhNbp
>>865
カレーとか煮物とか、一度に大量に作った方が美味しい料理は
出所後に作ってみても再現できないらしい
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