織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part11
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0001人間七七四年
2008/04/23(水) 16:15:04ID:ARUiZbH4ここでは「彼が存在していなかった場合、誰が天下を我が物にしたか?」を議論するスレです。
前スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part10
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204071521/
0031人間七七四年
2008/05/11(日) 01:27:07ID:ujK6tETUあの輝元に、そんな壮大なことができるわけがない
おそらく考えもしない。
0032人間七七四年
2008/05/11(日) 14:08:44ID:IDJbTqy/それも頓挫する可能性が極めて高い。
0033名無しさん
2008/05/11(日) 21:16:14ID:561Hwhop>それだけの力があれば軌道に乗った時点で極東の島国の統一もするだろうな。
なぜだ? >>29 でも言ったように東日本は貧しく貧しい割に武力があって制圧
に金と手間隙がかかる上手間の割に実入りが少ない。そんな金と暇があれば
東南アジアを制圧した方がいい、東南アジアは年2回米が取れる上インドネシ
アには香料がミャンマーにはルビーがある。東日本はそのままにして傭兵の
供給地としたほうがいい、東日本への働きかけは強力な統一勢力が現れない
よう干渉することだ。ちょうどイギリスがヨーロッパに統一勢力が現れない
よう干渉したように
>>31-32
それはそうだろうがオレは【毛利に天下を統一する力があった場合】を話して
いる。それを否定されたら【天下統一は信長→秀吉→家康、はい終わり】で
話の仕様がない。
0034人間七七四年
2008/05/11(日) 21:36:56ID:0iWP6rd9このスレの前提は、織田信長がいないほかはすべて史実と同じ条件だ。
各国の軍事力、経済力、各武将の能力、資質など
そんな別人みたいな輝元を想定したら、毛利が有利になりすぎだろう(w
0035名無しさん
2008/05/11(日) 22:05:07ID:561Hwhop当時スペインはフィリピンを植民地化し、さらに西日本に宣教師を送り込んで
いた『宣教師は布教活動に来たのであって日本征服などしない』と言うのは今
の常識だ。そもそも当時のカトリックの理屈では『世界は神様が作ったもので
、その神様は代理人として法王をお選びになった。よって法王は世界の支配者
であり、その法王がアジア・アフリカはスペインとポルトガルで分割統治せよ
と命じているのだからスペインのために日本を征服するのは正しい』とはスペ
イン人だけでなく改宗した日本人キリシタンにとっても常識だった。天下統一
が遅れれば日本の西半分ないしは全土がスペイン植民地になっていた可能性は
高い
0036人間七七四年
2008/05/11(日) 22:14:32ID:REKnFzb80037名無しさん
2008/05/11(日) 22:16:45ID:561Hwhop日本人がスペイン人の手先になって日本征服を手伝うのか?
と思うかもしれないが、イギリスのインド征服の主力はインド人傭兵であり
オランダのインドネシア征服の主力もキリスト教に改宗した現地兵だった。
当時『愛国心』という道徳は世界中のどこにも存在しない、当然日本にもない
日本人キリシタンにとって同じ仲間とは仏教徒や神道の日本人ではなく
【唯一の正しい神】を信じるスペイン人やポルトガル人だった。彼らにとって
【唯一の正しい神】の代理人である法王の命令に従ってスペインと共に日本を
征服する事は【疑う余地のない正義】であり【死後天国に行く最善の道】だっ
た。
0038人間七七四年
2008/05/11(日) 22:43:32ID:FOobrBWa0039人間七七四年
2008/05/11(日) 23:19:25ID:MKN1+TjR0040人間七七四年
2008/05/12(月) 02:14:23ID:ZlAS4tOQとくに、既存仏教の桎梏が新宗教が野火のごとく広がった
理由だから、十分あり得る。
ただ、その担い手として毛利ってのがありえんなwww
0041名無しさん
2008/05/12(月) 20:41:37ID:4G8wgtgyしれないってこと
0042人間七七四年
2008/05/12(月) 22:04:22ID:2g3JqqOQ0043人間七七四年
2008/05/12(月) 22:38:05ID:zhJFpmKh0044名無しさん
2008/05/13(火) 21:27:42ID:LK19PRTp>スペインがどういう地域を植民地化したか勉強してくるがよろし
キューバ、アステカ、インカ、フィリピン強力な統一国家を作っていた地域
もあれば数千人単位の部族ごとに分裂していた地域もある。高度な暦や神殿
を作った民族もあれば狩猟採集民もいた。
どういう地域ってどういう意味だ? 分かるように説明しるw
0045人間七七四年
2008/05/14(水) 01:05:14ID:p7no12zM日本…当時世界有数の鉄砲生産国
まあ日本くらい文明が発達したら完全な植民地化は難しいわな
つまりスペインの植民地化はただの弱いものいじめ
0046名無しさん
2008/05/14(水) 21:29:19ID:Lw+YWfHkタンがスペイン側にたって戦う。よって【日本植民地化の主力軍は日本軍】
このことを分かって欲しくて長々と当時のキリスト教のことを書き込んだん
だけど、ちなみにイギリスのインド植民地化の主力軍も鉄砲で武装したイン
ド人傭兵だった。現に北九州では大友宗麟始めとするキリシタン大名によっ
て領内の神社仏閣が破壊されている。武力によるキリスト教化は始まってお
り信長=秀吉による天下統一が遅れれば植民地化は避けられなかったのでは
ないか
0047人間七七四年
2008/05/14(水) 21:34:10ID:Let8W5d50048名無しさん
2008/05/14(水) 21:58:57ID:Lw+YWfHk兵器が優秀なら少数でも大軍に勝てる。ってのは産業革命以降、それ以前は
弓矢で結構鉄砲に対抗できた。現に弓矢と槍で武装した満州軍は大砲を持った
明軍に勝っているし、アメリカの騎兵隊は弓矢を持ったスー族などのインディ
アンに結構苦戦している。スペインがアステカ、インカを征服できたのは、ま
ずアステカだが、アステカに敵対する部族を味方につけそれと連合して戦った
この同盟部族がなければアステカ征服は愚かアステカにたどり着く前に食料が
尽きて野たれ死んでいただろう。インカ征服にはもちろん、かつて征服ないし
は同盟したインディオ軍を多数つれていた。さらにアメリカのインディアン討
伐にも多くの帰順したインディアンが参加している。つい数十年前の日本でも
『私の祖国は日本じゃないソ連だ』だの『いずれソ連が日本を【解放】する』
だのとほざく左翼がいた。戦国時代のキリシタン大名が『私の祖国は日本じゃ
ないスペインだ』だの『いずれスペインが日本を【解放】する』だの本気で
思って戦っても何ら不思議ではない。
0049人間七七四年
2008/05/14(水) 22:08:19ID:uSxRZNsq0050人間七七四年
2008/05/14(水) 22:55:01ID:p7no12zM0051人間七七四年
2008/05/14(水) 23:57:36ID:QhbVSUx7宗教においてもキリスト教が仏教に対して優位な訳でもない上に
キリスト教でも一向宗でも天皇教でも、
負の部分が大きくなったら捨ててしまう者が大部分な日本人を、
スペインの支配に都合の良いような宗教一色に染めるのがまず無理
つかネタなんだろうけど、一応言ってみるテスト
0052人間七七四年
2008/05/15(木) 11:09:10ID:FA7g1OgDその宗教を信じる事によりもたらされる技術ではなく、たまたまその宗教を信じていた
連中がもっていた技術と捉える
ナイスで便利な器機をたまたま持っていたのがキリスト教徒だったと認識する
この辺は飛鳥奈良の頃の仏教伝来と同じで、付随してもたらされた彫金建築技術など
への捉え方と同じ
0053名無しさん
2008/05/15(木) 19:55:01ID:3sw3lSJd>初めて見る鉄砲や馬を見ただけで逃げ出した奴らと日本を一緒にするなよ。
【初めて見る鉄砲や馬を見】て驚いたのは事実だが逃げてないぞ戦ってる。
だからこそアステカの都は双方の血で染まった。なぜならアステカは広範囲
に情報網をもっておりスペイン来襲以前に馬と鉄砲の威力を知っていた。
たしかに【見る】のは初めてだが【初めて知った】訳ではない。
0054名無しさん
2008/05/15(木) 20:01:20ID:3sw3lSJdちなみにこのスレは【織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?】だと
思う。オレは毛利、武田、上杉などの戦国大名だけでなく
スペイン、ポルトガルの征服、足利幕府の再興、浄土真宗の石山本願寺など
戦国大名以外の選択もあると思って一例としてスペインを上げてみた。
0055人間七七四年
2008/05/15(木) 20:06:43ID:BX2IbI1uその
きもい
改行
やめろ
0056名無しさん
2008/05/15(木) 20:13:29ID:3sw3lSJd石山本願寺だと思う。日本人口の1割を信者とし中央集権の強固な組織を
もつ石山本願寺は条件次第では20万の大軍を組織できる。しかも裏切り
逃亡が常の戦国武士と違って絶対に退かない。【進むは極楽、退くは地獄】
のムシロ旗を掲げ『南無阿弥陀仏』を唱えて前進する狂気の軍団。あの織田
信長さえ完全勝利は出来ず信仰の自由と一切処罰無しを条件に和睦せざるを
得なかった。
0057名無しさん
2008/05/15(木) 20:14:50ID:3sw3lSJd0058人間七七四年
2008/05/15(木) 20:26:39ID:/3KiOhGGその辺もひっくるめて勉強し直して来い、イメージ優先で語られても困る
0059人間七七四年
2008/05/15(木) 20:38:57ID:oYU4J39T九州は難しいな。
おそらくは島津だろうが毛利も進出してくるだろうしな。
0060名無しさん
2008/05/15(木) 21:17:58ID:3sw3lSJd0061名無しさん
2008/05/15(木) 21:23:10ID:3sw3lSJd誰かが否定する。【正解】がないだけに永遠に意見→否定→意見→否定
の無限ループだな、だんだん虚しくなってきた。誰か人の意見に賛成する
とか人の意見を補強するとかないかな
0062人間七七四年
2008/05/15(木) 22:26:08ID:/3KiOhGG一向宗は一揆内一揆で地方の一向宗が本願寺から送られた司令官殺したりしたし
地方の一向宗は地域中核寺を中心に、本願寺とは別路線とったり
必ずしも一枚岩という訳ではなかった、あっちこっちに居るからデカイ勢力に思えるけど
それに宗教勢力自身の兵力というべき僧兵を持ってなかったりするから
中核になってる国人土豪層にそっぽ向かれたら終り、史実と同じようにね
大体江戸期になってほとんどの武士が便利だからって臨済宗に宗旨変えするよな
日本人に宗教でどうにかしようとしても無理
0063人間七七四年
2008/05/16(金) 00:23:35ID:kAisfqTkそもそも見ず知らずのスペイン・ポルトガル国王のために戦うキリシタン大名もいないだろ。
つまり文化的侵略も無理
0064人間七七四年
2008/05/16(金) 09:30:49ID:Tgyv4Thj(史実とはずれた点も多いようだがw)秀吉が中国攻めでなかなか降らない毛
利方に対し、
秀吉「毛利も早く降れば降るほどより良い条件で和議が結べるであろうに、
話のわからぬ者どもが多いw」
黒田「フフw、もうすぐ殿より上手の方がみえる。それから和議を結んだ方
が憎い筑前の顔を潰してやれる、という訳でw」
秀吉「わしより上手・・・、とは、右府(うふ)様がことかw」
「徳川家康」で確かこんなくだりがあった。
「右府様」っていう呼び方が格好良いよなあ(ミーハーかもしれんけどw)。
実際は近衛右府大将も右大臣も返上しているから、本能寺直前のこの段階では
厳密に言えば「前右府(さきのうふ)様」になるらしい。
でも現代でも会社で退任した専務、常務、部長などの肩書きがかつてあった人
達は現実にかつての部下から「元部長」とか、「前部長」とは言われないと思
うので(まあそういう例えが正しいかどうかはわからないけど)w。
それを鑑みれば、官位を返上した後でも返上以前同様に秀吉あたりの有力な組
下が「右府様」と呼んでいるあたりは凄くリアルっぽいし、気力と気迫に満ち
た山岡文体は、信長にこそ良く似合ってた気はする(山岡本人は徳川家康がダ
ントツに好きだったのは周知の事実だけどw、その次に信長が好きだったんじ
ゃないか、って気が個人的にはするなあ)。
0065人間七七四年
2008/05/16(金) 09:56:19ID:wLVV7KHyかの坊主が天下取りさまですな。
0066人間七七四年
2008/06/22(日) 12:20:07ID:PiH51Q8Q1568年に義昭は、60年代初期に尾張を併合していた今川を頼ってくる。
義元は、義昭を擁し(曖昧な立場にして)、前将軍の弔い合戦を名目に多くの
味方をつけて上洛する。
上洛後、義昭を監禁しつつ、世間に新しい将軍が決まるまで(前将軍の遺児が成長するまでとか)
副将軍家である今川家が代行を務めると宣言する。
反今川勢力をある程度抑える事ができた時点で、氏真を足利家の養子にし将軍にさせる。
0067人間七七四年
2008/06/22(日) 12:57:33ID:TTNUCPvo0068人間七七四年
2008/06/26(木) 01:19:01ID:vgl/CmWu0069人間七七四年
2008/06/26(木) 01:51:11ID:/m/YOZuI俺が結論出してあげるよ。
史実に登場してない武将が統一するか、五、六の大きな勢力が割拠し続ける。
0070人間七七四年
2008/06/26(木) 04:53:17ID:+4Cl4p2V相続に口を挟みながらだらだらと時間だけ流れていきそうな雰囲気だな。
結局は体力勝負になって弱いところから潰れていって、
飛び抜けた実力のある大名家が出現した時点で天下統一されるんじゃないの?
0072人間七七四年
2008/06/30(月) 00:16:30ID:S6B/yRFi信玄と謙信の生誕地が離れてさえすればこの2人のどちらかが天下を取っていたというのが
歴史研究家も認めていること
0073人間七七四年
2008/06/30(月) 01:01:21ID:qDkrRK0s戦国時代はかなり長引き、信玄は若き家康を滅ぼす。その後突然病で逝ってしまう。
後はややこしくなり想像が付かないが、最後は伊達政宗と誰かとの2大勢力の戦いで終結する。
その、伊達と誰か、その二人のどちらかが天下を取ったと思う。
0074人間七七四年
2008/06/30(月) 02:16:44ID:5wzOCiAH割拠状態が継続するのみ。
0075人間七七四年
2008/06/30(月) 07:43:26ID:CtN2KK7l麿でおじゃる、とか言ってる馬にも乗れず輿にのったデブで公家のような姿をしていた大名だろうが。
全く持って話にならない。織田信長が居なくても、有能な配下も居ないし、斎藤道三を突破出来るとも思えないし、
武田や北条が黙ってみているとも思えない。よしんば斎藤道三を突破しても、浅井朝倉が居る。
とてもではないが連戦できるような相手ではない。
そもそも今川なんて歴史的には信長に敗れたと言うだけで、それ以外何もしてない無能だろう。
ゲームでも著しく能力が低い使えないカス。
天下を取れるとすれば西は立花、東は武田、北は伊達だろ。ただ北は遠いし、西は激戦区過ぎて京に行く
暇もない。と言うことで武田が最有力。
事実武田は上洛を目指したときにあの徳川家康を絶滅させ、織田信長を絶滅させ、まさに破竹の勢いであった。
武田信玄こそが最有力だろう。
0077人間七七四年
2008/06/30(月) 07:50:59ID:CtN2KK7l誰それ?
0078人間七七四年
2008/06/30(月) 07:52:58ID:tJzXsjRU>>75がゲーム主観で書いてるのが分かった。
>>75の言ってる事は役にたたねえw
0080サイコメトリー
2008/06/30(月) 08:40:28ID:DE6kSndz先に謝るね。ゴメンね。悪く取らないで。
確かに武田軍及び武田信玄は良軍、良将です。でもね今川義元は東海一の
弓取りと言われ、1560年時点で東海のみならず近隣地域最大勢力を誇って
いたし、兵卒動員能力も桶狭間の通り。北条・武田・今川の三国同盟も今川
が最も優位な状況にあったからこそ、尾張侵攻が可能だったと思われます。
じゃ今川が天下統一出来るかって言われれば、それは分からんけど、勢力状況
地理的条件から考えれば、東日本で最も天下の近い大名なのは間違いないと思われます。
ちなみに信長の野望の能力値は、コーエーさんが勝手に決めた事で、どちらかと
いうとイメージ先行してる感が強いね。
0081人間七七四年
2008/06/30(月) 09:42:22ID:CtN2KK7lそんなことない。
確かに信長の野望や戦国無双、BASARAは好きだけど、毎年テレ東の10時間時代劇や、テレビ朝日でやった
天下を取った男豊臣秀吉や、大河ドラマ巧妙な辻や利家が待つとかも見てた。
結構歴史自体は好きな方ですよ。
もっともゲームから入った事自体は否定しませんけど、ゲームだけで話しをしているわけではない。
でも今川義元が凄いわけではないですよね?麿野郎が基礎を作ったわけではないでしょ?父親が作った
土地を引き継いで、調子に乗って世界征服の旅に出たらいきなり出発点の尾張で信長に完敗したんですよね。
ここからは難しい話になるけど、実は今川の配下にはあの徳川家康が居たと言われている。ようするにだ、
その事実から推測されるのは、今川義元が凄いのではなく、その裏では徳川家康が暗躍していたと考えられる。
後に天下を統一し江戸幕府を開いた実力から考えて、この頃からすでに江戸に近い駿河に目を付けていて、
江戸こそが幕府を開くに適していると考えていたんじゃないかな。そんな訳でこの頃から今川が邪魔になり、
配下のフリをして今川義元を操り戦死させてとも考えられる。
ようするに今川義元は徳川家康の傀儡であった。今川義元が東海一の弓取りと言われたのも、徳川家康の
尽力遭っての物ではないだろうか?
事実今川義元が何か戦功を上げたとか戦に勝ったとか、ましてや大将によくある妙な逸話なんかもない。
そこからしても今川義元は天下には遠く及ばない人物と考えられる。
0082人間七七四年
2008/06/30(月) 10:01:56ID:sBfYdjKH0083人間七七四年
2008/06/30(月) 10:03:18ID:sBfYdjKHどんな神童だよ、年考えてくれ
0084人間七七四年
2008/06/30(月) 10:11:32ID:ExWbdcI8/' ! ━━┓┃┃
-‐'―ニ二二二二ニ>ヽ、 ┃ ━━━━━━━━
ァ /,,ィ=-;;,,, , ,,_ ト-、 ) ┃ ┃┃┃
' Y ー==j 〈,,二,゙ ! ) 。 ┛
ゝ. {、 - ,. ヾ "^ } } ゚ 。
) ,. ‘-,,' ≦ 三
ゞ, ∧ヾ ゝ'゚ ≦ 三 ゚。 ゚
'=-/ ヽ゚ 。≧ 三 ==-
/ |ヽ \-ァ, ≧=- 。
! \ イレ,、 >三 。゚ ・ ゚
| >≦`Vヾ ヾ ≧
〉 ,く 。゚ /。・イハ 、、 `ミ 。 ゚ 。 ・
>>調子に乗って世界征服の旅に出たらいきなり出発点の尾張で信長に完敗
おまえは桶狭間より前には何も起こってなかったとでも思っているのかと
0085人間七七四年
2008/06/30(月) 10:17:47ID:78ICADz1島津が九州地方ほぼ全域と沖縄以西の南方地域四国の一部を統一
伊達が蝦夷東北地方全域を統一
北条が関東一円を統一
上杉・武田は史実並の領地を統一
今川は東海道全域と近畿の一部を統一
本願寺は北陸・近畿・伊勢に一大勢力を維持
0086人間七七四年
2008/06/30(月) 10:22:06ID:CtN2KK7l下手すれば本能寺とか日光東照宮とか、大きなお寺が日本を掌握した可能性もゼロではない。
0087サイコメトリー
2008/06/30(月) 10:45:11ID:DE6kSndzあなたの考えを暗に否定する分けじゃないけどね、徳川家康は昔から今川の人質
状態でとても自力で軍を起したり、意見出来る立場ではないよ。確かに今川の所領
は氏親から引き継いだ物だが、戦国お決まりの兄弟での骨肉の家督争いの上、勝利
して得た物であり、簡単な事ではなかった。
また、近隣国北条氏綱、織田信秀などの猛者には何度となく、苦渋を舐めさせられ
ながらも成長し盛り返し、最終的には大大名に成り上がった。wiki情報だと、約100万
石の所領があったと考えられていて、親から引き継いだ所領どころか、他に類をみない
太守になりえたのは、義元、雪斎等の実力にほかならない。
さらに言えば、自領の検地も早くから行い、その先駆者性も示し、有名な今川仮名目録
は以降の大名法度の基本となり、その才覚は疑うべくもないというのが結論です。
自分も信長の野望やその他のゲーム、歴史漫画から、戦国時代好きなって、今川義元
に対してもあなたと同じイメージを持ち続けていました。でも様々な本を読む様になって
知識を得て、本質が何かを探るのが、歴史の中で一番大切で面白い事だと分かりました。
でも今川義元好きかって言われれば、好きではないね・・・。
0088人間七七四年
2008/06/30(月) 11:22:54ID:CtN2KK7lすまん。何言ってるのかさっぱりわからん。
もう少し簡単に言ってくれ。
0090人間七七四年
2008/06/30(月) 12:37:46ID:CtN2KK7l何通りかの史書があってもその人物に対する内容が違っていたりもする。
真実は誰にも分からない。
史書なぞ一つの参考書でしかない。ゲームやドラマと大差ないさ。
よってオレが正しい。
0091人間七七四年
2008/06/30(月) 12:45:56ID:xA/FKfxP> 下手すれば本能寺とか日光東照宮とか
↑釣りならもう少し…
で、今川さんちは義元さんが生存中にどこまで所領広げられそうなの? 義元、雪斎以外に人材が… 2代目の蹴鞠タンになったら集めた人材が好き勝手しそうなんだけど
0092サイコメトリー
2008/06/30(月) 12:46:31ID:DE6kSndz簡単に言うと、上方かぶれのお歯黒野郎=今川義元って分けじゃなくて、
彼も若い頃から苦労して成り上がった戦国大名って事。
桶狭間の敗戦は、義元の油断って事よりも、信長の奇策+状況把握が完璧
だったと思います。(義元の有力参謀が死去したのも一因)
0093人間七七四年
2008/06/30(月) 12:54:04ID:tJzXsjRUまさか“本願寺”と“本能寺”を間違えたんじゃないだろ?
“日光東照宮”て徳川家康の墓じゃないか、
とっくに天下統一されてるじゃん。
0094人間七七四年
2008/06/30(月) 12:56:06ID:tJzXsjRUまさか川中島の戦いに“真田繁信”が参戦してたとか思ってんじゃないだろうな?
0095人間七七四年
2008/06/30(月) 13:00:39ID:tJzXsjRU訂正
信繁〇
繁信×
0096人間七七四年
2008/06/30(月) 13:14:20ID:3BFA5qif0097人間七七四年
2008/06/30(月) 13:28:13ID:CtN2KK7l本願寺ってなんだ?
本能寺ってのは信長が殺された寺だけど、鉄砲を取り扱っていたと言われている。
とするとものすごい武力を有していたと言うことになる。
金有る、武力もある、となると有力候補。
日光東照宮はいつから家康の墓になりましたか?
たしかに家康の墓地もあるが、家康の墓地って全国に複数有るらしいぞ。
それに東照宮はあれほど大きなお寺。あの家康が墓標と決めたほどならば
その信仰力、財力は計り知れない。
神社仏閣と言うのは戦国時代では大きな力をもった組織であったと言われてる。
と教科書で習った。
0098人間七七四年
2008/06/30(月) 13:31:26ID:3BFA5qifう〜ん、まことに金正日を神と讃えます?
0101人間七七四年
2008/06/30(月) 14:47:53ID:AIxmFwAOここはマニアが集まる場所だから、教えを乞うのには良い所。謙虚にな。
0103人間七七四年
2008/06/30(月) 15:17:29ID:6e00qoSr三好政権が崩壊し始める→だいたい1575年くらいまでの中央の動き。その後は知らん。
0104人間七七四年
2008/06/30(月) 15:46:41ID:Vys7odAg本願寺っていうのは仏教の一派、浄土真宗の寺の一つ。
南無阿弥陀佛と念仏をとなえると誰でも極楽にいけるということで庶民の間に広まった。
加賀の一向一揆や信長との石山合戦が有名で、本拠地のあった石山には後に秀吉が大坂城を築いた。
神君家康公なんて言葉あるけど、日光東照宮は家康を神格化するための墓。
家康がまだ存命中に自身で日光に決めたと思った。
絶大な権力を持つ徳川家にならって多くの大名家が各地に東照宮をつくった。
神社や寺が力を持っていたのは税で優遇されるなどの特権を持っていたため。
そのうち僧兵なんていう存在が出てきて、勢力としての一面も。
信長が宣教師を優遇したのは、自身が革新的な考え方をしていた、
外国の技術や品物が入ってくるということの他に寺社仏閣の力を削りたいという面もあるらしい。
さっと書いたので突っ込みどころあるかもしれんが、だいたいこんな感じで。
0105人間七七四年
2008/06/30(月) 23:25:27ID:27OuGOU90106人間七七四年
2008/06/30(月) 23:55:16ID:pYO7Ig5T今川義元が死んだあと、松永が三好を、秀吉が織田を、そして家康自身が豊臣を乗っ取ったように。
0107人間七七四年
2008/07/01(火) 06:47:44ID:m30uQSiAなぜあのような所へ布陣して食事するのか、これは名参謀が死んだとか
そんなレベルじゃないだれでもわかる常識だろ。
それに、信長の出陣についても諸説紛々、ただしいずれにせよ一直線で
数千の兵をすっ飛ばしていきなり桶狭間に出現しなければならないし、
謀略の臭いがくさくてかなわん。どの戦でも謀略抜きに語れない陰険な信
長だもんな。簗田政綱が沓掛貰ってるのに毛利新介が褒賞ちょびっとなん
てのも考えられないし、それ以外も不審な事が多すぎる。
陰険で凶暴な信長より、今川義元の方が遥かに戦国武将としては明るくて
豪快だと思うが。
0108人間七七四年
2008/07/01(火) 10:09:09ID:luV+y9NDあの時の桶狭間周辺は今川軍が殆ど攻略してたからな。
(織田軍の防衛拠点の丸根砦、鷲津砦を落してる)
(織田軍はわざと負け戦をし今川軍を油断させた)
(織田信長は清洲城から動かないと情報があった{信長の謀略})
0110人間七七四年
2008/07/01(火) 11:17:56ID:saldowGR0112人間七七四年
2008/07/01(火) 20:15:48ID:Qo0lPstaことが多すぎるもんな。
出自にしても、何故か寺の過去帳とかも破損してたり、非常に不審。
本当に嫡子なのかもわからん。
まあ、義元が上洛目的なんてのはあり得ない話だが、本陣場所、
向かおうとした(らしい)方向、それ以外の兵の布陣場所など、今川
の方にも不明なことが多すぎて、曖昧すぎる。
川中島もそうだが、当事者があまりにも記録に無頓着すぎたんだろ
うな。まあ、所詮は田舎侍の争いと言ってしまえばそうなんだが、中
国の記録と比べると精度や正確さの点であまりにも隔絶した差がある。
0113人間七七四年
2008/07/01(火) 22:09:16ID:kvHhHXP9それこそ怪しいのだという事が何故理解出来ないのか?
軍記物の類と日記や書状などと比べ、色々と検証されてきたからこそ
余計に不明瞭な部分が多くなったのだと何故理解出来ないのか?
0114人間七七四年
2008/07/02(水) 05:14:26ID:p/NVIHqJ研究者だったら笑えない話だが。
0115人間七七四年
2008/07/02(水) 07:29:23ID:xIgJFdOS0116人間七七四年
2008/07/02(水) 23:43:06ID:1jZ25BuV豊臣秀吉は農民ながらなぜか天皇より豊臣の名をもらえた。そして幼名は日吉丸で日の本を表している。
このことから秀吉は天皇の娯楽員の可能性が高い。
そうなると別に信長に仕えずともその権威で人を集めて出世することは可能だっただろうね。
安土城を一夜にして立て、あの徳川家康を破り配下としている。
結局才能的には秀吉が一番だろう。ただ跡継ぎに恵まれなかっただけ。
0117人間七七四年
2008/07/03(木) 00:06:22ID:5W69QcM40118人間七七四年
2008/07/03(木) 00:12:26ID:5W69QcM40119人間七七四年
2008/07/03(木) 06:03:58ID:Swr9ltG3最早衰微しきって大嘗祭すら満足に行えなかったみかどの綸旨に
そんな力があるわけないwww
ある程度群雄が勢力を広げあって、誰かが覇者になりかけたときに
初めて対抗勢力の形成の根拠となるだけ。
信長は仕事もせずになにかといえば金を要求するおじゃるどもに切
れて安土に天皇だけを引っぱろうとしたが、正解だろう。
天皇も、そういう腐った貴族層と切り離されたら単独ではなんの能力
もないから、事実上の軟禁と同じで、いずれは滅亡しただろう。
女の腐ったような日本の政治のあり方を変えるチャンスだったが、
惜しかったな。
0120人間七七四年
2008/07/03(木) 06:47:31ID:5W69QcM40121人間七七四年
2008/07/03(木) 08:16:12ID:gcEQQv9lとりあえず、
織田信長がいなかったら“羽柴秀吉”と言う人物は生まれなかっただろうな。
秀吉が徳川家康を破ったって
小牧・長久手の戦いの事を言ってるんじゃないだろうな?
0122人間七七四年
2008/07/03(木) 12:23:34ID:5W69QcM40123人間七七四年
2008/07/03(木) 12:27:04ID:5W69QcM40125人間七七四年
2008/07/03(木) 14:57:06ID:5W69QcM40126人間七七四年
2008/07/03(木) 16:35:03ID:QUnsPrBe0127人間七七四年
2008/07/03(木) 19:47:25ID:5W69QcM40128人間七七四年
2008/07/03(木) 22:30:05ID:xX3If+IK秀吉の出自で最初に出てくるのは秀吉が生前、大村由己に書かせた
「天正記」で、そこには秀吉の母は萩中納言の娘で下国して生んだのが
秀吉だったとなっている。これが所謂、「皇胤説」。
小瀬甫庵の「太閤記」では日輪がお腹の中に宿ったとしている。
それより更に後に書かれた「太閤素性記」には信長の鉄砲足軽だった
木下弥右衛門の子だと書かれている。
ルイスフロイスの「日本史」には美濃の百姓の子だと書かれている。
0129人間七七四年
2008/07/03(木) 22:40:35ID:5W69QcM40130人間七七四年
2008/07/03(木) 23:31:45ID:5W69QcM4■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています