戦国ちょっと悪い話
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0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0951人間七七四年
2008/10/22(水) 21:41:00ID:kZMA/kF7マジレスするとホモだのレズだのは近世生まれた差別意識だし
でも俺は女がいい
でも二次元でいい
0952人間七七四年
2008/10/22(水) 21:42:00ID:jbFe/yUU本多作左の逸話思い出した。
家康が安倍川の河原で、人を煮て処刑するための釜を
拾って持ち帰ろうとした。そこに作左が通りかかり、
「なんと情けない事だ!殿は人を煮て殺すような政治
を行うのか。」
と一喝し、釜を割り砕いたと言う。これには家康も返す
言葉が無かった。
…いい話だねこれじゃ。スレ違い申し訳ない。
0955人間七七四年
2008/10/22(水) 22:39:23ID:yDSifjElしかし作左はどうしても長門裕之に脳内変換してしまうなww
0956人間七七四年
2008/10/22(水) 22:41:13ID:2+5A9/D8木下長嘯子こと、木下勝俊。
彼は武将よりも、文化人としての生活のほうが性に合っていたのだろう。
伏見から退去してきた勝俊に、その妻、うめが、このような歌を送ってきた。
「命やはうき名にかへて何やらん まみへぬためにおくるきりかみ」
世間の評判を捨てて命を永らえるとは何事ですか。あなたに会いたくないので髪を切りました。
そう、勝俊が城を落ちた事を知ったうめは、憤りのあまり彼を見限り、さっさと髪を切って尼になり、
実家に帰ってしまったのだ。
彼女には武士たる者が、篭城に参加もせずにのこのこと逃げてくるような惰弱な行為は
全く理解できなかった。
戦国は女性も、好戦的でパワフルなのだ。
0958人間七七四年
2008/10/23(木) 00:19:06ID:aXPLBrwC自分の死んだ後が不安になった直家は家臣たちを呼んで
「わしが死んだら、お前は殉死してくれるか?」
と尋ねた。
家臣たちはそろって「御恩がありますから、殿に続きます。」と答えるので
直家は機嫌がよくなった。
そして戸川秀安にも同じ質問をすると
「私に殉死は無理です。
家臣は合戦で人を殺したので殿を地獄に連れていくことでしょう。
僧侶ならそんなこともないし、殿から私たちの十倍は尊敬されて
いますから適任でしょうな。」
と皮肉った。
この言葉が堪えたのか直家は「わしがどうかしていた。」と反省したのだった。
0960人間七七四年
2008/10/23(木) 01:28:46ID:/LpgPX/C0961人間七七四年
2008/10/23(木) 01:39:15ID:o6HwBOEt(一方で長可兄ちゃんが森家が秀吉につくことによって危機に陥った織田信孝の人質の忠政を
もう他に兄弟生きてないしと自ら少人数で岐阜城に潜入救出した話もある。数十m下の崖下に放り出したんだが)
この男、結構運がよく本能寺直前に信長のもとに出仕するも
先輩の梁田君に頭なでられたのにぶちぎれ扇でぼこぼこに。
それを見た信長が「お前はまだ出仕できるようではなさそうだ」と親元に送り返したおかげで兄貴2名と違って生き延びたんだが
これは別に悪い話じゃないのでちょと悪い話を。
川中島を領することになった忠政。この地はかつて本能寺の変後に
領民が長可を武力で追い払った土地だったので「兄の仇ども」と入国するなり
鳥打山より寺尾のはずれまでの川中島の百姓ら300余りの人々を磔にしました
と、いうのは建前で忠政的にはぶっ殺したかったのだがそんなことしたら人がいなくなって亡国必至
そこで考えた家臣たちは「殿が来たときだけ磔台にかけておいていっ茶ったら解放したらいいんじゃね」となり
領民にそれを通達。領民たちは金がある者は日雇いで磔係を雇い
無いモノは自分が掛った。結果磔の列は二十町ほどずらーっとならび。
ところが「殿が来るぞー」と声が聞こえたら突然家臣たちは本当にぶすぶすとつき殺し始めた
その場は「話が違う」「我らは雇われただけ」と阿鼻叫喚の地獄絵図と化したとさ。
忠政は成敗大好きで斬りまくっていたので忠政関係者は年末にキラズ粥(斬らず)を食って
今年一年生き抜けたこと、来年一年も生き残れることを願ったそうです
忠政は江戸城内で地震来た時に逃げ惑う諸侯の中泰然として動かず隣にいた逃げようとする
堀尾さんを押さえつけ、それを見た逃げてる途中の政宗さんは考え直して逃げるの辞めたという
剛毅な逸話もありますが暗黒面もあったんですな
最期は桃食ったあとに「超気持ち悪い」と言いだし2日後に死にました(毒殺ともいわれる)
以来津山では命日7月7日は七夕を祝わず(6日にやって7日未明に全部かたずける)
桃畑は一斉撤去されたので名物消滅
死んだあとも迷惑かけましたとさおしまい
0962人間七七四年
2008/10/23(木) 09:46:39ID:8LkD7QMq0963人間七七四年
2008/10/23(木) 12:34:18ID:/LpgPX/C森忠政といえば、大阪の陣のとき、幕府から軍資金として下げ渡された金300枚を
これ幸いと丸々町人への借金の返済に充てたらしいな。
0964人間七七四年
2008/10/23(木) 12:55:24ID:mqXpMvbr石田三成の根回しなどもあって従姉妹の島津亀寿と結婚し島津家の世子に納まったが、
この亀寿は若死にした家久の兄嫁だったということなどもあり、非常に不仲であった。
しかし、亀寿の父の島津義久が先代の当主で家中に発言力も絶大であり、なかなか離婚できなかった。
慶長16年に義久が亡くなると、せいせいしたとばかりに亀寿を鹿児島城から追い出して
若い側室を次々に囲った。この年の事実上の離婚から63歳で死ぬまで24年間の間に
今までの鬱憤をはらすかのように32人も子供を作りまくった。
更に亀寿を経済的に圧迫し、一時は通常の生活を出来ないところまでおいこんだらしい。
しかし、そこまでしても亀寿に対してはずっと怨念が晴れなかったようで
寛永7年に亀寿が亡くなると、それを報告した侍女に対して亀寿への挽歌として以下の一首を送った。
「あたし世の 雲かくれ行 神無月 しくるる袖のいつはりもかな」
(亀寿は11月にこの世を去ってしまった。妻の死に袖も絞れるほどに泣いてる
…というのは 嘘 ぴ ょ ー ん)
0965人間七七四年
2008/10/23(木) 13:11:29ID:9Z/ClKnl0966人間七七四年
2008/10/23(木) 13:23:05ID:RihtZESj地震の話だが
忠政らが座っているのを見た伊達政宗は逃げるのをやめただけでなく逃げた諸候に対して
「御前近くなのに大騒ぎだな。もはや揺れもおさまったので皆お席にお戻りくだされ。」と鎮めて政宗も席に戻ったという
ただでは転ばぬ政宗なのであった
0968人間七七四年
2008/10/23(木) 13:37:56ID:lnvas/Nv何というか、まさに「DQNな方の家久」だな。
大量生産した子供を政略結婚でフルに利用したのは上手いと思うけど。
>>966
相変わらずだなこいつもwまあ、政宗だから仕方がないw
0969人間七七四年
2008/10/23(木) 14:46:11ID:/LpgPX/C家康の前で、本多親子たちが、その戦についての論評をしていた。
正純は言う
「木村重成の討ち死には早かった。翌日の天王寺、岡山の決戦の時まで生き残っていれば、
豊臣秀頼公を連れて落ち延びることも出来ただろうに。」
これを聞いた家康は、なんとも答えずに嫌な顔をした。
すると、織田信長から「海道一の勇士」とも評された、本多正信の弟、正重がこういった
「死にたくて死ぬ馬鹿はいない。」
0972人間七七四年
2008/10/23(木) 16:14:31ID:kbbO5y9j0973人間七七四年
2008/10/23(木) 16:31:00ID:CxI39V8w子どもの時にいたずらして一回ぶたれたことあるけど結構痛いよあれ
切ないというか儚いというか
大阪の陣はこういう話が多いね。。。
みんな最期の花火を上げる為に戦ったからかな。
0976人間七七四年
2008/10/23(木) 17:50:37ID:9Rsq2fu7へぇ〜!だから津山は七夕がずれるのか〜!
初めて知ったよ!
0979人間七七四年
2008/10/23(木) 18:35:33ID:RMu+RqxA忠政「この俺の言うことが夢幻だってのか?ふざけた野郎だ、やっぱ返さねえ」
というやりとりが頭をよぎった。
0980人間七七四年
2008/10/23(木) 18:49:34ID:0H+3I89a町人「本当に返していただけるなんて夢のようです」
忠政「この俺の言うことが夢幻だってのか?ふざけた野郎だ、こいつら磔よろしく」
家臣「ハッ」
町人「話が違う」「我らは雇われて取立てにきただけ」
阿 鼻 叫 喚
0981人間七七四年
2008/10/23(木) 18:49:33ID:LlcfhrmL一般的に美談とされている、関ヶ原後の捕らえられた三成に対する黒田長政の行動(着物掛けてあげて「勝敗は兵家の常云々」)
って考えようによっては悪い話じゃないか?関ヶ原の勝因にほぼ全て絡んだ男が敗者にこんなことしたら皮肉以外の何物でも無い気がするんだが。
0982人間七七四年
2008/10/23(木) 18:52:30ID:/LpgPX/C0983人間七七四年
2008/10/23(木) 18:54:41ID:0H+3I89a次スレ
戦国ちょっと悪い話2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1224755628/
0985人間七七四年
2008/10/23(木) 18:56:06ID:/LpgPX/C↓テンプレ
戦国ちょっと悪い話2
戦国のちょっと悪いエピソードを挙げていこう
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっと悪い話
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220008704/
姉妹スレ
戦国ちょっといい話2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220982424/
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
0988人間七七四年
2008/10/23(木) 19:39:00ID:/LpgPX/C関ヶ原の時ほど有名じゃ無いが、大阪の陣でもこんな話があるな。
大阪の陣のあと長宗我部盛親が捕まり、二条城の門前で晒し者にされた。
やがて雨が降り出したが、盛親には笠も与えられず雨ざらしのままであった。
そこに島津家久が通りかかり、警備の者に「長宗我部殿を濡れたままにさせているとは
なんとはしたない、この笠をかけて差し上げろ!」と、自分の笠を差し出した。
ところが盛親は「私は濡れてもなんとも無い。それより家久殿こそ登城の際に濡れては困るだろう」
と、笠を返そうとした。しかし家久はそのまま笠を置いていってしまった。
また、井伊直孝も晒し者にされている盛親の格好がみすぼらしかったのを見て、
自分の着物をうち掛けた。
これに対しても盛親は、「井伊殿はかわった人だな。」
と悪びれず言った。
本来的にはいい話なんだろうけど、盛親の態度に、どうにもいい話にさせない何かがあるw
0989人間七七四年
2008/10/23(木) 20:27:39ID:JDt2l8gd寺子屋の先生が長かったからなのか・・・いい話の方の逸話といい、大阪の陣に参戦しない方が良かったんじゃ
0990人間七七四年
2008/10/23(木) 20:43:38ID:/LpgPX/Cでもまあ、捕まった時には、「何で一手の大将なのに討ち死にや自害しなかったんだ?」って聞かれて、
「雌伏して再起するために決まってるだろ!」って言ってたりする。逸話的にはまんま
三成のポジションなんだよな。
0991人間七七四年
2008/10/23(木) 21:19:56ID:RMu+RqxA0992人間七七四年
2008/10/23(木) 21:29:22ID:1TiBLY8b0993人間七七四年
2008/10/23(木) 21:34:43ID:o6HwBOEt「25歳の時本気で指揮とってたらどうなったかなぁ」とかたまに思いながらも
普通に寺子屋師範で人生終えてもいい人なきがする
環境的には京と八丈島の差はあれどあの人とあんまり変わらないし
その辺の在京文化人とも交流あったみたいだし
一応若狭で坊さんになて生存説もあるが
0994人間七七四年
2008/10/23(木) 21:37:40ID:3H3swvmE秀頼は別としても他にいたっけ?
0995人間七七四年
2008/10/23(木) 21:40:57ID:/LpgPX/Cそう言うのをやったってタイプの逸話もあるね。
「お願いです命だけは」って、命乞いをして、ダメだとわかると>>988の態度になる、って奴。
ただ、盛親の場合、卑屈になるにせよ毅然としているにせよ、どうも場違いな感じがするんだよね。
彼は、一手の将以外の何者でもなかったわけで。
0996人間七七四年
2008/10/23(木) 21:51:57ID:o6HwBOEtのちに酒井家の5000石の家老になったという弟は本当にいたんですかね?
0997人間七七四年
2008/10/23(木) 22:01:58ID:/LpgPX/C足立七左衛門こと長宗我部康豊ね。
占い師に化けた逃亡譚とか、酒酒井忠利との出会い方とか、以上に伝奇臭が強いんだよなー。
足立家自体は酒井の家臣として続いているから、一応本当にいたとは思われるけど。
0998人間七七四年
2008/10/23(木) 22:09:51ID:uC6xUCyc0999人間七七四年
2008/10/23(木) 22:11:33ID:uC6xUCyc1000人間七七四年
2008/10/23(木) 22:12:10ID:kUUUEQ/n10011001
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. | ̄ ̄ ̄ ̄ ,、r:''゙ヽ、
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/ 秀家 ゙ヽ:::::::::', ごくろう。このスレはみごと統一された。
゙|゙゙゙''' ‐‐''""' ';:::;r==,、 さすればおぬしらには次スレの攻略を命ずる。
. |エi> ,' イiエ> レ'゙,r .,l }
i. / Y./ノ さあ泳いでゆけ、現代のもののふたちよ!
l { .、 /
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