織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part11
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2008/04/23(水) 16:15:04ID:ARUiZbH4ここでは「彼が存在していなかった場合、誰が天下を我が物にしたか?」を議論するスレです。
前スレ
織田信長がいなかったら誰が天下取っていた?part10
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1204071521/
0292人間七七四年
2008/07/30(水) 21:16:24ID:1mCV4VTwその失敗は、彼の長所からきてる必然のように見えてしまうからなあ・・
上で、事後処理がうまくないとか書かれてるけど、
速度を優先したが故に、根回しとか・・
いろんな調整に時間を全然かけてないんだよな・・
周りが敵だらけになったり、裏切りをあれだけ受けたのもその為なんだろうけど、
そんな事やってたら、30年であそこまではたどり着かなかっただろうなあ。
0293人間七七四年
2008/07/30(水) 21:34:58ID:rrxJOp9Rその典型的な大名が
毛利元就。
まあ毛利は頑張って四国平定だけど、
織田信長はあれだけの才能があったんだから中部と関東の平定は出来たかもしれない。
その後は織田信忠しだいだけど。
0294人間七七四年
2008/07/30(水) 21:47:03ID:1mCV4VTw逆に、信長が元就の孫(輝元のかわりに)として生まれてたら、
10年くらいで天下取っちゃってたかもしれん。
逆に国がデカイから、軍政改革とか中央集権化に手間取ったとしても、
20年くらいで。
0295人間七七四年
2008/07/30(水) 21:55:45ID:aqSCiPzV基本は、謀略、計略、そういうので相手を裏切らせたりするわけで
単純な軍事力とか機動力ってのはちょっとゲーム感覚だと思うよ。
味方の兵だって消耗品じゃないから下手に失ったら国力が低下
するだけ。
信長だってそういう諜略でずっと勝ち上がってきたわけだし
まともに戦った合戦では案外勝ちきり方がヘタクソ。
毛利とか今川とかは、別にどうしてそんなに評価されるのか
わからない。
中世的には支配能力があったかもしれないけど、戦国に入って
からは没落するのが当然みたいな評価だけどな。
0296人間七七四年
2008/07/30(水) 22:12:58ID:zWEbFpo20297人間七七四年
2008/07/30(水) 22:39:50ID:5AHSOotC信長は今川を破った寡兵を除けば
ほとんどの戦闘において圧倒的な戦力で敵を叩き潰している。
どちらかといえば戦術より数にものを言わした戦い方が基本。
0298人間七七四年
2008/07/30(水) 22:49:19ID:e6yb6Vsk逆だろ。信長は事前の調略その他を含めた準備が非常に用意周到だった。
信長の速戦を支えていたのは、行動に移るまでの徹底した事前の下処理があってこそ。
この好例が朝倉浅井滅亡戦。
>>297
よく言われるけどねそれ。実際に信長が数で圧倒する戦争をするのは美濃征服後。
それまでは、基本同数か寡兵で尾張美濃を征服した。
信長の後半を見ると確かに大兵による押しつぶしが多用されているが、そんなのは
大兵力を整えられる者なら誰もがやりたがる兵法の常道であって、多数の兵力が
揃えられるのにわざわざ小数にするマゾは普通いないよ。
信長は、少数の兵でも多数の兵でも指揮統率して戦える武将だってだけ。
0299人間七七四年
2008/07/30(水) 22:55:29ID:p5wKV7Pf関東に兵を出し北信で武田と対峙し北陸で一向一揆と戦えた
織田家は熱田津島湊を支配する事による収益でたかが尾張下四郡の半国
大名でありながら駿遠三の今川家と信秀の代より延々と戦を展開できた
毛利家は高橋を滅ぼし木材を押さえ、吉川に養子を送る事により鉄を支配し、
海の小早川を取り込むことにより木材鉄の流通路を確保し、赤間が関と鞆湊、
美保の関、石見銀山を確保することにより地方覇権型大名としては異様な
経済力を身につけた
阿波讃岐の三好は淀川水系を支配する事により何度でも畿内に蘇った
兵は米を食うし、武器を作るのには材料がいるし、米にも武器にも金がかかる
経済が成り立たなければ謀略も軍事もなにもない
金がない大名が無理をすればどうなるかは武田をみればわかる
0300人間七七四年
2008/07/30(水) 23:10:52ID:uo5OeJgY信長のようになれたような気がするんだけど。
まったく目がないってことはないんじゃないかな?
0301人間七七四年
2008/07/31(木) 06:50:36ID:4mNOb58k人望があったら織田信長のようにはならないだろ。
信長の能力はうつけ生活をしてあるようなものじゃないか?
0302人間七七四年
2008/07/31(木) 09:05:30ID:dJKC4hcSそうそう、信長が旧宗教勢力と戦ったのは経済的既得権を
かけての争いで、金が大事、みたいなのをわかってたのは間違いないだろう。
軍事面からばかり語られるのは残念なんだが、長命だった場合、どのような
経済的政策、中央集権的統括、をしていたか、これには興味があるところ。
たぶん、宣教師あたりの知恵を借りてたろうな。
最新の論では、信行が古参家臣、信長が新興家臣、みたいな対立から
その家督権争いが展開されてる。
津島湊の支配権を持ってたことといい、信長はうつけ、というのは
行動力もあるしお金も持ってる、若い家臣団から見たら素晴らしい若殿
だったに違いない。だから命がけでついていったのだろう。
このあたりを、金持ちのヤンキーの隊長、と言ったらボコボコにされたことがある。
でも馬で一騎がけとか、ほとんど族のトップとかわらないと思うのだが。
今だってバイク乗りが警官になって白バイ隊に配属されたりするもんね。
もう少しよく言えば、営業&警備部長に大抜擢された社長の息子、ってとこか。
0303人間七七四年
2008/07/31(木) 11:40:23ID:6SduS998軍事訓練でカカシの真似して鳥を狩ったり、かなりの早熟で独創的。
信行が家督ついでもそれなりに勢力拡大できると、上のレスあるけど
天才と普通の人では結果が全然違うよ。
0304人間七七四年
2008/07/31(木) 18:07:59ID:vSvDbphSもう一度、桶狭間の時点に戻して 再度、統一に挑戦したら
10中8,9 失敗しそう。
0305人間七七四年
2008/07/31(木) 18:11:05ID:lu1heXXz0306人間七七四年
2008/07/31(木) 18:14:16ID:vSvDbphS義元が上洛する事に北条も武田も了承していたわけだろう。
なら、 桶狭間さえなければすんなりと上洛でき 当時の将軍を
補佐していたと思われる。
ただ、室町体制で 昔ながらの管領制となり、徳川幕府のような
中央集権国家では無いだろうけど。
0307人間七七四年
2008/07/31(木) 19:08:07ID:EQuS3G60そんなもん誰だって同じだろ。
秀吉を本能寺の時点に戻してもう一度やり直させたら、やはり失敗に終わる可能性は大きくあるだろう。
家康を三方ヶ原の時点に戻してもう一度やり直させても、やはりどこかで失敗する可能性はある。
0308サイコメトリー
2008/07/31(木) 19:41:32ID:LT9au2hfこのスレはもう11段目には入っている分けですから、そろそろ定義を再確定し、
候補者を絞ったらどうでしょうか?
例えば、寿命(病死)で死んだ大名武将は省くとかさ。
0309人間七七四年
2008/07/31(木) 19:58:28ID:lu1heXXzら義元は上洛できたか否か?
0310人間七七四年
2008/07/31(木) 20:12:10ID:4ALh01gf0311人間七七四年
2008/07/31(木) 20:13:43ID:6SduS998もう一度戦国時代を繰り返せば、まったく違う人間が活躍してる。
池田家では長男戦死、次男輝政が相続する。
武田では、長男自殺、次が盲目などで4男の勝頼が相続。
結局運の良し悪しみたいな感じで、たまたま生き残った奴が出世してる。
能力では信長は飛びぬけてるし、堅実さ、安全性では家康が際立ってる。
でも、大半の武士はたまたま結果論みたいな感じでしかない。
畿内の先進地域を支配した者の中から、次の有力者が生まれる。
今川義元は、42歳で70万石。それから300万石以上に増やせるかはわからない。
金が増えれば贅沢になり、それ以上の向上心がなくなるかもしれない。
0312人間七七四年
2008/07/31(木) 20:21:00ID:P9jL24C2散々上で言われてるけど、
信長は、尾張、美濃に加えて、幾内を押さえて、
更に、宗教勢力と対立してまで、経済搾り取ってなお、
包囲網でギリギリだったんだよね?
信長みたいな天才でさえ・・
そう簡単にいくもんなのかな?
0313人間七七四年
2008/07/31(木) 20:34:23ID:spnj0Woi桶狭間の時点で義元に上洛の意思がなくても、
桶狭間で戦死しなければ、義元が数年以内に尾張を併合するのは確実だし、
信長と関係なく義輝暗殺事件は起こり、義昭は越前に逃げる。
朝倉が上洛しようとしないのは史実と同じだから、
結局、義昭は、尾張まで併合している今川に転げ込んで上洛を要請する。
0314サイコメトリー
2008/07/31(木) 20:35:09ID:LT9au2hf石高では計りえないのが、戦国時代(戦国に限らないか)
東北5国治めてる大名よりも、摂津の一地方治めていて、朝廷に通じていて
官位もらっている者の方が事実上、立場は上かな。
よく島津や伊達が極地を支配しながら、統一する可能性なんて話が出るが、
正直、信長の野望ゲーじゃなきゃまず無理でしょうね。
0315人間七七四年
2008/07/31(木) 20:36:16ID:CukUP2iv考察するのがはやりなの
0316人間七七四年
2008/07/31(木) 20:38:55ID:4ZexbWIS無理w
信長がいなくても
義元じゃ上洛できないでしょ
三国同盟結んで6年間なにやってたのってことw
織田を潰すなら信秀の代のがチャンスはあった
織田は斎藤と今川に挟まれ身動きとれない状況で疲弊してただろう
で斎藤、今川は全盛期、家臣団も整っていた
桶狭間の段階では検地を実施し領内は整備されてはいたが
いざ軍事となれば人材も乏しく上洛の期をのがしている
その間
信長は家中の問題を処理して
尾張を統一してるから
この時点で信秀の代より強国で
経済豊かな尾張は一国でも大大名なわけだなw
意外と義元は織田家を恐れ
半ば上洛を諦めてた可能性がある
0317人間七七四年
2008/07/31(木) 20:45:52ID:P9jL24C2義元の尾張侵攻のタイミングって、
ある意味ではベストタイミングだったんじゃない?
たしかに遅かったといえなくもないけど、だからこそ大軍ど動員できたわけで、
信長は尾張統一直後で、まだ大軍の動員なんか到底出来ない状況。
桶狭間が有名なのは、大逆転だったからな訳で、
逆に言うと、順当にいけば、まず信長は負けてたって事でしょ?
結果敵には、戦術的には致命的な大失敗をしでかした訳だけど、
戦略的には成功していた。
0318人間七七四年
2008/07/31(木) 21:27:22ID:4ZexbWIS桶狭間の前の段階で
織田が攻勢に出てて鳴海城がやばかった
この戦いは織田家に対する今川の反攻戦でしょ
決戦場も定かでなく
今川の兵も各砦の抑えのため分散していた可能性がある
で信長は今川本陣に対して数でゴリ押しってとこでしょ
これは奇襲じゃなく必然で
相手の領内に攻め込むのだから砦とかの抑えのため
兵を割くのは当たり前のこと
桶狭間はガチな局地戦だったんじゃない
戦前、外交政治戦の下準備の段階もなかったみたいだし
0319人間七七四年
2008/07/31(木) 22:20:51ID:YcNVjQqB信長の反抗が思いのほか激しかったから多少準備不足でも踏み切ったんだろ
発注した武具を一年前倒しして納入しろと、氏真の書状が残ってたはず
0320人間七七四年
2008/08/01(金) 09:41:13ID:oY/fVI/0最初に攻めたりしたのは信長のほうで、今川は別に上洛しようと
思って進入したわけじゃない。
あくまで反攻であり、それもかなりの局地戦に終始したはず。
なので、巷間言われてるほど直接軍の人数に差は無いし
奇襲なんて持ち出さなくても、そういうゲリラ戦に強かった信長
は、自信はあったはず。
313が義元が数年以内に尾張併合、ってのはなんの根拠?
信長がいなくても叔父とか信行あたりが津島湊の膨大な
利益を背景に強力な尾張国を作り上げてただろうし、
このあたりはイフのイフだから、確実、なんてことはいえないはず。
義元をやけに高評価してるけど、敵地の戦場で「緩々」するような
武将なら信行ぐらいでも十分に対等でしょう。
0321人間七七四年
2008/08/01(金) 11:11:18ID:BcioJJFr0322人間七七四年
2008/08/01(金) 12:27:00ID:T77hZsIG信行では、織田信友にも勝てなかっただろう。
まして村木攻めや桶狭間の真似ができるわけがない。
まあ、信友と抗争しているうちに、東から順調に今川に侵食される。
水野も早期に離反。
0323人間七七四年
2008/08/01(金) 14:56:28ID:n/B3x7g+厳しいぞ、相手は日本最強クラスなんだから。
ちなみに信行に勝った時の信長の武器は「大音声」だぞ。
あそこは何回見ても笑えるなー。
0325人間七七四年
2008/08/01(金) 19:56:26ID:1g2Yn+Ds0327人間七七四年
2008/08/01(金) 20:30:41ID:gDQo1Lv3今川氏親を支えたのが早雲だからw
氏親の要請で早雲がわざわざ西三河までいって
松平と戦ったみたいよ
今川を戦国大名化させのも氏親で
今川の全盛期はこの代でしょ
なんだかんだで尾張まで影響力発揮してたらしいから
晩年、寝たきりで権威を振るうだけで
行動を起こせなかった
もし元気だったら尾張を平定してたかもね
0328人間七七四年
2008/08/01(金) 22:32:35ID:oJ5HNmFp誰が?
兵の地力では、並以下だと思うが。
それに当時の力関係は明らかに今川の方が上。
尾張は経済や石高はそれなりにあるが、それと人口や兵数が同じじゃない。
0329人間七七四年
2008/08/01(金) 22:43:33ID:JA6Fd8tWあまり細かい点には踏み込みたくないけど、兵の地力、というのは
どう判断するの?
信長VS義元限定だと、小数なのに負けたほうのほうが弱いのじゃないか、普通。
あと、尾張の経済ははっきりしてないが、信秀の時の内裏修理にとんでもない
金額を出してる。
これから判断して史料が無いだけで、尾張はかなりの国力と判断したほうが無難。
ちなみに伊勢神宮修理の時にもすごい献金してて、持続的なそういう富があったはず。
ちなみに公記にある桶狭間の45000人はさすがに信憑性がないと思うが
最近はどうなってる?
桶狭間の前には織田から軽く攻めてるし、一般で言われるほど今川がでかい、
というのは逆に信長を大きく見せようとする最近の俗説、という気がしないでもない。
ま、そんな大国なのに、あっさり「緩々」して負けたというなら、信長の有無にかかわらず
天下なんか取れなかった、というのが普通だろうけど。
0330人間七七四年
2008/08/01(金) 23:12:16ID:KeGAQZxX言われてるよね。
だいたい昔から思われてるのは兵力はバブリー過ぎない?
武田の全盛期でさえ2万がやっとだった。(これすら連合軍)上杉に至って
は終始8千程度軍勢で万を超える軍勢をだしたのは謙信の最晩年だけだ。
北条などの確りした動員記録の資料見れば兵2万なんてのはちょっと信じが
たいね。
0331人間七七四年
2008/08/01(金) 23:24:27ID:NEjO1xjA北条のものが、凄く精度が高く、量も膨大らしいね。
今川に関しては、大国かどうかは分からんけど、
先進的な国だったってイメージがあるけどな。
仮名目録のような、先進的な法をいち早く作成し、
海洋交易を含めた、経済主導体制を持ち、
後の江戸幕府の官僚団の母体になった、家臣団を有していたわけで。
0332人間七七四年
2008/08/01(金) 23:31:43ID:BcioJJFr0333人間七七四年
2008/08/02(土) 00:43:57ID:o8wgP6ib家柄の権威で一目置かれただけだろ
武田北条織田も徹底的に戦うのを避けてたかもね
0334人間七七四年
2008/08/02(土) 08:10:57ID:QGaIFYU2最大動員数で宣伝するのも常套手段だし、いくら同盟関係といえども少ないとはいえ
武田北条への備えもいるから非常態勢として砦に籠もるぐらいはするだろう。
全軍が前線に出てくるわけじゃないよ。砦全部落として清洲の前面に押し出してきたと
してもやはり2万全部は無理だろうし。
0336人間七七四年
2008/08/02(土) 11:03:08ID:P77IchqR0339人間七七四年
2008/08/09(土) 19:24:49ID:ayVJPQS+光秀のせいにして
0340人間七七四年
2008/08/10(日) 17:07:10ID:zDMaUKp+秀吉が光秀を利用した確立は高いだろうな。
現に光秀は中国方面に行こうとしてたんだし。
0341人間七七四年
2008/08/10(日) 17:30:46ID:tGCofQA20342人間七七四年
2008/11/02(日) 01:08:10ID:15suSBx9■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています