【信盛・正勝】佐久間一族を語る2【盛政・盛重】
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0001人間七七四年
2011/01/30(日) 17:29:57ID:4dXHFJUm折檻状(偽書の可能性もあり)を突きつけられて追放・客死した「信盛」や、
柴田勝家の右腕・鬼玄蕃として名をなすも、
賤ヶ岳の合戦では敗れ処刑された「盛政」などを中心に、
江戸期には大名や旗本で生き残った佐久間氏一族の興亡を語りましょう。
※今までのまとめは>>2-5の辺り。
武家家伝_佐久間氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sakuma_k.html
佐久間氏 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E6%B0%8F
■過去スレ
織田家家臣団の筆頭格・佐久間信盛
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1157214776/
0259人間七七四年
2011/06/28(火) 22:21:48.37ID:hqN8jk9I交渉権のない名代。
表立って薩長同盟に関与することが出来ない土佐のダミー。
黒幕の後藤らに代わって、名前貸しただけ。
実力はないけど、やたら顔だけは広くて有名だったから。
0260人間七七四年
2011/06/28(火) 23:21:35.56ID:2AL5+9sIスレタイみればここがなんのスレか分かるだろアホかw
>>258
知名度が保証になるんだから最高の保証だろw
0261人間七七四年
2011/06/29(水) 09:53:13.40ID:BIokE5Na勝家や光秀や秀吉の腹心は名前が残ってるけど、
信盛のは名前聞かない。
0262人間七七四年
2011/06/29(水) 12:15:02.27ID:z6kt/JtuWikipediaにも似たような記述があるけど、本能寺の変で光秀が率いた軍勢は丹波衆ばかりだし
数も13000くらいだろ?
畿内の軍勢は関係ないというか、むしろ変後協力断られてばかりやん
0263人間七七四年
2011/06/29(水) 13:01:33.38ID:M/zmJRx3畠山昭高とか保田知宗とかの名前は知ってるかな
0264人間七七四年
2011/06/30(木) 00:48:15.26ID:JmEagF71今日はあまりにも暇だったので、歴史小説まがいなものを書いてみました(笑)
題材は信長公記巻13の宇治橋御見物の事の原文を参考にしました。
讃美歌流の信長像を書いてみましたが、賛否はあるかと思います
興味のある方は読んでいって下さい
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天正8年8月、織田信長は、親鸞以来、本願寺教団の本山として法灯をかかげてきた石山の地を11年という長き闘争の末、この地を手に入れることに成功した。
石山本願寺の明け渡しが終わると、8月12日に信長は京都を出て宇治橋からの景色を楽しんだあと、船で大阪に下り、天満の陣所へ入った。
『もう、あやつはいらぬだわ』信長はそうつぶやくと、近侍に楮紙を用意させた。
普段、信長は自筆で書状を認めることは滅多にない。
祐筆に書かせるのが常である。
そこで彼はまず『覚』と書き入れた。
彼の脳裏には先ほど見た石山本願寺の無残な焼け跡が蘇った。
『5年もかかって、こんな結末かや。』
信長の繊細な口辺が微かに歪む。。。
そして一気に筆を走らせた。
【一、父子五ケ年在城の内に、善悪の働きこれなきの段、世間の不審余儀なく、我々も思ひあたり、言葉にも述べがたき事】。。。
世に言う佐久間信盛折檻状である。
【一、此の心持の推量、大坂大敵と存じ、武篇にも構へず、調儀・調略の道にも立ち入らず、たゞ、居城の取出を丈夫にかまへ、幾年も送り侯へば、彼の相手、長袖の事に侯間・・・・・】
書いているうちに、昨年まで織田家のために粉骨砕身して、敵城をことごとく攻略した部将達の顔が脳裡に浮かぶ。
風のない陣所の中で、灯心の炎が妖しく揺らめくのを信長は凝視しながら、額が広くやや神経質な顔立ちをした惟任(明智)光秀を脳裏に描く。
『同じ5年ながら、あやつが器量と功績は織田家随一だで』。。。
【丹波国日向守働き天下の面目をほどこし侯】と書き入れた。
『いや、平定した国の広さならば、あやつの方がもっと上かや・・・』顔中皺だらけで矮小な体をした猿面の羽柴秀吉を思い描く。
【次に、羽柴藤吉郎、数ケ国比類なし】
次に浮かんだのは、自分と乳兄弟ながら、あまりその能力を認めてやらなかった男だった。
朋輩である前田利家や佐々成政などは若年の頃より母衣衆に取り立てられ、信長の軍事の中心として活躍し今や国持ち大名となっている。
ところが、彼はごく最近、この大坂の近くで素晴らしい武功をたてた。
池田恒興である。
『身上の小さきやつでも、一生懸命だわ』
【池田勝三郎小身といひしも、程なく花熊申し付け、是れ叉、天下の覚えを取る】
今度は逆に大身の部将の顔が浮かんだ。
荒々しい如何にも武者らしい髭をたくわえた、もう初老にさしかかった柴田勝家の顔。
『欲ではない。武家としての誉れだわ。あやつも誉れのために、キンカンや猿に遅れをとるまいと頑張っておるのだわ』
【柴田修理亮、右の働き聞及び、一国を存知しながら、天下の取沙汰迷惑に付きて、此の春、賀州に至りて、一国平均に申し付けし事。】
『それにひきかえ、信盛めには柴田以上の待遇を与えていたではないかや』
信長の相貌が憤怒にかわり、こめかみには癇筋が走る。
【信長家中にては、進退各別に侯か。
三川にも与力、尾張にも与力、近江にも与力、大和にも与力、河内に与力、和泉に与力、根来寺衆申し付け候へば、紀州に与力少分の者ども候へども、七ケ国の与力】
『7カ国もの与力に自分の家臣を合わせて戦えば、よもや負けることがあらずか!』
信長は書いているうちに更に苛立ちが増してきた。
信盛に対する日常の不首尾、心がけの至らなさ、思い浮かぶことを激情に任せて次々と書き連ねた。
信盛が、昔は数々の手柄を立てた織田の古参の宿老であることも、その時は忘れていた。
【信長代になり、三十年奉公を遂げたるの内に、佐久間右衛門、比類なき働きと申し鳴らし侯儀、一度もこれあるまじき事。】
0265人間七七四年
2011/06/30(木) 00:51:21.02ID:JmEagF71それは朝倉軍退却を見逃した配下である部将達を、信長が叱咤した時だった。
信長は甲高い声で、部将達を罵った。
『おぬしどもは、儂が数度の下知を何と聞いたでや。
敵の様子を見合わせ仕掛けざりしは臆したるか!』
すると信盛だけがこう抗弁した。
『さように仰せられまするが、我らほどの家来は、なかなかに持たれまじきと存じまする』
信長はこの時の信盛の言葉を、脳裡に焼き付けて忘れず、追放する時の罪状の一つとしたのである。
そして次の言葉で、19条に渡る折檻状を締め括った。
【天下を申しつくる信長に口答申す輩、前代に始り侯条、爰を以て、当末致すべき二ヶ条、請けなきにおいては、二度天下の赦免これあるまじきものなり。】
そして当末致すべき二ヶ条とは、一つ目が、どこかの敵を征服して帰参するか、討ち死にする。
二つ目は、親子共々、頭を丸めて高野山に蟄居し許しを請うこと、であった。
信長は思案する。
『佐久間めが、一つ目を選択するならば、今後も使うてやらあず。
しかし二つ目を選択したるみぎりには、ここまでの男と見切りをつけて追放するしかあるまいの。。。』
やがて楠木正虎・松井友閑・中野重吉の3名が呼ばれ、この折檻状が佐久間に届けられた。
これを被見した佐久間親子は大いに驚き、取るものも取り合えあえず高野山へ向かった。
それを聞いた信長は
『口ほどにもないやつ。。。』
二つ目を選択した信盛に対し信長は落胆した。
そしてその落胆は再び怒りに変わり、
『儂は信盛めにチャンスを与えたのだわ。
残る敵を討ち平らげ攻略するか、討ち死にするかという、武士てしての誉れを与えてやったのだわ。
それを簡単に捨て去り高野へ逃げざりしか。
もはや信盛には儂が家来の値打ちはなし!』
そう思った信長は、信盛を高野山への退去することも禁じ、さらに奥熊野へ向かわせたのである。
共をする者僅かに小姓3名を許されただけである。
その一年後の天正9年7月24日、佐久間信盛は十津川で死去。
その後は織田家内部の新体制への改革が強化されていく。
信長は新たな前進を始めるときには、まず自分の周囲、自軍を調律し、不協和な者は容赦なく切り捨てる。
常に緊張させ活性化させることで組織の劣化を防ぐためである。
組織を成長させ、より天下布武に近づくために、信長は感情的になることを自ら戒めているのである。
完
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0266人間七七四年
2011/06/30(木) 00:53:28.05ID:JmEagF71Tama
まみたん☆
♪choco7373♪
あきちゃん
NANA
Sachi
福丸
◆MICHIKAZU◆
さば坊
かなこ*゚
0267人間七七四年
2011/06/30(木) 00:58:32.70ID:JmEagF71短氣、癇癪もち等々いわれていますが…
信長公ほど我慢強い武将はいないかなと。
土曜日の夕方、楽しませて下さり、ありがとうございます
ゆみんこ2011年06月25日 18:15
お〜本格的ですね
私も信長・濃姫・光秀でひとつ書いたことがありますがライトノベル形式なのでここまで事細かじゃないです(^_^;)
尚子2011年06月25日 20:37
すごーい!もう、mixiの中だけじゃなくて、本だしちゃってください!
いっしん2011年06月25日 22:10
おぉ!凄い!信長の表情が浮かびます(`・ω・´)
書く人によって全然違うそれぞれの武将像を楽しめるので歴史小説は大好きです(*゚∀゚*)
讃美歌さん、またお時間ありましたら是非とも続きを!
アイラ(´A`)2011年06月26日 00:56
す…すごい…本当に歴史に詳しくなければここまで書けないと思います
私もいつか書いてみたい〜!
今はまだ色々歴史小説読んで研究中です
福丸2011年06月26日 08:08
昨夜コメントしたんですが・・
酔っぱらって書いていて
何だかあやしかったので削除しました
信長のお国ことばのつぶやきが、いいですね
讃美歌13番さんが信長に心酔しているのがよく伝わってきました
信長みたいな上司だったら、私は真っ先にクビになりそう
さくら2011年06月26日 10:33
ゆっくりじっくり読んだのでコメント遅くなりました
讃美歌さんいつも綺麗な文章書かれますよね
実は本出されてたりして…とか思ってます
ふぁみちゃん2011年06月26日 11:53
さらさらっと 書けちゃうなんて凄いですね
やっぱり 才能なんだなぁ…(*^^*)
0268人間七七四年
2011/06/30(木) 01:06:25.21ID:JmEagF71信長役に、竹内力が、キャスティングされたら、インパクトありそうですよね
讃美歌13番2011年06月27日 12:43
るびさん
コメントありがとうございます
私も全く同感です。
蘇峰はこの佐久間折檻状で、極めて冷酷と評していますが、私はそうは思いません。
書いたようにチャンスを彼に与えたのだと思っています
ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
讃美歌13番2011年06月27日 12:48
ゆみんこさん
コメントありがとうございます
信長のセリフはあくまで私の想像です(笑)
信長公記の原文を引用して信長の心理を讃美歌なりに表現してみました
ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
讃美歌13番2011年06月27日 12:52
尚子さん
コメントありがとうございます
もっと人生経験を積んで10年後には歴史作家を目指しますか(笑)
なんて…まだまだ出版出来るほどの技量はないです
ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
讃美歌13番2011年06月27日 13:00
いっしんさん
コメントありがとうございます
仰る通りですね
私が今回、佐久間折檻状を小説風にしたのは、信長の人事考課のあり方についてや、人材リソースや組織構築の戦略について、どう捉えていたかを表現してみました
また機会があれば書いてみます
ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
0269人間七七四年
2011/06/30(木) 01:09:18.44ID:8npnm+GQこれどう考えてもやってはいけないことでしょう
0270人間七七四年
2011/06/30(木) 01:10:37.96ID:JmEagF71アイラさん
コメントありがとうございます
一次資料は文章が分かりづらいので、訳文のあるものがオススメです。
そこから登場人物のキャラクターを設定して心理描写を行いセリフを想像すると良いと思います
アイラさんの小説、出来ましたら是非拝見したいです
ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
讃美歌13番2011年06月27日 13:15
福丸さん
コメントありがとうございます
確かに私は信長に心酔しております
さすがですね
お国言葉はかなりいい加減なので心配です(笑)
名古屋の方に校正をお願いしたいです
信長はホウレンソウが大事だと言っています。
きっちり、報告、連絡、相談をすれば大丈夫です。
ちなみに秀吉は宇喜多との同盟を信長に相談もなしに決めてしまい、信長の逆鱗にふれました
佐久間への折檻状にも、ホウレンソウがなかった事を大変怒っています
事後報告は禁物ですよ
ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
讃美歌13番2011年06月27日 13:20
さくらさん
コメントありがとうございます
お褒め頂き光栄です。
文章で伝える事ってなかなか難しいですね^_^;まだまだ未熟です本は出してませんが、作家には憧れますね
まー無理ですけど(笑)
ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
讃美歌13番2011年06月27日 13:23
ふぁみさん
コメントありがとうございます
さらさら書くだなんて、とんでもないですよ(笑)
4時間かかりました
まさに生みの苦しみですかね
ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
0271人間七七四年
2011/06/30(木) 01:12:15.07ID:JmEagF71サカさん
コメントありがとうございます
信長のキャスティングまでして頂きありがとうございます(笑)
任侠的な信長も斬新ですね
ご拝読ありがとうございました\(^o^)/
0272人間七七四年
2011/06/30(木) 03:31:09.86ID:odQU9kCF> 高野へ逃げざりしか
これ意味逆になってるよ
「逃げなかったのか」という意味になってしまってる
「逃げてしまったのか」という意味にしたいなら「逃げたるか」
0273人間七七四年
2011/06/30(木) 03:32:57.82ID:odQU9kCFだからな、書いてあることが全部本当にその通りかどうかわからんだろ?
だれがどういう意図で何の目的で書いたのかを含めて考えないと
史料批判っていうのも元々はそういうことだよ
0274人間七七四年
2011/06/30(木) 03:51:46.22ID:BL0zeHzg0275人間七七四年
2011/06/30(木) 04:26:36.34ID:ukKKPB0V信長に1万程度の軍勢で謀反しても勝算ないだろ…。
信忠が尾張・美濃の軍に、手が空いてる畿内の軍を加えて攻めて来たら勝ち目がない。
武田の脅威はないから、信忠軍はフリーハンドだし。
0276人間七七四年
2011/06/30(木) 23:44:47.64ID:h8hYZy/W0277人間七七四年
2011/07/01(金) 00:25:03.37ID:cX/5OSMr0278人間七七四年
2011/07/01(金) 00:32:37.97ID:LMnsRfGH0279人間七七四年
2011/07/01(金) 00:35:55.34ID:ky7G3nda直前までその素振りも見せず、ほとんど騙し討ちの状態で折檻状→追放。
0280人間七七四年
2011/07/01(金) 03:06:59.17ID:cX/5OSMr0281人間七七四年
2011/07/01(金) 20:40:13.07ID:OtEv40el家康の堺行きもある意味危なかったんだな・・。
明智も国替えとなると近江衆、丹波衆とは別れることになるし・・。
0282人間七七四年
2011/07/01(金) 23:21:34.58ID:X9kVQ2Rq本願寺戦が終わった時点で彼らを信盛の側に置いておく必然性なんかないと思うけど
つーか信長に告げ口したのって与力の連中じゃないの?
保田の書状がどうのこうのとか折檻状にあったし
0283人間七七四年
2011/07/02(土) 02:12:08.49ID:8mhvj4y/0284人間七七四年
2011/07/02(土) 02:45:12.26ID:i4w0EXKr兵馬の権ってやつかな
なんかNHKの歴史番組で、佐久間の軍団って当時織田家最大兵力で、
その軍団を解体して再編成したいがためにああなったとかなんとか聞いた気がする
0286人間七七四年
2011/07/02(土) 13:03:24.52ID:Y8eVGx/F0288人間七七四年
2011/07/04(月) 06:15:04.44ID:9GFxeSMv逆に与力に気を遣って温存したりしても、それはそれで信長に
叱責されると思うけどな
「わしがわざわざ与力をつけてやったのにまったく使わず
自分だけが手柄を独り占めしようとしている」とか言われるでしょ
0289人間七七四年
2011/07/04(月) 15:44:09.51ID:d7Wl5DYV柴田勝家の北陸方面軍もほかの部隊から毎日朝から酒を飲んでいるとかチクられてたらしい
0290人間七七四年
2011/07/04(月) 16:59:25.04ID:7YuIrJ+h0291人間七七四年
2011/07/05(火) 00:50:42.17ID:ZS8NainOブラック企業じゃない大名を教えて欲しいものだ
0292人間七七四年
2011/07/05(火) 07:52:46.31ID:W6HcuaZKやはり反りが合わなかったんかね
0293人間七七四年
2011/07/05(火) 14:57:01.00ID:wXtr3EJcやたら地域の山間部を占めて割拠するようになった越後や甲斐は
恣意的に主家の当主をすげ替えたりと国人社員自体がブラック過ぎる。
0294人間七七四年
2011/07/05(火) 16:45:24.93ID:+UY8ZY/l0296人間七七四年
2011/07/05(火) 23:55:30.70ID:R+YJU0Yu0297人間七七四年
2011/07/06(水) 00:02:47.62ID:WhNDXXSb0298人間七七四年
2011/07/06(水) 00:05:05.88ID:EU1fIGWp0299人間七七四年
2011/07/06(水) 00:09:24.31ID:PigYNCek0300人間七七四年
2011/07/06(水) 00:11:17.58ID:EU1fIGWp0301人間七七四年
2011/07/06(水) 00:12:42.81ID:SDNjrBC+0303人間七七四年
2011/07/06(水) 00:22:00.54ID:dwgdwI8Fあの人はオキテみたいなものを明文化してみんなが納得してから施行ってかんじ
信長公はまさに自分がオキテ どんな罪にどんなバツが与えられるか、
信長公に聞いてみないとわからない 有罪と思ったやつが無罪になったり、
無罪と思ってたのが全員死刑になったりする 平等とは言えないだろうな
0304人間七七四年
2011/07/06(水) 00:48:15.34ID:PigYNCek無罪と思っていたのが死刑って?
一族と家臣は分けて考えると平等ではないが公平でしょ
一族の裁きは厳しい
0306人間七七四年
2011/07/06(水) 00:55:00.62ID:PigYNCek荒木と松永と浅井が裏切ってから最終的に兵を繰り出すまでの対応を比べてみて
0307人間七七四年
2011/07/06(水) 03:26:15.09ID:ef0CLp+k佐久間
0308人間七七四年
2011/07/06(水) 04:00:08.28ID:Uwudbv7vいや、ある程度の地位のある人間は、下の者に手柄を譲って自分は
前にしゃしゃり出ない、というのが美徳だったからね
信盛ほどの重心が全部自分でやろうとしたらどこの家中でも確実に
非難されるよ
0309人間七七四年
2011/07/06(水) 08:38:44.17ID:WhNDXXSb0310人間七七四年
2011/07/07(木) 04:22:31.40ID:QxE21YWV0311人間七七四年
2011/07/07(木) 14:15:13.00ID:iWoauWQY秀吉もウザかっただろうね。
0312人間七七四年
2011/07/07(木) 17:29:46.20ID:ZxhthgdB0313人間七七四年
2011/07/07(木) 19:52:52.41ID:iWoauWQY主が代わったら、時勢を読みそれに合わせて
横暴さを改めら秀吉を支える柔軟性ある人間性があるかどうかだな。
0314人間七七四年
2011/07/09(土) 13:20:07.97ID:IX1gpAhf0315人間七七四年
2011/07/09(土) 16:09:15.95ID:oHgzQBmmほんとにタダのチンピラだったのかな
0316人間七七四年
2011/07/09(土) 17:21:27.24ID:/wW1oDve織田軍の中でも精強だった森軍団が長可の討ち死に後一気に弱兵化したのは、
色々理由があるにせよ長可の指導力を認めていいと思う。
相当武張った凶暴な人間だったのは確かだが、ひとかどの器量の持ち主でも
あったのだろう。
0317人間七七四年
2011/07/09(土) 18:20:53.53ID:IcGYJWvF0318人間七七四年
2011/07/09(土) 20:56:07.41ID:UF24jJknってのがこのスレの模範解答
応用効かすなら
「光秀の讒言による」って記録にあるから光秀はざまぁと思ったかも
って答えるのがベスト
0319人間七七四年
2011/07/09(土) 20:59:45.96ID:McSP37RGしかし信長から見ても非常識な行いだったので逸話として残る
森に限った話ではないがガチ勝負で敗戦を経験すると有能な家臣の補充育成が
追いつかない例が多い 盛政の突撃食らった大名もしかり
なので森家の場合弱体化を当主の力量とするのは可哀相 強さとは人(家臣)
一方北国の織田最強譜代軍団では
貞勝:北の庄では朝から酒ですぞ
勝家:犬は寺の税を横領してるら
利家:それは佐々殿も
成政:ギクッ
盛政:ポカーン
信長:オノレ・・・
↑このような話が残っていても誰一人処罰した形跡が無い
普通一度目の過ちは許されていたと考えると信盛は・・・ 全部光秀が悪い
0320人間七七四年
2011/07/09(土) 23:16:07.39ID:b+Dktnbo忠節・功労・寵愛が比類ない老臣の追放劇に前兆はあったんだろうか?
0321人間七七四年
2011/07/09(土) 23:23:52.80ID:L6eZqQnt> ただのチンピラで20代で20万石の大名にまでなれるわけがない。
こういう、結果からものを見る見方ってけっこう危うい
テレビでやってたからとか有名人が言ってるからとかで騙されてしまうタイプ
>>317
同時代の史料はみんな「なんで?どういうこと?意味不明」という反応
0323人間七七四年
2011/07/10(日) 10:12:43.30ID:4eaVYdrQ「では、前世の因縁以外で、おれの不幸の背景を説明してくれ」
0324人間七七四年
2011/07/10(日) 14:02:29.15ID:uUNa/rt1敵対してくれたなと追放してたかな。
0325人間七七四年
2011/07/10(日) 19:11:37.02ID:XFWmY/k7大封の高齢家臣を順番に全員リストラしてお気に入りの若手将校に
領地を与えたかったのか・・・・ 前者なら次のターゲットは柴田勝家だろうな・・・
0328人間七七四年
2011/07/11(月) 07:45:34.24ID:39R+/vyh気がしてちょっとイヤだな
0329人間七七四年
2011/07/11(月) 13:03:45.25ID:obti1iF0同じ事だろうがw
0330人間七七四年
2011/07/11(月) 13:37:51.05ID:TIR/VmjU0332人間七七四年
2011/07/12(火) 09:22:05.16ID:i/IYVuuN加賀を奪うのに成功したから
柴田は首の皮一枚ギリギリでつながっただけだからな。
謙信が死ぬまでは重鎮柴田を越前に配置せざる負えないが
謙信死後にモタモタしてたら柴田も更迭されていただろう。
どっちにしろ越後攻略に成功したら柴田用済みだろうね。
柴田も陸奥守とかにされそうだしw
0333人間七七四年
2011/07/12(火) 09:45:37.07ID:mtDUPuor実際、本能寺が起きていなければ、秀吉は長浜を取り上げられることになってたし
0335人間七七四年
2011/07/12(火) 14:42:04.04ID:mtDUPuor寛政重修諸家譜では天正九年九月八日に長浜城主になってる
堀家譜でもそのときに二万五千石(近江坂田のことかもしれんが)を貰ったと記してる
もちろん実際には秀吉は退去してないけどね
ただ、同年春の信長の利家宛朱印状に、能登はくれてやるから越前府中は来年以降は菅谷に譲れとある
長浜でも同じ朱印状が発給されたんじゃないかって言われてる
0336人間七七四年
2011/07/12(火) 15:31:08.10ID:1pLOhzIsやっぱり好みというのがあって、子供のころから崇拝させている信長親衛隊あがりの
利家や久太郎、森兄弟などをえこ贔屓してるように見えるな
0337人間七七四年
2011/07/12(火) 15:48:59.61ID:Pzfe9+k2前田に関しては長頼に家臣の邸宅も含めてすべて引き渡し
妻子・家臣ぜんぶ連れて能登へ移れと命じられていて
年貢に関しては本年分を受領し、来年分は長頼に引き渡すように言われている。
その一方で府中は利長が封ぜられたとも言われている。
その理由は信長の娘と利長が婚姻したことだといわれている。
そして本能寺の直前に利長夫妻は信長に呼ばれて本能寺を目指していたが
これは信長が新たに能登を与えたことから利家から利長を人質にするためのものだったとも言われている。
0339人間七七四年
2011/07/12(火) 20:00:42.31ID:Pqg3nIRC0340人間七七四年
2011/07/12(火) 23:25:14.67ID:52iMUotk特に信長の場合だと途中参加の外様の連中が反逆するケースが頻発したわけだし
松永、三好、富田、波多野、荒木・・・・数え上げればきりがない
0341人間七七四年
2011/07/12(火) 23:41:32.37ID:EFQzswRe0342人間七七四年
2011/07/13(水) 03:07:57.04ID:829Z1Al3外様ほど大封を与えたんだよ
ただし、地理的には僻地でね
で、役職には就けさせなかった
譜代や一門親族は要地に小藩を置いて、そのかわり重役を任せた
0343人間七七四年
2011/07/13(水) 10:54:01.38ID:LQiNiUgq独自の勢力を持たなければ追放はなかったのかな?
0344人間七七四年
2011/07/13(水) 11:28:59.47ID:R33cHvjd目付けに監視させた上で領地を預け置いただけだから
佐久間のように気分ひとつでいつでも没収できる。
0345人間七七四年
2011/07/13(水) 20:01:21.97ID:WzmZx+lkことが理解できてなかったっぽいような印象を受けるね
こういう人、今でもよくいると思う
0346人間七七四年
2011/07/13(水) 21:40:47.52ID:eiPma5CG0348人間七七四年
2011/07/13(水) 22:36:34.74ID:s+aznKggしかも信長が根に持つ性格なのがよくわかるわ
0349人間七七四年
2011/07/13(水) 22:51:36.28ID:jHuiAclVこの発言と追放は全然関係ないと思うよ
0351人間七七四年
2011/07/15(金) 04:03:52.48ID:wzwvKDVN「佐久間」と書かれていた
http://www.city.komaki.aichi.jp/contents/10000259.html
0352人間七七四年
2011/07/15(金) 11:26:23.50ID:kURujalb0353人間七七四年
2011/07/16(土) 01:03:30.18ID:80vCmB4Vでも実際というか、建前上は少し違ってたんじゃないかな。
そうでなければ、だれも信長についてゆかない。
0354人間七七四年
2011/07/16(土) 09:27:20.95ID:1mhhLTIdすぐ家臣たちが織田領を分配するのに熱中して他家と違って節操がまるでないって嘆息されたほど
上記のように多聞院日記に皮肉を書かれたほどの常識を逸した手の平返しをしてるじゃん。
0355人間七七四年
2011/07/16(土) 15:07:25.33ID:sZyIgtYuために武装した人々がいて、しかし個々は弱いので団結する必要が
あって、それを束ねる人たちが出てきて、兵役を負担する見返りに
開墾地を守ってもらうという、武力の保険制度のような「御恩と奉公」が
成立した、というのが発端。
だから中世の武士の倫理観としてはこの契約が破綻したら関係は
終わり。お互いに義務を負い合う双務的な契約だから。
それが「主君第一が家臣のつとめ」になったのは、江戸幕府が朱子学を
基準にしたため、そのように変質していったというのが事実。
こういう武士の倫理観は僧侶や公家には理解できなかっただろう。
0356人間七七四年
2011/07/16(土) 20:43:34.31ID:f/wwxMmH> そもそもの武士の発生過程というのは、自分たちの開墾地を自衛する
> ために武装した人々がいて、しかし個々は弱いので団結する必要が
> あって、それを束ねる人たちが出てきて、兵役を負担する見返りに
> 開墾地を守ってもらうという、武力の保険制度のような「御恩と奉公」が
> 成立した、というのが発端。
それ俗説。完全な間違い。
今は武士の発生は、中央の武人貴族が平安期に地方に下り、その地域の国衙軍を
統率、それが固定化し主従化、世襲化した物、というのがほぼ定説になっている。
開墾農民武装化説はほぼ否定されている。というか今の市民が武装化しても軍隊にはならないのと同じで
農民が武装してもそれは武士にはならんよ。
0357人間七七四年
2011/07/16(土) 21:33:25.06ID:uMtR0g2z完全な間違い と ほぼ否定されている じゃあ意味が違うぜ
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