【政宗】みんな伊達を恐れていた【成実茂庭片倉】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001人間七七四年
2007/09/05(水) 09:35:45ID:HJl0x6tp政宗がせめてあと10年はやく生まれていたら
0032人間七七四年
2007/09/08(土) 12:15:42ID:Xn2OznQ4恐れられていた大名なら
東北の諸大名が
こぞって上方に臣従するわけないじゃん
アホか
0033人間七七四年
2007/09/08(土) 12:39:19ID:bPkVTZvDたしかに佐竹が芦名につくというリスクは大きいとは思う。
しかし、佐竹の場合北条が下野まで進出してきたり、
積極的に奥州へ出てくるという事がしにくい状況なのを
忘れちゃいけないだろうな。
人取橋も佐竹の後背が不穏だったこともあるわけだし。
その芦名が分裂状態だったというのはかなり大きいぞ。
佐竹から着いてきた連中と佐竹派、伊達派の対立はひどい。
重臣の富田美作や平田不休斎の士気は低かったというし、
衰えていく芦名に見切りをつけていく奴らも多かった。
家中が一枚岩で無い事を過小評価はできない。
やや後の宇喜多家中のケースもそうだろう。
0034人間七七四年
2007/09/08(土) 13:39:31ID:kWn4lD85周囲に超一流の武将がいたわけじゃないところが彼の成長を止めてしまったのかね
0035人間七七四年
2007/09/08(土) 15:22:38ID:ySuASSIq0036人間七七四年
2007/09/08(土) 15:40:59ID:N4Rf0bC0秀吉への工作を怠ったものだからその成果は没収
このことは政宗にとっては痛恨の経験だったんだろうね
以後は豊臣・徳川と有力者に風を見て従うようになる
家光の将軍就任お披露目の時には、「徳川に逆らうものがいたら、家光様が出るまでも無い。この政宗が踏み潰してやりますよ」と諸大名の前で公然と胡麻をすって見せるまでに
0037人間七七四年
2007/09/08(土) 15:54:21ID:mJVKnj1Q本領は安堵。秀吉は政宗に奥州五十四群の下地権も認めている。苛烈な秀吉
にすると、相当甘い処分だったわけで、既に家康と水面下で結託していた政宗の
外交力にしてやられたともいえる。
家光の将軍就任の際のタンカは、政宗の威光に期待した家光側が頼み込んだのだろう。
0038人間七七四年
2007/09/08(土) 16:12:52ID:AxFphYX50039人間七七四年
2007/09/08(土) 16:32:41ID:WbxUXFx7信玄・謙信死んで北条が独壇場と化したから苦しくなったって。
何が言いたいわけ?
0040人間七七四年
2007/09/08(土) 17:12:49ID:xLaXJpbl一地方の良将だとは思うが…
江戸や大掾相手に数十年も戦い続けて、
結局常陸一国を統一したのは小田原後だからねぇ
0041人間七七四年
2007/09/08(土) 17:30:02ID:WbxUXFx7最大版図はもちろん葦名込みで。
0042人間七七四年
2007/09/08(土) 17:33:43ID:4zkhdRJW常考…
0043人間七七四年
2007/09/09(日) 12:14:13ID:F/ZcJ1AR大坂の陣ではやはり味方の神保隊を虐殺したり
やることが凄いからな
危険物を恐れる一般人的には恐ろしかった可能性もある
0044人間七七四年
2007/09/09(日) 12:51:30ID:vnVFvvdlちょろちょろやってる小物とかいうやついるけど、ありえないよ普通。
浅野に絶縁状叩きつけるとか、正気とは思えない。
秀吉・家康相手でも、やってみろこの野郎くらいの感じだったんだろうか?
考えられないんだけど。
0045人間七七四年
2007/09/09(日) 13:39:21ID:eRKy0NQE0046人間七七四年
2007/09/09(日) 13:44:45ID:LWwhgQx90047人間七七四年
2007/09/09(日) 15:09:07ID:kT1uQ/KV政宗みたいな奴は憎まれんじゃないのか‥
性格悪そうだしね
0048人間七七四年
2007/09/09(日) 19:12:08ID:3CqeT1CP戯言は最上義光、いや、せめて相馬盛胤を滅ぼしてからにしてください
0049人間七七四年
2007/09/10(月) 00:19:27ID:3TMzrrFVそりゃ無理だ。
仮に同品質で同数の兵を持たせて戦争やったら盛胤>義光>>>>政宗だから。
壊滅して泣きながら敗走するのが関の山。
伊達がこいつらに勝ってるのは国力とそれに支えられた頭数の多さだけ。
0050人間七七四年
2007/09/10(月) 12:01:01ID:lZJx7Nkk幕府に献金工作して奥州探題の地位貰ったり
外交で支配体制を確立しようとしたんだよね
でも、一番近い血縁の親子が争ってそれもおじゃん(天文の大乱)
その残滓で、敵対した芦名や佐竹にも伊達の血が入っている
要するに親族内の迷惑な喧嘩、という見方もw
0051人間七七四年
2007/09/10(月) 15:51:28ID:METD5M/Q0052人間七七四年
2007/10/26(金) 00:45:16ID:DbgvA8g10053人間七七四年
2007/10/27(土) 02:41:23ID:5KiWVgdxが
大阪の陣ではやりの神保隊
に見えたw
0054人間七七四年
2007/10/27(土) 19:17:34ID:s6T0HBOp0055人間七七四年
2007/11/20(火) 08:25:54ID:cAFdHcek伊達家の家臣としてなにか役にたってたんですか?
0056人間七七四年
2007/11/20(火) 10:14:21ID:6wB0zs3h0057たられば君
2007/11/20(火) 12:16:27ID:aiGPynYk0058人間七七四年
2007/11/20(火) 20:01:07ID:cAFdHcek役にたったのならちょっと誇らしいです。血の
つながりがあるので。
0059あ
2008/02/21(木) 23:52:12ID:7sii/2lq秀吉政権で太閤検地をして各国の石高が確定され、徳川家康が天下を取り、
幕府を開設したことから、石高が勢力の大きさを表す尺度になった。
そこで伊達政宗を見ると、出羽も陸奥も統一していない。東北は2国
しかないが。米沢、会津、仙台という東北の中枢を押さえていたが。
佐竹が常陸を抑えて、下野・下総・陸奥南部に勢力圏を拡大している
現状を考えると、伊達は過大評価といわざるをえない。
石高の高い場所にただ居ただけでは意味がない。
0061人間七七四年
2008/03/01(土) 13:58:23ID:qkMBSySmhttp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1197266689/l50
松川の戦いは本当にあったのか? その4
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1198253856/1-100
政宗厨脂肪www
人取橋の戦いは政宗の敗北
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1155731067/301-400
伊達厨さん佐竹との戦いの伊達勝利捏造の方も論破されまくってますよ。
もっと狡賢く力を入れて必死に捏造してくれないと面白くありません。
0062あ
2008/03/02(日) 02:21:37ID:zQcUwvbq0063人間七七四年
2008/03/10(月) 23:54:37ID:udYeIDapみんな最上義光を恐れていたの方がよいんじゃねーか?
0064人間七七四年
2008/03/16(日) 13:09:19ID:kNtHPrtl0065人間七七四年
2008/04/19(土) 13:40:43ID:KvEFkyJC0066人間七七四年
2008/05/05(月) 16:58:11ID:nqIDsCcW0067人間七七四年
2008/05/07(水) 20:58:55ID:11ltYs+B年取ってから宇和島での仕事っぷりは渋かったと聞くけど。
0068人間七七四年
2008/05/07(水) 21:34:52ID:Ehej2b5U0069人間七七四年
2008/05/21(水) 01:53:28ID:y2O5LIQQ兵站管理がうまかったって話をよく聞く
朝鮮の役で餓死者を出さなかったとかなんとか
親父の仇の窪田十郎を許して家臣に取り立てたりとか、
政宗死んだ後、十数年後の命日きっかりに死んだりとか、
影は薄いけどこの人もなかなか普通じゃない
0071人間七七四年
2008/05/21(水) 07:59:23ID:nL176ONW0072人間七七四年
2008/05/21(水) 12:40:49ID:5jPSHCt4政宗相手に「多年の伊達家への貢献に免じて」なんて取りなしても無駄で…まぁ人質の家族が確実に皆殺しになるから涙流しながら我慢してた家臣が多そう。
茂庭なんて父の献身とかありながらかなり扱いが酷くてかわいそうなんですが…
0073人間七七四年
2008/06/13(金) 01:30:42ID:VlOWMpY4朝鮮の話は大ウソだよ。
逆切れして浅野長政に責任転嫁の絶交状を政宗が送った中で
朝鮮では豊臣の輜重隊から伊達の分の兵糧を分配してもらうはずだったのにお前が横領したから俺達はヒモジイ思いをしたってキレてたから。
0074人間七七四年
2008/08/30(土) 14:19:07ID:a7fXerX40076人間七七四年
2008/08/31(日) 14:01:51ID:ucjEBt+Q政宗公は表面従いながら猿や狸を内心小馬鹿にしてただろうな
こんな運だけの雑魚どもが天下人?しょうがないから相手して楽しむかぐらいの気持ち
0077人間七七四年
2008/08/31(日) 15:04:58ID:vgn8GgQ/0078人間七七四年
2008/08/31(日) 15:49:44ID:PQ5UH6J+義重の陸奥南部って結局は政宗に奪われてるじゃん
というか、傘下の葦名、二階堂は滅ぼされ、石川、結城は政宗に鞍替え
岩城すら単独和睦して、相馬は討ち死を覚悟する始末
0079人間七七四年
2008/08/31(日) 18:11:45ID:nz1mntS2惣無事令違反を恐れて石川も二階堂も岩城もみんな軍事的反抗に消極的だった。
秀吉の小田原征伐は内々ですでに決定していたし、
利家も南部への手紙で奥羽征伐で羽州方面から進軍すると言っていた(北条征伐はまだ計画されてない時期)
義重も直接に戦うな和睦しろと秀吉から圧迫を受けていた。
実際に、反乱と言う形で国人の支援は隠れて続けていたので
須賀川は反乱だらけで政宗は白河口から小田原参陣すらできず
三成が会津西部に大量の鉄砲を運び込んで上杉を通じて
会津西南の国人を支援してたので
伊達は会津4郡はおろか岩瀬郡すら平定不可能に追い込まれていた。
上杉景勝本隊も三条まで進軍しており、佐竹も秀吉の命をもって進軍予定だったが、小田原征伐の予定に変更になっただけ。
0080人間七七四年
2008/08/31(日) 18:47:05ID:vgn8GgQ/君の論理で行くと、石川は惣無事令違反を恐れたのに
小田原不参は恐れなかったということかい? 辻褄が合ってないような
二階堂は摺上原の戦いでも芦名方の態度を取ってほぼ同時に滅ぼされている
しかも二階堂氏は当主の夭逝で実質滅亡に等しく、
家中が伊達派と佐竹派に分裂し、内応者の手引きであっさり滅亡していることから
まともに抵抗できる力もなかっただろう
(仮に分裂していなくとも、芦名頼みの二階堂が抵抗できたか怪しいが)
岩城氏は思いっきり田村領に侵入したものの、その同年に
芦名が滅ぼされるや慌てて政宗に講和を申し込んで、軍勢の供出を誓っているね
芦名義広は黒川どころか、白河も捨てて常陸に逃げていることから、
芦名滅亡の時点で佐竹氏の南奥における支配圏は相当衰退していたのでは?
0081人間七七四年
2008/08/31(日) 19:01:16ID:nz1mntS2義重に秀吉から惣無地令を違反するな、葦名と伊達を和睦させろと強烈に圧力を加えられ、葦名家中も佐竹が支援してくれないなら伊達につくと分裂していた。
つまり葦名は伊達の力で滅ぼす以前に秀吉の惣無事令の確執で崩壊してた。
これは二階堂や岩城などみんな同じ。
結局、二階堂未亡人や須賀川城代の須田盛秀は抵抗らしい抵抗もせずに(当主などが戦に関わると惣無地令違反を追及される)さっさと佐竹領へ撤退してる。
よく須賀川未亡人が政宗の再三の助命勧告をしたのに徹底的に反抗して落城とともに自刃したとするのは捏造。
石川氏なども小田原陣を前にした佐竹の軍事行動に抵抗してない。
政宗は石川や結城や岩城らが佐竹と内通してるから、秀吉の前で
下手な真似されたくないから小田原陣への参陣を止めた。
0082人間七七四年
2008/08/31(日) 19:40:28ID:vgn8GgQ/どこの家中の分裂も惣無事令に起因すると考えているようだが、
元々は各家の佐竹派と伊達派の対立だろう?
政宗が勢力を伸ばすや伊達派が盛り返し、芦名滅亡を境に佐竹派が優勢だった家は
あっという間に伊達に服属していったが?
戦なら何でもかんでも惣無事令に抵触すると考えているのかい?
惣無事令がお題目通り大名の私闘を禁じる法令だとでも思っているのかい?
二階堂は抵抗しなかったのではなく、内通者の手引きで抵抗できなかったんだろ?
逸話なら何でも捏造かい? 小田原の際に石川が抵抗しないのは
惣無事令抜きにむしろ当然だろ?
0083人間七七四年
2008/08/31(日) 19:46:18ID:G8dy5yg00084人間七七四年
2008/08/31(日) 20:58:11ID:2uQ5i/sF惣無事令の圧力は凄まじかったし再三に渡り恫喝的な秀吉からの手紙や使者だけでなく、家康や利家や各方面から圧力がかかっきてた。
ノンキな低脳伊達は天下の大局が見えなかったけど葦名も石川も結城も岩城も頭の悪い政宗の巻き沿いにあって伊達と一緒に惣無事違反で改易になるのを極度に恐れてた。
0085人間七七四年
2008/08/31(日) 23:02:58ID:VP4H/5Pd伊達好きなら、芦名を滅ぼした時期に、秀吉が関東や東北にどう言う下知を出
していたかを絡めて見ないと。
伊達が好きだからって、正宗と同じく大局を見なくていいって事はないんだか
さ。
0086人間七七四年
2008/09/01(月) 00:31:18ID:WLcOYkrB佐竹、葦名が軍事的敗北を喫したのは紛れも無い事実。
わざわざ、秀吉の威を借りても勝てませんでしたと補足してるようなものだ。
>>79のように「秀吉が小田原征伐しなけりゃ奥羽征伐となり、政宗滅んでました」みたいな言い方は意味が無い。
じゃあ秀吉の台頭がなけりゃ、佐竹は北条と伊達に挟まれて滅亡してたでしょうねって話しでもするか?
>>81
>つまり葦名は伊達の力で滅ぼす以前に秀吉の惣無事令の確執で崩壊してた。
>これは二階堂や岩城などみんな同じ。
既に>>82が言ってる通り、伊達派と佐竹派の確執だ。
伊達派だった猪苗代盛国が主家を見限って寝返ったことを見ても明らか。
そもそも反伊達の急先鋒だった大内・片平兄弟が寝返った時点でもうね。
0087人間七七四年
2008/09/01(月) 01:12:24ID:ridcVTZ3ならば現在の法令と違って、総無事令が当時の大名間で
どの程度の信用性を持っていたのかを論じるべきだ
1587年末の「関東奥両国惣無事令」以降でも大名間の私闘はあったし、
それに対する豊臣政権の対応は様々だろう
郡山合戦(豊臣は芦名に肩入れ。お咎めなし)、摺上原の戦い(政宗から旧芦名領没収するも、芦名の復興はなし)
十五里ヶ原の戦い(本庄・上杉にお咎めなし)
相馬が惣無事令を受け入れるのは滅亡寸前の1590年になってからだが、相馬は本領安堵
安東の湊合戦は惣無事令違反を問われたが、一部を太閤蔵入地とされるのみ
大浦の津軽平定は惣無事令違反を問われたが、一部を太閤蔵入地とされるのみ
一方で南部の訴えは退けられてしまった
こんな感じでいいかい? >>84-85
0089人間七七四年
2008/09/01(月) 02:01:16ID:1hH+R0Zjこれは義広が生存しているのに、秀吉が蘆名の再興を命じなかった点からも窺い知れる
>>79や>>84の言を取ると、
自国を滅ぼされてでも令を遵守し、後に改めて伊達の行為を非難、提訴した(討伐させた)上で所領を回復させる
というのが当然の流れに思うんだが、蘆名も佐竹も実際に交戦又はそれに準じる行為(対陣など)をしてる
仮に豊臣の介入によって思うように動けなかった為の敗北と言い張っても、伊達の戦略的勝利である事実は変わらない
0091人間七七四年
2008/09/01(月) 02:40:07ID:gx76+zi+そもそも佐竹は伊達に軍事的敗北などしてない。
何か勘違いしてるようだが、佐竹は秀吉のおかげで助かったわけじゃない。
佐竹とて秀吉に改易される可能性があり必死な外交をしてる。
里見は上総召し上げ、宇都宮は改易など、秀吉は決して反北条側をひいきしてたわけではない。双方の言い分を聞いたり伊達から頼まれて前田や浅野や家康の執り成しも聞いてる。
また伊達が大局的に物事を見れないで暴れまわってたから伊達以北では情報伝達が不正確で惣無事令の徹底ができなかった(伊達歪曲情報のフィルターが北奥羽にはかかってた)
伊達領以南とは惣無事令に対する意識が違う。
それでも最上経由で津軽は、南部が秀吉に訴えてるのを知り外交戦を開始したし(最上は上杉との秀吉相手の外交戦で負けて庄内を失った)
南部は津軽安堵の変わりに九戸や花巻方面を秀吉にもらった。
安東も後継者争いの後の秀吉外交で助かった。
伊達は外交戦でびっくりしるぐらいの大敗北をした。
0092人間七七四年
2008/09/01(月) 02:47:14ID:gx76+zi+猪苗代が離反したのも
秀吉から「葦名と伊達を和睦させろ。言う事聞かなかったらどうなるかわかってんだろうな。」と言う恫喝をされた義重が惣無事令違反を恐れ佐竹が葦名支援を弱めて和睦外交を始めたから。
これで、「佐竹が支援しないなら義広を追い出そう」とまで葦名で言われた延長線上の話。
0093人間七七四年
2008/09/01(月) 02:53:33ID:7vzjouCf佐竹みたいに関東地方の豊臣の手下になるしかなかったんだろうな。
なったらなったで大変だが。
ちなみに政宗はあほなんだけどしゃれが利いていたから
なぜか秀吉にちょっと気に入られて生き残ったという感じだな。
秀吉も政宗の嘘を知らないわけなかろう。一揆煽動だってそうだ。
情報は蒲生から入っている。
だけども弁解で秀吉のツボをくすぐるようなことばっかりするから。
秀吉も、あほやなーこいつ思いながら顔はニコニコしているというね。
そんな感じ。
0094人間七七四年
2008/09/01(月) 03:08:48ID:s6KXS5JOそれで和睦に失敗するわ、義広は逃げ帰ってくるわ、
お仲間の白河結城、石川、二階堂、
あげくには岩城にまでソッポ向かれたね
惣無事令が絶対的なもののような言い方をしておきながら、
みんな仲良く違反して外交交渉に活路を見いだしたとはこれ如何に
結局惣無事令の不公平さ、信用の無さをお前のレスが証明してる
秀吉とその側近の心象次第で判決などどうとでもなるわけだし、
それが原因で東北は豊臣政権への不平不満の温床となっている
政宗によって情報がねじ曲げられたとか妄想も大概にしとけ
0095人間七七四年
2008/09/01(月) 03:21:45ID:gx76+zi+その巻き添えをくって一緒に惣無事違反改易を恐れていた。
なんせ白河も二階堂も岩城も秀吉人脈の方々から物凄い圧力がかかってたんだから。
小さい勢力ほどそういうのは敏感でうまく立ち回り安堵を得ようとするもんだ。
結城は家康から養子を貰い生き長らえようとしたし。
ひいきされていたわけではないので、いくら佐竹が秀吉に働きかけようと無駄。義重の姉妹の嫁いだ宇都宮は改易されたし。
義宣の妻の実家の那須は改易したが大田原らが生き残り那須復興を秀吉に働きかける事になるし。
政宗が助かったのは政宗自身がどうとかではなく、完全に家康や浅野や前田らの執り成し努力のおかげ。
0097人間七七四年
2008/09/01(月) 03:33:15ID:gx76+zi+惣無事令こそ外交戦なんだよ。
もはや戦なんてやってる余裕ない。
みんな惣無事令違反の恐ろしさを知ってたから外交戦を開始した。
秀吉が改易をちらつかせていたから真剣に怖かった。
実際、違反したら改易と恫喝されてたからね。結果論で惣無事令が不徹底で許されたとか当時の大名にはのちの歴史を知らなかったんだから楽観してない真剣だった。
佐竹も三成から献上品がみすぼらしいとか言われて焦ってたし。佐竹は金などを大量に秀吉に献上してる。
みんな小田原参陣して秀吉に会うまではどうなるか予測もつかなかった。
太田三楽斎も参陣して安堵を受けたが失言をはいて秀吉の怒りを買ったし。
0098人間七七四年
2008/09/01(月) 03:36:59ID:gx76+zi+領土召し上げられ面目を失い、伊達家臣も努力の報酬を失い、さらに諸将の面前で土下座して諸将から嘲りを受けてどこが大成功なんだかw
0099人間七七四年
2008/09/01(月) 03:41:22ID:gx76+zi+母に罪を着せて弟を殺したから参陣に遅れましたと言い訳を作り出し
肝を潰した政宗は自分を弁護するのに必死で、田村らの弁護をする余裕がまったくなく見事に改易されて約束が違うと恨まれてるしw
0100人間七七四年
2008/09/01(月) 03:42:31ID:s6KXS5JO不公平なのを知っているからこそ、外交戦に懸けてるんでしょ?
政宗の外交が大敗北と言いながら、改易されずにすんだのは周囲のおかげって
それこそ政宗が改易されないように外交を頑張ったと
自分で言ってるようなものじゃん
散々違反して中央の心象が悪いんだから奇跡の大逆転ですね
0101人間七七四年
2008/09/01(月) 03:46:58ID:gx76+zi+最上を敵視して政宗は秀吉にさんざん最上らの悪口言ってたのになw
0102人間七七四年
2008/09/01(月) 03:53:25ID:A5W0CLpWちょっと抽象的すぎやしないかい?
物凄い圧力とやらを具体的に書いてみなよ
ちなみにこういう外交に周囲で一番巧みそうな最上義光は、惣無事令発令後も伊達と交戦してるね
0103人間七七四年
2008/09/01(月) 03:53:46ID:gx76+zi+ただそれぞれが自家に有利になるよう努力をするのは当たり前で座視するやつはかなりのマヌケ。
家康や前田らは自分達の政治力を高める為に伊達に恩を売り助けてやって影響力を高めようとしたし秀吉も彼らの顔を立てようとした。
ただ牽制も兼ね秀次の影響力拡大の為に奥羽へ総大将として派遣させた。
0105人間七七四年
2008/09/01(月) 03:58:33ID:Teca1iOAなんか悲しいなw
0106人間七七四年
2008/09/01(月) 04:01:03ID:A5W0CLpW政宗も馬を献じたりしてるんだけどな
座視とかじゃなくて、単純に秀吉との対決も選択肢にあっただけじゃないかい?
まぁそれは見通しが甘すぎたわけなんだけど
0107人間七七四年
2008/09/01(月) 04:08:43ID:s6KXS5JO→でもみんな破ってるけど?
政宗の外交は大敗北、改易されずにすんだのは周囲のおかげ
→周囲にとりなしてもらうよう外交頑張ってるけど?
惣無事令の不公平さは当時のみんなには分からない
→破っても怒られない人がいるの分かってるからみんな外交必死なんだけど?
政宗が助かったのは家康や利家の政治的事情
→そういう人たちの歓心を買うために外交を頑張ったんだけど?
政宗のせいで惣無事令の情報が歪曲されて錯綜
→ソース知りたいんだけど?
いい加減これに反論してくれよ
0109人間七七四年
2008/09/01(月) 05:17:11ID:zBjaNyNs佐竹は葦名を滅ぼされてから南奥の勢力圏を失陥しているが
これを軍事的敗北と言わず何と言う
伊達は惣無事違反で新領を失ったが、本領は安堵
佐竹は奪われた旧領を回復出来ず、外交戦でもびっくりしるぐらいの大敗北をした
>>92>>95
その状況で大内や猪苗代が背くのは自身のレスと矛盾している
彼らが惣無事令を絶対視していれば、それを無視している政宗に味方する筈がない
また、「佐竹が支援しないなら義広を追い出そう」と言い出したのは、渋々従ってた伊達派の面々
この話を持ち出しても伊達派と佐竹派の確執を否定出来るものではない
>>95>>97
大局の見えない政宗が、天下の趨勢が外交戦に移行していることも知らず、徳川らに取り成してもらえた?
何を言ってるのかよくわからん
0110人間七七四年
2008/09/01(月) 05:24:12ID:zBjaNyNs最上は惣無事令発令後、庄内を上杉に掠め取られ、訴えたが捨て置かれた
南部にしても津軽地方は復帰出来ないまま豊臣臣下に組み込まれている
奥州の大名は多かれ少なかれ苦い思いをしているんだが
>>103
秀吉とのやりとりはしてるから座視とは言えん
ID:s6KXS5JOに言い負かされて煽り臭くなってるのは笑えるが
0111人間七七四年
2008/09/01(月) 13:47:49ID:ridcVTZ30113人間七七四年
2008/09/02(火) 23:28:23ID:srPzazbu上杉との10年に及ぶ長期の激突を指揮して大敗北した葦名執政の金上盛備は
葦名重臣から反発を受けていた。そのために佐竹の後ろ盾を必要として義広を迎えた。
この強引な強権発動はさらに金上の権威を失墜し反発を招いている。
ここで重要なのが、葦名が佐竹のモノになったわけでもなく
佐竹の意向で葦名が動くようにすらなってない別物という点。
葦名義広付きの佐竹方の家老が葦名家中の仕置きに
参加するのを葦名四天の宿老達が拒否して対立し金上も形だけ義広付き家老を入れ
葦名のことは葦名の意向で動くことで妥協してる。
他にも覧^力大名の猪苗荘辮キ国・南山の試R内氏勝
横田の横田刑部・伊南の河原田治部らの家中での席次が
下げられたことに不満だったりで葦名は空中分解。
葦名が佐竹の乗っ取りではない別個の独立した個性がある存在なのは北条氏照が義広に、
葦名と北条は長いよしみがあるのでこの際、葦名から佐竹との和睦を仲立ち斡旋してはもらえないだろうか
との手紙があることでもわかる(家康が秀吉に臣従したあと)
天正16年8月22日に秀吉・家康の圧力に屈して北条氏規が上洛して、秀吉に弁明して北条はおとなしくなる。
10月には権威失墜した金上盛備が秀吉の後ろ盾を求め上洛、葦名も豊臣大名になる。
これを受けて天正17年2月に秀吉の命で景勝と芦名義広の和議が成立。
0114人間七七四年
2008/09/02(火) 23:33:19ID:srPzazbu「義広と政宗を和睦させろ。天下静謐なのになにやってんだ。
お前の返事次第では富士山を見に行った時にどうなるかわかってんだろうな!」
という威圧の手紙が出されて家中の大反対で義重は動けなくなってる。
それで葦名家中では佐竹の支援がもらえないなら義広を叩き出してしまえと言われる。
これを見ればわかるが佐竹派と伊達派なんて小さい問題ではなく
惣無事令の威令による佐竹の支援弱体化と
葦名内部での秀吉の後援を得た金上の専制に対する反発が葦名を滅亡へ追い込んだ。
そういう意味では猪苗代や大内は大崎・葛西らとなんら変わらない
大局が見えずに金上に勝つと言う小事にこだわり政争をしてたと言える。
(彼らは葦名執政の金上が上杉のと戦いに全力を投入し、大内や猪苗代ら方面の戦線に興味がなかったことを恨んでいた)
つまり惣無事令は年を追って徹底強制力が上がっている。
天正17年に入るともはや脅迫に近いところまで来ている。
また佐竹に接するエリア(北条までビビるのだから石川・岩城・二階堂・白河らも当然に惣無事令にビビる)
伊達以北では北条とつるんでる気になっている伊達が暴れているので
惣無事令が北条や佐竹周囲ほど深刻に受け止められていない。
0115人間七七四年
2008/09/02(火) 23:35:30ID:srPzazbu最上経由で津軽も上洛し秀吉に臣従することで南部からの独立を認められる。
秀吉は南部に家臣の謀反は許さない津軽討伐すると言っていた手前、
南部はその代償として花巻領や九戸領を秀吉から得る事に成功。
安東も二つに分かれた家の双方を統治する許可を得て安堵され外交戦で勝利。
佐竹も岩城が所属することになり、元々葦名は佐竹のモノではないのにも関わらず
葦名の代償として12万石から常陸ほぼ一国の領有を認められ与力込み80万石とも言われ大勝利。
葦名に関しては義広に器量なしとして蒲生をいれたに過ぎない(肥後の佐々の改易と同じ)
伊達は土下座したもののすべての努力が無駄になり天正18年から天正12年時点まで完全リセットで、
休むヒマもない戦の連続で無理してきた家臣団もタダ働きになり労多くして益ナシになり面目を天下に失った。
伊達が家康や利家たちの歓心を買うために外交を頑張った←具体的にはどんなことやったの???
箱根底倉に蟄居され事実上監禁されてたのをとりなしてくれた家康ら相手にどんな歓心を買う外交したか教えて。
0116人間七七四年
2008/09/03(水) 00:26:44ID:RGznkm6Tようやくお出まししたか。昨日特に活動していなかった所を見ると、
一晩中、資料か何かとにらめっこしていたんだろうね
君の新たな矛盾点や綻びを指摘したり、君の質問に答える前に
>>107について答えてくれよ?
0117人間七七四年
2008/09/03(水) 01:04:41ID:02AXiL0aお前は文盲かw
>>107の解答は>>113>>114>>115に内包されてるじゃねーかw
それで箱根に監禁された政宗は家康や浅野や利家の歓心を買う為にどんな外交努力をしたんだい???
0118人間七七四年
2008/09/03(水) 01:48:44ID:RGznkm6T文盲はお前だ
答えてない問題がいくつかあるようだけど?
どれに答えてないのか分からないんだったら、お兄さんが教えてあげようか?
0120人間七七四年
2008/09/03(水) 03:01:57ID:RGznkm6Tお前の罵倒レス>>113-115の矛盾や不審点をメモ帳に書きためといたから
>>107の質問にお前が全部答えて、前回の決着がある程度ついてから
>>113-115に答えてやるよ
0121人間七七四年
2008/09/03(水) 03:17:07ID:pEdV/L5/>>113-115のレス中でも自己矛盾を孕んでいることに早く気付いてくれ
猪苗代や大内が寝返ったのは政争の結果と自身で述べているが、
それこそ私の言ってる、伊達派・佐竹派の対立に他ならないのではないか?
惣無事令がなくても対立していた事実は変わらなかったのだろう?
そして、あれほど絶対視していたと言い張る惣無事令を、政争如きで破る猪苗代ら・・・論理破綻もいいとこだ
ちなみに石川や岩城が伊達に屈したのは、秀吉から上杉・佐竹に伊達討伐の命が下ったのよりも後
この一事を見ても解るだろ
君の論は証拠の無い「奥羽諸将の秀吉と惣無事令への恐怖」から作り上げられたもの
虚像ですな
あ、あと>>115の常陸ほぼ一国の領有を認められたのは葦名の代償というののソースをくれるか
0122人間七七四年
2008/09/03(水) 03:19:45ID:pEdV/L5/0123人間七七四年
2008/09/03(水) 03:32:23ID:pEdV/L5/>>111の仕業だろうが、ここの彼もいるようだ
純粋なアンチ伊達の方だったのかな
0124人間七七四年
2008/09/03(水) 03:52:37ID:RGznkm6Tアンチ伊達のようだが、何故か直江スレにも出没するように
直江厨か上杉厨じゃないかな
あまりに結論(伊達は糞)ありきで論を進めるから、矛盾も多くなるというのに
0125人間七七四年
2008/09/03(水) 03:59:27ID:YzYkYRi9伊達派なんて言えるのは義広との後継争いの政戦略に敗れて伊達の権威が地の底に失墜するまで。
時と時間は刻一刻と確実に秀吉を中心に進み始めている。
それに石川らは惣無事令違反に巻き込まれて改易されない為に伊達に偽りの一時的降伏したに過ぎないし(天正17年8/20の時点で前田は南部に奥羽に秀吉が来春に出陣すると伝えてる)
11月に石川は伊達に降伏するが2月には家康が関東へ出陣。
つまり確実に出陣があると8月には決まり、雪で軍事行動が鈍くなるたった4ヶ月間だけ政宗を騙せば徳川がやってくるわけだ。
だからこそ政宗は石川らが小田原へ参陣しようとしたのを認めなかった。秀吉の前で佐竹を弁護したら政宗の弁解と矛盾が生じてヤバいからね。
二階堂だって反乱してたし、その先の白河までまったく行く事すらできず、上杉に頭を下げて通過させてもらって小田原行ったくせに。
佐竹と内通してる石川も佐竹が天正18年1月に北上した時はまったく戦わなかったねぇ。
0126人間七七四年
2008/09/03(水) 04:04:44ID:RGznkm6Tついさっきどこかで見たことがあるな
しかもあからさまに携帯から打ったような文章だねww
0127人間七七四年
2008/09/03(水) 04:08:36ID:YzYkYRi9何言ってんだ>>111はどう読んでも伊達厨だろ情報歪曲捏造すんなよ。
また自己正当化ですか文盲くんw
0128人間七七四年
2008/09/03(水) 04:10:54ID:RGznkm6T何言ってるのかよく分からんが、お前に文盲呼ばわりされたのは俺だ
はやく>>107全部答えてくれないと、次に進まねーよ
0129人間七七四年
2008/09/03(水) 04:15:55ID:YzYkYRi9文盲って名指ししたのは>>123のpEdV/L5/に対してなんだが…なぜ>>128の君が自分が文盲と呼ばれたと錯覚するんだ?w
バァカ自演してんじゃねーよ基地外がwww
0131人間七七四年
2008/09/03(水) 04:18:17ID:YzYkYRi9自演バレバレ低脳超絶キチガイwww
キモ過ぎるよ君。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています