wikipediaより引用。
島津忠昌(島津氏11代当主)
「忠昌は軍事よりも文学に優れ、1478年には桂庵玄樹を招聘して朱子学を講じ、薩南学派の基礎を築いた。」

島津忠治(島津氏12代当主)
「父の忠昌が自殺したため、その後を継いで当主となった。しかし忠治は戦乱の君主としては不適格な温厚かつ
学問好きの当主で、鹿児島に大興寺を建立したりするなど、戦国の世と合わないことを多く行なって島津氏内部
の内乱はさらに促進された。」

島津忠隆(島津氏13代当主)
「兄・忠治の死により家督を継ぐ。兄同様に戦乱を好まず、文学に傾倒し、古今伝授を受けている。このために
島津氏内部の内乱は続いた。」