戦国ちょっと悪い話
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0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0472人間七七四年
2008/10/04(土) 09:34:32ID:uCx/U3Ly0473人間七七四年
2008/10/04(土) 10:33:23ID:uR13tOTO0475人間七七四年
2008/10/04(土) 11:30:15ID:ZZd0ko/A0478人間七七四年
2008/10/04(土) 18:09:51ID:KMMByJPCある寺で、小僧が夜更けに長い竿を持ち、庭の中をあちこちと振り回してまわっている。
それを見た坊主が、「何をやっているのだ?」と聞くと
「空の星が欲しくて、打ち落とそうとしているんだけれど、落ちない。」
坊主は呆れて
「おまえはどん臭いやつだなあ。そんな物が届くものか。
屋根に上がれ。」
0479人間七七四年
2008/10/04(土) 18:12:53ID:8OPezDZG坊主
竿
であらぬ想像をしてしまった件
0480人間七七四年
2008/10/04(土) 18:20:05ID:BoRD5/UV惜しいけど全然違うぞww
0481人間七七四年
2008/10/04(土) 19:08:18ID:Nt9ICge+政宗が生まれたばかりの10男・千勝丸を「この子愛すべし」とか言って抱いてた時のこと。
赤ん坊とて漏らしてしまった千勝を政宗さん、
「親にションベンたれたりウンコちびったりする様なヤツはロクなもんにならねー!捨てて来い!」
と投げ捨てた。
戦国武将で、親が子を嫌った話は時々あるが、直接に劉備並のネグレクトをかました記録が
残っているのはそうそういない。
(もっとも何日かしたら、また抱いてベロベロバーとかしてたらしいが)
さて、この千勝丸、元服後は宗勝と名乗り従五位下・兵部大輔を授かった。
伊達兵部。「伊達騒動」の立役者・原田甲斐宗輔の黒幕と言われる男である。
将来の獅子身中の虫を、独眼竜は見抜いていた・・・
訳ねーな。
0482人間七七四年
2008/10/04(土) 21:27:47ID:DG8BgajL0483人間七七四年
2008/10/04(土) 21:31:25ID:9vPxxqZY0484人間七七四年
2008/10/04(土) 21:46:35ID:SolQnSGV0485人間七七四年
2008/10/05(日) 00:57:19ID:EBq6e231最上義光の(かっこ)悪い話その二。
大崎合戦で敗北した政宗。義光はこの機を逃さず、伊達包囲網を強化。
容赦ない攻撃でついに政宗を追い詰める。最上伊達は対陣、緊迫していた。
しかしその時…最上最大の弱点が戦場におりたつ。
「げえっ、お義!」
義姫=義光の妹、政宗の母、それはシスコン義光にとって致命的だった。
「お兄ちゃん、もういい加減にして! 伊達とは戦わないで!」
連日の妹の懇願に困る義光。交渉が続く中、義光は妹を気遣ってか、
はたまた攻撃意志のないことを示したのか、我が子を義姫の遊び相手に
連れて行っていた。子は何もわからず「おばうえー」と無邪気になついている。
それを見た義光は…
ウワァァ-----。゚(゚´Д`゚)゚。-----ン!!!!
子供はイイナーと人目もはばからず号泣してしまった。
戦場の中心で号泣した大将、しかも妹のせいで、こんなみっともない
男はかつていただろうか…。
結局鮭様は妹に負けて和睦したが、そのあと妹に出した手紙には
「こんな恥ずかしいことはないよ! でもおまえのために仕方なく和睦したからね」
と書いてあったという。
シスコンは時に平和をもたらす。ただし恥とひきかえに。
0486人間七七四年
2008/10/05(日) 00:59:43ID:NmBvPDuB0487人間七七四年
2008/10/05(日) 01:32:22ID:o9310wOC大河ドラマ並みに冷徹な人柄だったら政宗が奥州の覇者じゃなかったかもしれない・・・
0488人間七七四年
2008/10/05(日) 01:36:02ID:sQu5gLpzしかし実際は鮭大好きなシスコンw
0489人間七七四年
2008/10/05(日) 01:45:21ID:y3zrgWsYダメじゃねぇかシスコン鮭様ww
0490人間七七四年
2008/10/05(日) 01:48:18ID:gWDG7OVL0491人間七七四年
2008/10/05(日) 01:58:38ID:ywNh9wlV0492人間七七四年
2008/10/05(日) 02:05:21ID:z+HkIDVIDQN政宗と鮭義光スレになってるなww
0493人間七七四年
2008/10/05(日) 02:05:47ID:TMcaadFL鮭様は何がしたかったのかな。
もし鮭様が現代に生きていたら、三の丸あたりを全部
養殖場にするのは間違いないと思うけど。
0494人間七七四年
2008/10/05(日) 02:09:34ID:gWDG7OVLそういえば山形城本丸復元は史料無いからできないんだっけ…?
史料でてこないかなぁ…。
0495人間七七四年
2008/10/05(日) 07:51:41ID:uF10+Bx4ノブヤボで最上幕府開いてみるかな
0496人間七七四年
2008/10/05(日) 09:51:56ID:EdCOSCkU0498人間七七四年
2008/10/05(日) 11:26:55ID:nW5B3IGB鮭様が増築されたときには関ヶ原の合戦の功績で加増されて60万石程度になっていたと思う。
んで、それにふさわしい立派な城を!・・・ということで山形城を造ったのだ
が、結果は・・・。・゚・(つд∩) ・゚・ 。
最上家無き後、山形城に封じられた大名もこの城の維持には苦労させられたようで
それだけでこのスレのネタが多数出来るが・・・いかんせん板違いだ罠w
0499人間七七四年
2008/10/05(日) 11:31:56ID:FudHZj4k0500人間七七四年
2008/10/05(日) 11:32:11ID:ycak+DLu0501人間七七四年
2008/10/05(日) 12:00:56ID:xyrTAwhoだったらてめえがネタ投下して流れ変えろ!
〈〈〈〈 ヽ ,,----、,,,,,,,,,、、
〈⊃ } / ,,-‐―、ヽヽヽヽ >>500
∩___∩ | | / // ヽ))))ヾ
| ノ 義光 ヽ ! ! i!Ξ/' .,,,,、、,,,,,ヽξ
/ ● ● | / , レ;:;::;:;)=-.ヽ,==- ヽ
| ( _●_) ミ/ ,,・_ , (/ ;:;:;ノ'、,(_,、)( "",,ノ
彡、 |∪| / ’,∴ ・ ¨ l ;::)‐=‐^ン:/
/ __ ヽノ / 、・∵ ’ ヽ. ;:丿..:::::...::::::/
(___) / (ヽ、__,.ゝ、 ::::::::::::::_ノ ,-、
0502人間七七四年
2008/10/05(日) 12:02:52ID:zG9oqrO20503人間七七四年
2008/10/05(日) 18:27:58ID:gWDG7OVL建物自体は復元できないって書いてあるぞ。
城壁はともかく。
間取りはわかるが、建物全体を描いた史料がないから、
立体的な復元はできない。
ただし当時の間取りがわかるようにして、広場にして催し物するって読んだけど…。
個人的に、史料が見つかって完全復元してほしいんだけどさ。
広いし、完成したら立派なもんだとかなり勝手に思ってる。
0504人間七七四年
2008/10/05(日) 19:49:47ID:pEnSDV1u長尾為景が、かねてより友好関係にあった北条氏綱に二羽の鷹を送った。
そのうちの一羽は、氏綱がかねてより望んでいた若鷹であった。
越後から信州、甲斐を通り、北条の根拠地相模に向かう途中、それは起こった。
甲斐の武田信虎が、その鷹を抑留したのだ。
「為景が北条に二羽の鷹を送るということは、そのうち一羽は武田に届けて欲しい。これはそう言う意味だ!」
鷹を輸送していた鷹匠達に、信虎はそう言い放った。無茶苦茶な言い分だが、ここは彼の領地。
言う事を聞かなければどうなるか。
困った彼らは、『このままでは二羽とも信虎に取られてしまうより、せめて主人の望んだ若鷹だけでも』と、
一羽だけ、成長した鷹のほうを置いてきた。
こうして帰ってきた鷹匠たちを、氏綱は「信虎は無法だが、これは仕方が無い。お前達はわが意を汲んで
よくやってくれた」とねぎらった。
ところが
ある日、信虎から突然、先に甲斐においてきた越後の鷹が、相模の北条の元に送りつけられてきた。
使者が言うには「先に頂いた鷹だが、よくよく考えると若鷹のほうが良いと思い直しました。
そう言うわけで、こちらと若い鷹を取り替えていただきたい。」
信虎は、氏綱が若い鷹のほうを望んでいた、と言う話を聞き、「ならば若い鷹のほうが良い物だったに違いない」と、
鷹の交換を望んできたのだ。
当時、関東管領家との抗争の真っ只中であった氏綱は、武田家との関係を悪化させる事はできず、断腸の思いで
鷹の交換に応じた、と言う。
氏綱は後の書状に、このように書いている。「武田は信用できない」
0505人間七七四年
2008/10/05(日) 20:45:29ID:o9310wOC信虎って理不尽だな。
こんなんだから自分の子供に国外追放されるんだよな。
0506人間七七四年
2008/10/06(月) 00:00:45ID:xyrTAwho甲斐は内ゲバの最悪状態だったんだからこれ位でなきゃ乗り切れんw
信玄より遥かに戦上手だろマジで
0507人間七七四年
2008/10/06(月) 00:36:21ID:+QYh8USz兵部一派は実は藩の近代化を促進させようとした側で、古い体質の守旧派に恨まれて悪人にされたという説もあるんだよね。
0509人間七七四年
2008/10/06(月) 08:38:35ID:OubulpD8「いざというときには味方として駆けつけます」と、言っていたので、前田利家は
「こいつは頼りになる奴だ」と、ひそかに期待していた。
しばらくして、利家と家康の仲が険悪になり、戦争が起きそうなほど緊張が高まると
利家の屋敷には利家と共に戦おうと意気込んだ大名が何人も集まってきたが、なぜか期待を
寄せていた伊達政宗だけは利家のところへは来なかった。後で調べてみたところ、政宗の
屋敷にあった鉄砲はすべて利家の屋敷の方角へ向けられていたことが判明したので、利家は
「政宗という奴はとんでもない二股膏薬である」と、激怒した。
0510人間七七四年
2008/10/06(月) 09:36:07ID:uKBhvrK70511人間七七四年
2008/10/06(月) 09:41:36ID:Xz6OuDbh駄目だ、コイツ。
家康に付くお!
ってとこだろ、政宗だし。
0512人間七七四年
2008/10/06(月) 09:51:08ID:uKBhvrK70513人間七七四年
2008/10/06(月) 10:14:10ID:KpkwyIBP0514人間七七四年
2008/10/06(月) 10:22:55ID:e9wZQjUi0515人間七七四年
2008/10/06(月) 10:48:59ID:gVwGGfCj0516人間七七四年
2008/10/06(月) 11:55:59ID:dCzhvapT0517人間七七四年
2008/10/06(月) 15:17:09ID:M5k/Imwk0518人間七七四年
2008/10/06(月) 16:05:46ID:iNHqJUW2待て、家康もタメを張るぐらいのケチだろ
蒲生氏郷から家康はケチ過ぎるから天下は取れないって言われたほどだし
そもそも福島、伊達、蜂須賀らが徳川と婚姻を結んだのを利家が怒ったのが事の発端なんじゃないか?
0520人間七七四年
2008/10/06(月) 17:10:56ID:z916DbFr氏郷が利家を高く評価してたのは、元織田家臣団の長老格だったのと
利長のいた手前という感じだしね。
どうも利家という人物は肝心なとこで腰砕けになるような。
0521人間七七四年
2008/10/06(月) 17:47:29ID:rEDdBVoXまぁ賤ヶ岳での裏切りで100万石を手に入れたようなもんだ>利家
確かに旧織田家の人間としては最大の勢力を築いたが
本来なら織田家の重臣とは呼べない身分だしね
個人的には本人の才覚以上の知行地を得ていたように思う
0522人間七七四年
2008/10/06(月) 18:08:22ID:MPbH3Mnj家康はへそくりwを諸大名に金を貸したりして恩を売ってるぜ。
あと家康がけちなのを知ってる部下が書状に安い紙を使おうとして、家康は激怒してる。
こういうときには高い紙を使わないでどーするとかなんとか。
ケチといえば政宗もその口だけど、
演習では実弾や火薬を一切ケチらずに兵の錬度を維持しようとしていた。
ふたりともケチだけど、守銭奴・利家とは違うぜ。
0523人間七七四年
2008/10/06(月) 18:50:39ID:1Uh0wkd0なんかかわいそうじゃないか
よく知らんけど
0524人間七七四年
2008/10/06(月) 18:57:18ID:EgsTPbNv0525人間七七四年
2008/10/06(月) 19:02:28ID:1Uh0wkd00526人間七七四年
2008/10/06(月) 19:48:24ID:uKBhvrK7天正二年、関東制覇を目指す北条氏政は、いよいよ関東中央部最大の拠点、下総関宿城の攻略にかかった。
この情報を得た越後の上杉謙信はすぐさま出陣を決意、常陸の佐竹義重や、下野の宇都宮広綱にも出兵の
命を下した。
越山をした上杉軍は怒涛の進撃をした。新田金山の猿窪城を陥れると利根川を超え、鉢形、成田、足利、
館林一体を荒らしまわり、赤石(群馬県伊勢崎市)に布陣した。が、
佐竹、宇都宮の軍が、いつまでたっても参集しないのである。謙信の元からは、何度も何度も催促の
使者が送られたが、宇都宮方は「出陣の際は佐竹殿と共同で出ると約束していますので、佐竹殿が出陣しなければ
我らも出兵できませぬ。」との返事。
そして肝心の佐竹は、散々言を左右した挙句、
「我々は、謙信様からの血判の誓詞がなければ出陣できない。」と言い出した。
謙信は既に関東管領であり、それは佐竹も認めている。その関東管領の命令権を、佐竹は事もあろうに
疑っているのだ。関東管領の権威に係わるだけに、これには簡単に同意できない。しかし、そうこう
しているうちに、関宿城からは、「このままでは落城も間もなくです!」と、救援を求める必死の書状が相次いだ。
佐竹、宇都宮の協力無しでは、関宿救出は無理があった。しかたなく謙信は、血判誓詞の提出に応じた。
苦悩の選択であった。が、ここで事態は急変する
なんと関宿城が、北条との交渉に応じ、無血開城に同意したとの情報が入ってきた。
義重の狙いはこれであった。謙信を出兵の問題で足止めし、時間稼ぎをしている間に、密かに関宿城と接触し、
北条の求めに応じて開城するよう、説得していたのである。
確かに北条の拡大は脅威である。だが関宿は佐竹にも宇都宮にも領土的な利害関係はなく、両家とも、
そのような関係の無い土地のために、しかも、おそらく激戦となるであろう戦に、家中の者を動員することを
嫌っていたのだ。
義重の事情とこの策略を、謙信は全く見抜けなかった。
上杉勢は憂さ晴らしのように下総一帯を荒らしまわった挙句、成す所無く上野の厩橋に撤退した。
その日閏十一月十九日は、北条との約定により、関宿が開城された日であった。
0527人間七七四年
2008/10/06(月) 19:50:25ID:1Uh0wkd0義重さすがだな
でOK?
0528人間七七四年
2008/10/06(月) 20:23:54ID:MPbH3Mnj義重らが謙信をいぶかしがっても仕方ない時期ではあるけどな。
義重ら関東諸将にしてみれば、北条と単独講和した謙信は裏切り者と思っていてもふしぎではないし。
0529人間七七四年
2008/10/06(月) 20:51:46ID:DXvvn2pK0530人間七七四年
2008/10/06(月) 21:18:56ID:GshOuQvX越相同盟したみたいだけどなー。
怒るなんて酷い話だと泣き付いてるし。
しかし当の本人が関宿を重要視してなかったんじゃ仕方ないな。
0531人間七七四年
2008/10/06(月) 21:29:41ID:megndWF7それだけじゃ世の中渡っていけないよっていう事だな
0534人間七七四年
2008/10/07(火) 01:00:53ID:tJxF2xBV利家も利殖で溜めた金を諸大名に貸し付けて
恩を売って豊臣政権内で前田シンパの大名を作ってるし、
臨終の際に借金の証書を焼いて帳消しにしたという話も伝わってる
家康も利家もただの吝嗇じゃなくて理由のある倹約だろう
それをケチだとか何だとか程度が低すぎるわ
0535人間七七四年
2008/10/07(火) 01:06:31ID:caQyWuTM> 臨終の際に借金の証書を焼いて帳消しにしたという話も伝わってる
ん?それは借金帳消しじゃなくて、遺産騒動が起こらないように財務の勘定を決済したって話でしょ?
この時代ケチと呼ばれた人物はたくさんいるが、利家はちょっと異質。正直守銭奴の気があったと
考えたほうがいいと思う。
0537人間七七四年
2008/10/07(火) 01:59:10ID:D3Rb5gFX0538人間七七四年
2008/10/07(火) 08:38:27ID:lm0aGVA/利家だっけ?
意外だった。
それなりに好きだけど
0539人間七七四年
2008/10/07(火) 10:31:28ID:caQyWuTM小丸城跡から出土した、天正八年の越前の一揆のときの、文字の刻まれた瓦の事かな?
「この書き物は、後世の人たちに知って欲しい物語です。
5月24日に騒ぎが起こりました。すると前田利家は、千人ばかり生け捕りにし、
ご成敗と称し、彼らを磔し、釜で煎り、また火あぶりにしたのです。
この事、書き留めておきます。」
原文
「此書物、後世二御らんしられ、御物かたり可有候、
然者五月廿四日いきおこり、其まゝ前田又左衛門尉殿、いき千人はかりいけとりさせられ候也、
御せいはいハ、はつつけかまニいられあふられ候哉、
如此候、一ふて書とゝめ候」
0540人間七七四年
2008/10/07(火) 17:40:01ID:vcMF7073あながち間違いではないんだな。
0541人間七七四年
2008/10/07(火) 18:06:53ID:mJXcKsbM秀吉とか家康とかはわかるけど、利家は・・・
0542人間七七四年
2008/10/07(火) 22:12:02ID:RPx/OfrO0543人間七七四年
2008/10/07(火) 22:46:17ID:6uupmHu/0544人間七七四年
2008/10/07(火) 22:55:04ID:tKDx+J44http://www.asahi-net.or.jp/~gp3m-andu/icon/kei-ie.GIF
↓
影武者:ケンシロウ顔
ttp://image.blog.livedoor.jp/sugarpamp/imgs/2/3/234bd7cd.jpg
↓
SAKON:荒くれ風
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5385/ieyasu01.gif
0545人間七七四年
2008/10/08(水) 00:50:53ID:RtTEdkXI0546人間七七四年
2008/10/08(水) 07:57:19ID:557Au/5d後に甲陽軍艦を書いたことで知られる小幡景憲がある日、家康にこう申し出た。
「私はかつて武田信玄が愛用した軍扇について詳しく知っています。
よろしかったら、まったく同じものを作って献上しましょうか」
家康の許しを得た小幡景憲は何日か経ってから派手な飾りをつけた軍扇を持ってきて
家康に見せた。だが、家康はその軍扇を手に取ると「こんな重いものが
戦場の役に立つわけがない」と言って投げ捨ててしまったため、景憲はおおいに
恥をかいてしまった。
0547人間七七四年
2008/10/08(水) 09:42:13ID:MV/5oBuK0548人間七七四年
2008/10/08(水) 10:40:17ID:557Au/5d家康は半年の時間をかけて一向一揆を鎮圧し、責任者の罪を問わない、そして、一揆の
根拠地となった寺は元のままにすることを条件に和睦を結ぶことになった。
だが、和睦の後、家康は一揆の拠点となった寺を次々と壊し始めた。一揆側が驚いて
抗議しにいくと家康は「あそこは寺が建つ前は荒地だった。だから、元のままの状態に戻しただけだ」
と答えた。
0549人間七七四年
2008/10/08(水) 11:32:45ID:/o7fKIwi惣社(群馬県前橋市)の長尾顕方が、かねてから仕えてきた関東管領上杉憲寛を裏切り北条側についた。
それに対して関東管領重臣の長野方業は、惣社長尾を攻め滅ぼそうと行動を開始。
進退窮まった惣社長尾顕方は、一族である越後長尾為景への救援要請を出した。
「万一あなたに助けていただけなければ、天地に見放されたも同然です。あなたは三国一の名湯である草津で、
会下僧を前に長尾一族の結束を話したくれたではありませんか。
どうかこの願いを聞き届けて。調停の為とか適当に名分を作って、足軽を200人ばかり当地警護のため
お預けください。そうすれば自他の国において評判も上がり、長尾一族の誼の強化にもつながります。
特に我々惣社長尾は、代々特別に懇意にしているではありませんか。
敵は、もう当城を攻撃するための、要害を構える工事が進められいるようです。厩橋宮内大輔が
日夜準備をしています。この前、厩橋で出されていた制札を、証拠としてお届けしましが、とんでもない事です。
とにかく足軽200人ほど派遣していただければ、当方は持ちこたえられるかと思います。
まず100人だけでも構いません。この願いが聞き届けられたら、明日滅亡しても構いません。
こんな風に書きくどいてお願いしていますが、聞き届けられなければ、滅亡するか、命が惜しければ
上方に亡命するしかありません。よくよくお考えになって、もし不憫と思われましたら、とにかくお助けください。
その上は、今生も後生も感謝いたします。」
結局援軍は無く、長尾顕方は降伏。以後、消息不明。
0551人間七七四年
2008/10/08(水) 17:01:41ID:gtzIri+A総社長尾って結局謙信時代に越後に逃げてきてなかったっけ?
0552人間七七四年
2008/10/09(木) 00:07:47ID:IqVt5uUe0553人間七七四年
2008/10/09(木) 01:29:31ID:Tfg1eT2Eまあしかしこんなネガティブ丸出しの奴はかえって助けたくなくなるのも分かる。
だって助けたって得することまるでなさそうじゃん。見るからに落ち目そのもの。
もっと余裕を吹かせて助けるとこーんなにお得なことがありますよ感を出さなきゃな。
0554人間七七四年
2008/10/09(木) 19:50:10ID:Mgqr2Oqoすぎだろw熱意が伝わるどころか錯乱振りしか伝わってこねえ。
「とにかくヤらせて!」って迫る童貞の如し。
0555人間七七四年
2008/10/09(木) 20:05:42ID:SGMWWVzkおっと
日本の民主党及び山岡賢次国体委員長への悪口はそこまでだ
http://www.dpj.or.jp/member/?detail_233=1
0556人間七七四年
2008/10/09(木) 21:56:55ID:7l5IqVQcそんな中、奈良の町に大規模な土一揆が迫っているという情報が入ってきた。
このままでは奈良は略奪の憂き目に会う。町衆は急遽、大和の領主と言うべき興福寺に相談をしに行った。
彼らに対し興福寺は…
「実費と仲介手数料払えば、鎮圧してくれそうな国人紹介するよ?」
こうして大和の国人古市氏が出動し、一揆は無事鎮圧された。
奈良の町から古市氏に700貫文、興福寺に300貫文。
意外な戦国のサイドビジネスであった。
0557人間七七四年
2008/10/09(木) 23:29:25ID:x0puV8J3____
/⌒ ⌒\
/( ●) (●)\
/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ 庄内で塩つくったら、きっといいお!
| |r┬-| |
\ `ー'´ /
庄内を獲得した最上義光は、せっかく海をとったんだし
塩を作ったら豊かになるお! と考えた。
そこで製塩を奨励したんだけども、住民はバンバン森を伐採し、
それに植林を追いつかせなかったから…しかも海辺だし、
土地は荒れてしまった。後世の人は防砂林を作るはめに。
まあ、山形城下では植木市をはじめたり、緑化をすすめた鮭様だけに、
フォローする前に死去、改易ってかんじかもしれないけど。
鮭様唯一の内政面での汚点、とされている。
0558人間七七四年
2008/10/09(木) 23:35:41ID:yIG62fU4塩!塩!とはしゃぐ鮭様を想像して楽しんでみるww
0559人間七七四年
2008/10/09(木) 23:36:02ID:AWA3wvWZ仕方ない
0561人間七七四年
2008/10/09(木) 23:39:56ID:tNbvCnIA0562人間七七四年
2008/10/09(木) 23:59:46ID:YvQ5yYxC0563人間七七四年
2008/10/10(金) 00:21:08ID:7waEKLSt0564人間七七四年
2008/10/10(金) 21:55:11ID:20fjJ2L7吉川元春は九州攻めの際、豊前小倉の陣中で死亡した。
黒田官兵衛に招かれた席で食べた生鮭により、患っていた内臓疾患が悪化したためと言われる。
当時、鮭の産地である東北はまだ秀吉の支配下になく、この鮭も実は相当腐敗していたか
辛すぎるほどに塩が効いていたものと想像されるが、最高級品によるもてなしを受けた元春は
礼をわきまえ、持病に悪いと知りつつあえて食べた。
妻選びの話と並ぶ、元春がただの猛将ではない事を語る逸話である。
なお、すでに隠居していた元春が九州攻めに参加したのは、官兵衛・毛利輝元らが強引に
説得したためと言われ、さらに知恵者・官兵衛が鮭のことを知らぬはずもなく、
一種の「暗殺」であったとする説もある。
…という事になってるが、実際は居城・日野山城跡から「氷砂糖」なんてデカデカと墨書した
容器が見つかってる元春が、食い意地張ってただけであろう。
0565人間七七四年
2008/10/10(金) 21:57:38ID:Gr+/n/0H> 「氷砂糖」なんてデカデカと墨書した
> 容器が見つかってる元春が、食い意地張ってただ
それは食い意地と関係あるのか?w
0566人間七七四年
2008/10/10(金) 23:58:06ID:D8MqXMNAかわいいなw
0567人間七七四年
2008/10/11(土) 00:06:58ID:Da9OmNw/鮭は山陰でも獲れるし石川県あたりもけっこういる
北陸産でも中国地方に届く頃には腐敗はけっこうなもんだろうが・・・
0568人間七七四年
2008/10/11(土) 00:25:49ID:RIQALw0rでも
元春「鮭の刺身が食べたいのじゃ!」
って我侭言ったのかも
0569人間七七四年
2008/10/11(土) 00:30:15ID:s02G3dvb甘酒ならぬ甘鮭を所望したんじゃ・・・
0570人間七七四年
2008/10/11(土) 01:10:21ID:Ao1c8akP■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています