熱心な毘沙門天の信徒であった上杉謙信
上杉家の軍儀は毘沙門堂で行う事になっている。

しかし、そのときは違った。
一刻一刻と敵は間近に迫り、猶予のない状況。謙信は軍儀を急いで行うために毘沙門堂では開かない旨を家臣たちに伝えた。

「しかしそんなことをしては毘沙門天の怒りにさわり、祟りがおきましょう。戦にも負けてしまいます。」

この時代、神仏への信仰や験担ぎなど、ジンクスを気にする人間は多かった。
特に当主謙信を筆頭に越後、上杉領では毘沙門天を振興する人間は多く、家臣にもかなりの数の毘沙門教徒がいた。当たり前の反応である。
ところが謙信は

「何を申すか。戦をするのは毘沙門天ではなくこの謙信である。それにこの越後で毘沙門天が広く信仰されているのは、偏に儂が手厚く保護しているからに他ならない。逆に儂が感謝されても良い位である。」
と言い放った。


熱心な宗教家といわれている上杉謙信の、軍人としてのちょっと(信心が)悪い話。