応仁の乱が起きる少し前、当時の京都では借金を帳消しにする徳政令が頻発していた。
京にある宿屋の主人は近いうちに徳政令が出るらしいとの噂を聞きつけると、自分の宿に泊まっている
旅人たちをうまいことを言ってだまし、彼らの荷物を借り受けることに成功した。ほどなくして徳政令が出ると
宿屋の主人は旅人たちに「残念ながら徳政令が出たため、あなたがたから借りていた荷物は私のものになった」
と言った。当然、旅人たちは怒ったが、そのうちの一人がこう言い返した。「そうなると、我々が泊まっているこの宿も
主人であるあなたから一時的に借りているものですから、徳政令が出た以上、この宿も我々のものになりますな」
主人はこの返答におどろいて口論となり、結局は都の役人が調停することなったが、宿屋の主人のせこいやり方を
憎らしく思った役人は宿は旅人たちのものだと判断を下し、宿屋の主人の一家は追い出される羽目になった。