戦国ちょっと悪い話
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0001人間七七四年
2008/08/29(金) 20:18:24ID:LZQYPXp2尾張の国に、秀吉の姉妹がいるという噂が聞こえてきた。彼女は農民で、貧しい暮らしをしていた。
それを聞いた秀吉は、彼女の元に使いを出した。
「関白の身内としてそれ相応の待遇をしたいので、急ぎ都に上るように」
女は喜び、近所の幾人かの婦人たちに付き添われ、急ぎ上京した。
しかし
その女は京に入るやいなや捕縛され、付き添いの女たちともども、ことごとく斬首された。
都では、「彼女たちは関白様の過去の秘密を知っていたので、まとめて殺されたのだ」と、囁かれた。
このスレではこんな、戦国のあくどいエピソードを上げていきましょう。
0261人間七七四年
2008/09/15(月) 08:41:48ID:7jR5ujkB老婆心ながら訂正すると軍議ではなく、間者との契約の儀式ですね。もともとの逸話を曲げて軍議としたのは童門氏。
江戸後期の名将言行録の話ですね。もともと江戸初期の北越軍談などでは
「謙信は摩利支天の再来」と称されるように軍神のごとく改められていたとされていて、
それをもとにして作られたエピソード。
本当は謙信は家中の自分への崇敬心を戒める意味も込め、
迅速に合理的な対処をしたという意味が含まれているとのことです。
0262人間七七四年
2008/09/15(月) 13:54:36ID:M1nJot/K「上方の大名は我々のような田舎者を馬鹿にし、恥をかかせます。なので、月に一度の
前田利家殿との面会以外は、屋敷から出ないようにしています。
ここでは他家との交際のため、朝から晩まで、恥をかかないよう気を使わなければなりません。
…国に帰りたい。」
0263人間七七四年
2008/09/15(月) 14:03:07ID:ONntYV5z0264人間七七四年
2008/09/15(月) 19:19:33ID:+rlVGrqP結局そういう奴のほうが上手くやっていくんだけど。津軽の髭とか。
0265人間七七四年
2008/09/15(月) 21:16:21ID:00I+U6CT(家臣宛を偽装した妹宛説も?)
「敗戦の罪で大友が改易されたお・・・
もう頭そって坊主にでもなって、山奥に逃げて寿命をまっとうしたい。
どうやらうちは朝鮮いかなくていいらしいけど、
本当にそうなって最上の土をもう一度踏みたいです。
水をおなかいっぱい飲みたいです。」
0267人間七七四年
2008/09/16(火) 00:35:51ID:j8tJ8pXb東軍に属していた稲津掃部助は、如水の下に付き、彼の指示により先鋒として島津領へ進行し、
日向を攻め取る準備をしていた。
さて、関ヶ原の決戦は、一日で終わる。
家康は全国に戦闘の停止を命じた。その命令は如水のところにも来た。が、無視した。
既成事実さえ作ってしまえば、後はどうとでもなる。そのように考えたようだ。
彼は日向侵攻作戦を密かに進めた。だがそれは、家康の諜報に引っかかった
「如水が日向で不審な行動をしている」
息子長政を通じ家康から、如水の行動に牽制がかけられた。如水は火遊びが過ぎたのだ。
そこで彼はこう申し開きをした。
「日向での事、私は一切かかわっておりません。あれは全て稲津掃部助が企み、
独断でやった事。真にけしからん所業であります。」
稲津掃部助は如水によってあっさり切り捨てられた。彼はそうとは知らない間に、
前線に置き去りにされたのである。そして如水の本軍を待つ清武城において
島津の逆襲に会い、討ち死にした。
0268人間七七四年
2008/09/16(火) 18:57:42ID:Y1qHcY+70269人間七七四年
2008/09/16(火) 20:56:21ID:a2hRbdv+0271人間七七四年
2008/09/16(火) 23:32:49ID:j8tJ8pXb城自体が堅固な事もあったが、なによりその、そろえられた鉄砲の力に
やられていたのである。「あの鉄砲をどうにかしなければ。」
考えた。そして、思いついた。
有馬勢は、渋江氏の氏神潮見神社の巫女を買収し、潮見城に向かわせ、こう言わせた。
「鉄炮で敵を討つことは、この城の穢れになります。敵は神力にて退散させますので、
鉄炮は城外に運びますように。」
そしてその巫女がお祈りを始めると、なんと城を取り囲んでいた軍勢が、
瞬く間に消え去ってしまった。公親はこれに喜び、巫女を信じ鉄砲を場外に運ばせた。
さて、勿論有馬勢の撤退は見せ掛けだけのものである。鉄砲を運び出した事を
察知すると直ちに引き返し、攻撃を仕掛け、見事潮見城を落とした、とか。
0272人間七七四年
2008/09/16(火) 23:43:01ID:j0dQ0bIg神に仕える身なのに買収されるとは
0273人間七七四年
2008/09/17(水) 01:18:15ID:fWX0P1DO0274人間七七四年
2008/09/17(水) 14:09:41ID:Mi14N+E3立花道雪は好色で有名な宗麟を諌めようと、京から踊り子の一行を招き、
「道雪の屋敷に踊り子が大勢いる」という噂を流した。
宗麟は噂を聞きつけると「踊り子を連れて参れ」と命じた。
一行に踊りを躍らせ、「さて、よきことを・・」という段階になって道雪が現れ、
こんこんと説教をした。
が、宗麟の好色は納まらず、家臣の一万田親実の美人妻を無理やり奪い妾にし、
親実に無実の罪を押し付け殺害した。
親実の兄・高橋艦種は激怒し謀反を起こした。
鎮圧に3年以上も費やし、好色が大友滅亡を確実に早めた。
0276人間七七四年
2008/09/17(水) 14:46:01ID:o/zm9UmQ0278人間七七四年
2008/09/17(水) 17:07:00ID:2pyaHoAM気になった宗麟が様子を見にきたら、ってパターンもなかったか?
0279人間七七四年
2008/09/17(水) 17:17:14ID:kipS+oBJ0280人間七七四年
2008/09/17(水) 21:58:46ID:zxi2v44V0282人間七七四年
2008/09/18(木) 14:22:27ID:ZPWiWsvR口うるさい頑固者の道雪を宗麟が嫌って近づけさせなかったというのは本当で、
なんとか直接会って諫言するために〜云々で、そのパターンもあるだろうな。
0286人間七七四年
2008/09/18(木) 22:38:32ID:Fn4jLxyZ0287人間七七四年
2008/09/18(木) 22:47:30ID:/JVVI1ji0288人間七七四年
2008/09/18(木) 22:51:59ID:c1LMZO2f実はその医療行為の内容のほとんどは、聖水をのませたり祈祷をしたり、といったもの。
「西洋医学で患者を治し信頼を得た」というのは、嘘。
0289人間七七四年
2008/09/18(木) 22:53:06ID:bRT7rzBCちょっと絵に癖があるけど。
0291人間七七四年
2008/09/19(金) 04:39:43ID:QaaE9yjLで、あの宗麟の家臣のカニ怪人はだれなんだ?w
0294人間七七四年
2008/09/19(金) 12:36:49ID:0bCN2BLk金儲けのためにキリスト教信者になった有馬晴信の非道。
有馬晴信は布教よりも、イエズス会を通して得られる海外交易の利益のほうが重要であった。
交易を維持するためイエズス会の申し出により、少年少女を進物として提供し、
家臣もこれに従い、家来のみならず、庶民の子供をさらい売ったり贈与したりしていた。
人々はこの難から逃れるため、子供を隠したり、他の家に預けたりした。
宣教師の書簡に書かれた「有馬の全土が苦悩に覆われた」というのはこのこと。
0295人間七七四年
2008/09/19(金) 12:47:12ID:wWPP4gHi0296人間七七四年
2008/09/19(金) 13:02:11ID:0bCN2BLk布教第一の真面目な人もいた、ということか。
0297人間七七四年
2008/09/19(金) 13:33:26ID:e55tlg1l0298人間七七四年
2008/09/19(金) 14:36:33ID:WaljNpTb0299人間七七四年
2008/09/19(金) 14:51:51ID:tknkDcpp0300人間七七四年
2008/09/19(金) 18:45:04ID:swyDt6+r純粋に信仰第一にしてたのって高山と大友ぐらいか?
0301人間七七四年
2008/09/19(金) 23:55:38ID:Vc9StHnT何だかんだで追放後に日本人街とか作ったりしながら
マニラで12年生活した後に天寿を全うして逝った。
0302人間七七四年
2008/09/20(土) 00:19:51ID:xYIlr4zw摂津の国の鳴尾村と河原林村との間で、用水をめぐる争いが起きた。
当初この争いは、双方の村の年寄の介入で、決着がつくかに思われたが、豊臣政権の奉行が介入、
なんと、この争いに加わった双方の村の人間八十三人を、磔にするとした。
理由は「天下ことごとく喧嘩御停止となったのに、違反してけしからぬ」という事だった。
見せしめである。
この処刑者の中には、13歳の子供まで含まれていた。親の身代わりであった。
親が磔になっては一家の暮らしが成り立たないため、子がその代わりに殺されたのである。
この事を記録した興福寺多門院の僧侶は、今の世を「末世」だと書いている。
豊臣政権の時代の「平和」は、後世の煌びやかなイメージと異なり、酷く陰惨で、暗い。
0303人間七七四年
2008/09/20(土) 04:32:36ID:7uEm1lemこれって本当なの?
0304人間七七四年
2008/09/20(土) 07:20:49ID:K2kwEGX80305人間七七四年
2008/09/21(日) 02:52:52ID:95UWwbUg0306人間七七四年
2008/09/21(日) 03:32:41ID:2Dz0LmCP0307人間七七四年
2008/09/21(日) 12:12:55ID:CXzo8T0d0308人間七七四年
2008/09/21(日) 12:24:35ID:jThRUH7a0309人間七七四年
2008/09/21(日) 16:15:37ID:xsIwxr7V0310人間七七四年
2008/09/21(日) 16:20:00ID:5Mvd8BIJ逆に秀頼を旗頭にして秀次滅ぼすかして、史実より楽に政権取れそう。
0311人間七七四年
2008/09/21(日) 18:15:25ID:eb7KwB0m山内一豊、田中吉政、中村一氏など秀次に付けられた大名が多かった。
秀次が処分されずに後継者のままだったら、この人たちは重臣として政権の中枢にあったわけで、
家康も動きづらかったのではないだろうか。
また主である秀次が死んで秀吉に不信感を抱いたことがこの人らが揃って東軍についてしまった遠因かもしれません。
0312人間七七四年
2008/09/21(日) 18:38:23ID:OuT+z27S0313人間七七四年
2008/09/21(日) 19:22:46ID:VRta5Bqj0314人間七七四年
2008/09/21(日) 19:33:14ID:Q7M/1+iD0316人間七七四年
2008/09/21(日) 20:17:40ID:5Mvd8BIJ人間性は良かったと思う。頭も良かったように思う。ただ政治性に欠落した部分は、正直あったとも思う。
仮に秀吉死後まで生きていても、家康に対抗できたとは思えない。
0317人間七七四年
2008/09/21(日) 20:22:12ID:jThRUH7aしかも最上や伊達など諸大名との仲も良いし、大名に金を貸しまくってたのを、秀吉は人気取りだと怒ってた。
秀吉は秀頼かわいさの余り、有能な秀次を殺したと言える。
実際、秀次生存なら徳川の出る幕はなかったろう。
0318人間七七四年
2008/09/21(日) 20:25:53ID:krRvTifZ> ただ政治性に欠落した部分は、正直あったとも思う。
具体的にはどんな点があげられる?
秀次が無事に後継となって政権の中枢にいれば、家康でもそれを覆すのは結構難しいと思うよ。
0319人間七七四年
2008/09/21(日) 20:53:31ID:5Mvd8BIJまあ結局は、秀頼が生まれた後の政治状況を上手く遊泳できなかった事だと言うしかないわな。
前後の状況から、秀吉が秀頼のために、秀次を危険視し始めている事はみんなわかっていたんだから。
秀次は秀吉の真意を測りかねて、結局自分に係わる全てを滅ぼしてしまった。
そう言う部分でやはり、政治性に難があったと言っていいと思うのだけど、どうだろう?
0320人間七七四年
2008/09/21(日) 20:59:38ID:FXaHrT1Y我が子かわいさに冤罪着せて妻子皆殺しなんて、そんな狂人の
意図なんかはかれないって
0321人間七七四年
2008/09/21(日) 21:09:35ID:VRta5Bqj0322人間七七四年
2008/09/21(日) 22:30:03ID:a45kbDX8まあ「一粒種をやれるかバーロー」で一蹴されるのがオチかもしれんけど
0323人間七七四年
2008/09/21(日) 22:32:02ID:2Dz0LmCPそんで秀頼の後見人にでもなって実権を握れば良いだけ、生まれてすぐに言ってれば天寿をまっとうしてたんじゃね?
我が子可愛さなんて親ならわかるだろうに・・・・ましてや老いてできた子
政治性に難があったというよりは人感情の機微に疎かっただけだろ・・・・秀吉は特に感情の起伏が激しいようだからなw
気の利かない秀次に対して可愛さ余って憎さ百倍になったんだろ
0324人間七七四年
2008/09/21(日) 22:37:44ID:5Mvd8BIJ話があったな。
秀次はインテリだったから、学のない秀吉の事を、内心馬鹿にしていた部分もあったんだろうな。
0325人間七七四年
2008/09/21(日) 22:39:04ID:fFwA+KJk秀次の家族に対する秀吉の処置は残酷極まりないもので
こんな事をする何て秀吉は気が狂ったんじゃないかと当時から噂になったらしいね
普通はほとんど見逃される女子供、側室までほとんど殺してしまったから
0326人間七七四年
2008/09/21(日) 22:42:46ID:5Mvd8BIJ秀吉は女を良く殺すね。
信孝切腹させた時も、本人と重臣だけでなく、信孝の母親と嫁、さらに重臣たちの女房まで殺させてる。
これは異常だと思うよ。
0327人間七七四年
2008/09/21(日) 22:46:15ID:IX6mj0EG0328人間七七四年
2008/09/21(日) 22:49:01ID:2Dz0LmCP人感情ってなんだw訂正
人の感情の機微な
秀次がうまいこと立ち回って生きてたら豊臣政権続いてたんじゃないかな
最上、細川、伊達らは家康の取り成しで事なきをえた、みたいだし家康が諸大名に恩を売るきっかけにもなったしな
>>325
そこだよなw
秀次に対する憎悪がよっぽどだったんだろうな〜庇った前野長康、木村重茲、渡瀬繁詮、等自分の譜代の家臣まで殺してるしなw
感情の起伏が激しすぎるんだと思うw母ちゃん死んだら泣いて失神するような男だからな、その逆は・・・・
0329人間七七四年
2008/09/21(日) 23:04:07ID:5Mvd8BIJttp://2ch.xn--o9j0bk.gaasuu.com/entry/14719
0330人間七七四年
2008/09/21(日) 23:04:55ID:rLgdYtFk0331人間七七四年
2008/09/21(日) 23:42:48ID:ooc2SvKP敢てなお秀吉に再び反旗を翻した信孝の感覚に慄然とする
天下を目の前にすると肉親の情とか倫理観が消し飛ぶんだろうな
って信孝は本能寺の変でも憶測で津田信澄を攻め殺したり、
清洲会議で勝家を味方に付けるために叔母のお市の方と婚約させたりしてるから
元からこんな奴なのかもしれないけどね
0332人間七七四年
2008/09/21(日) 23:46:31ID:5Mvd8BIJ伊予曾根歯長城は長宗我部元親の攻撃を受けていたが、堅固に守られた城は
攻めるに難く、長宗我部勢は結局撤退した。
さて、それから間もなくの夜、城の近郊にある曾根天満宮が騒がしく、何事かと調べた所、
町人たちが戦勝の祝いに、盆踊りに興じているという。
お祭りごとが好きだったこの城主は、早速踊りを見物しに向かった。
無論、罠である
踊っていたのは町人に扮した長宗我部の兵たちであった。見物に現れた城主に
たちまち切りかかり、彼は鼻を削がれて討ち取られた。
これ以降、この地方では盆踊りの事を「鼻取り踊り」、転じて「花取り踊り」と
呼ぶようになったという。
元親はこの謀略がよほどお気に入りだったらしく、野根城主惟宗国長にも、天正三年七月、
手の者に派手に盆踊りをさせ、その見物に国長出た隙に、長宗我部勢が城を攻め立て、落城させている。
0333人間七七四年
2008/09/22(月) 10:50:05ID:LGwzFcum0334人間七七四年
2008/09/22(月) 15:44:16ID:jQkYfhLy0335人間七七四年
2008/09/22(月) 16:29:27ID:VfBQu8Pe0337人間七七四年
2008/09/22(月) 22:43:17ID:o2rTTeK00338人間七七四年
2008/09/22(月) 23:28:41ID:SkfRxBfU0339人間七七四年
2008/09/22(月) 23:41:37ID:sX002wdZ0340人間七七四年
2008/09/22(月) 23:44:03ID:AeniqIjh0341人間七七四年
2008/09/23(火) 07:14:24ID:AqCO100h0342人間七七四年
2008/09/23(火) 07:16:57ID:nWXizedx0343人間七七四年
2008/09/23(火) 10:32:00ID:0pQfQ98F0344人間七七四年
2008/09/23(火) 10:32:20ID:7F04IjnH0345人間七七四年
2008/09/23(火) 10:36:59ID:WucQH2XI0346人間七七四年
2008/09/23(火) 11:12:05ID:PVmbkiBX関ヶ原からしばらくたったころ
備後尾道に贋金作りの組織があった。彼らが京都銀座の大黒屋常是のところで贋金を両替した。
3年後また、同じ連中が大黒屋に両替に来た。そしてたちまち捕らえられた。常是は両替の後
それが贋金であることに気がつき、彼らをいつも警戒していたのだ。
これを取り調べたところ、福島正則の領地、尾道の者だと判明した。京都所司代がその旨を福島に
報告したところ、福島は怒った。贋金作りを捕まえた大黒屋常是に対してである。
「常是は町人の分際で我が領民を絡め捕り、板倉殿に届けるとは憎き奴!」
贋金作りの銀貨は、およそ半分ほど、銅を混ぜた物だったと言う。
「ならば常是の吹いた銀の中に少しでも銅が混じっていれば、同じように磔にかけるべし!」
そう強硬に主張した。当時の精錬技術では、銀の生成の過程でどうしても少量の銅が混じる。
福島はこれを知った上で、贋金作りを殺すなら、同じく常是も殺せ!と言っているのだ。
常是は犯罪人を捕らえたことが何故にこれほど反発をされたのか、理解できなかったが、
大大名である福島の機嫌を損ねるのも得策ではなく、所司代との話し合いの上、福島側での処罰を条件に
犯人の身柄を引き渡す事にした。
が、福島は贋金作りの身柄を引き取ると、処罰もせずに放免してしまった。
これには常是のみならず、京都所司代のメンツまで潰してしまった。
正則がやがて改易にいたる理由の一端が、垣間見られるお話。
0347人間七七四年
2008/09/23(火) 22:09:53ID:Pz32OEzM0348人間七七四年
2008/09/24(水) 01:25:16ID:+XfES3VD政宗といえば。
母親の毒殺説は創作だと、いまでは仙台市すら否定することになった。
つまり、政宗は母をだしにして弟を自ら斬殺したということになる。
なのにたとえば伊達政宗歴史館は、
行動力・統率力・智略、時代を見抜く洞察力を持った武将。母に疎んぜられた不幸な幼少期と父の惨死を越えて、遂に奥州を制覇。徳川幕藩体制の確立で天下人になる夢が破れてからは、仙台藩繁栄の基礎を固めました。秀吉もその武勇を恐れ家康も賓客の礼をとった政宗の生涯
こんなこと書いているんだよな。悪いよなあ…
0349人間七七四年
2008/09/24(水) 01:27:56ID:y+XhAe2hしかし、悪いねぇw
0350人間七七四年
2008/09/24(水) 01:28:01ID:LpJ1l2ya0352人間七七四年
2008/09/24(水) 02:49:45ID:PHcWDp0m福島の家来が伊達屋敷?の庭を勝手に通過して、咎めた伊達家来に逆ギレ
伊達家来が福島家来を討つ
これに正則が激怒して、政宗に対して下手人寄越せと迫る
政宗はお前の家来が悪いだろ。ふざけんなと、拒否するが、
豊臣政権下なので子飼いの福島には逆らえず、浅野長政の言に従って泣く泣く首を渡した
って駄文で申し訳ない
ソースも覚えてないし、ところどころ違う部分もあるかもしれんし・・・
しかし福島鬼だな
0353人間七七四年
2008/09/24(水) 03:00:09ID:y+XhAe2h福島ちょっと家臣を溺愛しすぎだろw
0354人間七七四年
2008/09/24(水) 03:01:30ID:CcBXCDU4あまり接点無さそうだったが
0355人間七七四年
2008/09/24(水) 20:34:23ID:Kmy+1lU8晩年の政宗は手記に「母上にはお恨みあり」「弟を殺したことは我ながら情けなく涙が出る」と書いているが
なにかあったんじゃないの?
0357人間七七四年
2008/09/24(水) 20:41:12ID:mFo7btwRほとんどの像や画に両目いれてるぐらいだし
0358人間七七四年
2008/09/24(水) 20:44:47ID:qiVa1huP■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています