>>799
織田が信濃三河に進出するというのであれば三国の国境を抑えるこの城は重要だろうけど
織田が守勢にたつのであれば岩村は三河信濃からの侵入を防ぐ最初の城って感じじゃ
地図見ればわかるけど恵那郡加茂郡土岐郡辺りまでは山間部なので
美濃を守るのであれば街道が集まっているこの地域のどこかの城で十分だと思う
また長篠の後真っ先にというが囲んだの信忠らだけであって
織田の主力は越前加賀へと進んでいる

影響が広いのは判るがだから何としか
天文一揆でも畿内では大名とも何とか渡り合えたが東海ではそんなことは無かったし

で具体的にソースは

>>805
>そんな事いっても実際に計画が煮詰まったのは11月だったし、
>第一徳川をある程度叩き、奥三河を確保して岩村に抜けるルートを得ないまま
その結果浅井朝倉は江北に封じ込められたじゃ割りに合わないと思う

美濃の方も最西端最北端と端っこ
内部で動かれているといっても一部門徒が動いているだけじゃ

この場合の皆兵動員の定義が各自でばらばらだと思う

元親記の記録がどこまであてになるというんだ
だったら織田にしても朝倉にしても軍記物の兵力採用しないと

>>811
寺社は基本的に所領が全国に散らばっている
また本寺と末寺の関係から
宗教的支配地域においては他の宗派の寺院の存続信仰を認める代わりに
その寺社から税を取り立てたりと
いろいろと収入の手段があるから

そのため大名との戦争になると末寺の連中が独立求めて武士側についたり
また同じ宗派同士でも収入源である末寺を取り合って争ったりと

>>813
当面は無視だとしても最後まで織田方の記録に残らないってのは変
足弱の移送考えると長島に篭っていたのは難民ばかりで戦闘員は少なかったのではって
ことになると思うが

>その連中が織田に対して本格的な反撃が行われた時に動いたらかなりな脅威だと思うよ。
動けばな、ただ個人的には織田が大きな失態でも起こさない限り動かないと思う

>「朝倉・浅井に取りあい、虎御膳山番手半に候て」
実情は史実考えると浅井朝倉はやる気ないし、武田は動いていないので実情を反映していない
しかし織田家中ではそんな風聞が流れていたのではと思う

上のと合わせるがここで織田が大きな失態例として挙げるなら戦術的な敗退でもしていれば
家中領国の動揺も大きくなって包囲網側にも何らかの逆転の目が出てくると思うが

野田福島の撤退の一番の理由は浅井朝倉だと思う
まあこの時互角以上に戦ったのは事実だろうけど
近江戦線だと一向宗は負けてばっかじゃ

内部がいろいろ侵食って実際には遠藤ぐらいじゃ
それにこの程度で侵食言うのでは朝倉はもっと難しいんじゃ
結局フル動員なんてどこも難しいじゃないの