【政宗】みんな伊達を恐れていた【成実茂庭片倉】
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0407人間七七四年
2008/10/22(水) 00:48:30ID:/5HQimcF政宗本陣を発見し、追いすがるわずか15歳の葦名盛重の活躍を特筆し大いに賞嘆している。
その間に葦名累代の家臣18人が渡河せず、橋を焼き落す。
その頃、伊達成実や大内の阻止行動があり、政宗本陣との間が隔てられ孤軍となってしまった
盛重をかばう行動に出て金上盛満(一説にこの時期は狐戻城主になっていたとも言う金上盛備とは別人)が討ち死にと言う流れだ。
また会津合戦記には21才の富田将監により片倉・原田・猪苗代が敗退し、政宗本陣の八ヶ森に突入。
恐怖で統率不能のパニックになった片倉軍の鉄砲隊が、
戦のマナーを破り、卑怯にも会津方の軍見物に出たる住民達に無差別発砲虐殺を開始。
住民たちが阿鼻叫喚しながら逃走するのを見て、
葦名側は自軍に裏切り者があり得ない方向から突出してきたと誤解したため、
次々と葦名側に裏切りが誘発され日橋を落としたのが敗因としている。
風向きについては>>366
大縄讃岐守への反感から葦名18将が橋を焼き討ち
崩壊した片倉が非戦闘民を虐殺し自軍の裏切りと誤解した
風向きの変化で砂ぼこりが葦名軍兵の目に入り活動が低下した
どちらにしても伊達は自力ではなく、運だけで勝ちを拾っただけだからw
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